枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

木瓜迷惑・・・

2014年03月11日 | Weblog

 遊歩道の隅に、密やかに咲いている木瓜。梅に似てはいるが、佇まいが違う。梅の呼び方も、白いのは白梅だし、赤は紅梅と言う。季節に違わず咲き、春を先取る。この後には、乙女椿や辛夷が春の光に映える。どんな花が何時咲くか、身近に知っておきたいもの。

 木を見て、森を見ず。ではないが、其処に咲く草花を知っておけば、会話の糸口にもなるし、他人の悪口を言うまでもない。芸能界のスキャンダルが、話の中心では情けない。内容に奥行きも無ければ幅も無い、二次元の世界でしかない。亜空間までは必要ないが。

 介護の仕事には、施設の特徴が現われるが、ゆったりとした流れの中で、食事を摂り、好きなことをして過ごせれたら、どんなにいいだろう。年齢を重ねると、体が思うに任せない。それでも何とか動かさないと、筋肉は固まってしまう。あちこちがくっついたままになる。

 70、80歳の方に、全力疾走はできない。ゆっくりでいいから、何分かかっても歩いて欲しい。歩いていないと筋肉は萎縮する。家も棲んでいないと、痛みが激しいのと同じで、使わなければ衰える。そうして元には戻り難くなって、時間も相当にかかる。厄介でもある。

 其処に住まう人にも依るが、介護者との共同生活が大切なことは、いうまでもない。そうして、食事の内容、素材の吟味にも問題がある。確かに、流通状態で購入費が嵩み、安い物へと目がいくが、添加物や合成物のあるのは避けたい。認知症を増勢してしまう。

 テレビも、点けっ放しにはしない。食事時間には電源を切る。この節には、個人での持ち込みになっているので、観たければ居室ですればいい。眠たければ寝れば佳し。趣味の域を励むも好しだ。十把一絡げには賛成し兼ねる。生きる愉しみには、程遠い生活だ。

 個人的には、施設に入る余裕はないが、掃除の行き届いた空間で、花木のある、静かな時間を持ちたいもの。騒々しさも厭だが、子供の遊びに付き合う気はない。介護現場は、人手不足だろう。一人で三人を見守るのは無理がある。往々にしたいことは違うのだ。

 昨年の名月。月の姿にも、その年の特徴があるようだ。尤も、観られる、とばかりは限らないのだ。

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