枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

原発は要らない!

2014年03月14日 | Weblog

 昨夜は、小説を読みながら、連日の研修疲れから寝入っていた。突如、激しい揺さぶりに叩き起こされる。可なり長く感じたが、1分程であろうか。次に来る引き戻しに、身構えていたが無く安堵。震度3から4だろう。震源地は近県と思えるが。

 朝、嫁に電話し、無事を伝える。立って居られないほどの揺れではなかったが、原発の再稼動が始まったら、終息のつかない事態に陥るには、非を見るより明らか。再稼動への承認をしたとの記事に唖然とする。人類の滅亡は近づいている。

 日本は、武器の輸出を談話したり、発展途上国への原発建設に、助力しようとしている。そのどちらもが殺人に値する。知っていながら、利益を優先し、自分ではないという思いからだ。虐めも似たようなもので、我が身の痛さにはならないのだ。

 然し、武器にせよ、原発にしろ、人間を殺めるという事には変わりない。作るのは、人間であるからだ。放射線の除染に、ロボットを使うのも、作るのも操作するのも人間で、機械には心など宿っていないと嘯く。これではアトムは永遠に生まれない。

 先日、食器乾燥機が作動しなくなった。便利な機械として使えればいいが、作動しないと邪魔な存在になる。では聞くが、感謝の気持ちで使っていた?ぞんざいに扱い、きれいに掃除をし、大切に思っていただろうか疑問が湧く。答えは否だろう。

 人間にしか、感情はないのかもしれないが、ある意味では存在し得ることも間々ある。意思の相通は不可能かもしれないが、大切に更に愛おしく思えば、機械であろうと応えてくれる。言葉にはその人の威があり、言霊となって天に届くからだ。

 職場での人間関係が煩わしい理由には、グループでの存在が大きいからだ。介護の仕事には欠かせない、チームワークも成り立たない。然るに、上司には平等な目線で観ることを願う。同時に、個性や気質を把握して接してもらいたいものだ。

 昨日の研修での講師の話の中に、死のうと思う人は、黙してする。という言葉に思わず頷いた。誰かに話しても、上司に相談や訴えをしても、何故そういった気持ちを持ち、仕事への意欲や姿勢が薄れているかを考えてほしい。孤立は辛い。

 頑張らなくてもいい、とは思うが、自分の生き様に清くありたいとの想いから、努力に励んでいる。同じ24時間を与えてもらっているなら、自分の居場所で芽を出して咲きたい。命の終わる日まで精進することに依って、使命を全うしたいもの。

 北側の白茂木。中々、育たない。今年は、鉢から出すかなぁ。根が張って来ており、窮屈なのだろう。

コメント
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