狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

回想

2009-08-01 05:42:27 | 怒ブログ

今日から8月である。

狸便乱亭ノートの開設当時の余の日録を記す。
平成17年
8月1日(月)
終日蒸し暑く何もやらず。
Tさんにメールを送る。
《昨夜から今朝にかけての蒸し暑さでは、2回も起こされてしまいました。
足の脹脛が攣れてとんだめさらいました。
 今日から8月。今Z寺から戴いた天台こよみを開けてみています。テレビ体操も始まったようですが、暑くて全くやる気なし。
八月は 四日 天台宗平和記念日 庚申
    六日 広島原爆記念日
    七日 立秋
    九日 長崎原爆記念日
   十三日 迎え火  己巳
   十五日 敗戦忌
《わが家のヤマアジサイ咲いています。今日は月曜日なのに何もやる気ありません。〝怒ブログ〟執筆のテーマを熟慮中。
 もう少しで 食事のラッパがなりそうです。そんでわ。(6:44)
《H大兄
略 朝から猛暑の様子です。家の廻り草ぼうぼうで朝涼しい内に、1時間ぐらい…と心がけているのですが、とてもとても…毎朝やっているテレビ体操も今朝は流石に省略しました。
16日は出席します。はがき出すの忘れました。謝。謝。謝。医療問題。小生はN・K兄の7年間に及ぶ闘病生活と向き合って来ました。誤診のことはさておいても(小生の感想では彼も恐らく院内感染による疑いが充分あります)今の病院のあり方には疑問をずっと持ち続けております。
彼は記念病院→T病院→T・S病院→T・C病院→U病院→T病院(再)→T 病院(癌の疑い検査のため)→T病院(再々)と盥回しされた。彼が最後に追いやられたT病院などは痴呆症専門病院らしかったです。
患者はまるで動物扱いでした。廊下にはいつも紙おむつを回収した大きなビニール袋が山と積まれてあったのを覚えています。
 いまの動物病院は、脱腸になってしまったわが家の猫君をM町の動物病院に入院させた事がありましたが、実に親切で、猫君の待遇も非常に良かったのを記憶しています。
話は飛びますが、近所に住む独り住まいのI女史、K町のある病院に回され、身のキケンを感じてやっと退院させて貰ったーと、親戚の人がその病院の様子や、あるいは民生院委員について話していた。痴呆扱いで、病気はなんでもないのに退院するまでの手続きが大変だったと胸をなでおろしていました。
長くなります。とりあえずメールで出席の通知失礼いたします。そんでわ。                         (8:39)》
テレビ長岡洋治衆院議員の自殺を報道していた。


8月8日(月)
二階の窓から見ていると、下のバイパス添えの電線が落雷の音とともに激しくスパークしたが停電は短い時間で済んだ。数回短い停電があった。
 郵政民営化法案が今日午後の参院本会議で採決され、自民党から22人の反対、8人の欠席・棄権が出て17票差で否決された。何故かテレビに釘付けされた。
H高校が延長12回を制した。

8月9日(火)
今日は殆ど何もやらず。
  衆院解散9.11総選挙
郵政法案参院で大差否決賛成108、反対125

9月5日(月)
閑話休題(オット、むだばなしはさておいて)。
日本列島はいま選挙戦真最中。わが選挙区は無風であるけれど、異変が一つできた。宗教団体が自民党候補の選挙運動をかって出ていることだ。わが町のちょっとした広場や、至る所の交差点には自民党候補の看板と小泉自民党総裁、神埼公明党代表の写真のたて看板が、ずらりと並ぶ。社民党や、元自民党なのに無所属で立候補した父親が防衛庁長官までした候補は、法定の掲示板以外はほとんど立っていない。共産党が自民党、公明党からやや離れた所に、小さく縮じこまって立っているのが実情である。
そこで勲章に話題を戻そう。
 元公明党の竹入委員長、矢野絢也、運輸大臣まで務めた二見伸明氏の消息である。この中で竹入・二見の両氏は創価学会を破門になっているらしい。
 二見元運輸大臣が勲章をもらったかどうかは不明だが、学会が竹入氏を嫌う理由には、
氏が勲一等勲章を貰った事と、朝日新聞に回想録を書いたことに起因するらしい。
因みに、池田大作は諸外国でさまざまな叙勲、名誉教授、感謝状をもらっているが、何と日本国内からはほとんどそれらがなされていないという。勲章の功罪は思わぬ所に落とし穴があるものである。
 
問題の朝日新聞の切りぬきを添付する。

これは「虚偽報道」ではない。宮沢りえの写真広告を重ねたのは他意はない。これも朝日新聞の1ページ大の新聞広告で勲章には関係ない。時代考証の為と思っていただきたい。
宮沢りえ 篠山紀信「Santa Fe」1991・11月13日全国の書店で発売。予約受け付け中。定価4,500円B4版変形140ページ朝日出版社
秘話55年体制のはざまで―竹入元公明党委員長が政界回顧 1998、8,16~

「秋の生存者叙勲」と広辞苑にあるくらいだから、勲章授与は国の年中行事なのだろう。待てよ。年中行事とは宮中で、1年のなかに1定の時期に慣例として行われる公事。民間の行事・祭事にもいう。

九月十一日(日)
 近所のTさん電話ありて後来訪さる。奥さんが沖縄に行ってきたといってお土産を下さる。今日も暑かりき。倅嫁E子から昨日と今日とメールあり。
 Tさん帰りし後、床屋さんに行き、5千円両替す。香典三千円。通夜見舞い二千円を包みて義兄に村付き合い某の香典を頼みに行きたれば、隣家のK翁いたり。これも香典の依頼かと思ったら、単にお茶のみの遊びだったらしい。故人とは軍恩の仲間にて、香典五千円もキマリがあると云。
 Y君、草刈機で近くの下水溝の回りの草を刈っていた。
 夕方雷雨あり。強く降りたる数分に過ぎず。村内に選挙ポスターを軽トラにて撮りに行く。やゝ涼しくなりぬ。選挙は棄権した。

九月十二日(月)
三時半に起きてしまった。自民党が予想通り圧勝した。それほどの興奮も感激もない。

※ 『朝日新聞が問われている
虚偽報道』
相手に会っていないのに、一問一答の取材メモをでっち上げる。そのメモをもとに記事が出来上がる。報道にたずさわる者にとって決して許されないことが朝日新聞で起きてしまった。総選挙を控え、新党が結成されつつある時期だった。亀井静香・元自民党政調会長と田中康夫・長野県知事が会ったという情報があり、政治部から取材を依頼された長野総局の記者が、田中知事から話を聞いたかのように虚偽のメモをつくり、政治部記者にメールを送った。(2005.9.2付朝日新聞)

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