その頃我々はまだ中学1年生だった。学校の朝礼はコノ字型校舎の中校庭で行われていた。
その年の4月、アメリカの日本本土空襲以来、朝礼には一般教師の学年別行事、注意、伝達事項の他、配属将校K中尉の特別訓示が行われるようになった。K中尉は生徒に、朝礼台の上から、敵飛行機の模型を示し、名称、特徴などを説明した。東京空襲はノースアメリカンB25であったが、コンソリデーデットB24 型や、その他の米空軍の主用爆撃機、戦闘機なども説明対称だった。
東京空襲から翌年、その日(昭和18年2月10日)の朝礼は真に異常だった。いきなりK中尉は朝礼台に駆け上り、我々の「頭ァー中!」の敬礼に挙手の答礼した後、一段と声を奮わせ
「米・英必滅セザルベカラーズ!!オワリ!!」と叫んで朝礼台から降りたのである。
その後、校長から、いよいよ時局の重大なことの講話があったけれど、なぜ重大なのか明快な説明ではなかった。ガダルカナル転進という聞きなれぬ大本営発表を新聞で読んだのはその翌日である。それでも日本軍が敗退したとは思わなかったし親たちからも説明されなかった。
翌々年、昭和20年1月には我々中学2年生も、D海軍x廠に動員学徒として飛行機修理を目的とする機構に入廠することになったのである。ベンキョウをしないで済むことが先ず嬉しかった。
何しろわが中学では英・数・国・漢の週末考査が毎週土曜日に必ず行われていたのである。
有難うを言います。
遠い昔のお話になりましたね。
中学校と中等学校の違いを聞かれた事があります。50代の大人でした。馬鹿馬鹿しくて答えませんでした。
もっと書きたくなったのでTBもしました。