狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

歴史の時間(居眠り自由)

2008-06-12 12:23:48 | 日録
町が発行した本の参考資料関連年表を見ると、
大正10年(1921)▼海軍飛行場開設 ▼臨時海軍航空術講習部設置 ▼県知事飛行場視察 ▼郵便局開設 ▼東伏見宮殿下、東郷元帥、海軍大臣飛行場視察のため来臨
同11年(1922)▼臨時海軍航空術講習部航空隊として独立・開設 ▼摂政宮(皇太子)来臨とある。

その際植えられたの記念植樹の松である。

           

碑は当時のまま破損することなく完全な形で残っている。 この碑の指す「皇太子殿下」とは、昭和天皇のことで、摂政宮時代にこの航空隊行啓遊ばされた。
碑の裏面には「大正十一年六月□八日 臨時海軍航空術講習部」と刻まれている。

なお、昭和天皇は、昭和17年にも行幸なされた。
広大な飛行場中央には中央格納庫群があった。現在はI農機メーカーの敷地になっているが、工場西南方面の立木のなかに行幸記念碑が保存されている。
昭和17年(1942)7月13日茨城県下で行われた陸海軍統合演習時の、昭和天皇お立ち台の跡である



「歴史の時間」というだいそれたタイトルを付け(居眠り自由)と添え書きした。当時を知らない人、戦争の悲惨さを経験したことがない若人が、このサイトをご覧になったとしたら、たいへん退屈なグログに違いないと自己反省しているからである。
この天皇行幸の戦跡は、国立大学の構内にある。学生が知っているかどうかはわからぬ。このが場所の周囲は荒れきっていて、入口がない(?)。
またあまり知られていない歴史だが、この場所には、航空隊に来臨なされた、宮さまがたや、将軍(?)たちの記念樹を植える特定場所で、たくさんの記念樹が植え込まれてあった。いまあるのはこの「皇太子お手植えの松」だけてある。
すべて盗掘され、いまでも何処かにこのように大きくなっているだろうと、密かに思いを致している次第なのである。



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