寛仁親王の御著書「皇族のひとりごと」二見書房に「歌会始の儀」に触れた部分があった。「和歌」という表題である。その冒頭部分と中ほどのところを引用すると、
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皇室というのは歴史的にいろいろな文化を大事に伝えてきたわけだが、そのなかでも現代でも色濃く継承しているもののなかの一つに和歌がある。
およそ文化とか芸術がわからずに、というより人間にしか興味のない私でさえも、年に一度の陛下の催される歌会始の儀(毎年一月初旬)には成人した年から毎年出している。
(略)
私は出たり出なかったりなのだが、その理由は両陛下、皇太子両殿下のお歌は当然詠みあげるが、皇族は何人出てもその筆頭皇族の歌しか詠みあげてくれないので、自分のを詠んでもらいない歌会始めに出てもつまらんというわけで、私しか出られないという場合にしか出席しないことにしている。オフクロや他の伯母様方はできるだけ人前では詠んでほしくないとかおっしゃるが、こういう心理は私には皆目わからない。以下私の詠んだ歌を列記する。
とした上で昭和41年から昭和51年までのお題と和歌を列挙してある。その最初の一首のみ記せば、
昭和四十一年「声」
声あげて母校の勝利いのりつつ応援団の指揮とる我は
これは二十歳のときではあるが、高校時代教育大付属との運動部対抗の定期戦の応援団長をやったことをいっている!
さて今年は「月」、寛仁親王殿下どんな秀吟をお出しになったのか、興味を持って隅から隅まで探したが、載っていたのは、寛仁殿下の言われたとおり、天皇・皇后両陛下、皇太子・皇太子妃雅子さま、秋篠宮・秋篠宮妃紀子さま、常陸宮・常陸宮妃華子さま、三笠宮妃百合子さま、寛仁親王妃信子さま、高円宮妃久子さま、のお歌だけであった。
南無妙法蓮華経
ナムミョウホーレンゲキョウ
なむみょうほーれんげきょう
南無妙法蓮華経
ナムミョウホーレンゲキョウ
なむみょうほーれんげきょう
南無妙法蓮華経
ナムミョウホーレンゲキョウ
なむみょうほーれんげきょう