狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

平和を…(2)

2008-03-19 20:52:36 | 怒ブログ

戦争を知らない世代。太平洋戦争(大東亜戦争と云わないと気が済まない人もいる)ドラマでしか分からなくなってしまった。
一瞬にして10万人の命を奪った広島の原爆、一夜にして10万人以上が焼け死んだ東京大空襲。それに比べると、イラク戦争で失った生命の数は、信じ難いし、全く不可解である。
「戦争をすれば誰かが儲かる」昔の理論が口にこそ出せないが生きているような気がしてならない。
当時の朝日新聞を検証してみた。

      私たちの内面をも蹂躙
辺見 庸
〝新しい中世〟とでもいいたくなる荒ぶる風景が眼前に立ち上がった。ハイテク兵器を操る野蛮な「帝国」が、絶対暴力で世界を総べようというのだ。発想があまりに中世的であり、新しいのは兵器システムだけなのだ。人はいま理不尽に、そして確実に殺されている。
米英両軍による画時代的ともいえる暴挙はイラクの人と大地を手ひどく痛めつけているだけでなく、じつは戦火からはるか離れた私たちの内面をも深く侵している。なぜなら、今回の武力行使が人倫の根源に背くものであるにもかかわらず、私たちは直ちに制止する術を知らず、多くの人々の身体が爆弾で千切れ、焼き尽くされのをただ悲しみと怒りの中で想像するほかないからである。
思えば、私たちの内面もまた米英軍に爆撃されているのであり、胸のうちは戦車や軍靴により蹂躙されているのだ。全世界でわき起こっているこれだけの反戦の声を無視して強行された軍事侵略がもしもこのまま正当化されるなら、それはイラク市民にとっての悲劇にとどまらず、人倫全体への危害を意味し、あまねく世界規模の精神の敗北にさえつながりかねない。
問題の本質は米英が国連安保理の承認を得ずして開戦に踏みきったことにあるのではない。よしんば安保理が一致してそれを認めたにせよ、このたびの軍事行動は人道上いささかも合理化できるものではないのだ。イラクの核兵器開発開発の証拠はなかった。9・11テロやアルカイダと関係も立証されていない。湾岸戦争の大敗北とその後の制裁で弱りきったイラク軍にはさしあたり、米英に脅威を与える力などあるわけもなかった。
大統領宮殿の査察という屈辱に耐え、ミサイル廃棄にも応じたフセイン政権の語られざる本音は、強気の反米発言とは裏腹に、〝命ごい〟だったともいわれる。いや、だれよりもイラクの民衆が平和と生命の安全を請うていた。心の中で<助けてくれ>と叫んでいる者たちに、米英はしかし、話し合いの手を差し伸べるのではなく、問答無用と爆弾を落とした。フセイン大統領は紛れもない圧制者ではあるけれども、米英の所業は非道であり、永遠に記憶され裁かれるべき戦争犯罪である。
世界の軍事費総額約8千億㌦の4割強となる国防予算をもち、8千もの有効核弾頭を保有し、戦術核並みのMOABなど新型大量破壊兵器を次から次へと開発している人類史上最大の軍事帝国、米国。ネオ・コンサーバティブ(新保守主義)グループに牛耳られたこの戦争超大国の粗暴な政権が事実上、世界の暴力独占権を握り、国際社会の「準則」を国連にも国際条約にもよらず、いまや自国の都合で決定しようとしている。彼らが依存しているのは、最高度の電子化された兵器と戦争の組織体系、大量殺戮をメディアの眼から隠すバーシャルなシステム、すなわち人類がかつて手にしたこともない絶対暴力である。
米国のみが「先制攻撃」という名の侵略権や他国の指導者に対する暗殺権を有する彼らの思想は、近代国民国家のものというより病的なまでに古く専制的であり、忍耐の要る対話をすぐに拒む蛮人のそれという外はない。換言すれば、高度に技術化された蛮人が世界を仕切ろうとしているのである。
戦慄せざるをえないのは、小泉首相がこの「帝国」の絶対暴力にためらわず支持をあたえたことだ。しかもその弁明ではイラクに結びつけて北朝鮮の「脅威」がほのめかされていた。ということは、「帝国」の絶対暴力が対イラク戦後、日本を出撃基地として一気に朝鮮半島に向けられるかもしれない恐怖のプロセスを小泉氏は是としているということであろうか。それまでに有事法案を採択し、「帝国」の戦争に大いに協力しようというのか。イラク反戦を叫びつつ、私たちは朝鮮半島にからむ私たちの近未来の地獄絵をも想像しなければならない。
騙し絵のような米軍提供の戦争映像の奥に、隠された無告の人々の惨憺たる死骸を見る必要がある。米軍がどのように演出しようとも無血の清潔な戦争などない。今彼方の戦争に反対することは、来るべき此方の戦争を拒む事にも通じるのだ。
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