狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

「認識証」

2005-11-26 14:10:13 | 反戦基地
           
元俳句仲間のK村さんの訃報を今朝の新聞で知った。普通新聞の訃報欄の記事は、葬儀の前日か前々日に載るのが普通であるが、K村さんの場合、今日が今日である。
これからでは、昔の俳句仲間たちに連絡しても、皆高齢者ばかりで、他人の手を借りなければ、自力で葬儀に参加できるのは何人もいない。結局誰にも相談せずに行くことにした。僕の他に、俳句仲間だった2人が会葬に間に合った。K村さんは行年90歳であった。

 故人はお酒が大変好きだったので、僕とはよく馬が合った間柄であったように思う。
 告別式を終え、さまざまな感情が僕の胸に去来した。会報に載せた旧稿の中から故人を偲び、心からの御冥福をお祈りしたい。


 ――我々俳句仲間は「××俳句会」といって、月1回月例句会とその句作を発表する会報を作っている。目下指導に当たる先生はいない。
その会報には、会員が順めぐりの「一句鑑賞」という互選句の短評欄がある。かつて僕もその欄にK村さんのことを、2回ほど投稿したことがある。

一句鑑賞(平成十五年九月会報より)

 《「人生の生死花火のようなもの   K村」
 これは朋友の死を悼むものなのか、それとも自己自身来し方行く末の詠嘆なのか、それは鑑賞する側の自由であってよいと思う。小生はその後者をとりたい。
 かつて陸軍砲兵将校として、中国大陸、黄河河畔の要衝蒲州攻略作戦など、幾度か死線を越えこられたという氏にとって、夜空を彩る花火は将に人生の縮図に見えたのかもしれない。或いは又、氏が青春時代に失意を味わったことへ追憶だったとも読み取れる。中河与一の代表作「天の夕顔」(天の夕顔の1節に、思いを抱くあるひとに貸し与えた本の栞に、さりげなく認めてあった、

つれづれと空ぞ見らるゝ想ふ人
   天下り来むものならなくに

の建礼門院の恋歌などが、K村さんのこの句から、文学少年だった己の青春時代の頃のことまで思いだしたのであった。

 小生もすでに古希の歳を超えて久しい。最近次々と友人たちの訃報に接する度、ひとりでに、人間の生死について、深く考えさせられることが多くなってしまった。それはまさに花火のように、儚いものである…。》

K村さんがこの僕の駄文をどうお読みになったかは、わからないけれど、次回の句会の冒頭特に発言を求められた。中国戦線にあった往時に思いを馳せたものだった。戦陣の厳しさ、空しさを花火に例えて詠んだ句であることを告白された。

 戦地では「認識証」というものが兵士全員に渡され、戦死したとき、それによって階級や氏名が判別できるようになっていたという。小判型の真鍮製で、自分の「認識証」の実物を持参され、皆に回して見せてくれた。
「陸軍砲兵中尉の階級と、K村さんの楷書体のフルネームが彫り込んであった。
 
 「やがて戦争も末期になってくると、真鍮ばかりでなく、物資は底をついてしまったのでしょう、『認識証』も行き渡らなくなってしまったそうです」とも付け加えられた。(K村さんはそれ以後老衰を理由に退会された)。

中国戦線の戦争文学では火野葦平の「麦と兵隊」があまりにも有名であるが、俳人であり芥川賞受賞作の清水基吉の「雁立」が、次のような文から始まるのを僕も読んだことがある。
 
<慮山のふもとをめぐる戦いは初秋から晩秋にかけて終った。僕は馬の上で芋をかじって激しい急追を続けた。湖をわたって山険に拠り、山を下って秋色のこめた野を横ぎる時も、耳には砲声のひびき死臭の臭いが鼻についた。しかし僕の目には弾煙とまごう中空の白い雲をはっきりと見ることができた。僕はその頃僅かに、雁立つやわれはいずくに年を取る、の一句を作った、それよりも目の前の敵陣地に気を取られていることが多かった。軍は栄州をを去る数里のところで暫らく休戦の状況に這入った。
僕は暇を得ると馬を馳せたが、頭から日覆を垂れたままで、よく馬上で居眠りをした。気が付くと小松の生い茂った丘陵で馬は草を食って止まっていたりした。>

 
 僕がこんなことを句会報に書き綴っていた頃、あるいはその後だったかどうか、日本の自衛隊は大した論議も経ずしてイラクに派遣された。すでに米国の指揮下にあったのかもしれない。
戦争は終結したとはいえ、米軍の死者は2000人を超えたともいう。日本の自衛隊員に一人の死傷者も出ていないのは奇跡に近いと思うのだが、隊員に昔のような「認識証」がいき渡っていたかどうかは話に聞いたことはない。

 勿論自衛隊は軍隊でないのだから、戦死者が出るはずはないし、「認識証」の必要もなく、水野広徳のような反戦軍人の、現れないのも当然であるといえばそれに違いないが…。
 
この平和の日が、一日でも多く続き事を「祈り、再びK村さんに合掌、稿を閉じたい。