狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

東条首相の獅子吼

2005-11-10 20:11:26 | 怒ブログ

三笠宮寛仁殿下の《「女系天皇に異論」三笠宮寛仁さま随筆で「ひとり言」》を朝日新聞記事で読んだ。

かつて殿下の著書《「皇族のひとりごと」株式会社 二見書房 昭和52年1月14日初版発行》は稀に見るエッセーで、皇族様も同じ人間なんだなぁと、感慨深く読んだものだった。
正直云って、今度の発言にはがっかりした。

《「古代より国民が『万世一系の天子様』の存在を大切にして来てくれた歴史上の事実とその伝統がある故に、現在でも大多数の人は、『日本国の中心』『最も古い家系』『日本人の原型』として敬って下さっている」と述べ、皇位継承の男系主義を崩すと「いつの日か、『天皇』はいらないという議論にまで発展する」と危機感をにじませている。》と述べられているのである。(朝日新聞)

昭和□桁生まれのボクは思わずタイムスリップしてしまった。

東条首相が登場したのである。(この演説稿は「復録版昭和大雑誌 戦中篇」に拠った)

大東亜戦争一周年を迎えて
                  内閣総理大臣 東条英機
 昨年12月8日、畏くも宣戦の大詔を煥発あらせられ、米英両国と干戈を交ふるに至りましてより、早くもここに1周年を迎へることとなりました。

顧みますれば、あの日、大詔を拝しましたる我々1億の臣民は、斉しく恐懼感激に堪へず、各々その全力を捧げて尽忠報国の誠を致し、誓ってこの前古未曾有の大戦争を勝ち抜き、以って宸襟を安んじ奉らんことを堅く肝に銘じたのでありまするが、今ここに、1周年の記念すべき日を迎へ、この間、素より多事多難なりしとはいへ、光明に輝く戦局の前途を想いたしまして、真に欣快に堪えざる次第であります。

既に御承知の如く、わが陸海軍におきましては、御稜威の下、陸に海に空に世界の未だ嘗て見ざる豪壮なる大作戦を展開いたしまして、善謀勇戦、到る処に赫々たる大戦果を挙げ、戦前米英及びその与国が、頻りに武備を増強して帝国を脅威せんとしてをりましたところの、東亜における彼らの所謂包囲陣は悉く撃砕され、今やその広大なる諸地域はわが占領下にあり、しかも建設の槌は丁々と各地に打ち響いてゐるのであります。

而して、わが占領下に在る諸地域の原住民は、久しきに亘る米英蘭の暴政より救出せられ、普く皇恩に浴すると共に、喜び勇んで皇軍に協力し、それぞれの地位に於いて、大東亜共栄圏の建設に現に貢献しつつありますることは、世紀の一大壮観でありまして、これ偏に八紘を宇とし、各国各民族をして、各々その所を得せしめ給ふ御聖徳の賜物と、唯々恐懼感激に耐えないところであります。 

私はここに、御稜威の下、かくのごとき短期間に、かくのごとき大戦果を挙げ、いよいよ豪壮なる作戦を続けてをらるる皇軍の将兵の御奮闘に対し、また之と呼応して雄渾なる建設に従事してをらるる軍官民の御努力に対し、深甚なる敬意と謝意を表する次第であります。

而してこの間護国の鎮めとなられましたる 幾多の英霊に対し、謹んで敬弔の誠を捧ぐると共に、御遺族の方々並びに不幸病を得てしかも再起奉公を誓いつつある幾多傷痍の勇士に対し、満腔の同情の意を表するものであります。
   〇
抑々大東亜戦争は、今更申し上げる迄もなく、貪欲限りなき米英両国が飽くまでも東亜の天地を自己の制圧下に置き、搾取を恣にせんとする非望にその端を発したのでありまして、東亜の諸民族は長年彼等の暴虐の犠牲となり、その文化は破壊せられ、その生活は悲惨を極めたのであります。帝国は善隣の誼を厚うし、大東亜の安定を図らんと多年懸命の努力をいたしたのでありまするが、米英両国は、或いは蒋政権を使嗾して故なく帝国に抗争せしめ、或いは与国を誘うて帝国の四辺に武備を増強し、或いは経済断交を敢てする等、手段を選らばず、あらゆる脅威妨害を我に加へてその野望を達成せんとしたのであります。しかも帝国が飽くまで隠忍自重、事を平和の中に解決すべく、一意外交交渉に努力を傾くるや、彼等は之を持って与し易しとなし、益々暴慢なる態度を加へ来り、大東亜の安定に関する帝国積年の努力を、全く水泡に帰せしむるのみならず、帝国自らの存立をすら将に危殆に陥れんとしたのであります。 

万策ここに於いてか終に尽き、帝国は自存と権威とのために、断々固と起ち上がったのであります。帝国は自らの存立を全うすると共に、帝国とその運命並びに福祉を共にする大東亜に永遠の平和を確立せんがため、蹶然として、米英の野望を粉砕し、盟邦諸国と相携へて、世界人類の幸福に寄与せんとして立ち上がったのであります。徒に物質文明に依存せる迷妄を排し、御稜威の下、万邦をして各々その所を得しめ、兆民をして悉くその堵に安んぜしめんとする肇国の大理想を世界に顕現せんとする正義の師を興したのであります。

然るに敵米英におきましては、或いは自由の為の戦いといひ、或いは民主主義防衛の為の戦いといひ、今尚戦争の目的すら帰一するところを知らざる有様であります。

而してその根本観念において彼等米英は、自己を世界最優秀の民族なりと自負し、幾億の他民族を犠牲にし、恬(てん)として恥ぢず、彼等のみ最高の生活と文化を享楽する当然の権利ありと主張してをるのであります。戦争目的の相違するところ既に斯くのごとし、神明の照覧し給ふところ、勝敗の帰趨は自ら明らかであります。

即ち一度戦端を開きまするや、皇軍の向ふところ敵なく、わが陸海軍は忽ちにして各地に大戦果を挙げ、銃後亦愈々その護りを堅うし、かくして前線銃後渾然一体となり、着々として必勝不敗の態度を強化しつつ米英撃滅の総進軍をつづけてをりますることは、恂に御同慶に堪へないところであります。

   〇
 過去1年の戦果真に赫々たるものありとは申しながら、素より戦争の現段階は尚ほ未だ緒戦に過ぎないのであります。本格的の戦争は実にこれからであります。

敵米英におきましては、開戦劈頭の惨敗を挽回すべく今や躍起となって努力を続けてゐるのであります。特に米国におきましては、或いは徴兵制度を拡充し、或いは民需生産を極度に制限して軍需生産の急速なる増大を図る等手段を尽して、頻りに戦力の増強を策し、以って我に反撃せんとしてをるのであります。従って、潜水艦による我が海上交通の妨害や飛行機によるわが大都市の空襲等は、益々大規模に行わんと企画するは当然覚悟しなければならない問題であります。

素より寡克く衆を制するの伝統に生きる帝国と致しましては、敵の如何なる方策に対しましても、何等恐るるものはないのであります。飽くまでも攻防自在の戦略的態勢を拡充しつつ米英を撃滅すべき満々たる必勝の確信を有するものであります。

但し、勝軍には油断は大敵であります。敵を軽視することは大禁物であります。即ち必ず勝ち抜く為には、帝国はこの上とも総てのものを戦勝の1点に集中して、益々戦力の増強に努力しなければならないのであります。一億国民は堅き結束の下に、お互いに助け合ひ心を一つにしつつ、或は兵器や船舶の増産に、或は燃料や鉱物の増産に、或は陸海の輸送に、或は国民貯蓄の増加に、その他戦力発揮に欠くべからざる方面に全力を傾けて国家の要求を充たさねばならないのであります。

私はしばしば全国各地を視察いたしまして、工場に農漁山に、鉱山に港湾に、いたるところ、老若男女を問はず、国民諸君が真剣に活躍しつつある様子を目の当たり見、また、転廃業の困難なる問題に直面した諸君が、勇躍国家の要求に応えつつある姿に接し、而してまた国民諸君が万難を排して莫大なる貯蓄増額に邁進しつつある実情に触れ、深甚なる敬意と、謝意とを表するものであります。

今や我々一億国民は大東亜10億の諸民族の指導的立場にあるのであります。我々の伝統は質実剛健を旨とし大東亜諸民族に先んじて先づ憂ひ、楽しみは後れて之を楽しむことを以って当然のことといたしてをるのであります。敵米英におけるが如き独善的個人主義、物質的享楽主義は我々の祖先の知らざる所であり、我々の倫理の書に見当たらざる文字であります。

私はこの上とも一億一心、全国民が一人残らず日常生活を極力簡素強力にし、幾多の困苦欠乏に耐へ忍び戦力増強に挺身せられん事を切望して已まないものであります。

    〇
 戦ひは正に之からであります。古今の史実に徴するも戦争は実に意志と意志との戦ひであります。頑張り合ひの争ひなのであります。一億一心、堅忍不抜の意思を持って真に団結を固うして事に当たりまするならば、如何なる場合に於いても勝利は必ずわが手に在るのであります。我らの祖先は斯くの如くして皇国を護り、斯くの如くして燦然たる二千六百有余年の歴史を築き上げて来たのであります。歴史は死んだ過去の記録ではありません、生きた生命も流れであります。

 今や我は正義の師を興し、彼は利欲の戦を戦ってゐるのであります。昭々乎たる神明の加護の下、正義は常に我と共にあり、我等は断々乎として米英を撃砕し、もって大東亜戦争の目的を完遂せざればやまざる不動の信念をもってゐるのであります。

 敵の物質的富強の如きは何ら恐るるに足りませぬ。若し恐るべきものありとすれば、それは内に在るのであります。即ち帝国の直面する重大なる現時局に対しその認識を誤り、心身の練磨を疎かにし、生産の増強を怠り、一億一心の団結を乱ることであります。われら一億国民、日々その心身を練り、各々その職域に精励し、国家の総力を挙げて外敵に当たりまするならば、如何なる強敵も敢えて恐れることはないのであります。大東亜戦争の前途素より多事多難を予想せなければならないのでありまするが、勝利は絶対に我等のものであります。

 畏くも宣戦の大詔には『汝有眾ノ忠誠勇武ニ信倚シ』と仰せられてをります。大御心のほど拝察し奉るだに誠に恐懼感激の極みであります。私は国民諸君と共に、心を尽くし、身を竭し、飽く迄も頑張り通して、誓って大東亜戦争を完遂し、もって宸襟を安んじ奉らんことを、ひたすら念願するものであります。(をわり)
-『日の出』昭和17年12月号所載