茨城から発信しますⅡ

旅が好きです。
見て 聞いた 茨城を紹介します。
昔の写真から旅の思い出を紹介します。

 茨城から発信しますⅡ 水戸市植物公園のスノードロップ

2016-02-17 07:00:00 | 茨城紹介

水戸市植物公園ではスノードロップが盛りを迎えていた。

とても可憐な花で、はにかむ様に下を向いて咲いている。

スノードロップ は、ヒガンバナ科スノードロップ属、

マツユキソウ属の総称と云う。

スノードロップは球根で育つが、種子からも育てる。

花が咲く大きさの球根に育つまで数年かかるそうだ。

冬の終わりから春先にかけ花を咲かせるので、

春を告げる花として知られる。

花は白で3枚ずつの長い外花被と短い内花被を持つ六弁花。

いくつかの種では、内花被に緑色の斑点がある。

夜になると花を閉じ、昼間吸収した温かい空気を保管する。

日本では、1月1日などの誕生花である。

シクラメンやソシンロウバイも咲いていた。

早春の植物公園には人影も少なく、長閑な雰囲気を楽しめた。

 


職場のOB会・囲碁クラブ参加

2016-02-15 07:00:00 | 日記

元職場のOB会・会報が届いた。

OB会・会長の「新年を迎えて」の挨拶と

昨年、OB各位の各地での活躍が報じられていた。

OB同好会として「囲碁」「テニス」「ゴルフ」が紹介されている。

「囲碁」に関しては、右脳を使ったスポーツで

認知症予防には最適であると称している。

最近物忘れが顕著になったと案ずるかみさんは

「囲碁クラブ」に参加するのを非常に喜んでいる。 

ブログを始めた頃はゴルフに熱中していて「golfun」と称した。

 

頚椎症の手術でゴルフが出来なくなり囲碁に転向した。

一時期「igofun」を名乗ったが、語呂が悪いのか「昔の名前で出ています」

会場には約10名が参加していた。

20年ぶりの再会でほとんどの人の、顔は覚えているが名前は思い出せない。

全員が有段者であるので初級で登録、置き碁だったが3勝2敗

10時から17時までの囲碁会を楽しく過ごすことが出来た。

毎月1回の元職場囲碁会に参加することにした。

 


茨城から発信しますⅡ 水戸市植物公園のクリスマスローズ展

2016-02-12 07:00:00 | 茨城紹介

水戸市植物公園のクリスマスローズ展を見に行った。

水戸市内・外のクリスマスローズ愛好家が展示したものである。

 

クリスマスローズの名前の由来;

クリスマスローズはキンポウゲ科ヘレボルス属の多年草。

日本でクリスマスローズというとヘレボルス属の植物を

総称しているが、本来はこの中のニゲル(H.nigerer)の英名がChristmas roseである。

20世紀後半の品種改良は主にイギリスでヘレン・バラードや

エリザベス・ストラングマンによって進められた。

「クリスマスローズ」という呼称も

「イギリスのクリスマス」に開花するという意味である。

花に見える部分は、植物学上では「花」ではなく

「萼片」という部分であるために鑑賞期間が比較的長い。

多くの品種は、クリスマスのころではなく春に開花する。

夏は休眠状態となり根は活動を休止し呼吸だけの状態となる。

園芸店などで最もよく見るクリスマスローズは

ヘレボルス・ハイブリタスである。

この種類はヘレボルス・オリエンタリスなどを含む幾つかの

無茎種の原種が交雑したものである。

交配により、育てやすく、より美しい色・八重咲き等が

作られるようになった。

 


 茨城から発信しますⅡ 偕楽園公園センターの陶芸展

2016-02-10 07:00:00 | 茨城紹介

偕楽園公園センターで催されている陶芸展を見てきた。

「県退職高等学校長会陶芸クラブ作品展」12名の先生方の作品である。

陶磁器にも興味津々の私は写真撮影可だったので参観した。

郷里日田では小鹿田焼(おんたやき)を良く見に行った。

小鹿田焼は、江戸時代中期頃、天領であった日田の代官に

より領内の生活雑器の需要を賄うために興されたもので、

福岡県の小石原から招かれた陶工の柳瀬三右衛門と、

彼を招いた日田郡大鶴村の黒木十兵衛によって始められた。

このため、小鹿田焼の技法には小石原焼と共通するものがある。

 

茨城に来て笠間焼、遠出をすれば益子焼があり陶器には縁が深かった。

笠間焼は江戸時代中期の1770年代から作られ始めた。

江戸時代末期、嘉永年間に常陸国笠間藩で修行した大塚啓三郎が

益子に窯を築いたことにより始まったとされる。

1927年より創作活動を開始した濱田庄司によって花器・茶器などの

民芸品が作られるようになり、日本全国に知られることとなる。

その後、1959年に加守田章二が開いた窯により、民芸一辺倒だった

益子の作陶に現代的な独創性が加わった。

(小石原焼・小鹿田焼・笠間焼・益子焼の写真は三宅忠一著を引用)

柳宗悦とイギリスの陶芸家バーナード・リーチなどの普及活動で

日本各地の民窯が盛んになった。

先生方の陶器は笠間焼や益子焼に劣らない素晴らしい作品だった。

日本人は陶器に接する機会が多いので陶芸を趣味にしている人が多い。

 

 

 


 茨城から発信しますⅡ 偕楽園の梅便り

2016-02-08 07:00:00 | 茨城紹介

水戸の偕楽園は金沢の兼六園、岡山の後楽園とならぶ「日本三公園」で

1842年に水戸藩第九代藩主徳川斉昭が「領内の民と偕(とも)に

楽しむ場にしたい」と云う願いで造られた。

13haの園内には約100品種・3000本の梅が植えられ、

早春には多くの観光客でにぎあう。

偕楽園は梅の名所として有名だが、桜、ツツジ、竹林、大杉、

紅葉などで四季を通じて楽しむことが出来る。

眼下に広がる千波湖の景観は絶景である。

好文亭の襖絵を鑑賞して偕楽園の眼下に拡張した田鶴鳴梅林を見た。

まだ梅の開花は少ないがやがて満開を迎えるだろう。

混雑を避けて早く行ったので好文亭の襖絵を十分堪能できた。