茨城から発信しますⅡ

旅が好きです。
見て 聞いた 茨城を紹介します。
昔の写真から旅の思い出を紹介します。

  写真を見ると思い出します  イギリスドライブの旅日記 (4)

2014-08-29 07:00:00 | イギリスドライブの旅


9月16日

Ryeはとても静かで、古い建物が坂道に並び素敵な町だった。

今日もどんよりとした天気だ。

海岸の町、イスティング(Hastings)を通って

イーストバーン(Eastbourne)を見ながら

海岸沿いを走ると白い建物が多く、異国情緒を満喫できた。

海岸と白い町並みは調和がとれて、リゾート地として快適な所だろう。 

ブライトン(Brighton)で昼食の時間になったが、

いつものようにケーキと紅茶で済ませた。

海岸の歩道を散歩すると海の方に突き出した建造物が見える。 

水族館やアミューズメントの建物でパレス・ピアだった。

ゆっくり見物したい~ 早く先へ行きたい~ 複雑な思いで車を走らせた。

ポーツマス(Portsmouth)、サウサンプトン(Southampton)を通過した。

過ぎると遠くに尖った屋根が見えて来た。

ソールズベリー(Salisbury)の大聖堂だ。

目標があって直ぐに到着出来た。

ソールズベリー(Salisbury)の大聖堂は1220~1258年にかけて建設され、

1313年には123m もあるイギリスで1番高い尖塔が増築された。

これは、ケルンの大聖堂に次いで、ヨーロッパで2番目に高い尖塔だ。

市内の案内所でB&Bを紹介して貰い、宿のおじいさんが門で待ってくれる。

すぐ近くまで来たのに一方通行の標識、なかなか宿に近づけない?

何度も同じ所をぐるぐる廻っていると、おじいさんが遠くの方で手を振っている。

きっと気が付いたのだろう、おじいさんは話し好きで親切な人だった。

レストランを数カ所、旨いところだと云って教えてくれた。

私のメモ帳にはイタリア料理”ピザとワイン”と書いてあった。

 


 Googleマップでみるをクリックして

フォトツアーを楽しんでください。

 


茨城から発信します  国営ひたち海浜公園のできるまでの事

2014-08-27 07:00:00 | 茨城紹介

国営ひたち海浜公園には四季折々の綺麗な花が咲き

大勢の人が訪れて今は平和を象徴する場所となった。

広大な公園が出来る前の1938年、

この場所に水戸陸軍飛行学校、陸軍水戸飛行場が建設された。

第2次世界大戦後には米軍水戸射爆撃場として利用されていた。

私が茨城に着任したのは1958年で職場は射爆場から数Kmの所だった。

大洗や阿字ヶ浦へ海水浴へ行く途中に米空軍の低空飛行で

耳をつんざく轟音に恐怖を感じた。

(記念の森レストハウスと歴史ギャラリー)  

その広大な射爆練習場は1973年に日本政府に返還され

「首都圏整備計画」の一環として1979年に事業着手、

1984年に工事が開始され、1991年に約70haが公園として開業した。

公園の総面積は350haで東京ディズニーランドの約5倍に相当する。

実際に公園として利用されているのは南側の191.9haで

全体の約55%にとどまっている。


国営ひたち海浜公園が出来るまでの歴史的記念物が展示されている。

         
その中には米軍の不発弾や武器などが展示されている。

この公園を訪れる人たちは飛行場の事、米空軍の射爆場の事を

知らない人が多いと思う。

この公園に来ると改めて平和の尊さを感じる。

(上の2枚の写真は国営ひたち海浜公園管理センター

広報 担当の方より提供お受け掲載しました。

 


  写真を見ると思い出します  イギリス・ドライブの旅日記 (3)

2014-08-25 07:00:00 | イギリスドライブの旅

9月15日 

つづき

ドーバー城を出て海岸沿いに走るとホークストーン(Folkestone)の町に着いた。

イギリスのフォークストンとフランスのカレー(Calais)を結ぶ海底トンネルの開通。

1994年5月6日(開通式)日本のK重工業が大活躍をしていた。

英仏海峡トンネルの完成したときで、町は祝賀の幕で飾られていた。

偶然ホークストンを通過したが、記念行事の写真を撮らなくて残念だった。

今晩はどうしてもアンティークな町”ライ(Rye)”に泊まりたい!

(ロンドンぬきの英国旅行;辻川一徳著で Ryeを知ったが、

今は日本の御婦人に人気のスポットのようです)

標識を頼りに幹線から離れた坂を登っていくと、

中世の街並みに迷い込んだような町”Rye”に着いた。

B&Bを探しながら進んでいると、蔦で覆われた古い建物で、

階段もドアも家具も古くて珍しい物ばかりだった。

 

 

一番不思議だったのは浴槽で、隣の部屋の真ん中に置いてあり、

お湯の出るのが遅く浴槽に溜まるのに気が遠くなるほどだった。

急ぐことは無いが、イギリス人は気長だなぁ~

時間をかけて浴槽で体を温め、食事に出掛けた。

今日のメインディッシュはロースト・ラム、ビールは格別に旨かった!

天候と夕暮れで写真が撮れず 街並みの3枚は Wikipedia のコピーです  

 


         アンティークなライの街並み  

 以前は港湾だったが潮が引き港としての機能が無くなったのだろう。

 

地図右上の「 Googleマップで見る」をクリックしてください。

左端のフォトツアーをクリックして止った時は > をクリックしてください。

 

 


  写真を見ると思い出します  イギリス・ドライブの旅日記 (2)

2014-08-22 07:00:00 | イギリスドライブの旅

9月15日

リッチモンドからカンターベリー(Canterbury)へ向かった。

ロンドンからあまり離れていないのに、道路の両側は緑一色だ。

小雨の朝だったが丘の斜面で羊の群れが草を食べている。

日本の大都市郊外では見られない田園風景が一杯だ。

カンタベリーに着くと、制服・制帽の係員に駐車場へ誘導された。

矢印に従って歩いて行くと、「カンタベリー大聖堂」の前に来た。

これまで沢山の大聖堂を見てきたがやはり一番大きく威厳がある。

観光客も多く、色んな国から来ているようだ。

カンタベリー大聖堂は、イギリスのイングランド南東部ケント州

カンタベリーにある教会で、イングランド国教会の総本山。

7世紀にカンタベリーのアウグスティヌスが

イギリスに布教し、修道院として建設された。

 


        カンタベリー大聖堂  

大聖堂の南にある、クライストチャーチ門は16世紀の建造物。

ジェフリー・チョーサーの「カンタベリー物語」は、

カンタベリー大聖堂に巡礼に来て宿屋に泊まりあわせた人たちが、

それぞれおもしろい話を披露するという設定で書かれた小説。

カンタベリー大聖堂には大勢の参拝客や見物客が集まる。

大聖堂は、町の他の建物に接して建てられてはおらず、

日本のお寺や神社の境内のような、区切られた区域の中に建っている。

余りにも大きくて内部の見物は出来なかったが先を急いで

ドーバー(Dover)へ向かった。

ドーバー城はかなり破壊が進んでいた。

海岸に近く、英仏100年戦争で攻撃を受けたのだろうか? 

       ドーバー城の頂上にて   


ドーバー城に入るときの貰った説明書は日本語で書かれている。

日本からの観光客が多いのだろう。

港ではフェリーに沢山の車が、積み込まれていたがフランスへ向かうのだろう。 

 

(左上の「Google マップで見る」をクリックすると大聖堂が見物できます。

右の100枚の写真をクリックするとでカンタベリー大聖堂を見物できます)

(右下の画像を隠す 下向二重矢印をクリックし →でスライドさせる)

(とても綺麗だから見ることを勧めます

 

 


茨城から発信します  国営ひたち海浜公園のグリーンコキア

2014-08-20 07:00:00 | 茨城紹介

コキアはヒユ科バッシア属の一年草で別名、ホウキグサ。

バッシア属のうちホウキギなど数種は花被の特徴から、

ホウキギ属 Kochiaに分離されていた。

学名の「スコーパリア」は「ほうき状の」の意で

花には雄花と雌花がある。

花びらはなく、淡緑色の萼がある。

ひたちなか市の最高峰、海抜58mの「見晴らしの丘」からの眺め  

夏は爽やかなグリーン色の葉だが、

秋になると真っ赤に紅葉する姿が美しい。

ひたち海浜公園・見晴らし丘のコキアの群植・紅葉は全国的に有名で

茎も最初は緑色だが秋になると真っ赤に変わる。