茨城から発信しますⅡ

旅が好きです。
見て 聞いた 茨城を紹介します。
昔の写真から旅の思い出を紹介します。

     茨城から発信します  ひたち海浜公園の遅咲き水仙

2015-04-29 07:00:00 | 茨城紹介

チューリップを見てネモフィラの丘を下りて来ると昼食時だった。

屋台が並んでいるが良く行く「記念の森レストハウス」で食事をした。

クリスマスローズはまだ咲いている!

国営ひたち海浜公園の「花こよみ」によるとスイセンガーデンには

約600品種、600万本が植えてある。

早咲きと遅咲きがあり今は遅咲きが見頃を迎えていた。

(早咲きは3月16日に紹介した)

たまごの森フラワーガーデンのチューリップ、

みはらしの丘のネモフィラ、スイセンガーデンの水仙を見て

駐車場から歩いた距離は4.5kmだった。

良い運動になる。

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年間パスポートはシニア;¥4000(入園料+駐車場料金)

我が家からは往復 約30km 現在検討中である。

 

 

 


   茨城から発信します   ひたち海浜公園のネモフィラ

2015-04-27 07:00:00 | 茨城紹介

見晴らしの丘はブルーのネモフィラに覆われていた。

ネモフィラは秋にタネをまき春に花を咲かせ、

咲き終わると枯れる一年草である。

花色は青空のようなブルー、白、黒に近い濃紫などで

満開時は見晴らしの丘を覆うくらいの花を付ける。

見晴らしの丘は青一色に染め上げて下から眺めても

丘の上から眺めても幻想的な光景だった。

 

花径は約2cm、白と青紫色の深い覆輪で、中心部に黒い点が5つある。

ネモフィラ(英語で five spot または baby blue eyes )と呼ばれる。

属名のネモフィラはギリシア語のネモス(森)とフィレオ(愛する)の

2語からなり、森林の周辺に自生することに因んでいる。

見晴らしの丘にも遠来からの観客が大勢来ていた。

ネモフィラの数はなんと450万本!!


とても写真で全貌を紹介することは出来ないので

スライドショーを御笑覧ください!

右下の四角いマークをクリックしてフルスクリーンでご覧ください。

見晴らしの丘のネモフィラは花が枯れる頃に引き抜き

その後、7月には緑のコキアと9月には赤のコキアが楽しめる。

 


    茨城から発信します  ひたち海浜公園のチューリップ

2015-04-24 07:00:00 | 茨城紹介

ひたち海浜公園のチューリップが見ごろを迎え

ネモフィラも綺麗だとの案内を受け見に行って来た。

チューリップはたまごの森フラワー・ガーデンに

約260品種27万本が植えてある。

写真に撮ったが余りの多さにとても全部は展示できない。

チューリップは花の下が長いと云われるが過密状態に

植えられて息苦しく茎が延びたと云うが定かではない。

チューリップと風車は対になっている。

オランダの風物詩を取り入れたのだろう。

チューリップの次に見晴らしの丘のネモフィラを紹介する。

天気に恵まれたので観光客は非常に多かった。

通訳が大活躍していたが英語ではなかった。

 

 


    林の花    街路樹の八重桜   庭の花

2015-04-22 07:00:00 | 日記

我が家の前の林には山桜が見ごろを迎えている。

ウグイスが来てよく啼いているが姿は見えない。


アケビも咲いていた。


その下にはオドリコソウが群生している。

左側の花の名前は分からない  

町のメインストリートには八重桜が綺麗に咲いている。


以前、歩道に花筏を描いたが今年はどうだろう?

車が多くなり排ガスのためか八重桜も勢いが無くなった。

我が家の庭にはムスカリとタンポポにミントが増え続けている。

花の下の短いタンポポで外来種?


狭い庭だが花の植え替えをする時期になった。

何を植えようかな?

 


      スコットランドの旅   スコッチウイスキー街道を行く

2015-04-20 07:00:00 | イギリスドライブの旅


 最終回

ダフタウンの蒸留所巡りが終わり 出発地点のグラスゴーへ向かった。

帰国の日程には余裕が有ったのでアラン島へ行くことにした。

 小さな島でも城や蒸留所が有って素敵な所だった。

ブロリック城  

「マッサン」の事だがグラスゴー大学で知り合った医学部唯一の女子学生

イザベラ・リリアン・カウンに頼まれ 弟のラムゼイ・カウンに柔道を教えた。

姉であるジェシー・ロバータ・カウン(通称リタ)と親交を深め結婚した。

しかし、ラムゼイを含むリタの家族のほとんどに反対され

教会ではなく登記所で登記官の前で 宣誓するだけの結婚式だった。

プロポーズの時「スコットランドに残っても構わない」と言うマッサンに

「私はあなたの夢を共に生き、お手伝いしたいのです」と答えたリタ。

日本の生活に溶け込もうと努力を重ね、漬け物や塩辛まで

手作りした彼女を人々は「日本人以上に日本人らしい」と評した。

日本語の勉強にも励み、流暢な関西弁を操るまでになったが

「マサタカサン」という発音が 難しかったためか「マッサン」と呼んだ。

スコットランドの旅は順調に進んだ。

B&B に泊るだけで難しい 英会話の必要はなかった。

「宿代はいくら? パブは何処にあるの?

それ以外の事は話さ(せ)なかった。」

その頃大阪の洋酒製造販売業者 寿屋が本格ウイスキーの国内製造を企画。

社長の鳥井信治郎がスコットランドに適任者がいないか

問い合わせたところ「わざわざ呼び寄せなくても、日本には竹鶴という

適任者がいるはずだ」という回答を得た。

アラン島蒸留所  

(ここでも試飲はしなかった)

マッサンはスコットランドに似た風土の北海道に製造工場を

作るべきだと考えていたが、鳥井は消費地から遠く輸送コストの問題と

お客に直接工場見学させたいという理由で難色を示した。

マッサンは大阪近辺の約5箇所の候補地の中から良質の水が使え、

スコットランドの著名なウイスキー産地ローゼスの風土に近く、

霧が多いという条件から山崎を候補地にし 工場と製造設備は竹鶴が設計した。

「トリスウイスキー」は戦後まもない1946年に発売、それまで日本では

まだ縁遠い存在であったウイスキーを身近なお酒として定着させ

昭和史にも残るロング・セラーブランドに仕上げた。

新宿の路地裏でトリスのハイボールを飲んだのは1955年前後だった。

1961年には「トリスを飲んでハワイへ行こう!」キャンペーンを実施。

山口瞳の名コピーと柳原良平の「アンクルトリス」のCMキャラクターが

一世を風靡し、洋酒文化が花開く基盤となる一大キャンペーンとなった。

ニツカウィスキーのハイボールをバーで飲んだことがないのは不思議だった?

先日我が家のサイドボードを整理中にジョニーウォーカー黒ラベルを発見

かみさんの父親が我が家を建てた時の祝い酒だった。

20年前になるがビンの中では熟成しない。

まろやかな良い味がしていた。

余市に行って「竹鶴」を現場で呑んでみたい。

 

左上の拡大地図をクリックしてアラン島を見物してください。

ストリートビューでアラン島の見物も出来ます。

御同伴お疲れ様、有難うございました。

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土屋守著「シングルモルトを愉しむ」に

ストレートが強すぎる人は水割りを勧めている。

オンザロックは香りを損じ、氷が融けウイスキーの

濃度が変わるのでオンザロックを薦めていない。

全くその通りだと思う。

 終わり