茨城から発信しますⅡ

旅が好きです。
見て 聞いた 茨城を紹介します。
昔の写真から旅の思い出を紹介します。

  庭の花

2014-06-30 07:00:00 | 日記

今日も雨が降り続いています。

庭のアジサイは今見頃を迎えています。

アジサイの原産地は日本に自生するガクアジサイです。


6月から7月にかけて開花し、白、青、紫または赤色の萼が大きく発達しています。

ガクアジサイではこれが花序の周辺部を縁取るように並び、

園芸では「額咲き」と呼ばれています。

ガクアジサイから変化した、花序が球形ですべて装飾花となった

アジサイは「手まり咲き」と呼ばれます。


日本、ヨーロッパ、アメリカなどで観賞用に広く栽培され、

多くの品種が作り出されています。

原産地は日本で、ヨーロッパで品種改良されたものは

セイヨウアジサイと呼ばれています。

植えた覚えのない庭のアケビも大きくなりました。

ロシアンセージの葉は素敵ですが花は小さくて撮りずらい!

タイムの花も良い香りですが撮りずらいです。

 


  ユリの花の観賞です

2014-06-27 07:00:00 | 日記

ユリが咲いたので花を見に来ませんか?

ネタが無くて困っていました。

渡りに船ですね。

綺麗なユリがたくさん咲いていました。

「筑波嶺(つくばね)の さ百合の花の
  夜床(ゆとこ)にも  愛(かな)しけ妹(いも)そ
  昼も愛(かな)しけ」


   万葉集
   大舎人部千文
   (おおとねりべのちふみ)

にわか勉強ですが、筑波があったので引用しました。

「立てば芍薬、 座れば牡丹、 歩く姿は百合の花」

かみさん達が集まってお茶会が終わった頃

連絡を受け綺麗なユリを鑑賞・撮影が出来ました。

 

 


  茨城より発信します 水戸八幡宮のアジサイ祭り

2014-06-25 07:00:00 | 茨城紹介

 

水戸八幡宮は常陸国水府総鎮守として崇敬され、

また戌亥歳生まれ 一代の守り神としても有名で、

県内外から大勢の参拝者が訪れます。


境内には国の重要文化財の本殿や、

国の天然記念物の御葉付公孫樹などもあり自由に拝観できます。


当宮は1592年に佐竹義宣公によって創建されました。


義宣公は1590年に水戸城主の江戸氏を滅ぼし、常陸太田より水戸に移り

1592年に水戸八幡宮を氏神として崇敬していました。

常陸太田鎮座の馬場八幡宮より、八幡大神を水戸城内に奉斎しました。

のち八幡小路を聖域と定め、1598年に御本殿(国指定重要文化財)を建立し、

水府総鎮守の社と定めました。


1602年に佐竹氏が秋田へ移封され水戸は徳川家の所領となりました。

佐竹氏は水戸の美女をすべて秋田へ連れて行き 秋田美人が出来たとか・・・

 その恩恵に与ったのは湘南ジージさんでしょう。

徳川の御代、1694年には二代藩主光圀公の 寺社政策の命により、

城里町那珂西へ御本殿始め移遷されましたが、1709年三代藩主綱條公の時代に

正神主・田所修理清澄をはじめ 氏子等の請願により那珂西から

再び水戸に遷座され 現在の白幡山神域に鎮斎されました。

 

水戸藩主代々の崇敬社で農・工・商の神、また厄除・子育て・

戌亥年生まれの守護神でもあります。

水戸八幡宮の境内で、アジサイが見ごろを迎えていました。

約3万平方メートルの境内には、約60種計約5000株が植えられており、

青や紫、白などさまざまな色が咲きます。

 

 


 茨城から発信します  はにわ公園の睡蓮

2014-06-23 07:00:00 | 茨城紹介

 今日も小雨が降り続いています。

「馬渡はにわ公園」 には睡蓮もたくさん咲いています。

この近くには前方後円墳の虎塚古墳があります。

造られた時期は、7世紀前半頃と推定されています。

この周辺には県指定史跡の十五郎横穴群もあります。

 虎塚古墳の横穴式石室内部に装飾壁画が発見されました。

 

Wikipedia 

わが町の近くにも縄文時代の貝塚があります。

ダイダラボウ  

貝塚はダイだラボウが作ったとされ 「大串貝塚ふれあい公園」に整備されています。

埋蔵文化財センターの1階には、大串貝塚の出土遺物の展示や、

縄文人の暮らしを紹介した「縄文くらしの四季館」があります。

センターの外には、ダイダラボウの足跡とされる「巨人足跡池」、

縄文時代から古墳時代の住居を再現しています。

太古の昔から日本人の先祖は高度な技術を持っていたのですね。

  


 茨城から発信します  はにわ公園のあやめ祭り 

2014-06-20 07:00:00 | 茨城紹介

ひたちなか市馬渡の「はにわ公園のあやめ祭り」を見て来ました。

古墳時代の5世紀末から6世紀頃、

馬渡で操業していた埴輪製作遺跡がありました。

昭和38年,地元の中学生がヤマユリの球根を掘っていて,

馬形埴輪を発見したのが,遺跡発見のきっかけとなっています。

その後の調査で、粘土採掘坑跡、工房跡、窯跡等、埴輪製作工程を

検証できる遺構が確認されました。

原料の粘土採掘から、形を作り,焼き上げるまでの一貫した遺構と

工人たちの住居跡がともに発見され,埴輪製作の実態をよくわかり

古墳時代後期の埴輪製作所跡として学術的に高い価値をされています。

古墳に配置された埴輪類の製造所が発見される例はまれで、

関西では 高槻市の「埴輪製作所跡遺跡」が有名なようです。

天気に恵まれて綺麗な菖蒲を沢山見て来ました。

観客はやはりシニアばかりでした。