茨城から発信しますⅡ

旅が好きです。
見て 聞いた 茨城を紹介します。
昔の写真から旅の思い出を紹介します。

 茨城から発信します  「鵜の岬」

2015-06-29 07:00:00 | 茨城紹介

「鵜の岬」は、その名前の通り、本当に「海鵜」がやって来る岬だ。

宿泊棟の東側には、砂浜の他に断崖絶壁の岬があり、

そこには日本唯一の「海鵜」の捕獲場がある。

藁で出来た捕獲場の外側にオトリとなる鵜を置き、

やって来た鵜を内側にいる捕獲人が、足をカギ棒でひっかけ捕獲する。

鵜の岬で捕獲された海鵜は、長良川など全国各地の鵜飼いに送られ、

日本古来から続く伝統文化の伝承の一役を担っている。

鵜の岬の敷地内には、「鵜のパラダイス」という飼育施設があり、

捕獲され次のオトリとなる鵜が数羽飼育されている。

鵜を間近で見る機会は少ないので、金網の隙間から観察した。

鵜飼いの歴史は古く、『日本書紀』神武天皇の条に

「梁を作つて魚を取る者有り」が記されているようだ。

『古事記』にも鵜養のことを歌った歌謡が載っているようだ。

全国11か所すべての鵜飼は、茨城県日立市(旧十王町)の伊師浜海岸で

捕獲されたウミウを使用している。

鵜飼は鵜を使ってアユなどを獲る漁法のひとつである。

日本の鵜飼は、岐阜県、愛知県、京都府、愛媛県、大分県、福岡県など

11府県、13箇所で行われている伝統的な漁法であるが、

多くの場合、漁業の一形態というより、観光化されている。

郷里日田市では安土桃山時代に宮城豊盛が長良川の鵜匠を招き、

日田市三隈川で鵜飼を定着させたと伝えられている。

高校時代に三隈川で鵜飼師が数匹の鵜を紐で操り鮎を獲った思い出ある。


 

 

つづく

 


茨城と長野 歌の架け橋  野口雨情と中山晋平

2015-06-26 07:00:00 | 日記

先日ktempleさんが長野県の音楽家中山晋平の事を紹介した。

長野県中野市の散策 その1 中山晋平記念館

懐かしく思いアルバムを調べると’98.4.11に中山晋平記念館に来ていた。

長野出身の中山晋平は茨城出身の野口雨情の作詞を作曲し後世に残している。

先日、北茨城へ行き野口雨情生家と資料館を見た。

作詞家と作曲家の事を紹介する。

野口雨情は茨城県生れの詩人で坪内逍遥に学んで新体詩の創作に志した。

のち小川未明・相馬御風・三木露風らと早稲田詩社を創り、

詩集の他に童謡集・民謡集を出版した。

人間的な暖かさの流れた作品の数々は人々に広く親しまれている。

大正7年水戸へ出て「茨城少年」の編集しながら童謡作品を発表した。

西条八十等の紹介で中央の児童雑誌に童謡作品の発表を開始した。 

著名な「船頭小唄」(原名枯れすすき)を作詞し、中山晋平に作曲を依頼した。

同10年には「七つの子」「赤い靴」「青い目の人形」などの作品を発表し、

同11年から「コドモノクニ」にも作品を発表した。

「雨ふりお月さん」「あの町この町」「兎のダンス」等は、この雑誌に掲載された。

作曲家の本居長世、中山晋平、藤井清水等が雨情の試作に

最適の曲譜を付けたことも幸運だったと云う。


 

雨情はこの時期ごろから全国各地への童謡・民謡普及の講演旅行が多くなった。

新民謡作品も「須坂小唄」をはじめ、全国各地で数百編にもなると云う。

 


茨城から発信します  水戸のアジサイ祭り 保和苑のぴんころ地蔵さん

2015-06-24 07:00:00 | 茨城紹介

 

保和院桂岸寺の隣に面白いお地蔵さんが立っていた。

呆け除けの地蔵・延命地蔵さんだ!

例えgolfunが呆けても ブログ友達全員は呆けないようにお祈りした。

お地蔵さんは優しくうなずいたようだった。

旧制水戸高卒・現代俳句協会会長の歌碑がある。

子供連れが多いので鳥獣園が造られた。

池の周りや築山のアジサイを見てゆっくり谷底へ行った。

昔々、この谷のため池『無所だめ』には大蛇が棲んでおり、

誰もが怖がって近づくことができなかった。


 

一人の蛇捕りの名人が、皆の難儀を救おうと蛇退治を買って出た。

 

蛇捕りは、笛で大蛇をおびきよせ、なんとか大蛇を捕まえた。 

ところが、この大蛇は子供を孕んでいたのだ。

そのころ蛇捕りの妻も身籠もっていたそうだ。 

蛇捕りは哀れに思って悩んだあげく、大蛇を逃がしてやった。

 

大蛇は草むらをたどって那珂川に去って行き二度と戻らなかった。

現在、この谷は、アジサイが咲き競いトンボが飛び交う公園として、

市民の憩いの場所となっている。
 

とても楽しいアジサイ見物が出来た。

黄門様のお蔭です。

 

 

おわり


   茨城から発信します  水戸のアジサイ祭り 保和苑

2015-06-22 07:00:00 | 茨城紹介

 

寺の名を大悲山保和院(だいひざんほわいん)桂岸寺と云う。

遠く元禄時代、徳川光圀公が寺の庭を愛されて保和園と

名付けられたのが始まりといわれている。 

昭和初期、地元有志の手によって拡張整備され、

池に築山を配した純日本庭園になり、名前も「保和苑」となった。

 

昭和25年、桂岸寺より水戸市へ移管されたことにより、

昭和36年地元と市による保和苑振興協議会が発足し運営されている。 

昭和30年代、苑を拡張してあじさいの植栽が行われた。

初夏になると、苑内(面積1.5ha)の約60種、約6,000株の

あじさいが咲き競い「水戸のあじさいまつり」が盛大に開催される。

つづく

  


   茨城から発信します   はにわ公園の花しょうぶ祭り

2015-06-19 07:00:00 | 茨城紹介

ひたちなか市「はにわ公園」の花しょうぶが見頃を迎えていた。

観客が非常に多く臨時の駐車場に誘導された。

この地域には遺跡が多く発見されている。

「はにわ公園」の名称の由来は向野A遺跡から縄文時代早期の

撚糸文土器群とこれに伴う土偶,馬渡遺跡からは中世の堀跡から

陶器や須恵器,埴輪が出土したことである。

さらに馬渡埴輪製作遺跡から確認された粘土採掘坑からは

十王土台式土器が出土した。 

縄文時代早期の堀跡から陶器や須恵器,埴輪が出土し

さらに馬渡埴輪製作遺跡が確認された事に由来する。

「はにわ公園」の花しょうぶは今、見事に咲いている。


 

この花しょうぶは平成3年に4000株を植え24年が経過した。


今では180種2万株ほどに増えて谷を埋め尽くし、

弥生団地のみなさん方による手入れがゆき届き

花の数が多く花びらが大きく広がっている。

池の一端には綺麗な睡蓮も咲いていた。