茨城から発信しますⅡ

旅が好きです。
見て 聞いた 茨城を紹介します。
昔の写真から旅の思い出を紹介します。

旅日記 3 根津オフ会と旅館 澤の屋

2016-02-29 07:00:00 | 日記

「根津オフ会・すみれ」に参加して5年は経っだろう。

宿は何時も「旅館 澤の屋」で日本のB&Bである。

今回は青龍O段さんから「宿の予約が出来たよ!」のメールが届いた。

「旅館 澤の屋」には外国人客が多いが何故だろう?


 
日本の下町風情が色濃く残る東京・台東区谷中である。

「旅館 澤の屋」が外国人観光客の取り込みを始めたのは、

今から30年以上も前でこれまで欧米を中心に100カ国、

延べ15万人に及ぶ外国人旅行者を受け入れている。

現在も宿泊客の9割は外国人だ。

1泊朝食付きで5000~6000円(東京の観光公式サイト引用)

部屋も和室のみ12室、4畳半~8畳の広さだ。

その旅館になぜ外国人が押し寄せるのか。

これでもか! というほどの「手作り感」がある。

「楽しみながらやっているから、続けられるんでしょうね」

澤の屋を経営する澤功さんは笑いながらそう語る。

澤さんは旅館業界で知らぬ者はいないほどの有名人。

観光庁が任命するビジットジャパン大使も務めている。

澤さんはいつもにこやかで実に素朴な感じの人だ。

外国人客の受け入れが特別なものではないと思える。

日本経済新聞(平成27年9月26日)

 


 旅日記 2 湯島天満宮参拝

2016-02-26 07:00:00 | 日記

岩崎邸庭園を見て 湯島天満宮を参拝した。

受験シーズンで合格祈念の絵馬が多く奉納されていた。

南北朝時代の1355年に創建された湯島天神は、亀戸天神、

谷保天満宮と「江戸三大天神」として知られている。

1478年に太田道灌が再興、天神様・菅道道真を奉り、

学問の神様として参拝者の多いところである。

湯島天神は泉鏡花の名作「婦系図」があり

「湯島の白梅」でお蔦の言葉が有名である。

「別れろ切れろは芸者の時にいう言葉、

私には死ねとおっしゃってくださいな」は、

すずの苦悩の表現として有名である。

 湯島天神は梅の名所としても親しまれている。

 

梅園は戦災にあったが復旧され

昭和33年から梅まつりも復興された。

その年、卒業して東京を離れ茨城に住むことになった。

 


 旅日記 1 旧岩崎邸見学

2016-02-24 07:00:00 | 日記

 去年の10月20日にブログ仲間の青龍O段さんよりメールが届いた。

「2月21日(日)18時前に「すみれ」集合でお願いします。

今回はちょいとした事情により早い曜日となりました。

Saas-Feeの風さんとgolfunさんの宿、澤の屋旅館は手配済み」

まだ先の事とだと思っていたが時の経つのは早い。

21日の朝、水戸駅で黄門様に挨拶に赴いた。

黄門さまは笑顔で迎え一緒に写真を撮ることになった。

上野駅に正午に到着、昼食後に御徒町より歩いて旧岩崎邸へ行った。

「すみれのお嬢」にオフ会の始まる前に上野周辺の

見物場所を推薦して貰った。

湯島/岩崎邸&湯島天神と両国/江戸東京博物館だった。

岩崎邸の内部の撮影は禁止されていて残念だった。

「すみれのお嬢」から届いた動画を見て欲しい!

http://www.kmine.sakura.ne.jp/tokyo/teien/iwasaki/iwasaki.htm

クリックしてください  

 


 庭の花

2016-02-22 07:00:00 | 日記

我が家の庭は今が一番侘しい時期だ。

鉢植えのビオラとツルニチニチソウがわずかに咲いている。

ムスカリは植えた覚えのない花。

毎年咲く黄色い花だが名前を忘れた。

今日は東京見物中でコメントは閉じました。

 


 茨城から発信しますⅡ 弘道館の梅

2016-02-19 07:00:00 | 茨城紹介

水戸の梅まつりが近づいた。

混雑を避けて先日、弘道館へ行って来た。

弘道館は1841年に水戸藩第9代藩主・徳川斉昭によって創設した藩校。

近世日本の教育遺産群として日本遺産にも登録された弘道館である。

「教育によって人心を安定させ、教育を基盤として国を興す」と云う

建学の精神の下、儒学教育を礎に文武を磨く教育機関として機能した。

現存する日本最古の学校・足利学校跡(足利市)や、日本最大規模の

私塾・咸宜園跡(日田市)、江戸時代の庶民教育を担い唯一国宝の

講堂を擁する旧閑谷学校(備前市)と並ぶ近世日本の教育遺産群として

その価値を認められた。

 

なお、その中の正庁・至善堂・正門は、国の重要文化財に指定されている。

2011年3月11日発生の東日本大震災で甚大な被害を受けた。

このうち「弘道館記」を刻む弘道館記碑は2013年に修復が完了したが、

その際、1953年修復時に本体背面に施されたコンクリートが

除去されてそれ以前の姿にほぼ復元された。

(kurakameさんが弘道館の修復の調査に来たようだ)