偕楽園公園センターで催されている陶芸展を見てきた。
「県退職高等学校長会陶芸クラブ作品展」12名の先生方の作品である。
陶磁器にも興味津々の私は写真撮影可だったので参観した。
郷里日田では小鹿田焼(おんたやき)を良く見に行った。
小鹿田焼は、江戸時代中期頃、天領であった日田の代官に
より領内の生活雑器の需要を賄うために興されたもので、
福岡県の小石原から招かれた陶工の柳瀬三右衛門と、
彼を招いた日田郡大鶴村の黒木十兵衛によって始められた。
このため、小鹿田焼の技法には小石原焼と共通するものがある。
茨城に来て笠間焼、遠出をすれば益子焼があり陶器には縁が深かった。
笠間焼は江戸時代中期の1770年代から作られ始めた。
江戸時代末期、嘉永年間に常陸国笠間藩で修行した大塚啓三郎が
益子に窯を築いたことにより始まったとされる。
1927年より創作活動を開始した濱田庄司によって花器・茶器などの
民芸品が作られるようになり、日本全国に知られることとなる。
その後、1959年に加守田章二が開いた窯により、民芸一辺倒だった
益子の作陶に現代的な独創性が加わった。
(小石原焼・小鹿田焼・笠間焼・益子焼の写真は三宅忠一著を引用)
柳宗悦とイギリスの陶芸家バーナード・リーチなどの普及活動で
日本各地の民窯が盛んになった。
先生方の陶器は笠間焼や益子焼に劣らない素晴らしい作品だった。
日本人は陶器に接する機会が多いので陶芸を趣味にしている人が多い。