非常に昔のことだが父が還暦を迎えた頃、故郷の町で発刊している
広報誌の長寿者番付表に父の名が前頭に付け出されているのを見せてもらった。
golfunは両親のいる故郷・日田市大山町(大分県)に時々帰っていた。
父はいつも広報誌の長寿者番付表を見せながら
上位陣が段々減っていくことを寂しそうに語る。
それから数年後、父はついに三役入りを果たしていた。
上位陣が次第に消えていき、父の順番が近づいて不安になった。
父に「長寿者番付表なんか見ないほうが良いよ、
自分の順番が来ると思うと心細くなるんじゃないの?」
「これまで生きてきたのだから全然気にならないよ。
どこまで上位進出ができるのかを楽しみにしているだけだよ」
医師の父に対して釈迦に説法だが
「運動不足にならぬようにゲートボールでもしてはどう?」
父は「ゲートボール・・・あんな爺臭いものをやりたくないよ」
それから喜寿、さらに米寿が過ぎてgolfunの方が定年を迎える事を
報告に帰ると、父は例の広報誌を見せながら
「やっと張出横綱になれたよ」と非常に嬉しそうだった。
父は内科医で開業してからすでに六十年を超えている。
「医師の長期開業番付表があればお父さんは三役間違いなし」と冷やかした。
父は「収入の少ない点では横綱だろう」と応じた。
父は喜寿を迎えるまでに医師を止める予定だったが
多くの人達に 継続を懇願され廃業の機会を失ったようだ。
患者は父の老齢を気にしてか「先生、風邪をひいて熱があるので
注射しいて熱さましをください」
「先生、塩梅が悪いので血圧を測ってくれませんか?」
父は「最近の患者は自分で診断していろいろ注文をするようになったよ。
しかし来るのは何時も食事時や土・日で本当に気遣っているか怪しいもんだ」
やがて卒寿を迎える父だがgolfunも還暦を迎えることになった。
父の横綱土俵入りに露払いか太刀持ちの資格を有したが 茨城に永住することになり、
広報誌の番付表に父と広報 付け出される機会をなくした。
(文学同人誌・水戸評論1994・夏号に掲載したのを用いた)