わが町の街路樹はコブシで、奇麗な花の見ごろを迎えている。
3月から5月にかけて、枝先に直径6-10cmの純白の花を咲かせる。
しらかば ~青空 みなみかぜ ^^♪
こぶし咲く あの丘 北国の ~ ああ 北国の春
季節が都会では わからないだろと
届いたおふくろの 小さな包み~
あの故郷へ 帰ろかな 帰ろかな~ ♪
毎年、袋田の滝や五浦の岡倉天心・六角堂、鹿島神社や
笠間稲荷へ行っていたが、今は未だ非常に遠く感じる。
わが町の街路樹はコブシで、奇麗な花の見ごろを迎えている。
3月から5月にかけて、枝先に直径6-10cmの純白の花を咲かせる。
しらかば ~青空 みなみかぜ ^^♪
こぶし咲く あの丘 北国の ~ ああ 北国の春
季節が都会では わからないだろと
届いたおふくろの 小さな包み~
あの故郷へ 帰ろかな 帰ろかな~ ♪
毎年、袋田の滝や五浦の岡倉天心・六角堂、鹿島神社や
笠間稲荷へ行っていたが、今は未だ非常に遠く感じる。
偕楽園の好文亭
日本の手まりの起源は盛唐の中国に由来する。
(唐の三百年間の詩の歴史は、初唐・盛唐・中唐・晩唐の
四期に分けられのが通説となっている)
遣唐使が手まりを日本に持ち帰り、貴族階級から庶民まで普及した。
日本では何代もの伝承者の努力で高級な工芸品に発展した。
日本には「まり」と呼ばれるものが2つある。
ひとつは蹴鞠で、これは2枚の鹿の皮を縫い合わせて作り、
主に男子の貴族が楽しむスポーツまたは神事として行われた。
もう一つが手まりで、女児の遊びであるが、
江戸時代には男児も一緒に楽しむことがあった。
歌人としても知られる越後の禅僧・良寛は
子供たちとよく手まりで遊んだ。
手まりは女児のおもちゃで、江戸から明治期には、
正月の遊びとされるが、現在では通年の遊びとなっている。
偕楽園公園センターの催しとして「常陸てまり作品展」が
二川良子と仲間達で催されていた。
日本の伝統工芸の一つと言われる常陸てまりは
技術の向上で作品が優雅になり、800点豪華な展示会だった。
常陸てまり作品展・二川良子と仲間達については
以下にリンク記載しました。
今は庭の花も少ないが、咲いている花を紹介します。
ラッパ水仙が盛りを迎えています。
ムスカリは日当たりの良い場所でよく育ちます。
午前中は日が当たり、午後から明るい日陰に
なるような場所でも充分育ちます。
ホトケノ座の花期は 3 - 6月で上部の葉脇に長さ2cmほどの
紫で唇形状の花をつけ、上唇はかぶと状で短毛がびっしり生え、
下唇は二裂し濃い紅色の斑点があります。
パンジー(ポーランドの国花)は今見ごろを迎えています。
現在、体調の関係で遠出ができず庭の花を紹介しました。
クリスマスローズ
日本経済新聞
今話題になっている”認知症”ブログを続けることは
極めて有効らしいので粗末な庭の花にも参加して貰いました。
正門(重要文化財)
「水戸の梅まつり」で偕楽園を訪れたら、合わせて訪れるのが
水戸藩の藩校・弘道館である。
偕楽園は“楽しむ場所”、弘道館は”文武を学ぶ場所”として、
セットで作られたものだからである。
弘道館は水戸第九代藩主徳川斉昭が1841年に
藩士とその子弟の教育のために設立した藩校である。
敷地内には正庁・至善堂の他に分館・武館・医学館・
天文台・八卦堂・鹿島神社・孔子廟などが建てられた。
馬場・調練場なども整備され、文武両道の総合的施設だった。
正門・正庁・至善堂は、国の重要文化財に指定され、
復元された八卦堂・孔子廟などを含む弘道館公園は
旧弘道館として特別史跡に指定されている。
第121回水戸の梅まつりが始まった。
混雑も少なく意外に駐車場が早く使えて助かった。
偕楽園の門前はお祭りにふさわしく大道芸人や出店が多かった。
猿廻しの巧みな口上に魅せられて暫く見物した。
「いかきや煮いか」イカちゃんはここでも大人気で大繁盛だった。
梅の開花は六分咲程度だが奇麗に咲いていた。
ライトアップの準備をしていたが夜遊びは無理だろう。
梅大使にも会うことができなくて残念だった。
好文亭からの眺めや内部の豪華な襖絵は以前紹介したので省略。
久しぶりに良く歩くことができた。