茨城から発信しますⅡ

旅が好きです。
見て 聞いた 茨城を紹介します。
昔の写真から旅の思い出を紹介します。

 国営ひたち海浜公園のコスモスとキバナコスモス

2015-09-30 07:00:00 | 茨城紹介

国営ひたち海浜公園のキバナコスモスが見頃を迎えたと報じられた。

年間パスポートの効果は抜群で早速見に行った。

キバナコスモスは咲いてはいたが規模が小さい。

コスモスは咲き始めていた。

ミツバチや蝶などの昆虫は蜜集めに余念がない。

コスモスはコロンブスのアメリカ大陸発見後、

スペイン人がメキシコの高原に咲くコスモスを見つけて持ち帰り、

マドリッドの植物園長ガバニレスがギリシャ語の(Kosmos)、

秩序、調和、美などという意味のコスモスと命名したそうだ。

 

日本には江戸時代末期に種子が伝わったが、明治9年(1876)、

美術学校の教師として来日した芸術家ラグーザがイタリアから

種子を持参してきたことから本格的に広まったといわれている。

明治末期には全国に普及、各地で栽培されるようになった。

在来種は白、ピンク、紅の3色で一重だが、

品種改良により多くの新品種が作られている。

キバナコスモスも一年草でメキシコ原産。

種名のsuiphureusは硫黄色の意味で、花色は黄または橙黄色。

 花は一重または半八重咲きで、コスモスよりひとまわり小さい。


            
  コスモスに比べ草丈が低く、葉の切れ込みが少ない。
   
  アメリカで多くの品種が作られ、日本へは大正時代に紹介された。

 赤色のサンセットは盛岡市の橋本昌幸氏によって作りだされた。

 

コキアが色づき始めたので、見晴らしの丘へ登ることにした。

続く

 

 


 秋のゴールデンウィーク 旅日記 3  最終回 鹿島神宮参拝 

2015-09-28 07:00:00 | 日記

霞ケ浦をぐるーっと廻って鹿島神宮に着いた。

鹿島神宮は全国にある鹿島神社の総本社で茨城県鹿嶋市宮中にある神社である。

香取神宮、息栖神社と共に東国三社の一社である。

鹿島神宮の鳥居は額束が無い? 

黄門様の父上である、初代水戸藩主 徳川頼房公に依って

楼門と随身像を奉納されたもので地味な印象の強い境内の社殿にあって、

唯一彩色あふれる光景が広がる。


   

 楼門内には、左右に弓を持つ随身像が安置されている。

特別な人物かは分からないが彩り鮮やかな像である。

本殿・奥宮を参拝して奥参道を進むとさざれ石がある。

そこには鹿島の人たちに親しまれる神鹿。

鹿園で気持ちを和ませることで、ご加護を頂きやすくなり

鹿園の脇にある「さざれ石」もパワーを感じる。

大ナマズの頭を押さえて地震を防いでいるという伝説をもとに

武甕槌大神が巨大な大ナマズの頭を押さえ付けている石像。

御手洗池の淵にある霊泉はどんなかんばつでも絶えることが無い泉と言われている。

現在は手水舎で手を洗い口をすすぐ程度だがかつて参拝前に

この池に入り、身を清めてからお参りするのが当たり前だった。

          子供も大人もこの御手洗池に入ると、水かさが乳を超えない。

人の背丈によって水深が変化するという溺れない霊泉

鹿島七不思議の溺れない池


    

すでに極相林状態となっている天然記念物の森は、

本当の森林浴を教えてくれる。1000種を超える植物が生育し、

実にその広さは東京ドーム15個分に相当する。

久し振りに牛久ワイナリー、霞ケ浦の予科練平和記念館や

鹿島神宮を参拝でき有意義な時を過ごすことが出来た。

 

「拡大地図表示」をクリックして写真を見てください。

 


秋のゴールデンウィーク 旅日記 2 阿見町の予科練平和記念館参観

2015-09-25 07:00:00 | 茨城紹介

同窓会の終わった翌日、霞ケ浦へ行って見た。

とても長閑な所だが、ここには戦争の悲劇が凝縮されている。

阿見町は、大正時代末期に霞ヶ浦海軍航空隊が開隊されて以来、

長く海軍の町としての歴史を歩いて来た。

昭和14年には、飛行予科練習部いわゆる「予科練」が

神奈川県横須賀から移転し、終戦まで全国の予科練教育・

訓練の中心的な役割を担うこことなった。

『予科練平和記念館』では、貴重な予科練の歴史や町の

戦史の記録を保存・展示し、命の尊さや平和の大切さを伝えている。

「海軍飛行予科練習生」及びその制度の略称で、第一次世界大戦以降、

航空機の需要が世界的に高まり、欧州列強に遅れまいとした旧海軍が、

より若いうちから基礎訓練を行って熟練の搭乗員を多く育てようと、

昭和5年に教育を開始した。


     

14歳半から17歳までの少年を全国から試験で選抜し、搭乗員としての

基礎訓練をするもので、飛行予科練習制度が始まってから、

終戦までの15年間で約24万人が入隊し、うち約2万4千人が

飛行練習課程を経て戦地へと赴いた。

 

長く海軍の町としての歴史を歩んできた阿見町は、日本の近代史の

中でも特別な時代を過ごし、戦争と平和を考えるうえで、

忘れることのできない多くの事柄をその風土と歴史の中に刻み込んでいる。

阿見町では、この貴重な予科練の歴史や町の戦史の記録を

保存・展示する記念館を開設している。

雄翔館には予科練戦没者の遺書・遺品約1700点を収蔵、展示されている。

戦争の悲劇を知らない代議士たちが「戦後の政策」を大転換した。

戦争で多くの人たちが戦争の犠牲になり、多くの家屋は戦火で焼失した。

悲惨な戦争の悲劇を繰り返さないこと、世界平和が維持されることを願っている。

「予科練平和記念館」を参観して、戦争の残虐さ、虚しさを知った。

改めて平和の尊さを痛感した。

機会が有ったら是非ここへ多くの人が立ち寄って欲しい。

(予科練平和記念館のパンフレットを引用した)

 

つづく


 秋のゴールデン・ウィーク 旅日記 1 ワイナリー シャトーカミヤで同窓会

2015-09-23 07:00:00 | 旅行

秋のゴールデンウィークが始まった。

初日は「茨城県校友の集い」に参加した。

会場は牛久の「ワイナリーシャトーカミヤ」

懐かしい場所だから早く行って写真を撮る予定だったが・・・ 

現在、本館は修復中で白いテントに覆われ立ち入り禁止だった。 

ワイン熟成倉庫内の熟成工程現場の再会を期待したのに残念だった。

会場は「シャトーカミヤ・レストランキャノン」 

レセプションカクテルタイム、グラス片手に、ワイワイおしゃべり

参加者42名、学校関係者8名で参加者50名。

最年長者かなぁ~? 

いました! 4年前卒業の先輩がいた。

同世代の人も10数人いて久し振りに昔話を楽しんだ。

総長との立ち話で昔の思い出を伝えることが出来た。

総長との会談は初体験、異例の事で非常に感動した。

シャトーカミヤは、茨城県牛久市にあるワイン醸造施設である。

「シャトー」は一貫生産醸造所に対する称号で、原料を生産する

ブドウ畑は大部分がなくなったが極僅かに継続している。

本館など3棟の建物が日本国の重要文化財に指定されている。

創設者の神谷伝兵衛は、愛知県出身の実業家で十代の時、

横浜でフランス人の経営する会社に就職し洋酒醸造場で働いたことがきっかけで、

酒造業をめざすようになった。

 

 1880年、浅草に「みかはや銘酒店」(神谷バーの前身)を開店。

日本国内産葡萄によるワイン醸造を国内事業化することを考え、

養子の伝蔵をフランス・ボルドーに渡航させて、

葡萄栽培やワイン醸造の技術を学ばせた。

伝蔵は3年後に帰国。伝兵衛は茨城県稲敷郡岡田村(現・牛久市)に

葡萄畑とシャトー用に広大な土地を購入。

明治31年には伝蔵がフランスから持ち帰った葡萄の苗木の栽培を始めた。

時間の経つのは早く、終了時間となり校歌合唱で解散となった。

屋外では大勢の人がビヤガーデンで楽しんでいた。

 

今宵の宿へ行った。

  

 拡大地図を表示をクリックしてシャトーカミヤフレンチレストランを見てください。

 


茨城から発信します 国営ひたち海浜公園のこと

2015-09-18 07:00:00 | 茨城紹介

国営ひたち海浜公園の年間パスポートを入手して1か月も経っていた。

花の少ない時期だが公園内を歩き廻った。

広い公園内は閑散として静かな松林を歩くのも心地よい。

タイタンビカスはまだ沢山咲いていた。

アメリカ芙蓉とモミジ葵の交配種で目立つ花だ。

記念の森・レストハウスで昼食を食べ 

隣の展示室に入った。

国営ひたち海浜公園の出来るまでの歴史が展示されている。

戦争の波乱万丈を経て平和な公園になった。

現在は戦争の悲惨を知らない時代の代議士ばかりになったが、

国民の期待に応えて世界平和のために全力を尽くしてほしい。

 パンパスグラスが風に靡いていた。

パンパグラスの原産地はブラジル、アルゼンチン、チリなどの

南米大陸の草原(パンパス)で各国で観賞用に栽培される。

大きく成長し、花穂をつけた姿は見栄えがするので、

公園・花壇の植栽や道路分離帯の緑化などに用いられる。

また、花穂は活花やドライフラワーに使われる。

綺麗で平和な雰囲気を満喫して帰途に着いた。

『戦争を知らない子供たち』 ジローズ

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