極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

安中宿のタルタルカツ丼

2013年12月06日 | 創作料理

 

 

 

【中山道仮想ローイング:安中宿】

右肩を痛め長いことローイングマシンーを使わなかった所為で仮想ローイングが掲載されず、
ルーム
ランニングを行うようになりこれで暫く代行しようということで掲載を開始し。年越し
になるのかならないかは別として、早く江戸は日本橋にゴールし、次の奥の細道コースに移り
たいと、今日は安中宿に宿泊設定することにした。安中宿は、中山道六十九次のうち江戸から
数えて15番目の宿場。場所は現在の群馬県安中市、JR東日本安中駅の真西方向、碓氷川と九十
九川に挟まれた台地上にあった。また、駅北東側・碓氷川南岸にも安中中宿と呼ばれる宿場町
が存在していたという。天保14年(1843年)の『中山道宿村大概帳』によると、安中宿の宿内
家数は64軒、うち本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠17軒で宿内人口は 348人であった。現在は安中
として、群馬県南西部にある人口約6万人の市である。江戸時代に板鼻・安中・松井田・坂
が中山道の宿場町として栄え、また、江戸時代には安中藩の城下町で、碓井川とその支流の
域の大部分を市域に含み、 中心市街地付近は関東平野末端の低地であるが、西側は山間地で、
ダムや人造湖も多い。特に西端にある長野県との県境、碓氷峠は昔から交通の難所として知ら
れている。

  木曾街道六拾九次 安中(歌川広重画)

特筆すべきは、ことしのNHKの大河ドラマ『八重の桜』の主人公新島八重の夫で同志社大学
の創設者の新島襄が、天保14年(1843年)、安中藩士の子として江戸・神田に生まれ、21歳で
渡米しキリスト教徒となり、帰国後父母の住む安中へ帰郷し、キリスト教を伝道。その後、
戸から京都へ向かい、同志社英学校を設立し、47歳でこの世を去る。また、彦根藩主の井伊

と縁深く、徳川四天王の一人、井伊直政が慶長7年(1602年)に死去した後、家督は長男の井
伊直継が継いでいたが、直継は生来から病弱なため、弟の井伊直孝が家督を継ぎ、元和元年(
1615年)2月、直継は直勝と名を改め、幕命により彦根藩主の座を廃されて分知された安中藩
3万石の藩主に任じら、直孝が彦根藩の家督を継ぐが、これが安中藩の立藩とされる。直勝は
彦根藩2代藩主であった履歴も抹消された。
直勝は城下町建設に尽力し、寛永9年(1632年)
12月15日、直勝は家督を子の井伊直好に譲り隠居。直好は正保2年(1645年)6月、三河西尾
藩に移され、代わって三河新城藩から水野元綱が2万石で入る。明治4年(1871年)の廃藩置
県で、安中藩は廃藩となり安中県、同年10月に群馬県に編入され、藩主板倉家と諏訪武田氏重
臣から安中藩重臣となっていた小林家が子爵を授かっている。


 

     碓氷第三橋梁 通称「めがね橋」

芸術と技術が融合した美しいレンガのアーチ橋で、川底からの高さが31mあり、我が国最大のも。
この4連の雄大なアーチ橋は通称「めがね橋」として親しまれている。この形を採用したのは、
日本ではめがね橋が最初。
橋梁は、第2橋梁から第6橋梁までの5基が残っており、すべてが煉
瓦造りで、国重要文化財に指定されている。
アプト式鉄道の廃線跡を利用した遊歩道「アプト
の道」として、橋の上を散策することができるお勧めの観光コース。
 

さて、安中宿の物産としては、かつて信越線が、急勾配の碓氷峠を越えるため機関車を連結させる時
間に売られていた「峠の釜めし」。益子焼きの土釜に入ったお弁当は今でも人気だ。また、小麦粉と砂
糖と鉱泉水で作った「磯部せんべい」は、江戸末期から続く伝統的な温泉みやげがあり、秋間
梅林の梅を使
った梅干し、群馬県伝統工芸品の「自性寺焼」(安中市秋間に産出する良質な陶土でつ
くられる)、 アプト式鉄道の時代に熊ノ平駅(廃駅)で発売されていた「力もち」(玉屋ドライブイン)、碓
氷製糸は全国で2社しかない製糸会社で碓氷製糸農業協同組合では群馬県オリジナル蚕品種を多く
生糸にし国産の繭にこだわり生糸の提供。また、信州の味噌に地元の青じそを入れ練り上げた辛みそ
にもぎたての茄子をコシのあるまんじゅう生地で包んだ上州おふくろ味のおまんじゅうや、磯部温泉街
の近く、碓氷川のほとりにある観光簗のアユの塩焼き、刺身などがある。 

ところで、安中宿の創作ラーメンを考えてみたが、梅と鮎と豚(これは関東一帯として)程度
しかイメージ
できなかった(ご免なさい!?)。ということで、“安中アユ梅ラーメン”で決
めることに。鮎は、鮎節を開発しこれをベースに具に焼き豚と鮎の姿焼きとアミン臭を消す梅
(クエン酸)を添えれば(灰汁消しには酢を計算量添加)粗方完成だ。

 

これは蛇足になるが、高崎市を含めた地域では「タルタルカツ丼」が名物とか。そのレシピは
概ね、(1)材料:鶏むね肉(皮なし)1枚、塩・こしょう 各少々、小麦粉 適量、溶き卵 適
量、
生パン粉 適量、めんつゆ 大さじ4、ウスターソース 大さじ1、固ゆで卵1個、マヨネー
ズ 大さじ3、柚子こしょう 小さじ1/2、キャベツ1枚、ごはん お茶碗2杯分(300g)、揚げ
油 適量、(2)下ごしらえ: 鶏肉は火が通りやすいように肉たたきなどでたたいて、厚みを
均一にする。固ゆで卵はみじん切りにして、ほかの材料と混ぜ合わせる。キャベツはせん切り
にしておく。(3)作り方:鶏肉に塩・こしょうをふり、肉にすりこんだら、小麦粉・卵・生
パン粉の順につける→170℃の揚げ油に入れ、3~4分かけてこんがり揚げる→つゆを鶏肉をから
め、食べやすい大きさに切る→丼にごはんを盛り、キャベツをのせて、カツをのせ→タルタル
ソースを盛りかける。

【大容量フィルム型リチウムイオン電池】

一般に、リチウムイオン二次電池は、正極活物質が正極集電体に塗工した正極板と、負極活物
質が負極集電体に塗工した負極板を、間にセパレータを介装積層し、正極板、セパレータと負
極板を積層、電解液と共にケース内に密封するとともに、積層体の正極板と負極板のそれぞれ
に接続した電極端子をケースから突出させて構成する。最近は、従来のリチウムイオン二次電
池の電解液の代わりに、ゲル状電解液に、ポリエチレンオキシド、ポリフッ化ビニリデン-六

フッ化プロピレン共重合体、ポリアクリルアミド、ポリアクリロニトリルなどのマトリクスポ
リマーが配合させた、小型軽量化、安全性の向上を目的としてポリマーリチウムイオン二次電
池が開発されている。これに対し、正極板、負極板とゲル状電解質を積層し多層の膜電極接合体(交
互に積層体を形成する工程と、これを加熱プレスしゲル状電解質を昇温し押圧する工程を特徴
とした、
正極板及び負極板の充放電性能の高いリチウムイオン電池の製造方法(特開2013-182735
「多層の膜電極接合体の製造方法及びリチウムイオン二次電池」)が積水化学工業から提案さ
れている。


そんなことを確認した矢先に、同上企業から、(1)世界トップレベルの容量3倍・高安全性・
生産速度10倍
、(2)塗工プロセスによる大容量フィルム型リチウムイオン電池の開発がニュースとして
流れた。それによると、一般的に液体系電解質を固体化するとリチウムイオン伝導性が著しく
低下するが、高リチウムイオン伝導性を有する新たな高性能ゲルタイプ電解質を使用し、従来
の真空注入プロセスではなく、塗工プロセスで高生産性を実現。
さらに、このプロセスに新た
に開発した高容量ケイ素系負極材料を加えることで、圧倒的な「高生産性」・「フレキシブル」・
「薄型」・「長尺・大面積」を有する大容量フィルム型リチウムイオン電池が開発された。従
来にない「省スペース(大きさ1/3)」・「設置形状自在」が実現でき、自動車・住宅・電子機
器を始めとし様々な用途への展開できるということだ。
 


ということは、電気自動車やポスト・メガソーラーなどのデジタル・エネルギー社会の実現のさらなる加
速を、再生可能エネルギー社会の本格的突入前夜にあることを予感させるものだ。ブログ三年目でこ
ような状況に遭遇。これからますます面白くなる

 





【ドライブ・マイ・カー】 

 

  彼が何を取り去りたいのか、家福にはわからない。ただの性格の弱さかもしれないし、
 過去に受けた心の傷かもしれない。あるいは今現実に抱え込んでいる面倒な問題かもしれ
 ない。しかし何であるにせよ、彼の中にはそういう「できれば忘れてしまいたい何か」が
 あり、それを忘れるために、あるいはそれが生み出す痛みを和らげるために、酒を口にせ
 ずに
はいられないのだ。家福が一杯飲むあいだに、高槻は同じものを二杯半飲んだ。かな
 りのハイペース
だ。
   あるいは飲むペースが速いのは、精神的緊張のためかもしれない。なにしろ自分がかつ
 て隠れて寝ていた女の亭主
と、二人で差し向かいで酒を飲んでいるのだ。緊張しない方が
 おかしい。しかしそれだけではあるまいと家福は思っ
た。もともとそういう酒の飲み方し
 かできない男なのだろ。 
  相手の様子をうかがいながら、家福は自分のペースを守
って慎重に酒を飲んだ。グラス
 を重ね、相手の緊張が少し
ほぐれたところで、彼は高槻に結婚はしているのかと尋ねた。
 結婚して十年になり、七歳の男の子がいると相手は答
えた。しかし事情があって去年から
 別居している。おそらく近々離婚することになるだろうが、そのときは子供の親権が大き

 な問題になるはずだ。子供に自由に会えなくなることだけはなんとしても回避したい。自
 分にとってなくてはならない存在だから。彼は子供の写真を見せてくれた。顔立ちの良い
 おとなしそうな男の子だった。
  高槻は常習的な酒飲みのおおかたがそうであるように、アルコールが入ると口が軽くな
 った。おそらくはしゃべる
べきでないことも、訊きもしないのに、自分から進んでしゃべ
 った。家福はおおむね聞き役にまわり、温かく相づち
を打ち、慰めるべきことがあれば言
 葉を選んで慰めた。そしてできるだけ多くの、彼に関する情報を集めた。家福は自分がい

 かにも高槻に好意を持っているように振る舞った。それは決して難しいことではなかった。
 彼は生来聞き上手だったし、また実際に高槻に対して好意を持っていたからだ。それに加
 えて、二人にはひとつの大きな共通点があった。死んでしまった丁人の美しい女に、いま
 だに心を惹かれ続けている。二人とも立場こそ違え、同じようにその欠損を埋めることが
 できずにいた。いろいろと話は合う。

 「高槻さん、よかったらまたどこかで会いませんか? あなたとお話できてよかった。こ
 んな気持ちになれたのは久しぶりです」と家福は別れ際に言った。バーの勘定は家福が前
 もって払っておいた。いずれにせよ、誰かがそこの勘定を払わなくてはならないという考
 えは、高槻の頭には浮かびもしないようだった。アルコールは彼にいろんなことを忘れさ
 せてしまう。おそらくはいくつかの大事なことを。
 「もちろんです」と高槻はグラスから顔を上げて言った。 
 「是非またお会いできればと思います。家福さんとお話しして、僕も胸のつかえがいくら
 か取れたような気がします」
 「こうしてあなたとお目にかかれたのも何かの縁でしょう」と家福は言った。「亡くなっ
 た妻が引き合わせてくれたのかもしれない」
  それはある意味では真実だった。
  二人は携帯電話の番号を交換した。そして握手をして別れた。
 

                        村上春樹 『ドライブ・マイ・カー』
                          文藝春秋 2013年12月号掲載中


   

京都大学iPS細胞研究所の江藤浩之教授らは、血液中で酸素を運ぶ赤血球をiPS細胞から
大量に作り出す技術を開発
したとか、このところこの関連ニュースが毎日のように飛び込んで
くる。様変わりしている。そんな毎日で忙殺された歳だったと結ぶにはまだ何日かある。性分
だから変えようがないが、実に面白い!
 

 

コメント
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