極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

隣接危険区域

2013年12月01日 | 時事書評

 

 

 【隣接危険区域】



    Revvin' up your engine

    Listen to her howlin' roar
    Metal under tension
    Beggin' you to touch and go 
 
    High-way to the Danger Zone
    Ride into the Danger Zone

     Headin' into twilight
    Spreadin' out her wings tonight
    She got you jumpin' off the deck
    And shovin' into overdrive

    High-way to the Danger Zone
    I'll take you right into the Danger Zone

  
                                                                                         Music&Word 
                             Moroder, Giorgio / Loggins, Kenny / Whitlick, Tmo.

 

 

東シナ海波高し!緊迫する、中国、日本、米国、韓国、台湾!知恵が足りまへんなぁ~?!天国にい
る田中角
栄や小平の二人は怪訝な顔しながら下界を覗いているに違いない?! 

  

【日本経済は世界の希望(10)】 

 

 ここでは念のためプロローグを掲載しておきたい。クルーグマンの影響を受けつつも、デジタル革
命という逓増躍進する科学技術と社会構造の変容から考察した点において異なるものの上げ潮派ある
いは、リフレ派、さらにはポスト・ケインズ主義やクルーグマンの主張に同調してきた。そして、『
エピローグ』の「いまこそ世界は日本を必要としている」の節は、奇しくもわたしの思いとシンクロ
ナイズする。以下、『プロローグ』から引用掲載していく(挿入されている表は記載せず)。


                       世界標準の方法論に反対した日本の識者たち

  金融緩和では、日本の構造問題は解決できない」「金融緩和では、所得格差は解消されない」
 「金融緩和では、社会福祉の改善は不可能だ」-。金融緩和だけではダメだ。こうした議論が日
 本では繰り返されてきた。
  そして、金融緩和だけではダメだから、インフレターゲットは無意味である、という結論が語
 られてきたのである。
  金融緩和ノインフレターゲットによって、直接的に何かできるのか。あるいはできないのか。
 私はそうした質問をよく受ける。それ自体、みなが金融緩和について、よくわかっていないとい
 うことだろう。
  二〇一三年四月四日。日本銀行の金融政策決定会合で、黒田束彦日銀総裁は、政策目標を金利
 からマネーの量に切り替え、マネタリーベース(日本銀行が供給する通貨)を二年間で倍増させ
 る「異次元の金融緩和」を打ち出した。その政策の明暗を分けるものは、いったい何か。
  金融緩和には、大きく分ければ二つの成功条件がある。第一条件は、人びとがもつ将来への期
 待を変えることである。これはさらに二つに分類できる。
  まずは、国家の経済は将来的に落ち込まない、と人びとが信じること。その時点でマネースト
 ック(金融機関から経済全体に供給されている通貨の総量)の増加がインフレを誘発するという、
 望ましい状況がもたらされる。
  もう一つは中央銀行が実際に、その金融緩和を実現に移す、と信じられること。たとえその国
 で完全雇用が達成されたとしても、中央銀行はマネタリーベースを増やしつづける、とみなされ
 ることだ。それが現実のインフレを引き起こす。もし将来、インフレが到来すると人びとが信じ
 れば、お金の使い方にも変化が生まれてくる。
  第二条件は第一条件よりも重要ではないが、短期金利(一年未満の資金を貸し借りする際の金
 利)がゼロであること。長期金利(五年や十年など、一年以上の資金を貸し借りする際の金利、
 代表的指標は新発十年物国債の流通利回り)が〇・九パーセントくらいなら、民間部門の借入金
 利(住宅ローンの金利ならば1パーセント以上)は政府部門よりも高くなる。そこで中央銀行が
 長期国債を買えば、長期金利の上昇を抑制し、民間部門の返済負担を軽減できるだろう。
  世界を見渡してみれば、FRB(連邦準備制度理事会)も、ECB(欧州中央銀行)も、中央
 銀行が金融緩和を行なって経済をてこ入れしている。こうした手法は王道といってよい。
  しかし日本国内における一部の識者は世界標準の方法論に反対し、金融緩和批判に固執してき
 た。

                         安倍首相の非日本人的な決断力への期待

  二〇〇九年に日本では、自公政権から民主党政権への政権交代が起こった。そこから三年が経
 ったニ○コー年。自民党は再び、政権の座に返り咲くことになった。それまで長年にわたって、
 日本では「決められない政治」「決められない首相」が当たり前のスタイルだった。日本だけで
 はない。「アメリカが日本スタイルの罠に陥る可能性があるだろうか」という質問に対して、私
 は「可能性?」と聞き返す。アメリカはもう、その罠にはまっているからだ。何か問題なのかは
 理解していても、それを実行する政治力がない。
  しかし政権が変わってから突然のように、日本は「決める政治」への舵取りを始めた。安倍首
 相の決断力は、日本にとってよい結果をもたらすことだろう。
  国の指導者は、大それたことをしないII-。ふつうであれば、市場はそう信じたいと考える。
 しかし、ほんとうは違う。指導者は馬鹿げたことをする、あるいは非伝統的な決断をする、とい
 うことを、市場に納得させる必要がある。「決められない政治」のもとで、日本国民自身もそう
 した決断力をずっと待ち望んできた。
  大それた決断によって、問題が起きることはないのか。アメリカが一九三〇年代の世界恐慌で
 打ち出した大胆な金融政策、戦前の日本において高橋是清蔵相が昭和恐慌を沈静化させたプログ
 ラムなどが歴史的な成功例だ。もちろん失敗もある。過激なことを行なうと政治が不安定化し、
 政権交代が起こることもありえなくはない。しかし、いまの日本政治はそうした状況にはない。
 私がいま期待するのは、安倍首相の非日本人的な決断力が、人びとの「期待」を変えるのではな
 いか、ということだ。
  もちろんのこと、私の専門は日本政治ではない。しかしその私にとっても、彼の決断は驚くべ
 きものだった。来歴をみるかぎり、安倍氏は古いタイプの政治家であり、アメリカの言葉でいえ
 ば「マシーンポリティシャン」のようにみえる。「マシーン」とは利権や猟官制に基づく集票組
 織のことで、アメリカの多くの都市ではマシーンポリティクスが存在し、現在まで続いているも
 のもある。
  だからこそ、利権政治のなかで育ってきた政治家が突然、恐れを知らないリーダーになったか
 のような印象を、私は安倍氏に感じるのだ。
  アベノミクスは、プリンストン大学の経済学者たちが十数年前に書いていた論文の内容にそっ
 くりだ。バブル崩壊後、日本は財政刺激策を継続したが、金融政策面でのサポートがなかった。
  二〇〇〇年代前半の量的緩和では遂に、財政面でのサポートが不足していた。
  そして、ここにいたってついに、コーディネートされた金融・財政政策が登場した。それぞれ
 個々は以前に実行されたものだが、それがコーディネートされている点に新味がある。
  そもそも日本はなぜ、「失われた二十年」を経験することになったのか。インフレとデフレに
 ついて、いかなる見方をもつべきか。そこで中央銀行が担うべき役割は何か。アベノミクスによ
 って日本経済はどう変貌し、その先にある世界経済はどのような未来を描くのか・・・。
   一九九八年、日本経済のはまった「罠」について、私は「It's Baaack! 」(復活だあっ
 
日本の不況と
流動性トラップの逆襲)という論文を書いた(『クルーグマン教授の〈ニッポン〉
 経済人門』〔
春秋社〕所収)。
  本書はそのなかで述べた視点も引き継ぎながら、変化する日本に向けて贈るメッセージである。


 

                                    『エピローグ』
                        ものいう経済学者としていのミッション

  私は経済学者でありながら、その枠を超え、二〇〇〇年から『ニューヨーク・タイムズ』紙の
 コラムニストとして執筆をしたり、講演を行なったり、さまざまな活動を通じて世界各国の経済
 政策に影響を与えようとしている。私にとって『ニューヨーク・タイムズ』は、いわば大きなメ
 ガホンだ。もちろん意見を表明すれば厳しい批判を受ける。しかしそれが私の役割であるわけだ
 から、その批判は当然、受け止めるべきだろう。
  日本の学者にそうした人はいない。世界中をみても、政策に影響を与える学者が存在するのは
 アメリカとイギリス、あとは少しカナダにいるだけだ。これは制度と文化の問題である。
  アメリカの経済学者では私、ジョセフ・スティグリッツ、ジェフリー・サックス、そしてロ-
 レンス・サマーズ。ほかにも声を大にして意見をいう人は数人いるが、公の場で強力な役割を果
 たしているのはマジョリティではない。
  イギリスでは、アメリカよりもその層は薄い。イギリス政府の政策にものをいう経済学者のリ
 ストに誰が載るかといえば、せいぜい私くらいではないか。優秀なイギリス人の経済学者はもち
 ろんいるが、彼らはそれほど政策に影響を与えない。
  経済学者のミッションはたくさんあるが、誰もが同じことをする必要はない。しかし政策に影
 響を与える役割を担う学者は不可欠だ。
  最終的に世の中をよくすることに貢献する研究を行なう。同時によりよい政策をつくることに
 も携わる。経済学者が政治家にアドバイスをしないかぎり、それは実現しない。もし政治家がわ
 れわれの研究を無視すれば、その結果は不毛になる。
  少年時代、私はアイザック・アシモフのSF小説『ファウンデーション』(旧邦題は『銀河帝
 国興亡史』)に夢中になった。『ファウンデーション』は銀河系の文明を救った社会科学者を扱
 った小説で、作中のハリ・セルダンなる心理歴史学者が銀河帝国の滅亡を宣言する予言者となり、
 帝国を枚う、というストーリーだ。
  心理歴史学とは、「一定の社会的、経済的刺激に対する人間集団の反応を扱う数学の一分野」
 と説明されているが、もちろんアシモフがでっちあげた学問であり、現実には存在しない。だか
 らこそ、私は経済学を志した。文明を救う経済学者になりたくて、その道を歩んだのだ。
  その後、二〇〇八年の世界的な金融危機のなかで、ノーベル経済学賞受賞という栄誉を受けた
 のは、いま考えてもほんとうに幸運なことだった。


                              先進国でもっとも興味深い国

  第1章で述べたように、バブル崩壊以降も日本はいまのヨ-ロッパほど、深い景気低迷を経験し
  なかった。欧米の経済学者のグループは日本に行き、自国が日本経済よりも悪化して申し
訳なか
  った、日本経済の先行きを悲観したことを謝罪すべきだ、というジョークを私はよく話す。

  アベノミクスなる変革は私を驚かせたが、それはとても嬉しい驚きでもあった。「復活だあっ
 ~」を書いてから十五年にわたって、日本はまったく変化していないようにみえた。それがい
 ま、突然の変化によって正しい方向に向かっているように感じる。
  いまの日本は先進国でもっとも興味深い国だ。新しいことに挑戦し、現状を変えようとしてい
 るからだ。
  繰り返しておこう。アベノミクスが成功すれば、日本以外の国にもポジティブな影響を及ぼす。
  アメリカ、そして当然ヨーロッパに対しても、いまのスランプを国民が受け入れる必要はない、
 積極的な対策をとれば必ずデフレから脱却できる、という強いメッセージになるからだ。
  アベノミクスはたしかに大きな挑戦だ。最大の問題は、安倍首相と黒田日銀総裁がはたしてほ
 んとうにそれを実行し、続行できるかどうかである。日本のニュースを読むたび、ああ、また同
 じことの繰り返しか、と感じる朝もあれば、思ったよりマシになっているな、と思う朝もある。
  ある変化が起ころうとしても、すぐにそれが消えてしまった、というこれまでの事実に対し、
 新しい政策を行なう、という意欲を彼らは対峙させなくてはならない。

                          いまこそ世界は日本を必要としている

   三十年前から断続的に来日を続けていて感じるのは、一九八〇年代初頭から二〇〇〇年にかけ
 て、日本はかなり開国した、ということだ。しかし第5章で述べたとおり、それ以上、世界に開
 かれる、という道のりがストップしてしまったように思える。
  いまこそ世界は日本を必要としている。アメリカ、ヨーロッパ、日本という民主主義国家には
 共通の利害が あり、よくコミュニケーションをとって協力し合い、必要なときにはお互いから
 謙虚に学ばなければならない。いかなる意味においても、われわれはライバルではない。すべて
 の重要な点において、同志である。
  その行く末をいま、多くの国が固唾を呑んで見守っている。日本よ、いまこそ立ち上がり、世
 界経済の新しいモデルとなれ。


以上がクルーグマンの主張だが、「解説」で山形浩生は「民主党政権が倒れて、二十年続いたデフレ
脱却による景気回復を前面に打ち出した第二次安倍内閣が成立し、リフレ政策の導入見通しが突然濃


厚となったのだ。いわゆるアベノミクス誕生だ。もちろんそれまでの政権でも、ときどきリップサー
ビス的にデフレ脱却が謳われたことはあった。だが通常、それは日本銀行や財務省の抵抗によりうや
むやになったり、形ばかりの対応を一瞬だけやってすぐにやめるという腰の引けた対応でしかなかっ
た。だが、今回はデフレ脱却のための具体策が明確に提示されていた。それが日銀によるインフレ目
標政策だ。このインフレ目標政策を一九九〇年代末から一貫して訴えつづけてきたのは、日本では岩
田規久男教授や故岡田靖、そして外国では本書のポール・クルーグマンだった。だがその支持者たち
も、もはやこの政策が日の目をみるとはあまり期待していなかった」と述べ、山形自身も、二〇一二
年夏に出たクルーグマン『さっさと不況を終わらせろ』(早川書房)の解説に、きわめて悲観的なこ
とを書いたと告白し、本書がアベノミクス第一の矢たるインフレ目標/リフレ政策を最初期に提唱し
た経済学者ポール・クルーグマンが、自分の申し子ともいうべきアベノミクスを振り返り、これまで
の成果とその将来について語ると、同時に、クルーグマン自身の考え方の変遷やときに直截すぎる発
言のあれこれについて説明を加えていると述べている。

クルーグマンは「流動性の罠」のもとにある不況-名目金利がゼロの景気刺激策として金利引き下げ
不可能になった状態で不況が継続する問題を解決するためにどうすれば良いか-一九九八年に、すで
に十年近く続いていた日本のデフレ状況を事例研究するが、当初、「流動性の罠」などという状態は
ありえないと考え、それを証明しようとしてモデル構築するが、そのモデルは「流動性の罠」が可能
であり、不況脱出方法を示する(一九九八年にウェブで「日本のはまった罠」、「復活だあっ日本
の不況と流動性トラップの逆襲」(いずれも原文はhttp://web.mit.edu/krugman/www/から読める。邦
訳は『クルーグマン教授の〈ニッポン〉経済人門』〔春秋社〕所収。またウェブ上でも公開。http:/
/cruel.org/jindex.htm1
#krugmanを参照))。ではその処方箋は?重要なのは、量的緩和をいつま
も続けるぞ、と宣言し、長期的なインフレの期待を高めるという方法である。そして一九九八年の
この結論からさらに考察を論考すすめ、古典的なISILMモデル分析の回答と同じもので、「流動
性の罠」を脱出には、金融拡大右にあげたインフレ期待の醸成と同時に財政支出刺激も行うというも
のだ。解説で山形も述べているが、インフレターゲット政策がもっと早く採用されると考えていたが
当てが外れ、一頓挫するものの安倍政権で実現した。彼の翻訳活動がその実現に貢献していることを
評価しこの項を了とする。

 




【ドライブ・マイ・カー】 

 
  しかし妻の方は時折、彼以外の男と寝ていた。家福にわかっている限りでは、その相手は全部で
 四人だった。少な
くとも定期的に彼女が性的な関係を持った相手が四人いたということだ。妻はも
 ちろんそんなことはおくびにも出さ
なかったが、彼女がほかの男にほかの場所で抱かれていること
 は、彼にはすぐにわかった。家福はそういう勘がもと
もといい方だったし、相手を真剣に愛してい
 ればそれくらいの気配はいやでも感じ取れる。相手が誰なのかも、彼女の話の口調から簡単にわか

 った。彼女が寝る相手は決まって映画で共演する俳優だった。それも年下の場合が多かった。映画
 の撮影が続いている何ケ月かのあいだその関係が続き、撮影が終わるとだいたいそれにあわせて自
 然に消滅するようだった。同じことが同じパターンで四度繰り返された。

  どうして彼女が他の男たちと寝なくてはならないのか、家福にはよく理解できなかった。そして
 今でも理解できて
いない。二人は結婚して以来、夫婦としてまた生活のパートナーとして、良好な
 関係を常に保っていたからだ。眼があればいろんなことを熱心に正直に語り合ったし、お互いを信
 頼しようと努めてきた。自分たちは精神的にも性的にも相性が良いと、彼は思っていた。周りの人
 々も彼らを仲の良い理想的なカップルとして見ていた。

  それなのになぜ他の男たちと寝たりしたのか、その理由を妻が生きているうちに思い切って聞い
 ておけばよかった。彼はよくそう考える。実際にその質問をもう少しでロにしかけたこともあった。
 君はいったい彼らに何を求めていたんだ? 僕にいったい何が足りなかったんだ? 彼女が亡くな
 る数ケ月前のことだ。しかし激しい苦痛に苛まれながら死と闘っている妻に向かって、そんなこと
 はやはり口にできなかった。そして彼女は何ひとつ説明しないまま、家福の住む世界から消えてい
 った。なされなかった質問と、与えられなかった回答。彼は火葬場で妻の骨を拾いながら、無言の
 うちに深くそのことを考えていた。誰かが耳元で語りかける声も聞こえないくらい深く。

  妻が他の男の腕に抱かれている様子を想像するのは、家福にとってもちろんつらいことだった。
 つらくないわけはない。目を閉じるとあれこれと具体的なイメージが頭に浮かんでは消えた。そん
 なことを想像したくはなかったが、想像しないわけにいかなかった。想像は鋭利な刃物のように、
 時間をかけて容赦なく彼を切り刻んだ。何も知らないでいられたらどんなによかっただろうと思う
 こともあった。しかしどのような場合にあっても、知は無知に勝るというのが彼の基本的な考え方
 であり、生きる姿勢だった。
  たとえどんな激しい苦痛がもたらされるにせよ、おれはそれを知らなくてはならない。知ること
 によってのみ、人は強くなることができるのだから。

  しかし想像することにも増して苦しいのは、妻の抱えている秘密を知りつつ、自分がそれを知っ
 ていることを相手に悟られないように、普通に生活を送ることだった。胸を激しく引き裂かれ、内
 側に目に見えない血を流しながら顔にいつも穏やかな微笑みを浮かべていること。何ごともなかっ
 たように日常的な雑事をこなし、何気ない会話を交わし、ベッドの中で妻を抱くこと。おそらく普
 通の生身の人間にできることではない。でも家福はプロの俳優だった。生身を離れ、演技をまっと
 うするのが彼の生業だ。そして彼は精いっぱい演技をした。観客のいない演技を。
  しかしそれさえ別にすれば-彼女が時折ほかの男に隠れて抱かれているという事実を除外すれば
 -ニ人はほぼ満ち足りた、波乱のない結婚生活を送っていた。どちらも仕事の面では順調だったし、
 経済的にも安定していた。二十年近くの結婚生活を通して、彼らは数え切れないほど多くのセック
 スをしたが、少なくとも家福の観点からすれば、それは満足のいくものだった。妻が子宮癌を患っ
 て、あっという間に亡くなったあと、彼は何人かの女性たちとめぐり逢い、その流れの中でベッド
 を共にした。しかし妻との交わりで感じたような親密な喜びを、彼はそこに見いだすことはできな
 かった。あるのは、以前に経験したものごとをもう一度なぞっているような、マイルドな既視感だ
 けだった。

                           村上春樹 『ドライブ・マイ・カー』
                              文藝春秋 2013年12月号掲載中

※  既視感(きしかん)は、実際は一度も体験したことがないのに、すでにどこかで体験したことの
ように感じることである。デジャヴュ(already seen「既に見た」の意味)、デジャヴ、またはデジ
ャブ(英語を経由した発音)などとも呼ばれる。フランス
語の déjà-vu: vu (「見る」を意味する
動詞 voir の過去分詞)、訳語の「視」は、いずれも視角を意味するが、聴覚、触覚など視覚以外の
要素もここでいう「体験」のうちに含まれる。

                                     

 

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