【新たな飛躍に向けて-新自由主義からデジタル・ケイジアンへの道】
1.タブーと経路依存性
2.複雑系と経路依存性
3.複雑系と計量経済学
4.ケインズ経済学の現在化
5.新自由主義からデジタル・ケイジアン
【複雑系と計量経済学】
計量経済学史と現在-計量経済学史
数量経済史(クリオメトリックス)は、歴史学の一つである経済史の分野と、計量経済学との
学際分野。ダグラス・ノースらによって形成され、また経済史で取り扱う事象に、ミクロ経済
学、マクロ経済学のモデルを適用させ、文献などの資料から経済統計を算出し、計量経済学の
手法で、分析対象の経済活動に対して推定を試みる学問と定義される。また、英語では"cliom-
etrics"であり、計量経済史とも訳され。「数量経済史」を標榜した初めての書物は、1975年の
新保博・速水融・西川俊作『数量経済史入門』とされている。さらに、狭義の計量経済史では、
パネルデータの線形回帰分析モデル、時系列データの一変量時系列モデルなどの計量経済学の
モデルを利用する一方で、数量経済史と表現した場合には、必ずしも計量経済学のモデルを利
用するのではなく、経済統計の資料作成も含まれる。
※ なお、経済学史とは、経済学を3部門(理論、政策、歴史)に大別した場合の歴史部門に
当たる。通時的に経済現象(経済活動およびその主体など)を考察する学問で、経済現象の解
明に重点を置く形で歴史分析を行うものである。大学では主に経済学科、史学科等で研究され
ている。一般には、フリードリッヒ・リストを先駆とするドイツ歴史学派がその起源とみなさ
れている。本格的な日本経済史研究の嚆矢となったのは、1930年代における講座派と労農派によ
る日本資本主義論争とみなされている。これはマルクス経済学に従って、当時の日本がどの歴
史的段階にあるかについて争われたものである。
経験論と計量経済学
ところで、ウィリアム・ペティ卿が 17 世紀イギリスにおいて経済データを記録して(作り出
して)以来、経験的/実証的な研究はずっと重要な役割を果たしてきた。その理由は二つある。
経済学者に よれば (1) データを慎重に検討することで、経済学的な洞察が得られる (帰納的
アプローチ)(2) 既存の経済理論が、その主張と経験的データとを比べることで、立証/反証
できる (理論的アプローチ)、というが、経済学者全員がこの2つの理由に賛同していないし
ともいわれている。帰納的アプローチには長い歴史があり、ジェヴォンスはデータからビジネ
スサイクルが黒点周期に影響されているという証拠を集めようとした。ジュグラー (1862) は
財務や金融データの表から信用に基づいたサイクルがあると考えた。また H.L. ムーア は帰
納的アプローチを使って気象や星に伴うサイクルがあると論じた。 けれど理論研究も行われ
た。データを需要曲線にあてはめようとする試みは、17世紀のダヴェナント や ジェンキンに
まで遡る。これはワルラスの需要方程式にデータをあてはめようとした、あの H.L.ムーアの得
意技だった。コロンビア大学でのムーアの学生たち、例えば ヘンリー・シュルツや P.H.ダグ
ラスが、これを 1930 年代まで続けている。イギリスの A.C.ピグー とドイツのヤコブ・マル
シャックも同じような研究をしている。その後まもなく、もう一つの展開がコロンビアで起こ
った。ウェスリー・C・ミッチェルのもとで、ビジネスサイクル分析の帰納的アプローチが復興
する。帰納的アプローチは ドイツ歴史学派とアメリカ 制度学派両方によって支持されてきた。
これについて系統的な研究を行ったは、W.C. ミッチェルと彼の National Bureau of Economic
Research (NBER) だけだったという。主なテーマは、ビジネスサイクルをどう計るかということ
だったが、ミッチェルの NBER には、例えばアーサー F. バーンズ、ジョン・モリス Maurice
クラーク・, サイモン・クズネッツ、フレデリック C. ミルズ、Rutledge Vining、ソロモン・
ファブリカント, レオナード P. Ayres や他の アメリカ 制度 学派のような著名な経験的経済
学への貢献者がいた。ビジネスサイクルの計測と分析も、当時はあちこちで人気があった。ハー
バードのパーソンズ や ブロック 、モスクワの コンドラチェフ 、ベルリンの Wagemann、ルン
ドのアケルマン、ウィーンの モルゲンシュテルン、キール研究所などでもこのテーマの研究が
行わた。
ビジネスサイクルの経験的記録や分析はあらゆる種類の経験的データ集計分析にまで波及する
―特に国民所得計算集計(産出、投資など)が大きいが、NBER のサイモン・クズネッツ、イ
ギリスのコリン・クラーク の重要な業績となった。R.G.D.アレンやアーサー・ Bowleyが膨大
な家計データ集計に取りかかったのもイギリスだった。 もちろん経験的なデータが出てくる
のに並行して、ビジネスサイクルの理論分析も出てきた。例えばJ.A.シュムペーター D.H.ロ
バートソン、 A.C. ピグー、G.ハーベルラーなどによるものだ。でも彼らは二番目の「理論
研究」を完全に採用したとは言えない。そう認められるほどきちんとした統計推論手法を使わ
れていない。NBER の研究は ジョージ・Yule, Eugene Slutsky、Ragnar Frisch そして一番有
名どころとしてチャリング・C・クープマンスたちに厳しく批判された。これによって理論的
アプローチが復活し、これがいま一般に言われる計量経済学となった。この理論的アプローチ
が初めてビジネスサイクルに適用されたのは、ケインズ『一般理論』が登場した後、ヤン・テ
ィンバーゲンによる研究だった。ケインズは比較的入手しやすい色んな数字(消費、所得、投
資など)の単純な関数関係を提案してティンバーゲンを刺激した。ティンバーゲンは線形回帰
分析など統計方法を用いて、ケインズが提案した相関のパラーメータを推計した。ケインズ自
身はティンバーゲンの方法をあまり喜ばなかった。「黒魔術」に毛が生えたようなものだと考
えたからだ。ケインズによるティンバーゲン批判は、フリッシュ、ホーヴェルモー、アレン、
マルシャック、ランゲたちによる一連のティンバーゲン計量経済学に対する批判的再価の波に
おける、最初の一斉射撃にすぎなかったという。
システムアプローチの問題点
経済学が数学や数理工と結合してきたことの時代背景を大まかに俯瞰してきたが、ここからこ
ういった数学の形式論理と理工といつた機能論理のもつ有用性という光の部分だけではなく、
形式あるいは機能といった論理の、あるいは塩尻由典の『システム・アプローチに欠けるもの
-経済学における反省-』の問題提起といった陰の側面を俯瞰しその克服方法を探る。
システム理論ないしシステム・アプローチは、すでに長い歴史をもち、1945年に生物学者のベ
ルタランフィが「一般システム理論」の構想を最初に発表。その直後には、システム理論の重
要な構成要素となるサイバネティクス(ウィーナー、1948)や情報理論(シャノンとウィーヴ
ァー)も発表されている。その後、ベルタランフィを中心に、経済学者のボールディング、数
理生物学者のラポポートが、1954年「一般システム研究会」を設立。その機関誌「General Sy-
stems」は、1956年から刊行されている。このころまでには、システム理論・システム工学など
の概念が確立すしたと見てよいであろう。その後も、丸山孫郎のセカンド・サイバネティックス
やチェックランドのソフト・システム理論、自己組織化研究、散逸構造理論、力学系、ゲームの
理論、複雑系といった話題を取り込みながらシステム理論は発展してくる。
ところで、塩沢由典は「経済学の分野でみると、システム理論ないしシステム・アプローチが、
経済現象の解明に際立った貢献をしたという印象は乏しい」と指摘する。そういえば、「システ
ム」という言葉は、多様な文脈の中で使われるようになるが、わたしが職業上、それを強く意識
したのは「現代制御理論」の1980年代半ばで、例えば、自動車四輪駆動制御のフィールフォアや
温度管理でのファジー制御などだがシステム・アプローチとして「システム」概念が普及するが、
経済学側面では、山口重克編『市場システムの理論/市場と非市場』などあるものの中身は乏し
いが、そのなかでも1990年代の日本人経済学者の中で影響を及ぼしたのが青木昌彦だ。青木は「
システム」という語をその著書のいつくかに用いている。青木は、比較経済体制論から出発し初
期の代表作は、制御理論と同様の発想から理論が組み立て、サイバネティクスに代表される制御
理論がシステム理論の中核とすれば、初期の青木はシステム理論を武器に新領域開拓に挑んだと
評価され、市場の情報節約構造や組織の情報伝達構造へ強い関心を寄せる。日本の企業システム
の経済分析に焦点を移してからの青木の理論展開の中心はゲームの理論でであったとされる。そ
の反対に、わたしにはゲーム理論は感覚的に会わず、中身の乏しいちっぽけなものとしてしか映
らなかった。
また、システム理論に自覚的に取り組んで成功した経済学の書物に塩尻は、鷲田豊明をあげる。
それによると鷲田は「相対的に自立的した全体性をもつ構造化された社会」のことを「社会シス
テム」と定義し、単なる「社会」と「社会システム」とを峻別する特異的な考えがあり、この定
義は、縄文時代にまで逆上り、考古学文献を渉猟した力作「環境と社会経済システム」(鷲田、
1996、第5章)に生き、環境を論ずには、社会・経済の設計にまで踏み込む必然性を背景とした。
このようにシステム理論を明示的議論で経済学に貢献した例は少ないという。このような事態は、
経済学の隣接分野である経営学ないし組織論と比べるとより明確となる。システム理論が経済理
論にもたらしたものと経営学ないし組織論における貢献とを比べると、そこに大きな差異がある。
その差異のひとつは、目的の違いがあり、経営学または組織論では、諸個人の関係が作りだすさ
まざまな構造が出発点となり、1960年代までのシステム理論は、はっきりと構造指向的であり、
価格や生産数量の議論にはあまり役に立たない。工学方面でもっとも成功したように、システム
理論には、変化するシステムに関する考察を含んでいたが、社会科学の分野に応用されたとき、
システム理論はそのような側面をうまく生かすことができなかった。経済学がシステム理論をう
まく生かすことができずにいたのは、構造指向的な性格が大きく影響していたためであるとする。
複雑系とケインズ主義との相互浸潤
さて、市場経済の進歩・発展を駆動するものが競争にあることは、ほとんどすべての経済学者
が一致して認めるているが、市場経済における競争がいかなる場所でいかなる具合になされる
かについて、新古典派と複雑系経済学とでは、大きく見解が隔たっている。その原因は、新古
典派経済学が「価格理論」とほぼ同じ範疇に存在しているため、競争に関する理論的な説明が、
偏狭な価格競争として説明される。完全競争、純粋競争といった概念が価格を軸としているた
め、これが競争の実態を大きくゆがめていると指摘されているという。塩沢由典(『複雑系経
済学の現在』)によれば、新古典派理論の競争概念をゆがめているのは、需給均衡という考え
方にあり、より正確には価格を独立変数とする需要と供給とが定義され、それらが一致する価
格体系に市場が帰着するという一般均衡理論の枠組みが成立した古典派や新古典派の初期にそ
の根拠があるという。経済の調整変数として、ひとびとの目に見えていたもの(=信用)は価
格のみであったとし、数量的な調整は、部分的にできたとしても、その全体的な変動を推定す
ることの困難性があった。そこで目に見える調整過程として、価格による調整に焦点が絞られ
上に、さらに、需給均衡の枠組みが「企業は市場で自社製品を売りたいだけ売っている」(行
動に関する最大化原理と状況の選択原理としての均衡概念)という前提により現実から遊離す
る。この反省に立ち、「複雑な状況の中での行動」を主題とし、均衡分析に代わる過程分析と
いう枠組みで経済学のすべてを、複雑系経済学は再構成し、均衡の枠組みには理論として組み
込めないの状況(収穫逓増、定型行動、追随的調整、経路依存など)を包括する。
さらに、複雑系経済学は、基本的には時間の流れの中で諸変数の変化を追跡する分析であり、
新古典派のように「売りたいだけ売っている」という前提は不要として退け、反対に、近代的
企業の生産の増大を制約している主要な要因は、市場における需要の制約にあると考え、ケイ
ンズ経済学の根底に置かれるべき考えだったとする。つまり、ケインズの一般理論は、限界理論の2
公準を軸としているが、有効需要の原理とうまく整合せず、第2公準を否定することから始ま
り、ケインズ経済学をミクロ的に基礎付ける試みが長くなされてきたが、企業が直面している
状況をただしく定義できなかった。生産量と利潤を増大させようとする企業の主要な制約が製
品の売れ行きにあり、需給均衡という枠組みは、その定式においてこの状況を排除する。した
がって、マクロ経済学のミクロ的基礎付けには、基礎的なミクロ経済学の枠組みを変える必要
であり(また、新古典派理論に基づきマクロ経済学を再構成しようとしても、理論の構造とし
て不可能)、ケインズ経済学は、しばしば、価格が固定的であるとの前提にたって説明され、
価格調整がつねに瞬時になされる世界では有効需要の原理は意義をもたない。製品価格を下げ
ようと、原価をまかなえる範囲では、その値下げ幅は大きなものでなく、原価を割らない範囲
でどんな価格を付けようと、企業はほとんどつねに需要の制約に直面し、企業レベルで捉えら
れた有効需要の原理である。
生産容量の変更をのぞけば、価格調節の間隔は一般に数量調節の間隔より長い。そのため、価
格が固定的であるかの印象を一部に与えているが、価格が変動する世界においても、有効需要
の原理はつねに生きている。有効需要の原理は、マクロ経済においてのみ出現するものである
かの説明もあるが、それは新古典派ミクロ経済学を前提としているからである。需給均衡の枠
組みを離れてみれば、マクロの有効需要の原理は、個別企業が直面している状況の統合された
表現でしかないとする。これに対し、ケインズ経済学、とりわけポスト・ケインジアンはどの
ような立ち位置にあるのだろうか。例えば、サミュエルソンなどがリードした新古典派総合も
加わるであろうし、実際かれらは自分たちをケインジアンと思っている。では何が真のポスト・
ケインジアンと「バスタード(まがいもの)」を区別する点なのか?
(1)経済の全体的な枠組みを完全雇用を前提に対し、ケインズとポスト・ケインジアンは、
非自発的失業は資本制経済ではふつうに起こりうるとし、経済の活動水準を決める要因は、
将来が不確実な下での企業の投資決意、投機筋の「強気」や「弱気」、企業の財務構成、
中央銀行の金融政策など、きわめて多面的で有機的と考える。
(2)つぎに教科書的な貨幣供給の外生性と流動性選好理論を中心とする貨幣需要の組合せに
代わるものとして、金融動機を介在させた景気と貨幣供給の内生性の関係が議論され、企
業の投資と財務構造の変化をヘッジ、スペキュレイティヴ、ポンチの三段階で説明し、景
気との関連を検討するケインズ的ミンスキー理論もある。
(3)ケインズ自身はレッセ・フェールが失業を解決できない原因を主に貨幣的側面に見たが、
分配や産業間の技術関係など、もっと実物的観点から社会的・構造的問題に取り組んだス
ラッフィアン、オリカーディアン-スラッフィアンの多部門生産理論の特徴は線型の生産
構造にある。
『一般理論』出版から70年以上経た今日、正統派からは無視された感すらあったケインズは、
今回の金融恐慌で図らずも完全復活しているとされるが、複雑系経済学(あるいは進化経済学)
と相互浸潤(なんともレーニンばりの表現だが、多分に現代的なデジタル物理学の反映をもっ
て)の状態下にあるかのようだが、経済システム特性として複雑系の前提を箇条書きするとな
れば、以下の三つのシステムの時間変化・連結・構成個体の生存に関する条件が組み込まれつ
つあるとでも表現できよう。
(1)時間特性 経済の状況は、ゆらぎのある定常過程としてある(ゆらぎ)。
(2)連結特性 経済の諸変数は、緩く連結されている(ゆるみ)。
(3)個体特性 経済の個体(主体)は、生存のゆとりを持っている(ゆとり)。
※ここで最後尾の節のみをわたしの包括的な考察のまとめとして掲載する。
【ケインズ経済学の現在化】
以上、複雑系と新経済学である計量経済学の関係と新経済学とケインズ主義について大急ぎで
俯瞰してきた。ここでは新自由主義批判とケインズ主義の系譜をたどり未来志向の展望につい
て、ポール・デヴィッドソン著、小山庄三・渡辺良夫訳 『ケインズ・ソリューション-グロー
バル経済繁栄の途』を基に考察を進める。
- 政策に影響を与える思想の力
- 21世紀最初のグローバル経済危機を引き起こした思想と政策
- 将来を「知る」ために過去のデータに頼ること-資本主義システムにっいての古典派の考え
- 1ペニーの支出は1ペニーの所得になる-資本主義経済と貨幣の役割に関するケインズの考え
- 国債とインフレーションについての真実
- 経済回復のあとに改革を
- 国際貿易の改革
- 国際通貨の改革
- ケインズも誇りに思うような文明化された経済社会の実現に向けて
- ジョン・メイナード・ケインズー簡潔な伝記
- なぜケインズの考えがアメリカの大学で教えられることがなかったのか
【なぜケインズの考えがアメリカの大学で教えられることがなかったのか】
ポール・デヴィッドソンはこの著書『ケインズ・ソリューション-グローバル経済繁栄の途』
の補論として「なぜケインズの考えがアメリカの大学で教えられることがなかったのか」を付
け加えている。このみだし見た瞬間ここからはじめようと。ケインズの思想がゆがめられた理
由は二つだという。ひとつは反共主義というタブーであり、もうひつとは無知という極めてシ
ンプルな理由からだ。それではそれを見てみよう。
かつてある賢人は「古典」を、「すべての人が引用するものの誰も読み解いていない
本」と定義したことがある。そこからすると、ケインズの1936年の著書『雇用・利子
および貨幣の一般理論』は,経済学の教科書ライターや教授にとって、間違いなく古
典である。第2次世界大戦後の数十年間、経済学者たちは、経済理論や経済政策にお
けるケインズ革命について語った。しかしながら、自らをケインズ革命の熱烈な支持
者と名乗ったこれらの経済学者が論じたことは、貨幣を使用する市場志向の資本主義
経済の運行についてのケインズの分析とはなんの関係もないものであった。この拙論
で明らかにするように、現代の最も権威ある大学の経済学の教授やベストセラーとな
った「ケインジアン」の教科書の著者たちのだれひとりも、ケインズの分析的枠組み
を理解していなかったのである。このケインズとなんの関係もない分析を「ケインジ
アン」として押し通す、見え透いたごまかしは、1970年代まで続いた。そしてこのと
き、石油輸出国機構(OPEC)の生産した石油の価格急騰に誘発されたインフレの問題
が明らかにしたのは、ケインズの商品インフレーションや所得インフレーションにつ
いてなんらの知識も持っていなかった当時の著名なケインジアンたちが、そのインフ
レと戦うための適切な政策を提供することができなかったということである。自由市
場の唱道者たちは、これらのケインジアンが格好の攻撃目標であることに気付き、か
れらのケインジアンの政策論議と認められていたものを論破してしまった。学界にお
いて、自由市場論者の勝利はあまりにも完璧であったので、学生たちは、古典派の効
率的市場理論家たちが、資本主義経済の欠陥やこれらの欠陥を克服するうえで政府が
積極的な役割を演じる必要がある旨のケインズの批判を、永久に葬り去ったと信じる
よう教育された。1970年代における古典派理論の明らかな復活と神格化は、実際はす
でに死滅していた理論の蘇生というわけではなかった。経済学界の主流派のリーダー
や有力な学者たちは、ケインズの分析を理解していなかった。ケインズがその革命的
な貨幣理論を発表したのとほとんど同時に、それは2つの理由から流産させられてし
まった。第1に、主流派の経済学の教授たちは、失業についてのケインズの説明が、
失業問題を流動性に対する欲求と金融市場の働きという文脈の中に置く分析というよ
りはむしろ賃金・物価の硬直性を必要としていると信じたことである。第2に、第2
次世界大戦直後の数年間米国内にはびこっていた反共主義の風潮(マッカーシズム)
が、ケインズの真のメッセージのどのような形での教育をも妨げたことである。
ポール・デヴィッドソン著 小山庄三・渡辺良夫訳
『ケインズ・ソリューション-グローバル経済繁栄の途』
ケインズの著書が経済学の古典である理由
ケインズの分析が、主流派の経済学者たちの現実世界を説明するための理論を打ち立
てる方法を変革することに最終的には失敗したとしても、かれは驚かなかったであろ
う。ケンブリッジの経済学者である。オースティン・ロビンソン(Austin Robinson)
は、1971年4月22日の英国学士院での自らの院長就任講演の中で、ケインズの『一般
理論』の未発表の初期の草稿を引用して、ケインズは次のように書いていると述べて
いる。「『経済学においては、あなたは、自分の反対者を間違っていると決めつける
ことはできません。あなたはただ、かれにその誤りを悟らせることができるだけです。
そしてたとえあなたが正しくても、……もしかれの頭がすでに反対の意見で満たされ
ていて、あなたがかれに投げかけているあなたの考えを理解することができない状態
にあるのならば、……あなたはかれにその誤りを悟らせることさえできません』」。
ケインズと同じ世代の経済理論家たちのみならず、この拙論で明らかにしているよう
に、ノーベル賞受賞者のミルトン・フリードマンやポール・サムエルソンのような第
2次世界大戦後のケインズより若い経済学者たちも、かれらの頭の中が反対の古典派
理論の見解で満たされていたため、ケインズがすべての聴き手に投げかけていた考え
を理解することができなかったのである。
ポール・デヴィッドソン著 小山庄三・渡辺良夫訳
『ケインズ・ソリューション-グローバル経済繁栄の途』
この項つづく
【INTERMISSION】