極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

やがてぼろがでる

2013年03月02日 | 時事書評

 

 

 

  

 

【付録 『日本の新自由主義 』  渡辺治】

翻訳者の渡辺治名誉教授がこの本の付録でこう述べている。「二〇〇六年九月、日本の新自由主義改革を急進的
に推進した小泉政権が退陣して、安部晋三による新保守政権が誕生した。日本の新自由主義が新たな局面に入っ
たことは明らかである。こんなとき、ハーヴェイの新自由主議論を読者に提供できることは、極めて時宜にかな
ってい
る。」と。いま、アベノミクスを引っさげ、第二次安部政権が誕生したまさに、時宜をえて再評価できる
機会を得たことに天意がわが身を貫いたかのようだ。



  
実は、日本で新自由主義改革を遂行するには、自民党一党政権は極めて不都合な体制と化していた。自
  民党政治の安定は、周辺部に対する利益誘導型政治によって支えられていたが、新自由主義のための周
  辺部の切り捨ては、自民党支配体制を直撃するために容易には実現できなかったからである。また、自
  民党一党政権の下では、政権が新自由主義改革を強行して不信任が突きつけられる場合には、社会党を
  中心とする連合政権に政権が移動することになりかねなかった。リクルート疑獄の暴露に加え、消費税
  と農産物自由化によって、一九八九年七月の参議院議員選挙で自民党が大敗北したことは、こうした仮
  定が決してあり得ないことではないことを示していた。
  
  新自由主義のために周辺部の切り捨てが求められても、こうした危険性がある下では、改革の強行はお
  ぽつかなかった。サッチャーやレーガン政権のそれに比して、日本の新自由主義がジグザグを余儀なく
  されたのは、新自由主義の攻撃対象が、ほかでもなく既存の自民党政治そのものであったからである。
  こうしたディレンマを解消するには、中選挙区割を小選挙区割に変えて保守二大政党制を構築する以外
  になかったが、政治改革はそれをめざしたのである。

  こうして、政治改革が「日本の真の民主主義」「自民党一党独裁政権の打破」「二大政党体制による政
  権交代のある民主主義」というスローガンのドに始められた。マスコミは全面的にこれに肩入れした。
  奇妙なことに、体制側の政治学者は、必ずしも一元的に政治改革賛成の論陣を張ったわけではなく、い
  くぶん懐疑的であった。中選挙区割下での自民党政治の活力と安定性への未練であった。むしろ、「
  翼」的、「リベラル」な学者が、政治改革の論陣の先頭に立った。彼らが新自由主義運動に巻き込ま
  たのは、先に言った日本の知識人の反官僚主義と、「
諸悪の根源は自民党一党政権」という誤った認
  であった
。こうして、戦争や革命というような政治危機の時でなければ実現できないような政治改革が
  強行され、日本の新自由主義が開始されたのである。


                        デヴィッド・ハーヴェイ 渡辺 治 監訳「付録「日本の新自由主義」 
                        (『新自由主義-その歴史的展開と現在 』より)

 
これはある意味で説得力のある言葉である。なにを言おう、このわたしも、リベラルなモダンから構造主義のポ
ストモダンを含めて体制批判していたわけで、一旦は二大政党制が蜃気楼のごとく実現し、リアルな逆プラザ合
意的な円高、サブプライムローン禍、千年に一度の東日本大震災、今後、百年は続く福島第一原発禍(この背景
に独占事業体の新自由主義的コストカット運動の影響?)、パックス・アメリカーナ体制弱体(尖閣列島問題に
みられる中国の台頭)などの激震の元で
敢えなく民主党政権が瓦解するのだが、これが果たして「誤った認識」
であったかどうか保留が付く。そこで、「ハーヴェイの新自由主議論の問題提起群」を確認する。(1)全世界
で進行するひとつの世界体制、ひとつの現代資本主義時代という観点のそれ(新自由主義)であり(2)地域的
不均等性あるいは異なる内的要因を認めた上で、階級権力の復興、創設という共通する狙いの保持(3)グラム
シにならい、それは、国民の「同意」の契機を重視し、大衆的同意の形成を準備し(4)また、それは市場原理
主義の理論レベルでなく、理論と階級権力の再興の実践の両側面として捉え(5)一九七〇年代末以降の新自由
主義の展開のもと、実践と理論の双方を備えた「新自由主義国家」が成立する(6)新自由主義の「地理的不均
等発展」を強調し(7)新保守主義を新自由主義の矛盾に立脚する思想として(8)最後に、それが標榜する資
本主義経済発展をもたらさず、それどころが矛盾したものだったというものである。以上のことを踏まえ、ハー
ヴェイは世界の新自由主義への流れの始期を一九七八年に置き、七八年について「未来の歴史家は、一九七八~
八○年を、世界の社会経済史における革命的な転換点
とみなすかもしれない」としているが、日本の新自由主義
への移行ギャップの遅れ大きく、ならば、自民党利益誘導型政治の低効率産業保護主義的性格の検討を始めなけ
ればならないと渡辺は主張し、遅れたり理由は(1)新自由主義化の原動力となる資本蓄積の危機が、八〇年代
の日本では現出していなかった。(2)日本の資本が〈開発主義体制〉に守られて、輸出主導型成長を遂げた結
果、日本資本のグローバリゼーションが遅れたという二点の仮説を挙げる。以下、遅れの理由の歴史的特徴を次
のようにむすんでいる。そして、文頭の「自民党一党政権の打破と「政治改革」」というテーマへと続き「新自
由主義化と帝国主義化の併存」へと論点を移す。


  ハーヴェイは、一九六八年の運動が、学生運動の掲げる「自由」と伝統的左翼の掲げる「社会的公正」
  というアンビバレントな要求を合わせ持っていたのに対し、新自由主義がそれを分断して、「自由」の
  要求を新自由主義への合意調達に吸い取ったと指摘したが、戦後日本では、左翼そのものの中に「自由」
  「民主主義」と公正・平等の要求が同居していた。それだけに、日本では、「自由」「民主主義」がよ
  り強く新自由主義の合意調達の挺子となったのである。たとえば、九〇年代に新自由主義改革を主導し
  たイデオローグである野口悠紀雄は、日本の現状は戦時国家総動員体制下で作られた国家的規制下に置
  かれていると主張し、こうした官僚国家の保護・規制は日本経済の高度成長を支えてきたというが、実
  はそのようなことはなく、むしろこうした規制は、高度成長下で没落する不効率部門の保護による社会
  的対立の緩和に役に立っただけであり、今こそ、こうした規制と保護の体制を脱し農業や流通業、サー
  ビス業などの低生産性部門を切り捨てなければ日本経済の将来はない、と主張した。また、経済同友会
  は、新自由主義改革の正当性を次のように、反官僚主義という点に求めたが、これも、左翼の認識に触
  れ合うところが少なくなかったのである。「欧米の近代化は市民革命を経て、『民』主体で進められ、
  
市民社会の上に近代国家が形成された。ところが日本では、近代民主主義国家の前提となる市民社会が
  十分に育っていなかった。そのため官主導の形で『上からの』近代化が進められた。形のうえでは民主
  主義国家であったが、実態は『宿主主義』だったのである」。


                 デヴィッド・ハーヴェイ 渡辺 治 監訳「付録「日本の新自由主義」 
                        (『新自由主義-その歴史的展開と現在 』より)


さらに、日本の新自由主義化の大きな特徴が、日本の新帝国主義化と併存し、他の先進帝国主義各国の新自由主
義化
にはなく、日本とドイツに固有の特徴だとした上で、〈開発主義国家〉の再編を求める新自由主義要求と並
び、戦後国家のもう一つの柱の小国主義を変更し、帝国主義復活を求める動きが台頭しているとしつつ、支配階
級が九〇年代に新自由主義と帝国主義化の二つの改革を同時に遂行することを求められることとなったことは、
(1)日本の知識人の近代主義要求と親和的な、反自民党政治・反官僚主義を掲げるかぎり、上層市民層のみな
らず広汎な中間層の動員を可能とするが、帝国主義復活、あるいは軍事大国化は、国民全般の強い反発を引き起
こし、帝国主義復活反対の声が、新自由主義への警戒と結びつき支配転覆されることの恐れによる困難さがあり、
(2)新自由主義が帝国主義に不可欠の深い国民統合を掘り崩し、統合基盤を脆弱化せざるを得ず、帝国主義に
国民を動員し、帝国主義化に同意を調達しようにも、新自由主義改革と新自由主義国家は、蓄積体制の再建に、
帝国主義の安定した国民統合とその中核をなす労働者階級への階級的妥協を解消のリスキーさに躊躇せざるを得
ず、日本の場合は戦後復興から高度経済成長遂げ、生活水準の豊かさの飽和時点で帝国主義化を始めざるを得な
いという困難は倍加すると分析する。そして、日本の新自由主義改革は、既存国家体制の再編の「政治改革」と
いう過程を経て開始し、九〇年代初頭から九六年の橋本内閣までの第一期、橋本政権により本格的新自由主義改
革がはじまった第二期、橋本政権の崩壊から森政権までの第三期、そして小泉政権の第四期と、大きく四つの時
期に区分出来るとし(この新自由主義化の大きな特徴は、他の先進国のそれが、労働組合運動と労働者政党政治
を否定して進められた反面、自民党政治を自己否定して進められことの困難さと遅れは不可避だったとふり返え
る。



  第四期、新自由主義の急進的実行政権としての小泉時代 こうして、財界など支配階級と大都市市民上
  層の新自由主義への期待を一身に担って、小泉政権が登場した。小泉は、支配階級の熱望に応えて新自
  由主義改革を強行したばかりか、ハーヴェイのいう「新自由主義国家」を完成に近づけた。
小泉政権で
  は、不況期にもかかわらず財政支出が厳しく抑制された。新自由主義の理論の教科書通りの実践であっ
  た。しかし同時に、不良債権を抱えて危機に瀕した銀行救済のために、多額の国家資金が投入された。
  新自由主義の理論に忠実にしたがい銀行倒産をもたらした橋本内閣と異なり、金融機関救済のためには、
  理論は一顧だにされなかった。ハーヴェイが強調する、「新自由主義の実践はしばしば理論をいとも簡
  単に歪曲する」という格好の実例であった。
また小泉政権下では、特殊法人さらには郵政民営化をはじ
  め公共部門の民営化か容赦なく推進され、民間に巨大な市場が提供された。
さらに、銀行の不良債権処
  理の強行を通じて、銀行が資金を役人してきた地場産業や低効率産業の淘汰と、多国語企業本位の産業
  構造の再編成が強行された。多国語企業の競争力強化のための体制がつくられたのである。
こうした新
  自由主義の急進的実行に加え、小泉政権は、ハーヴェイのいう「新自由主義国家」づくりに力を割いた。
  ハーヴェイがいうように、新自由主義は、その理論とは裏腹に意思決定の集権化を進めざるを得ない。
  小泉政権
は新自由主義改革を推進するために、政府の政策決定に際して不可欠の手続きであった党執行
  部との事前調整や省庁との調整など、既存自民党政治のもっていた分権的、ボトムアップ型の政策決定
  システムを改変し、「官邸主導」「首相主導」の名の下、決定をひと握りの執行部の手に集中し、改革
  を強行する体制をつくったのである。こうして、小泉政権下で新自由主義は一気に進行し、大企業の競
  争力強化による景気回復が実現した。しかし、その当然の結果であるが、既存社会の安定は崩れ、社会
  統合の破綻が顕わになった。「格差社会」「ワーキングプア」という言葉が普及し、犯罪の増加、家族
  の崩壊などが社会問題化した。こうした社会統合の破綻に対処すべく、小泉政権下で新保守主義が台頭
  した。ハーヴェイのいう通り、新保守主義は新自由主義による矛盾の顕在化の所産として台頭したので
  ある。

 

                  デヴィッド・ハーヴェイ 渡辺 治 監訳「付録「日本の新自由主義」 
                        (『新自由主義-その歴史的展開と現在 』より)

 


さて、最後に、渡辺は新自由主義の帰結の特殊性にふれて、日本では新自由主義改革がヨーロッパ各国の新自由
主義の帰結と比べて、はるかに深刻な社会統合の解体と社会の分裂をもたらしていると指摘し、新自由主義の社
会への打撃がはるかに大きく、日本が
福祉国家を経てその再編のなかで生まれたものではなく〈開発主義国家
を経て、その再編によって生まれたものであるという点からくる特殊性である。〈開発主義国家〉の社会保障や
所得再分配は福祉国家のそれに比べてはるかに脆弱であり、分立的であり非制度的なものでもあり、日本では労
働者階級やその家族は新自由主義の破壊的な影響をもろに受けやすい。それゆえに、
新自由主義に対抗する社会
運動や思想が成長が弱く(むしろ現在までのところ、新自由主義の破壊的結果の大きさに比べ、対抗運動の盛り
上がりや対抗構想の具体化は遅れている)、対抗する政治的経験が蓄積されていないのが原因であるとする。ヨ
ーロッパ福祉国家の場合では、オルタナティブとして福祉国家経験がバネになる歴史的蓄積があるが、日本では
自民党抵抗勢力が体現した公共事業投資の利益誘導型政治しか示されていない。旧来型の福祉国家の構想以上に、
グローバリゼーションと新自由主義の前では対抗軸たりえず、
こうした対抗軸を考えるうえで、ハーヴェイのい
う権利論の両義性が参考になったという。そして、「日本では、とりわけ近代主義のイデオロギー的影響力が強
く、これが新自由主義への同意調達のイデオロギーとなってきたからである。こうした近代主義と人権論は、新
自由主義の理論には親和的であるが、それにもかかわらず、それが新自由主義の実践と衝突した場合には、力を
発揮し、反新自由主義運動に合流する可能性があることは注目しておかねばならない」とむすぶ。

これで一通り、新自由主義をトータルに俯瞰する視座がえられた。個人的な経験から労働・生活運動(企業内組
合運
動、地域住民運動、消費者運動、環境研究、技術者運動、技術革新事業、政治運動)から、それも極めて特
異な環境?で活動してきたのかもしれないが、「新自由主義」に対する親和性はいまも強い。そのことは「国民
経済の資本蓄積としての公共事業推進」「民営・民間化の推進」「歴史的自由貿易主義の世界展開」「所得格差
縮小・所得分布ひずみ・偏り是正」「持続社会の実現」「反戦平和」そして「アイデンティティ・ポリティクス
(人権問題など)の横軸を貫く、新自由主義との価値観の共有もできると認めた上で、理念や理論の確認は怠ら
ぬように心がけ、「頭でっかち」にならず、「過剰な期待や失望や思いこみ」を諌めつつ、「広がりと時間軸を
もちながら」問題解決への模索を怠らず事態を展望して行きたいと考えている。その意味では新自由主義だけで
なく、デヴィッド・ハーヴェイや渡辺治らの考えも充分に共有できるところがある。


※アベノミクス、福島第一原発禍、震災復興、日米同盟、TPP参加、憲法改定、民営民間化促進、帝国主義・
 軍国化、未来国債(グリーン国債)、教育改革、一次産業の高次化など現体制の舵取り如何では、ぼろがでて
 きそうだし、現実に原発再稼働発言や日米経済協議(第三ラウンド)などのほころびも見えてきた。

                                           この項つづく
 

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