『PINK MARTINI & SAORI YUKI 1969』が話題になっていたことは知って
いたがテレビインタビューで由紀さおり自身が、Jポップと演歌の狭間
で埋没している歌謡曲が世界に受けた理由について「なぜかわからない」
と答え、プロデュースしたピンク・マルティーニのリーダー、トーマス・
ローダーデールは「世界に共通する旋律がある」と語っていた。また「
両者の出会いは、ピンク・マルティーニのリーダーでありピアニストの
トーマス・M・ローダーデールが、地元ポートランドの中古レコード店で
由紀さおりのファーストアルバム『夜明けのスキャット』(1969年発売)
のアナログ盤(レコード)を発見したことがきっかけだとか。ジャケッ
トのヴィジュアルに魅かれたというトーマスは、由紀の透明感のある歌
声に魅了され、2007年発売の彼らのアルバムで、由紀さおりのアルバム
収録曲「タ・ヤ・タン」を日本語でカヴァーしていた。2009年、YouTube
にUPされたこの楽曲のLIVE映像を偶然由紀さおりのスタッフが発見、コ
ンタクトを取ったことから、国境・世代を超えた交流が始まった・・・
日本の歌謡曲が遂に世界に轟く楽曲として、広く深く浸透し始めている。
日本の音楽史が世界からリスペクトを受ける時代がついにやってきたの
だ」(BARKS/2011-10-12)と紹介している。
ここで、気になることが2つある。その1つとは、そもそもピンク・マ
ルティーニ的手法とはいかなるものなのかということだ。これは彼らの
音楽を見聞きして判断するしかない。そこで、ユーチューブで見聞きし
してみて浮かんできた言葉が「ビザンチン」であり「モザイク」という
もので、本来的な黒人音楽であるジャズバンドから乖離した中南欧風な
文化が漂う音楽のように聴こえる。それは決して「世界からリスペクト
を受ける時代がついにやってきた」という意味の程ではなく「東洋(異
国)嗜好」(エキゾチック)という意味程度に了解したが、「タ・ヤン・
タ」の女性ボーカルの歌を聴いて、テレサテン(麗君)ではないかと
思うほど歌の響きや情感が似ていると思った。
もう1つは、英米音楽(ジャズ、ロック、リズム&ブルース、フォーク、
フュージョン、シャンソン)から影響を受けた若者達が日本独自の音楽
領域、和製フォーク、ニューミュジック、Jポップス(非欧米化)の確
立に至る基礎として戦後の日本歌謡曲が大きく影響しているが、近年、
ブラックミュージックのラップなどにみられる、律動中心の無旋律の流
れが浸透し、それへの反動とまでは言えないまでも歌詞、旋律に重きを
なそうとする流れが起きつつあるのではという印象を受ける。
恋争ひの三山も 粧へる
黛 まどか
平壌宮後あめに暮れたり旅をきて
ここに立つわれこそはまほろば
小島 ゆかり
そういうことで、日本の歌謡は豊饒であると腑に落とす。それは軽々な
“リスペクト”とは無縁の豊饒と了する。