極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

沙羅双樹と首都決戦

2009年07月11日 | 時事書評



沙羅双樹鶴群落下 赤涙の老馬帝都に駈け行かんとす 


 
  ファイル:LocationLibya.png

南イタリアの旅行中考えていたのだが(『麦藁菊はマジカ
ルミステリーツァー
』)、環地中海構想?のキーカントリ
のリビアに興味をもっていたが、7月10日時事通信によ
ると「オバマ米大統領は9日、イタリア・ラクイラ主要国
首脳会議(サミット)の会場で、リビアのカダフィ大佐と
初めて握手を交わした。米国とリビアの関係改善を象徴す
る出来事と言えそうだ。オバマ大統領とカダフィ大佐は、
夕食会前の集合写真撮影の際、歩み寄って握手を交わした。
同大佐はアフリカ連合(AU)議長として、主要8カ国(G
8
)とアフリカ諸国の会合などに出席するため、ラクイラ
訪れていた」と報じた。 



リビアの国旗 リビアの国章
 『緑の書』

さすが、カダフィとオバマだ。そういえば「大リビア・ア
ラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国」(それにしても、
長い国名だ)の国旗は緑一色、カダフィの聖書の『緑の書
もある。オバマの政策もグリーン・ニューディール。嘗て
カダフィは「リビアの狂犬」と侮蔑されていた。歴史とは
なんとも皮肉というか実に面白い。




国名の は、ギリシャ神話に出てくる、エパポス (Epaphus)
とメンピス (Memphis) の娘、リビュエ (Libya) のことで、
ポセイドンの愛人。そこから古代ギリシアでは、ギリシャ
から見て海の向こう側である北アフリカの地中海沿岸地域
(エジプトより西)をまとめて Libyaと呼び、さらにこの言
葉は、アフリカ大陸全体を指す場合もあったが、やがてこ
の名は消えた。

 Official seal of Paphos 

その後、現在のリビアの領域は、北西部が首都トリポリの
名をとってトリポリタニア、北東部がキレナイカ、南部内
陸部がフェッザーンなどの地域から構成、16世紀にこの地
を併合したオスマン帝国はこの地域全体を西タラーブルス
州としていたが、1911年にイタリアがオスマン帝国からこ
の地を奪った際に、古名を復活させリビアとしたとか。な
んとも沿岸部は共同体同士の紛争が絶えない地域だ。何だ
かんだといっても日本は平和、これ実感。


ムアンマル・アル=カッザーフィー  Mu'ammar Muhammad al-Qadhāfī, 

 ファイル:Flag of the UNIA.svg Pan-Africanism

なぜ注目するかについては嘗てブログでも掲載したがその
キーワードがサハラ砂漠。これは太陽エネルギー宝庫であ
り砂漠化を人類がどのように制御するのかの試金石ともな
る。ここで得られた変換エネルギを欧州に供給するエネル
ギーライン及び緑化整備(レバノン杉復興運動)を10ヵ
年計画で実現する。汎イスラム主義⇒汎アラブ主義⇒汎ア
フリカ主義⇒汎地中海主義(アフリカ+欧州+中近東)名
付けて「新ブバルス計画」(『茶の花とシチリア記Ⅵ』)。

ファイル:Shorea robusta.jpg



ナツツバキ(夏椿、学名:Stewartia pseudocamellia)はツバ
キ科ナツツバキ属の落葉高木。別名はシャラノキ(娑羅樹
)。仏教の聖樹、フタバガキ科の娑羅双樹に擬せられ、こ
の名がついたといわれる。原産地は日本から朝鮮半島南部
にかけてであり、日本では宮城県以西の本州、四国、九州
に自生し、よく栽培もされる。樹高は10m程度になる。樹
皮は帯紅色でツルツルしており、花期は6月~7月初旬であ
る。花の大きさは直径5cm程度で、花びらは5枚で白く雄し
べの花糸が黄色い。朝に開花し、夕方には落花する一日花
である。




無憂樹 (マメ科)は釈迦が生まれた所にあった木、印度菩
提樹 (クワ科)は釈迦が悟りを開いた所にあった木、娑羅
双樹 (フタバガキ科)は釈迦が亡くなった所にあった木。
釈迦がクシナガラで入滅(死去)したとき、臥床の四辺に
あったという、4双8本の沙羅樹。時じくの花を咲かせ、た
ちまちに枯れ、白色に変じ、さながら鶴の群れのごとくで
あったという。





あすは都議会選挙日、時代は大きく変わろうとしている。
「官僚と世襲」と決別し、体制のレジームチェンジの時。
先日の献湯式、釜の湯量が足らず巫女から「足らずは間に
合わない、過ぎるは易し」と諭されたように、体制変換時
の手法は積層方式(ボトムアップ)より彫刻方式(トップ・
ダウン)の方が良い。新時代に向けての「体制変換」から
「立法整備」、そして「分権整備」という新旧体制の交代
の戦いがある。瀕死の老馬(老人)が沙羅双樹の下で、落
日の首都の議会場に向け、駿馬(若者)とともに馳せ参じ
たいと漢詩風に詠う。
ヒンディー語ではサールと呼ばれる。
日本語の「シャラ」または「サラ」の部分はこの読みに由
来している。涅槃図にもよく描かれている。平家物語にち
なむ「サラソウジュ」。花言葉は「高貴」。

コメント
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