転車台の回転を見た後、ガイドさんが扇形車庫および鉄道整備工場の説明を続けました。それによると、扇形車庫は上図のように現在では1番から4番までの4線分であるが、創建当時は6線分であったそうです。つまり、転車台から見て右側の2線分が後に切り縮められているわけです。車庫そのものは総木造で、庫内に下る柱数を抑えるための独特の強固な架構が特色です。
扇形車庫の南隣には整備工場があり、その入口付近にスペアとみられる車輪が4つ置いてありました。いずれも踏面およびフランジ部分が鏡のようにピカピカ光っていて、長いこと使用されたことを物語っていました。
整備工場の見学は入り口から覗きこむだけでしたが、個人的にはとても興味があり、大変参考になりました。いま製作中のガルパン戦車工場は、フェニックスの鉄道工場のキットを使用しており、屋根の高い点や建物内の雰囲気などが似ています。工場内に置かれる備品や工作器械などの様子も、戦車工場のそれと大して変わらないようなので、見るもの全てが参考になりました。
続いて、扇形車庫に収容されている4両の車輌について説明するガイドさん。
説明が終わった後は約20分の自由見学タイムとなりました。とりあえず転車台を近くで見て撮りました。私は京都の梅小路機関車区でも何度か転車台を見ていますが、あちらは大型なので、こちらの転車台が可愛らしく見えました。
この転車台は、現在は電動で回転しますが、建設当時は手動での回転でした。蒸気機関車が運行されていた時期は、天竜二俣駅のほかに掛川駅、金指駅、豊橋駅にも転車台があったそうです。
続いて扇形車庫の北側の倉庫部分を使用している「鉄道歴史館」に入りました。
内部は三つほどの部屋に仕切られていて、奥の部屋が最も広いです。それぞれに数多くの収蔵品が並べてあり、昭和15年の国鉄二俣線開業いらいの長い歩みを見て知ることが出来ます。
国鉄二俣線当時の各駅の駅名標です。ホームではなく駅舎に掛けるほうの駅名標です。上図左の「佐久米」は現在の浜名湖佐久米駅の旧名です。
国鉄二俣線が天竜浜名湖鉄道に転じたのが1987年、つまりは昭和62年。当時の私は大学生でした。
数多くの展示品は、いずれも鉄道ファンにとってはたまらないものばかりでしょう。
かつて運行していた蒸気機関車の大きな模型も展示されていました。
鉄道歴史館内の一番奥から入口の方角を見たところです。
色々ありましたが、見学時間が限られていましたのでゆっくり見ることが出来ず、写真を撮るのが精一杯でした。駅内見学ツアーの枠内で公開しているから仕方ないのでしょうが、こういう展示施設は常時公開してゆっくり見られるようにしてほしいと思います。
見学ツアーの終了タイムが近づいてきました。見学ツアーはだいたい40分から45分で行われますが、これだけの施設群と展示資料を見て回るには短すぎます。せめて一時間ぐらいはあればな、と思いつつ、ガイドさんに導かれてもと来たコースを引き返しました。いつか再訪の機会があれば、もう一度見学ツアーに参加したいと思います。 (続く)