塗装が完了した状態です。陸上に上がった場合の姿です。
そして、海上にて航行中の状態です。劇中車はこの姿のままで陸にあがって密林内の追撃戦に移っています。西原の搭乗車は前部フロートを失いましたが、もう1輌は上図と同じ完全な姿で活動しています。その車長が誰かは分かっていませんが、無限軌道杯に参戦した知波単学園チームの10輌のうちの9輌までの車長が登場している流れをふまえますと、第3話にて2輌目のカミの車長も登場するのかもしれません。
公式キットですのでデカールも全て付いています。上図のように、前部フロート左側の前端に1枚を貼りました。
左側面に1枚貼りました。迷彩塗装は、このデカールの貼り位置をあらかじめおさえておいて塗りましたから、デカールとの重なり具合もなんとか劇中車に合わせることが出来ました。
後部フロート背面に1枚。向かって右側に位置するのは、前部フロート前端と同じです。
右側面の1枚。側面の校章の位置は左右対称です。土地色の帯状迷彩のデザインが左右で異なるため、校章の位置も左右でズレているように思えてしまいますが、この車輌に関してはきっちり左右対称です。
前部フロートを外した後の車体前面の1枚を貼りました。その貼り位置はモデルグラフイックス2019年9月号50ページの劇中キャプチャー画を参考にしました。劇中車は前部フロートを吹っ飛ばされていますが、後部フロートは付いたままであるため、第2話の段階では後部フロートを外した後の車体背面の校章の有無は明らかになっていません。
ですが、フロート装着状態にて艇の四面に1枚ずつ貼られてあることにより、フロート分離後の艇本体でも四面に1枚ずつ貼られている可能性が高いと思います。今回の製作では後部フロートを接着固定したため、車体背面の校章に関しては悩む必要がありませんでした。
以上でデカール貼りを終えました。薄くつや消しクリアを吹き付けて仕上げました。
残るは弾薬箱の製作ですが、これは艇内に入れるので、上図のような完成状態では弾薬箱は見えませんので、後で機会をみて追加製作することにしました。
Sさんによれば、カミの弾薬は全て木箱に詰めて艇内の床に並べてあったそうです。弾薬を消費したあとの空箱は、再び使うので帰港後に陸揚げして、補給部に返却したそうですが、それまでは木箱を三つほど連結してロープで縛っておいたそうです。
「・・・つまりですな、万が一やられて撃沈されたときに、木箱が救命具代わりになるわけです。三個ほどまとめて縛っておきますとね、大きな浮き箱になって浮力も増しますからね。そういうのを空箱が出る都度に作っておくのが、作業の一つでしたね・・・」
沿岸区域や浅瀬での航行および上陸戦を想定したカミにおいては、救命具の必要が無かったためか、一切装備されていなかったそうです。しかし、パラオ方面では多くのカミが内火艇として海上にて作戦行動したため、被弾時の救命装備が必要となり、弾薬用木箱の空箱を臨時に浮き輪代わりに使用する、という方法が採られていました。
これは海軍の内火艇や小船舶においては一般的な方法でもあったそうですが、カミの場合は軽量化のために最低限の装備しか備えず、他の戦闘車輌には付いている砲弾ラックや弾薬棚がありませんでした。そのために弾薬は木箱に入れて積み込んだのですが、その木箱が戦闘中はほとんど空になるため、これを救命具代わりに使ったわけです。
ちなみにSさんの艇では、配備時には37ミリ砲弾6発ずつを木箱におさめていたそうで、それが22個、総計132発がカミの装備定数であったそうですが、パラオへの移動時には砲弾の生産が間に合わなかったため、15個、90発しか積んでいなかったそうです。
そしてパラオでの戦訓工事によって37ミリ砲を25ミリ機銃に交換した後は、25ミリ機銃弾15発入り扇形弾倉を木箱に4個おさめたのを20箱前後積んでいたそうです。そして7.7ミリ機銃弾20発入り弾倉も木箱に24個おさめたのを6箱から8箱ほど積んだそうですから、出撃時には艇内床甲板は木箱だらけで足の踏み場に困ったそうです。
「・・・それだけ積みますとね、25ミリ弾は1200発、7.7ミリ弾は3000発前後あるわけですが、敵襲一回受けただけで半数以上はパッと使っちゃうんですよ・・・。だいたいは敵機が2、3機でやってきますからね、1機を回避するのに25ミリだと200発は撃つわけです。7.7ミリはそれ以上撃ってますね・・・。戦闘配置においては、操舵と発動機制御に2人がかかってますから、残りの4人で25ミリと7.7ミリの射撃を受け持つ。25ミリは射手と装填の2人で操作して主に前面と側面を担当する。7.7ミリは後部に2挺付けてましたからこれは1人ずつが操って後方を牽制する、という形でしたね・・・」
つまりは25ミリ機銃1挺、7.7ミリ機銃2挺の計3挺がカミの対空射撃の全力でありました。しかしそれで充分であるわけはなく、一度でも敵の掃射を受けると乗員が負傷したりして対空射撃が途絶えてしまい、そこを更に狙われる、といったパターンが多かったそうです。
Sさんの艇も、そのような流れで撃沈されてしまったのですが、その時には残弾がもう僅かしかなかったそうです。それで弾薬箱の木箱も空箱ばかりになっていたのを、発動機制御の機関兵が戦闘の合間に素早くロープでくくって準備していたため、撃沈された時には4セットが出来上がっていて、戦闘で生き残ったSさん以下3人はそれにつかまって艇の沈没を見届けたのだそうです。
斜め前から見ました。堂々たる姿です。外見は完全に船としての形状ですので、車輪と履帯が無ければ、特別車輌であることが分からないだろうと思います。単純に大きさだけをみると、当時の日本軍では最後まで実戦配備がかなわなかった重戦車クラスにあたります。なにしろ、ドイツのティーガーⅡと車長がほぼ同じですから、九七式中戦車などが小さく見えてしまいます。
側面観です。上陸時の地形に合わせて前を高く、後ろを低くした姿勢ですが、上面は水平に造られています。Sさんによれば、内火艇として海上を航行する際には、前部フロートのほうが区画が多くて浮力が大きいため、やや前が持ち上がった状態で波を蹴って進んだそうです。例えれば、モーターボートのような姿勢だったそうです。
もと呉海軍工廠塗装工のKさんが作って下さった、呉海軍工廠の指定塗粧色である「17号色」が劇中車のカラーにほぼ一致することが分かります。緑系の指定塗粧色は5種類あり、濃度が高い順に17号、20号、21号、22号、25号と呼ばれたそうですが、そのうち最も多く使われたのが21号と22号だったそうです。いわゆる外舷21号色、外舷22号色です。現在、模型用塗料でもこの2色は製品化されています。
展望塔および通風筒を外せば、大きな船体に小さな砲塔が乗っているという外観になります。この姿のほうが海上では発見されにくかっただろうけれど、展望塔および通風筒が無いと波が艇内にドンドン入ってしまうので外すわけにはいかなかった、とのSさんのお話でした。
上から見ますと、帯状迷彩が前後で濃淡に分かれています。Kさんのお話では、太平洋戦争末期の帝国海軍の軍艦、艦艇にも似たような迷彩が施されていたそうですが、それは農地の田畑や道を描いて陸地の一部に見せかけるべく偽装したものと、実際の形を識別しにくくする目くらましの一種としての迷彩、の二通りに大別されるようです。前者の例は空母「天城」や「葛城」、後者の例は「瑞鶴」や「瑞鳳」だったそうで、なかでも「瑞鳳」の迷彩が効果があったらしい、とのことでした。
ですが、上図の知波単学園カミの迷彩については、「この迷彩の意図はよく分かりませんね。適当に塗り分けてるだけだろうと思いますね」と話されました。アニメですから、迷彩自体に深い意味も意図も無いのでしょう。
Sさんにこの迷彩について訊ねてみたところ、「実際のところ、戦場にあっては気休めにしかなりませんですよ、我々の艇も海の色に合わせて青緑色に塗ったわけですが、敵は電探(レーダー)を持ってますから、的確にこちらの動向を掴んでおるわけですな・・・。だから敵機も敵潜も襲撃をかけてくるわけです。・・・あの戦いは電探が決めてしまった、とか言われとりますけれど、まさにその通りだったと思います。我々みたいな小さな内火艇でもね、位置を完璧に把握されてしまうんですからね、そりゃもう、片っ端からやられてしまうわけです。こういう複雑な迷彩を施してもね、意味が無かったと思いますね・・・」としみじみと話されました。
かくして、知波単学園チームの特二式内火艇カミが最終章仕様にて完成しました。製作期間は、2019年12月19日から2020年5月16日まででした。帝国海軍のパラオ方面特別陸戦隊のカミ艇長だったSさんの教示および監修によってフルインテリアでの再現を行ない、塗装に関しては呉海軍工廠塗装工だったKさんの教示および指導をいただきました。
製作前の相談や図面作成に約1ヵ月を費やして艇内の基本設計図を描き起こし、キットの組み立てに入ってからも工程ごとにチェックと指導をいただきましたので、5ヵ月あまりを費やしました。組み立ては3月28日に完了し、それ以降は塗装作業にあてましたが、その間はSさん宅に五回お邪魔してパラオでの戦闘体験も伺い、電話での質疑応答に至っては30回を超えました。それぐらいに細かく熱心に御指導いただいたわけであり、本当に感謝しかありません。
おかげで、今回の製作では唯一無二のキットが出来上がりました。外見はガルパンの劇中車ですが、艇内はSさんがパラオで乗ったカミのそれを再現しています。そして塗装はKさんに調色いただいた呉工廠指定塗粧色「17号色」を用いています。私自身も、同じものを再び作るのは無理だな、と思うぐらいに、色々とやり直しの利かない作業工程が多く含まれています。
なので、キット自体はドラゴンの製品、プラッツ発の公式キットですが、今回の製作結果は間違いなく今回だけの特殊なものとなります。それで、これは大変に価値があるだろうということで、ガルパンモデラー仲間の梅原屋のNさんを始めとするガルパンファンの方々に大洗での展示会への出品を強く勧められました。
しかし、その頃にカノウヤ作戦が本格化して曲松カノウヤに常設の展示スペースも確保出来たため、そちらで一定の期間に寄託展示するという方向で準備を進めることになりました。
ですが、突然のコロナ過により、作戦は停滞と中断を余儀なくされました。さらにカノウヤの女将さんが入院してお店も休業という事態となったため、カノウヤ作戦も崩壊してしまい、寄託展示そのものも早期の撤退を図る形になりましたので、今回制作のカミの大洗での展示は、残念ながら断念することになります。
なお、公式キット自体は、そのまま作っても劇中車を再現出来ますので、大変におススメです。組み立て工程も割合に楽な方ですので楽しく組めると思いますが、塗装のほうはガルパンプラモではカバさんチームⅢ号突撃砲と並ぶ複雑な迷彩ですから、それなりの気合と根気が要るでしょう。