気分はガルパン、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

「倉野川」の倉吉をゆく シーズン6の1 「ラーメンと赤碕港」

2016年09月07日 | 倉吉巡礼記

 8月17日、倉吉へ一泊二日の行程で出かけました。ネット上でのコメントのやり取りが契機となって知り合った、倉吉在住のTさんと初めて会うことになり、あわせて倉吉市役所での観光交流課との意見交換会に誘われたためでした。
 今回は三朝町の三仏寺関連の資料なども欲しかったので、朝9時半に三朝町立図書館に立ち寄って図書カードの手続きを行ない、三冊の資料を借り出しました。

 鳥取県内の各自治体の図書館は、蔵書数やサービスレベルに差があるものの、歴史や文化関連の専門書が他県よりも充実していることで知られます。私自身は県内の大半の図書館を利用しましたが、文化財関連の蔵書が充実しているな、と思うのは、鳥取県立図書館を別にすれば、鳥取市立図書館と三朝町立図書館の二ヶ所です。
 倉吉市立図書館は、古い町並みに関連する専門書すらあまり置いておらず、考古関連資料はかなりありますが、美術工芸や歴史民俗の分野では不足が目立ちます。むしろ三朝町立図書館のほうに、その関係の本が多く収蔵されているため、時々利用するならば三朝町立図書館にしよう、と以前から決めておりました。今回のような泊りがけの倉吉行きの際に本を借りて、宿で読んで楽しむのも有意義だな、と考えたのでした。

 それからTさんに連絡して合流場所へ移動、ほどなく初対面の挨拶を交わしてTさんの自宅にも案内していただきました。その後、Tさんのお気に入りの場所であるという赤碕へ連れていってもらいました。

 赤碕とは、中世から近世にかけて伯耆国の主要港であった八橋湊(やばせみなと)のある地域を指します。中世戦国期には守護職山名氏の、江戸期には鳥取藩の、外港として大いに栄えた歴史を持ちます。
 その赤碕へ倉吉から続く街道がいわゆる「八橋往還」と呼ばれたルートで、古代以来の因幡街道の一部を取り込んでいた経緯はよく知られるところです。

 上図は、その「八橋往還」ルートです。現在の県道151号線にあたります。


 30分ほどで、赤碕の国道9号線沿いの道の駅「ポート赤碕」に着きました。20年前に鳥取市から皆生温泉まで湯治に行った際に延々と9号線を走り、途中で唯一休憩で立ち寄った場所でした。そのときの記憶のイメージが全く合わないので、おそらく建物もかなり変わったのだろうな、と思いました。


 まずは、施設内にある牛骨ラーメンの「べんけい」2号店に立ち寄りました。Tさんも、私と同じく牛骨ラーメンが好物だそうです。
 「べんけい」は倉吉駅の近くに本店があり、二度ほど行きましたが、こちらの2号店は初めて知りました。時々、本店が臨時休業になっているときがあり、戸口に決まって「赤碕へ出張しております云々」の貼り紙がしてあって、何のことだろうと疑問に思っていましたが、2号店のことだったんですね・・・。


 店内は満席でしたのでしばらく待ちましたが、その際に店内の「べんけいラーメン」の案内ポスターが目に入り、あれを食べようかということになって、入店時に「牛骨ラーメン」で買ったチケットを変更してもらいました。


 これが、今回いただいた「べんけいラーメン」です。牛骨ラーメンの新メニューかと思ったのですが、そうではなく、普通のラーメンでした。倉吉の本店で食べた牛骨ラーメンとは味が全然違いました。


 食後に施設内でTさんに教えられた、アニメ「琴浦さん」の案内ポスターです。地元琴浦町のご当地アニメ、というように伺ったのですが、後日調べてみると、琴浦町とのコラボは後から追加されたもののようです。
 つまり、2013年1月に原作コミックのTVアニメ化シリーズが全12話で放映された後、主人公の名前が「琴浦春香」であるのに目を付けた琴浦町が連携をもちかけて6月に特別展示を実現、あわせて新連載コミック「とっても琴浦さん」を琴浦町公式ホームページ上に掲載開始し、現在に至っている、ということです。
 私自身は、今回初めてこのアニメを知りましたが、キャラクターやストーリーをとりあえず追いかけてみたところ、広島県尾道市が舞台の「かみちゅ」に似ている感じでした。
 しかも、「琴浦春香」の声が、どこかで聞いたような声でしたので、担当声優さんをチェックしてみたところ、カルバンのカチューシャやホシノを演じている金元寿子さんだと分かりました。

 「琴浦さん」の公式サイトはこちら。琴浦町公式ホームページの「とっても琴浦さん」の記事はこちら


 赤碕港に行きました。久しぶりに日本海のコバルトブルーの水平線を眺めました。付近の海面に洗われていた古そうな石積みは、江戸期の築堤の遺跡の一部だそうです。

 赤碕港は、現在は西側に漁港施設が増設されてそちらが港湾機能を担っています。こちらの古い築堤を伴う港は、かつては「菊港(きくみなと)」と呼ばれ、江戸期には鳥取藩の廻米の積出港として賑わったそうです。すでに中世期に日本海航路の廻船の出入りがあったといい、尼子氏や毛利氏の水軍の拠点になったこともしばしばだそうです。


 「菊港」の石積み築堤は東西に築かれましたが、いずれも現存しており、日本海側に現存する数少ない江戸期の石造波止の遺構として、現在は土木学会選奨による「土木遺産」に指定されています。波止とは、防波堤と船の接岸場とを兼ねたものを指します。

 東の築堤は最近に公園整備が行われ、先端近くには昔の旅姿をあらわした石像「波しぐれ三度笠」が立っていました。


 東の築堤上より、西の築堤を見ました。江戸期の修造ですが、いまも現役で港湾の外郭を成しています。


 東の築堤の先端です。石積みの常態のままですが、公園化の際に修築し直したのか、新しい感じの石がかなり混じっていました。


 石造の上にウミネコが停まっていました。最初はユリカモメかと思ったのですが、それにしては嘴が精悍で羽根の色も濃いので、ウミネコだな、と考え直しました。
 カメラを向けると、どういうわけか動きを停めてしばらく微動だにしませんでした。まさか、カメラを意識してポーズをとったんじゃないでしょうね・・・。 (続く)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする