気分はガルパン、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

「倉野川」の倉吉をゆく シーズン6の4 「里の観音堂とダイアナランチ」

2016年09月13日 | 倉吉巡礼記

 大原神社は、大原集落のやや北側に位置しています。集落は南に長く伸びているので、神社の旧位置や神宮寺の跡地もおそらくは南にあったのではないかと考えました。
 そこで道なりに南へ行くと、大原廃寺遺跡へも通じる道の途中に公民館があり、その近くに「大原観音堂」なる一堂宇があることを知りました。20年前に大原廃寺遺跡へは行きましたが、「大原観音堂」のことは記憶に無かったので、見落としたのでしょう。
 観音堂への参道石段の脇に、立派な石碑がありました。観音堂が平成四年に再興された際の記念に建てられたもののようですが、再興とあるのは、江戸期のお堂が痛んできたので建て直した、という意味だろうな、と考えました。


 この「大原観音堂」は、集落の中央に横たわる低丘陵の南端に位置していますが、下から見るとかなりの高さがあります。仏教の寺院や堂宇を山地に配置するケースは全国的にみられますが、このような急な地形の上に建てる事例はそんなに多くありません。


 思った通り、お堂の前庭からは、大原の里の南側全域を見渡せました。ただ、里の観音堂の立地にしては高すぎるので、堂の背後に回って地形を確かめてみました。
 すると、驚いたことに、お堂の背後にはさらに高い尾根があり、その斜面は人為的に均して造成されたような雰囲気がありました。これは、切岸だな、と直感しました。

 切岸とは、中世戦国期の城郭にみられる人工的な急斜面のことです。つまり、「大原観音堂」の建つ丘には、城砦が構えられていたようなのです。
 そこで、斜面を登って上の様子を見ると、木立や藪のかぶさる暗い中に、土塁とおぼしき構築物が見えました。草が繁っていて入れないので、細かく把握出来ませんでしたが、間違いなく城砦であると分かりました。かつては城砦であった場所に、江戸期に「大原観音堂」が建てられた、というイメージがまず浮かびましたが、城砦の最高所がかつての大原神社の旧位置であった可能性もあります。

 つまり、大原の里の中央にある丘を最初は神奈備と崇めて神社を祀り、その神宮寺も配置していたのが、中世戦国期に城砦化され、尼子氏の攻撃を受けて被災し神宮寺は焼失した、という歴史的変遷が想定出来ます。そして神社は、戦闘で穢れた丘を避けて麓の現在地に移された、という成り行きかもしれません。

 後日資料をあさってみたところ、大原城という中世期の城郭遺跡の記載を見つけました。南北約140メートルと、思ったよりも規模が大きいので、葉が落ち草が枯れた時期に再度中に入って見学してみたくなりました。夏場はどうも城跡見学に向いていません。


 時間が無くなってきたので大原での見学を打ち切り、三朝町立図書館に行って本を返却し、倉吉市街に引き返して「ダイアナ」に行きました。


 この日の昼食は、このお店の日替わりランチである「ダイアナランチ」と決めていました。オムカレーも「とってもとってもいいと思います」が、次の楽しみにとっておくことにしました。


 なんか色々置いてありますねー。倉野川珈琲ですか・・・。


 お店オリジナルの「ひなビタ」スタンプ、というのはこれですか・・・。芽兎めうの実家が判子屋なので、それに因んだネタとして実現させたもののようです。


 春日咲子の原画イラストです。アコースティックギターを優雅に構えて温かな旋律を紡ぎだすかのような雰囲気が、「とってもとってもいいと思います」。


 ひなビタの七人、日向美ビタースイーツとここなつが全員揃った公式画像です。ファンはこういうのを欲しがるでしょうね。


 ファンからの寄贈品とみられる、芽兎めうのアクリル製スタンドです。足元のひなち君がケロロ軍曹みたいなタッチであるのが笑えます。


 今回の「ダイアナランチ」はこういう組み合わせです。


 けっこうボリュームがあるので、楽しく食べられます。毎回メニューが違いますから、同じ組み合わせを二度食べることはまず無いと思います。 (続く)

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