大洗磯前神社の一の鳥居を、改めて見上げました。平安期からの歴史を有して延喜式神名帳に明神大社の格で列せられた古社にふさわしい規模と風格をみせています。奈良にも古い神社が沢山あるんですが、鳥居が大きいのは、三輪明神こと大神神社ぐらいなんですね。
神社境内へ登る車道から一の鳥居を振り返りました。劇中では、このコースを大洗女子学園チームの戦車三台が通り抜けて、信号交差点を左折してマリンタワーの方向へ向かっていきましたね。
神社境内へ登る車道を下から見ました。聖グロリアーナ女学院戦車部隊の挟撃を脱して市街地へ向かう、Ⅳ号戦車D型、Ⅲ号突撃砲F型、八九式中戦車甲型らの勇姿がリアルに思い出されます。劇中では、この道路の奥が山地エリアということになっていたわけですね。
車道を上まで登ってから振り返ってみました。この景色も劇中のワンシーンを思い出させて楽しいですね。五台のうちの二台を戦列外に失って、いったん戦場を離脱して市街戦での形勢挽回にかける西住みほの心意気が、山地から疾走してこの道を駆け下りてゆく戦車たちの姿を通して伝わってきますね。
大洗磯前神社のような古社には幾つかの摂社および末社があります。この与利幾神社もその一つで、通りかかった参拝の方に「どのような謂れがあるのですか」と尋ねると、「本社さん(大洗磯前神社のこと)よりこっちが古いという話もあるらしい、本社さんがここに来られたときにまずここに立ち寄って休んでいった、という言い伝えがあるよ」と教えてくれました。
いわゆる神体の仮遷座地の類がルーツなのかもしれませんが、その場合は、神様が「寄り行く」地点であったという認識が、そのまま「与利幾」の社名の由来になっている可能性が考えられます。
大洗磯前神社の境内地に入りました。車道から駐車場への車の進入は規制されていたのですが、私はレンタサイクルだったので、警備の方に「参道の方には停めないで下さい」との条件付きで、進入を許可していただきました。自転車は海洋博物館の脇に停めておいて、随神門の前に進みました。江戸期の再建になる建物で、大洗町の指定文化財になっています。
既に有賀神社御神体の還行は終了したようで、境内地の雰囲気には神事後の安堵感が感じられました。
大洗磯前神社の拝殿です。この奥に本殿がありますが、建物が神仏混淆時代の仏殿形式に準じて空間を密封する形になっているため、柱間の板戸などに遮られて奥が見えないようになっています。有賀祭の虫きり参拝の方はまだ続いていて、拝殿内からは朗々たる祝詞が聞こえ、ときおり神太鼓の音が響いていました。
まだ有賀祭の最中であったので、あまり境内地を歩き回るのは控えることにし、拝殿左右の絵馬掛台のうちの片方だけを見るにとどめておきました。次々と訪れる子供連れの参拝客たちも、絵馬には目もくれず真っ直ぐ拝殿前へ進んでいくのでした。
この絵馬掛台は、殆ど「あんこう踊り」のOVAともいえる、DVD第4巻収録のOVA「アンコウ・ウォー!」の舞台のひとつで、カモさんチームの三人がその前で踊っていますね。
沢山の絵馬がありますが、ほとんどがガルパンファンからの奉納でした。一般の参詣客の絵馬が殆ど見当たりませんでしたので、平安期以来の由緒ある古社の絵馬類としてはかなり違和感がありました。社務所の方で由緒書を頂いた際に尋ねてみたところ、「以前は絵馬の数はもっと少なかったんですよ。ガルパンのブームが来てからいっぺんに増えましてね」というお話でした。
境内の一角、随神門に向かって左側には、軍艦那珂忠魂碑がありました。旧日本海軍の軽巡洋艦川内型の2番艦で、四本の煙突とダブル・カーブド型の艦首形状が外見上の大きな特徴として知られます。大洗町の北を流れる那珂川にちなんで命名されたことにより、ゆかりの川の近くに忠魂碑が建てられたのでしょう。
随神門から南東に参道の石段が伸び、その先には二の鳥居を経て鹿島灘が望まれます。こういう景色も、奈良の神社にはありませんね。初期の祭祀が海神へのそれであったことをよくうかがわせてくれます。
大洗鳥居下信号交差点から北を見ると、県道2号線の上に架かる赤い鉄橋が見えます。西側の東光台住宅地から神社境内地へ通じる連絡橋で、大洗鳥居下信号交差点から斜めに境内地へ登って行く車道をぐるりと左に回って行くと着きます。
赤い鉄橋に着きました。ここもDVD第4巻収録のOVA「アンコウ・ウォー!」の舞台のひとつで、カバさんチームの歴女四人が踊っていましたね。
OVA「アンコウ・ウォー!」は、ガルパンのキャラクター達が大洗の各所でひたすら「あんこう踊り」をやるというシュールな内容なのですが、見方を変えると、大洗観光のPVとしても立派に通用すると思います。TVシリーズの劇中では、大洗の市街地だけが登場していますが、それだけですと大洗町の色んな風景や魅力というのが分かりにくいんですね。そこのところをOVA「アンコウ・ウォー!」が立派に補完してくれた、という感があります。
赤い鉄橋から、鹿島灘の方角を見ました。左にのぞいている高い建物は、大洗ホテルです。
境内地から参道石段を下りて、鹿島灘に面する二の鳥居を見上げました。鹿島灘を航行する船舶からも見えるように、ということで大きく立派に造ってあるのだと聞きました。海から拝む、という形をとっている点にも、古くからの海神信仰の名残りがうかがえます。
二の鳥居から県道173号線を渡って、細い路地に入りました。この路地道が、神磯の鳥居への順路になっています。
鹿島灘に面する堤防から、磯浜越しに神磯の鳥居を見ました。鳥居の建っている岩が、祭神御降臨の地と伝わっていて「神磯」と呼ばれます。神様が海からやって来られた、磯にお下りになられた、という状況を最もよく伝えている場所です。
神磯の鳥居を、カメラの望遠モードで撮影しました。鳥居のある岩までは歩いて行けるらしいのですが、この日は潮も満ちてきているようで、波も荒くて鳥居周辺に飛沫が絶えなかったので、鳥居まで行くのは止めにしました。干潮時の穏やかな晴天の時に、機会があれば「神磯」にお参りしてみたいと思います。
神磯の鳥居付近の海岸の景色です。この日は次第に空が曇ってきていたので、あまり明るい感じには撮れませんでしたが、春日の神が鹿の背中に乗って鹿島灘の磯辺を天駈けていった、とする奈良春日大社の創祀譚がリアルにイメージ出来る景色ではありました。
この海岸から、はるばる大和の国へ御移りなさったのか、と思い、奈良の方角にそっと拝礼しました。 (続く)