<鼻歌で散歩>

くも膜下出血で受け死にかけました。鼻歌を歌って散歩しながら体力つけて100まで生きるつもりです。

グラハム・ハンコックの「神々の世界」を読んで

2005-07-09 14:06:21 | ガルマルの鼻歌で散歩
昨日、東京国際ブックフェアに行ったことを書きました。往きと帰りは高速バスを利用しました。その中で。神々の指紋などで有名なグラハム・ハンコックの神々の世界の文庫本を読んでいました。上下二巻で合わせると1500ページくらいあります。

この本の内容は、従来の彼の主張を繰り返しているだけで、目新しいことはないし、かなり、インドや日本に対する西洋人的な傲慢な誤解もあるので、厚い本の割には中身がないと思いました。ようするに、彼が主張する一万年以上前の失われた古代文明が、氷河期が終わって海水面が上がったために海の中に沈んでしまったということです。たしか、神々の指紋では、南極大陸の氷の下にあるといっていたはずですから、それよりは真実味があると思います。また、各地に残る洪水伝説と氷河期の終わりの海面上昇の関係も検討されています。

それよりも、面白いと思ったのは、考古学という学問です。科学的に分析されていると思ったことが、実はグラハム・ハンコックのようなジャーナリストによって違う解釈をされることがあるということです。しかも、グラハム・ハンコックの行っていることの方が、学者の言うことよりも真実味があるのです。学問の脆弱性といったら良いのでしょうか。そういえば、日本も遺跡の中に自分の学説に都合の良いものを混ぜて、有名な学者になった例がありましたね。学者も有名になるためなら、勝手なデータを自分ででっち上げることがある問うわけです。

こんな自然科学のように、かっちりしているようにみえるものでも素人が自分の学説を展開できるということは、社会学のような人文科学なんて素人に毛が生えたような人が学者面してるいんだろうなと思います。私の偏見かもしれませんがね。

まあ、こんなに学者が多いのに、世の中が全然よくならないのは、やっぱり学者が金もうけしか考えていないからじゃないでしょうか。

今西錦司のように、自分の実家を破産させてまでも、市井の学者でいる人がいなくなったと思います。それにかわるのが、何とか研究家という人たちです。たとえば、園芸研究家とか、料理研究家とかです。でも、こういう研究家と言われる方々が、それで飯を食っている学者さん達より、はるかに社会をよくしているのではないでしょうか。

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