『子供たちにとっての本当の教科書とは何か』 ★学習探偵団の挑戦★

生きているとは学んでいること、環覚と学体力を育てることの大切さ、「今様寺子屋」を実践、フォアグラ受験塾の弊害

勉強のできる子を育てるには④ 

2016年12月03日 | 学ぶ

学の好き嫌い
 学がカワニナを食べるようになったことは先週お話ししました。ところが、食べると書いてあった「鳥の笹身」をまったく食べませんでした。「ささみ」を食べないで、貴重なカワニナをワンサカ食べたある日の学(学)とハゲエモン先生(ハ)の会話です。
 
 「お前は、どーおして好き嫌いがそんなに激しいんだっ? このカワニナ、いくら金がかかってるか知ってるか?」 
 「・・・・・・」

 


 「鶴橋から橿原神宮駅、近鉄往復。そこから貸自転車800円。交通費2000円、それに貴重な俺の時間、3時間! それを一日で食べてどーすん  の?」
 「・・・・・・」
 「すききらいはアカンやろ」
 「・・・・・・」(居眠り)

 

 

 「お前、トシ(年齢)なんぼやの? 好き嫌いしたら、子どもに『示し』つくか? おっちゃんやろ、もう? その『でっかさ』。隠してもわかんねんから!」
 「・・・(! 別に隠してない。言われへんだけ!)」(怒)

 

 

と、こういうやり取りの次の日。なんと、学がモーレツに笹身を食べ始めたのです! あっという間に、1本をペロリ。それも、カワニナを食べる以上のスピードで! 「やれば、できるやんけ。学!」
 シジミ・カワニナ・ささみ。もう少し好き嫌いがなくなると、餌に困らなくて済みそうです。

子どもたちにとってのほんとうの教科書とは何か?
 まさかスッポンを飼うことになるとは? 
 前にもお話ししましたが、立体授業や課外学習での活動はイレギュラーやハプニングがつきものです。人生がそもそもイレギュラーやハプニングの連続ですね。

 立体授業で、「環覚」を育てる指導も、その場に応じた柔軟性や対応が「思わぬ学習効果」を生むことがあります。「学の飼育」もその例にもれません。
 餌の魚や巻貝・二枚貝などの観察はもちろん、たとえば、予想外かもしれませんが、水槽や底砂や備品を洗ったり、バケツや水槽に水を入れるときの作業の経験が、算数の入試問題でよく見かける「水位の問題」や「水の体積変化の問題」のイメージトレーニングになります。「考えにくい問題」を解くときのイメージの応援に大きな効果を発揮します。
 

生物が生物を食べる」という、小さな子どもたちには少しショッキングな「食物連鎖」もきちんと心に受け入れざるを得ません。そこから「生命のたいせつさ」や「自然界における人間の役割」も考えはじめることになります
 このように、子どもたちの日常生活の「いちいち」が発見、好奇心や思考・発想のスタートラインになる、それらが、ファインマンのお父さんをはじめとする、子どもを優れた科学者に育てた保護者(教育者)の指導視点だったのではないでしょうか?

 飼い始めるときは、そんなに学習のための「『余禄!』がある」ということなど思いもかけませんが、「子どもたちの作業や行動は、視点を変えれば、ほとんど何らかの学習内容に関係すること」がわかってきます。つまり、「学習」は単に「机上の学習」に終わらず、日常生活で活きていたり、使われていたり、行動で「裏付け」がとれるものばかりです。そしてそれらの発見と認識が、「机上の学習」をも高度に導く「『本来の』学習」なのでしょう。

 
 こういう指導法は、自ら意識して「発想」を広げないと確認できません。その努力がなければ、たいてい通り一遍、ワンパターン。指導書頼り、「サンプル!」の周りをウロウロするだけで終わります。
 ところが、少し見方を広げ、「発想を促す努力」をしてみることで、自ずから「ほんとうの教科書」が目につくようになります。「環覚」の成長です。「そこから手に入るもの」が子どもたちの「テキスト」です。

 その「テキスト」を習得しても「受験問題が即解答できる」「受験にすぐ役立つ」というわけではありません。しかし、子どもたちは死ぬまで中学受験を続けるわけではありません。受験は長い人生から考えれば、一時の取り組みです。それよりもっと大事な「学ぶことのおもしろさ」を見つけること、その「テキスト」を追い続けることによって、やがては「社会や人類に貢献できる研究」に大きく成長する可能性さえ生まれるでしょう。ファーブルの弟への手紙やファインマンの著書を読めば、よくわかります。彼らは「現実の抜粋!」ではない「真の教科書」を読んだのです。
 省みれば、子どもたちの学習内容は、本来、生活行動や体験・自然現象に潜む「なりたちやしくみ」の「要約」・「エッセンス」ではないでしょうか? その発見を通した「ああ、そういうことだったのか!」という子どもたちの感覚が、「学ぶたいせつさ」や「学ぶおもしろさ」を取得できるコアになるはずです。

 そして、ぼくたちの、「それらを子どもたちの手に届けようとする気持ちと心意気」が、現在のさまざまな学習問題解消の「はじめの一歩」だと、ぼくは感じています。

睡眠時無呼吸症候群再説
 以前、ぼくが睡眠時無呼吸のCパップの治療によって「体調が激変した」という話をしました。その変化を考えるにつけ、何十年も「そのこと」をわからずに過ごした「ハンディ」を、子どもたちには絶対味わってほしくない、今、その思いでいっぱいです。
 4月にCパップをつけはじめて今月で約8カ月、160~170あった収縮期血圧が130前半で、拡張期は70前後です。当時より体重は約5キロ増えていますから(これも困ったものですが)、そのままでは血圧の上昇はあっても下降はありません。Cパップ治療をしなければ、「子どもを叱ったとき既に(!)血管が切れている!」はず(笑い)です。それが「穏やかでいられる」のは、決して「年のせい」ばかりではなく、Cパップのおかげです。
 Cパップによって「酸素が十分供給されることを知った身体が、酸素を送る量を増やすために血圧をあげる必要がなくなったから」です。さらに無呼吸がなくなり熟睡できる(無呼吸による緊急反応で目が覚めます)ので、疲れがすっきり取れて、いつも目覚めがさわやかなのです。朝、すぐ身体が動きます。Cパップをつける前は、夜中に何度も目が覚め、熟睡した感覚がまったくなかったにもかかわらず。

 以前の紹介のように、ぼくは小さいころから「怖い夢」を見る、「水中にいて息ができず、もがいて浮かびあがろうとしても叶わず、もう駄目だと思ったとき目が覚める・・・」というような経験を何度も味わいました。「大きな鼾をかいて、途中で長い間止まる」と指摘されたことも数え切れません。
 ところがそのころは、「睡眠時~」という病気の知識も一般的ではなく、「いびきが大きな病気に関係している」という認知度も低く、「いびきが止まっている間、息も止まっている!」などということは考えもしません。
 呼吸が整わず、酸素の供給が十分ではないので新陳代謝はうまくいかず、疲れがとれなく、「朝から不調」・・・ふつう、そんなことには思いも及びません

 こうした経験を振り返ってみると、認知度が低く、忙しい毎日を送っているお父さん・お母さんはもちろん、睡眠時無呼吸症候群という病気の潜在患者は、考えているよりはるかに多いと思うのです。いびきが止まる人はもちろん、「大きな鼾をかく人で、朝疲れが取れていないと感じている人」は、一度専門医をたずねてみてはいかがですか。もしそうであれば、治療することで身体と体調が「劇的に」変化します

 特に子どものことが気がかりです。育ちざかりに、酸素供給が十分ではない身体を抱えていれば、「身体のすべての発達」が滞るだろうし、熟睡できない身体では、学習や運動はもちろんさまざまなパフォーマンスでも支障をきたします。
 成長過程でそうしたハンディを抱えてしまえば、成績はもちろん、「性格形成」にさえ影響が出るでしょう。疲れてしまえば、「頑張ろう」という気力も失せるはずです。何事にもダラダラして積極的になれない、ということも考えられます。「子どもたちの大きな鼾」に注意してください。疲れが取れて、身体が楽になったことがよくわかる朝、いつもそう思います。

 掲示の「睡眠時無呼吸症候群」(安間文彦著 文芸春秋)は2003年の本ですが、一節を引用しておきます。知識をきちんと持たず、病気として重視しない下記の状況はまだ続いているようです。
 
 ~睡眠時無呼吸症候群に対する認識が世間一般では不十分であると書きました。それは患者のみならず、医者の場合も同様なのです。なぜなら、睡眠時無呼吸症候群はたった三十年前に(注、出版年度から考えると約40年前)はじめて名前がついたばかりの新しい病気だからです。働き盛りの医師のほとんどは、大学の医学部でこの病気に関する講義をうけていません。山田二郎さんのかかりつけの医師が、うるさいイビキをかくことやイビキがとまることを病気だと考えないのも、無理からぬことでした。(上記書p51~52、注/下線は南淵)

DVD紹介
 今週はAMAZONのレビューを見て買ったものの、途中で嫌になったものが二作ありましたが、紹介するものはそれぞれ見ごたえがありました。一番目はウッディ・アレンの「マッチポイント」。

 アレンの作品は世評が高いので何作か有名作品に目を通しましたが、どうも僕の性に合わないようで、我慢しても、途中で取り出してしまう、ということが続いていました。
 この「マッチポイント」は、購入時から作者名も見ないまま見始めたものです。最後の「皮肉なオチ」もおもしろく、そのとき製作者名を見て、「なかなかやるじゃん」と思った作品です。
 ところでウッディ・アレンの作品に出演するほとんどの女優の見かけがパッとしないのは、リアリティ追求の故か、作者の好みなのか、ぜひ知りたいところです(笑い)。「蓼食う虫は、勝手に食え!」と言っておきます。

 「クリムゾン・タイド」は、デンゼル・ワシントンとジーン・ハックマンの共演。エリート士官とたたき上げの上役のリーダーシップ争い。潜水艦内の緊迫した場面が見所です。
 
 今週偶々見たジーン・ハックマンの後二作もよい作品でした。「ポセイドン・アドベンチャー」は、「タイタニック」に先立つ豪華客船転覆事故からの脱出劇です。「神を問う甘さ」は少し気になりました。

 「ミシシッピー・バーニング」は今尚くすぶり続けているアメリカの奥深い問題、人種差別をテーマにした映画です。人種問題はあるものの、こうした作品に出演する俳優がいて、名作がつくられ、相応に評価されるという国、アメリカはやはり「捨て置けない大きさ」があります。

 ぼくたちの国を見渡してみると・・・。
 かつては「思いやり」と「慎み」と「惻隠の情」の人間関係に代表されましたが、今は「我欲」と「なあなあ」と「自己顕示欲の塊」に変わりつつあります。「欲得があっても、それを凌駕する価値観もある」という、「変わってはいけない日本らしさ」「日本人の思い」がどんどん消えつつあります。「表面だけの損得しか見えない」底の浅い人間関係の蔓延です。

 心情が蝕まれていく、その先にあるものは融和ではなく敵対であり、平和ではなく戦争です。和める社会ではありません。
 また、巷を見ていると、相変わらず「『出る杭』が打たれ過ぎる寂しい国、哀しい社会」でもありますね。先ほどの「クリムゾン・タイド」で例を挙げれば、日本では、デンゼル・ワシントン扮するような優秀なエリート士官が「より大きく」育つようなことは少ないでしょう。成長過程で、多くは潰されたり、ふてくされたり、やる気をなくしたりすることになるでしょう。何とかしたいものですね。未来のために。
 

「モガンボ」は典型的二枚目俳優のクラーク・ゲーブル、グレイス・ケリー、エヴァ・ガードナーの作品です。クラーク・ゲーブルは「軽い」役でも、なぜか軽くならないのは「背が大きいから?」。まっ、そんなことはないか。

 登場する二人の有名女優グレイス・ケリーとエヴァ・ガードナーを比べると、お人形さんみたいなケリーより、ガードナーの方が断然いいとぼくは思います。写真を撮りたいのはエヴァ・ガードナーです。みなさんのご意見は?

 最後は「i am sum」。知的障害のある父親の「愛と子育て」です。「子育てには、想像以上に環境が大きな影響を与える」と観察しているぼくには「受け入れがたいところ」もありますが、良い映画です。「親子の愛の行方」を探すにはぴったりです。


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