『子供たちにとっての本当の教科書とは何か』 ★学習探偵団の挑戦★

生きているとは学んでいること、環覚と学体力を育てることの大切さ、「今様寺子屋」を実践、フォアグラ受験塾の弊害

発想の転換が可能性を開く②

2018年02月24日 | 学ぶ

ミツバチは刺すやん!布袋さんー
 光は春めくも年齢は「黄昏・・・」、物思うことが多い年頃です・・・だから炬燵の上には、本が山積み・・・あっ、忘れるとこやった! 前川さん、ミツバチは刺すやんか! ほんまに、もう。
 ミツバチの「毒」のことを、先週お伝えしましたが、念のために調べました。また、「布袋さん」の「騙し」にあうところでした、ハハッ! 以下は、「自然界83の謎 地球が生き残るための知恵」春田俊郎著(PHP文庫)からの引用です。


 「ミツバチは機嫌のよいときと、悪いときがある。機嫌のよいときは、巣箱に近づいても決して刺されることもなく、無数のハタラキバチは、つぎからつぎへと蜜を運ぶのにいそがしく、近くに立っている人間などは見向きもしない」。ふむ、ふむ。なるほど、そうなんや、前川さん、そこそこ正しいなあ。

 ところが「・・・これに対して機嫌の悪いときは、巣から離れていても、むやみに人間を邪魔者あつかいにし、早くどこかに消えうせろといわんばかりに、顔のまわりをぶんぶんブンブンとうるさく群れ飛んで、騒ぎ立てる。巣箱の近くに近寄ると、いきなり数十匹のハチが襲いかかり、うまく逃げないとたちまち何カ所か刺されてしまう」。なんや~あぶない。「刺すやんけ、布袋さん!」というわけです。

 さらに、機嫌が悪くなる時期は、梅雨時らしく、雨が降り続くと蜜を集められず、子どもたちは大きくなる時なので蜜がたくさん必要になる、そこでイライラが始まるようです。あまりにもエサが少なくなると「間引き」も始まるとか、こういう知識が、子どもたちにハチ(昆虫)に興味をもたせる、よいヒントになります。今度、前川さんに教えてあげよう。知らんやろ、布袋さんやから。

立体授業の「きっかけづくり」と「企画実施」までのお手伝いをします
 この本は他にも、身近な動物のエピソードが満載です。
 子どもたちの「環境への興味」は、常識やありきたりの知識を覆すエピソードや、「ふだんよく見ていても、あまり知られていない」「成り立ちとしくみの開示」がきっかけになります。つまり、「知っているつもり」を「粉砕」したり、「奥行きの深さ」を教えたり、という指導からです。

 身近な対象は、当然「人間生活や暮らしと深く関わってきている」はずです。その対象の「新たな一面」を伝えることで、子どもたちの周囲を見る目が深く鋭くなります。その方法が『環覚』育成の基本になります。「環覚」が身につくことによって、周囲の事物に目を向ける回数が増えます

 当然、変化や推移に目が届くようになり、不思議や謎が生まれます。子どもの頃エジソンが『エングル先生に嫌われた質問』もそうした習慣から生まれたものでしょう。そしてそれらが深化・拡大・発展して、諸々の研究や大発見のきっかけにもなり得るのだと、ぼくは思います。


 また、その過程で、当然学習対象や学習事項に対する親近感・環覚が生まれ、「学ぶおもしろさ」を獲得しやすくなる。さらなる「学業や研究」のステージに向かう、というのが、本来望まれるべき学習の流れだと思います。

 掲示の、15才になったOBのお母さんからのメールは、そうした団で指導を受けてくれた「感覚」の一端を表しているのでしょう。「ちがいがわかる成長」と云うわけです。
 さて、こうした書籍によるエピソードの紹介や読書は、そのくりかえしによって、たとえばミツバチのような昆虫の学習でも「奥行き」が生まれ、「からだのしくみ」という受験学習のポイントだけではない「学習」が始まります


 春になって野外に出ると、タンポポやレンゲにとまるハチが唯の「刺すハチ」ではなく、少しずつ正体を現し身近になります。自らに近しい「動物の仲間」が増えていきます。「生態系のつながり」にも目が届きます。「新聞を丸めて追いかけるゴキブリ退治の経験」と大ちがいなのは、よくおわかりでしょう。

 そうした「日々の生活や暮らしの微妙な差」が、「環覚」のちがいを生み、やがて「知性」や「学体力」という大きなちがいに結果してくると云うわけです。気づかない、何気ないような「日々の環覚のトレーニング」が、こうした差に変わります


 先ほどのミツバチの「間引き」の指導の敷衍は、「間引く」ということばから「野菜の栽培」や「杉林の間伐」につながり、「口減らし」に波及し、そこから「飢餓問題」や「地球環境」に話を広げることもできるでしょう。つながりです。その指導内容の考察のきっかけも、元を辿れば、この「自然界83の謎」のような小冊子で可能だということです。

 指導者の能力(努力)やセンスで、「子どもたちの知識の総体」のボリュームが大きく変わります。そしてそれらは、その大きさゆえ、あちこちで学習対象同士の関連や類似・比較が生まれ、立体授業が成立します。立体授業では、学習対象の関連や奥行きについて、子どもたちの興味を引きそうな、また科目を問わず関連をできるだけ多く考えることから、「学ぶおもしろさ」が引き出せます。意外性のトリックです。


 ふつう「勉強」と云えば、イメージは、教科書に書いてある「学習事項」「学習内容」を教える、指導するというところにつきます。ところが、それらは本来、自然にあるもの・事例や事象の抽象(物)です。つまり学習のもっとも先を考えると、ヒトはすべて「自然にある『もの』や『こと』」から学習することをはじめました。行為や行動が「学習」でした。

 ところが、現在はそれらの「まとめ」や「概略」を文字面で学ぶことから学習は始まります。しばらく前までは、知らない間に、小さいころから触れたもの、身の回りにあったものも数多く学習できたはずです。「学習するもの」や「こと」は決して「抽象だけのものに終わらなかった」、もっと馴染みがあったと思われます。

 それらは「手に触れられた」こともあったし、「指の中で動いていた」だろうし、その対象を手にするまでに、さまざまな「やりとり」や「準備」もあったはずです。子どもたちの行動を見ていると、それらの感覚や行動を通じて親しみがわき、おもしろさが増し、集中力もアップしていきます。
 そして、その作業や遊びの間に構造やしくみの理解が行き届き、知識も定着します。お仕着せの観察や実験ではない近しさも生まれます。それは、かつてぼくたちが周囲の事物を「生きるための手がかりや技術や道具」として「取得」していく過程と同じはずです。「学習」とは本来そういうものだったのです
 つまり、今の学習は、「学習のほんの一部」であり、その「周囲にあった『遊び』や『ゆとり』が、ほとんど捨象されてしまったものである」ということです。そうした「学習に対する逆転の発想」からこそ、子どもたちの「学ぶおもしろさ」は生まれるものなのだ、ぼくはそう思っています。こうした発想から課外学習を企画し、立体授業を組み立てていくわけです。

 ちなみに、『自然界83の謎』の中からおもしろい話ができそうなエピソードをピックアップしてみると、「海―地球こそ水の星である」「ガ―電灯には集まるが、月へは向かわない」「ウサギ―太陽から命令される体毛変化」等々、たくさんあります。
 このような立体授業の企画内容やテキストづくり・実施方法等はご連絡をいただければ、ご相談の上、実際に実施までの指導・応援をします。田舎や街のあちこちで寺子屋をつくりましょう。新しい「夜明け前」です。


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