奈々の これが私の生きる道!

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ライ麦畑でつかまえて

2010-01-29 20:42:44 | 読書
「ライ麦畑でつかまえて」の著者j・D・サリンジャー氏が、アメリカ北東部ニューハンプシャー州コーニッシュの自宅で、去る二十七日に死去しました。享年九十一歳。
同氏は、この作品を書いて以降、殆ど作品を発表しておらず、隠遁生活を長年続けていたとの事。

「ライ麦畑でつかまえて」

私も、若い頃、読みました!
少年の目から、大人社会の在りようを風刺した、とても辛辣な内容でした。
この作品は、日本でも結構読まれたのですが、その理由の一つは翻訳が素晴らしかった点にあると思います。
野崎孝さんという方が翻訳したのですが、ちょっと斜に構えた若者言葉で語りかけるような文体が、とても魅力的でした。
ここで余談になりますが、野崎孝さんの訳では、講談社文庫から出ていた「ハックルベリー・フィンの冒険」も、東北弁みたいな感じで、私は好きでした。

話をもとに戻します。
「ライ麦畑でつかまえて」を読んだ時の私の感想は、世間とは、ちょっと違うかも知れません。
と言いますのも、この作品に登場するような大人にはなりたくないなという感想と、同時に主人公の潔癖過ぎる性格についていけないなというものだったからです。
例えば、病院に知人が入院した時、見舞いに来た人が、花束に添えたカードに「あなたの回復を心よりお祈りしています」と、心にもない事を書いた文章を、少年が批判するくだりが出てきます。
ですけど、だったら、一体どんな文章を書いたらいいと言うのでしょう?
それが、心にもない事で、一時の気休めにしかならないとしても書かないよりはマシなのでは?と私は思うのです。

これは、ほんの一例に過ぎず、これに類したエピソードが、この作品には沢山出てくるのです。
私は、この作品を読むうちに、批判ばかりしていないで見本を見せてご覧なさいと言いたくなってしまうのです。
でも、おそらくこの少年は批判をするばかりで、その答えは見出だせないのではと思います。
なぜなら、この作者は、「ライ麦畑でつかまえて」を書いて以降、世に作品を発表していないではないですか?
批判ばかりしていては何も生まれないのではないでしょうか?

こう言った具合に、この作品は大人社会の汚さを批判する内容なのですが、これの対極にあるような言葉を日本で言った作家がいます。

則天去私

この言葉は夏目漱石が言ったのですが、意味は読んで字の如く、「天に則って 、私を去る」

つまり、私心を慎んで、あるがままを受け入れようという意味らしいです。

世の中は複雑に出来ていて、そう簡単に割り切れるものではありません。

批判ばかりして、自ら心を閉ざすよりも、あるがままを受け入れ、おおらかに生きる事が、生きにくい世の中を渡るうえで大切なのではと、私は思います。