今回は漫画家の横山光輝先生と、少女漫画についてお話します。
きっかけは、私が谷崎潤一郎の「刺青」の記事を書いた時、横山先生の「殷周伝説」に同
じエピソードが書いてあると教えてくれた人がいたからです。
私は、その作品はまったく知らなかったのですが、それから暫くして古本屋さんに行って
みたら、その本が置いてあったのです。
ところが、その作品は単行本にして、22巻もあり、そう簡単に読むという訳にはいかな
いなと思い、最終巻の最後のページをめくってみたら、編集者の文章が書いてあったのです
。
それには、この作品が横山先生の絶筆で、それからまもなく不慮の死を遂げられたという
事が書いてありました。
漫画が人気がなくなると、どんな優れた作品でも、すぐに連載を切られる宿命にあるとす
るなら、22巻もの大作の「殷周伝説」は横山先生が最後まで人気漫画家であり続けた何よ
りの証拠のように私には感じられました。
そういう訳で、横山先生の作品を、何か読んでみたくなったのです。
その時、頭にひらめいたのは、二ヶ月くらい前に買ったちばてつや先生のコンビニ本「1
・2・3と4・5・ロク」の巻末に載っていたちばてつや先生のインタビュー記事でした。
それには、昭和30年代は少女漫画を描く漫画家さんが少なかったと、ちばてつや先生が喋
っていて、続けて、こう書いてありました。
「すでに上田としこさんだとか、わたなべまさこさんだとか活躍をはじめた時期なんです
けど、せいぜい5人くらいだったんじゃないかな、女性の漫画家さんは。ですから、手塚治
虫さんとか横山光輝さんなど、女の子描くのが得意な人が描いてましたよね。」
つまり、昭和30年代の少女漫画は、主に男性が描いていて、その中でも手塚先生と横山
先生はひときわ上手かったと、ちば先生が喋っていたのです。
それで、私は横山先生が描いた少女漫画を読んでみたくなったのです。
ところで、昭和30年代の少女漫画とはどのようなものだったのでしょう?
少年漫画だったら、「鉄人28号」、「月光仮面」、「サスケ」「赤胴鈴之助」と、私の
子供の頃にアニメ化されたものがいくつかありますので、少しは知っていますが、少女漫画
においては「リボンの騎士」くらいで、ほかは思いつく作品は、一般的に皆無に等しいので
はないでしょうか?
これは、どういうことでしょう?
それを解明する手掛かりが、やはり、コンビニ本「1・2・3と4・5・ロク」の、ちば
先生のインタビュー記事に書いてありました。
当時は悲しいお話が多かった。
戦後まもなくだから、お父さんやお兄さんが戦争でとられて帰ってこないとか、母と娘と
いう家族も多かった。
そして、「シンデレラ」を基にしたようなお話が多かった。
継母とか、血のつながらない姉妹にいじめられたりとか。
だけど、けなげに他人を恨まないで、生きてて、そのうち誰か、王子様じゃないけど、最
後に救ってくれる人が現れて、主人公は幸せになりましたみたいな話ばかり描いていた。
実は、私は男性の漫画家が描いた昭和30年代の少女漫画をいくつか読んでるんですけど
、悲しいお話に加え、主人公の少女がやたらと泣くシーンが出てくるんです。
あの涙は、少女を描くのが苦手な男性の漫画家が、少しでも少女らしく見せるためにそう
したような気がします。
それに、女の子は悲しいお話が好きだという思い込みもあったようです。
あの妖怪漫画の第一人者水木しげる先生も「雪のワルツ」「かなしみの道」「二人」と少
女漫画を描いているのですが、それが本当に悲しいだけで何の救いもないお話ばかりなんで
す。
しかも、何を思ったか水木洋子のペンネームを使ってるんです。(笑)
それに、私はある重要な事を知ってるんです。
それは、出版社に勤務する編集者が、ラジオで喋っていたのですが、昭和41年に少女漫
画界に革命が起きて、それ以降、少女漫画の内容がガラリと変わったと云うのです。
今もあります漫画雑誌「りぼん」には、それまで母親向けに、「私たちはあなたの大切な
娘さんが優しくて思い遣りのある子に育つように良質の漫画をお届けします」みたいなメッ
セージを必ず載せていたそうです。
その訳は、漫画を読むのは子供ですが、お金を払うのはたいてい母親なので、当時の出版
社はいかにも母親の歓心を買うようなことばかりしていたのだそうです。
だから、当時の少女漫画は出来るだけ母親が気にいるようなものばかり載せて、少女が親
に歯向かったり、恋愛する作品などは、もってのほかで、親孝行で、悲しい運命に翻弄され
ながらも、けなげに生きる少女のお話が多かったとか。
そして、それは取りも直さず出版社の意向であり、そのような漫画を描くようにと漫画家
に強く勧めていたそうです。
ちなみに、ちばてつや先生にも、母親をターゲットにした「ママのバイオリン」という少
女漫画があります。
ところが、昭和41年に漫画雑誌「りぼん」は、自分たちは本当に少女たちが求める漫画
を提供していただろうか、ほかに少女漫画の道はないのかと討議を重ね、ついに母親向けの
メッセージを載せないことを決議し、少女漫画の内容に変革をもたらすきっかけを作ったそ
うです。
それが、今も少女漫画の主流となっている恋愛ものだったのです。
そして、今に伝えられる少女漫画の名作がキラ星のごとく、世に多く生まれたのです♪
そういう訳で、昭和30年代の少女漫画は悲しいお話が多かったのですが、ちば先生があ
る時、いじわるする男の子たちに怒鳴り散らして反撃する女の子を描き、「こういう元気な
ユカちゃん大好き」「おてんばなユカちゃん大好き」と書かれたファンレターを沢山頂き、
それで、ちば先生は女の子は悲しいお話ばかりが好きなわけじゃなく、笑いたい時だってあ
るし、時には怒りたい時もあるのだなと納得し、「1・2・3と4・5・ロク」で、喜怒哀
楽のはっきりしたキャラクターを描いて、それが大ヒットにつながったそうです。
私はそのほかに、ちば先生は漫画家にならなかったら、学校の先生になりたかったと仰っ
ているのを読んだことがありますので、先生が教え子を優しく、そして時には厳しく教え導
くような内容も大ヒットの要因になったと思えます。
そういえば、手塚治虫先生の「リボンの騎士」も、サファイアが男の子に変装した姿が、
躾の厳しい良家の子女を中心に好かれたそうで、それも似たような理由ではないでしょうか
?
それでは、ちば先生が、女の子描くのが得意だったと仰ってた横山光輝先生はどんな少女
漫画を描いていたのでしょう?
それを、私は古本屋さんで偶然、見つけた「横山光輝レア・コレクション」から読んでみ
ることにしました。
これには、横山作品でも入手困難と言われる「二つの顔の天使」「夕姫さまと由紀ちゃん
」「牧場の合唱」「ちこの牛乳屋」が載っています。
それで、まず気づいたのは親や兄弟が重要なキャラクターとして登場はしますが、決して
悲しいお話ばかりでなく、物語性が非常に豊富な点が目に付きました。
とくに、私が気に入ったのは天使の玉と悪魔の玉をめぐるファンタジー色豊かな「二つの顔
の天使」です。
しかし、横山先生といえば、その本領を大きく発揮出来たのは少年漫画にあることは間違
いないと思います。
なぜなら、私は横山作品が好きだという男性を何人も知っているからです。
最初に出会ったのはNさんという私よりも年下の男性だったのですが、人妻キラーと言えば
いいのか、とにかく映画やバイクなどの趣味に没頭している姿が頼もしいというか、可愛く
て、ついついちょっかいを出したくなるような人でした。
2番めは、Sさんという人で、主に昭和30年代の漫画やテレビ番組のお話をブログでして
下さるのですが、それが少年のワクワクした気持ちで書いてらして、まるで「三丁目の夕日
」そのもののようなブログを書かれています。
私、そのブログをとっても楽しみにしています♪
3番めは、最初にご紹介した「殷周伝説」を教えてくれた人で、この人はかなり前に私に
、横山作品の最高傑作は「マーズ」だと断言したことがありました。
最高傑作という言葉は、かなり横山作品を読み込んでいないと言えませんよね。
つまり、横山作品が好きな人には男らしくて素敵な人が多いのです。
それは、おそらく横山先生が漫画を通じて、ひたすら男の生き方を追求していたことと、
決して無縁ではないように思えます。
しかも、あの漫画の神様、手塚治虫先生の名作を描いていた漫画雑誌に、同時期に必ず、
横山先生も名作を発表しているのです。
手塚先生が、「鉄腕アトム」を「少年」に描けば、横山先生は「鉄人28号」を、手塚先
生が「ブッダ」を「希望の友」に描けば横山先生は「三国志」を、手塚先生が「三つ目がと
おる」を「少年マガジン」に描けば、横山先生は「闇の土鬼」を、手塚先生が「ブラック・
ジャック」を「少年チャンピオン」に描けば」、横山先生は「バビル2世」をというふうに
。
この意味するところは間違いなく、手塚先生の最大のライバルは、横山先生だったという
何よりの証拠ではないでしょうか?
お二人はそうして切磋琢磨して、お互いに名作を世に知らしめたのですね。
しかも、横山先生は後期になると、日本や中国の実在の人物を題材にして、作品を描いて
らっしゃるのです。
それは、別にアイデアに窮したからではなく、実在の人物に男の生き方を求めたのであっ
て、そこから謙虚な姿勢を窺うことが出来ます。
だからでしょうか?
横山作品が好きな男性は、男らしいうえに、決して驕り高ぶらず、謙虚な人ばかりなんで
す。
そういう訳で、私は横山光輝先生は、もっと評価されてしかるべきだと思います。
きっかけは、私が谷崎潤一郎の「刺青」の記事を書いた時、横山先生の「殷周伝説」に同
じエピソードが書いてあると教えてくれた人がいたからです。
私は、その作品はまったく知らなかったのですが、それから暫くして古本屋さんに行って
みたら、その本が置いてあったのです。
ところが、その作品は単行本にして、22巻もあり、そう簡単に読むという訳にはいかな
いなと思い、最終巻の最後のページをめくってみたら、編集者の文章が書いてあったのです
。
それには、この作品が横山先生の絶筆で、それからまもなく不慮の死を遂げられたという
事が書いてありました。
漫画が人気がなくなると、どんな優れた作品でも、すぐに連載を切られる宿命にあるとす
るなら、22巻もの大作の「殷周伝説」は横山先生が最後まで人気漫画家であり続けた何よ
りの証拠のように私には感じられました。
そういう訳で、横山先生の作品を、何か読んでみたくなったのです。
その時、頭にひらめいたのは、二ヶ月くらい前に買ったちばてつや先生のコンビニ本「1
・2・3と4・5・ロク」の巻末に載っていたちばてつや先生のインタビュー記事でした。
それには、昭和30年代は少女漫画を描く漫画家さんが少なかったと、ちばてつや先生が喋
っていて、続けて、こう書いてありました。
「すでに上田としこさんだとか、わたなべまさこさんだとか活躍をはじめた時期なんです
けど、せいぜい5人くらいだったんじゃないかな、女性の漫画家さんは。ですから、手塚治
虫さんとか横山光輝さんなど、女の子描くのが得意な人が描いてましたよね。」
つまり、昭和30年代の少女漫画は、主に男性が描いていて、その中でも手塚先生と横山
先生はひときわ上手かったと、ちば先生が喋っていたのです。
それで、私は横山先生が描いた少女漫画を読んでみたくなったのです。
ところで、昭和30年代の少女漫画とはどのようなものだったのでしょう?
少年漫画だったら、「鉄人28号」、「月光仮面」、「サスケ」「赤胴鈴之助」と、私の
子供の頃にアニメ化されたものがいくつかありますので、少しは知っていますが、少女漫画
においては「リボンの騎士」くらいで、ほかは思いつく作品は、一般的に皆無に等しいので
はないでしょうか?
これは、どういうことでしょう?
それを解明する手掛かりが、やはり、コンビニ本「1・2・3と4・5・ロク」の、ちば
先生のインタビュー記事に書いてありました。
当時は悲しいお話が多かった。
戦後まもなくだから、お父さんやお兄さんが戦争でとられて帰ってこないとか、母と娘と
いう家族も多かった。
そして、「シンデレラ」を基にしたようなお話が多かった。
継母とか、血のつながらない姉妹にいじめられたりとか。
だけど、けなげに他人を恨まないで、生きてて、そのうち誰か、王子様じゃないけど、最
後に救ってくれる人が現れて、主人公は幸せになりましたみたいな話ばかり描いていた。
実は、私は男性の漫画家が描いた昭和30年代の少女漫画をいくつか読んでるんですけど
、悲しいお話に加え、主人公の少女がやたらと泣くシーンが出てくるんです。
あの涙は、少女を描くのが苦手な男性の漫画家が、少しでも少女らしく見せるためにそう
したような気がします。
それに、女の子は悲しいお話が好きだという思い込みもあったようです。
あの妖怪漫画の第一人者水木しげる先生も「雪のワルツ」「かなしみの道」「二人」と少
女漫画を描いているのですが、それが本当に悲しいだけで何の救いもないお話ばかりなんで
す。
しかも、何を思ったか水木洋子のペンネームを使ってるんです。(笑)
それに、私はある重要な事を知ってるんです。
それは、出版社に勤務する編集者が、ラジオで喋っていたのですが、昭和41年に少女漫
画界に革命が起きて、それ以降、少女漫画の内容がガラリと変わったと云うのです。
今もあります漫画雑誌「りぼん」には、それまで母親向けに、「私たちはあなたの大切な
娘さんが優しくて思い遣りのある子に育つように良質の漫画をお届けします」みたいなメッ
セージを必ず載せていたそうです。
その訳は、漫画を読むのは子供ですが、お金を払うのはたいてい母親なので、当時の出版
社はいかにも母親の歓心を買うようなことばかりしていたのだそうです。
だから、当時の少女漫画は出来るだけ母親が気にいるようなものばかり載せて、少女が親
に歯向かったり、恋愛する作品などは、もってのほかで、親孝行で、悲しい運命に翻弄され
ながらも、けなげに生きる少女のお話が多かったとか。
そして、それは取りも直さず出版社の意向であり、そのような漫画を描くようにと漫画家
に強く勧めていたそうです。
ちなみに、ちばてつや先生にも、母親をターゲットにした「ママのバイオリン」という少
女漫画があります。
ところが、昭和41年に漫画雑誌「りぼん」は、自分たちは本当に少女たちが求める漫画
を提供していただろうか、ほかに少女漫画の道はないのかと討議を重ね、ついに母親向けの
メッセージを載せないことを決議し、少女漫画の内容に変革をもたらすきっかけを作ったそ
うです。
それが、今も少女漫画の主流となっている恋愛ものだったのです。
そして、今に伝えられる少女漫画の名作がキラ星のごとく、世に多く生まれたのです♪
そういう訳で、昭和30年代の少女漫画は悲しいお話が多かったのですが、ちば先生があ
る時、いじわるする男の子たちに怒鳴り散らして反撃する女の子を描き、「こういう元気な
ユカちゃん大好き」「おてんばなユカちゃん大好き」と書かれたファンレターを沢山頂き、
それで、ちば先生は女の子は悲しいお話ばかりが好きなわけじゃなく、笑いたい時だってあ
るし、時には怒りたい時もあるのだなと納得し、「1・2・3と4・5・ロク」で、喜怒哀
楽のはっきりしたキャラクターを描いて、それが大ヒットにつながったそうです。
私はそのほかに、ちば先生は漫画家にならなかったら、学校の先生になりたかったと仰っ
ているのを読んだことがありますので、先生が教え子を優しく、そして時には厳しく教え導
くような内容も大ヒットの要因になったと思えます。
そういえば、手塚治虫先生の「リボンの騎士」も、サファイアが男の子に変装した姿が、
躾の厳しい良家の子女を中心に好かれたそうで、それも似たような理由ではないでしょうか
?
それでは、ちば先生が、女の子描くのが得意だったと仰ってた横山光輝先生はどんな少女
漫画を描いていたのでしょう?
それを、私は古本屋さんで偶然、見つけた「横山光輝レア・コレクション」から読んでみ
ることにしました。
これには、横山作品でも入手困難と言われる「二つの顔の天使」「夕姫さまと由紀ちゃん
」「牧場の合唱」「ちこの牛乳屋」が載っています。
それで、まず気づいたのは親や兄弟が重要なキャラクターとして登場はしますが、決して
悲しいお話ばかりでなく、物語性が非常に豊富な点が目に付きました。
とくに、私が気に入ったのは天使の玉と悪魔の玉をめぐるファンタジー色豊かな「二つの顔
の天使」です。
しかし、横山先生といえば、その本領を大きく発揮出来たのは少年漫画にあることは間違
いないと思います。
なぜなら、私は横山作品が好きだという男性を何人も知っているからです。
最初に出会ったのはNさんという私よりも年下の男性だったのですが、人妻キラーと言えば
いいのか、とにかく映画やバイクなどの趣味に没頭している姿が頼もしいというか、可愛く
て、ついついちょっかいを出したくなるような人でした。
2番めは、Sさんという人で、主に昭和30年代の漫画やテレビ番組のお話をブログでして
下さるのですが、それが少年のワクワクした気持ちで書いてらして、まるで「三丁目の夕日
」そのもののようなブログを書かれています。
私、そのブログをとっても楽しみにしています♪
3番めは、最初にご紹介した「殷周伝説」を教えてくれた人で、この人はかなり前に私に
、横山作品の最高傑作は「マーズ」だと断言したことがありました。
最高傑作という言葉は、かなり横山作品を読み込んでいないと言えませんよね。
つまり、横山作品が好きな人には男らしくて素敵な人が多いのです。
それは、おそらく横山先生が漫画を通じて、ひたすら男の生き方を追求していたことと、
決して無縁ではないように思えます。
しかも、あの漫画の神様、手塚治虫先生の名作を描いていた漫画雑誌に、同時期に必ず、
横山先生も名作を発表しているのです。
手塚先生が、「鉄腕アトム」を「少年」に描けば、横山先生は「鉄人28号」を、手塚先
生が「ブッダ」を「希望の友」に描けば横山先生は「三国志」を、手塚先生が「三つ目がと
おる」を「少年マガジン」に描けば、横山先生は「闇の土鬼」を、手塚先生が「ブラック・
ジャック」を「少年チャンピオン」に描けば」、横山先生は「バビル2世」をというふうに
。
この意味するところは間違いなく、手塚先生の最大のライバルは、横山先生だったという
何よりの証拠ではないでしょうか?
お二人はそうして切磋琢磨して、お互いに名作を世に知らしめたのですね。
しかも、横山先生は後期になると、日本や中国の実在の人物を題材にして、作品を描いて
らっしゃるのです。
それは、別にアイデアに窮したからではなく、実在の人物に男の生き方を求めたのであっ
て、そこから謙虚な姿勢を窺うことが出来ます。
だからでしょうか?
横山作品が好きな男性は、男らしいうえに、決して驕り高ぶらず、謙虚な人ばかりなんで
す。
そういう訳で、私は横山光輝先生は、もっと評価されてしかるべきだと思います。