奈々の これが私の生きる道!

映画や読書のお話、日々のあれこれを気ままに綴っています

横山光輝漫画の魅力について

2016-06-26 12:48:30 | 読書
今回は漫画家の横山光輝先生と、少女漫画についてお話します。
 きっかけは、私が谷崎潤一郎の「刺青」の記事を書いた時、横山先生の「殷周伝説」に同

じエピソードが書いてあると教えてくれた人がいたからです。
 私は、その作品はまったく知らなかったのですが、それから暫くして古本屋さんに行って

みたら、その本が置いてあったのです。
 ところが、その作品は単行本にして、22巻もあり、そう簡単に読むという訳にはいかな

いなと思い、最終巻の最後のページをめくってみたら、編集者の文章が書いてあったのです


 それには、この作品が横山先生の絶筆で、それからまもなく不慮の死を遂げられたという

事が書いてありました。
 漫画が人気がなくなると、どんな優れた作品でも、すぐに連載を切られる宿命にあるとす

るなら、22巻もの大作の「殷周伝説」は横山先生が最後まで人気漫画家であり続けた何よ

りの証拠のように私には感じられました。
 そういう訳で、横山先生の作品を、何か読んでみたくなったのです。


 その時、頭にひらめいたのは、二ヶ月くらい前に買ったちばてつや先生のコンビニ本「1

・2・3と4・5・ロク」の巻末に載っていたちばてつや先生のインタビュー記事でした。
 それには、昭和30年代は少女漫画を描く漫画家さんが少なかったと、ちばてつや先生が喋

っていて、続けて、こう書いてありました。
 「すでに上田としこさんだとか、わたなべまさこさんだとか活躍をはじめた時期なんです

けど、せいぜい5人くらいだったんじゃないかな、女性の漫画家さんは。ですから、手塚治

虫さんとか横山光輝さんなど、女の子描くのが得意な人が描いてましたよね。」
 
 つまり、昭和30年代の少女漫画は、主に男性が描いていて、その中でも手塚先生と横山

先生はひときわ上手かったと、ちば先生が喋っていたのです。
 それで、私は横山先生が描いた少女漫画を読んでみたくなったのです。 
 ところで、昭和30年代の少女漫画とはどのようなものだったのでしょう?
 少年漫画だったら、「鉄人28号」、「月光仮面」、「サスケ」「赤胴鈴之助」と、私の

子供の頃にアニメ化されたものがいくつかありますので、少しは知っていますが、少女漫画

においては「リボンの騎士」くらいで、ほかは思いつく作品は、一般的に皆無に等しいので

はないでしょうか?
 これは、どういうことでしょう?
 それを解明する手掛かりが、やはり、コンビニ本「1・2・3と4・5・ロク」の、ちば

先生のインタビュー記事に書いてありました。
 当時は悲しいお話が多かった。
 戦後まもなくだから、お父さんやお兄さんが戦争でとられて帰ってこないとか、母と娘と

いう家族も多かった。
 そして、「シンデレラ」を基にしたようなお話が多かった。
 継母とか、血のつながらない姉妹にいじめられたりとか。
 だけど、けなげに他人を恨まないで、生きてて、そのうち誰か、王子様じゃないけど、最

後に救ってくれる人が現れて、主人公は幸せになりましたみたいな話ばかり描いていた。

 
 実は、私は男性の漫画家が描いた昭和30年代の少女漫画をいくつか読んでるんですけど

、悲しいお話に加え、主人公の少女がやたらと泣くシーンが出てくるんです。 
 あの涙は、少女を描くのが苦手な男性の漫画家が、少しでも少女らしく見せるためにそう

したような気がします。
 それに、女の子は悲しいお話が好きだという思い込みもあったようです。
 あの妖怪漫画の第一人者水木しげる先生も「雪のワルツ」「かなしみの道」「二人」と少

女漫画を描いているのですが、それが本当に悲しいだけで何の救いもないお話ばかりなんで

す。
 しかも、何を思ったか水木洋子のペンネームを使ってるんです。(笑)


 それに、私はある重要な事を知ってるんです。
 それは、出版社に勤務する編集者が、ラジオで喋っていたのですが、昭和41年に少女漫

画界に革命が起きて、それ以降、少女漫画の内容がガラリと変わったと云うのです。
 今もあります漫画雑誌「りぼん」には、それまで母親向けに、「私たちはあなたの大切な

娘さんが優しくて思い遣りのある子に育つように良質の漫画をお届けします」みたいなメッ

セージを必ず載せていたそうです。
 その訳は、漫画を読むのは子供ですが、お金を払うのはたいてい母親なので、当時の出版

社はいかにも母親の歓心を買うようなことばかりしていたのだそうです。
 だから、当時の少女漫画は出来るだけ母親が気にいるようなものばかり載せて、少女が親

に歯向かったり、恋愛する作品などは、もってのほかで、親孝行で、悲しい運命に翻弄され

ながらも、けなげに生きる少女のお話が多かったとか。
 そして、それは取りも直さず出版社の意向であり、そのような漫画を描くようにと漫画家

に強く勧めていたそうです。

 ちなみに、ちばてつや先生にも、母親をターゲットにした「ママのバイオリン」という少

女漫画があります。

 ところが、昭和41年に漫画雑誌「りぼん」は、自分たちは本当に少女たちが求める漫画

を提供していただろうか、ほかに少女漫画の道はないのかと討議を重ね、ついに母親向けの

メッセージを載せないことを決議し、少女漫画の内容に変革をもたらすきっかけを作ったそ

うです。
 それが、今も少女漫画の主流となっている恋愛ものだったのです。
 
 そして、今に伝えられる少女漫画の名作がキラ星のごとく、世に多く生まれたのです♪

 そういう訳で、昭和30年代の少女漫画は悲しいお話が多かったのですが、ちば先生があ

る時、いじわるする男の子たちに怒鳴り散らして反撃する女の子を描き、「こういう元気な

ユカちゃん大好き」「おてんばなユカちゃん大好き」と書かれたファンレターを沢山頂き、

それで、ちば先生は女の子は悲しいお話ばかりが好きなわけじゃなく、笑いたい時だってあ

るし、時には怒りたい時もあるのだなと納得し、「1・2・3と4・5・ロク」で、喜怒哀

楽のはっきりしたキャラクターを描いて、それが大ヒットにつながったそうです。
 私はそのほかに、ちば先生は漫画家にならなかったら、学校の先生になりたかったと仰っ

ているのを読んだことがありますので、先生が教え子を優しく、そして時には厳しく教え導

くような内容も大ヒットの要因になったと思えます。

 そういえば、手塚治虫先生の「リボンの騎士」も、サファイアが男の子に変装した姿が、

躾の厳しい良家の子女を中心に好かれたそうで、それも似たような理由ではないでしょうか



 それでは、ちば先生が、女の子描くのが得意だったと仰ってた横山光輝先生はどんな少女

漫画を描いていたのでしょう?  
 
 それを、私は古本屋さんで偶然、見つけた「横山光輝レア・コレクション」から読んでみ

ることにしました。  

 これには、横山作品でも入手困難と言われる「二つの顔の天使」「夕姫さまと由紀ちゃん

」「牧場の合唱」「ちこの牛乳屋」が載っています。
 それで、まず気づいたのは親や兄弟が重要なキャラクターとして登場はしますが、決して

悲しいお話ばかりでなく、物語性が非常に豊富な点が目に付きました。
 
とくに、私が気に入ったのは天使の玉と悪魔の玉をめぐるファンタジー色豊かな「二つの顔

の天使」です。
 

しかし、横山先生といえば、その本領を大きく発揮出来たのは少年漫画にあることは間違

いないと思います。
 なぜなら、私は横山作品が好きだという男性を何人も知っているからです。
 
 最初に出会ったのはNさんという私よりも年下の男性だったのですが、人妻キラーと言えば

いいのか、とにかく映画やバイクなどの趣味に没頭している姿が頼もしいというか、可愛く

て、ついついちょっかいを出したくなるような人でした。
 2番めは、Sさんという人で、主に昭和30年代の漫画やテレビ番組のお話をブログでして

下さるのですが、それが少年のワクワクした気持ちで書いてらして、まるで「三丁目の夕日

」そのもののようなブログを書かれています。

 私、そのブログをとっても楽しみにしています♪

 3番めは、最初にご紹介した「殷周伝説」を教えてくれた人で、この人はかなり前に私に

、横山作品の最高傑作は「マーズ」だと断言したことがありました。
 最高傑作という言葉は、かなり横山作品を読み込んでいないと言えませんよね。

 つまり、横山作品が好きな人には男らしくて素敵な人が多いのです。

 それは、おそらく横山先生が漫画を通じて、ひたすら男の生き方を追求していたことと、

決して無縁ではないように思えます。
 しかも、あの漫画の神様、手塚治虫先生の名作を描いていた漫画雑誌に、同時期に必ず、

横山先生も名作を発表しているのです。
 手塚先生が、「鉄腕アトム」を「少年」に描けば、横山先生は「鉄人28号」を、手塚先

生が「ブッダ」を「希望の友」に描けば横山先生は「三国志」を、手塚先生が「三つ目がと

おる」を「少年マガジン」に描けば、横山先生は「闇の土鬼」を、手塚先生が「ブラック・

ジャック」を「少年チャンピオン」に描けば」、横山先生は「バビル2世」をというふうに


 この意味するところは間違いなく、手塚先生の最大のライバルは、横山先生だったという

何よりの証拠ではないでしょうか?

 お二人はそうして切磋琢磨して、お互いに名作を世に知らしめたのですね。
  
 しかも、横山先生は後期になると、日本や中国の実在の人物を題材にして、作品を描いて

らっしゃるのです。
 それは、別にアイデアに窮したからではなく、実在の人物に男の生き方を求めたのであっ

て、そこから謙虚な姿勢を窺うことが出来ます。
 だからでしょうか?
 横山作品が好きな男性は、男らしいうえに、決して驕り高ぶらず、謙虚な人ばかりなんで

す。

 そういう訳で、私は横山光輝先生は、もっと評価されてしかるべきだと思います。 
  
 
   
 
 

納豆売りから、水森亜土♪

2016-06-19 23:00:52 | 映画・テレビ
 前回、テレビアニメの「ひみつのアッコちゃん」のお話をしましたが、その番組のエン

ディング曲「すきすきソング」に、気になる歌詞が入っていました。
 
♪すき すき すき すき

 すき すき すき すき

 すき すき すき すき

 すき すき すき すき

 アッコちゃん アッコちゃん

 すきすき
 (ハ ヨイト)

 アッコちゃん 来るかと

 団地のはずれまで出てみたが
 (ハ ドシタ アッコちゃん)

 アッコちゃん 来もせず

 用もないのに納豆売りが

 ハーハー ナットオー!!



 この中で、私が気になったのは、(納豆売り)という歌詞です。

 これは、行商人が、納豆を売り歩いてたということですよね?

 私は現在、宮崎に住んでますが、昔、暮らしていた東海地方や関西でも、納豆売りは聞

いたことも見たこともありません。
 
 「ひみつのアッコちゃん」の舞台は東京なので、関東にはあるんでしょうか?

 もしくは、昔あったとか?

 こちらでは、石焼き芋や、物干し竿売りなら見たことがあります。
 大阪に住んでいた頃は、豆腐売りが、自転車に乗って、ピープーとラッパを鳴らしなが

ら売りに来ていたことはありました。

 そういえば、昔は金魚売りが「金魚~え~、金魚」と言って、売り歩いてたこともあっ

たみたいですね。 

 そこで、納豆売りをネットで調べてみたら、確かに「ひみつのアッコちゃん」が放送さ

れる少し前まで存在していたそうです。
 昔の納豆と言えば、藁に包んだものを思い浮かべますが、納豆売りは納豆を桶に入れて

小分けして売っていたみたいです。

 納豆は茨城県水戸市が有名ですから、やはり、関東で主に行商していたのでしょうか。
 それに、関西では納豆が苦手な人が多いと聞きますし。
 そこで、私が不思議に思うのは、あの世界最強の女傑と言われる大阪のオバちゃんなん

です。
 大阪のオバちゃんと聞くだけでも、私はビビってしまうのですが、向かうところ敵なし

のはずなのに、納豆が食べられないとは、なんだか笑えますよね?

 どうして、大阪のオバちゃんは納豆が苦手なんでしょう?


 そこで、私はその謎を解くべく、ある大阪のオバちゃんのブログに潜入し、調査してみ

たのです。
 そのオバちゃんはとにかく食べるのが好きみたいで、美味しいものを食べたと言っては

嬉しそうにブログに書くんです。
 だけど、いろんなものを食べてはいますが、案の定、今まで書いた中で、納豆の記事は

一つもありませんでした。
 だったら、大阪のオバちゃんは一体、何が好きなのでしょう?

 それがね、驚いたことに洋食なんです。
 
 普通、大阪のオバちゃんの食べそうなものと言ったら、たこ焼きとか、お好み焼きでし

ょう?

 それなのに、郷土愛どころか、愛国心すら感じられないものばかり食べてるんです。

 大阪のオバちゃん、あなたはそれでも日本人ですか?

 日本人としての誇りはどこにもないのですか?


 ああ、大阪のオバちゃんがこれを読んでたらどうしよう?

 恐っ!

 そうだわ!
 もしかしたら、世界最強の女傑にふさわしく、食べ物で世界制覇を狙ってるのかも?

 恐るべし、大阪のオバちゃん!!

 やっぱり、大阪のオバちゃんは素敵です~♪

 こんだけ、よいしょすればいいかな?(苦笑)


 でも、世界制覇を狙ってるなら、苦手なものを克服するのも大事なことですよね?

 実は、大阪のオバちゃんの虚栄心をくすぐるような納豆があるんです。

 その名も、人呼んで「セレブ納豆」♪

 これです。


 この「せれぶでなっとう」はタレに特徴があって、チーズ味、トマト味、バジル味があ

り、手軽にセレブ気分が味わえちゃいます♪
    
 大阪のオバちゃん、これを食べて納豆を克服し、一日でも早く世界制覇を成し遂げて下

さいね♪
 

 ところで、その「すきすきソング」を歌っていたのはイラストレーターとして有名な水

森亜土さんです。

 この人は歌もよく歌っていて、私は映画の「パンダコパンダ」、NHKみんなのうたの「

いたずらっこ」も好きでした。
 だけど、水森亜土さんと言えば、まず思い浮かべるのはイラストレーターとしてのお仕

事ですよね。

 この人のイラストは、少女漫画にもよく載っていました。
 私は、イラストを集めたことはありませんでしたが、雑誌に水森亜土さんのイラストが

載っていると思わず、よく見入ったものでした。
 水森亜土さんの描くイラストの女の子は、雰囲気で可愛いって思えちゃうところが大好

きです。
 
 これは、水森亜土さんお得意のキスするカップルです。

 でも、本当にキスしてる訳ではなく、微妙にずれているのだとか。


 でも、私の世代で忘れられないのは、何と言ってもNHKのレギュラー番組「たのしいき

ょうしつ」で、透明なアクリルボードに歌いながら両手で同時に別々のイラストを書くパ

フォーマンスでしょう。

 あれを見るたび、なんてすごい人だろうと、いつも思っていました。
 
 それに、この人が普通に喋ってるところを聞いたことがある人は誰もいないのではない

でしょうか?

 宇宙語?とでも言えばいいのか聞いたこともないような不思議な言葉を喋ったりするん

です。 

 そういう意味でも、私の中ではノッポさんと同じくらいすごい人だと思っていました。

 いいえ、ユニークいう点に置いては、あの山下清画伯に、決して引けは取らないのでは

ないでしょうか♪ 

  
 そういうことで、今回は、納豆売りから、大阪のオバちゃん、そして、水森亜土さんの

お話でした♪



 


 

テレビアニメ「ひみつのアッコちゃん」

2016-06-15 00:30:58 | 映画・テレビ


 ちょっと前にお話したテレビアニメ「魔法使いサリー」について調べていた時、その番

組は魔法少女ものの走りで、以後、何作も魔法を使える少女を主人公にしたものが作られ

たと知りました。
 そして、その中で、一番のヒット作は、「魔法使いサリー」のすぐあとに放送された「

ひみつのアッコちゃん」だったそうです。

 実は私、子供の頃「ひみつのアッコちゃん」のコンパクトを持っていたんです!

 それで遊ぶ時は、アッコちゃんの魔法の呪文「テクマクマヤコン テクマクマヤコン」

を、しまう時は、「ラミパスラミパス ルルルルル」と唱え、机の引き出しに大切にしま

っていたのです。
 ちなみに、「テクマクマヤコン」は「テクニカル マジック コンパクト」の略で、「

ラミパス」は、スーパーミラーを逆にした言葉だそうです。

 でも、「ひみつのアッコちゃん」といえば、私はこの番組に悲しい思い出があるのです


 この番組は、幼い頃、毎週、すごく楽しみに観ていたのです。
 ところが、この番組が放送されている最中に、私の住んでる宮崎にもう一つ放送局が開

局し、「ひみつのアッコちゃん」は、それまでの10チャンネルから、その新しい放送局「

テレビ宮崎」にチャンネルに移ってしまったのです。
 そのチャンネルが問題だったのです。
 わが家のテレビは12チャンネルまでしかなかったのに、新しい放送局は35チャンネ

ルだったため、あんなに楽しみにしていた「ひみつのアッコちゃん」が観れなくなってし

まったのです。
 当時、35チャンネルを観るためには、別にチューナーをテレビに付けなければならな

ず、わが家は新しいテレビを買うまで付けてくれなかったのです。
 突然、「ひみつのアッコちゃん」が観れなくなった私は悲しくて悲しくてたまりません

でした。
 だけど、そんな話を、近くに住むいとこのお姉さんにしてたら、「だったら、私の家に

泊まりに来なさいよ。うちのテレビなら見れるから」と言ってくれたのです。
 「ひみつのアッコちゃん」は、午後7時の放送と遅かったですし、お姉さんと私は大の

仲良しだったので、たぶん、泊まってほしかったのだと思います。
 その言葉に大喜びした私は、「ひみつのアッコちゃん」が放送される日に、わくわくし

ながら泊まりに出かけたのです。
 ところが、お風呂もお姉さんの家のに入り、食事も頂いて、さあ、いよいよ番組が始ま

るという時、ガラガラと玄関の戸が開いて、いつもより早く、おじさんが帰って来ちゃっ

たのです。
 そして、開口一番、「おい、ボクシングを観るぞ。」と言って、チャンネルをくるくる

っと変えちゃったのです。

 ええっ!私、「ひみつのアッコちゃん」が観たくて泊まりに来たのに・・・

 お姉さんに小声で言ってみたものの、お父さんには逆らえないと言うのです。
 おじさんは、焼酎を飲みながら、ほろ酔いかげんで、ボクシングを観て、気持ちよさそ

うにしていたのですが、私はそれが憎らしくてたまりませんでした。(苦笑)
 その晩、私はお姉さんちに泊まったのですが、悔しくてたまらず、涙で枕をぬらし、な

かなか寝付けなかったのを未だに、はっきり覚えています。(苦笑) 

 それ以後、宮崎では、再放送もされなかったため、私はすっかり、この番組を忘れ去っ

ていました。
 だけど、この歳になって観た「魔法使いサリー」が未だに面白かったので、それ以上に

ヒットした「ひみつのアッコちゃん」も、断然、観てみたくなったのです。
 そこで、レンタル屋さんに行ったら、私に見てよと言わんばかりに、DVD全16巻がち

ゃんと置いてあったのです。
 それで、「魔法使いサリー」を見終わってから、今まで「ひみつのアッコちゃん」の

DVDを少しずつ観ていたのです。

 それにしても、なぜ、「ひみつのアッコちゃん」が魔法少女ものの最大のヒット作にな

ったのでしょう?
 まず、魔法の国のお姫様サリーちゃんと違って、アッコちゃんはごく普通の女の子だっ

たところが、身近に感じられたからかも知れません。

 2つめはアッコちゃんが、鏡を使って、変身しちゃうところにあるような気がします。
 
 鏡、それは女性にとって無くてはならない物で、お化粧する時や、身だしなみを整える

時など、必ず持ち歩いてるものであります。
 しかも、鏡はただ、自分の姿を映すだけじゃなく、女性の多くは鏡に向かって、ある思

いを念じているように思います。
 女優で詩人の黒木瞳さんに、その私の気持ちに、ぴったりの「真心」という素敵な詩が

あります。

 あなたのために 心をみがいている

 ほんとうの私を

 あなたに知ってもらいたいから

 一点の曇りもないほどに

 私の心をみがいている

 嘘がつまった体を捨てて

 ほんとうの私に戻ったら

 あなたに伝える

 私の真心

 
 
 そう、女性はただ容姿だけが奇麗になりたいだけで鏡に向かっているのでなく、愛する

誰かを思い、心も綺麗にと念じているものなのです・・・


 つまり、女性は、それほど鏡に深い思い入れをしてますので、コンパクトで変身出来ち

ゃうアッコちゃんに心から共感するのではないでしょうか?

 そういうことなどを考えながら、私は最近まで「ひみつのアッコちゃん」のDVDを見続

けていたのです。
 でも、ほかにもヒットの要因があることに気づいたのです。
 この作品の原作者は、ギャグ漫画の神様と讃えられた赤塚不二夫さんで、モコちゃん、

大将、少将、ガンモ、チカ子ちゃんなど、ユニークなキャラクターに加え、随所に笑いが

散りばめられているのです。
 で、どこが可笑しいと言って、アッコちゃんは事件を解決しようと思って変身するです

が、変身したがために、かえってこんがらがって、事件が思わぬ方向に突っ走ってしまう

ところが最高に笑えちゃうんです♪
 しかも、笑えるだけではないんです。
 女の子向けに作られただけあって、弱者や虐げられた者に対する優しさや思いやりを差

し伸べるように、細かく配慮されて作られているんです。

 だから、「ひみつのアッコちゃん」を観てると、優しい気持ちになれるんです。

 それで、私は泣いたり笑ったりしながら、「ひみつのアッコちゃん」のDVDを観ていた

のですが、あるキャラクターに、ふと目が止まったのです。
 それは、アッコちゃんの秘密に関するキャラクターです。
 だいたい、なぜ、「ひみつのアッコちゃん」というタイトルなのかと言いますと、アッ

コちゃんは鏡で変身出来るのを、誰にも教えずに秘密にしてるんです。
 そうしないと、鏡の魔法が効かなくなり、二度と変身出来なくなるからです。
 ところが、アッコちゃんのペットだけは、一緒にいる時間が多いからか、例外としてア

ッコちゃんの秘密を知っているのです。
 そのペットを見てたら、私はだんだん、自分がアッコちゃんのような気がしてきたので

す。
 それもそのはず、そのペットの名は「しっぽな」という猫なんです!

 これが、しっぽなです。

 どうです?
 可愛いでしょう?

 これは、アッコちゃんと一緒に、「白鳥の湖」を踊っているところです♪

 でも、しっぽなは可愛いだけではないんです!

 こんなに色っぽい面も持ってるんです。 
 
 

  実は、私の周りにも、しっぽなさんという人がいるんです。

 でも、ネットで知り合っただけで、直接会ったことはないので、人だという確証はどこ

にもないです。

 もしかしたら、あの人、本当は猫だったのかしら?

 そうかも知れない。

 その昔、夏目漱石が飼っていた猫も頭がよくって、小説「吾輩は猫である」を、漱石に

口述筆記させたという前例があるらしいですし、パソコンのキーくらい朝めし前かも知れ

ません。
 しっぽなさんとは、もう4年のお付き合いなんです。
 初めて、出会った時の事、よく覚えています。
 あれは、私が鈴木清順監督の「陽炎座」を書く時、ほかに書いてる人はいないかな?と

思って、検索したら、しっぽなさんが、新宿かどこかで、鈴木清順監督の「陽炎座」の上

映会があると書いてらしたのです。
 そして、水木しげるや、手塚漫画で意気投合して、すぐに仲良しになったのです。

 そうかあ、あれから、もう4年も経っちゃったんだあ。

 その間、いろんなことがあったなあ・・・

 え?しっぽなさんて、私にとって、どういう存在かですって?

 う~ん、空気みたいなと言ったらいいかな?

 毎日いて、当たり前。

 いないと、何かあったのかな?と、とっても気になっちゃう。

 だけど、ある時、ぷいといなくなった事があったの。

 もう私、すごく慌てちゃって、あちこち探しまわって、ようやく連れて帰った事があり

ました。
 そうかと思うと、チリンチリンと鈴を鳴らすみたいに、私のあとをついてきてと言うか

ら、何だろうと思って、ついてったら、新しい住処に招待されたこともありましたっけ。

 この4年間、いろんなことがあったけど、私を見捨てないでくれて、本当に感謝してま

す。(苦笑)

 これからも、末永くお付き合い出来ればと思います♪


 あとね、もう一匹、アッコちゃんの秘密を知ってるペットがいるんです!

 それは、鳥なんです。

 
 何だか、アッコちゃん、迷惑そうですけど、この鳥、ホラばっかり吹くので、ちょっと

煙たがれてるんです。(笑)

 実は私の周りにも、鳥の名をハンドルネームにしてる人がいるんです!

 その人は、大の鳥好きで、よくブログに野鳥の写真を載せたりしてるんです。

 その人の名誉のために書きますが、決して、ホラ吹きではないと思います。

 たぶんですね、たぶん、そうだと思いますヨ。(笑)  



 そういう訳で、アッコちゃんの秘密を知ってるペットが二人と言おうか、二匹も、私の

周りにいるので、私の本当の正体は、ひみつのアッコちゃんに間違いないと思います♪


 その証拠に、魔法の呪文を唱えれば、きっと何にでも変身出来ると思います。


 じゃあ、いきま~す!

 ラミパスラミパス ルルル
  じゃなかった!

 テクマクマヤコン テクマクマヤコン 
お姫様になあれ!


 ♪そいつの前では女の子

 つーんとおすまし

 それはなぁに

 それはかがみ かがみの中から

 ツンツンツン

 シンデレラ姫があらわれた

 ツンツンツン

 それはだぁれ

 それはひみつ ひみつ ひみつ

 ひみつのアッコちゃん

 


   

エロスと変態について

2016-06-09 12:09:29 | Weblog
今回は、エロスと変態について書きます。
 エロスと変態は、紫色のものを身にまとうのに似ている気がします。
 紫色のものは上手に着こなせば、上品で落ち着いて見えますが、一歩間違えると、ド派

手で下品にしか見えません。
 ですから、エロスと変態を上手に活用出来る人はかなり魅力的なのではないでしょうか


 
 それでは、まずエロスからお話します。
 私は奇妙なご縁から、三島由紀夫に興味を持ち、その著作を何冊か読んできたのですが

、名作と言われるいずれの小説にもエロスが含まれているのに気づいたのです。
 エロスがなくても、名作は書けるはずなのに、なぜでしょう?
 「金閣寺」では、女が出征兵士に自分のお乳を飲ませる場面が、「午後の曳航」では、

息子が、母親と男のセックスシーンを覗き見る場面が、「憂国」では、大胆なセックスシ

ーンが書かれています。
 
 エロスといえば、三島由紀夫は割腹自殺する一週間前に、古川尚との対談で、自分なり

の見解を喋っています。
 その時、三島はジョルジュ・バタイユとマルキ・ド・サドを例に、エロティシズムは超

絶的なものにふれた時に初めて真価を発揮すると述べています。
 その超絶的なものの一例が、「神様」です
 つまり、倫理観とか道徳心に反する事をした時、人はエロスを感じるという考えです。
 そこで、私の頭をよぎったのは、女性が性的なことに関心を持つのを嫌がったり、ヌー

ドになる芸能人を嫌悪する男性たちのことです。
 その男性たちは、性的なことに劣等感を抱いているのは否めませんが、それと同時にお

しとやかで清純な女性を、自らの体で穢すことに喜びを覚えるからではないでしょうか。

 エロス、すなわち性欲は、食欲、睡眠欲と並んで、人間の三大本能の一つとされていま

す。
 とするなら、エロスは人間にとって、必要不可欠なものであり、決して、ないがしろに

していい訳がありません。
 
 私はエロスの重要性について考えている時、ふとしたことでエロスを必要以上に避ける

人がいることを知りました。
 それは、主に異性との関係で、自分に自信を失くした人たちでした。
 
 性欲は、子供の頃はなくて、体が発達し、性ホルモンが活発化するに連れ、それと合わ

せて心の中に少しずつ芽生えてくるものですよね。
 
 だから、性欲があるのは大人にとって、至極当たり前のことなのです。
 ところが、自分に自信を失くすと、現実に立ち向かう勇気が消え、正常な思考能力に支

障をきたすようになり、子供の頃の楽しかった過去をくよくよ振り返るようになってしま

うようです。
 そして、そういう人たちは決まって覇気がなく、エロスのお話を嫌がる人が多いのです


  女性においては、まるで少女みたいに振る舞うようになり、ことさら美しいものや可

愛らしいものに執着するようになってしまう。
 先頃、スタップ細胞論議で、一躍、時の人になった小保方さんが、雑誌「婦人公論」に

写真を載せてましたが、年甲斐もなく、すごい少女趣味を伺わせる格好をして、雰囲気も

幼い印象を漂わせていました。
 あれは、世間のパッシングにすごい衝撃をうけたことを物語っているように見受けられ

ます。
 
 男性が自信を失くすと、大人の女性に対する不安から、幼女に関心を持つようになり、

ロリコンに走るケースがあるようです。

 つまり、変態になっちゃうのです。

 ここから、変態のお話に入ります。
 そのロリコンより、もっと酷いのが、自分は女性だと思いたがる人達です。
 もちろん、世の中には性同一性障害と言って、体は男性なのに、女性の心を持っている

人がいるのは事実として認めます。
 でも、どう考えても男性なのに、なぜか、女性っぽく振る舞う人がいるのです。
 その答えは「雌雄を決する」という言葉に隠されているように思います。
 これは、動物に多く見られるのですが、メスの取り合いや縄張り争いなどで、激しいケ

ンカをし、それに負けてしまうと、オスとしての自信を失くし、まるで、メスのような
行動をするようになってしまう人がいるのです。

 いわゆる、女々しい奴になってしまう訳ですね。
  
 一例をあげると、昔、60半ばという年齢でありながら、少女漫画のことばかり、ブロ

グに書いているお爺さんがいました。
 漫画ブログと言いますと、私にはSさんという漫画好きな人がいるのですが、ある時、心配して「どうして、もう子供でもないのに、そういうものを書いてるのですか?今を大切に生きようとは思わないのですか?」とお尋ねしたところ、畑中葉子の「後ろから前から」を例に、「私は、後も前も大切に生きていきたいと願っています。」と心強いご返事を頂いたことがありました。


 「さすがは、私の敬愛するSさんだわ♪」と今まで以上に大好きになったので、Sさんは心配ないと思っています♪
 
 私が言いたいのは、別のお爺さんです。


 このお爺さん、最初は私をお気に入りにして、ブログにコメントをくれていたのです。
 だから、私に好意を持っていたようです。
 
 しかし、プロフィールの画像も、どこで見つけたのか古くさい雑誌の裏に載ってた花嫁

姿の写真を貼り付け、どこか異様な雰囲気を感じずにはいられませんでした。

 このお爺さんのブログで扱うのは1960年代の恋愛の要素がまったくない少女漫画で

、ただあらすじを書いただけの簡単な文章で、それに対する感想は何一つ書かれていませ

んでした。

 私は初めの頃、そのお爺さんを、性同一性障害なのかなと思っていたのですが、どう考

えても女性の雰囲気はまるで感じられないのです。
 それどころか、女性を馬鹿にして、自分は男だと誇示しているようなところが感じられ

るのです。
 だったら、このお爺さん、なぜ、少女漫画のことを書いているのだろ?
 奇妙に思っていたのは、私一人ではありませんでした。
 ほかの漫画好きなお爺さんも、「少女漫画もいいけど、たまには少年漫画のことも書け

ば?」とコメントする始末だったのです。
 ところが、このお爺さん、そうコメントされると、途端にビクビクして、ただ申し訳程

度に少年漫画の記事を書くのです。
 お爺さん、言いたいことがあれば言えばいいじゃない?
 どうして、男なのに、しかも、お爺さんと言われても不思議でない年齢で、幼稚な少女

漫画のあらすじだけ書いて、それで満足出来るの?
  
 でも、私は、このお爺さんに、何か訳でもあるような気がして、お爺さんのブログにせ

っせとコメントしていたのです。

 それにしても、このお爺さん、あんなこと書かれて、何も反論する訳でもなく、自分の

こと情けないとは思わないのかしら? 
 
 すると、このお爺さん、同じ、1960年代の少女漫画の記事を書いてる同じ年頃の女性

のブログに、一心にコメントしているのを突き止めたのです。
 それは、その女性が取り上げた少女漫画を読んでいた頃の記憶だけを書いたもので、や

はり、漫画の感想は一言もなく、そのコメントから受ける印象は、自分を女だと認めてく

れと言いたいのがありありと感じられるばかりでした。 
 でも、私は少年時代に熱心に少女漫画を読んでいたからと言って、このお爺さんに女性

の心があるとは、その雰囲気からして、到底思えなかったのです。
 その女性も、お爺さんからコメントが来ると、次は少年漫画の記事を書いたりして、嫌

がっているように思えました。
 そうすると、このお爺さん、女性と認めてほしいから、少年漫画に対してはコメントは

しないのです。
 それで、その女性、お爺さんからのコメントが来なくなると安心して、再び少女漫画の

記事を書くのですが、お爺さん、またぞろノコノコやって来て、コメントをする、その繰

り返しなんです。 


 結局、このお爺さん性懲りもなく、ブログに少女漫画の記事を書き、先ほどの漫画好き

のお爺さんに、「お前は本当に性のない奴だな」みたいにコメントされてしまい、花嫁の

写真も変えて、ブログも書かなくなってしまいました。

 いいえ、書いても書いても、女性だとは誰も信じてくれないから書けなくなってしまっ

たのでしょうね。

 このお爺さん、「雌雄を決する」という言葉通り、何かに負けちゃったのでしょうね。
 私は、おそらく自分自身に負けたのだと思います。
 だから、このお爺さんは自信を失くしたために、性倒錯をきたし、現実逃避の手段とし

て、幼稚な少女漫画に興味を示し、それに執着するようになってしまった。
 それに、そうすることに、エロスを感じちゃってるから、何と言われてもやめられない



 だけど、現実逃避ばかりして、本当の自分に目を背け、誤魔化してばかりいると、どう

なるでしょう?
   
 おそらく、行き着く先は認知症ではないでしょうか?

 少女漫画ばかり読んでるお爺さんてねえ?

 
 そういう意味でも、エロスと変態は密接な関係にあるように思いますし、より良い人生

を送るためにも、今一度よく考えてみられるべきだと思います。


   

谷崎潤一郎「刺青」エロスと変態と

2016-06-02 21:48:26 | 読書
  今回は谷崎潤一郎の「刺青」のお話をさせていただきます。
 この作品は、谷崎潤一郎が明治43年に発表した事実上の処女作になるそうです。
 
 あらすじ
 その頃、美しい者は強者で、醜い者は弱者と言われていた。
 そのため、誰もが挙って美しくなろうとし、体に刺青をすることが流行っていた。
 若い刺青師の清吉は、腕ききとして、ことに評判がよかった。
 この若い刺青師の心には、人知らぬ快楽と宿願が潜んでいた。
 彼が人々の肌を針で突き刺す時、真紅に血を含んで膨れ上がる肉の疼きに堪えかねて、大抵の男は苦しき呻き声を発したが、その呻きごえが激しければ激しい程、彼は不思議に云い難き愉快を感じるのであった。
 清吉の年来の宿願は、光輝ある美女の肌を得て、それへ己れの魂を刺り込む事であった。
 そんなある日、清吉はとうとう、運命の女に出会った。
 年の頃は漸う十六か十七かと思われたが、その娘の顔は、不思議にも長い月日を色里に暮らして、幾十人の男の魂を弄んだ年増のように物凄く整っていた。それは国中の罪と財との流れ込む都の中で、何十年の昔から生き代わり死に代わったみめ麗しい多くの男女の、夢の数々から生まれ出ずべき器量であった。
 その女に、清吉は巻物の絵を見せた。
 それは古の暴君紂王の寵妃、末喜を描いた絵であった。瑠璃珊瑚を鏤めた金冠の重さに得堪えぬなよやかな体を、ぐったり勾欄に凭れて、羅綾の裳裾を階の中段にひるがえし、右手に大杯を傾けながら、今しも庭前に刑せられんとする犠牲の男を眺めている妃の風情と云い、鉄の鎖で四肢を銅柱へ縛いつけられ、最後の運命を待ち構えつつ、妃の前に頭をうなだれ、眼を閉じた男の顔色と云い、物凄い迄に巧みに描かれていた。
  恐れおののく娘に、清吉はもう一つの巻物の絵を見せる。
 それは「肥料」と云う画題であった。画面の中央に、若い女が桜の幹へ身を寄せて、足下に累々と斃れている多くの男たちの屍骸を見つめている。女の身辺を舞いつつ凱歌をうたう小鳥の群、女の瞳に溢れたる抑え難き誇りと歓びの色。それは戦の跡の景色か、花園の春の景色か。それを見せられた娘は、われとわが心の底に潜んでいた何物かを、探りあてたる心地であった。
 「これはお前の未来を絵に現したのだ。此処に斃れている人達は、皆これからお前の為に命を捨てるのだ」
 その言葉に娘はぞっとし、「親方、白状します。私はお前さんのお察し通り、その絵の女のような性分を持っていますのさ。だからもう堪忍して、それを引っ込めてお呉んなさい」と云うのだが、清吉は「まあ待ちなさい。己がお前を立派な器量の女にしてやるから」と云うなり、麻酔剤で娘を睡らせ、肌に針を刺すのであった。
 針の痕は次第々々に巨大な女郎蜘蛛の形象を具え始めて、再び夜がしらしらと白み初めた時分には、この不思議な魔性の動物は、八本の肢を伸ばしつつ、背一面に蟠った。
 「己はお前をほんとうの美しい女にする為に、刺青の中へ己の魂をうち込んだのだ。もう今からは日本国中に、お前に優る女はいない。お前はもう今迄のような臆病な心は持っていないのだ。男と云う男は、皆お前の肥料になるのだ。・・・」
 
 女の刺青に朝日がさして、女の背中は燦爛とした。



 私は、谷崎潤一郎の「刺青」を読んで、処女作においてすでにSMという名の変態の世界を通してエロスや女の神秘に迫ろうとする姿勢が見られることに気づかざるを得ませんでした。

 この作者の天才を最も早く発見したのは上田敏や永井荷風だそうです。
 とくに荷風は「当代稀有の作家」と絶賛の言葉を惜しまず、谷崎潤一郎の芸術における三つの顕著な特質として、第一に肉体的恐怖から生ずる神秘幽玄、肉体上の残忍から反動的に味わい得らるる痛切なる快感をあげ、第二に全く都会的であること、その作品の主材の取り扱い方は勿論、説話の順序、形式の整頓、些細なる一字一句の選択に至るまで、尽くその特徴が現れ溢れていることを云い、第三に文章の完璧なことをあげたとか。 


 あの三島由紀夫は、「谷崎潤一郎氏の得た自由の根拠は、官能的感受性の全的な是認であり、すなわちエロスであった」と断じ、エロスにはサディスティックなものとマゾヒスティックなものがあると説いています。
 前者は束縛を嫌って形式を破壊し、感受性を枯渇させる危険があるけれど、後者は愛する対象による束縛を愛して、感受性の永遠の潤沢を保証しうる。理想的な作家は両者の混淆にあるのだろうが、どちらかに偏するなら、後者に偏したほうがいい。
 この寓話は、すでに「刺青」に歴然と語られている。灰色の自然主義文学を背景にして、(注、「刺青」が発表された当時、文壇は自然主義文学の飽和状態にあった。)いかにこの作品が、黒い曇天を背景にして咲き誇る絢爛たる牡丹の美を開顕したかは、想像に余りある。しかも、この作品には、晩年の「鍵」にいたるまでの(「瘋癲老人日記」はすこしく例外)谷崎文学の特質が序曲のように悉く提示されている。
  

 しかも、三島由紀夫は少年時代から、谷崎潤一郎を愛読していたらしく、その頃、美しい伯母に「谷崎の変態小説を読んでるの?」とからかわれながらも、何となく美しい顔にうれしそうな表情を浮かべていたのを覚えているそうです。
 そうして、氏の文学にある変質があったとしても、それは社会人をひそかに満足させ、女をひそかに喜ばせる種類の変質だった。と書いています。

 

 生きる上において、エロスや変態は男女に関わらず、とても大切なことではないのか?

 それは大人になればなるほどに。

 私は異性との関係が、どうしてもうまく行かず、同性愛者になった人や、心の底に潜むM気質を充足させるために、SMの女王様にいたぶられるのに喜びを感じる人達や、その他いろいろな事例を知るに連れ、そう考えざるを得なくなったのです。

 そういう訳で、エロスや変態を更に知るべく、これから三島由紀夫が愛した小説を主に読んでみようと思います。