奈々の これが私の生きる道!

映画や読書のお話、日々のあれこれを気ままに綴っています

吉永小百合に見る女の生き方

2015-04-22 22:21:26 | 読書
 

今回は、女優の吉永小百合さんについて書きます。
 子供の頃、美人と言ったら、私は真っ先に吉永小百合さんを思い浮かべていました。
 アイドル歌手でも、綺麗で可愛いなと思える人は何人もいたのですが、吉永小百合さんだ

けは別格の存在で、ただ美しいだけでなく、顔立ちや、喋り方や、立ち居振る舞い、全てに

おいて、気品を感じさせて、雲の上の人にも等しいほどに思っていました。
 そして、今でも吉永小百合さん主演の映画が、ほぼ毎年、1本のペースで作られている事に

驚きと畏敬の念を持たざるを得ないでいます。

 戦中戦後、やはり、大女優として、名を馳せた原節子さんは、42歳の時、突然、引退して

、映画の中で、若さを永遠に封じ込める事に成功しましたが、吉永小百合さんは今なお、現

役でご活躍されているのです。
 私は、もう20年以上前に、吉永小百合さんが、「お客様が、吉永小百合を観たいと言われ

る限り、老醜を晒してでも、映画に出続けます」と仰ったお言葉が、とても印象深く、脳裏

に刻まれています。

 そんな吉永小百合さんは、一体、どんな人生を歩んで来られたのでしょうか?

 たぶん、いいとこのお嬢様として生まれ、美人で、性格もよくて、みんなに好かれて、子

供の頃から何不自由のない恵まれた生活を送って来られたのでは?

 私は、漠然と、そう思っていたのです。

 ところが、吉永小百合さんの自伝「夢一途」によりますと、決して、そうではないという

事がわかってきました。

 戦争の傷跡がまだ充分癒えていない1952年、私の町内のどの家も貧しかった頃ですが、わ

が家はその中でも相当に苦しかったように記憶しています。門構えはゆったりと裕福そうな

のですが、家の中は火の車。父は役人を辞めて出版事業に乗り出し、失敗しました。
 借金取りや、税務署の差し押さえの役人が家の中に入り込み、子供心に私は、「なんて失

礼な人たちなのだろう。よし、私がお父様を助けてあげよう」とハタキを手に持って身構え

た、かすかな記憶もあります。
 「さゆり、新聞配達する」と母親に迫り、まだ年がいかないからと、なだめられたことも

ありました。
「夢一途」より

 吉永小百合さんの、弱者や虐げられた人々に対する思い遣りの原点はここにあるのでしょ

うか。

 ところが、それほど苦しい生活を送っていながら、ご両親の強い願望で、幼い頃から、音

楽や芸能に触れる機会が多くあり、小学生の頃から、少しづつ子役として活動されていたと

か。
 吉永小百合さんがお芝居をする楽しさを初めて味わったのは、小学5年生の時の学芸会の

主役で、人間の仕掛けた罠にはまった母ウサギを演じた時だそうです。
 その時、子ウサギやキツネ、タヌキ、リス達が、母ウサギを必死に助けようとするのです

が、罠は足に食い込んでいくばかりで、次第に母ウサギは衰弱し、動物たちも途方に暮れて

、泣いていると、月の女神が現れ、動物たちの愛の深さに打たれて、母ウサギを開放してく

れるというお話だったそうです。
それが、学校の講堂を埋め尽くして観に来ていた父兄と生徒

の間にすすり泣きが起こり、ハンカチが広げられるのを見た時、小百合さんは言い知れぬ感動に震え、

それと同時に不思議な快感も覚えたのだとか。

 そんな折り、お母様のラジオ局に勤める友人から、「赤胴鈴之助」の子役オーディション

に応募してみたらという話が舞い込み、見事、さゆり役に選ばれ、これが吉永小百合さんの

芸能界デビューになったそうです。
 それ以来、お家はそれまで米びつが空っぽという状態はなくなり、おかずが少し増えたの

が、育ち盛りの小百合さんにとって、たまらなく嬉しいことだったようです。


 本当に、ご苦労されてたのが、よくわかるエピソードですね。


 その頃、小学校の卒業文集には、こんな文章を書かれていたそうです。

 「私の将来」
 私は将来、映画俳ゆうになりたいと思う。今の映画俳ゆうは、ラジオに出ると、動作が無

いので、とてもへたに聞こえる。でも私は映画でも、ラジオでも、じょうずだと言われるよ

うになって、映画に出るとしたら、太陽族とか不良の映画には出たくない。でもそれはむり

かもしれない。一流の映画俳ゆうになるには、その映画会社に、出なさいといわれた映画に

は出なくてはならないから。
 私は、結婚したら俳ゆうをやめて、家の仕事をしっかりとやっていこうと思う。もちろん

、子供を生んで、女の子なら、ふだんはおとなしくても、かっぱつに発言の出来る子、男の

子だったら、元気で勇気があって、いたずらをしない子供がほしい。
 そして、おばあさんになったら、孫の洋服を自分でデザインして作ってあげたり、おかし

を買ってあげたりして、みんなに好かれる、やさしいおばあさんになりたい。



映画デビューは、中学2年の時の「朝を呼ぶ口笛」で、それを皮切りに、以後、日活で、沢

山の映画にご出演するようになったそうです。
 
 しかし、そうなるに連れ、人気が出てきて、熱烈なファンに襲われる事件まで起きたとか



 1963年の春、大学進学のために勉強しようと、遅い夕ごはんを終え、二階の自分の部

屋に入った時、いきなり、ナイフを首に突きつけられ、今にも殺されそうに。
 その時、助けてくれたのが妹さんで、背中を思いっきり押され、妹さん共々、暗い階段を

転げ落ち、ご両親のもとに逃げ込んだそうです。
 犯人はピストルも持っていたらしく、知らせを受けて乗り込んでいた警官に発砲し、血だ

らけの警官が運び込まれる事態まで起きたとか。

 その犯人の供述によると、吉永小百合さんの熱烈なファンで、一緒に死にたかったそう・

・・

 

 そうした事はあったものの、「潮騒」、「愛と死をみつめて」「愛と死の記録」「あゝひ

めゆりの塔」「戦争と人間」など、名作と名高い映画に次々に出演し、1967年にはお父様が社長をつとめる吉永事務所が設立され、ファンクラブまで結成されたとか


しかし、順風満帆に行っているように見えたものの、あまりの忙しさに小百合さんはだんだ

ん疲労を覚えるようになり、ストレスから、声が出なくなってしまったとか。

 ところが、そんな吉永小百合さんを励ましてくれた人がいたそうです。
 「声が出ないということは、病気なんだ。病気なのだから、ほんとうは治るまで休めば良

いと思う。それが出来ないのだったら、声がほとんど出なくても、とにかく一生懸命、あな

たの出来る限りの努力をしなさい。そうすれば、観る人にも、きっとあなたの気持ちが通じ

ると思う。」
 それは、吉永小百合さんが19歳の時に初めて一緒にお仕事した15歳年上の岡田太郎さ

んという人で、励ましてもらった時、9年の歳月が経っていたそうです。
 その人と、吉永小百合さんは結婚する訳ですが、ご両親が猛反対された。
 その理由は、稼ぎ頭だった吉永小百合さんが結婚すると、収入が途絶えてしまうことと、

お相手が15歳も年上だったから。

 でも、吉永小百合さんは、そんなご両親の反対を押し切り、友人宅で、ご両親の出席しな

い中、ひっそりと結婚式を挙げられたそうです。 
 時に、29歳。
 しかし、その後、吉永小百合さんは、ご両親と長い間、絶縁状態が続いていたそうです・

・・


 私は、これがすごく意外でした。

 
 吉永小百合さんは、ご両親と親子関係が上手くいっていなかったのですね。


 なんでも吉永小百合さんは、お母様に、普通の人間である前に、女優であるように育てら

れて、強い違和感を持っていたそうです。
 「いつも笑顔でいないと人気は保てない」と言われ続け、最初はお母様の言うことに素直

に従い、いい子を演じていたそうですが、いつまでも無理を続けていたら、自分が駄目にな

ってしまうと悩み続け、ご両親からの呪縛から逃れるために結婚という方法を選んだとか。

 吉永小百合さんにお子さんがいないのは、お母様との関係で苦しんでいたので、子供をど

う育てていいか自信がなく、また女優業を続けるなら、子供はつくれないと諦めたというエ

ピソードもあるそうです。
 
 
 ご両親と親子関係が上手くいかないことは、子供として、女性として、これほど悲しいこ

とはないのでは? 

 ご両親が亡くなる直前に和解したとは伝えられていますが、詳細は明らかではないそうで

す。 

 
 あと忘れてならないのは、1986年からボランティアで原爆詩の朗読をスタートさせて

、反戦・反核運動をライフワークとして訴え続けている事でしょう。
  

 ちちをかえせ

 ははをかえせ

 としよりをかえせ

 こどもをかえせ

 わたしをかえせ

 わたしにつながるにんげんをかえせ

 にんげんの

 にんげんのよのあるかぎり

 くずれぬ  へいわを

 へいわをかえせ  


 「原爆詩集」より


 私は、今まで吉永小百合さんのどんなに何気ないセリフの一つ一つにまで、心のこもって

いるのを不思議に思わないでもなかったのですが、調べてみて、不遇だった少女の頃や、複

雑な家族関係で苦しみ、決して恵まれた人生を歩まれて来たことでないのがわかり、考えさ

せられることしきりでした。


 吉永小百合さんでさえ、辛い思いを胸に秘めながら、使命感を持ち、前向きに生きている




 吉永小百合さんに、女性としての生き方を教えられた思いでした。


  


  

清純な女性はいない!?女性の本質とは

2015-04-11 20:00:29 | Weblog
 きっかけは、去年書いた向田邦子さん脚本のテレビドラマ「阿修羅のごとく」でした。
 あのドラマを演出したのは、和田勉さんですが、向田邦子さんは久世光彦さんとも何本も組んでいたなと思い出したのです。
 それで、久世さんの才能を知りたくなり、以前、レンタル屋さんで見かけた「時間ですよ」を借りようとしたのですが、すでに置いてなくて、代わりに見つけたのが「ムー一族」だったのです。


 そして、そのドラマのラストに、桂木文さんが,里中マチコという名の清純な役で、さだまさしさん作詞作曲の「短編小説」をほほ笑みながら歌っている姿があったのです。

 里中マチコ!?

 少女漫画家にも、同じ名前の里中満智子さんていますけど、何か関係あるのでしょうか?


 それはそうと、桂木文さんは、確か、脱いでいましたよね?

 私は、彼女が、ご家族と一緒にテレビの歌番組に出て、仲良さそうにしていた姿も観てましたので、脱いだと知った時、ご家族はどう思っただろうと、気がかりになったことがあったのです。
 
 ところが、「ムー一族」での役どころを見て、なぜ脱いだのか、ピンと来ちゃったのです。 
 

 もし、彼女が汚れのない清純な役でなかったら、そのイメージをぶち壊すような事はしなかったのではないのか?

 私が、そう思った背景には、梶原一騎さんの作品を映画化した「愛と誠」を、数ヶ月前に観て、早乙女愛さんの変わりようについて、ずっと考え続けていたからなんです。




しかし、彼女ら以外にも、清純派と言われたタレントさんで、突然、脱いで、世間を驚かせた人は、何人もいますよね。

 
 なぜ、彼女たちは、自ら、そのイメージを壊すような事をしなければならなかったのでしょう?
 汚れのない清純なイメージは、女性の美質のようではあるけれど、もしかしたら、男性のエゴで作られたもので、女性としての本質とズレているのではないのか?

 汚れのない清純なイメージって、ほとんど男性が作ってますから。

 しかし、そのイメージを壊す作業は、何も脱ぐことばかりに限りません。

 松島トモ子さんというタレントさんが、ある時、ライオンに噛まれたと、ニュースになった事がありました。
 彼女は、子供の頃、とてもチャーミングで、モデルとして、昭和30年代の少女雑誌「少女」で、10年間、表紙を飾っていたそうです。
 ところが、彼女はそのイメージとはうらはらにライオンなどの野生動物が好きだったといいます。
 ライオンと言えば、百獣の王様という異名を持ち、兎を狩るにも全力を尽くすと言われ、動物の中でも、一二を争うほど獰猛な生き物で、可愛らしくて優しい女性が好む動物とは、まったく相反すると言っていいと思います。

 昭和30年代の少女雑誌の表紙を、子供の頃に飾っていたといえば、鰐淵晴子さんもそうです。
 彼女は、清純なイメージで、人気があったそうですが、「イッピーガールイッピー」という写真集で、日本人離れした見事なヌードを、突然披露し、世間は大変、驚いたとか。
  
 また、私が愛読している昭和30年代をこよなく愛する少女漫画家さんは、ブログに当時の少女雑誌をよく記事にしていますが、そればかりか少年誌まで紹介しています。
 その訳は、可愛らしくて、いかにも少女っぽいものだけでは飽き足りないからではないのか?
 また、ある女性は、昭和30年代の少女雑誌に憧れる一方で、血で血を洗う任侠映画が大好きなのは、なぜでしょう?

 女性は、男性の作った清純なイメージの素晴らしさに共感しながらも、どこかに息苦しさを覚えているのかも知れません。

 つまり、女性の本質は、別にあるのではないのか!?

 だったら、女性の本質とは何でしょう?

 そういった事ばかり考えていたら、ある日、動物学の権威、デズモンド・モリスの説を知りました。
 猿のメスは、尻を赤く充血させる事で、オスに発情を知らせると同時にセックスアピールするが、直立歩行を覚え、衣服で性器を隠すようになった人間の女性はそれが出来なくなってしまった。
 そこで、お尻の代わりに、胸を膨らませて、男性にセックスアピールするように進化した。
 また、女性が口紅をするのも、猿のメスが赤く充血させるお尻の代わりだと結論づけたのです。 
 
 つまり、デズモンド・モリスは、女性は体の構造から、お化粧から、知らず知らずのうちに、男性に発情を知らせ、セックスアピールしていると言っているのです。 

 そう解釈したら、清純なイメージの彼女らが、それとはまったく相反する行動に出たのは理解出来る気がしないでもないですよね?


 では、なぜ、男女ともに、清純なイメージを良しとしたがる人がいるのでしょう?

 もしかしたら、自分に自信のない男性にとって、その方が扱いやすいと思っているうちに、女性の美質だと信じるようになったのかも?


 また、女性にしても、そうした方が、敵があまり出来ずに生きやすいという事から、清純なイメージを装うようになったのでは?

 ところが、清純派のタレントのなかには、そのイメージが功を奏して、人気が出ると、その欺瞞にだんだん息苦しさを覚え、肢体を露わにして、猛烈にセックスアピールしたくなるのでは?

 そして、それは何も清純派のタレントに限らず、一般の女性にも言えるのではないでしょうか?

 私が、とくにそう思うのは40代以上の女性なんです。

 迫り来る老いは、女性にとって、大変、切実な問題です。

 若くなくなること、美しくなくなること。

 それは、不安であり、恐怖であり、焦りとなります。

 その女性のなかでも、あまり男性経験のない、性的な事に関心が少なかった人(いわゆる、世間一般から清楚で、生真面目だと思われている女性)が、それらの理由から、女性として魅力的だと認められたくなり、猛然とセックスアピールをしたくなってしまうのでは?
 夫とのセックスレスも、たぶんに関係あるでしょう。

 それは、今まで公表していた年齢を隠すようになったり、過去の人間関係から逃れようとしたり、新たな関係を築こうとする行為から現れ始めるのでは?    
  

 ところで、そうした女性は、男性側からは、どう見えるでしょう?
 
 もし、隙あらば、エッチをしたいなと、虎視眈々と狙っている男性の目には、「飛んで火に入る夏の虫」に写ってしまう可能性はなきにしもあらずではないでしょうか?
 それに、「君子は豹変す」という言葉もありますから、いつ男性は、オオカミになるかわかったものではありません。 
 そして、こういった女性は、男性との付き合いに慣れていないので、取り返しの付かない事をしでかす可能性が十分にあると考えられませんか?
 


 例えば、あなたが男性の誘いに乗って、お茶するだけと、軽い気持ちで会ったとします。

 だけど、男性は、いい女だったら、深い仲になろうと考えてても、決して不思議ではありませんよね? 
 先日、観た映画「時雨の記」で、渡哲也さん演じる妻子ある男性は、主人公の吉永小百合さんと、お食事するだけと言いながら、プレゼントをちゃっかり用意していました。
 渡哲也さんは、あらかじめ、吉永小百合さんが、お花が好きだと知っていましたので、高価な花器をプレゼントしたのです。
 その高価な花器を差し出された吉永小百合さんは驚き、「そんな高価なものは頂けません」と、一旦は断るのですが、どうしてもという言葉に抗しきれず、ついに貰うことにするのです。
 しかし、高価なものだし、もらってばかりでは悪いからと、渡哲也さんにお返しをしようと考えるのです。
 そこで、渡哲也さんは、あなたの家に招待してほしいと言い、一人住まいの吉永小百合さんは、「私の家でいいのですか?」と言いながら招き入れ、二人きりになったのを絶好のチャンスとばかりに渡哲也さんは吉永小百合さんと・・・

 あとは、書かなくても、どうなったか想像出来るでしょう?(笑)

 まあ、この映画の場合は、相手が渡哲也さんですし、素敵な結末が待っていますので、それでもいいのですが、あなたの場合は、そうはいきません。(笑)

 でも、あなたは「私、女として、賞味期限ギリギリなの!もうあとがないんだもん!!」と言いたいのでしょう?

 あなたの泣きい気持ち、私もよく分かります! 


 私だって、そうだったんだもん!!


 女性は誰しも、老いる前に、性的なものを、ある程度、燃焼させなければ後悔が残ってしまうのではないでしょうか?

 だから、最初に少し触れたマンガ家の里中満智子さんは、少女マンガから、後年、女性の大胆な性を取り上げたレディース・コミックを描くようになったのでは?


「アフロディーテ90」より

 津雲むつみさんというマンガ家さんも、お若いころは「おれは男だ!」みたいな爽やかな青春を謳歌する少女マンガを描いていましたが、「瑠璃色幻花」では、女性としての性的な願望を余すところなく書くようになりました。


 そういえば、NHKの朝の連ドラ「マッサン」で、貞淑な妻を演じたシャーロット・ケイト・フォックスさんは、今度は、ブロードウェイのミュージカルで、セクシーな悪女役に挑戦するそうです。





 女性の本質を考えたら、それは至極当然な事なのかも知れません。

 では、一般の賞味期限ギリギリの女性はどうやって、自らの性を燃焼させたらいいのでしょう?

 夫に相手をしてもらうのが、一番ですけど、ほかに方法はないのでしょうか?



 恥ずかしいですけど、勇気を出して、私の例をお教えしましょう。


 私はそれをブログで燃焼させようと思ったのです。

 つまり、映画と読書の感想を書くと同時に、普段、封じ込んでいる性的な欲求を、文章で表現しようと思ったのです。
 
 もちろん、現実に私を知っている人には、だ~れも、このブログを教えていません。

 そうして、一流の文学や映画で性的な事に触れて、出来るだけ、しっかり見つめる事にしたのです。
 
 そうしながら、私はいろんな映画を観たり、文学作品に触れたりしました。

 そのなかでも、とくに私が感銘を受けたのは、千年も前に書かれた紫式部の「源氏物語」でした。 


 この「源氏物語」は光源氏の女性遍歴を綴ったものですが、昔から、これを読んだ女性は綺麗になると言われているらしいです。

 その訳は、この物語には何人ものお姫様が入れ替わり立ち代り登場してくるのですが、そのたびにいろんなお姫様になった気分を味わえちゃう点にあると思います。

 この時代のお姫様は、顔を見られただけでも恥ずかしがるような、今ではとても考えられないほど、おしとやかなんです。

 そういうものを読んでいるうちに、女性の部分がだんだん満たされていっちゃうって訳。

 だから、「源氏物語」、あなたにもぜひ、オススメします♪




 そういう訳で、次回はあの吉永小百合さんを例に、このテーマを続けたいと思います。


 それでは、お楽しみに♪ 




  

スポ根マンガの金字塔「巨人の星」

2015-04-05 23:15:07 | 読書


お待たせしました。
 ようやく、昨日、「巨人の星」のDVD33枚を観終わり、今日、漫画版もすべて読み終わりました。
 最初は、こんなに沢山のDVDを観るの大変だな~と思ってたんですけど、観始めたら、グイグイ引き寄せられて、全然、退屈しませんでした。
 「巨人の星」は3年半も放送していたそうで、だから、こんなに多いのですね。
 
 漫画版は、今回、初めて読んだのですけど、テレビアニメの「巨人の星」は、私が幼い頃に放送してましたので、観ていた記憶はあるんです。
 「あしたのジョー」の記事でご紹介した私の従姉妹のお姉さんも大好きだったようで観ていたと教えてくれた事がありました。

 だけど・・・私が子供の頃、観ていたのは、正直、最初のうちだけだったんです。

 なぜかと言うと、最初の頃、飛雄馬は小学生だったでしょう?

 私は、その頃、飛雄馬より、ずっと幼かったですけど、割合、年齢が近かったので、お兄ちゃんみたいな気持ちで観ていたんです。

 そして、忘れてならないのは小学生の頃の飛雄馬は、父・星一徹に厳しく育てられていた事ですよね。

 ちゃぶ台をひっくり返して、飛雄馬を殴ったり、雪の中を、一緒に走ったり、バットで打ったボールを捕まえ損ねて、体中、傷だらけにさせられたり、大リーグボール養成ギブスをさせられたり。

 そんな飛雄馬がたまらなく可哀想で、涙をこらえながら、幼い私は応援していたんです。

 ところが、放送が進むに連れ、たった数ヶ月で、飛雄馬は小学生から、中学生になり、高校生へと、どんどん成長していっちゃっいました。

 私は、飛雄馬が、自分と、どんどん年齢が離れていったので、そんな大きな人を可哀想とは思えなくなっちゃったんです。(苦笑)

 つまり、抱っこされて、頭を「いい子いい子」と撫でてもらいたいくらいに、飛雄馬が成長しちゃったので、途中で、観る気をなくしちゃったという訳。(苦笑)

 消える魔球とか、日高美奈さんとのエピソードとか、断片的に観ていた記憶はあるんですが。

 それで、先日、初めて、全部を観て、魂が揺さぶられるほどの感動を覚えちゃったんです。

 これこそ、男のロマン、男の世界だわって。

 まず、取り上げたいのは 父・星一徹との関係ですね~。

 星一徹は、プロ野球で、自分の果たせなかった夢を、飛雄馬に託して、小さいうちから、ボールで遊ばせたり、大リーグボール養成ギブスで鍛え抜くのです。

 一徹が、飛雄馬と夜空を見上げて言うこんなセリフがあります。

 「飛雄馬よ、見るがいい。
 あの星座がプロ野球最高の名門巨人軍だ。
 おれも、かつてはあの輝かしい星座の一員だった。
 だが、それが今では、もう手の届かない彼方に遠ざかってしまった。
 飛雄馬!
 お前は何が何でも、あの星座まで駆け登るのだ。
 巨人軍という星座のド真ん中で、ひときわデッカイ明星となって光れ、輝け!」


 男として生まれたからには大志を抱けという事でしょうか。

 そうして、飛雄馬は父親に鍛えられていくのですが、星一徹の何がすごいって、念願かなって巨人軍に入った飛雄馬と決別し、中日ドラゴンズのコーチに就任して、打倒大リーグボールを掲げ、敵味方となって、闘志むき出しで闘うっていうのですから!
 
 しかも、飛雄馬の無二の親友、伴宙太を中日ドラゴンズにトレードして、二人を引き離してしまうのです!
 
 そんなのって、もう親子でも何でもない!
 
 まさに、鬼としか言いようがないわ!!


 でも、そこには深い理由があり、亡き妻の遺影に向かって、星一徹はこう言うのです。

 「飛雄馬の背番号16と、わしの背番号84を足せば、いくらになる。
 100じゃ。
 すなわち、完全じゃ。
 そして、その足し算とは、父と子が、先輩と後輩の、男と男が、血で血を洗うすさまじい戦いじゃよ!
 その死闘の彼方において、もし飛雄馬が勝てば、みごと、わしを乗り越えれば、その日こそ、やつは完全なる野球人となりうる!
 王者巨人の星座にあって、ひときわ、でっかい明星に!」


 ところで、その伴宙太は、飛雄馬と初めから仲が良かった訳ではなく、飛雄馬の心意気に感じて、伴宙太の方から頭を下げて、親友になったのです。
 
 そんな飛雄馬と闘うのは、宿命のライバル花形満と、熊本出身の左門豊作です。

 花形満は自動車メーカーの御曹司で、美男子で、キザっぽいのですけど、これは間違いなく、貧乏対お金持ちの対決にしたかったからでしょうね。

 花形は、飛雄馬の大リーグボールを打ち崩すために、父親の自動車工場で、何度も機械を作ったりしてますので。
 
 一方の左門豊作は、飛雄馬より、さらに輪をかけて貧乏という設定で、幼い弟や妹を引き取り大切に育てていて、飛雄馬との対決の時、どちらを応援していいかわからなくなるほど、その境遇が可哀想でならなかったです。

 そして、左門豊作は前述した通り、熊本の出身なんですけど、なぜ飛雄馬の強力なライバルを熊本にしたのか、同じ九州に住む私には分かる気がするんです。
 熊本は、巨人軍の監督川上哲治さんの出身地でもありますが、柔道で金メダルを取った山下泰裕さんの生まれた県でもあり、あの剣豪宮本武蔵が、死に場所を求めた県でもあるのです。
 つまり、全国一強くてたくましく、熱い闘志を持った男の中の男がいるのが熊本県という訳♪
 
 そんな花形満や左門豊作と、飛雄馬はライバルとして闘いながらも、熱い友情を築いていくところが、めっちゃ感動するんです♪

 少女漫画家の萩尾望都さんが、男同士の友情は、肉対関係のない愛情だと言っておられますが、女性にはすっごく魅力的に写っちゃうんです。(笑)

 そうして飛雄馬は野球一筋に生きるのですが、父・星一徹が、打倒大リーグボール1号のためにアメリカから呼び寄せたオズマに、「お前も、俺と同じ野球ロボットだ」と言われたのにショックを受け、人間らしさとは何か?と思い悩んじゃうのです。
 そんな折り、キャンプのために行った宮崎で、日高美奈という女性と運命の出会いをし、愛してしまうのです。

 そう!
 飛雄馬が唯一、愛した日高美奈は、私と同じ宮崎の女性だったんです!!


 ランララララ~♪
 
 う、う、すごく嬉しい・・・(涙)
 
  はっ!
 ごめんなさい。
 つい、我を忘れて、喜んじゃいました。(苦笑)
 
   
 この日高美奈は、ただ美しくて優しいだけじゃなく、とても素敵な女性なんです。
 
 最初の出会いの時、飛雄馬はボールを取り損ねて、日高美奈が応援席に連れていた少女を直撃し、美奈は飛雄馬の言葉が許せなくて、頬を平手打ちしちゃうんです。
 「誤ちなら、許すしかありませんが、つい、よそに気を取られてというのが許せませんでした」と言って。
 自分に厳しくないと、こういう言葉って、なかなか出てきませんよね?
 
 そうして、二人は愛を育んでいくのですが、二人には悲しい運命が待っていたのです。

 美奈は難病に冒されていて、明日をも知れぬ命だったのです。
 
 しかし、気丈な美奈は、死の床で、飛雄馬を呼んでほしいという言葉を、診療所の沖先生に託した時、 「もし、星さんがマウンドに立っていたら、決して声をかけないでほしい。そこは星さんにとって、美奈より大切な場所だから・・・」と、最期まで飛雄馬を気遣うのです・・・

 こんなにも儚く美しく、それでいて気高い恋に、私は泣くしかありませんでした・・・


 あと、女性のキャラクターで言えば、忘れてならないのは飛雄馬の姉の明子です。

 明子は、いつも優しく飛雄馬を見守っているのですが、気丈な面も併せ持っていて、伴宙太が飛雄馬との別れを嫌がり、中日ドラゴンズにトレードで行くのをゴネている時、背中を押すこんなセリフがあります。

 「飛雄馬のために、ご自分の可能性を追求するチャンスを、伴さんが失ってしまう事がたまらなく心配なの。伴さん、あなたも、花形さん、左門さんのように、優れたライバルとして、青春のレース場で、徹底的に競いあうべきだと信ずるわ。」

 伴宙太はそれまで飛雄馬を支えていただけで、せっかくの才能を活かすチャンスがなかったのです。
 でも、中日ドラゴンズに行けば、星一徹コーチが、ベーブ・ルースにも引けをとらないほど、素晴らしいホームランバッターに成長させてあげると言っているのです。
 それは、オズマを鍛え上げ、飛雄馬の大リーグボール1号を打倒した事で、十分証明されています。

 明子のこの言葉にまだ逡巡していた伴宙太は、この際だからと、愛の告白をしようとします。
 
 その場面では、こんなセリフが。

 「その先を仰らないで!・・・ホホホ まだ青春の門の外で、さ迷っている大きい坊やが、そんな告白だけ、青年並みにしてはおかしいわ。これで、失礼します」

 この言葉に、伴宙太は吹っ切れ、中日に行って、飛雄馬と闘う決意をするのです。


 偉いわ、明子姉ちゃん!

 そして女性にも、こんな強さが必要だと、このセリフを考えた梶原一騎さんには、心から尊敬せずにはいられませんでした・・・

 




 ところで、飛雄馬という名前の由来は、ヒューマンから来ていて、つまり、父親を乗り越え、ライバルと互いに技を磨きあい、しのぎを削って成長し、真の男らしさ、人間らしさを追求するという意味があるそうです。


 そこで、気になるのが、梶原一騎さんは、誰をライバル視していたかという点です。

 ライバルの重要性を、これだけ謳っているのですから、誰かいたに違いないですよね?

 
 さあ、誰でしょう?


 そりゃあ、漫画界で、強力なライバルになりうる人といったら、この人しかいないんじゃないですか?

 
 それは漫画の神様、手塚治虫先生!


 だってね、「巨人の星」には、なぜか手塚治虫先生の代表作と同じキャラクターの名前が二つも出てくるんです。
 一つは「火の鳥」。
  

 2つめは「ブラック・ジャック」


 これは、単なる偶然じゃないと思います。

 
 このマンガが発表された当時、手塚先生はまだ「ブラック・ジャック」は描かれてませんでしたが、「火の鳥」を連載されていて、ちょうどスランプの時期でした。
 
 もしかしたら、手塚先生も「巨人の星」を読んでいて、「火の鳥」の登場を大いに喜び、励まされて、そこからインスピレーションを得て、再起をかけたマンガを「ブラック・ジャック」というタイトルにしたのでは?

 それを裏付けるかのように、「巨人の星対鉄腕アトム」というアニメが、1969年に作られ、日本テレビのバラエティー番組「前田武彦の天下のライバル」で放送されているそうです。
  
 それに、梶原一騎さんは、手塚先生が発刊したマンガ雑誌「COM」に、「我が原作作法」という記事を連載されていたとか。
     

 互いに技を磨きあい、しのぎをけずって成長する。


 梶原一騎さんについては首を傾げたくなる面も多々あったらしいですが、この「巨人の星」を観る限り、子供に人の道を教える素晴らしい教師だったように、私には思えてなりませんでした。 






「マディソン郡の橋」不倫について

2015-04-01 19:10:01 | 映画・テレビ
 





まだ昼間が、今ほど暑くない春のうららかな頃だったと思います。

クリント・イーストウッドが素晴らしい映画監督だと、私の敬愛してやまないあの人に教わったのは。

でも、私はそれまでただの一本もクリント・イーストウッドの映画を観た事はなかったのです。
いいえ、観ようと思った事はあったのですが、ある映画についての感想を書いたある男性の文章を読んで、急に観る気が失せてしまったのです。
その映画のタイトルは「マディソン郡の橋」と言って、とてもロマンチックな大人の恋を描いていると、公開当時大評判だったのです。
それで、私もロマンチックな気分にひたりたいと観てみようと思ったのですが、その矢先にこんな文章を見つけたのです。

この映画は不倫をする女性にとても都合よく作られている。
自分がどんなに妻を愛していても、妻がほかの男性を思い続けているとしたら、もう妻を真剣に愛するのが馬鹿らしくなる。


この映画が女性の不倫を肯定し、夫に妻を愛する気持ちを失わせると知り、私は急に観る気が失せてしまったのです。


当時、私は新婚間もない頃で、長男はまだ赤ん坊で、これから主人と協力して子育てをしようと張り切っていた時期でした。

そんな時期に、妻の不倫を肯定する映画を観て、感動している場合ではないと思ったのです。

それに、その映画の中での不倫は美しいかも知れませんが、実際には不倫がばれて、修羅場になるケースの方がほとんどではないでしょうか?


私の女友達や従姉妹の場合がそうです。

不倫がばれた私の女友達は、夫にこう言われたそうです。
「お前は俺達家族をどう思ってるんだ!
不倫なんかして、子供が可哀相だと思わないのか?
お前に子供は任せられない。
子供は俺が育てるから、もう別れよう。」
彼女は、普段は小学生の自分の息子をチビ、チビと呼んで、何かにつけ邪険にしているふうだったのですが、夫にそう言われて、泣きじゃくりながら、何度も何度も床にひざまずいて謝り、なんとか許してもらえたそうです。

でも、私の従姉妹の場合は、どんなに泣いて謝っても許してもらえませんでした。
彼女も、夫に「子供をお前に任せられない。 俺一人で育てるから、出て行け!」と言われ、離婚後、子供と離れ離れにされてしまいました。

それは十年以上前の事で、彼女は不倫した相手とはすぐに別れて、罪を償うかのように、人前にあまり出なくなり、今も一人でひっそり暮らしています。

そういう女性達を、私は実際に何人も知っているので、不倫を肯定する気にはとてもなれないのです。

だけど、その一方で、不倫して自分も夫も相手も誰一人不幸な結末にならなかった稀有な例も私は知っています。

その女性の夫は、同じ頃に結婚したばかりの男友達と、夫婦ぐるみで付き合っていて、お互いの家で食事をするほど、とても仲良かったそうです。

ところが、その女性はそうやって夫の友達と仲良くしているうちに、お互いを好きになってしまい、不倫をするようになってしまった。

でも、不倫は夫になかなかばれなかったらしいです。
理由は、夫の男友達は夫と同じ運送屋で長距離トラックのドライバーをしていて、一度仕事に出たら、一週間ほどは帰って来ないらしく、その合間を見計らって思う存分不倫を楽しんでいたとか。
だけど、どこでどう間違えたか、ある日ラブホテルで、ばったり夫に不倫の現場を見つかってしまったそうです。
彼女はそうとう慌てたそうですが、なぜか夫の横には男友達の奥さんが仲良く腕を組んで寄り添っていた。
つまり、お互いにこっそり不倫をしていて、怒るに怒れなかったという訳。(笑)
その結果、どうなったかと言うと、共に離婚し、不倫した相手と再婚したので誰一人傷つかなかった。(笑)

でも、これは本当に稀有な例で、妻の不倫がばれた場合、ほとんどのケースで子供と引き離されて離婚に至るのが多いみたいです。
これは愛する妻に裏切られ、子供を大切に思う夫にしてみれば当然の決断なのかも知れません。


だから、映画に憧れて、簡単に不倫をしてしまうと、とんでもない事になってしまうと思うのです。


それでもなお世間では不倫をする女性があとを絶ちませんが、私にとって、不倫とは自分の真実の愛を育てられなかったという意味において、敗北以外の何ものでもないのです。
それに、そう思わなければ結婚生活はとても続けられませんから。

でも、もしかしたら不倫の中にも一片の真実や妥当性はあるかも知れない。

それを、私が敬愛する彼が、クリント・イーストウッド監督の「マディソン郡の橋」で見出だしたのなら、私も観てみる価値はあるかも知れない。

そう信じて、この映画をようやく17年振りに観る気になったのです。


だけど、だからと言って、私はすぐに観る訳にはいきませんでした。

不倫を肯定する映画を観る以上、私もその主人公の気持ちになりきる必要があると感じたからです。

だとしたら、「マディソン郡の橋」に感化されて、私自身、不倫をしたくならないとは断言出来ないですよね?

だから、私はこの映画を観る前に、純愛路線の映画や文学作品に出来るだけ触れて、純愛の素晴らしさを再認識する必要があったのです。

それで、観ると決断してから、ここまで遅れ、今に至った訳です。


そうしたうえで、私は「マディソン郡の橋」に臨んだのです。

 

 つづく




 前回のつづきです。


別に不倫したい訳でも、離婚したい訳でもない私が、不倫を肯定しているらしい「マディソン郡の橋」を観ようと思ったのは、私の敬愛する人が、クリント・イーストウッドが世界最強の映画監督であると絶賛したのと、どんなシチュエーションの不倫を描いているのか、その二つの理由を知りたかったからなのです。

そう、クリント・イーストウッドは世界最強の映画監督らしいのです。

はっきりした理由はわからないのですが、おそらく八十歳を過ぎた今でも、優れた作品を生み続けているからではないでしょうか?
優れた作品なら、ほかにも多くの映画監督が撮っていますが、クリント・イーストウッドよりも、若い頃にしか撮っていませんから。

その二つを念頭に入れて、出来る限り不倫する主人公の気持ちに成り切って、「マディソン郡の橋」を観てみる事にしました。
ここで、はっきり書いておきますが、私はこれまで独身の頃を含め、不倫をした事は一切なく、ごく普通に生きてきました。


この映画は、主人公フランチェスカがすでに亡くなっていて、遺灰をローズマン橋からまいてくれという遺書に子供達が驚くシーンから始まり、彼女の手記で次々に不倫の事実が明かされていきます。

フランチェスカの一家は畜産農家を営み、子牛の品評会のために、彼女一人を残して、家族はみな出かけて行きます。

その僅かな四日間にフランチェスカは、写真家のロバート・キンケイドと出会うのです。

私は、キンケイドが、よその土地から来た写真家で、世界中を旅している点が惹かれた理由の一つだなと思いました。

私だって、誰にも頼らずに一人で旅する男性は尊敬しますし、カメラマンという感性を大切にする職業にも憧れたりしますので。
しかも、キンケイドはとても紳士的で優しく、こう言われたいなと思う言葉を次々に口にするのです。

また、お話の舞台が騒がしい都会の雑踏ではなく、緑豊かで静かな田舎の町という点も牧歌的な雰囲気でいいなと思いました。

そうした訳で、私はあれほど、不倫を否定して生きてきたのに、あれよあれよという間にロマンチックな気分になってしまい、最後の別れの時、キンケイドが雨に打たれながら、フランチェスカをじっと見つめる場面では感動して泣いてしまったのです…

素晴らしい…

これこそ真実の愛だわ…


ところが、しばらく経つうちに、待てよ、おかしいぞ?という気持ちがムクムクわいてきたのです。

その最大の理由は、キンケイドにありました。

だって、何はどうあれフランチェスカとエッチしてるじゃないですか!

それにキンケイドって、すごく話上手のわりには証拠が何もないじゃない?

もしかしたらキンケイドって、相当な嘘つきでフランチェスカの体だけを目当てに近づいたんじゃ?

それを、フランチェスカが傷つかないように鮮やかな手口でやってのけたのでは?

とは言うものの、キンケイドの死後、大切なカメラやフランチェスカとの四日間の思い出を綴った冊子が彼女のもとに送られてきた点が疑問ではあったのですが。

そこで、その点に気をつけながら、再び「マディソン郡の橋」を観てみたのです。
すると、出会ってすぐにキンケイドは車の中で、煙草を取る際にフランチェスカの脚にさわったり、野菜を切るフランチェスカの手伝いをする時にわざと彼女の体にふれる場面に気づいたのです。

あのね、女性ってね、ちょっとでも気になる男性に体をさわられると、ついその気になっちゃうものなの。

それにフランチェスカに事あるごとにお酒を飲ませているし。

だけど、フランチェスカにも否がない訳ではないのです。
初めて会ったキンケイドの車に乗り込んで道案内したり、家に泊めたり、不用心過ぎるというか、あまりにも積極的過ぎません?

フランチェスカって、不倫願望の塊なのかも?

それに、キンケイドがフランチェスカの生まれたイタリアのバリという小さな町に行った事があるというのもおかしくない?

そんな都合のいいお話ってある?

女性って運命を信じやすい生き物だから。

やっぱり、キンケイドは天下無敵の大嘘つきに決まってる!

私、絶対騙されないもん!

とまあ、疑心暗鬼で観ていたのですが、不覚にもやっぱりロマンチックな気分になって、同じ場面で感動して泣いてしまったのです。

だってね、不倫をしたルーシーが町で噂になり、冷たくあしらわれていると知ったキンケイドが、フランチェスカに会わない方がいいかも知れないと電話するなど、常に女性の立場に立って優しく接しているんですから。(苦笑)

そんな場面の数々を観ているうちに私は、不倫だとか道徳観はどうでもよくなって、二人の愛の形に陶酔してしまい、私の体の中に眠っている何かが否応なしに呼び覚まされるような感覚になってしまうのです…

こんな気持ちにさせてくれるこの映画とクリント・イーストウッドはすごいとしか言いようがない…

だったら、私もチャンスがあれば不倫してみようかしら♪

一瞬、そんな気持ちにならないでもなかったのですが、この映画は本当に不倫を勧めてるの?

いいえ。
そんな訳がないですよね?

フランチェスカの書いた不倫の打ち明け話を読んだ二人の子供達は、共にもう一度自分のパートナーを愛する事を決意して、この映画は幕を閉じるのですから。


この映画は不倫という非常に危うい恋を題材にして、生きるうえでの心の支えや、愛し愛される事の大切さを描きたかったのだと思います。

フランチェスカは自分の思い描いていた人生を送っていた訳ではなく、不満を抱えながら生きていた。

それに夫のリチャードは謹厳で、フランチェスカとの性生活は淡泊だったのではないでしょうか?

そこへ、別世界から来たキンケイドに自分を変えてくれる何かを見出だし、積極的に彼に迫っていった。

キンケイドにしても、最初はフランチェスカの体が目当てだったのが、世界中を旅しても得られなかったもの。つまり自分と同じ何かをフランチェスカに見つけ、次第に彼女を愛するようになった。


だけど、それは出会うのが、あまりにも遅すぎて許されない愛だった。

一緒になれたとしても、そのあと夫のリチャードや子供達はどうなる?


きっと後悔ばかりが残って、喧嘩が絶えなくなり、あの真実の愛と信じた四日間さえ色あせてしまうだろう…


愛しているから別れなければならない。



フランチェスカは日記にこう書き残しています。


彼なしでは長い年月を農場で暮らせなかったでしょう…


フランチェスカはキンケイドと四日間という短い間ではあったけれど、真実の愛の思い出を作る事が出来て、それが彼女の人生を支えてくれた。


美しい思い出は、とても大切なもの…


私もそう思います。
私は決して主人と順調に暮らしてきた訳ではありません。

大喧嘩して、家を飛び出したり、もう別れようと思った事は何度あるかわかりません。


でも、時々、付き合っていた頃や、新婚当時や、子供が生まれたばかりの頃を思い出すのです。

あの頃の主人は、私を大切にしてくれて、とても優しかった…


主人を愛し、愛されたという思い出があったから、私はどんな嫌な事や苦しい事があっても、乗り越えて来られたのです。

この映画は、そんな思い出を私の胸に蘇らせてくれました。


でも、私達夫婦はまだまだ人生という名の旅の途中…


これからも私は主人と愛を育み、生きる支えを作って行こう…