奈々の これが私の生きる道!

映画や読書のお話、日々のあれこれを気ままに綴っています

映画「ゴジラ」平和への祈り

2010-07-31 13:13:12 | 映画・テレビ
私、実はゴジラが大好きなんです。

強くて、あのでこぼこした顔と、火を口からはく時ピカピカ光る背中のひれと、長い尻尾、どれも怪獣の名にふさわしく、とっても素敵だと思いません?
それに、ゴジラって怪獣の王様なんですよね。

と言うことは、いきなり王様にはなれない訳だから、昔は私の大好きな王子様だったって訳!

こんな事を書くと、あなたは王子様なら怪獣でもなんでも構わないの?って言われそう。(苦笑)
でも、はっきり言います。

そうなの~!
私、王子様だったら、怪獣でも何でも構わないの~!

あの~、皆さま、これは冗談ですから、本気にしないで下さいね。(笑)

だけど、私がこの映画が好き!っていうのは本当なんですよ。

それは、この映画が平和への強い祈りを込めて作られたからなのです。

という訳で、今回も戦争に関係のあるお話をさせていただきたいと思います。

ウフフ♪
ゴジラと戦争が、どう関係あるのか、あなたも知りたいでしょう?

ご存知の方もいらっしゃるかも知れませんが、実はゴジラは水爆実験の申し子なのです。

と言いますのも、この映画は1954年に実際に起きたビキニ環礁での水爆実験で、日本の漁船、第5福竜丸が被爆したのに心を痛めて作られたからなのです。



ゴジラは数百万年もの長い間、海底深く眠り続けていたのですが、その眠りを妨げたのが某国の水爆実験だったのです。

眠りから覚めたゴジラは最初、船舶を次々に襲い、謎の沈没事故を起こし、それに飽き足らなくなると、台風に乗じて、強い雨風と共に島を襲うのです。
そして、さらにゴジラは日本の中枢部、東京に上陸して、あらゆるものを破壊し、暴虐の限りを尽くすのです。
もちろん、この事態に政府は黙って、手をこまねいていた訳ではありません。
しかし、戦車や戦闘機の攻撃にもゴジラはびくともしないのです。

遂には、高圧電流の鉄条網を張り巡らし、ゴジラをおびき寄せて感電死させようとするのですが、逆にゴジラの口からはく炎で見る影もなく溶けてしまい、何をやってもゴジラの怒りを沈め、破壊行為を止めることが出来ないのです。
もう、万策尽きたかと思われたその時、芹沢博士の開発した水中の酸素を一瞬に破壊し尽くして、あらゆる生物を窒息死させ、その後で液化してしまう化学兵器オキシジェン・デストロイヤーに日本の将来を委ねることにするのです。
しかし、もしこれが万が一悪の手に渡れば、人類そのものの滅亡を招じかねない。
芹沢博士は、オキシジェン・デストロイヤーの使用に苦渋の決断をし、悪の手に渡らないよう、設計図を燃やし、オキシジェン・デストロイヤーの効果を十二分に発揮させるために、海底深く潜って、ゴジラと共に海の泡沫と消えるのです。

人類同士の争いが、永遠に地球上からなくなり、平和な世界が築かれるのを願いながら・・・
















 

マンガ「アポロの歌」手塚治虫

2010-07-30 01:42:04 | 読書
このマンガは、ちょっとエッチなのですけど、愛について、とても考えさせられるので、私の大好きなマンガの一つなのです。

主人公昭吾は、激しい加虐性、ことに仲睦まじい、つがいの動物に対して異常なまでに憎悪の念を持っていました。

そこで、精神科の診察室に連れて行かれた彼は、電撃療法により、夢幻の彼方に誘われて、女神と出会うのです。
女神は何故昭吾が、人を愛せなくなり、残忍な性質を持つようになったのか解き明かせてみせます。
昭吾は幼い頃、何人もの男と浮気を繰り返す母親にほったらかしにされ、十分な愛情を与えられていませんでした。
子供にとって、もっとも身近な愛情を感じる大切な母親に、彼の愛情はことごとく裏切られ、それ以来彼は素直に愛情を表現出来なくなり、そればかりか愛する者同士を見ると憎悪の念が噴き出し、傷つけずにはいられなくなったのです。
そこで、女神は、昭吾に何万回、死んでも未来永劫に生き返り、愛の試練を受ける罰を与えるのです。

そうして、昭吾はさまざまな形の恋愛を繰り返すのですが、その恋はいつも決まって悲劇的な最後を迎えるのです。

そのなかで、私がもっとも印象に残っているのは、人造人間、女王シグマとのエピソードです。
女王シグマは、セックスしなくても、自分の細胞から分身を増殖出来るクローン人間のために、セックスのやり方や愛情がどういうものなのか、まったく理解出来ないのです。
そこで、愛情をどうしても知りたいシグマは裸になって、昭吾にセックスを強要するのです。
しかし、女王シグマは、性器がなく、昭吾はたとえベッドでキスしても、どうしてもシグマを愛する気持ちになれないのです。
「はなしてくれ。こんな事をしても無駄だ。人造人間に、普通の人間の気持ちなんか分かるものか」

ところが、昭吾はベッドに仕掛けた小型爆弾からシグマを助けたのを、きっかけに、ある感情が芽生えるのです。
シグマは、昭吾に言います。
「私が寝室で、愛の作法を命じた時、今まで味わった事のない不思議な気分が起こったわ。それは、からだをくすぐられるような浮き立つ気持ちよ。私は、もっと愛を知りたいのです!」
しかし、昭吾はシグマの言葉を聞き入れず、沸騰する液体の中にシグマを突き落とし、溺死させてしまうのです。
だけど、昭吾が何度、シグマを突き落としても、シグマはクローン技術で何度も生き返り、昭吾に愛を求めてくるのです。
そんな、ある日、シグマはとうとう手術をして性器を作り、全裸になって大切なあそこを昭吾に見せるのです。
「昭吾、見て。これなら私を愛せるでしょう?」
そのシグマの熱意に動かされた昭吾は、愛情について、数少ない母親の話やネコの話を、シグマに聞かせるのです。
その話を聞き終わった後、シグマは気分が高揚したのか、昭吾に訴えます。
「お前を愛してるの。それなのに、私の気持ちが伝わらないの?私が人造人間だから?私はもう人造人間じゃないわ。人間と一緒よ。ああ、昭吾、私を苦しめないで。お願い、私の心を察して・・・ 」

苦しい胸のうちを明かすシグマの声を黙って聞きながら、昭吾は心の中で少しずつ愛が形をなしていくのを感じるのです。
そのあと、すぐにシグマは性器を作ったのが、首相にばれて、反逆の罪に問われ、女王の座を追われて、美しい顔を醜い顔にすげ替えされようとします。
「それだけは、やめて・・・」泣きながら訴えるシグマに、昭吾も「ダメだ!女王の顔をかえるな!」と強く叫び、初めて、シグマへの愛情を素直に表現するのです。
「なぜ、あんな事を叫んだのだろう?おれは、たった今、わかった。女王、あなたが好きだ」

しかし、二人の願いは聞き入れられず、シグマの美しい顔は醜い顔にすげ替えられ、それでも昭吾のシグマを愛する気持ちは揺らぐことなく、二人は命懸けで逃避行を続けるのです・・・


私は、このマンガを読んで、人の心を動かすのに、愛情ほど大きな力はないのだなと感じ、もっと主人や家族を大切にしなくてはと思いました。

だけど、結婚生活を続けていると、ホントにいろんな事がありますよね~

なんだか、自分の能力や愛情を試されているような気がしないでもなくて・・・

でも、これからも私は、私達夫婦なりの愛情を追求し続けていきたいと思います。
ですから、もし、ネコの鳴き声みたいなのが、夜更けに我が家から聞こえたとしても、決してびっくりしないで下さいね。
それはたぶん、私が主人を愛する、あの時の喜びに満ちた声だと思いますので・・・

あなた、今夜もお願いね。

チュッ!

ウフフ♪
それではごめん遊ばせ。(笑)







 
 

映画「火垂るの墓」戦争犠牲者へのレクイエム

2010-07-29 06:48:11 | 映画・テレビ
この映画は私がブログを通じて、懇意にさせていただいている方のご紹介で鑑賞しました。
そういえば、この時期になると、よく宮崎でもテレビで放送されていたような気がするのですが、私は迂闊にも一度も観たことがなかったのです。

この映画は、十四歳の清太と四歳の節子の兄妹の終戦の年の出来事を淡々と描いています。

親がいないというのが、幼い子供にとって、こんなにも淋しくて、辛いことだなんて思ってもみませんでした。
しかも、この兄妹は日々空襲に怯え、頼りになる大人に恵まれず、その日の食料にも事欠く有様なのです。

西宮のおばさんが、この兄妹にもっと優しくしてくれたらと思うんです。
おばさん自身も食料や物資不足に加え、いつ空襲で死ぬか分からない状況で、幼い兄妹の事なんか構っていられないとは思うのですが・・・
そして、お兄ちゃんの妹を思う気持ちにも、うるうるしてしまうのですけど、妹が純真で汚れを知らなくて、そのいたいけな姿にも、思わず泣けてしまうのです・・・

この映画は、缶に入ったサクマ式ドロップスというお菓子が重要な役割をしていて、節子が兄からもらうと嬉しそうに食べるシーンが何度も出てきますが、ドロップスは節子自身の夢や楽しみの象徴なのでしょうね?

この映画は戦争で起きた悲惨な出来事を淡々と綴っていて、ホタルが静かに光ったり消えたりしながら舞う様子が、戦争で亡くなった人々に安らかに瞑ってほしいという祈りにも思えて、胸に迫るものがありました。








 

読書「島の果て」島尾敏雄~戦争の記憶~

2010-07-28 06:33:17 | 読書
今年も暑い夏がやってきました。

夏の風物詩と言えば、かき氷や、スイカ、蚊帳、カブトムシ、蚊取り線香、セミの鳴き声などを、私は思い出すのですが、なぜか遠く過ぎ去った戦争の記憶が、ふと私の脳裏に甦ってくるのです。

戦争を体験したことのない私が何故でしょう。

それはおそらくこの季節になると、終戦記念日が近づいてくるため、昔、テレビで太平洋戦争の特集番組をよく観たからかも知れません。

私が子供の頃、少なくとも、二十代の頃までは、戦争に征かれた方はまだまだお若く、社会の第一線で元気に働いておられました。
戦争で知り合った人とのつながりは格別のものがあったみたいで戦友会も、よく開かれていました。

テレビでも、特攻隊経験を持つ俳優の鶴田浩二さん、西村晃さん(水戸黄門)らの、元気なお姿を拝見する事が出来ました。

この小説「島の果て」の作者、島尾敏雄も特攻隊の経験を持ち、出撃する直前に奄美大島の加計呂麻島で終戦を迎えています。
この作品は、その時のエピソードを綴っているのですが、女性にも親しみやすい童話のような文章で書いてあるのが印象的です。

私は、この小説に魅せられ、十数年前、舞台になった加計呂麻島に足を運び、島尾敏雄の文学碑を訪ねた思い出があります。


島の果て 島尾敏雄

むかし、世界中が戦争をしていた頃のお話なのですが・・・

トエは薔薇の中に住んでいたと言ってもよかったのです。
と言うのは薔薇垣の葉だらけの、朽葉しきつめたお庭の中に、母屋と離れてぽつんとトエの部屋がありました。
ここカゲロウ島では薔薇の花が年がら年中咲きました。
その部屋の廻りは木の廊下がめぐっていて、ひとところだけが母屋に通ずる取りはずしのできる橋廊下になっていました。
夜になると三方に紙の障子をたてめぐらして蝋燭をともしました。
そして木の戸をひきしめて戸締まりを厳重にすることもなくてすんでいたのでした。
トエの一日の仕事というのはの子供達と遊ぶことでした。
の子供という子供がみんなはだしでトエの庭に集まってくるのです。
トエは子供達に歌を教えました。
浜千鳥、千鳥よ
何故お前は泣きますか


このお話の主人公朔中尉は、カゲロウ島で催された特攻隊慰問のための演芸会で、トエと知り合うのです。
朔中尉は、百七十九人の兵隊とカゲロウ島を守るために来たのですが、いよいよ危険が迫った時は、五十一人の選抜された兵隊と、各々特殊潜航艇に乗り込み、敵の艦艇に体当たりする任務が与えられていたのです。
それは、まさしく死を意味する任務でした。
朔中尉は、その百七十九人を統率する指揮官なのですが、死を前に明日をも知れぬ運命に翻弄されながら、任務の合間を縫って、トエと何度も逢瀬を重ねるのです。
もし、敵の攻撃が始まり、敵が上陸すれば、自分達はおろかトエを始め、平和に暮らしている島の人々の命もなくなってしまう。

それが、朔中尉にはいたたまれないほど切なく胸を締めつけるものがあったのです。
この任務は島の人々に秘密事項であったのですが、トエ達島の人々にいつしか知れ渡り、みな死ぬ覚悟で、毎日暮らしていたのです。
そんな切羽詰まった状況の中で、二人は真夜中、浜辺でひそかに、何度も逢瀬を重ねるのです。
まるで、生きている証を探るように・・・

そしてある日、ついに朔中尉のもとに命令が下ります。

先刻ノ敵情ニ対シ戦闘出発用意

朔中尉は、運命を受け入れ、トエとの情愛を忘れようと、その日からトエに会わなくなります。
しかし、トエは淋しくてたまらず、銀の飾りであしらわれた鞘に入った短剣を忍ばせて、朔中尉に会いに行くのです。

朔中尉の乗った特殊潜航艇が出撃すると同時に、我が身を短剣で刺し、果てようと思って・・・

そして死ぬ前に朔中尉にからだを抱いてもらいたくて、裸足で、足に血をにじませながら、ひたすら必死に会いに行くのです。




この小説は、死を前に極限状況に置かれた二人が、どうやって限られた生を昇華させたかを流麗な筆致で描いています。



戦争が終わって早いもので六十五年の歳月が流れ、戦争の記憶は次第に風化の一途を辿っています。
しかし、現在の日本の平和と安定は遠い昔、戦争で犠牲になった人々の上に成り立っている事を、もう一度再認識するべきではないでしょうか。







 

暑中お見舞い申し上げます♪

2010-07-25 07:19:16 | Weblog
毎日、毎日、暑い日が続きますね~

どうぞ、無理しないでお体をご自愛下さいね。

ささやかですけど、私からあなたに暑中お見舞いを差し上げますね。


ご主人様、お帰りなさいませ。
今日一日、お仕事お疲れ様でした。
外は暑かったでしょう?
さあさ、お召しものをお脱ぎになって。
お食事になさいます?
それともお風呂?
え!それより私を早く抱きたいですって?
あ、あ、ご主人様。
およし下さいませ。
そこを触られると困ります。
あ~ん、そんなに強く抱きしめないで。
もっと優しくして下さいませ。

チュッ♪

え?キスだけでは物足りないですか?

ご主人様。
あなたは、まだやらなければいけない事が沢山おありでしょう?
それが、すべて終わるまで、お・あ・ず・け。
ね?
よろしいですか?

ご主人様。
私、とってもうれしいです。
だって、コメントこそ下さらないですけど、私のブログに毎日ご訪問下さるのですもの。
どう、お礼を述べて良いか分からないくらいです。

ご主人様。
私、これからも心を込めて、ブログを書きますね。
ですから、これからもずっと私だけを見つめていて下さいね。
ね?
ご主人様。
もし、ほかの女の子に振り向いたりしたら、私、つねっちゃうから!

私のハートはもうあなただけのもの・・・


この文章を、ささやかながら暑中お見舞いにかえさせていただきます♪


さぁ、ファイト!

まだまだ夏はこれからですよ~

 
 





 

映画「スターウォーズ・エピソード4新たなる希望」

2010-07-24 03:14:26 | 映画・テレビ
実は、わたくし「スターウォーズ」が、とってもだぁい好きなんです♪

とってもとっても、好きでたまらないの~♪

天の声「だったら、ハン・ソロが乗ってたミレニアム・ファルコンのプラモデル作った事ある?」

私「えっ!私にプラモデルなんか作れる訳ないし・・・」

天の声「じゃあ、トレーディング・カードやフィギュアを集めた事は?」

私「うっ!それもないわ。だけど・・・だけど、それでも私はスターウォーズが大好きなの!え~ん!誰かが、私をいじめる~!ヒック、ヒック・・・」

一部の人にしか分からない事を書いたところで、そろそろ始めましょうか?(笑)


この作品は、タイトルがエピソード4となっていますが、実はこれがスターウォーズ・シリーズの記念すべき、第一作なのです。
1977年度作品。

この映画は、続編がいくつも作られるほど大ヒットしたのですが、その主な原因はSFX技術の素晴らしさに尽きると言っていいでしょうね。
とくに、冒頭の巨大な宇宙船がゆっくり通り過ぎるシーンは圧巻で、何度観ても飽きない名場面です。

それに、ジョン・ウィリアムのオーケストラを使った壮大華麗な音楽も効果抜群で、映像の良さをさらに盛り上げてくれていると思います。
かく言う私も、音楽が気に入って、サントラ盤を買い求めた一人でした。
ここで、余談になりますが、後年、特別編が作られた時、サントラ盤も新しくCD化されたのですが、私は古いレコード盤の方が好きでした。

「スターウォーズ」が面白かった理由をほかにあげれば、この映画には監督のジョージ・ルーカスが、それまで観た映画のエッセンスが至るところにちりばめられていて、見覚えのある人物やシチュエーションが随所に出てくるという点です。
たとえば、ライオンそっくりのチューバッカと、人型ロボットのR2-D2は「オズの魔法使い」に登場するライオンと、案山子から。
どこか愛嬌のあるロボットC-3POは、「禁断の惑星」のロボット、ロビーから。

ベン・ケノービは、黒澤明監督作品に出てくる三船敏郎さん演じる侍から。
事実、ベンケノービの役は最初は、三船敏郎さんに、ジョージ・ルーカスは頼んだそうですよ。
あと、シチュエーションでは、R2-D2とC-P3Oが砂漠の小惑星タトゥイーンをさ迷う場面を、黒澤明監督の「隠し砦の三悪人」から。
ハン・ソロが宇宙人と口論になって、命の危険を察して、テーブルの下から銃で撃つ場面は、同じく黒澤明監督の「用心棒」から。
ほかにも悪役のダース・ベイダーの兜が武士の兜にそっくりだったり、映画通なら泣いて喜び場面がたくさんあるそうです♪
あと、デス・スターを見た時、私はサンテグジュペリの「星の王子様」に出てくるちっちゃなお星さまを連想してしまいました。
確か、戦争の好きな王様のお星さまってありませんでしたっけ?
スターウォーズを観て、星の王子様を連想する私は、なんてメルヘンチックな女の子なんでしょう。(笑)

しかし、私がこの映画を好きな理由に、お姫様が登場するのも、決して見逃せない事実なのです。(笑)

私は、映画を観ると、すぐに映画の登場人物に成り切っちゃうのですが、この「スターウォーズ」の場合、女性はレイア姫しかいなかったので、迷わずレイア姫に成り切っちゃいました。
え!ルークのおばさんも出てたぞ、ですって?
それはダメです~
だって、おばさんになんかなりたくないもん!
どうせ、成り切っちゃうなら、やっぱりお姫様ですよね~♪


そういう訳で、この映画は、レイア姫に恋したルーク・スカイウォーカーとハン・ソロが、レイア姫のために命を投げ出して、悪の帝国と闘うお話なのです。
この大宇宙を舞台にした壮大なロマンスに、SF的要素がミックスされた「スターウォーズ」をご覧になって、ぜひあなたもお姫様気分を満喫していただけたらなと思います♪


スターウォーズ・ファンの皆さま、こういうスターウォーズの見方も、もちろんありですよね?(笑)

皆さま方のあたたかいご理解、ご協力のほど、よろしくお願いしますね♪

 


 


魔性の女って?

2010-07-23 12:09:00 | Weblog
今日は、魔性の女について考えてみたくなりました。


あなたは、魔性の女というと、どんな女性を思い浮かべますか?

私は、女性の武器である色香を最大限に利用して、男性に理性を失わせ、たぶらかす女性のようなイメージがあります。

歴史上の人物に例えると、エジプトの女王として君臨し、シーザーを破滅に追い込んだクレオパトラ。

玄宗皇帝に、女性の色香で、国政を忘れさせ、中国を混乱に陥れた楊貴妃。

芸能人では、妻子ある男性を好きになりながら、「好きな人に偶然奥様がいただけ」と、事もなげに言ってのけ、不倫を続けて、糸井さんを離婚に追い込み、見事自分のものにした樋口可南子さん。


そう、魔性の女とは、色香で、男性を骨抜きにして、自分のものにしてこそ、その名にふさわしいのではないでしょうか?

だけど、普通に考えたら、こういう女性は、愛する人まで不幸にしちゃう訳ですから、かわいそうと言えなくもないですよね。

私は、自分の人生を振り返って、愛する男性をことごとく駄目にしてしまった美女を知っています。
その女性は、とっても愛情深い人で、エッチにも熱心で、最初のうちこそ、とても順調にいくのですが、やがて男性の仕事がうまくいかなくなり、生活が苦しくなって、ついに別れてしまう、そんなパターンを何度も繰り返していました。

女性なら、誰しも愛する人の助けになり、支えてあげたいと思うのは当たり前ですが、なぜかその女性と付き合った男性はみな駄目になってしまうのです。

だからなのか、彼女はいつも悲しそうな表情を浮かべていました。

魔性の女の第一条件は美人だと思うのですが、この女性に限らず美人にはなぜかしら不幸な人が多いような気がするのは、私だけでしょうか?

そして、美人の憂いを帯びた悲しげな表情には、何かぞくっとするようなえもいわれぬ色香を感じてしまう。

彼女達を見てるいると、宿命とでも言うのか、自分ではどうする事も出来ない事って、本当にあるのかも知れないなと思わずにはいられない私なのです。











 

映画「赤毛のアン」

2010-07-22 06:26:49 | 映画・テレビ
赤毛のアン

アン・シャーリー

やせっぽちで、そばかすだらけで空想好きな女の子。


この映画の主人公アン・シャーリーが登場する原作の小説「赤毛のアン」は、ルーシー・M・モンゴメリによって書かれ、1908年に出版されるやたちまちベストセラーになり、現在に至るまで、世界中の少女達に長い間、愛され続けてきました。

私も、この物語を少女の頃に愛読した一人であり、どれほど「赤毛のアン」の世界に憧れ、親しんだことでしょう。

「赤毛のアン」は、私の少女時代を思い出させてくれる、とても大切なご本なのです。

それだけに、この映画を観る時は、期待もしましたが、少し不安もありました。

私のイメージと違ったら、どうしよう。
とくに、アンを、どんな女の子が演じるのか、とっても気になりました。

あんまり可愛すぎてもイメージに合わないし、かと言って、その逆過ぎても・・・

だけど、アンを一目見ただけで、私の心配はうそのように吹き飛びました。

私のアンのイメージに、ぴったりだったからです!

そして、私は、この映画を観て、アンの巻き起こす騒動に、くすくす笑ったり、涙がにじんで泣いたりしました・・・


この映画は、私が抱いていた「赤毛のアン」の世界を、完璧なまでに映像化してくれたのです。


それでは、どんなストーリーなのかと言いますと・・・

アンは、決して裕福な家庭で生まれ育った訳ではありません。
幼い頃に両親を亡くし、孤児院で育って、男の子を欲しがっているプリンス・エドワード島のアヴォンリーに住む中年の兄妹の家に、ほんの些細な手違いで引き取られるところから、このお話は始まるのです。

プリンス・エドワード島に汽車で揺られて来たアンは、駅まで迎えに来た引き取り先のマシューに、馬車の中で、空想をまじえて、いろいろなおしゃべりをするのです。

今まで、独りぽっちだったけれど、おじさんの家族になって一緒に暮らせるなんて夢みたい。
もう、この島が大好きになったわ。
プリンス・エドワード島はカナダで一番美しいところだって聞いてたから、ここに住んでることを、よく想像したわ。
夢が本当になったのは、これが初めてよ。

そして、素敵な景色の一つ一つにお気に入りの名前をつけるのです。

たとえば、道の両脇に花の咲き乱れる並木道は、喜びの白い小道。

バリの池は、輝く湖という名前に。

だって、それが、ぴったりだもの。
胸が、キュッとなるわ。
そんな事ない?

そう、嬉しそうに、マシューに話しかけるアンなのです。

そうして、アンは本当は男の子がほしかったというマシューとマリラに無事に引き取られて、心の友ダイアナと巡り会い、また後々アンの人生に大きな関わりを持つギルバートと運命的な出会いをするのです。

ところが、アンの行くところ、絶えず騒動が巻き起こり、アンに振り回される周りの人々なのですが、最初は顔をしかめていた人々も、アンの無垢な人柄にふれると、いつしか心を開き、アンを愛するようになるです。

そうして、さまざまなエピソードが巻き起こるのですが、私が一番印象に残ったのは、やはりギルバートとのエピソードの数々です。
学校で初めて、アンはギルバートと出会った時、アンがもっとも気にしている赤毛を「ニンジンみたいだ」と言ってからかい、おさげにしている髪の毛を引っ張るのです。
それが原因で、アンの心にギルバートへのしこりが残り、彼は何度も謝るのですが、アンは許さず、二人は長い間、ぎくしゃくした関係が続くのです。
だけど、ある時、マリラから、ずっと独身を押し通した本当の理由を聞かされて、アンの心にギルバートを許す気持ちが芽生えるのです。
自分の言い分を通すのも大切だけど、心を開き、相手を理解する努力は、もっと大切なのかも知れませんね。


ラストのアンとギルバートの心が通じ合う場面は、思わず胸に迫るものがありました。


この映画を、見終わった私は赤毛のアンみたいに、多感で、夢見がちだった少女の頃の自分を思い出し、ちょっぴり涙ぐんでしまいました・・・


「赤毛のアン」は、私がいつまでも大切にしたい映画の一つなのです。


これで、この映画のご紹介を終わりにしたいのですが、最後に、一つだけ書かせていただきたいことがあります。

それは、「赤毛のアン」を、私はレンタルで観たのですが、今まで観た、どのレンタルDVDよりも盤面が傷んで、画質が悪かったという事です。
私が、傷んだDVDを鑑賞して嬉しいはずはないのですが、それは、それだけ「赤毛のアン」が、多くの人に愛され、鑑賞されたということですから、良い方向に捉えて、ちょっとうるうるしてしまいました。(苦笑)
「赤毛のアン」が好き!っていう方は、本当に大勢いらっしゃるんですね。


あなたも、この映画で、世界中の女性達に愛される「赤毛のアン」の世界にふれて、あの頃の自分に、もう一度帰ってみませんか?












 

アニメ「エースをねらえ!」さあ、いくわよ!

2010-07-19 17:34:47 | 映画・テレビ
二度と帰らぬ青春の日々。

その限られた貴重な時間に悔いを残さないようにするには、何をすればいいでしょう?

はい!それはスポーツだと思います!


そう、青春の熱い血潮を燃えたぎらせるには、スポーツしかありません!

本当に、それだけなの?
勝手に決めるなって言われそう。(笑)
だけど、そういう事にしないと、あとが書けなくなりますので、そういう事にしておいて下さいね。(笑)

実を言いますと、このわたくし、テレビアニメの「エースをねらえ!」に影響されて、中学時代、テニス部に入っていたことがあります。
それほど、私はこのアニメが大好きで、主題歌もそらで歌えるほどだったのです。

♪コートでは、誰でも一人一人きり、私の愛も、私の苦しみも、誰もわかってくれない きらめく風が走る 太陽が燃える くちびるに、薔薇の花びら 私は飛ぼう 白いボールになって・・・
(いちいち、歌わなくていいって!)

そうやって、かじりつくように、このアニメを観ていた私は、このアニメのキャラクター達に、ぞっこん惚れ込んでいたのです。

キャー!お蝶夫人、すてき~!
藤堂さんや尾崎さんもかっこいいわ~!
だけど、宗方コーチが一番~!

私もテニス部に入って、宗方コーチみたいな素敵な人にしごかれたいな~
そして、お蝶夫人みたいな人とダブルスを組んで、日本一のテニス・プレイヤーになっちゃうの!
それに短いスカートをはいて、プレイの最中、パンツを男子に見られたいの。(笑)
そして、シャラポアみたいな名テニス・プレイヤーになるの~!

読者「ハァ、あんたが中学生の時はシャラポアなんて、いなかったでしょ!」

私「ギクッ!ばれちゃった?じゃあ、しょうがないわ。私、シュテフィ・グラフやマルチナ・ヒンギス、それにモニカ・セレスみたいな選手になりたかったの~!」

読者「チッチッチ、あんたが中学生の時は、それらの選手もまだテニスすら、やってなかったでしょ!」

私「あ~ん、読者の、いじわる~」(笑)

とにかく、そういう訳で、私は忘れもしない中学一年生の春、希望に燃えて、テニス部に入ったのです。
でも、入ったまではよかったのですが、右を見ても、左を見ても、お蝶夫人や宗方コーチみたいな素敵な人は、どこにもいないじゃありませんか!?
私が通っていた中学校は歳取った顧問の先生が一人いただけで、コーチは誰もいない弱小テニス部だったのです。
だけど、「エースをねらえ!」に出てくるような意地悪な先輩は、しっかりいましたけどね。(笑)
結局、プレイもさせてもらえず、草取りや、先輩の打ち損ねた玉拾いばかりやらされて、当てがはずれた私は、わずか3ヶ月くらいで、あれほど夢にまで見たテニス部を簡単にやめてしまいました。
あ、あ、この根性無しって言わないで~(苦笑)


それにしても、このアニメは大ヒットしましたよね~。

お蝶夫人て、本当に大人っぽかったですよね。
だって、日本人なのに髪の毛は金髪で、くるくるカールさせてて、お洒落だし、どう見たって、高校生なんかには見えなかったですもん。(笑)
それに、あんな長い髪の毛なびかせてたら、テニスになんないでしょう?

だけど、お蝶夫人のファンの私達にとっては、そんなことは、どうでもいい事だったのです。
そう、かっこよければ、それでよかったのです!

しかし、あれから幾星霜、かなりの年月が経ち、すっかりストーリーを忘れた私は、ちょっとだけ原作のマンガを読み返してみました。

すると、あの頃の感激がよみがえってきて、嬉しくなっちゃいました。
今、見ても宗方コーチはかっこいいし、お蝶夫人も素敵だし、なんだかとっても嬉しくて、思わず涙ぐんでしまいました・・・


今、燃えるものが何もないと歎いている、あなたにぜひこのアニメを観ていただきたいです。
(どうやって?)

それでは、私と一緒にプレイしましょうか?

さぁ、いくわよ。

私のボールうけてみなさい!


(ここで、「エースをねらえ!」のテーマ曲が流れる)

♪サーブ、スマッシュ、ボレー、ベストを尽くせ~
エース
エース
エース
エースをねらえ~
 


みんな、もう一度青春しましょ♪







 
 

海の日

2010-07-19 09:30:57 | Weblog
海    文部省唱歌

海は 広いな 大きいな 月が のぼるし 日が 沈む


海は 大波 青い 波 ゆれて どこまで 続くやら


海に おふねを 浮かばして 行ってみたいな よその 国


懐かしいですね~

なんだか、子供の頃を思い出しちゃいますね。

この歌は、私が小学生の頃に習ったのですが、私の母も童謡が大好きで、よく母と一緒に歌ったものでした。

今日は、海の日ということで、この歌に因んだお話をします。

この歌は、小さい子供が海に憧れる気持ちをよく表現しているように思えます。

どこまでも続く広い海。
その海の向こうは、どうなっているのやら。

ちょっと、旅情気分にひたりたくなるような、ゆったりした、とてもいい歌ですね。

でも、私の母も、この歌を知っていたという事は、結構、古い歌なのかも知れません。
そこで、調べてみたら、なんと70年近く前の昭和16年に作られているという事がわかりました。

昭和16年と言ったら、太平洋戦争が始まった年に当たります。
当時の日本は、今と違って、軍国主義の最中で、大東亜共栄圏を名目に、日本の周辺諸国に次々に戦争を仕掛け、侵略して、植民地化していた時代です。
実は、一見のどかな海への憧れを歌ったかのように聞こえる、この歌も戦争を賛美する意味が込められているそうです。

3番の歌詞の
♪行ってみたいな よその国

とは、兵隊になって、海を越えて、よその国を侵略する、そういう意味が込められているそうです。

今の平和な日本では、とても考えられないお話ですね。


今日、7月19日は、海の日。

どうやって過ごすかは私次第ですが、ほんの少しでも、心の片すみに平和のありがたさを思って過ごしたいなと思います。