奈々の これが私の生きる道!

映画や読書のお話、日々のあれこれを気ままに綴っています

[舞台・鉄人28号]押井守

2014-10-30 22:13:59 | 映画・テレビ
 
 ちょっと前に書いた劇画の「ゴルゴ13」かなりショックだったの。(涙)
 
 巨額の報酬と引き換えに、人の命を奪うなんて、アウトローの最たるものじゃない?

 「人の命は地球よりも重い」という言葉もあるくらい、人命は尊いはずなのに・・・

 だけど、「ゴルゴ13」は、2014年現在、マンガと劇画を含めて、もっとも長期にわ

たって、多くの人に読まれ続けてるそうなの。

 これは、善を良しとする価値観を標榜している私には、とっても驚きでした。


 アウトローに憧れる人って、意外と多いんだわ!


 そこで、私は、アウトローの魅力とか、善と悪との関係とか、ひいては男性の本質とか、生き方みたいなものに興味がわいてきたの。

 そういう訳でね、なぜか任侠映画まで観る羽目になってしまったのですが、今回は往年の名作マンガ「鉄人28号」を原作にした押井守監督の「舞台・鉄人28号」を例に、そうした事について考えてみたいと思います。

 まず、作者の横山光輝先生についてですが、私はこの人は、マンガ界きっての男の中の男
だったんじゃないかなと思ってるんです。
 横山先生は、手塚治虫先生の「メトロポリス」に感銘を受けて、マンガ家を志されたそう
で、マンガ家になりたての頃は、手塚先生のお手伝いもされてたそうです。
  そうするうち、「鉄人28号」を、マンガ月刊誌「少年」で、1956年に連載を開始
されるのですが、その時、すでに同誌では、手塚治虫先生の「鉄腕アトム」が連載され、大
人気だったそうなの。
 
 ね?
 それだけでも、すごい度胸だと思うでしょう?

 しかもね、「鉄腕アトム」の二番煎じじゃなく、まったく正反対とも言える新しいロボットを創造して、アトムに対抗してきたの。

 その1として、アトムは人間の子どもと同じ身長しかないのですが、鉄人ははるかに大き
く巨大ロボットの元祖だと言われてるらしいです。

 その2は、アトムは電子頭脳を持っていて、善悪の判断が出来ますが、鉄人はリモコンで
しか動けなくて、操縦する人次第で、善にも悪にもなっちゃうの。
 この善にも悪にもなるというのは、ロボットの世界ではとってもすごい事のようで、「巨
大ロボット読本」というご本によれば、史上初めて、悪を成したロボットになるそうです。
 というのは、ロボットには「ロボット工学三原則」なるものがあって、ロボットは人間に
危害を加えてはならないとか、人間の命令に服従しなければならないとかという決まりがあり、それを初めて破ったのが「鉄人28号」だというんです。

 その例として

 ・抵抗する警官を、鉄の拳で、2名撲殺。

 ・乗鞍岳付近の満杯のダムを決壊させ、下流の村を一気に水没させ、犠牲者の数は不明だ
が、かなりの被害を与える。

 ・市街地で暴れまわった挙句、制止する警官を踏み潰したり、投げ飛ばし、死者10数名
を記録。

 ・海上戦で海上自衛隊の艦船4隻を撃沈させ、死者推定300名。

 ・陸上自衛隊、航空自衛隊相手に大暴れ。被害は戦車3台、輸送車両1両、航空戦闘機3機
、地上兵にもかなりの死者。

 ・ハワイ航路の豪華客船アトランジェ号を沈没させ、およそ700名から800名の犠牲者を出

す。
 以上、「巨大ロボット読本」より。
 


 私はね、これこそが鉄人の最大の魅力じゃないかなと思うんです。

 そう、少年達というか男性には、鉄人のような破壊願望ってあるんじゃないかしら?

 私が、そう気づいたのは、数カ月前に人生で初めて、スクラップ屋さんのお仕事を拝見し
た時でした。

 そこで、私はスクラップ屋さんのお仕事の様子を見て、メチャメチャびっくりしちゃった
んです!

 私が行ったスクラップ屋さんは、車とか精密機械とか家電品などを叩き潰して、ペチャン
コにするところだったのですが、そこで働く人達はどんなお気持ちで物を壊しているのか、
気になっていたの。
 
 俗に、作るのは大変だけど、壊すのは簡単て言うじゃない?
 
 きっと、スクラップ屋さんで働く人達も、車や機械を作った人達の苦労を偲び、神妙な面
持ちで叩き潰しているに違いないわ。

 そう思ってたの。

 ところが、クレーン車や大型重機で、叩き潰す人って、満面の笑顔で、すっごく嬉しそう
に叩き潰してるの。
 なかには、「♪チャンカ チャカチャカチャカ チャカチャカチャ・・・」って「軍艦マ
ーチ」を口ずさんでたり、今まさに叩き潰す瞬間に、ピューって、さも得意気に口笛なんか
吹いたりして。

 誰もそれらを作った人達に対して、敬意を払ってるとか、申し訳ない事をしているって感
じはまったくしなかったの! 

 
 それは、まるで、「どんなものでも俺様にかかれば壊せないものはない。俺様こそ世界最
強なのだ。わっはっは」って、声がどこからか聞こえてきそうだったの。

 
 そうよねぇ・・・

 どんな高級車や、何千万円もする精密機械とか、自慢の最高級のパソコンや4Kのテレビだ
って、スクラップ屋さんのあんなドでかい大型重機を使ったら、たった一振りするだけでひ
ねり潰せちゃうもの。

  
 きっと、男性は少なからず、誰しも破壊願望を持ってるのかもしれないわ。


 それに、「巨大ロボット読本」にはそれを裏付けるように、こう書いてあったの。

 
 「本音を言うと」と、何やら後ろめたそうに小声で言わなければならないのは、当時、い
くらガキだったからと言って、道徳的なアトムより、悪の破壊王・鉄人の方が好きだなんて
、やっぱり声を大にして言いにくかったのである。
 それに、なにより意志を持ったアトムとは友達になれるかもしれないが、リモコン次第の
鉄人はこっちのめちゃくちゃな命令にだって従ってくれる、頼もしい僕なのだ。
 この差は大きい。
 男の子というものは、自分を鎧う武器を求める。それがナイフであったり拳銃であったり
、自分の肉体を鍛えることだったりする。女の子は自分を守ってくれる頼もしい男を求める
が、男の子は物心ついたときから、自分の身は自分で守らなきゃいけないと刷り込まれてい
るのだ。
 しかし、誰もが強いわけじゃないし、まして子供は体が小さい。いきおい、その差を武器
に求めるのだ。もちろん、心のなかでは卑怯だとわかっているが、この防衛本能はどうしよ
うもない。男の哀しい性である。
 鉄人28号は、とにかくでかくて丈夫で強い。マシンガンだって、戦車だってかなわない

。その鉄人が小学生の正太郎君の言うがままになるのである。
 あのリモコンさえ手に入れば自分だって強くなれる!世界征服だって夢じゃない!!
 こんな妄想を抱きながら鉄人をこっそり支持していた少年達が多かったはずである。
 それが証拠に、鉄人28号以降、巨大ロボット漫画が雨後の竹の子のごとく生まれ、少年

達の負の願望を満たし続けたのである。


 ね?
 すごく的確に、「鉄人28号」の魅力を言い当ててると思わない?


 だから、正義とは、何の関係もない訳で、鉄人が好きな人は同じように正義の心を自ら持
たない手塚治虫先生の「魔神ガロン」も好きなはずだし、怖い顔で暴れまわる「大魔神」と
いう特撮時代劇映画も好きなはずなんです。


 そこで、次に考えたくなったのは、正義の味方と言いながら、暴力を肯定している作品に
ついてなの。


 具体的な作品名は憚られますので書きませんが、こういうのってありなのかな?って思う
のが、いくつもあるんです。 

 こう書くと、「何~?今まで、暴力を振るって、悪をやっつける正義の味方は、ここには
書ききれないくらい沢山いて、歴史だって長いんだぞ」って、男の人に言われちゃいそうで
すけど、よ~く考えてみて下さい。
  
 実際には存在しない凶暴な怪物を創造して、警察機関や裁判所に事件を持ち込む事もなし
に、勝手に情け容赦なく、「俺は正義の味方だ!」と言って、自ら殺して解決しちゃう訳で
しょう?

 それって、考えようによっては、法律を無視して、暴れまわる、とんでもない男で、正義
の味方だから許されるんだと、詭弁を弄してるような気がしてならないの。 

 私が、そういうのには訳があるの。

 女性、とくに小さいお子さんを持つ若いお母さんで、正義の味方が登場するテレビ番組を
、子供に見せるか否かで、悩む人が多いという報告があるんです。

 ラジオの子育て相談とか聴いてると、そういう悩みを寄せるお母さんもちらほらいらっし
ゃいます。


 私にもね、二人の息子がいるので、小さい頃は、積極的に見せたいとは思わなかったです


 正義の心を持つって、大切なような気はするけど、憎しみの心を育てるようで、どうなの
かなあ~なんて。
 
 
 でも、結局はなよなよした男の子になって、いじめられても困るので、たくましくなって
ほしいとの願いを込めて、見せるようにしちゃいましたけど。

 
 ところが、数年前に、正義のためなら暴力も已む終えないというか、正義の味方が好きで
、まるでバーゲンセールかバナナの叩き売りのように、気安く正義を口にする人を知り、す
ごい疑問を持っちゃったんです。

 普通、自分の行為に対して、これは正義だと口にする人って、あまりいませんよね?

 正義を口にする以上、よっぽどの人格者か、人望のある人でなければならないと思うので
すが、その人はどう見てもそうは見えないんです。
 
 それにね、正義の暴力は、力のある正義と同義語だと思うのですが、今東光というお坊さ
んが、著書「極道辻説法」の中で、こう仰ってるの。
 その前に、どうしてお坊さんが、極道なんて言葉を使ってるのかと言うと、本来は、仏法
を極めた人のことで、今東光和尚は、世界遺産にも認定された岩手県平泉の天台宗東北大本
山の中尊寺で貫主を務め、僧正まで昇り詰めた実績のある、とっても偉~いお坊さんなんで
すよ。

 つまり、世の中の平和や、人々の幸福を願い、正義を語るには申し分のない人って事なの



 この人、ちょっと口は悪いけど、いいこと話してるから、よく聞いてみてくれる?


 力のない正義なんて言ったって、もともと正義に力なんてありゃせんよ。昔から悪の方こ
そ、力があるんで、それで正義がいつでも歯をくいしばって、くやしがってるんじゃねえか
。だから、正義に力はないし、その意味では無力に決まってらぁね。
 正義にしろ、真理にしろ、力なんてない。力あらしめるのは、てめぇが奮闘する以外にな
いんで、その正義を貫くなり、その真理を高く掲げるっていうのは、もうてめぇがやるより
しょうがないんで、他に正義があり、他に真理っていうもんじゃねぇ。
 でも、力を正義だと言う者がありゃあ、そいつは強いよな。
 ところが、力を正義だと言う奴に限って、不正な奴がごまかすために言うセリフなんだな


 本当の正義
 われわれが見て正義だと思うのは、やはり力の弱いもんだと思うね。
 



 どう?説得力あるでしょう?

 私、すごく納得です。

 正義はそう容易く口にするものじゃない。

 ましてや、暴力を正義だなんて、とんでもありません!

 それでも、まだ言うなら、ぶっちゃけ、正義の味方の登場する作品で、今までノーベル平
和賞を取ったり、候補にあがったのが一つでもある?

 だけど、非暴力抵抗の思想を訴えたマハトマ・ガンディーはノーベル平和賞の候補にあが
りましたし、世界の平和を訴え、貧しい人々を救うのに一生を捧げたマザー・テレサはノー
ベル平和賞を授与されています。
 

 これでも、あなたはまだ暴力こそが、正義だと言うの?


 それでもわからないなら、私がお仕置きしてあげましょうか?

 「コラッ!あんたのその汚いケツを出しなさい!足蹴にして、私の真っ赤なピンヒールで、グイグイやってやるから。
 え?ようやく分かりましたって?
 だったら、女王樣、もうそんな間抜けな事は決して言いません。許して下さいって、泣いて拝みなさい!」


 あ、これは、ほんの冗談ですから~♪

 おしとやかで、心優しい私に、そんな事言えるはずないですもんね♪


 その証拠に、私の大好きな言葉、文豪、武者小路実篤の画賛をお教えしますね。


 「天に星 地に花 人に愛 」 


 これこそが、正義だと思いません?



 ね?
 これで、私が、どれだけ優しくて、思いやりのある女性か、わかるようでしょう?(笑)




 それでは、正義の味方の好きなそこのあなた「ええっと、ええっと・・・それじゃあ、正義の味方の登場するものって、ダメなの?」って、思いました?


 ご安心下さいませ。


 私は、これでも話のわかる女なんです♪


 要するに、正義を強調しないでって言いたいの。

 だからね、この「鉄人28号」を好きなSさんが、正義という言葉をひとことも書かないの
に、私はいつも感心してるんですけど、それはこのマンガをよく理解しているからで、この
マンガを好きなのに、正義を容易く口にする人はまったくこの作品の本質を見抜いてない証
拠って事なの。(笑)


 それにね、鉄人はたんなるロボットでなく、神にも等しい存在じゃないかなって思うんで
す。
 つまり、荒ぶる神というか、破壊神としての神様。

 というのは、世界各地に神話ってありますけど、人に幸せを与える神様とは別に、害をな
す神様も沢山、いるみたいなんです。

 例えば、日本神話に登場するスサノオがそうです。
 スサノオといえば、ヤマタノオロチ退治で有名ですが、幼いころ、亡き母に会いたいと泣
きわめいただけで、川も海もすべて枯れ、悪神たちが蝿のように沸き立ち、この世に災いを
もたらしたり、姉である天照大御神に暇乞いをしに、高天原に上っては、乱暴狼藉の限りを
尽くし、果ては天照大御神の「天の岩戸事件」を引き起こすなど、悪行三昧を送っていたそ
うなの。

 そのほか、外国の神話のヒンズー教の三大主神シヴァも破壊神ですし、古代アステカ時代
の伝承に登場する太陽神トナティウもそうですし、ロシアの黒い馬を従え、3つの顔を持つ
軍神トリグラフもそうなの。

 これら、人間以上の力を秘めた神様に畏敬の念を持ち、信仰する事で、体の裡から、勇気
がほとばしり、無限の可能性が与えられるのでは?


 作家の三島由紀夫は、それをエロティシズムとも関連付けています。

 
 「戦後派作家は語る」より。

 さっき申し上げた美、エロティシズム、死という図式はつまり絶対者の秩序のなかにしか
エロティシズムは見出されない、という思想なんです。ヨーロッパなら、カトリシズムの世
界にしかエロティシズムは存在しないんです。
 あそこには厳格な戒律があって、そのオキテを破れば罪になる。罪を犯した者は、いやで
も神に直面せざるを得ない。
 エロティシズムはそういう過程をたどって裏側から神に達することなんです。




 ずいぶん、前置きが長くなっちゃいましたけど、え?いつものこと???(苦笑)、その
訳は、今回、ご紹介する「舞台・鉄人28号」に登場する金田正太郎君が、正義と悪の間で
悩むストーリーですので、それを理解しやすくするために、あえて思う存分書いたの。
うふっ♪

 ところで、このお話の舞台は、東京オリンピックを間近に控えた昭和39年で、オリンピッ
クを邪魔するテロリスト集団、人狼党・党首の犬走一直に、金田正太郎君は拉致され、彼の
言葉に、それまで信じていた正義の意味が揺らいでしまうのです。

 犬走一直「君と鉄人はひとつになる。鋼鉄の体と正義の心。二つが一つになったその時こ
そ、科学は正義になる。そう言わなかったか?」

 正太郎「言いました。たしかに。」

 犬走一直「正太郎君、正義が実現する新しい時代に、この有明フェリータ(野犬)の生き
る場所はあるのか!?
 彼女が安心して子犬を産める場所はあるのか?

 東京最後の野犬、有明フェリータは、湾岸の女王でもあるんだ!

 気づかなかったのか?

 今、彼女の体内には新しい命が宿っている!」


 正太郎「敷島博士は、新しい時代のためには犠牲が必要だと。」


 犬走「野犬は、野犬である事が、悪なのか?野犬として生まれたことが罪なのか?」

 正太郎「人のあたたかさを知らずに育った野犬は決して人に懐くことはない」


 犬走一直「それは野犬の罪なのか?」

 正太郎「未来の為には犠牲が必要だと」

 犬走一直「どんなに辛くても悲しくても、そのことから逃げ出してはいけない!」


 正太郎「それが、正義だと言いました。」

 ここまで言った正太郎君はそれまで信じていた正義の意味に自信をなくし、その場に力な
く座り込んでしまうのです。

 しかし、犬走一直は容赦なく「正太郎君、私は、君に考えてほしかったんだ。君は君の鉄
の体で、何を守るのか?

 ここは、かつての帝国が東京を守るために築き上げた砲台。海防要塞だった場所だ。今は
、朽ち果てた廃墟だがな。その忘れ去られた過去から、何が見える!?」

 正太郎「新しい時代が・・・」


 犬走一直「私には見えない!私に見えるのは陽炎のように儚い幻の街だ!!」

 そこまで言われた正太郎君は肩を落とし、目にいっぱい涙をため、「見えない・・・新し
い時代が・・・未来が見えない・・・僕にはもう何も見えない・・・」と言って、それ以上
の言葉を口にする事は出来なくなるのです。

 それに追い打ちをかけるように、犬走一直はなおも正太郎君を問い詰めます。

 「何が正義で、何が悪なのか、君の鉄の体で、何を守るのか?

 この見捨てられた犬の島で、じっくり考え給え」

 
 まったく、自信を失う金田正太郎。

 
 しかし、そんな正太郎君に、救いの言葉を与える人物がいます。

 それは、女賊ケツネコロッケのお銀という女性。


 なぜそうなのか?

 原作のマンガには、女性は登場しませんが、この「舞台・鉄人28号」は、正義と悪の意
味を問い詰めた結果、正義を語るには戦いを好まず、愛情を旨として生きるのを宿命付けら
れた女性こそ、もっとも相応しいと考えたからなのです。

 その結果、「僕は誰かのためでなく、僕のために、ぼくの鉄の体のために、鉄人のために
戦います!鉄人がそうしろと言ってるんです。」と、再び立ち上がる勇気を得るのです。


 そうして、自信を取り戻した正太郎君は、人狼党の妨害工作により、ブルーインパルスを
で、東京オリンピック開会式当日に5つの輪を描くはずだったのを不可能にし、代わりに、鉄人を飛び立たせ、五色の輪を描いてみせるのです。

 そう、これが真の正義で、敵を憎み、戦うのは正義とは言えないからなの。

 
 しかし、5つの輪をジェット噴射で、成功させた正太郎君と鉄人28号はそのまま二度と

帰ってはきませんでした・・・
 

 あれから、数十年が経ち、敷島博士は観るも無残な姿でさまよい歩いていました。


 そして、この舞台の幕を引くのは、正義を語る役を与えられた女賊ケツネコロッケのお銀
なのです。

 
 ♪鉄人よ 鉄人よ 暁に照らし出せ 

 栄光よ 栄光よ この胸を去りがたん

 空に飛び立ち 還らぬは 慟哭の巨人 愛しけり

 はえある命を 胸に抱く 明日を託した永久の友

 鉄人よ 鉄人よ 千里まで空を裂け 

 科学なる正義達 声もなく 愛もなく

 空に飛び立ち 還らぬは 帝国の巨人 愛しけり

 正義も悪もともに消え 誰が手折りしか 堕ちゆかし

 さようなら さようなら 戦後なる自由の日

 さようなら さようなら 死の器と成り果てる

 正義も悪も荼毘の中

 はかない鉄の夢追いし

  


 「よみがえれ!向日の巨人!この裏切りの空に再び、未来を描け!!」


 
 
 この作品のキャッチコピーは「純水無垢は、悪である」だとか。 


 そして、正義について論じるのに、もっとも相応しいのは、戦いを好まず、人を愛するの

を旨として、宿命付けられた女性だけというお話・・・



 








 
   

    

 


 

 




 








 

3Dテレビを買っちゃいました♪

2014-10-26 06:38:20 | Weblog
 先日、うちのブラウン管テレビが、とうとう壊れちゃいました。
 
 そう、今まで、我が家は、ずっとブラウン管テレビだったの。
 もちろん、地デジの映るハイビジョン・テレビではあったんですよ。
 その訳は、このブラウン管テレビを買った8年前は、薄型テレビは動きの早い場面では残

像がすごくて、とても見にくかったので、これを買っちゃったの。

それで、壊れてしまったので修理に出そうかとも思ったのだけど、もう今や薄型テレビの技

術って、すごく進化してるじゃない?

 だから、思いきって、買い換える事にしたの!

 そこで、どんなテレビがいいのかな?と、あれこれ考えていたら、3Dテレビにしたいって

思ったの!

 3Dで観ると言ったら、SFXというか、特撮に決まってますよね?

 その特撮の中でも、とくに私が観たいのは、怪獣もの♪

 巨大な怪獣が破壊の限りを尽くして、ところ狭しと暴れまわるって、最高♪♪

 私も、怪獣になって、暴れまわりたいな。

 大きな地響きを立てながら、のっしのっしと歩き、行く手を遮るビルとか、鉄塔とか、邪

魔な建造物を踏み潰したり、口から火を吹いて、グチャグチャに溶かしたり、長い尻尾をビ

ュンと振って、次々に壊すの。

 そして、「ガオーッ!!!」って、勝利の雄叫びなんかあげちゃったりして♪ 
 
 
 でも、そんな事してたら、「憎っくき、怪獣め!お前なんか、やっつけてやる」って、ウ

ルトラマンが、はるか遠くM78星雲から、やってきそう。

 
 そんなのヤダヤダ~!


 私、暴れ回りたいんだも~ん!


 せめて、私を倒すんだったら、東京スカイツリーをぶっ壊させてからにして。

 ね?ウルトラマン、お願い!!


 だって、東京スカイツリーをぶっ壊すのが、私の夢なんだもの~~~!!!



 はっ!
 私ったら、何、考えてんだか?(苦笑)

 それはともかく、3Dテレビを買おうという事になっちゃいました~♪

 3Dテレビが出始めた頃は、すごく高くて、一般庶民には高嶺の花だったけど、今は普通の

テレビと、ほんの数万円しか変わらないほど安くなってるって言うし。

 そこで、ネットで調べてみたら、3Dにはアクティブ・シャッター方式と、パッシブ方式の

二つがある事が分かったの。

 どちらが優れてるかというと、アクティブ・シャッター方式らしいんですけど、実はこの

方式が、3Dテレビを世に広めるのに、足かせになったと思われてるらしくて、それであとか

らパッシブ方式が作られたそうなの。  

 というのは、アクティブ・シャッター方式のメガネは充電する必要があって、手間もかか

るし、普通のメガネよりも重く、長時間、使用すると、疲れやすいそうなの。

 そこで充電の必要もなく、重さも普通のメガネと変わらないパッシブ方式が考案されちゃ

ったという訳。

 だから、ネットでは、その二つの3Dテレビを買った人の意見として、パッシブ方式を勧め

る人が断然、多かったんです。

 だったら、うちもパッシブ方式にしようかな?

 それに、3Dで観たいと言っても、そんなに観たいものがある訳じゃないし。

 だけど、どんなふうに違うのか、実際に見てみたいじゃない?


 そこで、早速、本物の3Dテレビを見に、どのメーカーのどんな機種がいいのか、家電量販

店に行ってみたの。

 ところが、3Dテレビが初めて登場した頃は、設置してあるメガネで、体験出来たのに、今

はどの電気屋さんにもメガネが置いてなくて、体験出来なかったの!

 なぜかと思って、店員さんに尋ねたら、3Dテレビ目当てで買いに来るお客さんがあまりい

ないので、そうした事はもうしてないって言うんです。

 だけど、今流行りの4Kテレビは標準装備されてるのが多いので、見れることは見れますよ

と。
 そして、買うんだったら、3Dよりも、ほかの機能も重視された方がいいですよと言われ、

4Kテレビを勧められちゃったんです!

 
 4Kテレビだと、フルハイビジョンの倍、画素数があるので、わざわざ3Dにして見なくて

も、あたかも立体映像のように見えますよって。

 でも、そのぶん、お値段も張るんですよね~

 だけど、薄型テレビだって、初めて出てきた時は、32型でも、50万円くらいして、とても

一般庶民が買えるお値段じゃなかったんですよね?

 それが、だんだん安くなって、ジャパネットたかたのタカタ社長が、ついに1インチ1万円

まで安くなりましたと言って、32型の薄型テレビを32万円で売ってたの、よ~く覚えていま

す。(笑)

 だから、今は、ちょっと手が出せない4Kテレビも、10万円を切る日もそう遠くないかも?

     
 
 そういう事で、4Kテレビが安くなるまで、フルハイビジョンの薄型テレビで我慢しようと

思って、2Kテレビのハイエンド・モデルを買う事にしちゃいました。

 3D以外の機能では、わざわざ録画の操作をしなくても、HDDに勝手にどんどん番組を録り

ためてくれるものにしました。

 理由は、留守録が苦手なのと、途中からテレビをつけて、「最初から観たかった~!!」

と、残念な思いをした事が、数えきれないほどあったからです。(苦笑)

 そんなこんなで、先日、買ったテレビで、早速、3Dのブルーレイを観てみました。 

 その時、初めて知ったのが、DVDでは、3Dの作品はほとんどないって事と、「アバター」

以降のここ数年の映画くらいしか、ソフトがないという事でした。

 3Dの場合、多くの画素数を必要とするらしく、DVDだと映像が荒く見えるそうです。

 そこで、わたしが観たのはマーチン・スコセッシ監督の「ヒューゴの不思議な発明」です


 なんてったって、マーチン・スコセッシ監督は「タクシー・ドライバー」で、アカデミー

賞を受賞したのをはじめ、数々の名作を撮った名監督ですから~♪

 この作品を観て、私が思ったのは、3Dの技術は映画そのものの表現方法まで変えてしまっ

たのではないかという事でした。

 3Dの映像に注視させようという配慮からか、セリフがすごく少なくて、その代わり映像が

凝っていて、テレビの画面から映像が飛び出してくるようで、その迫力たるや、すごい臨場

感を感じちゃいました!

 3Dテレビを買って、つくづくよかったわ・・・

 ただ、残念だったのは、うちが買った3Dテレビは2Dを3Dに変換する機能がついてなかっ

たんです。(ソニーの製品だと、殆どその機能が付いてるそうです。)
 
 しかし、ヤフオクで探してみたら、そういう装置だけ売ってるのがあって、それをテレビ

とブルーレイ・レコーダーの間に挟んだら、見事に2Dを3Dに変換出来ちゃいました♪

 もっとも、最初から3D用に作られたものより効果は落ちますが、それでもバッチリ立体映

像に見えましたよ♪

 詳しく書くと、3D用に作られたものは、テレビから飛び出すように見えるのが、2Dを3D

に変換したものはテレビの中で、奥行きが感じられる程度のものって事です。

 でも、それまで平面にしか見えなかったものが、立体映像で見えた時の感動はすごいです



 あと、レンタル屋さんに、3Dのブルーレイが置いてないのが残念でした。 
 
 3Dテレビを持ってない人の方が多いので、仕方ないのか・・・

 
 3Dのブルーレイのソフトは高いので、中古で買うしかないな。(苦笑)
 

 あ!そうそう、3Dの映像を観るには、3D対応のブルーレイ・レコーダーも必要です。

 それだけは、3年くらい前から持ってたのですが、3Dテレビでないと、3D映像は見れな

いんです。








 結論としては、3D映像は、すごい臨場感があって、楽しみが倍になり、大人をいっぺんに

童心に帰らせてくれます。


 3Dテレビを買って、メチャメチャ嬉しくて、文章にしちゃいましたが、これから買おうか検討しているあなたの参考に少しでもなれば、もっと嬉しいです♪

  


 



 



 
 







 






   

映画「極道の食卓」原作立原あゆみ

2014-10-22 13:11:34 | 映画・テレビ



 ああ、いつから、こうなっちゃったのだろう?


 初めは、手塚治虫先生の「ブラック・ジャック」を借りて、私の亡き母の思いを、これからどう繋いでいったらいいのか考えたかっただけなのに・・・


 それが、「ブラック・ジャック」は、「ゴルゴ13」に似ているんじゃないかと言われたのをきっかけに、「ゴルゴ13」に興味を持ち、そのモデルになった高倉健さんをより知るために、今まで一度も観たことがない任侠映画まで観るはめになり、それにとてもショックをうけてしまった私・・・


 
 ううん、人を殴ったり蹴ったりの暴力場面とか、流血とか、刀やピストルで、人を殺す場面なんかは何でもなかったの。

 
 私が、ショックだったのは、ヤクザを演じていた役者さんだったの。

 名作テレビドラマ「岸辺のアルバム」で、八千草薫さんの夫の役だった杉浦直樹さんと、「青い山脈」で、さわやかな高校生を演じた池部良さんは、前回の記事で書きましたが、そのほかにも「北の国から」のお父さん役だった田中邦衛さん、「七人の侍」の志村喬さん、「鞍馬天狗」の嵐寛寿郎さん、「Gメン75」の丹波哲郎さん、「空に星があるように」を歌った荒木一郎さん、南田洋子さんの夫の長門裕之さん、「新・七色仮面」の千葉真一さん、「白馬童子」の山城新伍さんなど、みんな、意外な役者さんばかりだったんですもの。

 あ、でも、山城新伍さんは、やっぱりって感じかな?

 
 この人は、私の子供の頃は、ポルノ映画を何本も撮った女癖の悪いエッチなおじさんだったんです!

  山城新伍さんは、川島なお美さんと付き合ったり、山口美江さんと問題を起こしたりもしてますが、とくに許せないのは早乙女愛さんを口説き落として、ポルノ映画「女猫」で脱がせた事です。

 早乙女愛さんは、鹿児島県高山町のご出身で、私はその昔、実家を訪ねた事があるんです。

 早乙女愛さんは、地元では有名な孝行娘で、芸能界で稼いだお金で、お父様が経営していた印刷所を建て替える費用を全額工面した事もあったそうです。

 そんなね、美しくて心優しい早乙女愛さんを、ポルノ映画に引っぱり出して脱がせちゃうなんて、何事ですか!

 山城新伍さんは、聞くところによると、悲惨な老後を送ったみたいですが、はっきり言って、自業自得だと思います。(笑)

 
 ま、山城新伍さんはともかく、意外な人が何人も任侠映画に出ている事を知り、私は男性という生き物と暴力との親密な関係を考えずにはいられませんでした。

 
 そんな事ばかり考えていたからでしょうか?

 最近、レンタル屋さんで、「極道の食卓」というDVDを見つけちゃったんです。


 そういえば、ヤクザとか、暴力団を、道を極めると書いて、「極道」と言ったりしますよね?

 もしかしたら、男らしさを極めると、暴力に突き当たるという意味で、こんな言葉が生まれたのでしょうか?

 
 ところで、私が、このDVDに惹かれたのは、原作者が漫画家の立原あゆみさんだったからです。


 立原あゆみさんと言えば、「マジ!」、「仁義」などの任侠をテーマにしたマンガを描いているのはご周知だと思いますが、私は4年くらい前まで、ずっとこの人は女性だとばかり思っていたんです。

 というのも、最初に立原あゆみさんを知ったのは少女漫画でしたし、絵のタッチが繊細で、とても男性が描いているとは思えなかったですから。

 それで、いろいろ調べてみたら、最初は男性であるのを隠して、少女漫画を描いていたらしいです。

 どうしてでしょうか?

 もしかしたら、女性願望でも持っていたのでしょうか?

 名前だって、ひらがなを使ってますから、勘違いされやすいですよね?

 本名だったら仕方ないですが、そうじゃないんです。

 どうやら、詩人の立原道造が好きで、悲恋に終わったその恋人の名、あゆ・・・にちなんで、両方を結びつけて、立原あゆみというネーミングにしたそうです。

 やっぱり、女性願望があり、そう思われたかったのかも?

 ところが、1979年出版の「まんが家入門大百科」の(まんが家名鑑)のショートインタビューで、ようやく世間をごまかすのをやめて、堂々と男性であるのを公表するようになったとか。

 その理由として考えられるのは二つあるらしく、ひとつめはその頃、ファンクラブが発足した事と、ふたつめはお子さんが生まれた事だとか。

 この二つ、どちらかと言うと、お子さんの影響の方が大きかったかも知れませんね。

 とくに、少年漫画に転向し、任侠を描くようになったのは、お子さんに対する父親の自覚と責任感がそうさせたような気がします。 

 お子さんが男の子なのか、女の子なのか、あるいは両方いらっしゃるのか分かりませんが、男の子の場合だったら、ある程度、男らしいところを見せないと、可哀想だし、馬鹿にされちゃうんじゃないですか? 

 だから、女性願望を捨てて、男らしさの究極の表現手段として、暴力を扱った任侠マンガを描くようになったのでは?

 そうして、それらの任侠マンガは、それまで描いていた少女漫画よりも、はるかに受け入れられ、何巻も巻を重ねるようになった。

 
 やっぱり、男は、男として生まれた以上、男らしくしなくちゃいかんよと、今の立原あゆみさんは痛切に感じているのかも知れません。(笑)


 でも、世の中には、最初の頃の立原あゆみさんに限らず、女性願望があるっていうか、女々しい男が、たまにいますよね。

 性同一性障害で、男女の心が入れ違ってる人は別として、明らかに男性なのに、少女漫画とか、スピッツの歌とか、キティちゃんとか、赤毛のアンに憧れ、あたかも女性の心も持っていると思っている人が。

 女性にも、そういう人がいるらしいです。

 例えば、アニメにもなった童話「ムーミン」の作者のトーベ・ヤンソンさんは、ジェンダーフリーだったと知って驚いたことがあります。
(ジェンダーフリーという言葉は最近、知ったのですが、いわゆる男女の性に捕らわれない人達のことを指すそうです。)
 「ムーミン」にも、そういう人が何人も登場しているって言うんです。
 ヘムレンさんという老紳士が、スカートをはいてるのもそうですし、オシャマさんは外見はまるっきり男の子なのに、女っぽい言葉を使ってたりとか。

 だから、男性なのに、少しだけ女性の心を持っててもおかしくないという説。


 私も、そんな人がいそうな気はしますが、そうでない人の方が、はるかに多いような気がしてならないのです。

 というのは、私は、男性なのに、女性的なものに惹かれている男性を何人も知っていますが、いつまでもくよくよしてたり、臆病で、同情をすぐに買おうとしたり、男性には何も言えない代わりに、女性にはほんの些細な事で、滅茶苦茶怒り出す人が多いんです。

 なんだか、自分の情けなさを、女性の心を持ってるからだと言い訳にしてるようにしか思えない。

 あの古い少女漫画ばっかり、ブログで紹介していた東京在住の62歳の男性もそうでした。

 その人は思い出すだけでも腹が立つほど、滅茶苦茶、卑怯な男でした。


 その人の言いたいことは、自分が女性の心を持っていると、人に信じこませる事にあったようで、小さい頃、どれだけ少女漫画や、女の子っぽいものが好きだったかと伝えるのに、躍起になっていました。
 でも、小さい頃って、誰しも、男性とか女性の自覚はあまり持っていなくて、異性の憧れるものに興味を持つというのはよくあることですよね?

 私もそうでしたし、年齢を重ねるに連れ、だんだん自分の性に自覚が芽生え、異性のものに興味を失っていくのが当たり前だと思うんです。


 なぜ、そこまでして女の心を持っていると思われたくて、男らしさを目指そうとしないのか? 


 私は、その女々しい男性の文章を読むうちに、ふと雌雄を決するという言葉が浮かんだんです。

 そして、昔、付き合っていた元カレの闘鶏をやっていたお父さんの言葉も。

 私の元カレのお父さんは、闘鶏を育てていたのですが、餌をなるべく与えないようにして、ハングリー精神を鍛え、だんだん強くし、試合の日に向けて、毎日、特訓していたそうです。

 そうして、試合に臨むのですが、試合中、どんなに勇猛果敢に戦っていても、こてんぱんにやられてしまうと、逃げ惑ってばかりで、とたんに雌鳥みたいに弱々しくなり、二度と戦えなくなると、私に教えてくれた事があったのです。  

 その女々しい男の場合、芸能界にいた過去を持っていたようですが、未熟さから引退せざるを得なくなり、敗北感に打ちひしがれる日々を送っているうちに、意志薄弱になり、小さい頃、少女漫画が好きだったのにかこつけ、自分がこうなったのは女性の心も併せ持っているからだと言い訳するようになったのでは? 
 
 意志薄弱なのは、一旦ブログをやめると宣言しておきながら、すぐに記事を更新したのでも明らかで、私はその点を突っ込んでやりました。(笑)


私が、その女々しい男に言いたいのは、男としての自覚を持ち、真実を見極めてほしいという事に尽きますね。


 こんなことを書いていると、こいつはそうとうな女だなと思われるかも知れませんが、臆病で、卑怯なのを、女性の心を持っているからだと言い訳して、なおかつか弱い女性を平気で攻撃する男性はどうしても許す訳にはいかないです。


 あ、また前置きが長くなってしまいました。(苦笑)


 映画「極道の食卓」を観て、私が気になったのは、どれだけ男らしさを描けているかという一点でした。

 主人公の久慈雷蔵を演じているのは、「マツケンサンバ」で一世を風靡した松平健さんで、ヤクザの親分が、離婚したのをきっかけに、夜間高校で、もう一度、人生の勉強をするというストーリーです。

 まあ、私が一番、好感が持てたのは、女性に優しくて、何を言われても、口答えしないところかな。
 

 それは、女の都合だとか、それじゃ、バカみたいじゃん!て思う男性もいるかもですが、男性は強さの中に優しさを秘めた人が一番なんです。

 私の女友達には、「優しさとは強さなり」を座右の銘にしている人もいるくらいなんですよ♪


 自分は臆病だから、人に優しくするでは、本当の優しさとは言えません!(笑)
 

 では、なぜ、「極道の食卓」かというと、ヤクザの親分が離婚を機に、料理を作るようになるのですが、料理とは、母親が子供の頃に作ってくれたご飯やお味噌汁の味だとか、離婚した妻が作ってくれた大切な思い出であって、男性が女性に敬意を払い、愛しく思う原点こそ、料理にあるのだというのが、この映画のテーマだからです。


 これは、まさしく男の中の男の映画に間違いないです♪


 あなたも、これを観て、自分が男に生まれてきた理由と、本当の優しさとは何なのかについて、少しでも考えてみませんか?




 


  
  




  





 











 


 



実写版「ゴルゴ13」主演・高倉健

2014-10-13 15:39:52 | 映画・テレビ



 さてさて、今回も「ゴルゴ13」のお話をさせていただきます♪
 というのは、ゴルゴ13(デューク東郷)のモデルが、高倉健さんで、ご本人主演の実写

版映画があるからです。
 高倉健さんといえば、その昔、任侠映画にヤクザの役で数多くご出演されてましたので、

ゴルゴ13と同じアウトローのイメージにぴったlりだったのでしょうか。

 ところで、高倉健さんがヤクザを演じた任侠映画を観て、映画館を出る時、肩を怒らせて

出て来た人が多かったという、知らない人はいない有名な伝説がありますよね?
  
  それは、なぜでしょう?


 おそらく、高倉健さん演じるヤクザには、男を奮い立たせる何かがあるのでしょうね。

 これは、とってもすごい事だと思います。

 いわゆる、高倉健さんは男心に男が惚れる、男の中の男に間違いないです。

 それは、今東光和尚が、エッチな男性の永遠のバイブル「週間プレイボーイ誌」に連載し

た歴史的名著「極道辻説法」の中で、「男が惚れるような男が本物の男だろう」と明快に答

えているのでも明らかです。
 こんな質問に答えられるのも、今東光和尚自身が男の中の男であったのは言うまでもなく

、本物の男として、一例にノーベル賞作家で、大親友であった川端康成の名を挙げています


 川端康成は、あの男の中の男、三島由紀夫が結婚した時、媒酌人をつとめた事でも知られています。
まさに、「類は、友を呼ぶ」とはこの事ではないでしょうか♪
 ちなみに三島由紀夫について言えば、鶴田浩二さんのファンで、任侠映画「博奕打ち 総

長賭博」が好きだったようです。
  
 それはともかく、「ゴルゴ13」が連載を開始した1968年当時、高倉健さんは「網走

番外地シリーズ」、「昭和残侠伝シリーズ」、「日本侠客伝シリーズ」と、任侠映画まっし

ぐらだった訳です。

 それで、私も参考までに「新・網走番外地」、「昭和残侠伝」の2本を観てみました♪

 「昭和残侠伝」で、ちょっとショックだったのは、昭和24年制作の原節子さん主演の「

青い山脈」で、さわやかな高校生を演じていた池部良さんがヤクザの役だった事です。
 

 どこで、人生、間違えちゃったの?みたいな。(苦笑)


そういえば、名作テレビドラマ「岸辺のアルバム」で、八千草薫さんの夫役だった杉浦直樹

さんが、ヤクザを演じていたのも、ショックでした。(苦笑)

 でも、それらの映画には、義理人情に厚く、辛い過去にじっと耐え忍ぶ高倉健さんの姿が

ありました。
 そして、任侠映画ですから、当然、目を覆いたくなるような暴力場面が至る所に出てくる

のですが、私はそれを見ているうちに、暴力と男との親密な関係を考えずにはいられません

でした。 


 たとえば、ヤクザ同士の抗争で、たんに憎くて、敵対しているから、相手に暴力をふるう

だけでなく、命を捨てて、自分を倒しに来た者に、敵ながら、あっぱれと思う、男同士の、

一見、奇妙な友情にも似た感情に、震えるほどの感動を禁じえませんでした。

   

 それらの映画でヤクザを演じた高倉健さんを、さいとう・たかを先生が、ゴルゴ13のモ

デルにしたのも、この劇画を読み解くヒントになるように思えました。
 
 
 そういった事を踏まえ、私は高倉健さん主演の実写版「ゴルゴ13」を観てみました。 
 

  


 マックス・ゴアという男は、世界中に武器と麻薬を密売している国際犯罪シンジケートの

ボスでした。
 そのマックス・ゴアが、ヨーロッパで200人、南米とインドで300人にのぼる美貌の

女性を拉致する事件を起こした。
 一人娘を拉致されたリチャード・フラナガンは、マックス・ゴアがイランに潜入している

情報を入手し、ゴルゴ13をイランに呼び寄せ、彼を殺すよう依頼するのです。
 
 そうして、ゴルゴ13は、艱難辛苦の末、目的を果たすのですが、その成功の裏には一人

の女性の存在があったのです。

 目的を達成させるためには非情にならなければならない。

 その苦しい胸の内を現すかのように、この映画は全編にわたって、哀愁を帯びたメロディ

が流れています。 
 



 この映画には、様々な人物が登場するのですが、もっとも重要なのは、その目的を敵に知

られないよう、ゴルゴの妻の役を引き受けたキャサリンという女性でしょう。

 キャサリンは、ゴルゴと初めて二人きりになった時、自分から服を脱いで、抱くように、

ゴルゴに要求するのですが断られるのです。
 しかし、本当の夫婦らしい雰囲気を出すためにとのキャサリンの言葉を受け入れ、ゴルゴ

はベッドを共にします。
 そうして、二人は仮の夫婦を演じるのですが、次第にキャサリンはゴルゴに惹かれてしま

います。

 でも、ゴルゴはなかなかキャサリンに打ち解けようとしないのです。

 しかし、ある日、ゴルゴの背後にキャサリンが近寄った時、ゴルゴは攻撃しませんでした


 ゴルゴは何者であろうと、背後にいる者に攻撃してしまう特性を持っていたのです。

 私に心を許したから攻撃しないのねと、涙ぐむキャサリン。

 ところが、キャサリンは、ふとしたはずみでマックス・ゴアにさらわれ、ゴルゴをおびき

寄せる人質にされてしまうのです。
 

 「出てこないと、キャサリンを殺すぞ」と、ゴルゴに叫ぶマックス・ゴアの手下。

 その言葉が嘘でない証拠に、ほかの女性が射殺されていきます。


 果たして、ゴルゴはどうするのか? 


 しかし、キャサリンは「私に構わないから出てこないで!」と、声を限りに叫び、隠れて

いるゴルゴにとうとう業を煮やした敵は、キャサリンを射殺してしまうのです。


 


  この場面、私は、キャサリンが「私に構わないから出てこないで!」と叫んだ言葉の意

味がわかるように思いました。

 そして、後悔のない死だったろうなと思いました。
 
 
 私の命を捧げるから、自分の生き方を貫いてほしい。

 自分の生き方を貫けないような男はつまらない。

 
 そう、心のなかで、つぶやいていたと思います。


 例えば、三島由紀夫が自決した時、妻と二人の幼い子供がいたので、その家族を守るため

に、何が何でも生きるべきだったと、私に言った人がいました。

 なんでも、その人のお姉さんの夫は早逝してしまい、大変な苦労があったとか。

 だけど、三島由紀夫の奥さんという人は、夫が世間を騒がせて自決した事を、我が身の不

幸とは、これっぽっちも思っていなかったそうです。
 それどころか、死に物狂いで、三島由紀夫を擁護し、名誉を傷つける者を許さなかった。

 その証拠に、奥さんの平岡瑶子は、三島由紀夫が自決した時、刀で切断され、血まみれに

なった生首が、写真週刊誌に無断で載った際、猛抗議したのをはじめ、数々の出版差し止め

を行っています。

 それは取りも直さず、三島由紀夫が、奥さんを心から愛していたからであり、奥さんにし

ても三島由紀夫の死に理解を示していたのは間違いありません。


 ついでに、三島由紀夫の自決に反対した男性が、「家族を守るために、何が何でも生きる

べきだった」と言った言葉についてですが、私だったら、夫に何が何でも生きていてほしい

とは思わないですね。
 例えばですよ、もし、私の夫が旅客船の船長で、海難事故で、船が沈みそうになった時、

最後まで残って、適確に指示していれば、一人でも多くの人命が救助出来たのに、我先に救

命ボートに乗り込んだがために、多くの人を死なせてしまったら、例え、夫が生きて帰って

きても、私は、嬉しいどころか、「自分の仕事の重大さに、自覚と責任を持たない臆病な卑

怯者め!」と言って、三下り半を投げつけるのは間違いないですから♪



 そういう意味で、この実写版の「ゴルゴ13」は男性よりも、女性に受け入れられる作品

だなと思いました。


 3回にわたって書きましたが、手塚治虫先生の「ブラック・ジャック」との比較から始ま

り、劇画、アニメ、実写版の映画と鑑賞して、少しは「ゴルゴ13」の魅力がわかったよう

な気がした私でした。




これにて、おしまい♪





 
 




「ブラック・ジャック」の(めぐり会い)と、「ゴルゴ13」の(海に向かうエバ)

2014-10-05 18:55:01 | 読書
 今回も「ブラック・ジャック」と「ゴルゴ13」について書きます。
 この二つ、共通点がいろいろあるみたいですが、ストーリーにおいても似たようなもの

があるらしいです。
 そこで、ある人が教えてくれた「ブラック・ジャック」の(めぐり会い)と、「ゴルゴ

13」の(海に向かうエバ)の二つのストーリーを比べて、検証してみたいと思います。


 (めぐり会い)
 B・Jと、如月めぐみは、同じ大学で、先輩後輩の間柄でした。
 その関係で、医局も一緒で、ともに勉強していました。
 その頃から、B・Jはめぐみが好きだったようですが、胸のうちをはっきり打ち明けるこ

とはしませんでした。
 めぐみが、B・Jの気持ちに気づいたのは、医局で、夜遅くまで仕事をして、雨で帰れな

くなった時、いつも不思議と傘が置いてあったり、暗い夜道で、暴漢に襲われた時、すぐ

に助けてくれたからでした。
 B・Jは、めぐみの帰りが遅い日は危険な目にあわないように、いつも100メートル後

ろから、めぐみの身を守るように歩いていたのです。
 B・Jの気持ちを知るようになって、めぐみも次第に好きになっていきました。
 でも、普段のB・Jはつっけんどんな素振りで、正直に恋心を、めぐみには打ち明けませ

んでした。
 それを、めぐみはチャンスがなかったからだと思っていました。
 まだ、医者として、勉強しなければならない事が残っていましたし、一人前の医者にな

ってから打ち明けるつもりだったのかも知れません。
 ところが、それからすぐ、めぐみは子宮がんにおかされ、明日をも知れない体になって

しまったのです。
 B・Jは、この時、めぐみの命を救うために手術を一人で行う決心をするのです。
 周りは当然のことながら、反対しました。
 しかし、B・Jが一人で、手術をしようと決めたのは絶対の自信とともに、めぐみの体を

ほかの誰にも触れてほしくなかったのかも知れません。
 B・Jは、めぐみに、「あたしの病気は、がんでしょう?」と尋ねられた時、すなおに、

「そうだよ、がんだよ。かなり重症だ。明日、手術する」と言います。

 患者にがんだと教えるのは、死刑宣告を受けるほど残酷な事なのですが、B・Jは、ズバ

ッと言ってのけたので、めぐみはかえって安心するのです。

 めぐみの体を救うには、女性としての大切な部分、子宮と卵巣を摘出しなければならず

、それを失うのは、女性でなくなる事を意味していました。
 それでも、めぐみの命に代えられるものは何もないのです。

 手術の時、初めて、B・Jはめぐみに胸のうちを告白し、キスします。

 「これきりなのね・・・手術が終わったら、この気持もかき消えてしまうのね」
 そう言うめぐみに、B・Jは、「いや、そうじゃない。この瞬間は永遠なんだ」と優しく

語りかけるのです・・・

 そうして、手術が成功したのち、女性としての大切な部分を失っためぐみは男として生

きる決心をし、二人は別々の道を歩んでいくのです・・・


 

 私は、この哀しくも美しいお話に、女性として生まれてきた喜びを感じるとともに、愛する人を十分に受け止められない体になった時に、めぐみが愛のない世界に生きる決心をした胸のうちを思い、とめどなく涙があふれてとまりませんでした・・・


 


 このストーリーは、命の尊厳を重視しながら、至上のラブ・ロマンスを描いた手塚治虫

先生の傑作中の傑作だと思います・・・
   
 
 

 では、「ゴルゴ13」の(海に向かうエバ)はどうでしょう?

 私は、この作品を、劇画ではなく、アニメで鑑賞しました。
 理由は、最初に、このストーリーが収録されたアニメのDVDを見つけたからで、それで

「ブラック・ジャック」の(めぐり会い)と比較する気になったのです。
 まず、私は、ゴルゴ13がどんな声をしているのか興味を持ちました。
 声を当てているのは、舘ひろしさんで、ドスのきいた低い声で、ゴルゴ13のイメージ

にぴったりだと思いました。 

 この作品は、初めて観た時、ゴルゴ13が、すごい冷たい男に思えて、仕方ありません

でした。
 というのも、ゴルゴ13を好きになったエバを、ゴルゴ13自身、好きになったはずな

のに、依頼者の頼みで射殺してしまうのですから。
 だけど、もう一度観なおして、これはゴルゴ13なりの美学であり、悪の末路であり、

そして、優しさだったのかなと思ったりもしました。


 エバは腕ききの殺し屋で、依頼者に高額の報酬を要求しては殺人を犯していました。
 そんなエバを危険と感じたニューヨークのマフィアは、ゴルゴ13に金に糸目をつけな

いで、エバを殺すよう依頼するのです。
 ところが、ゴルゴ13とエバは2年前に時限爆弾が仕掛けられた旅客船で会い、その時

、エバは初めて自分と同じ匂いをする男と出会ったと、ゴルゴ13に心を許した事があっ

たのです。
 しかし、それはそれっきりの事で、2年ぶりにゴルゴ13と再会したエバは熱いものが

こみ上げ、一夜を共にするのです。
 朝が来て、身仕舞いを整えているゴルゴ13に、エバが「偶然の再会だったわね」と嬉

しそうに言うと、教えてもいない名前を知っていて、「偶然なんかじゃない、エバ」と、

厳しい口調で言い、その雰囲気で自分を殺しに来たのだと気づくのです。

 それからすぐにエバは殺しの仕事をやめ、子供の頃の懐かしい思い出の詰まった故郷に

帰るのです。
 故郷の人々は喜ぶのですが、ずっといるつもりはなく、どこか遠いところに行くと言い

、一人ボートに乗って、沖に出るエバ。

 そして、どこまでも、ぐんぐんボートが進む場面のあと、銃の音が・・・

 次の瞬間、エバは、ハンドルにぐったりもたれかけ、唇から血を流し、息絶えていまし

た・・・





 私は、最初、エバが故郷に帰る場面で、ゴルゴ13はもうエバを殺したりはしないだろ

うなと思っていたんです。
 だから、ゴルゴ13はなんて冷酷な男なんだろうと、嫌な気持ちになりました。
 でも、もう一度観なおして、なぜそうしたのかわかるような気がしてきたのです。

 エバは、ゴルゴ13が好きになり、彼もまた彼女を好きになった。

 しかし、エバはお金のためなら容赦なく人殺しをする女だった。
 
 女性は、本来、愛に満ちた存在であるはずなのに・・・

 なぜ、エバが人殺しをすることになったのか分かりませんが、心の何処かに良心の呵責

の念を持っていたのは間違いありません。

 殺しの仕事をしている以上、それなりの死が待っていると。


 彼女自身、初めから殺しの仕事をするつもりではなかった。

 だけど、どこでどう運命の歯車が狂ったのか・・・

 もう、自分ではどうしようもなくなり、誰かにとめてもらいたかった・・・

 あるいは、自分の淋しい胸中を理解してほしかった・・・


 エバは、自分と同じ匂いのするゴルゴ13が、自分を殺しに来たのだと知り、彼に運命

を委ねる事にした。 


 好きな男に殺されるのは、悪として、これほど相応しい死はないかも・・・


 そうして運命の歯車が狂う前の故郷に帰り、それから自分の犯してきた罪を贖おう。



 ゴルゴ13だったら、間違いなく果たしてくれる。


 それは、悪の道に入った同じ匂いのする者同士にしか分からない世界なのかも知れない

・・・   
 




 「ブラック・ジャック」の(めぐり会い)と、「ゴルゴ13」の(海に向かうエバ)、

一方は生命の尊厳を訴え、一方は悪にふさわしい死に様を描いていて、対極にあるような

ストーリーですが、手塚治虫先生が、「ゴルゴ13」をヒントに、「ブラック・ジャック

」を生んだ事を考えると、ともに生き方や生命に対して考えさせてくれるところが、共通する部分なんだろうなと、そう思いました。


   




  

マンガ「ブラック・ジャック」と、劇画「ゴルゴ13」と、白いブリーフの関係♪

2014-10-02 20:29:22 | 読書
 
ちょっと前に、「ブラック・ジャック」のお話を書いたでしょう?
 その時、「ブラック・ジャック」と「ゴルゴ13」のキャラクターが似通っていると、
私に教えてくれた方がいらしたんです。
 実は、その方は1年前にも、そう言って、両者の共通点を、ご自身のブログに書いて下

さったのですが、その時は、私は、ああそうなのかなと思うぐらいで、「ゴルゴ13」に

関心を持つまでには至らなかったのです。
 というのも、だいぶ前に、「ゴルゴ13」を少し読んだことがあり、その時はあまり面

白さが分からなくて、途中でやめてしまった経緯があったからなのです。
 ところが、半年くらい前に、「ブラック・ジャック・ザ・カルテ」というご本で、「ゴ

ルゴ13」の作者のさいとう・たかをさんが、「ブラック・ジャック」について、インタ

ビューに答えている記事を見つけちゃったのです。


 だったら、読まない訳にはいかないですよね?


 さいとう・たかを先生は「ブラック・ジャック」をどう思っているのでしょう?
 
 本当に、「ブラック・ジャック」と「ゴルゴ13」には共通する部分があるのでしょう

か? 
 

 ドキドキしながら読むと、こんなふうに書いてありました。



 編集部:手塚作品に初めて出会った時の事は覚えていらっしゃいますか?


 さいとう:ええ、それは鮮明にね(笑)。昭和26~7年ごろでしたでしょうかね。中

学生当時でしたが、友達にものすごい漫画マニアがおりまして、「新宝島」を見せられた

んですよ。うわー、素晴らしいなと思いましたね。それから、(手塚漫画が)出るたびに

一生懸命読みましたよ。


 編集部:「新宝島」の第一印象はどうでしたか?


 さいとう:はっきり覚えているのはコマ割りの斬新さです。それまでの漫画は「のらく

ろ」にしろ、舞台を見ているみたいな調子だったんですよ。アングルがね。それが手塚先

生の作品はコマ割りがもろに映画だったんです。映画を撮られているごとくに割られてい

たんです。私は、物心ついた時には映画館にいたという映画マニアでしてね、映画館にず

っとひたっていたような子どもだったんですよ。

 
 編集部:「ブラック・ジャック」のキャラクター設定についてですが、手塚先生はゴル

ゴ13からヒントを得られたようなんですね。そのような影響を与えた側として、さいと

う先生はどんなご感想をお持ちですか?


 さいとう:いやもう、驚きですね。でも、私の描いたものに影響を受けたというよりも

、手塚先生ご自身が、よりドラマチックなものを描きたいと思われたのではないですか?

たまたまアウトローを描いたために同じような部分が出たということではないでしょうか

ね。


 編集部:「ブラック・ジャック」の連載が週刊少年チャンピオン誌でスタートした19

73年当時は、従来の漫画に対して劇画という新しい表現技法が脚光を浴び始めた時代で

した。さいとう先生はまさに劇画界の騎手であったわけですよね。


 さいとう:私たちはちゃんとしたドラマを見せていくのに、どういう絵がいいかという

ことを凄く悩んだんですよ。私たち以前の先生方っていうのは、手塚先生をはじめ、マン

ガチックな絵しかなかった。よりリアルなドラマを展開するための絵を工夫したんです。


 編集部:そうすると、劇画という新たなジャンルを創ったという意識は・・・。

 
 さいとう:新しいものを創ったなんていう意識はありません。ただ、名称だけは劇画と

呼びたかった。だってね、私らがこの世界に入った頃はね「漫画描いてます」って言うと

、必ず1コマや4コマの漫画を連想されたんですよ。私がやりたかったのは紙の上での映

画、あくまでもドラマだったんです。


編集部:「ブラック・ジャック」を読まれた時に、「ゴルゴ13」との共通性は感じら

れましたか?


 さいとう:いや、それは感じなかったですね。むしろ、これは青年モノでやったらええ

な、特に私なんかが描きたい世界だなって思いましたね。私には医学的な知識がないので

やれなかったでしょうけれども、こっち(劇画)の絵でみせたらいいのになと思いました

。それに「ブラック・ジャック」の世界って主人公が完全なアウトローでしょ。そういう

人物設定にすごく魅力を感じましたよ。


 編集部:たしかにそうですよね。B・Jもゴルゴ13もともに高い技術を持つプロフェッ

ショナルで、一匹狼。さらに高額な報酬をもらって、奇跡的な技でドラマを演出します。

そんなアウトローの魅力とは、どういったところにあるのでしょうか?


 さいとう:手塚先生の場合はわかりませんけれど、私がアウトローばかりしか描かない

っていうのは、私の考え方の根っこにあるんです。その時代の持っている常識、観念とい

うものを認めてませんから、アウトロー的にならざるをえない。善悪の解釈にしても、現

代の善悪というものを鵜呑みにできないんです。それがゴルゴ13を35年も続けられた

理由だと思いますけどね。善悪なんて、その時代のご都合で考えるでしょ?都合がよけれ

ば善と呼び、都合が悪ければ悪と呼ぶ。善悪というのは、本来は自分の中でどう持つかと

いう問題であって、社会がどう解釈しているのかを知るのが知恵ですけれどもね。自分の

中で美意識を持って、自分の中で判断するべき問題だと思うんですよ。だから、私がアウ

トローに魅力を感じているというよりも、私はアウトローしか描けないんですね。B・Jも

自分にしかない美意識を持っていますよね。



 アウトローの魅力をすべて備えたB・J 


 編集部:さいとう先生の視点からB・Jの魅力を語って頂きたいのですが。



 さいとう:キャラクターとしての魅力は絶対ですよね。B・Jはアウトローの面白さを全

部持ってますよ。謎の過去、ニヒリズム・・・でもね、あのキャラクターをもっとリアル

に描けばもっと面白かったのになと思いましたけどね(笑)。あんなマンガチックなイメ

ージじゃなしにね。だいたい黒マントを着てるのがおかしかったし。でも、私は手塚先生

の作品の中ではこれが一番の代表作だと思っています。「アトム」とか「ジャングル大帝

」とかいろいろありますけど、「ブラック・ジャック」が何よりも一番だと思います。



 編集部:代表作と思われる理由とはなんでしょうか?


 さいとう:あのね、手塚先生の知識の豊富さが、そうさせたのかもしれませんが、先生

の他の作品は同じ系統の作品が割りとあるんですよ。外国に同じようなドラマもあります

し、同じような設定のキャラクターもあります。ところが、「ブラック・ジャック」のよ

うなものだけはどこにもない。まさに、手塚先生の中から出てきた作品だという感じがす

るんですね。

(2003年1月 さいとうプロダクションにて)


 どうですか?

 このインタビューを読むと、さいとう・たかを先生が、手塚治虫先生にどれだけ尊敬の

念を持ち、越えるために努力したのか、その一端を垣間見るようですよね?


 このご本によると、B・Jは、ゴルゴ13のほかに、手塚先生自身が描かれた「どろろ」

のキャラクター、百鬼丸もモデルにされたのではと、手塚プロの資料室長、森晴路氏はイ

ンタビューに答えています。

 編集部:ところで、「ブラック・ジャック」と「どろろ」は似ている部分が多い気がす

るんですが。


 森:「どろろ」的な世界は「ブラック・ジャック」の中にたしかにありますね。たとえ

ばピノコは変形の百鬼丸です。百鬼丸は魔物に体の部分を奪われたけど、ピノコは組み立

て人間ですからね。百鬼丸とピノコ、あるいは百鬼丸とB・Jには共通点が非常に多い。だ

から、おっしゃる通り「どろろ」の百鬼丸はある意味、「ブラック・ジャック」の下敷き

と言えるでしょう。


 編集部:百鬼丸もB・Jも、孤独で皮肉屋で復讐心を胸のうちに秘めているあたり、性格

もとても似通っています。


 森:百鬼丸って圧倒的に女性ファンが多いキャラなんですよ。だから手塚先生の中では

、百鬼丸のようなキャラクターを活かして描けば人気が出るという意識はあったんじゃな

いかな。あと、設定には「ゴルゴ13」の影響もありますね。手塚先生自身にも、「ゴル

ゴ13」の医者版を描くんだみたいな意識はあったようです。手塚先生はいいと思ったら

、どんどん自分のものにしていくところがありましたから。


 編集部:「ゴルゴ13」の影響があるというのは面白いですね。


 森:ええ。高額の報酬をもらって仕事をするあたりとか、一匹狼のプロフェッショナル

というところもそうだと思いますよ。


 (2002年10月 手塚プロダクション 資料室にて) 



 たしかに、「ブラック・ジャック」は、「ゴルゴ13」と共通点があるようです。

 
 そうなったら、「ゴルゴ13」も読まなくちゃですよね?


 そこで、私はずっと気になっていた「ゴルゴ13」の謎に迫ってみることにしました♪

 
 
 
 まず、なぜ、主人公は、ゴルゴ13という名前なんでしょう?

 
 その意味は、「ゴルゴダの丘でイエス・キリストに荊の冠をかぶせて殺した13番目の

男」、つまり、神に背を向けた、13番目という不吉な数字を背負った男だとか。

 そういえば、タイトルのロゴマークに、荊の冠をかぶった気味の悪い骸骨のイラストが

描かれていますが、あれはイエス・キリストの成れの果てだったのです。



 恐い~ 

 なんだか、ぞくぞくしちゃいます。(苦笑)

 
 次の疑問
 ゴルゴ13は背後に近づいた者に、とっさに殴りかかったりしますけど、あれは腕力が

ある割りには、めちゃくちゃ臆病なので、つい身を守ろうと攻撃してしまうのだそうです


 理由を知ったら、あれ?って感じですよね?(笑)



 私は、この劇画はあまり読んでないので、疑問はそれくらいかな?(笑)



 あと、私が調べて驚いたのは、「ゴルゴ13」は、映画の「007シリーズ」の影響を受

けて、1968年に連載がスタートしたのですが、その後の日本のアクション映画は

「007シリーズ」よりも、「ゴルゴ13」を意識して作られているのだそうです。 
 そして、もう一つ驚いたことは連載開始から、2014年の現在に至るまでの45年間

、一度も連載を休んだ事がないという事実です。

 
 これは、すごいです!


 もしかしたら、さいとう・たかを先生こそ、ゴルゴ13のモデルなのでは?


 ところで、「ゴルゴ13」は、私が懇意にさせて頂いている空飛ぶアカエイさんも、フ

ァンであるらしく、3年ほど前、ご自身のブログに書かれていた事があり、その記事に私

は釘付けになった事があったのです。

 それは、ゴルゴ13、別名デューク東郷は記念すべき第一回の連載スタートで、初登場

時の姿が、白いブリーフ一枚だけだった事です。
 

 それを、先日、「ブラック・ジャック」と「ゴルゴ13」はキャラクターが似通ってる

と教えられた時に、ふと思い出したんです。

 普通、人間関係においても、第一印象は大切ですし、連載第1回目は出来るだけ早くキ

ャラクターの性格や置かれた状況を把握しやすいようにするのが当たり前ですよね? 


 たとえば、ゴルゴ13は超A級のスナイパーですから、自慢の銃で標的の男性の額や胸

元に狙いを定め、真っ赤な血が吹き出し、かっこよく射殺している姿とかいいんじゃあり

ません?
 さらりと、残酷な事を書く私。(笑)
 
 なのに、白いブリーフ一枚だけとは、かっこいいなんて、どうしても思えないのです。

(苦笑)

 でも、長年、劇画界に君臨してきた偉大なさいとう・たかを先生の事ですから、何か深

い訳があるに違いないですよね?


 その謎を解明しようと、来る日も来る日も私の頭にあるのはゴルゴ13の白いブリーフ

一枚だけの姿。(真っ赤)


 ところが、その謎が解き明かされる日がついにやって来たのです!


 その答えは、今の若い女性の間で信じられてるらしい、(男の価値はパンツで決まる)

という説でした。

 え?
 パンツなんかで、男の価値を決めないでくれ??

 それより、男にはもっと大切なものがあるだろう??


 私もそう思いました。

 私の場合、男の価値は仕事にあると思ってますから。

 だって、仕事がきっちり出来る人って、尊敬しますもん。


 なのに、パンツで、男の価値を決めるなんて、一体どういうことなんでしょう?

 今どきの若い女性は何を考えてるんだか???


 でも、話を聞いたら、なるほどと納得しちゃったんです。

 若い女性の話によると、絶対、履いてほしくないパンツがあるのだとか。

 それは、大手下着メーカーのグOゼの白いブリーフだそうです。

 男性の方、あのメーカーは大手で、品質もよくて、安心出来るのに、なぜなんだ?って

、不思議に思うでしょう?

 その訳は、お母さんが、我が子に買う下着メーカーとして有名だからだそうです。

 あなたも、子供の頃、お母さんに、グOゼの白いブリーフを買ってもらってませんでし

たか? 

 だから、グOゼの白いブリーフを大人になっても穿いてるという事は、大人になりきれ

てない事を意味するのだとか。

 しかも、大人になっても、お母さんに、グOゼの白いブリーフを買ってもらってるとし

たら、事はさらに重大です。

 そもそも、パンツで覆い隠しているものは、男性のシンボルである訳でして、性を司る

ものですよね?

 そのパンツを、大人になっても買い与え続けるという事は、子離れ出来ないで、いつま

でも自分のものにしたいという、母親の歪んだ愛情を端的に表してると言っても過言では

ないのだとか。

 そして、お母さんが買ってくれたグOゼの白いブリーフを、大人になっても何の疑問も

なく履いている男性はマザコンで、親離れしていない最大の証拠だというんです。  

 ね?
 これで、あなたも「男の価値はパンツで決まる」という説に納得したでしょう?(笑)

 
 
 という事で、まさかとは思いますが、私はゴルゴ13が履いているのが、お母さんに買

ってもらったグOゼの白いブリーフでない事を祈るのみです♪


 ああ、なんだか、すっきり♪


 「ブラック・ジャック」と、「ゴルゴ13」の関係、そして、長年に渡る白いブリーフ

の謎を解明出来て、とてもスッキリした私でした♪