熊本地震、最初の地震が起きてから、10日以上が経ちました。
この地震で、多数の死傷者が出て、今なお多くの人が避難生活を余儀なくされています
。
しかも、まだ余震が続き、被災された方が一刻も早く元の平穏な日々を取り戻せるよう
、祈るばかりです。
熊本は、私の住んでいる宮崎の隣の県ですから、親しい印象は持っていました。
プライベートでも、阿蘇や天草に、何度も遊びに行った思い出があります。
仕事においても、熊本は九州の中心部に位置するところから物流の拠点であり、私の職
場だけでなく、多くの分野の職種に多大な打撃を与えてしまいました。
しかし、気になるのは、自宅が壊れ、大切な肉親を亡くされた人々のことです。
もし、私が同じような目にあったらどうしよう。
生きるための希望や、とてつもないパワーが欲しくなるのではないだろうか。
「不撓不屈」「起死回生」という言葉が浮かんできました。
そして、映画「炎のランナー」のテーマ曲が頭のなかで鳴り響いて来たのです。
私は、その曲を聴くと、心の奥底から、パワーが湧いてくる気がして、マイフェイバリ
ット・ソングの一つにしているほどです。
この映画は、走る事によって栄光を勝ち取り、真のイギリス人になろうとするユダヤ人
のハロルド・エイブラハムズと、神のために走るスコットランド人宣教師エリック・リデ
ルの二人のランナーを描いています。(ウィキペディアより)
走ることと言えば、私の親しい人に、フルマラソンをしている人がいます。
私は、その人が42・195キロを完走出来るのが、とても驚異に感じられてなりませ
ん。
それほどの距離を走るために、日頃から訓練を怠らないのは言うまでもありませんが、
精神面にも気を配っているように見受けられます。
常に、物事を前向きに捉え、プラス思考で、くよくよ悩んだりしないようにしているよ
うです。
そこで思い出したのですが「長距離走者の孤独」という映画の主人公コリンも長距離の
有能な選手だったのですが、彼はゴールの手前で立ち止まってしまいます。
それは、彼に走ることを勧めた感化院の院長や、周りの大人達に対する反発からでした
。
コリンは、彼らに利用されていると感じ、ゴールを踏むことを拒絶したのですが、そう
でなくても、コリンには邪念が多すぎたから、どのみち走れなかったのではないでしょう
か?
そして、コリンには根強い人間不信がありましたから。
私は、もし、コリンが純粋に走るのに喜びを見出し、優勝していたら、彼の周りの大人
達も変わったかも知れないと思えてならないのです。
というのも、私はこんな話を知っているからです。
2000年8月に亡くなった総合格闘技の王者アンディ・フグが、生前、あるテレビ番
組に呼ばれたことがありました。
その訳は、ある19歳の依頼者が、「自己流の格闘術を編み出した。その強さを示すた
め、プロで、トップのファイターと戦いたい。」と番組に申し込んだからでした。
そこで呼ばれたのが、その依頼者の望み通りのファイターアンディ・フグだったのです
。
しかし、いざ、試合を始めてみると、その依頼者は格闘技の経験がまったくなく、アン
ディ・フグにさんざん弄ばれるしまつ。
そんな依頼者を見て、観客やリポーターら、ほとんどの人が嘲笑しました。
ところが、まったく笑わずに真剣な眼差しでいる男が、一人だけいたのです。
それは、アンディ・フグその人でした。
そして、こう言ったそうです。
「私は、子供の頃、世界一になってやると言って、みなに笑われた。誰も私の言うこと
を信じる者はいなかった。だけど、一人倒し、二人倒しと、だんだん勝利を積み重ねるう
ちに笑う者は減っていった。そして、K-1のチャンピオンになった今、私を笑う者は誰も
いない。誰にでもチャンピオンになれる可能性がある。だから、私は手を抜かず真剣に君
の試合の相手を務めた。私は、君を笑わない。」
また、この言葉はテレビ番組を観ていた多くの視聴者の感動を呼び、アンディ・フグが
亡くなった後、再放送の要望が多く寄せられたということです。
話をマラソンに戻します。
このように体を張ってするスポーツには、言葉だけでは言い尽くせない説得力や、感動
を覚えずにはいられない何かがあるのは否めない事実でしょう。
だからこそ、精神面における、物事を前向きに捉えるプラス思考と、くよくよ思い悩ま
ないことはスポーツのみならず、生きる上に於いても重要なのではないでしょうか?
そこから、あの「炎のランナー」のテーマ曲のようなパワーが、心の奥底から湧いてく
るのではと思うのです。
この曲が、熊本地震の被災者や、人生に思い悩んでいる人達の心の糧になりますように
。
炎のランナー テーマ曲 (ヴァンゲリス) Chariots of Fire - Vangelis