奈々の これが私の生きる道!

映画や読書のお話、日々のあれこれを気ままに綴っています

映画「炎のランナー」のテーマ曲・熊本地震に寄せて

2016-04-25 19:36:37 | 映画・テレビ

熊本地震、最初の地震が起きてから、10日以上が経ちました。
 この地震で、多数の死傷者が出て、今なお多くの人が避難生活を余儀なくされています


 しかも、まだ余震が続き、被災された方が一刻も早く元の平穏な日々を取り戻せるよう

、祈るばかりです。

 熊本は、私の住んでいる宮崎の隣の県ですから、親しい印象は持っていました。
 プライベートでも、阿蘇や天草に、何度も遊びに行った思い出があります。
 仕事においても、熊本は九州の中心部に位置するところから物流の拠点であり、私の職

場だけでなく、多くの分野の職種に多大な打撃を与えてしまいました。
 しかし、気になるのは、自宅が壊れ、大切な肉親を亡くされた人々のことです。

 もし、私が同じような目にあったらどうしよう。

 生きるための希望や、とてつもないパワーが欲しくなるのではないだろうか。

 「不撓不屈」「起死回生」という言葉が浮かんできました。
 
 そして、映画「炎のランナー」のテーマ曲が頭のなかで鳴り響いて来たのです。


 私は、その曲を聴くと、心の奥底から、パワーが湧いてくる気がして、マイフェイバリ

ット・ソングの一つにしているほどです。

 この映画は、走る事によって栄光を勝ち取り、真のイギリス人になろうとするユダヤ人

のハロルド・エイブラハムズと、神のために走るスコットランド人宣教師エリック・リデ

ルの二人のランナーを描いています。(ウィキペディアより)

 走ることと言えば、私の親しい人に、フルマラソンをしている人がいます。
  
 私は、その人が42・195キロを完走出来るのが、とても驚異に感じられてなりませ

ん。

 それほどの距離を走るために、日頃から訓練を怠らないのは言うまでもありませんが、

精神面にも気を配っているように見受けられます。

 常に、物事を前向きに捉え、プラス思考で、くよくよ悩んだりしないようにしているよ

うです。
  
 そこで思い出したのですが「長距離走者の孤独」という映画の主人公コリンも長距離の

有能な選手だったのですが、彼はゴールの手前で立ち止まってしまいます。 
 それは、彼に走ることを勧めた感化院の院長や、周りの大人達に対する反発からでした


 コリンは、彼らに利用されていると感じ、ゴールを踏むことを拒絶したのですが、そう

でなくても、コリンには邪念が多すぎたから、どのみち走れなかったのではないでしょう

か?
 そして、コリンには根強い人間不信がありましたから。

 私は、もし、コリンが純粋に走るのに喜びを見出し、優勝していたら、彼の周りの大人

達も変わったかも知れないと思えてならないのです。

 というのも、私はこんな話を知っているからです。
 
 2000年8月に亡くなった総合格闘技の王者アンディ・フグが、生前、あるテレビ番

組に呼ばれたことがありました。


 その訳は、ある19歳の依頼者が、「自己流の格闘術を編み出した。その強さを示すた

め、プロで、トップのファイターと戦いたい。」と番組に申し込んだからでした。
 そこで呼ばれたのが、その依頼者の望み通りのファイターアンディ・フグだったのです


 しかし、いざ、試合を始めてみると、その依頼者は格闘技の経験がまったくなく、アン

ディ・フグにさんざん弄ばれるしまつ。
 そんな依頼者を見て、観客やリポーターら、ほとんどの人が嘲笑しました。 
 ところが、まったく笑わずに真剣な眼差しでいる男が、一人だけいたのです。
 それは、アンディ・フグその人でした。
 そして、こう言ったそうです。
 「私は、子供の頃、世界一になってやると言って、みなに笑われた。誰も私の言うこと

を信じる者はいなかった。だけど、一人倒し、二人倒しと、だんだん勝利を積み重ねるう

ちに笑う者は減っていった。そして、K-1のチャンピオンになった今、私を笑う者は誰も

いない。誰にでもチャンピオンになれる可能性がある。だから、私は手を抜かず真剣に君

の試合の相手を務めた。私は、君を笑わない。」
 
 また、この言葉はテレビ番組を観ていた多くの視聴者の感動を呼び、アンディ・フグが

亡くなった後、再放送の要望が多く寄せられたということです。


 話をマラソンに戻します。

 このように体を張ってするスポーツには、言葉だけでは言い尽くせない説得力や、感動

を覚えずにはいられない何かがあるのは否めない事実でしょう。

 だからこそ、精神面における、物事を前向きに捉えるプラス思考と、くよくよ思い悩ま

ないことはスポーツのみならず、生きる上に於いても重要なのではないでしょうか?

 そこから、あの「炎のランナー」のテーマ曲のようなパワーが、心の奥底から湧いてく

るのではと思うのです。

 この曲が、熊本地震の被災者や、人生に思い悩んでいる人達の心の糧になりますように





炎のランナー テーマ曲 (ヴァンゲリス)  Chariots of Fire - Vangelis

映画「魔人ドラキュラ」宮崎市、OOで京都を制す♪

2016-04-13 18:25:41 | 映画・テレビ
先日、ネットのニュースを読んでいたら、去年のギョーザの購入額ランキングで、宮崎市が第3位に躍り出たと書いてあり、びっくりしてしまいました。
 なんでも、1位と2位は宇都宮と浜松が激しいデッドヒートを、毎年繰り返していて、3位はずっと京都が追随していたそうです。
 それが、突然、宮崎が3位に名乗り出たのです! 

 以下は、それを伝えるニュースです。


ギョーザ購入トップ2猛追する街 PRせず黙々と食す?
朝日新聞デジタル 4月11日 7時53分配信
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ギョーザ購入トップ2猛追する街 PRせず黙々と食す?
宮崎市内には生ギョーザ専門の販売店もあり、多くの客が訪れる=宮崎市花山手東1丁目拡大写真
 総務省の家計調査で、宮崎市が昨年の1世帯あたり(2人以上)のギョーザ購入額で3位になった。宇都宮市と浜松市の首位争いに注目が集まる調査。京都市を抑えてのベスト3入りに、市の担当者も「まさか」と驚きを隠せない。

 調査は県庁所在地と政令指定都市が対象。スーパーなどで売られる生ギョーザや焼ギョーザへの支出額を調べるもので、冷凍品や料理店からの持ち帰り分は含まない。宮崎市の1世帯あたりの年間支出額は2711円で、1位の浜松市(4646円)、2位の宇都宮市(3981円)に続いた。

 自治体を挙げて首位をめざす宇都宮と浜松の両市が1、2位を競い、中華料理チェーン「餃子の王将」発祥の京都市が5年連続で3位だった。今回、一昨年5位の宮崎市が京都市(2542円)を抜いた。

 宮崎市観光協会の高島弘行専務理事は「まさか全国で3位になるとは。びっくりした」と驚く。これまでパンフレットや協会のホームページ内でギョーザをPRしたことはないという。

 総務省の担当者は宮崎市の躍進について「はっきりした原因はわからない」。市内でスーパー9店舗を展開するマックスバリュ九州(福岡市)の広報担当者も、「ギョーザの販売数は他地域と変わらず、宮崎市で特に人気という話は聞いたことがない」と話す。

 市内2カ所で生ギョーザの販売専門店を出す「ぎょうざの丸岡」(都城市)。昨年、計約460万個を販売した同社の丸岡徹也常務は「延岡や高鍋などにも専門店が多い。それらが宮崎市内に進出したことで、ギョーザが身近な存在となったことが要因の一つではないか」と分析する。

 宮崎市のギョーザ専門店「黒兵衛」の黒木賢次さん(67)は「食材は県産のものにこだわり、他の店でも同様の取り組みがされている。食の安全性に値段の安さもあり、より親しみやすくなったのでは」と話す。

 市観光協会の高島専務理事は「しっかり情報を収集し、この結果をPRにつなげることも検討していきたい」と話している。(金山隆之介)
朝日新聞社


  ね?
 びっくりでしょう?

宮崎はギョーザはあまり有名ではないですし、そういう私自身、たまにしか食べませんので

、まさか、あの大都市京都を拔いて、第3位になるとは思ってもみなかったです。
 横浜中華街のレポートを書いてるあの人はあの人で、3位が横浜市でなかったのを、非常

に残念がっているかも知れません。(笑)
 でも、あの人のギョーザを食べた記事は読んだ覚えがありませんので、案外ケロッとして

るかも?
 
 そういえば、私は関西に住んでいた頃、王将のギョーザが好きで、3ヶ月に1回くらい、

みさき公園の近くにあった王将に買いに行くのを楽しみにしていた事がありました。
 私のお気に入りのギョーザの食べ方は出来立てをすぐに食べるのでなく、お店で赤い箱に

入れてもらって、1時間ほど経った柔らかくて、ふやけたものを食べるのが大好きでした。
 だけど、宮崎に帰ってきてからは、王将がなかった事もあり、ギョーザを食べたい気持ち

が、いつの間にか薄らいでしまいました。
 今は地元にも、大阪王将がありますが。
 
ところで、京都の人は宮崎市に追い抜かれた事を、どう思っているのでしょう?
 私が親しくさせていただいている京都在住の横山光輝ファンのSさんに聞いてみたい気もし

ます。
   
 それはともかく、ギョーザで、宮崎市が第3位になったのなら、それを記念する記事を書

きたくなりました。
 そこで、ギョーザにニンニクは欠かせないという事で、それに関するお話がしてみたくな

ったのです。

 あの手塚治虫先生の強力なライバル横山光輝先生は、行者ニンニクが大好きで、「時の行

者ニンニク」という漫画を描いたとか描かなかったとか♪

 
 冗談はさておき、淀川長治さんが、「クラシック名画100選」に入れている「魔人ドラ

キュラ」が観たくなっっちゃいました。


 ドラキュラといえば、陽の光と十字架とともに、ニンニク嫌いで有名ですから♪
 
 そのドラキュラ役で、真っ先に思い浮かぶのは、クリストファー・リーが多いと思うので

すが、淀川長治さんによると、最高のドラキュラ役は「魔人ドラキュラ」のベラ・ルゴシだ

と云うのです。
 その訳も、実際に見て確かめたくなりました。  
 まず、この映画を観て驚いたのは製作されたのが、1931年、日本の年号では昭和6年

だったことです。
 そんな昔だったら、サイレント映画かな?と思ったのですが、ちゃんと声や音や音楽が入

っているトーキー映画なんです。 
 因みに、世界初のトーキーによる長編映画は、1928年制作の「ジャズ・シンガー」だ

とか。
 それで、どれほど恐い映画かと恐る恐る観てみたのですが、確かに恐くはあったのですが

、それよりベラ・ルゴシ演じるドラキュラ伯爵の優雅な立ち居振る舞いに風格と気品が感じ

られ、ついウットリせずにはいられませんでした。
 この映画はスローなテンポで荘厳なゴシック・ホラーの世界を映像で表現し、世界的にヒ

ットして、ホラー映画のブームを巻き起こした画期的な作品だったようです。
 テーマ曲に、チャイコフスキーの「白鳥の湖」を使っているところからも、ただの恐怖映

画でないのが窺われ、優れた芸術作品と言っても過言ではないと思います。
 しかし、嫌いなのはニンニクではなく、トリカブトの臭いだったのが、意外でした。

 そこで、せっかくなので、クリストファー・リー主演の「吸血鬼ドラキュラ」も観てみま

した。

 クリストファー・リーのドラキュラは、ベラ・ルゴシの重々しい演技と違って、駆け足で

動きまわる場面があり、若々しい雰囲気があちこちに感じられました。
 そして、かなりの美形で、こちらも素敵なドラキュラだと思いました♪
 この映画では、ドラキュラが嫌いなのは、はっきりニンニクだと明言していました。
 やっぱり、臭いが苦手のようでした。
 
 だったら、無臭ニンニクなら平気なのかも知れませんね?

 その無臭ニンニクを使った美味しいギョーザなら、なおさらヘッチャラかも?


 という事で、お後がよろしいようですので、これにて終わりです♪



 

「春琴抄」谷崎潤一郎

2016-04-08 20:20:19 | 読書
前回、NHKの「歴史秘話ヒストリア」を観て、谷崎潤一郎の「細雪」を読みたくなった

と書きましたが、その番組では「春琴抄」についても紹介されていました。
 それによると、谷崎は松子夫人と恋仲だった頃、身の回りの世話をさせてほしいと申し

出て、御寮人様と呼ぶようにしたそうです。
 その頃、谷崎は女主人と奉公人の物語を小説にしようと考えていて、創作の参考にする

ため、松子を女主人に見立て、自らは奉公人として振る舞おうとしたのだとか。
 それに、松子ははじめ戸惑っていたけれど、谷崎の意を汲み取り、女主人の役を見事に

演じるようになったそうです。
 そうして、出来上がった「春琴抄」は一般の読者はもとより作家仲間からも絶賛され、

のちのノーベル文学賞作家、川端康成をして「ただ嘆息するばかりの名作で、言葉がない

」とまで言わしめたそうです。

 それを知った私は「春琴抄」のお話をしてみたくなったのです。
 
 「春琴抄」は谷崎潤一郎の作品で、もっとも知られ、読んだことがなくても、大まかな

荒筋くらいはご存知の方も多いと思います。
 かくいう私も、この作品を読む前から、荒筋だけは知っていました。
 佐助は、春琴が顔に大やけどをしたあと、美しかった春琴の姿を永遠に記憶にとどめよ

うと自らの眼に針を刺し、盲目になってしまいますが、そこに愛の究極の形を見るような

思いがします。

畢竟めしいの佐助は現実に眼を閉じ永劫不変の観念境へ飛躍したのである


 しかし、私がこの作品に最初にふれたのは谷崎潤一郎のこの小説でなく、新藤兼人監督

の映画「讃歌」によってでした。
 

「讃歌」は、「春琴抄」を映画化したもので、私はこの映画を、深夜のテレビ番組で観

て、主人公、春琴のただならぬ美しさに圧倒され、途中からではありましたが、録画をし

て、何度も繰り返し観ては春琴の美しさに酔いしれ、かつ女性の美や魅力について深く考

えこまずにはいられませんでした。
 なぜなら、春琴は尊大で、誇り高い女性として描かれ、普通、私たちが考えるところの

いわゆる優しくて、思いやりのある女性とはまったく違っていたからです。
 なのに、気品があって、とても美しく感じられるのです。
 実は、新藤兼人監督は女性を美しく撮ることで評判で、「ギャラは要らないから、ぜひ

出演させてほしい」という女優さんが何人もいたそうです。

 そうして、映画の春琴があまりにも美しかったので、原作の小説も読んでみたわけです



 その時、私は春琴の美しさや、佐助の我が身を傷つけても、春琴への愛を貫こうとする

姿に心を奪われた訳ですが、今回読んでみて、それまで気づかなかったことに関心が移っ

てしまったのです。
 つまり、この小説はマゾヒズムを香気あふれる芸術に仕上げたという面も合わせ持って

いたのです。 
 マゾヒズム、いわゆる変態の世界です。
 それは佐助が、自らの眼を傷つけるのにも現れているそうですが、三味線を春琴に習う

際、厳しく折檻される時に、ひいひい泣きながら甘んじて受けるのもそうだと言うのです


 
 この小説に、変態の一例として、ジャン・ジャック・ルソーが挙げられていますが、ル

ソーは少年時代の環境が不遇で、愛情に欠けていたところから、マゾヒズム的な傾向を持

つようになったそうです。

 そういえば、私はある人が、変態は弱者の処世術みたいなもので、過剰なストレスを受

け続けると、自らを防御するべく、変態となるのだと書いた文章を目にしたことがあります。


 しかし、もちろん、この「春琴抄」はただ変態を謳歌しているだけではありません。

 気をつけて読んでみると、鳥という文字が何度も出てきて、鳥に何かを託しているよう

にも思われてきます。
 例えば、春琴の苗字が、鵙(もず)屋なら、女中の苗字が鴫(しぎ)沢で、春琴の趣味

が小鳥道楽なんです。
 春琴は小鳥のなかで、鶯(うぐいす)が一番、好きらしく、気に入った啼き方をさせよ

うと、別の師匠の鶯に附けて稽古をさせたりします。
 鶯の次に好きなのは雲雀(ひばり)で、雲雀は天に向かって飛揚せんとする習性があり

、籠より放って、その姿が見えなくなるまで空中に舞い上がらせ、雲の奥深く分け入らせながら、地上にあって聞くのを楽しむのだとか。

 またこのほかにも、春琴は駒鳥や鸚鵡、目白、頬白なども飼っていたと書いてあります



 そして、春琴が亡くなる時にも、鳥が重要な役割で出てくるのです。

 春琴は佐助と二人でいる時、大切に飼っていた雲雀を籠から放すのです。
 二人は手を取り合って空を仰ぎ遥かに遠く雲雀の声を聞くのですが、雲雀はそのまま高

く雲間に入り、いつまで待っても帰ってこないのです。

 春琴はそれから、まもなく亡くなってしまうのです・・・

 
  
 春琴は、もしかしたら小鳥のようになりたかったのかも知れません・・・

 それは、佐助の春琴に寄せた愛情とともに、余韻となって、いつまでも私の心に響くよ

うでした。