今年は鳥年なので、それに相応しいお話を、いくつか書いてみようと思います。
そこで、まず私の頭に浮かんだのは、椋鳩十という作家でした。
おそらく、この作家は椋鳥と鳩が好きなので、こんなペンネームにしたのだと思います。
もっとも、あとで調べたら、椋は椋鳥ではなく、椋木を指しているようでした。
なぜ、椋鳩十のお話をするかと言いますと、私の地元の宮崎県都城市から、鹿児島市内に向かう国道10号線沿いの加治木町に、椋鳩十記念館という看板を見掛けるからです。
私は椋鳩十の童話は、子供の頃に読んだことがあったので、こんな身近に椋鳩十の記念館があることに驚いてしまったのです。
椋鳩十は、鹿児島出身の作家なの?
確かに、鹿児島に長い間、暮らしていたみたいですが、出身は長野県で、ある事情から鹿児島に住むことになったようです。
それで、私は「日本児童文学大系」という児童文学の名作を沢山集めた本に収録された椋鳩十の童話を読んでみました。
それらは殆どが動物もので、人間と動物との共生を温かい筆致で描いていて、心に深く染み入るお話ばかりでした。
何でも、椋鳩十は、吉川英治、里見 弴、大宅壮一、川端康成、谷川徹三、千葉亀雄など、当時の文壇の有力者たちがこぞって高く評価していたそうです。
国際アンデルセン賞国内賞、赤い鳥文賞など、数多くの賞も授賞。
また、椋鳩十の作品はいくつも教科書で取り上げられたそうです。「月の輪熊」「大造爺さんと雁」「栗野岳の主」「黒ものがたり」「片耳の大鹿」など。
そうして、椋鳩十は動物ものの童話を、沢山書いたのですが、私の心を強く動かしたエピソードは戦前、「のらくろ」や「冒険ダン吉」で有名な「少年倶楽部」という少年向けの雑誌に数多く作品を発表した動機でした。
当時、子供向けの読み物でさえ、戦争を賛美するものを書く人が多くいたそうですが、椋鳩十は「動物の生態を描きながら、愛情をいのちの問題を扱ってみよう。この不安な時代に生き、戦地に送られる若者の背後には、愛情の火が、命への慈しみが燃えながら、幾重にも取り巻いているということを、閉じ込めた物語と、若い人たちと、その母たちに捧げよう。」という思いから、作品を書いていたそうです。
椋鳩十は処女作以来一貫して、命への慈しみをテーマにした作品を発表してきたそうで、この姿勢に深く感銘せずにはいられませんでした。
そういう訳で、「日本児童文学大系」に収録された彼の童話を読んだのですが、まずはじめに驚いたのは野生の動物の生態が生き生きと描かれている点でした。
次に、動物なんかに馬鹿にされてたまるかと、情け容赦なく、動物を追い詰める人の姿が心に突き刺さるようでした。
もっとも、椋鳩十は動物にも深い愛情を注いでいて、そうした行為を戒める形で書いています。
この本に収録されたものは、どれも素晴らしいのですが、屋久島を舞台にした「片耳の大鹿」は大自然の営みが目に見えるように丁寧に描いていて、動物の持つ本能や、生命の神秘を、とくに考えさせれくれました。
屋久島には、片耳の大鹿と呼ぶ鹿のボスがいて、十二月の半ば、狩人たち三人は彼を追い、山中深く入り込むのです。
しかし、いつしか、片耳の大鹿を見失い、そのうち天候が悪くなり、凄まじい雷鳴とともに、豪雨が滝のように天から降り出し、びしょ濡れになって、歯の根も合わぬほど、寒くなり、ようやく辿り着いた霧ガほらという洞穴に避難するのです。
そこで、狩人たちは冷えきった体をあたためるため、濡れた服を脱いで、お互いの体を擦り合わせたりするのですが、そんなことでは一向にぬくもりはしないのです。
もしかしたら、自分たちはこの洞穴の中で凍え死ぬかも知れない。
そうするうち、洞穴の暗さに目がなれて、辺りを見回したら、片耳の大鹿をはじめとした三十頭近い鹿の群れと、十五六頭の猿がいることに気づいたのです。
鹿は互いに体をすりつけて横になり、猿は人間のように膝を立てて固まりあっていました。
彼らは人間がそばにいても逃げる様子も、騒ぐ様子も、気にとめるふうもなく、不思議に静まり返っていました。
狩人たちははじめ驚いていましたが、鹿のやわらかそうな毛並みやあたたかそうな体を見るうち、夢中で、鹿の体に冷えきった体を押しつけたのです。
普段、恐れている人間にそうされても、鹿は別に騒ぎ立てることはなかったそうです。
そうして、狩人たちは鹿たちのおかげで命が助かったのです。
これを読んで、私は地球に生きるということはどういうことなのか考えてみたくなりました。
大昔、地球の覇者は恐竜でした。
厳しい生存競争に打ち勝つために、恐竜は強さを求めようと、次第に巨大化していきました。
しかし、その巨大さゆえ、恐竜は滅びなくてはなりませんでした。
次に、地球の覇者になったのは人間でした。
人間も強くなろうとしましたが、巨大になろうとはしませんでした。
その代わりに、知恵を働かせて、道具を作り、他の動物を圧倒しようとしたのです。
しかし、やがて人間は人間同士で戦うようになり、そればかりか、地球の環境を破壊してしまうものまで作ってしまったのです。
人間にとって、大切なものは果して知恵だったのでしょうか?
だったら、なぜ、自分たち人間を滅亡に追い込むようなことをするのでしょう。
この「片耳の大鹿」に書かれているように、大自然が与えた本能を大切にし、地球の生きとし生ける生命体の一員として、人間はもっと謙虚にならなければいけないのではないでしょうか?
この作品は、そんなことを私に考えさせてくれました。
そこで、まず私の頭に浮かんだのは、椋鳩十という作家でした。
おそらく、この作家は椋鳥と鳩が好きなので、こんなペンネームにしたのだと思います。
もっとも、あとで調べたら、椋は椋鳥ではなく、椋木を指しているようでした。
なぜ、椋鳩十のお話をするかと言いますと、私の地元の宮崎県都城市から、鹿児島市内に向かう国道10号線沿いの加治木町に、椋鳩十記念館という看板を見掛けるからです。
私は椋鳩十の童話は、子供の頃に読んだことがあったので、こんな身近に椋鳩十の記念館があることに驚いてしまったのです。
椋鳩十は、鹿児島出身の作家なの?
確かに、鹿児島に長い間、暮らしていたみたいですが、出身は長野県で、ある事情から鹿児島に住むことになったようです。
それで、私は「日本児童文学大系」という児童文学の名作を沢山集めた本に収録された椋鳩十の童話を読んでみました。
それらは殆どが動物もので、人間と動物との共生を温かい筆致で描いていて、心に深く染み入るお話ばかりでした。
何でも、椋鳩十は、吉川英治、里見 弴、大宅壮一、川端康成、谷川徹三、千葉亀雄など、当時の文壇の有力者たちがこぞって高く評価していたそうです。
国際アンデルセン賞国内賞、赤い鳥文賞など、数多くの賞も授賞。
また、椋鳩十の作品はいくつも教科書で取り上げられたそうです。「月の輪熊」「大造爺さんと雁」「栗野岳の主」「黒ものがたり」「片耳の大鹿」など。
そうして、椋鳩十は動物ものの童話を、沢山書いたのですが、私の心を強く動かしたエピソードは戦前、「のらくろ」や「冒険ダン吉」で有名な「少年倶楽部」という少年向けの雑誌に数多く作品を発表した動機でした。
当時、子供向けの読み物でさえ、戦争を賛美するものを書く人が多くいたそうですが、椋鳩十は「動物の生態を描きながら、愛情をいのちの問題を扱ってみよう。この不安な時代に生き、戦地に送られる若者の背後には、愛情の火が、命への慈しみが燃えながら、幾重にも取り巻いているということを、閉じ込めた物語と、若い人たちと、その母たちに捧げよう。」という思いから、作品を書いていたそうです。
椋鳩十は処女作以来一貫して、命への慈しみをテーマにした作品を発表してきたそうで、この姿勢に深く感銘せずにはいられませんでした。
そういう訳で、「日本児童文学大系」に収録された彼の童話を読んだのですが、まずはじめに驚いたのは野生の動物の生態が生き生きと描かれている点でした。
次に、動物なんかに馬鹿にされてたまるかと、情け容赦なく、動物を追い詰める人の姿が心に突き刺さるようでした。
もっとも、椋鳩十は動物にも深い愛情を注いでいて、そうした行為を戒める形で書いています。
この本に収録されたものは、どれも素晴らしいのですが、屋久島を舞台にした「片耳の大鹿」は大自然の営みが目に見えるように丁寧に描いていて、動物の持つ本能や、生命の神秘を、とくに考えさせれくれました。
屋久島には、片耳の大鹿と呼ぶ鹿のボスがいて、十二月の半ば、狩人たち三人は彼を追い、山中深く入り込むのです。
しかし、いつしか、片耳の大鹿を見失い、そのうち天候が悪くなり、凄まじい雷鳴とともに、豪雨が滝のように天から降り出し、びしょ濡れになって、歯の根も合わぬほど、寒くなり、ようやく辿り着いた霧ガほらという洞穴に避難するのです。
そこで、狩人たちは冷えきった体をあたためるため、濡れた服を脱いで、お互いの体を擦り合わせたりするのですが、そんなことでは一向にぬくもりはしないのです。
もしかしたら、自分たちはこの洞穴の中で凍え死ぬかも知れない。
そうするうち、洞穴の暗さに目がなれて、辺りを見回したら、片耳の大鹿をはじめとした三十頭近い鹿の群れと、十五六頭の猿がいることに気づいたのです。
鹿は互いに体をすりつけて横になり、猿は人間のように膝を立てて固まりあっていました。
彼らは人間がそばにいても逃げる様子も、騒ぐ様子も、気にとめるふうもなく、不思議に静まり返っていました。
狩人たちははじめ驚いていましたが、鹿のやわらかそうな毛並みやあたたかそうな体を見るうち、夢中で、鹿の体に冷えきった体を押しつけたのです。
普段、恐れている人間にそうされても、鹿は別に騒ぎ立てることはなかったそうです。
そうして、狩人たちは鹿たちのおかげで命が助かったのです。
これを読んで、私は地球に生きるということはどういうことなのか考えてみたくなりました。
大昔、地球の覇者は恐竜でした。
厳しい生存競争に打ち勝つために、恐竜は強さを求めようと、次第に巨大化していきました。
しかし、その巨大さゆえ、恐竜は滅びなくてはなりませんでした。
次に、地球の覇者になったのは人間でした。
人間も強くなろうとしましたが、巨大になろうとはしませんでした。
その代わりに、知恵を働かせて、道具を作り、他の動物を圧倒しようとしたのです。
しかし、やがて人間は人間同士で戦うようになり、そればかりか、地球の環境を破壊してしまうものまで作ってしまったのです。
人間にとって、大切なものは果して知恵だったのでしょうか?
だったら、なぜ、自分たち人間を滅亡に追い込むようなことをするのでしょう。
この「片耳の大鹿」に書かれているように、大自然が与えた本能を大切にし、地球の生きとし生ける生命体の一員として、人間はもっと謙虚にならなければいけないのではないでしょうか?
この作品は、そんなことを私に考えさせてくれました。