奈々の これが私の生きる道!

映画や読書のお話、日々のあれこれを気ままに綴っています

紫式部日記

2017-06-21 12:25:09 | 源氏物語
私が、「紫式部日記」を読みたいと思った動機は「源氏物語」の作者という点に引かれてでした。
千年も前に書かれていながら、決して古びることなく、現在に至るまで読み継がれている。
そして、与謝野晶子、谷崎潤一郎、瀬戸内寂聴といった一流の作家が現代語訳に挑戦している。

それほどの作品を書いた人なら、どんな日記をつけていたのか興味を覚えずにはいられなかったのです。
そしてまた「紫式部日記」には、紫式部と同時代に生きた「枕草子」の作者、清少納言の悪口が書かれているのは有名な話です。
それが、どのように書かれているかも気になってなりませんでした。
実際、「紫式部日記」を読んだという人には、その辺りに興味がある人が多いようです。
和泉式部についても批判的なことが書いてあるのですが、清少納言の比ではないようです。

ところが、清少納言や和泉式部を批判した文章には続きがあるのです。
そこまで読んでみないと、紫式部の真意を推し測るのは到底、無理のように思います。
では、清少納言を、どう書いているのか。
それから、ご紹介してみます。

現代語訳 中野幸一

清少納言は実に得意顔をして偉そうにしていた人です。あれほど利口ぶって漢字を書きちらしております程度も、よく見ればまだひどくたりない点がたくさんあります。
このように人より特別に優れようと思い、またそうふるまいたがる人は、きっと後には見劣りがし、ゆくゆくは悪くばっかりなってゆくものですから、いつも風流ぶっていてそれが身についてしまった人は、まったく寂しくつまらないときでも、しみじみと感動しているようにふるまい、興あることも見逃さないようにしているうちに、しぜんとよくない浮薄な態度にもなるのでしょう。そういう浮薄なたちになってしまった人の果てが、どうしてよいでありましょう。


う~ん、なるほど、確かに、これはこてんぱんに清少納言をやっつけてますね。
しかも、これではろくな死に方が出来るはずがないとまで書いていて、まさに徹底的と言っていいでしょう。

ところが、このあと、こんな文章が続くのです。

このようにあれこれにつけても、何一つ思い出となるようなこともなくて過ごしてきました私が、ことに夫を亡くして将来の頼みもないのは、ほんとうに思い慰める方法すらもありませんが、しかし寂しさのあまり心構えすさんで自棄的なふるまいをする身だとだけは、せめて思いますまい。が、そんなすさんだ気持ちがやはりなくならないのか、物思いのまさる秋の夜なども、縁近くに出てすわって月をぼんやり眺めていると、いっそう、あの月が昔の盛りのわが身をほめてくれた月だったのだろうかと、まるで眼前の光景を誘いおこすように思われます。世間の人が忌むといいます鳥もきっと渡ってくることだろうとはばかられて、思わず奥の方に引っ込んではみるものの、やはり心の中では次から次へとおのずからものを思い続けているのです。


つまり、はじめは和泉式部や清少納言を批判はしていたけれど、あとになると自分の人生を振り返り、寂しい胸のうちを吐露する文章へと続くのです。

これが、何を意味するのか、国文学者の中野幸一氏はこう解説しています。

正月の戴餅の儀に臨席した女房の服装の描写から人物批評に転じ、やがて斎院方と中宮方の比較となり、さらに和泉式部・赤染衛門・清少納言の当代三才媛を鋭く批評し、続いて筆はみずからのうえに回帰して自己の人生を回想し、鋭く深い内省と批判を加えつつ、孤独な重い思索に沈んでいく。その自己凝視のおそろしいまでのきびしさは、嗜虐とも思えるほどの苛酷さで自己を荒涼とした絶望の淵へ追い込んでいき、ついには仏道への救いを求めるのであるが、またもや、そこで俗世を離れ得ずに悩み続ける人間の宿命的な姿を見いだして苦しむのである。このような精神の苦悶の遍歴は、そのまま『源氏物語』において実験的に追求されている過程であり、この飽くことなく真実を模索し続ける心、ひたむきな人間探求の精神こそ、『源氏物語』を生み出した作家の精神そのものと思われる。


ということは、はじめのうちこそ、和泉式部や清少納言を批判していたけれど、次第にその矛先は自分に向かい、苦しみながらも、どう生きるかを考えるため、真実を求め続けていったと解釈していいのではないでしょうか。


やっぱり、ただ清少納言の悪口を書きたかっただけではなかったのですね。
紫式部の精神構造は複雑で、とても深いです。

それでは、紫式部日記は清少納言に関することのほかに、何が書いてあるのでしょう。
紫式部日記は大きく分けて、二つに区切ることが出来ます。

一つは前述した清少納言の記述に現されるように、自己の感懐を述べた随想的部分ですが、行事や盛儀を描写した記録的部分もあり、実はこちらから日記は始まります。
これは、約千年前の時代の日記を読むための導入方法として、最適のように思われます。
最初に、宮廷での行事や盛儀の様子が、紫式部の目を通して、まるで眼前に繰り広げられているかのように鮮やかに書かれてあるので、無理なく、紫式部日記の世界に没入していけます。

以下、中野幸一氏の解説より。

しかし、そうした華やかな様子を活写しながらも、その色調は憂愁の色濃い内省と煩悶がにじみ出し、外界の華麗と内面の憂愁との相克による内省の深化が、この日記の作者の精神の基調をなしているようで、それは冒頭の一説にも象徴的に表れている。
すなわち、「秋のけはひ入り立つままに・・・」と、秋色立ちこめる土御門邸の夕景に筆を起こした流麗な一文は、その広大な邸内に間断なく響きわたる荘厳な不断経の声々を写し、お産にいたずくあえかにも美しい彰子中宮のご様子を讚美しつつも、一方ではいつもの憂鬱な心とはうらはらに、その荘厳な雰囲気にいつしか引き込まれていく自分の心を見いだして、「かつはあやし」といぶからずにはおれないのである。ここには華麗な現象の渦中に巻き込まれていく自分の姿を批判的に眺めているもう一人の自分がいる。この現象に従う心情と、それを客観視する理性との共存は、式部の精神構造の一つの特徴であり、このいわば複眼的な物の見方は、そのまま『源氏物語』の作者としての眼にも通ずるものと思われる。


もともと、紫式部は内気で、人前に出るのはあまり好きではなかったようです。
ところが、紫式部の「源氏物語」を読み、文才を知った藤原道長が、わが娘の後宮を彩るべく、中宮サロンへしつこく勧誘した。
紫式部としては、今をときめく道長ではあるし、父の官途を思い、自らの境遇を顧みて、出仕を承諾したのでしょう。また、文藻豊かな中宮サロンへの密かな憧憬もあったことでしょう。
宮使え当初は中宮や他の女房たちから、自信ありげにとりすましていて親しみにくい人だと思われていた節もあったようですが、それはひとえに生来の引っ込み思案の性格と宮使え嫌悪感に加えて、文才についての前評判が災いしたと考えられているようです。
しかし、日記に記された頃の紫式部の宮使えぶりを見ると、消極的ではあるが人嫌いではなく、気心の知れた朋輩とは結構楽しく付き合い、中宮や道長などには特別に扱われ、上達部や女房たちも粗略には扱ってないようです。
また、紫式部の文才が周囲に認められたことにより、自信も得たでありましょう。
だから、彼女の宮使えはそれほど憂く辛いものではなかったはずです。
にもかかわらず、日記全体には宮使え嫌悪感がそこかしこに感じられ、これをどう理解すべきなのでしょう。
それはおそらく、若い頃に経験した宮使えのあまりよくない印象を核とした、社会の裏面や谷間をも見過ごさぬ作家精神のなせるわざではないでしょうか。
自らの幸よりも他人の不幸や社会の矛盾を鋭く感受し、それを吸収回帰することによって自らの幸を打ち消し、陰の部分を助長するような作用が、紫式部の精神の中でたえず反芻された結果、このような日記が生まれたと解釈されているようです。
中野幸一氏の解説より。



この紫式部日記と
それに付随する中野幸一氏の解説を読むと、『源氏物語』の中の紫の上や朧月夜、女三ノ宮、六条御息所、夕顔、明石の君ら、何人ものお姫さまの辿った運命が次々に思い起こされて、しばし、感慨に耽ってしまいました。





「源氏物語」の魅力、最終回

2011-02-01 12:26:33 | 源氏物語
それでは、柏木はいかにして光源氏と女三の宮の間に分け入ったのでしょうか。

柏木は、女三の宮が光源氏と結婚する前から、彼女に恋心を抱き、求婚していました。
しかし、女三の宮の父である朱雀院は、人物としては申し分ないが、若くて身分が低いという理由で断っていたのです。
ところが、柏木は女三の宮が結婚した後も忘れられず、悶々とした日々を送っていました。
そして、女三の宮が光源氏とあまり夫婦仲がうまくいってないようだという噂を聞くたびに、自分なら、女三の宮に、決して淋しい思いはさせないのにと、一人気をもんでいたのです。

そんな折り、六条院で、光源氏の呼びかけにより、夕霧、蛍の宮らとともに、蹴鞠(けまり)に参加する事になります。
そして、その様子を、女三の宮は、興味深げに御簾の奥から見ていたのです。
すると、追いかけっこしていた猫が何かの拍子に御簾の端をひきあげてしまい、女三の宮の姿を柏木に見られてしまうのです。
その時の、言いようもないほど、気高く、可憐な女三の宮の姿に、柏木はますます恋心を募らせます。
そして、せめてもの心の慰めにと、彼女が可愛がっている猫を手に入れて、朝に夕に大事に可愛がるのですが、柏木は恋が叶えられない事から、女三の宮の代わりに、同じ血を分けた妹の女二の宮と結婚してしまうのです。
だけど、どうしても女三の宮への恋心を断ち切れず、彼女の側でお世話をしている小侍従に、女三の宮との逢瀬を熱心に頼み込むのです。

そうして、柏木は小侍従のはからいで、夜中に眠っている女三の宮と逢瀬を遂げるのですが、目覚めた女三の宮は、突然、現れた見知らぬ男性の姿を恐れ、怯えてしまいます。
柏木は、初めは自分の恋心を打ち明けるだけのつもりでしたが、彼女の優しくて、かわいらしい様子に、冷静に自分を抑える気持ちをなくし、あげくの果てに、われを忘れて、女三の宮を無理やり犯してしまうのです。

その後も、柏木は何度となく、女三の宮と体の関係を持ち、ついに彼女は妊娠し、不義の子供を産んでしまいます。

この出来事に、光源氏は怒りを隠せないのですが、でも、それは遠い昔、彼が、義理の母親藤壺を無理やり犯して、子供を産ませた報いでもあったのです。

こうして、光源氏、紫の上、女三の宮、柏木、その他の人々をも巻き込みながら、「源氏物語」は悲劇へと進んでいくのですが、ここから先はかなり重要な部分になりますので、あえて書かない事にいたします。
その理由は、あなた自身に読んでいただいて、源氏物語の魅力に、直接ふれてほしいからです。





長らく書いてきた私の「源氏物語」のお話、これをもちまして終わらせて頂きたいと思います。


人間の業と、その深淵にひそむ、はかなさと哀しみ。

時代が、どんなに変わろうとも、人を愛する喜びや悲しみは、未来永劫に変わる事はありません。

愛に悩み、真実の愛を求めて苦悩しているあなたに「源氏物語」を、ぜひお勧めします。



長い間、私の「源氏物語」のお話にお付き合いいただいて、心から感謝申し上げます。


ありがとうございました。













 

源氏物語の魅力 紫の上の苦悩と哀しみ

2010-12-09 10:02:42 | 源氏物語
前回、光源氏が女三の宮を妻に迎えるまでの経緯をごく簡単にご説明させていただきましたが、ここで私は紫の上について詳しく書かずにはいられなくなってしまいました。

この若菜の章ほど、紫の上の苦悩と、哀しみが克明に書き込まれている章はないからです。

紫の上は、朱雀院が、光源氏に女三の宮を降嫁させたいという噂を小耳にははさんでいましたけれど、光源氏がその話を引き受けるはずがないと、自分への愛の揺るぎない事を信じていました。
ところが、光源氏は朱雀院に女三の宮との縁談を断ろうと話しているうちに、何度も懇願され、次第にその気になってしまうのです。
その主な理由は、女三の宮が、永遠の憧れの女性、藤壷の姪であるという点に惹かれたからなのですが、紫の上を大事に思う光源氏は、彼女に女三の宮との結婚を決意したとは、なかなか言い出せないのです。
しかし、この件に紫の上は、朱雀院のたっての願いだったので、光源氏が断りきれなかったのだろうと思い、理解を示し、表面上は平気な顔を取り繕うのです。
しかし、うわべは朗らかに明るく振る舞いながらも、心の奥底では思い悩み、じっと耐え忍ぶ紫の上なのです。

そうして、二月十日が過ぎて、いよいよ女三の宮が六条院にお興し入れする日がやってきました。
つまり、今で言う結婚式です。
紫の上はついに来る日が来たとばかりに、穏やかな気持ちばかりではいられないのですが、お興し入れの前後、光源氏と心を合わせて、女三の宮のお世話をし、紫の上の心中をおもんばかる光源氏はそのいじらしい様子に、ますます紫の上が好きになるのでした。

ところで、この頃の結婚はお興し入れしてから三日は妻のほうへ通わなければならないしきたりになっていて、それまで、いつも光源氏と床を共にしていた紫の上は独り寝が淋しくてたまらなくなります。
一方、光源氏にしても紫の上が気掛かりでならず、夢にまで見るので、朝早く、女三の宮のところを出て、紫の上のいる東の対にいそいそと帰るのです。
そんな光源氏を、紫の上は涙で濡れた着物の袖をそっと隠して、いつもと変わらない優しさで迎えるのですが、これまでにはない冷たさもちらりと見せるのです。

光源氏は、そんな紫の上がいとしくてならず、女三の宮に手紙だけ届けて、紫の上の機嫌をなおそうと、なだめすかして、一日中、つきっきりでいるのです。

しかし、この光源氏、天性のプレイボーイだけあって、女三の宮と紫の上だけでは満足出来ず、朱雀院が出家したのに伴い、お側に仕えていたかつての愛人朧月夜が二条の邸に帰ったと知って気がそぞろになり、居ても立ってもいられなくなり、こっそり会いに行くのです。
この光源氏の情熱に、もう過ぎた事と最初は拒み続ける朧月夜なのですが、昔、光源氏が自分との恋で須磨送りになった事を思い出し、再び体を重ねてしまうのです。
ところが、それが紫の上の知るところとなり、「ずいぶん、若返られた事。昔の恋までぶりかえすようでは私はますます心細いですわね」と、ちくりと言って、そっと涙ぐむのです。

そうして、夫と朧月夜との関係に嫉妬する紫の上なのですが、嫉妬も度が過ぎれば、どんな男性でも恋が冷めてしまうところを、紫の上の場合、ちょっとにじませるくらいなので、かえって可愛いらしく見えるのです。
しかも、紫の上はとても思慮深くて優しく、女三の宮とも敵対するのでなく、自ら進んで会う機会を作り、自分達の血縁関係を話したり、幼い女三の宮が喜びそうな絵物語や人形遊びの話をして気遣い、女三の宮は紫の上にとても優しい人と気を許すのです。

また、この紫の上の優しさを窺い知るエピソードに、明石の女御との心温まるお話も書かれています。
明石の女御は、かつて光源氏が朧月夜との不倫が帝に知れ、須磨送りになった時に出会った明石の君との間に出来た娘でした。
つまり、紫の上にとって憎らしい恋敵の娘になる訳です。
ところが、この明石の女御を、紫の上は赤ん坊の頃から大事に育て、東宮の女御にまでさせるのです。
そのいきさつを祖母の明石の尼君から聞いた明石の女御は遠い田舎で生まれた身分の低い自分を高貴な姫君として誰にも恥ずかしくないように育ててくれたと、心から紫の上に感謝するのです。


この若菜の章には、紫の上の人柄が生き生きと描かれていて、私は彼女の女性ならではの気持ちや優しさに感動すると同時に、愛する人に裏切られ続ける彼女がかわいそうでならず、何度読み返しても涙がこぼれるのを抑える事が出来ないのです。

しかし、だからと言って、私は光源氏に恨みがましい事を言う気持ちには、とてもなれないのです。
それは、光源氏が、もっとも愛情を必要とする幼い頃に亡くした母親への思慕の念から、その身代わりとして女性遍歴を繰り返し、いかにしても彼の心が愛情で満たされる事はなかったからです。
だけど、光源氏のそうした行為が紫の上を、どれほど悩ませ苦しめた事でしょう。
結局、紫の上は、光源氏の愛を充分に受けられなかったのが原因で、命まで縮めてしまうのです。

でも、私は紫の上の悲劇の原因は、光源氏の愛情が満たされなかった事と同時に、彼の子供を授からなかった事にもあるように思えてならないのです。
私は、夫婦の間に子供を授かり、共通の目的を見いだして、苦楽を共に育てていく事で、夫婦の愛情が増していく事ってあると思うのです。

たとえ、光源氏が冷たくしても、子供に愛情を注ぐ事で、紫の上の寂しさはかなり慰められたのではないでしょうか?

しかし、今更もう過ぎた事を言うのはやめにしましょう。

二人の運命は見えない糸に操られるかの如く、柏木という男性をおびき寄せ、悲劇の輪はさらに大きく広がり、光源氏と紫の上は否応なく暗い奈落の底に堕ちていくのです。

では、柏木はどんな不幸を二人にもたらすのでしょうか?

つづく



源氏物語の魅力 女三の宮の登場

2010-11-21 07:04:11 | 源氏物語
光源氏は、三十九年の生涯で、沢山の恋愛を経験しつつ、地位を高めていき、朧月夜との関係で須磨に流されはしましたが、おおむね順風満帆な人生を送ってきました。
そして、この頃には、女性との浮いた話もなくなり、最愛の妻、紫の上とも良好な毎日を送っていました。
しかし、光源氏が関係した女性の中には不幸になった者も少なからずいて、天はただ一人幸福になろうとする光源氏を許すはずもなく、天罰を与える機会を伺い、その仕度をひそかに着々と進めていました。
それは、実の兄、朱雀帝の愛娘女三の宮との結婚を機に到来し、光源氏の人生に暗い陰りが見え、彼の周りの人々をも、その渦中に引き入れてしまうのです。
それでは、光源氏に、どんな復讐劇が待ち受けていたのでしょう?


実の兄の朱雀帝は前々から出家したがっていたのですが、母君の皇太后が亡くなられたのを機に、いよいよその思いを強め、愛娘の女三の宮を、光源氏のもとに嫁がせようと決めるのです。
時に、光源氏四十歳、女三の宮十四歳でした。

まず、一番ショックを受けたのは、正妻ではなかったものの、第一夫人として、光源氏にもっとも愛されていた紫の上です。
自分より身分の高い女三の宮の出現によって、紫の上はそれまでの第一夫人の座を退かねばならなくなり、かなりショックを受けるのですが、表面上は、一見、穏やかなふうを装うのです。
光源氏が、女三の宮にもとに通う時は衣装を調えたり、香をたきしめてあげたり、努めて平静を保とうとするのです。
しかし、病魔は確実に紫の上の心の奥深く侵入し、精神を蝕み、次第に病んでいくのです。

一方、光源氏が女三の宮との結婚を承諾した経緯は、朱雀帝の懇請に逡巡としたものの、永遠の憧れの女性、藤壺の姪にあたる点に惹かれたのが主な理由なのです。
藤壷は、光源氏が幼い頃に亡くなった実の母、桐壷に瓜二つの女性で、光源氏の女性遍歴の原因は母親の面影を女性達に求めていたからなのです。


とは言え、結婚後に初めて女三の宮に初めて対面した光源氏は、彼女のあまりの幼さに、内心がっかりしてしまうのです。
なにしろ、自分より、二十六歳も歳が離れているし、思慮に足りない面が多々あり、聡明な紫の上と、どうしても比較してしまうのです。
女三の宮にしても、幼い十四歳の彼女から見れば、いかに絶世の美男、光源氏と言えども、二十六歳年上では恋愛の対象になりにくかったのかも知れません。

それで、光源氏はどうしても態度が形ばかりの冷淡になり、次第に疎遠になってしまうのです。
そんな噂を聞いたのが、女三の宮が結婚する前、我こそはと彼女との結婚を夢見ていた太政大臣の長男の柏木でした。
ちなみに柏木の父の太政大臣の頭の中将は、光源氏の親友でもあります。

柏木は、長い間、彼女の事が忘れられず悶々とした日々を送っていたのです。



つづく

源氏物語の魅力 千年読まれた秘密

2010-09-26 18:04:49 | 源氏物語
私は、今まで源氏物語の魅力について、自分なりに考察してきたのですが、千年も読まれ続けた本当の理由はどこにあるのでしょう。

光源氏が女性の憧れである、美形で、優しくて、かっこよく、身分・家柄・財産を満たしているから。

それもあるでしょう。

女の子の大好きなお姫様が、沢山、登場し、キャラクター設定もしっかりしていて、自分に共感出来るお姫様に成り切って、お姫様気分を味わえるから。

それもあるでしょう。

しかし、もしそれだけの理由だったら、千年もの長きにわたって、果たして、どの時代の女性達にも読まれ続けたでしょうか?

かっこいい男性や、綺麗なお姫様が登場するお話なら、現代でもいくらでもありますし、過去にだって、沢山あったに違いないと、あなたは思いませんか?

おそらく、それだけの理由なら、今では忘れ去られたほかの物語同様、源氏物語もまた歴史の波にのまれて、忘却の彼方へ消えたのではないでしょうか?

源氏物語が、今でも女性達に愛され、ベストセラーを記録する理由。

それは、この物語に、人を愛する苦しみや哀しみ、ひいては愛の本質が巧みに描き出されているからではないでしょうか?

そしてそれが、もっともよく現されているのが、女三の宮の登場する「若菜」の章なのです。

この章は、それまで光源氏が歩んできた華やかな人生の終焉を迎えるお話であり、ほかの登場人物も、人を愛する苦しみや、人生に苦悩する姿が余すところなく描き出されているのです。

しかし、読む人によっては、この「若菜」の章を、登場人物を、これだけよく不幸に出来るものだと、紫式部を冷淡で暗い女性だと嫌悪する人が、なかにはいらっしゃるかも知れません。
ですけど、はっきり言って、そういう人はただ安逸に人生を過ごし、人生を真剣に生きた事のない人か、或いは本気で人を愛した事のない人ではないでしょうか?

紫式部に、このお話が書けたのは、彼女自身が、これらの登場人物と、同じ苦しみを味わったからに違いないのです。
そして、それだけでなく、よく読むと、物語の根底に、紫式部の深い愛情がある事に、あなたは気づくはずなのです。
つまり、源氏物語は、光源氏と紫の上を中心とした愛のお話で、ほかのお姫様は、光源氏の浮気心から、紫の上を悲しませる存在として登場するのです。
ここで注意しなければならないのは、紫式部が、紫の上を悲しませた女性を誰一人、ひどい仕打ちにして、罰していないという点です。

それを思う時、私は紫式部がいかに人生に対する深い洞察力と、愛情に満ちた女性だったのかを知る事が出来るのです。

しかし、ちょっと待って。
あなたは、そう言うかもしれないけど、たしか、紫式部は、枕草子を書いた清少納言の事を、日記で悪く書いてるらしいから、本当は性格良くないんじゃないの?と言う人がいらっしゃるかも知れません。
だけど、私はこんな興味深いお話を知っているのです。
作家という生き物は、今まで歩んできた人生で、嫌いな人物や、ひどい目に遭わされた人物を、自分の作品の中で、正義の名のもとに制裁する人が多いという事を。(笑)
ところが、源氏物語に登場するお姫様は、誰一人、冷たい仕打ちを受けておらず、みな愛情をもって書かれているではないですか。

だから、日記で、清少納言の事を悪く書いたからと言って、それをそのまま鵜呑みにするのは、どうかな?と、私は思うのです。


そういう訳で、源氏物語は、この「若菜」の章を書いた事で、どの時代の女性にも共感を得て、千年も読まれ続ける事になったのだと思います。


それでは、「若菜」の章に、どんなお話が書いてあるのか、次回から出来るだけ詳しく追っていきたいと思います。

源氏物語の魅力 復讐するは我れにあり!

2010-09-05 21:36:30 | 源氏物語
先日、好評のうちに終えた、私の「源氏物語」の魅力。
一年かかって、ようやく連載を終了し、ほっとしていた私に、ある方から、「女三の宮が、私の一番、気になる女性です」というお声をいただき、ドキッとしてしまいました。
実は、女三の宮のお話は書こうか書くまいか迷っていたのです。
女三の宮のエピソードは、源氏物語の終盤に大盛り上がりする部分で、女性遍歴を繰り返す光源氏に、このエピソードで溜飲を下げた方も、結構いらしたかも知れないですよね?

そんな大切なお話を書かないでいて、読む人は、ちゃんと読んで下さっていたのだと分かり、反省しきりでした。

やっぱり、悪い事は出来ないわ・・・

私って、悪い女・・・

あ、違いますって!

私、何にも悪い事なんかしてませんから!

ただ早く終らせて、楽になりたかっただけなんです~(苦笑)


それでは、そういう訳で、最終回を撤回して、女三の宮のお話をさせていただきますね。(笑)

当時の結婚は一夫多妻制で、通い婚と言って、夫が妻の家に通うのが通例でした。
ところが、正妻は、ただ一人に限られ、光源氏は六条院で紫の上と一緒に暮らしてはいましたが、幼くして両親を亡くした紫の上は後見役がいなかったために、当時の結婚制度では正妻のポストの座に就く事は出来なかったのです。
そこに目をつけたのが、自分の妃になるはずだった朧月夜を光源氏に奪われた実の兄、朱雀帝で、この人はなんと、自分の愛する娘、女三の宮を、光源氏のもとに嫁がせて、正妻にさせようともくろむのです。
この朱雀帝というお兄さん、どういう心境で、愛娘を、光源氏のもとに嫁がせたかったのでしょう?

それだけ、光源氏を高く評価してたのでしょうか?
たしかに、この時の光源氏は、位、人臣を極め、我が世の春を歌わんばかりの勢いでしたからね。

それとも、朧月夜どころか愛娘まで取られたいというマゾ心理なのでしょうか?(笑)


それに対し、光源氏が、女三の宮を正妻に迎え入れた背景には、光源氏の永遠の憧れの女性、藤壺の姪にあたるという事があったからみたいです。
実は、紫の上も、藤壺の姪にあたります。
藤壺は、光源氏と五歳しか年は違わないのですが、亡き母親のあとに父のもとに嫁いだ継母にあたる女性で、光源氏は事もあろうに、藤壺に関係を迫って、レイプ同然で、からだを奪い、赤ちゃんまで産ませてしまうのです。


それではなぜ藤壺が、光源氏の永遠の憧れの女性なのでしょう?

それは、光源氏が三歳の時に亡くなった実の母、桐壺に、瓜二つだったのが大きく関係しているのです。

この源氏物語は、亡き母、桐壺の面影を求めて、数多くの女性遍歴を繰り返す光源氏のお話なのですね。
そんな光源氏にとって、亡き母によく似た藤壺や、その姪にあたる紫の上や女三の宮は、満たされなかった母親の愛情を満足させたいという存在として書かれている訳なんです。
ところが、それまで登場した女性は、光源氏の思うままだったのに対し、女三の宮は、彼のそれまでの所業に罰を与える存在として書かれている点が、大きく異なっているのです。


光源氏、やっぱり悪い事は出来ないわね?

それでは、光源氏に、どんな復讐が待ち受けているのでしょう?


つづく

源氏物語の魅力 最終回

2010-08-28 09:43:37 | 源氏物語
今まで、お楽しみいただいた源氏物語のお話は、今回で終了させていただきたいと思います。
本当は、沢山のお姫様、一人々々のお話をしたいところなのですが、私が気になる藤壺、六条御息所・紫の上・朧月夜だけを書かせていただきました。

この物語が、千年もの長い間、女性たちに読まれ続けてきたのは、女性の本質や恋への憧れを満たしてくれるからだと思います。

しかも、この物語に登場する女性は、みなお姫様たちばかりです。
そのためか、源氏物語を読んでいると、いつの間にか自分までお姫様になったかのような錯覚を覚えてしまいます。
そのお姫様たちは、みんな上品で、慎み深く、おしとやかな女性ばかりで、決して、大声あげてわめいたり、ガッハガッハと高笑いしたり、人の悪口を言う女性は、どこにも出てきません。
また、大股で歩いたり、座った時にだらしなく、両足を開くお姫様も、もちろん出てきません。
当時のお姫様は、十二単衣を着ていましたから、重くて、ゆっくりした動作しか出来なかったはずですし、おまけに下着は身につけませんでしたので、大胆な格好をすれば、大切なあそこを見られてしまう。
そういう事情も、お姫様たちを慎み深くさせたのだと思います。

そんなお姫様になってみたい!

光源氏に抱かれてみたい!

眠っているところに突然現れ、ふいをつかれて光源氏に、からだを奪われてしまう。
そんなところも、受け身で、M気質の女性たちの気持ちをロマンチックにさせてくれるのです。

もちろん、行為の最中は、光源氏のされるがまま。
決して、男性のからだの上にまたがって、自分から腰をふるなんて、はしたない事、間違ってもしません!(笑)

源氏物語を読むポイントとして重要なのは、浮き舟以後を除き、このお話が紫の上と光源氏を中心に書かれてあるのを念頭に入れる事ではないでしょうか?

紫の上が、もっとも理想的な女性で、光源氏が一番愛した女性であり、光源氏がほかの女性たちと浮気を重ねていた時、紫の上はどうだったか?

また、光源氏に愛された女性は、どんな運命をたどったのか?

それらを頭に入れて、「源氏物語」を読むと、この物語が読者に訴えたかった事が見えてくるのではと思います。


お姫様がたどった運命を少しだけ、ご紹介しますと、光源氏のもとを離れ、出家する女性が何人も出てきます。

現代語に訳された瀬戸内寂聴さんは、当時の女性が自分の意志で生きていく唯一の手段として、とてもいい事のようにおっしゃておられますが、それは自分だけを見つめないで、浮気を続けた光源氏だったから、そうせざるを得なかったのです。

私には、女性は愛する男性とともに生き、愛を育んでいくのが、一番の女性の幸せだと思います。


私の「源氏物語」のお話に、長い間お付き合い下さいまして、心から感謝いたします。

ありがとうございました。





 

源氏物語の魅力その18 朧月夜の巻

2010-08-27 03:45:50 | 源氏物語
今回は、今一番人気のある朧月夜について書いてみたいと思います。

朧月夜は、十七、八歳から、四十四、五歳までの二十数年の長きに渡って、光源氏の不倫のお相手をつとめてきました。
結婚が人生のすべてではないですけど、この時代の生活力のない女性が生きていくためには、経済力のある身分の高い男性と結婚するのが、何よりだったのです。
なのに、結婚もさせてもらえず、二十数年も不倫を続けていたら、女の盛りをとうに過ぎて、淋しい人生しか残らないような気がして、朧月夜が可哀相にならないでもありません。

ほかの女性たちが、慎み深い貞淑なタイプが多いのに、朧月夜だけはとても華やかで色っぽく、女性の武器を最大限に利用しているように思えます。
それだけに、光源氏との性描写も丁寧に描かれ、その官能場面は私の胸も熱くなってしまうくらいです。

朧月夜は、光源氏との最初の出会いで、いきなりからだを奪われてしまうのです。
桜の宴の夜、朧月夜がお屋敷の細殿を、「朧月夜の似るものぞなき・・・」と、歌の一節を口ずさみながら歩いていると、光源氏が、突然、陰から、朧月夜の着物の袖を捕まえるのです。
どこの誰とも分からず、恐れおののき、助けを求める朧月夜に、光源氏は、「人を呼んでも無駄ですよ。私は何をしても許される身分ですから、おとなしくしていらっしゃい」と、ささやくのです。
相手が光源氏だと分かった朧月夜は、少し安心して、光源氏のされるがまま、犯されてしまい、その様子が、とても、いじらしく、かわいらしいので、光源氏はじっくり朧月夜との情事を楽しむのです。
だけど、事が終わり、現実に引き戻された朧月夜は、とんでもない事になったと、心が千々に乱れて、しおれきってしまうのです。
朧月夜は東宮妃になる予定だったのですが、この一件で、正式な妃になれなくなってしまうのです。
最初のうちこそ、朧月夜はこんななよやかな女性なのですが、光源氏と不倫を続けていくうちに、だんだん大胆になり、自分から逢瀬の機会を作るまでになってしまうのです。
しかも、自分を愛する朱雀帝の目を盗んで、光源氏と会い、からだを重ねて、スリリングな危ない橋を渡れば渡るほど、二人の恋は燃えるのです。

しかし、光源氏は、決して朧月夜と結婚しようとはしませんでした。
その理由は諸説あるのですが、おそらく光源氏にとって朧月夜は、遊ぶには楽しくて、ちょうどいい女性だけど、妻に迎えるには朱雀帝にも関心をしめすなど、多情で浮気心のあるところが、いまひとつ結婚に踏みきれない原因だったのではないでしょうか。
男は、どんなに浮気をしても、自分の愛する女には、それをしてほしくない。
そんな男のエゴから、結婚する気が起きなかったように私には思えるのです。

そうして、生涯の大半を不倫に費やした朧月夜なのですが、最後は光源氏のもとを離れて、出家し、自らの意志で生きようとするのです。
これは、ほかの女性にも言える事ですが、私には、朧月夜が愛情以外に生きる選択肢を求めたところが、哀れに思われてならないのです。


愛する人と結ばれるのが、女性の本当の幸せだと思うのに・・・














 

源氏物語の魅力 次回予告

2010-08-26 17:45:45 | 源氏物語
紫の上のお話が終わったところで、次回は、今一番人気のある朧月夜のお話をするのですが、その前に、名前の由来をお教えしたいと思います。
紫の上は、美しく高貴で上品なというイメージから、その名が付けられたのですが、朧月夜には光源氏の威光に暗い影を射し、不幸にさせるという意味があるそうです。

例えて言うなら、お月さまが光源氏、雲が朧月夜という訳ですね。

朧月夜は光源氏を不幸にさせるつもりで付き合っている訳ではないのに、なぜかそうなってしまう。

それは、一度きりの人生を、大いに楽しまなくてはと、性の快楽を得るためだけに付き合った二人が当然たどるべき道だったのかも知れません。

そんな二人は、どうやって出会い、どんなエピソードを繰り広げ、どういう末路を迎えるのでしょう。

それでは、次回をお楽しみ。

源氏物語の魅力その17 紫の上の魅力つづき

2010-08-25 07:10:48 | 源氏物語
十四歳の時、初めて、光源氏に抱かれ、名実ともに夫婦になった紫の上でしたが、当時の一夫多妻制に加え、当代切ってのプレイボーイの光源氏は、そのあとも、次々に浮気を重ね、紫の上にとって波瀾万丈の人生が幕を切って落とすのです。
まず、最初の試練は、光源氏が不倫のお相手、朧月夜との逢瀬が宿敵、皇太后にばれ、都を追われて、光源氏と別れ別れに暮らさなければなる事から始まります。
「どんな苦労でもしますから、一緒に連れていって下さい」
そう言って、泣きながら光源氏に訴える紫の上なのですが、
「どうしても、帝のお許しが出ないで、帰れない時は、必ず呼び寄せますから、その時はどんなみすぼらしい岩穴の中でも二人で暮らしましょうね」
と、光源氏になぐさめられ、紫の上は悲しさのあまり、その場に崩おれてしまうのです。
ところが、そんな感動的な約束を紫の上としたにも拘わらず、光源氏は落ちのびた先の須磨で、女を作り、子供まで生ませてしまうのです。

光源氏、あなたって人はつくづく・・・

ねぇ、光源氏、聞いてる?
あなたがいない間、紫の上は、二条のお屋敷を気丈に切り盛りして、しっかり守っていたのよ。
少しは、紫の上の気持ちを考えておあげなさい!

そうして、須磨で、明石の君との間に子供を作った光源氏でしたが、残念な事に紫の上との間には、子供を授かる事はありませんでした。

愛する男性の子供を産むのは、多くの女性の願いだと思うのですが、紫の上には叶えられなかったのです・・・

しかも、光源氏はほかの女性との間には子供を作ってしまう。
紫の上は、最初、光源氏の子供を産んだ明石の君に嫉妬するのですが、その子供をあずかった後は、宮中にあがるまで、母親の役目を務め、しっかり育て上げるのです。
昔は、継子いじめとか、よくあったみたいですけど、それとは大違いですね。

紫の上は、光源氏の愛した女性たちに嫉妬する事もあったのですが、ちょっとすねて見せるくらいで、それが光源氏には、かえって、かわいらしく見えたみたいです。
それが、どんなにほかの女性にうつつをぬかしたとしても、最終的に紫の上のもとに帰っていく光源氏の秘密だったのでしょうね。
嫉妬も、程度をわきまえれば、かわいく見えるという事でしょうか?(笑)

だけど、そうは言っても、そんなにあちこちに女を作られては紫の上もたまったものではありません。
紫の上は、次第に精神を病み、女三の宮を、光源氏が正妻に迎えた時に、その哀しみは頂点に達し、ますます心労の度を濃くするのです。
かくなる上はと、出家を思い立つ紫の上なのですが、彼女を愛する光源氏はそれを許さず、ずっとそばに置こうとします。
しかし、心の奥から沸き上がる哀しみは募る一方で、いつしかからだまで蝕み、ついに四十三歳で紫の上は亡くなってしまうのです。



紫の上は、光源氏を愛するがゆえに、その意に添うよう従順に生きてきました。
しかし、光源氏は次々に女を作り、自分だけを見つめてほしいという女性の願いは叶えられず、愛する人の子供を産む事さえ出来ませんでした。

しかし、それでもなお紫の上は、ひたすら光源氏に愛されようと、光源氏に尽くし、愛情を傾け続けたのです。


そんな紫の上が、私は涙が出るほど、愛しくて愛おしくてならないのです・・・