奈々の これが私の生きる道!

映画や読書のお話、日々のあれこれを気ままに綴っています

小説と映画の「山の音」川端康成

2017-11-27 21:55:01 | 読書
まず、初めにお伝えしたいことがあります。
 私は、5月下旬に腰の骨を折る大怪我をして、入院し、そのあと、ずっと自宅療養を続け

ていたのですが、ようやく、来月から、仕事に復帰することにしました。
 それ自体は、私自身、喜んでいるのですが、問題は今までと違って、まったく経験のない

別の部署で働くことになったことです。
 実は、そこの部署は時間に大変、厳しいことで有名なんですが、私の体を心配した上司が

、時間以外では今までの部署より、体的には楽かもしれないと私に勧めたのをきっかけに、

思い切って移ることにしたのです。
 そういう訳で、今までのように、ほぼ毎週、ブログを更新するのは出来なくなる恐れが出

てきました。
 とくに、不慣れな仕事に移るのに加え、12月は忙しい時期ですので、更新する間隔がか

なり延びることが予想されます。
 もしかしたら、これが今年最後の更新になるかも知れません。
 そこで、今回の記事は、あれこれ、思案した結果、どうしても読みたかった川端康成の「

山の音」にすることにしました。
 理由は、川端康成の全著作を読んだ方が、この作品が一番、好きだと私に教えてくれたこ

とがありましたし、昭和の名女優、原節子さんご出演の映画版があると知り、それも観てみ

たかったからでした。
 でも、「山の音」は、「伊豆の踊子」や「雪国」ほど、有名ではありませんよね?
 だから、初め、私は何でだろうと思っていたのです。
 ところが、「山の音」は、戦後の日本文学の最高峰と呼ばれていると知り、驚いてしまっ

たのです。
 それほどの作品だったら、読んでみたいですものね。
 それで、読み始めた直後はどれほど難解で、頭を抱えるだろうかとドキドキしていたので

すが、予想に反して興味深い内容に、ぐいぐい物語に引き寄せられてしまったのです。
 というのも、この物語の一家の主、尾形信吾と、息子の嫁、菊子との関係が禁じられた愛

を謳っているようで、私を捉えて離さなかったからです。
 菊子は、夫の修一と、その親である信吾、保子夫婦と一緒に暮らしているのですが、菊子

と修一は結婚して、2年経っているのに、まだ子供に恵まれてなく、夜の生活もまだまだお

盛んなんです。
 その証拠に、菊子はSEXする時、声が大きいのか、同居している信吾に、その時の声を、た

びたび聞かれているみたいなのです。
 それは、「さざえの壺焼きの夜、信吾が目をさますと、前にはない菊子の声が聞こえた。

」という文章で判るんです。
 昔の家なら、今みたいに防音設備がなかったはずですから、SEXする時の声も筒抜けだった

でしょうね。
 でも、菊子は夫の父親という関係を超えて、何かしら、信吾に愛情を感じてるらしいので

す。
 それは背徳の密かな楽しみもあったかも知れませんが、何より素敵な初老の男性に見えた

からでしょうね。
 かく言う私の主人のお父様は、早く他界しているので、私自身は経験はまったくないです

が、素敵なお父様だったら、あの時の声を、菊子みたいに聞かれたいかもと思っちゃいまし

た。(真っ赤)
 それに、菊子は夫の修一がよそに女を作っているのを知っていて、夫婦仲は折り合いが悪

いのですが、信吾にはめちゃめちゃ愛情を寄せていて、自分から新宿御苑にデートに誘った

り、修一と別れたあとも、信吾のそばを離れたくないみたいなことを涙をぽろぽろこぼしな

がら訴える場面まで出てくるのです。

 いいなあ。
 義理のお父様との、そういう関係。
 私、憧れちゃう・・・(真っ赤)
 
 でも、それだけで、この「山の音」が、戦後、日本文学の最高峰と呼ばれている訳では、

もちろんありません。
 それは、「山の音」というタイトルにあるように、ある晩、信吾が地鳴りにも似た山の音

を聞いて、死の予感を感じたことに始まります。
 信吾は六十を過ぎたあたりから、物忘れがひどくなるなど、体中に老いをひしひしと感じ

るようになり、また、何人もの友人の死去を通して、死が身近に忍び寄っているのを否が応

でも認めない訳にはいかない状況にあったのです。
 それなのに、二人の息子と娘の結婚生活は思わしくなく、嫁に行った房子は離縁覚悟で、

二人娘を連れて、実家に身を寄せ、息子の修一は美しくて心優しい菊子というよく出来た嫁

がいながら、よそに女を作り、あろうことか、妊娠までさせてしまうのです。 
 そういう子どもたちを見て、信吾は「親はいつまで子供の面倒を見なければいけないんだ

」と苦々しく思いながらも、親として出来るだけのことをするのです。
 そんな信吾の心の慰めは菊子ただ一人で、菊子もまた例え、修一と別れることはあっても

、お父様のそばにいたいと訴える健気な女性なのです。
 菊子の女性ならではの気品に満ちた喋り方と優しさには、おそらく多くの男性が好きにな

るのではないでしょうか。
  
 しかし、どう考えても不思議です。
 こんな可憐で、心優しいお嫁さんがいるのに、なぜ、修一はよそに女を作って、妊娠まで

させてしまうのでしょう?
 でも、そういう夫婦って、結構、いるみたいですよね。
 数年前、離婚した芸能人夫婦も、素敵な奥さんがいながら、下品そうな女を作って、離婚

し、世間を賑わせたことがありましたが、男心はちょっと不可解ですねえ?

 それはともかく、そうした家族関係を通して、死を主調低音にし、(日本古来の悲しみ)

や(あはれな日本の美しさ)を、この作品は描いたものだそうです。
 
 そして、この「山の音」は成瀬巳喜男監督の手により、映画化もされてますので、そちら

も合わせて観てみることにしました。
 この映画版、実は永遠の処女と謳われた原節子さんが、菊子の役でご出演されてるのです

が、まさに菊子のイメージにピッタリでした。
 夫の修一の役は、意外にも加山雄三さんのお父様の上原謙さんで、もっと若い俳優がよか

ったのではと最初のうちこそ思っていたのですが、修一の性格を見事に演じていて、やはり

この人でよかったと思うようになりました。
 父親の信吾の役は山村聡さんで、なかなか渋い演技を見せ、私もこの人なら、一緒に00

0したいと思うほど素敵でした♪

 だけど、何と言っても、菊子役の原節子さんが、一番、すごかったです!

 そして、私は原節子さんは終生、独身を通しましたけれど、もし、誰かと結婚していたな

ら、この「山の音」の夫の修一みたいに、原節子さんの美しい一途な愛に耐えきれずに、よ

そに女を作るか、逃げ出したかもなと思わないでもありませんでした。


 それでは、この記事をもちまして、しばらく、お休みさせていただきます。
 また逢う日まで、ごきげんよう♪





小説と映画の「美しさと哀しみと」川端康成

2017-11-21 20:44:27 | 読書
私は、この作品は初め、篠田正浩監督の映画版で知りました。
 理由は川端康成原作というより、私の大好きな八千草薫さんがご出演されていたことが大

きかったように思います。
 私が、その映画を観たのは、もう十年以上前のことで、川端康成原作というイメージから

、叙情性のあるストーリーを想像し、八千草薫さんがいかに美しく演じているのか期待して

観てみたのです。
 ところが、いざ観てみると、八千草薫さん演じる京都の絵描き、上野音子役より、弟子の

坂見けい子(加賀まりこさん)の方に強烈なインパクトを感じてしまったのです。
 というのも、坂見けい子は同性愛者という設定で、かつて、上野音子が愛し、彼女を不幸

な目にあわせた大木年雄が、突然、現れたことから激しい嫉妬心を起こして、復讐を企て、

その息子を死に追いやるという役柄とストーリーだったからです。
 それは、私が抱いていた川端康成の作品のイメージと大きく異なっていて、かなり衝撃を

受けてしまいました。
 そこで、今回、原作の小説を読んで、川端康成がなぜ、そんな小説を書いたのか、確かめ

てみたくなったのです。
 また、この作品は1985年に、シャーロット・ランプリング出演のフランス映画にもな

っていますので、そちらも合わせて観てみることにしました。
 まず、この作品は大木年雄が、かつて愛した上野音子が京都で絵描きとして大成したのを

知り、一緒に除夜の鐘を聞こうと誘い、京都行きの特別急行列車「はと」に乗っている場面

から始まります。
 大木年雄が、上野音子と付き合っていたのは、二十年前のことで、当時、彼には妻子がい

たにも関わらず、十六歳の上野音子と愛し合い、子供まで産ませた過去があったのです。
 もっとも、子供は二ヶ月で亡くなり、音子の母親に、奥さんと別れて、うちの娘と結婚し

てほしいと頼まれたこともあったみたいですが、そうすることもなく、音子との思い出を綴

った「十六七の少女」を書き、それを超える作品を書けないでいたのでした。
 そうして、京都行きの列車の中で、音子との思い出に耽っていた大木を、京都駅に迎えに

来ていたのは、意外なことに上野音子の若い弟子、坂見けい子だったのです。
 坂見けい子の美しい容姿に心惹かれた大木でしたが、やがて、彼女は同性愛者で、師匠の

音子を愛し、二十年振りに音子に会いに来た大木に激しい嫉妬心を燃やすのが明らかになり

ます。
 そればかりか、大木が音子をモデルに書いた「十六七の少女」を読んでいたことから、過

去に二人に何があったのか、ある程度知っていて、凄まじい復讐劇を、音子のためにと言っ

て始めるのです。
 その復讐とは、大木の家庭を破壊することで、そのためなら大木とSEXし、産まれた赤ん坊

を奪い、音子にあげるとまで言い出すのです。
 そればかりか、けい子は大木の息子の太一郎にまで魔の手をのばし、美しい容姿で、ホテ

ルに誘い、ついに計画をことごとく成功させてしまうのです。


 私は、この小説を読んで、音子とけい子の関係に惹かれずにはいられませんでした。
 けい子は同性愛者みたいだけど、音子はどうなんでしょう?  
 実は、音子とけい子はよく一緒にお風呂に入ってるみたいですし、こんな場面も出てくる

んです。

 ・・・夜、音子はけい子の目ぶたに唇をあてたり、けい子の耳を唇にくわえたりするよう

になった。耳はくすぐったがって、けい子は身をよじらせて声を出した。それが音子を誘っ

た。

 音子にも、少なからず、同性愛の素養があるように書いてあるんです。

 この場面もそうですが、音子とけい子のやり取りを読んでいると、私も女性同士で、同じ

事をやってみたい衝動を覚え、体の奥から何かが疼いてくるようで仕方ありませんでした。

(真っ赤)

 やはり、川端康成は女性同士の同性愛の素晴らしさを書きたかったのかも?
 そして、もしかしたら、この作品は谷崎潤一郎の「卍」の世界を、川端康成なりに書いた

ものかも?
 そう思いたくなるほど、音子とけい子の関係には素晴らしい同性愛を感じずにはいられな

かったのです。
 ところが、読み終わって、しばらく経ったら、あることに気づいたのです。
 音子は、二十年前、大木が取った行動に対して、怒りもしなければ、憎みもせずに生きて

きた受け身一方の心優しい女性なんです。
 その反面、けい子はかなりの情熱家で、積極的に音子の復讐のためにと、大木一家に関わ

り、着々と計画を実行に移すのです。
 つまり、音子とけい子の性格は、まるで正反対なんです。
 だから、けい子は音子にとって、もう一人の自分なのではという考えが、頭をよぎったの

です。
 私が、そう思った理由の一つに、何人かの芸能人の親子がありました。
 昔、清純派の女優として名を馳せ、事実、プライベートでもおしとやかで、心優しいはず

の女性の子供がまったく違うタイプの性格となり、とくに性に対して、積極的な対応を見せ

るのを、いくつも知っているからです。
 昨年でしたか、亡くなった清純派の女優さんの娘が、夜遊びがひどくて、借金返済のため

に、AVに出て、世間を賑わせたことがありましたよね?
 あれは、清純派のイメージが固定したがために、自分の本心をひたすら押し隠した反動が

、娘に現れたように思えますし、その例は枚挙に暇がないのです。
 そして、川端康成は女性に復讐される物語を書くことで、男の傲慢さとか、ずるさを白日

にもとに晒したかったように思えたのです。
 
 と言うのは、この物語は大木年雄という小説家が、過去に過ちを犯した音子が京都で絵描

きとして大成しているのを知り、大晦日に除夜の鐘を一緒に聞きたいと京都に行ったのが、

すべての始まりだからです。
 除夜の鐘の意味は、108つの煩悩の数を表し、それを清めるための習わしですよね。
 大木が、音子と一緒に大晦日に除夜の鐘を聞きたいと思ったのは、そうすることで、音子

を苦しめた過去の過ちを清算する目的があったと考えられるのです。
 その過ちとは、まず、大木が妻子があるのに、当時、まだ十六歳だった音子の熟しきって

いない体を何度となく求め、子供を産ませたことです。
 大木は、音子に会いに行く時、音子の心中をおもんばかることなく、今度はどうやって抱

いてやろうかと、SEXのことしか頭になかったようですから。
 それに、大木は音子とそういう関係が、奥さんにバレ、一悶着くらいはあったようですが

、離婚もせず、そのあと、娘まで授かっているのですから。
 そして、大木は音子と別れた数年後、二人の関係を小説として書き、大ベストセラーとな

って、その印税で、生活費を稼いだり、子供の養育費にあてたりしましたが、音子に対して

は何の謝礼も援助もしていないのです。
 しかし、この件に関して言えば、当の音子は、裁判を起こし、賠償請求をしようとしませ

んでした。
 おそらく、音子はあの時の大木は本当に、自分を愛していたと信じたい気持ちがあり、そ

の美しい思い出を壊したくなくて、ずっと胸にしまい続けて生きてきたように思うのです。
 そして、その音子の大木に対する姿勢に、音子自身の美しさの秘密が隠されているように

、私には思えてなりませんでした。
 というのも、もし、音子が大木と別れたあと、ずっと憎み続けたり、怒りを爆発させてい

たら、美しい心を持つことは到底、不可能だったでしょうし、絵描きとして、人々を感動さ

せることも出来なかったに相違ありません。
 でも、人は清らかな心だけで生きていくことは不可能な生き物なのかも・・・
 だから、けい子は音子と生の接触を通し、尚且つ「十六七の少女」を読んだことによって

、音子の心の底にある恨みを敏感に察知し、音子に代わって、復讐を実行に移したように見

えるのです。
 それは、ラストで、大木の妻の文子が、初対面の音子に向かって言った「太一郎を殺させ

たのはあなたですね」という言葉にも感じとることが出来ます。 
 
 つまり、川端康成は、京都という日本古来の美しい都を舞台に、女性の美の裏側にあるも

のと、男の傲慢さや、ずるさを白日にもとに晒したくて、この美しく、はかなく、そして、

憎悪に満ちた「美しさと哀しみと」を書いたのだと、私には思えてなりませんでした。


 篠田正浩監督の映画版に関して言えば、大木役の山村聡さんが、八千草薫さん演じる音子

に対しての想いを、もっと描けていたらなと、残念でなりませんでした。
 また、山村聡さんが、加賀まりこ演じる坂見けい子に、常に淡々と喋っているのが物足り

ない気がしました。
 武満徹作曲の音楽は、あまりにもおどろおどろしい感じがして、女性の哀しみを表現して

いるようには、とても思えませんでした。
 何だか、悪口めいたことばかり書いてしまいましたが、八千草薫さんはとても美しかった

ですし、加賀まりこさんは、川端康成も絶賛したのが頷けるくらい説得力のある名演技だと

思いました。
 何でも、加賀まりこさんによると、川端康成に相当好かれたらしく、電話一本で、ニコニ

コしながら会いに来たというエピソードもあるみたいです。
 

 フランス映画版の方は、女性が監督を務め、とてもオシャレでいながら原作にもわりと忠

実に作ってあり、なかなか、いい作品として仕上がっているように思いました。
 ただ、レア・ウエノが、プルダンスの脇毛をカミソリで剃る場面は原作になく、この映画

独特の素晴らしさだと思いました。

 また、こちらでは、上野音子の名は、レア・ウエノとなっていて、原作に近い感じがしま

すが、坂見けい子の名はプルダンスで、その意味は分別だということです。
 分別いう意味の名前を与えたことで、シャーロット・ランプリング演じるレア・ウエノの

危うい美しさを表現したかったように思えたことも付け加えておきます。



 

マンガ「キューティーハニー」「ドロロンえん魔くん」、そして「けっこう仮面」♪

2017-10-29 10:56:20 | 読書
 まず、なぜ、今回、永井豪さんのええ~と、えっと、そう、エロマンガ(真っ赤)のお

話を書きたくなったのか、その理由から説明したいと思います。(苦笑)
 ことの始まりは前回、「マジンガーZ」の記事を書く時に観たビデオの「マジンガーZ・

メモリアル」が、そもそものきっかけでした。
 それには、原作者の永井豪さんと、その関係者の方との座談会が収録されていて、永井

豪さんの人当たりの良さそうな雰囲気に、アニメの「マジンガーZ」だけじゃなく、漫画

も読んでみたくなったのです。
 それで、前々から気になっていたちょっとエッチな「キューティハニー」「ドロロンえ

ん魔くん」のお話をしたいと思ったのです。
 とくに、「キューティーハニー」は私が子供の頃から読んでいて大好きな漫画の一つで

した。

 それに、子供の頃、私はなんと、「キューティーハニー」の真似をよくしていたのです


 この漫画の主人公、如月ハニーは、「ハニーフラッシュ!」と叫んで、キューティーハ

ニーに変身するのですが、その時、ハニーの着ていたものが一瞬、消えてなくなり、空中

元素固定装置の働きで、戦闘に適したコスチュームが、ハニーの体に張り付いちゃうので

す。
 そこで、私はお風呂に入る時に着ていたものを全部、脱いだあと、ポーズをとりながら

「ハニーフラッシュ!」と叫んで、チャンポンと湯船につかっていたのです。
 だから、自分も、いつかはキューティーハニーみたいなカラダになれると信じていたん

です。 
 ところで、私が、なぜ、この漫画を読んでいたのか説明しますね。
 理由は、手塚治虫先生の「ブラック・ジャック」と同じ、週間少年チャンピオンの連載

されていたからなんです。
 当時、私は「ブラック・ジャック」が大好きで、「少年チャンピオン」を買っていたの

ですが、ついでに「キューティーハニー」も読んでいたんです。
 でも、正直に言うと初め、私は、「キューティーハニー」は避けていたんです。
 というのも、その頃、小学生だった私は、学校でよくスカートめくりをされていて、エ

ッチなことに拒否反応を覚えていたからです。
 しかも、一日に何度も男子にスカートをめくられ、学校に勉強をしに行ってるのか、パ

ンツを見られるために行ってるのか分からないほどだったんです。
 そういう訳で、初めのうちは「キューティーハニー」を避けていたのですが、少年漫画

にしては、女性が主人公なのは珍しかったですし、キューティーハニーの大人の女性の妖

しい魅力と言っていいのでしょうか。どことなく、惹かれるものを感じていたんです。
 それは、その頃、自分の胸がだんだん、ふくらみつつあり、周囲の視線を感じていたこ

とも関係していたように思います。(真っ赤)
 
 それはともかく、キューティーハニーは、実は人間じゃなく、ハニーの父親如月博士が

作ったアンドロイドで、空中元素固定装置の働きで、七変化出来ちゃうのであります。
 この空中元素固定装置は、空気中の元素を瞬時に組合せ、あらゆる物質をつくり出せる

装置で、ダイヤモンドさえも無限に作り出せるのです。
 そのため、もし、この世紀の大発明が、悪に手にわたったら、大変なことになります。
 ところが、これに目をつけたのが犯罪結社パンサークローです。
 パンサークローは、幹部を特殊能力を持つ女性のサイボーグで組織された犯罪組織で、

シスター・ジルが次々に恐ろしい敵を使って、ハニーを襲うのです。
 こう書くと、ヒーローがヒロインになっただけなんじゃない?と思う人もいるかもです

が、ハニーの全裸が結構、出てくるし、しもネタまであるんです。(苦笑)
 そういうのを見るのは、もしかしたら、いけないことなのかも?と思いながらも、当時

の私は熱いものが体の奥からこみ上げてきて、何とも言えない魅力に惹きつけられてしま

っていたのです。(真っ赤)
 私って、変な女の子だったの?
 人とは違うの??
 友達にも、恥ずかしくて「キューティーハニー」が好きだなんて言ったことは一度もあ

りませんでした。
 ところが、私が読んだ中公文庫コミック版のあとがきで、永井豪さんが、こんなことを

書いていたのです。

 つまり、多くの女の子が「キューティーハニー」が好きだったみたいなのです。
 しかも、これより、もっとどぎつい「けっこう仮面」まで!!
 それを実証するかのように、扶桑社文庫版の解説で、直木賞作家の姫野カオルコさんが

こんなことを書いています。
 
 私は、ただの「永井豪のファンです」ではない。私は永井豪によって作られたのだ。永

井豪によってヘンタイにされたのだ。
 時はサイケでミニスカートでモーレツでカバゴン先生なころ、私は初潮を迎える直前だ

った。初潮を迎える直前、それは巫女的感受性と性的感受性が交わってスパークする、た

だ一度の、最高テンションのとき。そのときに、私は永井豪に憑かれ、以降の人生は、永

井豪の漫画に出てくるような女を現実世界に求めてぜいぜいとあえいできたのである。

 あの直木賞作家の姫野カオルコさんも、永井豪さんのエッチな漫画が好きだったなんて

!!
 しかも、作家中島梓さんも、永井豪さんのエッチな漫画が好きだったようで、こんな文

章を残しています。
 
 永井豪のマンガの魅力は「変態の魅力」であり、「SMの魅力」であり、「同性愛の魅力

」であり、「グロテスクの魅力」だ。「スプラッタの魅力」であり、「人間不信の魅力」

であり、「純愛の魅力」であり、「女装の魅力」であり、「強姦の魅力」であり、「破壊

の魅力」であり、「タブー破りの魅力」だ。そこには「あってはいけないのだけれども、

あってはいけないからこそ美味しくてたまらないもの」が全部つまっている。「いけない

子」の美味しさを全部つめこんだ魅力。そんなものに抵抗できる人間がいようはずもない



 しかも、あの漫画の神様、手塚治虫と同じものを永井豪は持ってると書いてるんです!
 参考資料「永井豪けっこうランド」より。
 

 ということは、永井豪を読むのは、決して恥ずかしいことじゃなく、とても知的で高尚

な趣味なのかもしれません・・・

 私は、姫野カオルコさんと中島梓さんの文章に勇気を得て、「けっこう仮面」も読みた

くなってしまいました! 

 でも、その前にお楽しみはとっといて、「ドロロンえん魔くん」から読むことにしまし

た。

 理由は、この漫画は少ししか読んだことはなかったのですが、主人公のえん魔くんが、

ちょっと私好みだったのと、雪子姫が可愛かったからです。
 このマンガは、地獄界の悪党どもが人間界で暴れていることから、閻魔大王に命令され

たえん魔くんが、仲間の雪子姫、カパエルとともに人間界にやって来て、悪党どもを退治

するお話です。
 私ね、カッコイイ男性もいいけど、えん魔くんみたいな茶目っ気のある可愛い男の子に

エッチされたい願望もあるんです。(真っ赤)
 実際、このマンガの雪子姫は必然性があるのかないのか、肌を露出する場面が数多くあ

り、えん魔くんはよだれを垂らさんばかりに喜んじゃうのです。
 ああ、私も雪子姫になりたいな。
 雪子姫になって、えん魔くんにあれされたり、これされたり・・・いやん、これ以上は

恥ずかしくて書けない。(真っ赤)

 このマンガの魅力は、好きな人にはエッチをされたいという女性ならではの願望を満た

してくれるところにあるように思います。

 さあ、それではおまちかね、いよいよ「けっこう仮面」のお話です!

 けっこう仮面とは、長野県の山奥にあるスパルタ学園で、理不尽な理由でお仕置される

女生徒たち、とくに高橋真弓を救うべく登場する正義のヒロインの名です。  
 そのけっこう仮面、必ず、こんな歌とともに登場するのです。 

 ♪カ~オはだ~れかはし~らないけれど 肉体(からだ)はみいんなしっている~~ 

けっこう仮面のねえさんは正義の味方だ イ~イひとだ 疾風(はやて)のようにあらわ

れて タップリみせてさってゆく~~ けっこう仮面はだ~れでしょう けっこう仮面は

だ~れでしょう

 ご存知、「月光仮面」の替え歌ですが、元の歌詞より、こちらの方がずっといいような

?(真っ赤)

 とにかく、この歌詞にあるように、けっこう仮面は素性がわからないように顔は隠して

、あとは全部、見せて戦う正義の味方なのです。
 それで、このマンガのスゴイところは、マンガ界の巨匠と呼ばれるマンガ家さんたちの

キャラクターがパロディになって、けっこう仮面と戦うところにあります!

 例えば、武内つなよしさんの「赤胴鈴之助」は「悪童鈴の助」、堀江卓さんの「矢車剣

之助」は「血狂魔剣の助」、横山光輝さんの「鉄人28号」は「鉄人似獣八五郎」、川崎の

ぼるさんの「巨人の星」の主人公「星飛雄馬」は「干病魔」、水木しげるさんの「墓場の

鬼太郎」は「墓場下駄郎」。
 テレビ番組では、「七色仮面」が「七エロ仮面」として登場します♪
 そればかりか、なんと、漫画の神様手塚治虫先生の作品までパロディにしちゃってるん

です。
 「鉄腕アトム」は「鉄椀オツム」、「リボンの騎士」は「リボンの志士」として!
 しかも、それらのキャラクターはみんな一回限りの出演なのに、リボンの志士だけ、け

っこう仮面の味方として、何度も登場するのです。

 でも、これだけ、マンガ界の巨匠たちのキャラクターをおちょくっても、誰一人文句を

言ってくる人はいなかったとか。
 つまり、「けっこう仮面」は、マンガ界の巨匠達がこぞって認めた優れたエロマンガだ

ということではないでしょうか。

 ところで、私はマンガを読む時、登場人物の女性になりきるタチがあるのですが、この

「けっこう仮面」の場合、暴力教師にお仕置される高橋真弓がまさにそうでした。
 それはたぶん、私の心の奥の被虐の楽しみを触発してくれるからだと思います。(真っ

赤) 

 それに、そのあと、けっこう仮面がすべてをさらけ出して、私のために戦ってくれるの

です。
 そして、けっこう仮面が、敵をぶちのめしたあと、二人して抱き合って喜ぶ姿にも、快

感を覚えずにはいられませんでした。
 私も、けっこうのお姉様と抱き合ってみたい。(真っ赤)

 ところで、角川文庫の「けっこう仮面」の解説で、なぜ、女性にも、このマンガがウケ

るのか興味深いことが書いてありますので、ご紹介したいと思います。
 
 しろうとヌードの投稿雑誌などで、よく顔を隠した女の裸を見かけることがある。顔の

一部にスミをぬって、わからなくさせたヌードも少なくない。ようするに、誰だかわから

なければ脱いでもいいというわけだ。バレなければ、大股開きもやってしまうという。
 そんな女たちは、たしかにいるのである。
 アダルト・ビデオの女優たちが、整形をする話も聞いたことがある。ルックスのためも

あるが、親にバレないためにといった配慮もあるらしい。
 匿名性が保証されれば、女はよりいっそう見せたがる。こういう心の機微を、「けっこ

う仮面」は、みごとについている。その意味で、作者は冷静に女心を解剖しているとも言

える。
 解説(国際日本文化研究センター助教授・井上章一)

 そう言われれば、そうかもしれません・・・


 永井豪のエロマンガの魅力は、普段、心の奥に隠した女のサガを開放させてくれるとこ

ろに尽きる気がします。

 私もね、永井豪のエロマンガのお話をして、とてもすっきりした気分になっちゃいまし

た♪
 

  
 

 

マンガ版「仮面ライダー」VS「ミクロイドS」

2017-10-06 10:22:10 | 読書
 

私が懇意にさせていただいている方で、今から四年前、「仮面ライダー」と「ミクロイ

ドS」の関係をブログに書かれた事がありました。
 だけど、私は残念ながら、その時、どちらもちゃんと読んだことがなく、うまく返答出

来なかったのです。
 でも、いつの日か、その二つのマンガを読みたいと思っていました。
 しかし、時は残酷というか、そう思ってから、四年も月日が過ぎて、いつの間にか、す

っかり忘れていました。
 ところが、最近、「仮面ライダー響鬼」の記事と「ミクロイドS」の歌詞を書いた時に、急に思い出したのです!
 
 いけな~い!
 私ったら!!
 
 そこで、急きょ、「仮面ライダー」と「ミクロイドS」を読んでみたのです。
 なぜ、あの人はあんな記事を書いたんでしょう?

 すると、「仮面ライダー」で、思わぬ発見をしちゃったのです!

 私にはかれこれ6年もお付き合いしている空飛ぶアカエイさんという方がいるのですが

、「仮面ライダー」にショッカーの手先として、空飛ぶしびれエイが登場してたのです!
 これは、どういうことなの?


 私が仲良くしている空飛ぶアカエイさんのハンドルネームの由来は敬愛する横山光輝作

品のキャラクターからいただいたとお聞きしていたのですが、そのキャラクターは石ノ森

章太郎作品にも登場してるじゃないですか!
 もしかしたら、空飛ぶアカエイさんが横山光輝ファンなのは真っ赤なウソで、本当の正

体は、空飛ぶしびれエイというショッカーの手先で、世界征服を企む目的で私に近づいて

きたのかも?

もしそうだったら、どうしよう?

 わ~ん!
 私ったら、何にも知らずに悪の片棒を担いでたんだわ!!

 空飛ぶアカエイさん、真実を教えて下さい。

 あなたは、本当に横山光輝ファンなの?
 それとも、悪の組織ショッカーの一員、空飛ぶしびれエイなの?


 ヒック、ヒック、ヒック・・・(涙)
   
 まさか、「仮面ライダー」を読んで、こんな思いをするとは・・・
 
 でも、今はそんなことに煩わされてる場合じゃないかも?

 せっかく、「仮面ライダー」と「ミクロイドS」の記事を私のためだけに書いて下さっ

たあの方のためにも、何とか読まなくちゃ。

 そう気を取り直して、この二つのマンガを読み進めてみました。


 その方は、手塚治虫先生の「ミクロイドS」は「仮面ライダー」に対抗するために描か

れたのではと仮説を立てていたのです。
 何でも、石ノ森章太郎作品には悪の組織に肉体改造された主人公が悪の組織を抜け出す

も、善と悪のはざまで、揺れ動きながら、悪と戦うストーリーが多いのだとか。
 その理由は崇高な理想を高く掲げ、強い意志で戦う作品を多く描いた手塚治虫作品への

アンチ・テーゼだったとか。
 ところが、そうした石ノ森章太郎さんの姿勢に異議を唱えるべく、手塚先生は「ミクロ

イドS」で、悪のギドロンから抜け出して、正義のために戦うヤンマ・アゲハ・マメゾウ

を描いて、石ノ森章太郎さんの作風を踏襲しつつ、次第に持論を展開していったそうなの

です。
 それが、本当なのか、自分で読んで確かめたくなったのです。
 と思っていたことを、この四年間、すっかり忘れていたの。(汗) 

 それで、その点に注意して読んでみたのですが、確かに、「仮面ライダー」と「ミクロ

イドS」は似たような設定が多いんです!
 まず、仮面ライダーのモデルが昆虫のバッタなのはとっても有名ですよね。
 一方、「ミクロイドS」のヤンマはトンボ、アゲハはアゲハ蝶、マメゾウはマメゾウム

シと、こちらのモデルも昆虫なんです。
 仮面ライダーこと本郷猛は悪の組織ショッカーの手により、改造人間にされるも、緑川

博士とともに抜け出し、ショッカーが送り込む怪人達と戦います。
 一方、ヤンマたちもギドロンの手により矮小化され、屈従を強いられるも、ギドロンの

世界征服の野望を打ち砕くために人間の元へ行き、ギドロンと戦うのです。

 ショッカーの世界征服の目的は人間を感情のない半ロボットの奴隷に変え、自然を破壊

して、工場や都市を作ることにありました。
 その結果、地球は冷たく乾いた砂漠になってしまう。
 それを阻止するために、仮面ライダーはショッカーと戦うのです。
 仮面ライダーがバッタをモデルにしたのは自然の象徴で、バッタと人間のハーフ即ち自

然と人間が協力して悪に立ち向かう姿を通して、自然と上手に共生することを人間の叡智

と位置づけ、仮面ライダーを真の文明のシンボルにしたのだそうです。
 本郷猛はベルトのプロペラが回って、仮面ライダーに変身しますが、あれは風力という

自然エネルギーを利用することで、環境破壊を企むショッカーと対極にあることを現して

いるのだとか。
 一方、「ミクロイドS」の場合、マナブの父親で、ノーベル賞を取った美土路博士はギ

ドロンが人間を襲う理由をこう述べています。
 「人間の自然破壊に昆虫が、正しく言えば昆虫を操っているある怪物なのですが・・・

人間に復讐をはじめたのです。人間が滅亡するまで、この襲撃は続くかもしれません。」

 ショッカーもギドロンもともに自然破壊が関係した悪なのです。
 
 「仮面ライダー」と「ミクロイドS」、こんなに類似点があるんです!

 これは明らかに、後発の「ミクロイドS」を描いた手塚先生に、「仮面ライダー」に対

して、強烈な何かがあったのは火を見るより明らかですよね?
    
 「仮面ライダー」と「ミクロイドS」の類似点に着目したその人は、人間的な弱さを兼

ね備えたキャラクターを創造し続ける石ノ森章太郎作品に待ったをかける意味で「ミクロ

イドS」を手塚先生は描いたのではと推理していました。
 そうすることで、人が何か事を起こすには迷いを極力排し、強い意志が必要だろうと、

手塚先生は言いたかったのではないかと。
 そして、忘れてならないのは、この二つのマンガはどちらもテレビで特撮ドラマやアニ

メになったことです。
 この勝負、どちらが勝ったのでしょう?
 そりゃ、当然「仮面ライダー」に決まってるじゃん!なんてったって、「仮面ライダー

」は今もテレビで、ずっと続いてるけど、「ミクロイドS」なんか、続編も作られず、す

ぐに終わっちゃったじゃん!!

 私も、そうかも?と読むまでは思っていました。
 だけど、マンガ版は、断然、「ミクロイドS」が優れていると断定せざるを得ませんで

した! 
 と云うのは、「仮面ライダー」の場合、ショッカーと戦うシーンがやたら多くて、個々

のキャラクターがしっかり描ききれていないし、自然破壊に警鐘を鳴らすためのドラマ性

が非常に希薄な印象を受けたのです。
 その点、「ミクロイドS」はヤンマやアゲハやジガー、そして、マナブや美土路博士を

始めとするキャラクターがしっかり描き込まれていましたし、ギドロンが昆虫を使い地球

を滅亡へと追い込み、それと戦うストーリーには重厚なドラマ性が感じられたのです。

 「仮面ライダー」の解説で、石ノ森章太郎さんが言っておられることは納得しますが、
「仮面ライダー」はどう見ても手を抜いて描いたようにしか思えないのです。 
 テレビ番組の「仮面ライダー」はともかく、マンガ版はとても傑作とは言えないと思い

ます。
 嘘だと思ったら、この二つのマンガ読み比べてみて下さい。
 両者の差が、歴然とわかりますから。
 もしかしたら、手塚先生は石ノ森章太郎さんがあまりにもなっちゃいないマンガを描い

てしまったので、お手本を示すべく「ミクロイドS」を似たような設定にして描いたのか

なと思わないでもありませんでした。
 

 それはそうと、空飛ぶアカエイさん、あなたが横山光輝ファンなのは真っ赤なウソで、

本当はショッカーの手先だったの? 






  

陰陽師・安倍晴明

2017-09-03 17:04:25 | 読書
 先月、テレビで、陰陽師・安倍晴明のお話をしていて、興味深く観ていました。
 安倍晴明は映画や書籍で、ひと頃、大ブームになっていたので気にはしていたのですが

、創作が多かったので、まったくそうしたものに触れないでいたのです。
 私が知りたかったのは真実の陰陽師であり、安倍晴明だったからです。
 私に、そう思わせたのは以前、川端康成の「古都」の記事で、私が一番好きなところは

京都だと書いたことと関係あります。 
 ことに、私が京都に引かれるようになったのは、二年前の十月、京都の国宝・平等院鳳

凰堂を訪れたのが大きかったです。


 満々と水をたたえた池の向こうに立つ平等院鳳凰堂、わけても朱塗りの柱が印象的で、

平安時代の栄華が鮮やかに蘇ってくるようでした。
 しかも、私が訪れた時、金木犀の香りが辺り一面ほのかに漂い、雅びな雰囲気を一層、

かきたててくれたのでありました。
 その時のお写真がこれです。
  






 その感動は宮崎に帰ったあとも、ずっと余韻が残っていました。
 そして、京都をもっと知りたくなり、本や映像ソフトをいくつも見入ったりしたのです


 ところが、京都が、かの地に誕生した秘密を解説したものがあり、意外な事実を知って

驚いてしまったのです。
 そういえば、京都のことを魔界都市と言う人っているでしょう?
 その訳が明らかになったのです。 


 京都、当時は平安京と呼ばれていたのですが、桓武天皇が、平安京を作る時、中国の道

教思想・四神相応に基き、西暦七九四年に作ったとされるそうです。  四神とは、想像

上の生き物、青龍・白虎・朱雀・玄武のことで、それぞれが平安京の東西南北を護ってい

るのだとか。
 そうして、桓武天皇は徹底した魔よけ封じを行い、悪霊や怨霊を退けるという思想はそ

の後も根強く残ったらしいのです。
 

例えば、京都御所の鬼門の壁は四角く切られ、塀の上には御幣を担いだ木彫りの猿が座

っているそうです。猿には魔除けの意味がある


 東寺の鬼門の瓦には安倍晴明の紋章・五芒星が示され、魔物を封じていると言われてい

ます。


 一条戻り橋 
 ここは、御所の北東にあり、鬼門と呼ばれ、この世とあの世の境目と言われているとか


 つまり、鬼が出入りする不吉な方角と考えられてきたのです。
 そのせいか、ここには茨木童子など、鬼にまつわる様々な伝説があり、また、橋の下に

は安倍晴明が、式神を置いていたとか。(式神とは、陰陽師が操る鬼神のこと。)

 比叡山の延暦寺も、その例にもれず、鬼門除けの役目を果たしているそうです。
 
 
 そう、当時の京都は悪霊や怨霊は言うに及ばず、鬼や妖怪など、魑魅魍魎が跋扈する魔

界都市で、それに祟られる事件や災害が数多く起き、それらに敢然と対抗する者、それが

安倍晴明を代表とする陰陽師だったのです。
 だから、ちょっと怪しげな人というイメージが湧かないでもないですが、れっきとした

朝廷の役人で、中務省の陰陽寮に属し、天文・暦・時刻・占いを司っていたようです。

 それにしても、平安京には、どうして、悪霊や怨霊などが、沢山いたのでしょう?

 平安京があった平安時代は貴族社会で、和歌を詠んだり、蹴鞠、百人一首などの遊びが

流行し、平安京という言葉さながらに、優雅で、平和なイメージがあるのですが。 
 ところが、調べてみると、確かにそういう一面はあるものの、その陰で、皇族や貴族同士の血で血を洗う熾烈な権力闘争があったと判明したのです。
 ここから、「安倍晴明の秘術」という本を参考に書きます。
 
 平安京は七九四年(延暦12年)に時の天皇、桓武天皇の名により造営された。東西4

.5キロ、南北5.2キロの大きさを誇る、それまでの日本で造られた最大の都市であっ

た。そしてそれは華々しい王朝文化の始まりを告げる遷都だった、表向きは・・・。
 まだ奈良に都があった頃、時の天皇は日々「怨霊」の攻撃に悩み抜いていた。それとい

うのも、皇位継承のために血みどろの、陰謀、謀略が争われ、多くの皇族、貴族、役人が

無念のうちに殺され、死んでいったからだ。その無念の思いの怨霊たちが、干ばつを起こ

し、毎夜、瓦石を屋根に降らせ続け、家族を呪い殺していった。桓武天皇が即位したとき

も、そうした怪異が続く時代だった。
 桓武天皇自身も、父、光仁天皇から皇位を受け継ぐ時、弟の他戸(おさべ)親王と皇位

を争っている。他戸親王の母は聖武天皇の皇女、井上内親王という身分の高い女性で、当

然のように皇太子には他戸親王が立てられていた。兄として弟の皇位継承には歯ぎしりす

る思いがあったろう。そこに、接近してきたのが重臣、藤原百川であった。百川は謀略に

より他戸親王を失脚させる提案をもちかけたのだ。その陰謀のためか、天皇を呪詛した罪

で他戸親王、母の井上内親王の母子は大和国宇智に幽閉され、その後に殺される。
 しかしこの後、地震、飢饉、疫病などの天災が襲い、父、光仁天皇も重病に伏し、桓武

天皇自身も病に倒れる。他戸親王母子の祟りと恐れた桓武は、母子の霊を手厚く弔ったが

、怪異はなおも続いたのだった。

 天皇となった桓武天皇は七八四年に怨霊が跋扈する古い奈良を捨てて、今の京都の南西

に位置する「長岡京」に遷都すると詔を出す。ここで怨霊に脅かされることなく、何もか

も新しく再出発しようと考えたのであった。
 しかし、桓武天皇には再び血で血を洗う皇位継承問題が残っていた。この時、父の遺言

で皇太子には弟の早良親王が立てられていたが、それを廃して息子の第一皇子・安殿親王

を次期天皇につけたいと考えたのである。ちょうど、その頃、長岡京の造営長官であり寵

臣の藤原種継(百川の甥)が暗殺される事件が起こった。真実かどうかは別に、桓武天皇

はこの事件の首謀者を早良親王として、皇太子を廃し幽閉した。幽閉後、早良親王は抗議

の絶食をし、十日後に非業の最期を遂げる。桓武天皇はこれにより望み通り自分の第一皇

子・安殿親王を皇太子にすることができたのだった。
 しかし、非業の最期を遂げた早良親王の祟りはすぐに猛威を振るい始める。事件後3年

目、夫人の藤原旅子(百川の娘)と妃の一人・多治比真宗が病死、翌年母の高野新笠が亡

くなる。その翌年に皇后の藤原乙牟漏(百川の姪)、妃の坂上又子が死んだ。三年の間に

母と妻四人を亡くしたのだった。さらに、せっかく皇太子にした息子の安殿親王も病に倒

れた。これらを怨霊の祟りと怖れないわけがなかった。社会的にも干ばつ、天然痘の流行

、伊勢神宮の焼失と、天皇の権威を揺るがす禍々しいことが続いた。
 ついに、桓武天皇は、未だ造営中の長岡京を捨て、さらに怨霊の手の届かない都を求め

ることにした。
 それが、平安京なのである。


 桓武天皇って、こう言っては何ですけど、すっごい悪党みたい・・・(苦笑)
 これだけ悪さすれば、悪霊や怨霊に祟られるのも分かるような?

 しかし、だからこそ、桓武天皇は悪霊や怨霊の侵入を防御すべく、平安京の四方を、中

国の道教思想に基づいた青龍・白虎・朱雀・玄武に守らせようとしたのですね。
 そして、平安京を造営するのに、もっとも重用したのが、陰陽師だったようです。
 では、安倍晴明はどんな人だったのでしょう。
 安倍晴明が生きた時代(九二一年~一00五年)は、この遷都より一五0年ほど後で、

平安京のすべての呪術装置も完成し、陰陽道ももっとも隆盛した時代だったそうです。
 だけど、それでも、数々の怨霊や鬼神が跳梁跋扈し、呪詛が横行していたようで、それ

だけに、より優れた陰陽師の出現を待ち焦がれる人が多かった。
 そこに彗星のごとく現れたのが、今に語り継がれる安倍晴明だったのです!

 まず、安倍晴明、生まれた時から普通じゃありません。
 安倍晴明の父親は安倍保名という人ですが、母親はなんと人間じゃなく、葛の葉という

白キツネなんです!
 そして、幼少の頃から、不思議な能力を持っていたみたいで、村上天皇が病で倒れた時

、柱の礎で蛇とカエルが争っているからだとピタリと言い当てるのです。しかも、それは

カラスが喋っているのを聞いて知ったというのです。
 このことを上京して天皇に伝え、これにより晴明の名はあっという間に広まり、以後天

皇や貴族に関する様々な予見をし、国家の官僚として歩んでいったのだとか。

 人間と白キツネの間から生まれた事からして、安倍晴明って、すごいなと思います。
 しかも、ドリトル先生みたいに、動物の言葉が分かるなんて!

 でも、それだけじゃないんです。
 安倍晴明には、それ以外にも様々な伝説が伝えられています。

 其の一
 紫宸殿の陣の間の多くの殿上人が参内する中に、ひときわ美しい少将がいたそうです。
 その少将が内裏へ入ろうとした時、頭上をかすめて、カラスが糞を落としていった。
 これを見た晴明は少将に、「今夜はあなたの身に何かが起きます。私にはそれが見える

んです。さあ、一緒に来て下さい。」と声をかけた。少将は晴明の名に足を止め、それに

従った。その晩、晴明は少将を後ろからしっかり抱きしめ身固めの儀式を施し、一晩中一

睡もせずに祈り続けた。夜が明けると真実が明らかになった。少将の妻の相婿が、舅が少

将ばかり可愛がるので逆恨みをして、陰陽師に頼んで、少将の呪殺を謀ろうとしていたの

だった。それを知った少将はこの相婿をすぐに追い出した。また、相婿に手を貸した陰陽

師は自らが放った式神が戻って死んでいたとか。
 
 其ノ貮
 晴明がまだ少年だった頃、師匠である当代随一の陰陽師賀茂忠行を乗せた牛車に付き添

っていた。時は夜であった。晴明が前方を見ていると、口が裂け、牙を剥き出した異形の

姿が見えた。それは百鬼夜行の鬼だった。すぐさま、忠行を起こし危険を知らせると、忠

行はすぐに鬼から姿を隠すための呪を施し、間一髪で身を守ることが出来たのであった。

これ以降、忠行は晴明の並々ならぬ能力に感服し、陰陽道のすべてを伝授することにした



 其ノ三
 ある時、晴明は若い僧侶達に、カエルを殺して見せてくださいと頼まれた。
 僧侶が頼んだのは晴明の能力に疑問を感じていたからだが、晴明は自分の力を無益なこ

とに使ったり、自分を試されるのが嫌であった。しかし、この時ばかりは一本の草の葉を

摘み取り、呪文を唱えて、草の葉をカエルに投げつけてみせた。すると、カエルはひしげ

て潰れ、僧侶達は恐れおののいてしまった。
 
 其ノ四
 ある時、晴明のパトロンである藤原道長が、法成寺の門を潜ろうとすると、飼い犬が突

然、吠えだし、中に入れまいとする。これは何かあると睨んだ道長は早速、晴明を呼びに

やった。すると、晴明は呪いをかけたものが埋まっていると見抜き、掘ってみたところ、

呪いがかかった土器が見つかった。そして、晴明は誰が呪いをかけたのか確かめようと、

懐から紙を取り出し、呪をかけ始めた。すると、不思議な事に紙は白鷺に姿を変え、南の

方に飛んでいった。そこから、左大臣顕光公の仕業と判明した。

 其ノ五
 物忌み時に、早瓜を献上された藤原道長は受納していいのか首をひねっていた。そこで

、ちょうど、お供をしていた晴明が吉凶を占うことになった。そして、毒気が見えた晴明

は加持祈祷すればいいでしょうと言い、側にいた観修僧正が祈祷を行った。すると、瓜が

ひとりでに動き出した。そこで、医者の丹波忠明が、瓜に針を二本刺すとピタリととまっ

た。この様子を見ていた源義家が、瓜を刀で割ると、中からとぐろを巻いた蛇が出てきた

。そして驚いたことに、忠明の二本の針はちょうど、蛇の両目を貫いていて、義家の太刀

筋は蛇の頭を見事に切り落としていた。

 其ノ六
 ある時、播磨の陰陽師智徳法師は式神を童子に変え、晴明の実力を試しに来た。晴明は

智徳法師と会話しながら、袖の中で印を結び、式神隠しの呪文を唱えつつ、表面上は何も

知らないふうを装った。その様子に智徳法師は勝ち誇った顔をして、晴明邸を後にした。
 しかし、ふと気がつけば、いつの間にか童子に姿を変えた式神が二人ともいなくなって

いた。慌てた智徳法師が、晴明邸に戻ると晴明が口元に笑みを浮かべていて、自分の負け

を知って謝罪し、晴明の弟子になった。

 其ノ七
 988年6月23日、花山天皇が突然、出家した。理由は最愛の女性が亡くなって悲し

みの日々を送っていたからだ。この様子を見た藤原道兼は父、兼家と策謀し、花山天皇を

東山花山寺に連れ出した。その寺に向かう途中、晴明邸の前を通ると、どこからともなく

「天皇が譲位したようである。式神よ、ただちに確かめて参れ」という晴明の声が聞こえ

た。すると、目に見えぬものが、戸を押し開け、「ただいま、目の前を帝がお通りになり

ました」と答えた。
 その出来事に、花山天皇は改めて晴明の力量に感心し、「さらばだ、晴明・・・」と呟

いたとか。


 これらは、どれもにわかには信じがたい気がしますが、本当にあったのでしょうか?

 でも、そうであってほしいような・・・


 だけど、私は、以前、マンションの五階に住んでいて、百鬼夜行に悩まされ、お祓いし

てもらったと教えてくれた人が身近かにいたんです。
 
 だから、怨霊や悪霊はもしかしたら、人の心の闇が作ったものかもしれませんが、その

一方で、こういう類いのものは確かに実在していて、見える人には見えるのかも知れないなという気もしているんです。

 そして、それら異形のものを封印出来る安倍晴明みたいな摩訶不思議な能力を持った人

がいることも・・・。 
 
 

あと、補足ですが、野村萬斎さん主演の映画と、岡野玲子さんの漫画版も見てみました。

 漫画版は、絵の雰囲気が、美しく且つおどろおどろしく、遠い平安時代の雅びな雰囲気をよく描写しているなと思いました。

 映画版は、野村萬斎さんや伊藤英明をはじめ、みな役のイメージにぴったりだと思いました。
 ただ、映画版はドラマチック過ぎて、平安時代の雰囲気があまり出てない感じでした。

 もう少しおどろおどろしい雰囲気が出せたらよかったかもなと思いました。

.



  
  

映画「悲恋」と「トリスタン・イズー物語」

2017-08-30 13:01:40 | 読書
 

ちょっと前の三島由紀夫の記事にジャン・コクトーの名前を出したら、彼が脚本を書い

た映画「悲恋」はアレンジが加えられているが、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」

だと教えてくださった方がいました。
 その時、私はハッとしてしまったんです。
 うちの書架に岩波文庫の「トリスタン・イズー物語」があるのですが、おそらく、映画

もワーグナーも原作はこの「トリスタン・イズー物語」ではないかと思ったのです。


 私が、この本を持っていたのは表紙の紹介文の「ヨーロッパ中世最大のこの恋物語は、

世の掟も理非分別も超越して愛し合う情熱恋愛の神話として人々の心に深く焼きつき、西

欧人の恋愛観の形成に大きく影響を与えた。」という文章に惹かれたからでした。
 「トリスタン・イズー物語」は遠くケルト説話に起源を持つらしく、中世の吟遊詩人が

好んで、この作品を題材に詩を作っていたそうです。
 吟遊詩人といえば、詩曲を作り、各地を訪れて歌った人のことですが、私はかつて、フ

ランソワ・ヴィヨンという吟遊詩人が作った詩が好きでした。
 その訳は、文芸評論家の小林秀雄から、アルチュール・ランボーに興味を覚え、様々な

翻訳家の訳詩を読み、ある時、その中から「母音」という作品を見つけたことに始まりま

す。

 Aは黑、E白、I緑、Oは藍色、
 
 母音よ、汝が潜在の誕生をいつか 我は語らむ。

 A,無慙なる悪臭の周圍に唸りを立てて飛ぶ

 燦めく蝿の 毛斑らの 黑き胸當、

 
 日陰の入江。E, 靄を天幕の 眞白さ、

 傲然たる氷塊の槍、白き光芒、繖形花の顫動。

 I,眞紅、吐かれし血、悔悛の陶酔か

 はた 憤怒の中の 美しき唇の哄笑。


 U,天體の週期なり、蒼海原の神さびし揺蕩、

 點々と家畜の散りぼふ 牧の平和、学究の

 廣き額に 煉金の祕法の刻む 小皺の平和。


 O、奇怪の鋭き叫びの満ち盈てる 至上の喇叭、

 大千世界と天使とを 貫ける沈默よ。

 ーOオメガ、かの人の眼の 紫の光線。



 この詩を訳したのはフランス文学者の鈴木信太郎で、そこから彼の訳したボードレール

も読むようになり、やがてフランソワ・ヴィヨンという吟遊詩人を知ったのです。

「疇昔(ちゅうせき)の美姫(びき)の賦(ふ)」
 
語れ いま何処(いづこ) いかなる国に在りや、
羅馬(ローマ)の遊女 美しきフロラ、
アルキピアダ、また タイス
同じ血の通ひたるその従姉妹(うから)、
 
河の面(おも) 池の辺(ほとり)に
呼ばへば応ふる 木魂(こだま)エコオ、
その美(は)しさ 人の世の常にはあらず。
さはれさはれ 去年(こぞ)の雪 いまは何処(いづこ)。
 
いま何処、才(ざえ)抜群のエロイース、
この人ゆゑに宮せられて エバイヤアルは
聖(サン)ドニの僧房 深く籠りたり、
かかる苦悩も 維(これ) 恋愛の因果也。
 
同じく、いま何処に在りや、ビュリダンを
嚢(ふくろ)に封じ セエヌ河に
投ぜよと 命じたまひし 女王。
さはれさはれ 去年の雪 いまは何処。
 
人魚(シレエヌ)の声 玲瓏(れいろう)と歌ひたる
百合のごとく眞白(ましろ)き太后ブランシュ、
大いなる御足のベルト姫、また ビエトリス、アリス、
メエヌの州を領じたるアランビュルジス、
 
ルウアンに英吉利人(イギリスびと)が火焙(ひあぶり)の刑に処したる
ロオレエヌの健き乙女のジャンヌ。
この君たちは いま何処、聖母マリアよ。
さはれさはれ 去年の雪 いまは何処。
 
わが君よ、この美しき姫たちの
いまは何処に在(いま)すやと 言問ふなかれ、
曲なしや ただ徒らに畳句(ルフラン)を繰返すのみ、
さはれさはれ 去年の雪 いまは何処。
 

この「疇昔の美姫の賦」は、遠き異国のロマンと哀切が胸を打つ優れた訳詩だと思いま

す。
 吟遊詩人とはこのように中世の歴史的事件やその地の史実についての物語を広め伝える

ために歌を歌っていたそうです。(Wikipediaより引用)

 
 ところで、映画の「悲恋」は先程も述べたように、ジャン・コクトーが脚本を書き、詩

的で素晴らしい映画だとは思ったのですが、ちょっと腑に落ちない点や理解しづらいとこ

ろがあったのです。
 その理由として考えられるのはこの物語が中世にフランスで作られ、フランス人で知ら

ぬ者はないほど有名だったので、同じくフランス人のジャン・コクトーは詳しく説明する必

要を感じなかったからではないでしょうか。

 
 そこで、原作を読めば、少しは理解できるかも知れないと思い、岩波文庫の「トリスタ

ン・イズー物語」を読んでみたのですが、そうしたら、映画の理解しづらい点の意味が掴

めたと同時に、吟遊詩人に好まれた訳が何となくわかった気がしてきました。 

トリスタンは、映画ではパトリスの名で、ジャン・マレーが演じ、広大な荘園の持ち主

である叔父のマアクの城に住み、興赴くまま馬を駆って狩りをしたり、キャンプをして、

青春を楽しんでいるのですが、小人のアシールに犬をけしかけるなど、ちょっと悪そうな

イメージなんです。
 ところが、原作では叔父のマアクは、母ブランシュフルールの兄で、コーンウォールを

治めるマルク王になっていて、トリスタンは楽手として、猟人として、家臣として、マル

クに忠実に仕え、パトリスのような悪そうなイメージはまったくないのです。
 
 まず、パトリスのイメージが、トリスタンと違うのは大きいと思います。
 
 次に驚いたのが、ナタリーの婚約者が酔いどれ漁師のモロールトなのに対し、原作では

アイルランド国王に仕えるモルオルトという騎士ということになっていて、戦場では何人

にも劣らぬ剛の者で、イズーは「黄金の髪のイズー」と呼ばれ、モルオルトの姪になって

いたことです。
 また、媚薬は、映画では根性曲がりの小人のアシールが毒と勘違いして、媚薬をナタリ

ーのカクテルに入れたために、パトリスを好きになるのですが、原作ではイズーの母が侍

女のブランジャンに預けた媚薬を、本来、マルク王と、イズーが飲むはずだったのに、喉

の渇きから誤って、トリスタンが飲んでしまい、運命のいたずらが引き金になったという

ことになっています。


 これらが、映画「悲恋」と「トリスタン・イズー物語」の主な相違点ですが、私は吟遊

詩人が好んだ訳は、トリスタンの一途にイズーを求め続ける愛情と、イズーの不安に揺れ

動く恋心、そしてトリスタンの成功を妬む四人の悪漢ゲヌロン、ゴンドアヌ、デノアラン

、アンドレに現されるように、人生の理不尽さを突いたところにあるように思えてなりま

せんでした。

そして、それはいつの世も、人々の心を引きつけて離さないのかも知れないですね。


また、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」もYouTubeで聴いてみましたが、荘厳で

悲愴感に満ちていて、暫し、運命のいたずらと、人生の理不尽さを思ってやみませんでし

た。

文豪怪談傑作選 川端康成集

2017-08-25 15:24:58 | 読書
あれは、お盆が過ぎて、そう何日も経っていない頃でした。
 私の地元の大型ショッピングセンター・イオンの二階にあるおトイレに行こうとしたら、そのちょっと手前にある催事場で、お化け屋敷をやってたんです。
 今もお化け屋敷ってあるの?
 懐かしいというか、何というか・・・
 実は、私はお化け屋敷とか、肝だめしが、大の苦手で、今まで、一度もチャレンジしたことがないんです。
 行ったという人の話を聞いただけで、身の毛がよだち、ブルブルふるえちゃうんです!

 怖い思いをして、何が楽しいっていうの!!(汗)

 当然、そこにお化け屋敷があったからと言って、お金を払ってまで、中に入る気は全然、ありませんでした。
 それより、私、おトイレに行きたいんだし。(苦笑)
 
 ところが、そこに二人連れの若い女性が、ニコニコしながら、「入ってみようか?」「うん」みたいな会話をしたかと思うと、受付の人にお金を払って、ズンズン中に入っていっちゃったんです!
 二人とも、綺麗な顔立ちと、抜群のスタイルをしていました。
 それを見てたら、ひと月前まで入院していた病院のリハビリで世話になっていた若い女性が、ホラー映画が好きだと言っていたのを思い出したのです。
 彼女は、「エクソシスト」や「13日の金曜日」「オーメン」など、ホラー映画の有名どころは殆ど観てると話していました。
 それで、私は今まで、一番、怖かったホラー映画は何だったの?って聞いてみたんです。
 すると、目をキラキラさせながら、「ミザリー」という映画のタイトルを教えてくれたのです。
 その彼女も、お化け屋敷で出会った二人連れの若い女性同様、美しくて、スタイル抜群だったのです。
 しかも、体の不自由な人の手助けをするリハビリをしていただけに、とっても優しい心の綺麗な女性で、おまけに私と話も合うし、息子の嫁にほしいくらいでした。(笑)
 それに、彼女、マッサージも得意だったですから、息子のお嫁さんになってくれたら、ただでマッサージしてくれるか知れません!
 だから、私はこんないい縁談はないなと、勝手に決めて、「うちの二人の息子、どちらを選んでもいいから、お嫁に来てちょうだい!」と言いたくて仕方ありませんでした。
 でも、それを言い出せなかったのは、「自分の嫁さんくらい、自分で探すよ。」と息子に呆れられて言われそうな気がしたからです。
 でも、いまだに惜しい気が・・・(苦笑)

 はっ!
 私ったら、何を書いてんだか。(真っ赤)
 
 とにかく、お化け屋敷で出会った二人連れの女性を通して、私をリハビリしてくれた美しくて優しい女性がホラー映画が好きだと言っていたのを思い出したのです。

 美と恐怖

 これは、どういうことでしょうか?

 一見、似つかわしくないように思われますが、もしかしたら、心の奥底にある残酷な欲求をホラー映画で満足させているから、美と優しさが大いに発揮出来るのかも知れません。

 だったら、私も怖いものにチャレンジしてみる価値があるのでは?

 そう考えた私は、どれにしようか、あれこれ探すうちに、ちくま文庫から出ていた「文豪怪談傑作選 川端康成集」を見つけたのです。


 あのノーベル文学賞を取った偉い作家、川端康成が怪談を書いていた? 
 
 はじめ、私は川端康成と怪談は結びつきませんでした。
 今まで読んだ「伊豆の踊子」や「雪国」、「古都」などにはホラー性はまったく感じられませんでしたし、そういうものを書いていたとは聞いたこともなかったからです。
 
 それに、あの偉大なノーベル文学賞作家が、怖いお話なんか書くわけないじゃない!

 大して、怖くもないものばかり集めて、ホラーだと言ってんじゃない? 

 だけど、この本を読んで、川端康成に対する見方が変わっちゃったんです!
 何と、川端康成は「ちよ」という処女作からして、ホラー性のある作品を書いていたのです!!
 しかも、若い頃の川端康成は心霊現象に多大な関心を示し、オカルト小説と言っても過言ではない作品をいくつも世に送っていたのです!
 だから、幽霊が出てくる作品が、この本には沢山、出てくるんです!

 ぞぞぞ・・・(冷や汗タラタラ)
 
 信じられません。
 あの偉大なノーベル文学賞作家が、幽霊のお話をいくつも書いていたなんて・・・

 私、どうしよう?(涙)

 でも、その訳を、この本は次の三島由紀夫の文章を元に、詳しく解説してくれてました。


  アーサー・シモンズは、「文学でもっとも容易な技術は、読者に涙を流させることと、猥褻感を起こさせることである」と言っている。この言葉と、佐藤春夫氏の「文学の極意は怪談である」という説を照合すると、内田百閒の文学の品質がどういうものかわかってくる。すなわち、百閒文学は、人に涙を流させず、猥褻感を起こさせず、しかも人生の最奥の真実を暗示し、一方、鬼気の表現に卓越している。このことは、当代きってのこの反骨の文学者が、文学の易しい道を悉く排して最も難事を求め、しかもそれに成功した、ということを意味している。
 (三島由紀夫『作家論』所収「内田百閒・牧野信一・稲垣足穂」)

 
 三島の言葉を敷衍して申せば、優れた怪談には、往々にして「人生の最奥の真実」が暗示されているものであり、またそれあるがゆえに、作中に描かれる怪異も迫真の鬼気もしくは妖気を帯びて、読者を心底ふるえあがらせるのではなかろうか。畢竟、怪談を究めることと文学を究めることとは、いずれが先でいずれが後とも定めがたい営為なのであって、後者において卓越した業績を遺したことで後世「文豪」と呼ばれるに至った書き手たちの多くが、同時に「怪談の匠」たりえてもいることは、思えば当然の帰結なのであった。
 解説(東雅夫)
 
 なるほど、そういうことだったのですね。
 そこで、無類の怖がり屋の私は意を決して、ちくま文庫の「文豪怪談傑作選 川端康成集」を読んでみることにしました。
 まず、収録してある作品名をご紹介しますね。

 片腕
 
 ちよ

 処女作の祟り

 怪談集1 女

 怪談集2 恐しい愛

 怪談集3 歴史

 心中

 竜宮の乙姫

 霊柩車

 屋上の金魚

 顕微鏡怪談

 卵

 不死

 白馬

 白い満月

 花ある写真

 抒情歌

 慰霊歌

 無言

 弓浦市

 地獄

 故郷

 岩に菊

 離合

 薔薇の幽霊

 蚕女

 Oasis of Death ロオド・ダンセニイ

 古賀春江

 時代の祝福


 それで、さっきも書きましたように、「ちよ」が、川端康成の処女作になるらしく、これがちょっと不気味な作品なんです。
 これは、田中千代松という人物を振り出しに、主人公の人生の転機に、なぜか、名前に(ちよ)が付く人物が現れるというお話で、千代松の娘の名前が、ちよなら、伊豆の旅先で知り合った小娘も、ちよと言い、好きになった食堂の女給の名前も、ちよだったのです。
 その理由を主人公は死んだ千代松の霊のなせる技だと考え、恐怖心がだんだん募っていくのです。
 しかも、この作品には「処女作の祟り」という続編もあり、「ちよ」を書いたが故に、どんな不幸が襲ったかまで書いてあるのです。

 こ、こ、こ、怖い!
 私、おしっこチビリそう・・・(汗)

 しかし、これはほんの序章に過ぎなく、もっと怖いお話が載っているのです。
 それが「無言」です。
  この作品には、幽霊トンネルなるものが出てきて、真夜中、車に乗って、そのトンネルを走っていると、若い女の幽霊がいつの間にか乗り込んでいるというお話が書いてあるのですが、この幽霊トンネル、実際に、鎌倉と逗子の途中にあるらしいのです。
 これはとても有名みたいで、私も聞いたことがあります。
 また、幽霊が、知らない間に車に乗り込むというのはいろんな作品に出てきますし、タクシーの運転手さんが、そういう目に遭ったと喋っているのを、テレビで観たことがあります。
 私、今まで、半信半疑だったけど、川端康成まで書いていたら、これは事実に違いないかも!

 わ~ん!
 もう、私、怖くて泣いちゃう!!

 
 しかし、この本に出てくるのは怖い幽霊ばかりでなく、「薔薇の幽霊」という綺麗で優しい幽霊まで出てきますので、何とか、最後まで無事に読み終えることが出来ました。
 
 そこで、私を恐怖のどん底に突き落とした作品をあげてみたいと思います。
  
 「片腕」
 これは、主人公が若い女性から、一晩、片腕を預かるお話で、どことなく艶かしくて、異常心理を扱った秀作だと思いました。
 
 「不死」
 これは、十八で身投げした女と、老人になってから死んだ恋人の二人の幽霊が、昔を懐かしがったり、若くして死んだから、その記憶のまま永遠に若くいられて、いつまでも恋人のことを思いつめていられるというお話です。
 私は、この二人の恋人同士の幽霊のお話で、ヴェルレーヌの「感傷的對話」という、ちょっともの悲しい詩が脳裏をよぎりました。
 
 淋しい凍つた廃園を

 形影二つ 通つて行つた。

 眼に光なく 唇に力なく、

 言葉は 幽かに聞えて来た。

 淋しい凍つた廃園を

 亡霊二人 過去を偲んだ。

 ー昔、あの恍惚とした氣持ち、思ひ出すかい。

 ー思ひ出したら どうなるの。

 ー今でもわたしの名を聴くと 心臓が動悸を打つかい。

 今でもわたしの魂を 夢に見るかい。ーいいえ。

 ーああ、唇と唇を合せた 言ふに言はれぬ

 幸福の 佳い日であった。ーそれはさう。

 ー碧かつたねえ、空は。希望も大きかつたね。

 ー眞黒な空に希望は飛び去つて、消えてしまつたわ。
 
 雀麥草の滋つた中を かうして二人は歩いて行つた、

 二人の言葉を聴いたのは ただ夜だけ。 
 
 

 「抒情歌」と「慰霊歌」
 この二つは心霊現象を扱ったもので、川端康成がこういうものに、いかに関心を示していたかがうかがい知れて、とても興味深かったです。
 
 「故郷」と「離合」は、短篇集「たまゆら」で読んだことがあり、子供の頃の自分や親しかった女の子と出会ったり、娘の幸せを願う母親が、幽霊となって、元夫のもとへ現れるお話で、しんみりさせられてしまいました。


 そして、最後にご紹介するのが「薔薇の幽霊」です。
 これは、昭和二年に発表された少女小説で、怖いというより、とても可愛らしい掌篇だなと思いました。
 ある薔薇が沢山、咲いている空き家に、若い女先生が引っ越して来るのですが、自分の知らない間に、縁側が拭掃除してあったり、井戸端が綺麗に洗われていて、不思議な事が次々に起きるのです。
 はじめ、女先生はそれを不思議がっていただけだったのですが、親切にしろ、留守の間に、家に入ってくるのを気味悪がり、校長先生に相談するのです。
 すると、女先生が住んでいる家は、幽霊屋敷と呼ばれていると教えられ驚いてしまうのです。
 でも、校長先生は「あすこの幽霊は、決して悪戯をしたり、危害を加えたりするんじゃなくて、住んでいる人に、一生けんめい親切をつくすんだから、心配はありませんよ」と安心させるのです。
 そこで、女先生は眠れない夜、どこからともなく薔薇の香いが、馥郁と流れてきて、安らかな夢に誘ってくれることを思い出すのです。

  
 川端康成は優れた少女小説の書き手でもあったらしく、この作品を読んだ私は甘酸っぱいようなとても幸せな気持ちにひたることが出来ました。


 この本を読むまで、怪談と川端康成はなかなか結びつかなかったのですが、知られざる一面を知って、ますます、川端康成に興味が湧いてきちゃいました。

  
 優れた文学者は「怪談の匠」でもあったのですね。

 それはそうと、今夜、一人でおトイレに行けるか、とても心配・・・(苦笑) 

  

   

「花ざかりの森」「煙草」三島由紀夫

2017-08-19 14:04:08 | 読書

今回は久しぶりに、三島由紀夫のお話です。
三島由紀夫は、十代の頃から小説を書いていて、それらの作品も評価が高いと知り、いつか読んでみたいと思っていました。
そこで、私が選んだのは、十六件の時に書き、雑誌『文藝文化』9月号から12月号に掲載された「花ざかりの森」と、二十一歳の時の「煙草」でした。
まず、「花ざかりの森」ですが、三島由紀夫がこの作品を書いたのは、十六歳の時ですから、少しは理解しやすいかもなと、思っていました。
ところが、いざ読んでみたら、とても十六歳の少年が書いたとは思えないほど、難解で、深い内容に驚いてしまいました。

十六歳で、これを書いたとしたら、天才かも?

実際、当時、この作品を読んだ多くの人が、天才少年現ると、みな一様に驚いたらしいです。

もし、三島由紀夫に否定的な人が、この作品を読んだら、ぐうの音も出なくなってしまうのでは?
それほどの衝撃を受けてしまいました。

初めに気づいたのは語彙の豊富さで、知らない言葉が沢山ありました。
そして、その内容も人生をある程度生きて、人生観や価値観をしっかり持った大人の男性が書いたように思われて仕方ありませんでした。

例えば、追憶についての考察は、こう書いてあります。

追憶はありし日のぬけがらにすぎぬではないか、よしそれが未来への果実のやくめをする場合があったにせよ、それはもう現在をうしなったおとろえた人のためのものではないか、なぞと。・・・けれどもしばらくたつうちに、わたしはそれとは別なかんがえのほうへ楽に移っていった。追憶は「現在」のもっとも清純な証なのだ。愛だとかそれから献身だとか、そんな現実におくためにはあまりに清純すぎるような感情は、追憶なしにはそれを占ったり、それに正しい意味を索めたりすることはできはしないのだ。



私は追憶と言うか、過去の楽しかった思い出ばかり振り返るのも、どうかと思いますが、だけど、確かに過去の思い出があるから、誰かを愛せるのですよね。

そこから、この小説は始まり、語り手の祖先の女性を扱いながら、古代、中世、近世と様々な時代を変遷していく訳ですが、私は女性の憧れと恐れの源泉がどれも海に関係している点に引かれました。
というのも、以前、読んだ「真夏の死」で、海で溺れ死んだ子供の現場に数年後に再び訪れる母親のお話があっのを思い出したからです。
そういう私自身、ずっと内陸で育ったので、海にはある種の憧れと恐れを持っています。
また、女性と海で、私は三好達治の詩の一節が浮かびました。



海よ、僕らの使う文字では、お前の中に母がいる。そして母よ、
 仏蘭西人の言葉では、あなたの中に海がある。

 
そして、私はこの小説に、三島由紀夫の早熟さと知性と唯美主義を強く感じずにはいられませんでした。

また、調べてみると、三島由紀夫の作品が初めて世に出た「花ざかりの森」と、死ぬ間際に完結した「豊饒の海」のラストは静謐さという点で一致しているそうです。
最初と最後が同じだという点、考えさせられるものありますよね?



次に、三島由紀夫が二十一歳の時に書いた短篇「煙草」です。
私がこの作品を読みたかったのは、川端康成が絶賛して、雑誌「人間」に載り、三島由紀夫が文士になるきっかけになったと知ったからです。
この作品を機に、三島由紀夫と川端康成は親しくなり、三島は川端をただ一人師と崇め、結婚式の媒酌人や葬儀委員長も川端康成がつとめたそうです。

そういう訳で読んでみたのですが、こちらはわりと読みやすかったのが、すごく意外でした。

そして、私は川端康成がこの作品を気に入った訳を考えてみたくなりました。
まず、気づいたのは思春期の少年の心理状態をよく掴んでいる点です。
この作品は、学校で、先輩に勧められるままに、煙草を吸い、親や学校にバレたらどうしようという不安や、先輩との奇妙な心の交流を活き活きとした筆致で捉えていて、そこが評価されたのかもと思いました。

それにしても、文章がとても若々しい!

「花ざかりの森」の頃の才能だけで書いていたのと違って、とてもリアルに感じました。

ところで、川端康成の名前を出しましたが、三島由紀夫は若かりし頃、レーモン・ラディゲに深く傾倒していたようです。
そのラディゲの才能をいち早く見抜き、高く評価したのは詩人のジャン・コクトーでした。
また、神童と呼ばれたフランスの詩人アルチュール・ランボーには同じく詩人のヴェルレーヌがいました。
そう考えると、三島由紀夫にとって、川端康成はなくてはならない大切な存在だったのかも知れませんね。

「兵士のアイドル」「妹たちのかがり火」 女性と戦争

2017-08-10 15:14:07 | 読書
先日、原節子さん、ご出演の戦意高揚映画「望楼の決死隊」を書きましたが、私はこれまでにも、彼女が出演した「ハワイ・マレー沖海戦」、「決戦の大空へ」、「上海陸戦隊」を観てきました。
つまり、原節子さんはいくつもの戦意高揚映画にご出演されていたのです。
だけど、戦意高揚映画に出演した女優さんは、ほかにも田中絹代さん、木暮実千代さん、李香蘭として名を馳せた山口淑子さんなど、沢山いらっしゃったようです。
そして、いずれも当時を代表する美人女優さんが多かったみたいです。

原節子



田中絹代



木暮実千代



李香蘭(山口淑子)

ところで、なぜ、彼女らは戦意高揚映画に出演していたのでしょうか?
兵士が勇敢に戦うだけなら、女性を出す必要はまったくないのでは?
ところが、戦時中に兵士向けの慰問雑誌が作られていたのを知り、その謎が解けたのです。
「兵士のアイドル」著者押田信子
著者の押田信子さんは六年かけて、慰問雑誌の研究を続け、この本を書いたそうです。



その慰問雑誌は軍部が発注したもので、陸軍の兵士には「陣中倶楽部」、海軍の兵士には「戦線文庫」がそれぞれ発行されていたとか。



そして、そのいずれの雑誌にも、当時、大人気だった美人女優のグラビアが巻頭を飾り、肌もあらわな水着写真まで載っていて、雑誌の中身は、いまの青年誌にも劣らない艶やかな女性を描いたイラスト、芸能ゴシップ、大衆小説や映画情報、漫才や落語など、さまざまな娯楽コンテンツで満ちていたとか。


なぜ、軍部がそうしたものを兵士向けに発注していたかと云うと、押田さんはそれを、「美しさと、セクシャリティが兵士を元気にするためには必要だった」と指摘しています。

「私の父もシベリア抑留の経験者。だから兵士は若い人というイメージはなかったけれど、よく考えれば、10、20代の若い人が戦地に行っていたんですよ。もともとはアイドルに旗を振っていたような男の子たちですよ」

「そんな人たちが、いつまで続くかわからない戦争に行く。勝てないと帰れない。友人が死に、傷つき、マラリアやコレラなどの流行病になる。そうすると、いちばん疲弊していくのは心ではないでしょうか」

だからこそ、慰問雑誌には「メンタルケア」の役割があったのではないかと、押田さんは推測しています。戦場で疲弊し続ける若い兵士たちに「夢の世界」を提供するものであると。

彼女たちの笑顔は「精神を弛緩させるためのモルヒネ」だったのかもしれません。

これは、美人女優が戦意高揚映画に出演していた理由に、そっくり当てはまらないでしょうか?

そして、美人女優に「戦争、頑張ってね」と言われた方がより戦争に対する張り合いが起きたのかも知れません。


そこから、私は女性から見た戦争についても知りたくなりました。
戦争に関するものは、今も終戦記念日の前によくテレビで放送されていますが、そのほとんどは男性が作ったものですから。
そこで、私は今年の春頃、ブログに書いた「めもあある美術館」の著者、大井三重子さんが編集した「妹たちのかがり火」という文集を読んでみました。
この本には、戦争で、兄を失った妹たちの思い出が綴られています。

まず、この文集が出来た背景から説明しますと、昭和四十四、五年頃、大井三重子さんが新聞を読んでいて、戦死したお兄さんのお話が投書欄にいくつも載っているのに気づいたことから始まったそうです。
そこで、大井三重子さんは自分の気持ちを発表する場を持たない無名の女性たちが話したがっていると感じ、もう少し大きな場所を与えて語らせることは出来ないだろうかと考え、新聞に投書してみたそうです。
すると、溢れんばかりの思いを綴った手紙が何通も大井三重子さんのもとに届いたそうです。
「自分の息子が戦死した兄の年齢に達して、改めてあの頃が思い出される。」「両親や、生前の兄を知っていた人たちが世を去って、兄のことを記憶しているのは私くらいになった。」「こういうことがあったのだと、次の世代に伝えたい。そのためにも、今のうちに兄のことを書いておきたい。」

そういう熱い思いから、この文集は作られたようです。

この「妹たちのかがり火」は第三集まで作られたそうですが、私は第一集に載った四十編のお話を読んでみました。

それには、それぞれの家庭の妹から見た兄が出征してから戦死するまでの様子や、父母の姿が、生々しく書かれ、家族を思う妹の愛情がにじみ出ています。

この文集によると、戦死したほとんどの人が、大正時代に生まれていて、十代から二十代の若さで、召集令状が届いたのを機に戦地に赴いています。
その年齢ですから、みんな将来への夢を持っていました。
また、両親が苦労して育ててくれたので、一生懸命働き、早く楽にさせてあげたいと思っていた人もいたようです。
出征して戦うことに躊躇した人も少なからずいたようですが、そんな息子の姿に渇を入れたのが、父親で、「お国のために尽くす絶好の機会を与えられたのだから、頑張ってこい」と励ます父親が多いのです。
それが、明治気質というものでしょうか。
だけど、戦死したという報せに落胆し、涙する父親の何と多いことでしょう。
おそらく、本音の部分では息子を戦争に征かせたくなかったのかも知れません。

兄が出征する時、負けいくさだから、生きて帰れないだろうと、父母、妹たち家族をみな呼んで、「長い間、お世話になりました。」と言って、覚悟を決め、最後のお別れの挨拶をした人もいたみたいです。
また、長崎の原爆で、家が火事になり、家の下敷きになった母親を助けようとした兄が、どうすることも出来ず、「早く行きなさい。」と母親に言われ、泣く泣く、その場を離れ、そのあと、母親は猛火に包まれ焼け死んでしまった。

その母親のおかげで、兄は何とか命は助かったものの、その数日後に原爆症で亡くなったというお話は戦争の惨さを痛感せずにはいられませんでした。

自分の命より、息子のためを思って死んでいった母親の願いが届かず、可哀想でたまりませんでした・・・

この文集は、ほかにも戦争で亡くなったお兄さんに対する妹たちの思いが溢れていて、どれも胸を打たずにはいられませんでした。


今また、戦争の危機が起ころうとしているこの時期、戦争について、もっと知るべきではないかと、この文集を読んで、強く思わされた次第でした。


「雪国」川端康成

2017-07-31 15:37:28 | 読書
このところ、暑い日が続いていますが、いかがお過ごしでしょうか?


「雪国」
この小説は、川端康成の作品の中では、「伊豆の踊子」とともに、もっともよく知られています。
そして、川端康成が、この作品で、ノーベル文学賞を取ったのは多くの人の知るところです。
そういう私自身、三回ではありますが、もっとも多く読み返した川端作品でもあります。
この小説の書き出しの文章は日本人なら知らない人は誰一人いないと言ってもいいでしょう。

国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。


この一文だけで、汽車が真っ暗なトンネルを抜けて、突然、一面の銀世界が現れた様子が、目に浮かんでくるようです。

ところで、私は「雪国」を、三回、読んだと書きました。
それは、この小説に感動したというより、どうしても解せない部分があって、それを理解するためというのが、主な理由でした。
それは、ひとえに駒子の言動や性格に尽きると言っていいと思います。

芸者の駒子は、都会から来た島村を好きになり、彼の泊まっている宿に足しげく通い、次第に心を許し、打ち解けていくのですが、感情の起伏があまりにも激しい女性として描かれているのです。
私は女性の登場人物にある程度、感情移入して読む癖があって、駒子にもそうしようとしたのですが、私とあまりにもタイプが違いますし、感情の起伏が激し過ぎて、どうしてもついていけず、それが作品そのものの価値まで理解しづらくしていたのです。

でも、最近になって、駒子に感情移入すること自体、間違っていたことに気づいたのです。

そう開き直ったら、少しはこの小説の言わんとしていることが分かったような気がしてきました。

まず、この小説は冒頭の文章にあるように、島村は駒子に一年ぶりに会いに行くのですが、その理由は非日常的な場所や出来事に遭遇したくて、旅に出たのではないかと思います。
だから、川端康成は鳥追祭や、縮れなどの行事や生活文化を丁寧に描写したのではないでしょうか。

つまり、この小説を読むに当たって、一番大切なのは旅情に思いっきりひたることではないでしょうか。

ではなぜ、雪国だったのか?

それは雪の白さと関係あるのではないでしょうか。
雪には色々な見方がありますが、ここでの雪は罪や穢れなど、醜いものを覆い隠すもので、純粋で美しいものの象徴として捉えられているように思うのです。
だとしたら、その雪国にいる人はその雪の美しさに負けないほど、純粋で美しくなければなりませんよね。
それが、駒子その人なのです。

一時間ほどすると、また長い廊下にみだれた足音で、あちこちに突き当たったり倒れたりして来るらしく、「島村さあん、島村さあん。」と、甲高く呼んだ。
「ああ、見えない。島村さあん。」
それはまぎれもなく女の裸の心が自分の男を呼ぶ声であった。

ここの部分を読むと、恥も外聞もなく、心の底から島村を欲している様子が痛々しいほど伝わってくるようです。


そして、駒子の感情の起伏が激しいのは、添い遂げられるはずもない島村に対するやるせない思いからだったのではないでしょうか。




ところで、この小説には駒子とは別に、葉子という美しい女性が出てきます。

駒子には行雄という許嫁があったのですが、病身にあり、その面倒をよく見ているのが、葉子なんです。

この二人はどうした訳かあまり仲がよくありません。
駒子が行雄に冷たいのが、葉子には気に食わないみたいですが、ほかにも理由がありそうです。

川端康成のあとがきによると、駒子は越後湯沢の温泉に実在していた芸者をモデルにしたそうですが、葉子は架空の女性らしいのです。

そこに、私はこの小説の秘密の一端を知る思いがしました。


駒子は確かに純粋で美しいかも知れないけれど、すごいこだわりがあって、しかも何かが欠けている。

そうしたものを、川端康成は、葉子という架空の女性で表現したかったのではないでしょうか?

でも、川端康成は駒子の葉子に対する気持ちをそのままにしておくのを、良しとしなかった。
そこで、映画を観ていた葉子が火事に巻き込まれるという事件を必要としたのかも知れません。

駒子は我が身の危険も顧みず、葉子を必死に助けようとするのですから。

そうして、駒子は生死を分けるほどの大事件をきっかけに、初めて自分に素直になることが出来たのでは。

ところで、私は駒子と葉子の二人の女性で、ちょっと前に読んだ「古都」の千重子と苗子の双子の姉妹を思い出さずにはいられませんでした。

駒子と葉子はあまり仲がよくなかったですが、千重子と苗子はとっても仲がよかったです。
だけど、千重子が苗子と一緒に住もうと言った時、苗子は境遇の違いを理由に、千重子の前を去っていくのです。


「雪国」の駒子と葉子と、「古都」の千重子と苗子は相手に対する気持ちに違いはありますが、決して相容れることの出来ない、はかない宿命のようなものを感じずにはいられないのです。


この小説を読んだ私は二つの映画版も観てみることにしました。
まず、1957年製作の岸恵子主演の「雪国」から。

この映画の豊田四郎監督は文芸ものの名作をいくつも撮っているそうですし、脚本家は後年、日本シナリオ作家協会の理事長を務めた八住利雄氏ですから、並々ならぬ決意で作られたようです。

これを観て、私が最初に驚いたのは島村を演じた池辺良さんでした。
私は島村は、川端康成に似た人を想像していたのですが、池辺良さんの島村は美男子過ぎて、知的なイメージがちょっと感じられませんでした。(苦笑)
対する駒子を演じた岸恵子さんですが、どうしても可愛い子ぶりっ子してるようにしか見えなくて、裸の心で、島村にぶつかっている駒子とは、やはり、ちょっと違うような気がしました。(苦笑)
だけど、岸恵子さんは山口百恵さん主演の映画「古都」では、千重子の養母の役で、女の嫌な面もはっきり演じていましたから、やはり、立派な女優さんだと思います。



葉子は八千草薫さんが演じていらして、この人の演技が一番、原作に合っているように思いました。

美しくて、純粋で、常に真剣に生きているという意味において。
半面、ストーリーはわりと原作に忠実で、雪国の様子もよく描写されていて、とくに言うことはなかったですが、小説で丁寧に書かれたところがあっさり描かれていたので、ナレーションで文章の素晴らしさも取り入れてくれたら、もっと良かったかもと思いました。

もしかしたら、小説とは違う映画の魅力を追求したくて、あえてそうしたのかも知れないのですが。

あと、原作にわりと忠実と思っていたら、火事のあとの続きがあって、ちょっと驚いちゃいました。
唐突に終るという印象を防ぐためだったのでしょうか?


次に観たのが、1965年製作の岩下志麻さん主演の映画版です。

この映画でも、私はまず、島村を演じた木村功さんに注目したのですが、その前の池辺良さんがあまりにも美男子過ぎたので、ニヤニヤして現れた木村功さんには正直、ちょっとがっかりしちゃいました。(苦笑)

でも、木村功さんといえば、
黒澤明監督の「七人の侍」で、魅力ある若武者を演じていますし、亡くなられた時、奥さまが思い出を綴った「功 大好き」が大ベストセラーになりましたので、素敵な人だったのでしょうね。
対する駒子役の岩下志麻さんは匂い立つようなお色気があり、演技も堂々としていて、この頃から大女優の雰囲気を漂わせていたことに驚いてしまいました。
駒子の役も、ぴったりだなと思いました。

葉子の役は加賀まりこさんが演じていらしたのですが、ちょっと私のイメージと違っていたものの真剣に生きている感じはよく出ていたと思いました。


ネットで紹介されていたところによると、川端康成は、シナリオは大事だが原作を追うのではなく自由にやって欲しいと言い、忠実すぎたり、文芸映画ではつまらないというようなことも語っていたそうです。

私は映画の「雪国」を観て、映画の魅力は映像表現に尽きるのかも知れないなと思わされた次第でした。