奈々の これが私の生きる道!

映画や読書のお話、日々のあれこれを気ままに綴っています

漫画「はだしのゲン」と「ブラック・ジャック」未収録作品

2013-08-28 22:48:50 | 読書



 お盆過ぎに、大変、驚いたニュースがありました。
それは漫画「はだしのゲン」の閲覧制限を、松江市の教育委員会が決定し、市内の小中学校で、ほとんどの学校がその要請に従っていたというニュースでした。

 あの漫画は原爆を実際に体験された中沢啓治さんが描いた貴重な作品で、核兵器の恐ろしさや戦争の狂気を考えるうえで、とても素晴らしい作品だと思っていたからです。

 しかも、原爆のおかげで戦争が終結したと肯定的している当事国のアメリカでも約2000の学校で教材として使われ、核兵器の恐ろしさを学んでいるとニュースで聞いたばかりだったからです。

 なんでも松江市の教育委員会は、この漫画の暴力や殺害など過激な描写が、トラウマになったり、面白おかしく捉える子供がいるのではという判断から、制約をかけたとか。


 それに対し、作品を海外に広めてきたグループの代表の浅妻南海江さんは、「大人も子供もゲンを通して被爆を追体験し、戦争の愚かさを学んできた。」と語り、「ゲンによって初めて多くの外国人が被爆の実相にふれている。米国からは「きのこ雲の下にどれだけの人がいたかを想像していなかった。」という感想が多く寄せられ、ロシアでは科学者でさえも「核兵器は恐ろしい。二度と使用してはならない」と書いた手紙が浅妻さんのもとに届けられたそうです。

この問題、どう発展するのか、私は固唾を呑んで、注目していたのですが、去る26日に、閉架措置を撤回するというニュースにほっとした私でした。

 私も、人の親として、「はだしのゲン」の過激な描写が気にならない訳ではないのですが、大切なのは作者の中沢啓治さんが、どんな思いで、この場面を描いたかという事を考えなければならないと思うのです。

 「はだしのゲン」は、原爆の恐ろしさや、戦争の狂気を描いたはずなのに、過激な描写だけを取り上げて、歪んだ解釈をされてしまったのです。

 
 でも、こうした事は往々にしてあるのかも知れません。

 作家の筒井康隆さんは、そういうつもりで書いた訳ではないのに、ある病気の人を傷つけたと訴えられ、その病気の団体からクレームをつけられ、断筆宣言した事がありました。

 栗本薫さんは「グイン・サーガ」を執筆していた時、ある障害を持った方に、クレームをつけられ、お詫びの文章を書いて、キャラクターを健常者に書き直した事がありました。

 病気や身体的な障害の人を扱うのは、なかなか難しいものがあるのでしょうね。

 
 実は、私が尊敬する手塚治虫先生の「ブラック・ジャック」にも、クレームをつけられて書き直したり、時代の変化とともに差別用語に抵触して、自主的に削除したエピソードなどがあるそうです。

 「ブラック・ジャック」のオリジナルの秋田書店の少年チャンピオン・コミックスは全25巻あるのですが、その後に出版された文庫版や愛蔵版は17巻とか、22巻くらいしかありません。
 その理由は、1巻あたりのページ数が増えたというのもありますが、版を重ねたり、出版社を変えるごとに、少しづつエピソードが削除されたからだそうです。


 では、どのエピソードが削除されたり、書きなおされたのでしょう?


 日付は、漫画週刊誌「少年チャンピオン」に掲載された時期を表しています。
 1974年5月 
 「血がとまらない」

 1974年6月
 「指」

 1974年8月
 「しずむ女」


 1974年8月
 「2人のジャン」


 1974年9月
 「植物人間」

 1975年1月
 「快楽の座」

 1975年6月
 「水頭症」

 1976年6月
 「最後に残る者」

 1976年9月
 「魔女裁判」

 1977年5月
 「壁」

 1978年4月
 「落下物」


 ほかにも、こんなエピソードがあるそうです。

 「金!金!金!」


 「不死鳥」

 「おとずれた思い出」

 「ふたりの修二」

 「パク船長」

 「ドラキュラに捧ぐ」

 「デカの心臓」

 「3度目の正直」

 「きみのミスだ!」

 「失われた青春」

 「信号」

 「キモダメシ」


 
 すごく多いですよね?


 私も調べて、びっくりしました。


 でも、最近、発売された「ブラック・ジャック大全集」は、そうした問題を克服し、これまでで、もっとも多くのエピソードを載せているらしいです。

 しかし、それでも、この3つのエピソードは、どうしても載せられなかったとか。


 「指」

 「植物人間」

 「快楽の座」


 そこで疑問に思ったのは、私は読んだ事がないのか?という事です。

 私は「ブラック・ジャック」を、初めて発表された少年チャンピオンで、リアルタイムで読んでるんです。

 だから、もしかしたら読んでるかも知れないのですが、恥ずかしながらタイトルだけでは読んだかどうか思い出せなかったのです。


 でも、ネットで調べてみたら、「指」と「植物人間」を読んでいたとわかったんです!


 しかも、「植物人間」は、フェリーの衝突事故で、母親の意識がなくなり、母親の脳が生きているのを信じたい息子が、ブラック・ジャックに手術を受けて、母親と心を通わせるというストーリーで、親子の愛情に涙ぐんだ思い出のあるエピソードだったのです。


 このエピソードはオリジナルの少年チャンピオン・コミックスの4巻に収録されていましたが、18版か19版を刷ったあたりで削除され、別のエピソードに変えられてしまったのです。

 このエピソードが、今なお収録されない理由は、手術の方法に問題があるからだそうですが、それ以外はとってもいいお話のように、私には思えるのです。




 「ブラック・ジャック」の未収録作品には、それなりの理由があるとは思いますが、創作する事の難しさと、作者の思いを正しく理解する事の大切さを、今回の「はだしのゲン」の問題で思わずにはいられませんでした。







   



 


 

映画「飾窓の女」フリッツ・ラング

2013-08-23 02:36:49 | 映画・テレビ
 

この映画は、どこか奇妙に思えてなりませんでした。

 監督は、SF映画の原点にして頂点と言わしめた不朽の名作「メトロポリス」や、ナチス

の残忍で非人道的な側面を鮮やかに切り裂いた「死刑執行人もまた死す」を撮った名匠フ

リッツ・ラング。

 とくに、「メトロポリス」はサイレント映画の表現方法を芸術の粋まで高め、100年

先の未来を圧倒的なスケールと、空前絶後の想像力で描いた名作映画でご存じない方はい

らっしゃらないと思います。

 だからこそ、私はそれ相応の映画だと思って、この映画の鑑賞に臨んだ訳です。

 でも、観ているうちに、この映画は芸術性より、サスペンスの要素をふんだんに盛り込

んだ娯楽作品の部類に属する映画だなと、すぐに気づきました。

 ですけど、どうしても腑に落ちない点があるのです。

 それを説明する前に、この映画のストーリーを簡単にご説明しますね。

 大学で、犯罪学を教えている助教授のR・ウォーリーは家庭を大切にする生真面目な性

格の人物だった。

 そんな彼を、友人達は「堅物め、たまにはハメを外したらどうだ」、とからかい、その

帰途、街角のショーウインドウに飾ってあった女性の肖像画を見ていたところ、そのモデ

ルの女性アリスに、遊ばない?と誘われるのです。
 

 そこで、友人達を見返そうという気持ちもあってか、深夜の午前1時頃、彼女のアパー

トについていくのです。
 

 ウォーリーが、彼女に言われるままソファーでくつろいでいると、突然、男が部屋に現

れ、いきなり襲いかかって来て、命の危険を感じた彼は無我夢中で、男をハサミで刺殺し

てしまうのです。

 正当防衛だったと正直に言って、自首すべきだろうか?


 でも、警察は認めてくれても、私の人生は台無しになるだろうと、ウォーリーは思い悩

み、深夜で誰も見ていないのをいい事に、アリスと共謀して、男の死体を森に捨てに行く

のです。

 そしてアパートの部屋の男の血痕や、髪の毛など、入念に掃除するようアリスに言いつ

けるのですが、当のウォーリー本人は死体を森に捨てる際に、鉄条網でスーツを破いたり

、腕をうるしで傷つけてしまうのです。

 その後、経済界の大物が行方不明で、懸賞金1000ドルがかけられているというニュ

ースで、殺した男の素性が判明し、死体もボーイスカウトの少年に発見されてしまいます



 これだけでも、ウォーリーは気が気でならなくなるのですが、友人に、運悪くこの事件

を担当するケネディ警部という人物がいて、彼と会話をしたり、事件現場に共に足を運ん

だりするうちに、犯人でしか知り得ない情報を口走ったり、死体を遺棄したところを進ん

で案内したりして、自らを窮地に追い込んでしまうのです。
 
そんな二人にどんな展開が待ち受けているのか?というのが、おおまかなストーリーです


 

 この映画で、私が疑問なのは、なぜ主人公が二枚目にほど遠く、同情の余地はあるもの

の、一応犯罪をおかしている訳ですから、心底、応援する気にはなれないですし、しかも

ヘマばかりやらかす点です。


 そして、相手役のヒロインを、助教授の主人公に「私と遊ばない?」と、平気で言う軽

々しい女性に、なぜしなければならなかったのでしょうか?

 そういう訳で、この映画を女性が観た場合、主人公に、あまり好感を持てませんし、ヒ

ロインはたしかに美しいですが、色仕掛けで男性を誘惑する点で、とても感情移入出来な

いキャラクターになっているのです。

 だから、どちらにも好感は持てないのです。(笑)


 しかも、大学で犯罪学を教えている助教授が事件に巻き込まれ、事もあろうか、その事

件を担当する警部が友人で、行動をともにするなんて、あまりにも出来過ぎたお話に思え

て仕方ないのです。

これは一歩間違えばコメディですよね?


 ところが、この映画はフィルム・ノワールとしての位置づけにあるそうなのです。


 フィルム・ノワールとは、虚無的・悲観的・退廃的な指向を持った犯罪映画の総称で、

特徴としてはドイツ表現主義にも通じる影やコントラストを多用した色調やセットで撮影

され、行き場のない閉塞感が作品全体を覆っているものが多いそうです。

 また、多くのフィルム・ノワールには男を堕落させるファム・ファタル(運命の女・危

険な女)や、私立探偵・警官・判事・富裕層の市民・弁護士・ギャング・無法者が登場す

るとか。

 そう言われれば、確かにその条件を満たしてると言えなくもないです。


 でも、私はこの映画にはフリッツ・ラングが、別に言いたい事が隠されているように思

えて仕方ないのです。


 例えば、フリッツ・ラングはある女に言い寄られていて、縁を切りたいために、この映

画を作ったのではないか?(笑)
 そう思わせるくらいフリッツ・ラングという人は美形なんです♪ 

 
だから、主人公をかどわかす女性が登場し、その甘言に乗ったがために、危険な目にあ

い、都合の悪い事が連続して起こり、臆病でヘマばかりやらかして、最後は死にまで追い

詰められそうになる。

 そして、多くの女性が少女の頃に好きだった「不思議の国のアリス」を彷彿されるよう

なラストにしたのでは?
 

 この映画を、フリッツ・ラングに観せられた女性はハラハラ・ドキドキしながらも、こ

のラストで、別れるのを承諾した気がします。(笑)


 それと、もう一つ考えられるのは、主人公を演じたエドワード・G・ロビンソンのイメ

ージ・チェンジをはかるためではなかったかという線です。

 エドワード・G・ロビンソンはこの映画では、大学で犯罪学を教える助教授という一見

、真面目人間を演じてますが、若い頃は「犯罪者リコ」に主演して、ギャング映画に欠か

せない存在となり、だみ声と、ふてぶてしい悪役向けの人相で、ギャング役としての知名

度が高かったそうなのです。

 しかし、そうなるとプライベートで都合の悪い事が沢山あったのではないでしょうか?

 演技だけじゃなく、本当に悪人だと思われて、みんなに嫌われ、家に届くのはファンレ

ターどころか、脅迫状まがいの手紙ばかり送りつけられ、ほとほと困り果てていたのでは



 そこで、フリッツ・ラングに泣きついて、臆病で、ヘマばかりやらかす主人公をさせて

くれと頼み、この映画を観た観客は大笑いして、見事にイメージ・チェンジを果たし、映

画自体も大ヒットした。


 だから、この映画の主人公エドワード・G・ロビンソンと、ファム・ファタルのジョー

ン・ベネットと、脅迫する男を演じたダン・デュリエという同じキャストで、1年後に「

スカーレット・ストリート」という映画をフリッツ・ラングは撮ったのではないでしょう

か?

 
 虚無的・悲観的・退廃的な趣きと、コメディ的な要素がない混ぜになった不可思議なこ

の映画を、あなたはどうご覧になりますか♪ 

 



    



漫画少年版「ジャングル大帝」手塚治虫

2013-08-17 20:38:40 | 読書




 先日、鹿児島の手塚治虫展に行って、すっかり感激した私は、手塚先生の作品を読んでみ
たくなっちゃいました♪


そこで、私が選んだのは、前々から読みたかった漫画少年版の「ジャングル大帝」でした。


ジャングル大帝


それは私が幼い頃、夢中で観ていたテレビアニメのタイトルであり、1977年に刊行が始
まった手塚治虫漫画全集の記念すべき第1号だったのです。

この漫画を皮切りに、それまで読むのは叶わないと思っていた幻の手塚作品が次々に刊行さ
れて、私はどれほど喜んだ事でしょう・・・(涙)


そういう訳で、すごく感激して読んだのですが、確かに素晴らしい作品には違いないものの
、何か少しチグハグな印象を持ったのです。


どうしてでしょう?



その訳は第3巻の手塚先生自身による後書きに書いてありました。


最初に描いた「ジャングル大帝」の原稿はテレビアニメのスタッフが、絵の練習をしたいと
言って持ち出し、そのスタッフが急死したために、行方知れずになり、手塚先生は我が子の
ように大事な「ジャングル大帝」の原稿を失った悲しみで、声をあげて泣かれたとか。

その後、当時の印刷技術で、出版物から復刻するには大変な費用がかかるというので断念さ
れ、紛失した原稿、つまり前半のほとんどをあらたに書き直す事にしたそうなのです。

しかし、最初に漫画少年に描いたのが、昭和25年で、15年の歳月が経っており、どうし
ても当時の絵のような味は出せなかった。


だから、ところどころスピード感や絵のタッチが違ってて、私が読んでもチグハグに思えち
ゃった訳。


そういう訳で、最初に発表された漫画少年版で読めたらなと、ずっと淡い気持ちを持ち続け
てたんです。
無理だろうなという気持ちの方が強かったですけど。


しか~し!

そんな事なんか、すっかり忘れてたこの年齢になって、印刷技術の向上と、漫画少年版を読
みたいというファンの熱い思いが結実し、ついに実現しちゃった訳なのであります!


ブラボー!

ブラボー!


ありがとうございます!


これもひとえに皆さんのおかげです。(涙)


ところが、どこにでも不埒な輩はいるもので、この漫画少年版にケチをつけた人がいるんで
す!

その人によると、テレビアニメでも胸を熱くした描き直し版の、レオが海を泳いで、蝶々の
群れに導かれてアフリカ大陸を目指す場面が描かれてないとか、ラストのレオに似た雲の場
面がちっちゃくて、もの足りないとか、スピード感がまるでないとか、いろいろ不満を書き
並べていたんです。

ようするに、手塚先生が若い頃に描いた漫画少年版より、ベテランになって円熟した腕で、
後年描き直した方が優れてると。


ええ!そうなの?

そんな感想を聞いて、ぐらつく私。(苦笑)


でも、もしかしたらそうかも知れない。


私がぐらついた理由は、「リボンの騎士」の少女クラブ版と、なかよし版が頭をよぎったか
らなんです。


この両者を比較すると、最初の少女クラブ版は絵が小さくて、ちまちました印象があり、大
事な場面もあっけない描き方がしてあって、どう見ても後年描かれたなかよし版の方が優れ
ていると思えてならないのです。


という事は、やはり「ジャングル大帝」も、大ベテランになって、腕が上達した描き直し版
の方が優れてるのでしょうか?


描き直し版での名場面はなくても、漫画少年版には漫画少年版の良さはないのでしょうか?


一体、どうなってるの~!


これは読んで、確かめるしかないですよね?(笑)


そこでネットで、中古を半額以下で手に入れて読んでみました!



なに~!

それでも手塚治虫の大ファンか~!
なぜ、正規のルートで手に入れん!!


きゃー!

お許しあれ~!!(笑)




この「ジャングル大帝」は昭和25年に漫画少年という雑誌で連載がスタートし、昭和29
年まで続いたパンジャ、レオ、ルネの親子三代にわたる大長編ストーリー漫画です。

まず、初めに感じたのは一コマの中に登場人物や動物の全身がたくさん描いてあり、その影
響で小さく見える。
内容が濃密で、少ないページでいくつもエピソードが繰り広げられる。

大事な場面の見せ方はたしかにあっけない気がしないでもない。


う~ん、不吉な予感が・・・(苦笑)


しかし、読み進めていくうちに、キャラクターの丁寧な描き分けがなされていて、それらの
キャラクターのエピソードが主要なストーリーと、時に並行し、時に交錯して、とても緻密
に展開して、最初の不満はどこへやら、だんだん引き込まれて、時間が経つのも忘れて、夢
中で読んじゃいました♪



この作品には人生の様々な要素がたくさん盛り込まれています。

まず、漫画なのに、主人公のレオがだんだん成長していくところも目を引きますね。


レオは、百獣の王ライオン、パンジャの子供として生まれた時はすでに父親は亡くなってい
て、生まれて、すぐに母親にも死なれ、人間の世話になったのをきっかけに、人間界に興味
を持つようになるのです。

それに、ケン一やメリー(女王コンガ)、ハム・エッグ、アセチレン・ランプ、ヒゲオヤジ
などの登場人物や、動物ではレオの妃ライヤとの愛情物語、同じライオンでありながら敵対
するブブと黒豹のトット、人間の真似をするレオに反対するバグーラ、ムーン山に住むマン
モスのおふくろさんらがレオと絡み、大陸移動説の謎を解く月光石をめぐって、ストーリー
が展開していくのです。



読み終わった私の瞳にはいつしか涙が・・・


手塚先生はこの作品を通じて、読者にこう訴えたかったそうです。



私が描こうとしたのは、大自然と生き物との絶える事のない闘争と征服と挫折の歴史でした

「国破れて山河あり」という言葉通り、この物語のクライマックスは、最後のムーン山に挑
んだ主役達が、ほとんど死んでしまいます。
しかし、それは宿命的な悲壮感よりも未来への期待を歌い上げて終わりたかったのです。
滅びても消え去っても、なお新しい生命が自然に向かって挑む姿に敬意を表したかったので
す。




登場するキャラクターが多く、人生の深淵にまで到達した複雑で優れた作品を、誰でも楽し
めるように娯楽性豊かな子供の読みものにした手塚治虫先生の偉業に、あらためて敬服した
私でした♪








    


















手塚治虫展に行ってきました♪

2013-08-16 09:11:43 | Weblog


昨日の8月15日、今、鹿児島の長島美術館で開催されている「手塚治虫展」に行ってきました。
そこで、今回はそのお話をしたいと思います。
私がそれを知ったのは今月の初めで、手塚ファンの私としては、たとえどんなに障害が襲いかかろうとも死んでも行かなくちゃと、固く心に誓い、ようやく昨日、実現させたのです。

ちょっと、オーバーですか?

でも、聞いてください。
私がそう思ったのは、結婚してこのかた、お盆に遠出した事が一度もなかったからなんです。
お盆というのは、あなたもご存知のようにご先祖様を供養するために設けられたイベントな訳でして、お墓参りとともに、実家に帰ったり、めったに会わない兄弟や親戚と会ったりする事が多く、なかなか遊びに行くチャン
スに恵まれなかったんです。
ですから、万難を排して、手塚治虫展に行ったというのは、私の場合、決してオーバーな表現ではなかったんです。(笑)
そういう訳で、昨日の午後、ようやく時間がとれて、車でカーナビを頼りに行ってきました。
お盆に遠出した事のない私が、道中、まず気づいたのは、お休みしているお店が殆どないという事でした。
昔はお正月と一緒で、お休みにするお店が多くて、せっかく遊びに行っても、がっかりという事がままあったのです。
お店が開いてるのは、お客の立場としては嬉しいですが、働いてる人はどんな気持ちなんでしょう?
休日出勤手当とかあって、がっぽり儲かるのなら、まあ、いいか♪という気持ちにもなるかも知れませんが、果たして?

それはともかく入場券をどこで手に入れるかというのが、ちょっと悩みの種でした。

ネットで紹介されている手塚治虫展のページを開くと、チケットぴあでも購入出来ると書いてあります。
チケットぴあといえば、コンビニでも見たような?
そこで、磯庭園を過ぎて、すぐのセブン-イレブンで、マルチコピー機を操作して、申込書を作成しました。

これも初めてだったんです!(笑)

だけど、電話番号とか名前まで入力しなけれがいけないなんて、どうしてなの?

私の個人情報、大丈夫かしら?(笑)

そうやって案内に従い、なんとか無事、申込書がコピー機から出てきて、それをレジに持って行って、入場券と引き換えてもらいました。
だったら、最初から店員さんに、「入場券をちょうだい」ではダメなのかしら?

イマイチ、世の中の仕組みがわかりません。(苦笑)

そこから、長島美術館まで、あと少しです。

長島美術館は初めて行ったのですが、山の上みたいな高いところにあるのですね。
狭い曲がりくねった道をどんどん登っていったら、大きな墓地が出てきました。
お墓参りの人が何人もいます。

そこを過ぎて、長島美術館にようやく到着しました。

すると、駐車場は満杯で、道路にまで車があふれてるではありませんか!

さすが、漫画の神様、手塚治虫先生!

今でも多くの人に愛されてるのだわ。(涙)

私は、手塚先生の作品にふれる前に、駐車場の車の多さを見ただけで、涙がこみ上げてくるのを抑えられませんでした。(苦笑)

そんな私に警備員さんが、「あっちあっち」と、ちょうど空いた駐車スペースに案内して下さいました。

手塚治虫展は、本館と別館の両方でやっているらしく、かなりの量みたいです。
まず、本館のドアを開けて入ったら、手塚作品のグッズを売るコーナーが設けてありました。
実は、今回、手塚治虫展に来たかったのはグッズを買うのも目的のひとつだったのです。
私は、手塚先生のファンのわりにはグッズには興味はなくて、ただのひとつも持っていないのです。
著書はたくさん持ってるんですけどね。

そこには、いろんなグッズが売られていました。
絵葉書・耳かき・携帯ストラップ・タンブラー・クリアファイル・ペン・お人形などなど。
誰かが、少し前にご紹介してらしたホログラムのアトムのTシャツも、4000円ちょっとでありました。
ヒョウタンツギは2600円くらいで。(笑)

私は、どれを買おう?

そこには手塚先生の著書もたくさん売られていて、手塚治虫文庫全集はもとより、漫画少年版の「ジャングル大帝」や「手塚治虫全史」や、「花とあらくれ」という手塚先生が貸本のために描かれた珍しい劇画までありました。
そのなかで、私が選んだのは、手塚治虫展でしか販売していない手塚先生の漫画とアニメの業績を綴ったカラーページ盛り沢山の本でした。

それと、「火の鳥」と「鉄腕アトム」と「ジャングル大帝」のホログラムの絵葉書です。
これは絵葉書としてではなく、本の栞にしようと思いまして。

さて、グッズを買い込んだ私は勇んで会場のある地下に降りて、そこで待望の手塚先生の作品にご対面しました♪

手塚治虫展が開催された理由は、テレビアニメの「鉄腕アトム」放送50周年と、秋に公開される映画「ブッダ」を記念してだそうです。

そこには、手塚先生の有名な「火の鳥」「鉄腕アトム」「ジャングル大帝」「リボンの騎士」を始め、初期の傑作「メトロポリス」「来るべき世界」、そして晩年の「ネオ・ファウスト」「グリンゴ」「ルードウィヒ・B」まで沢山の原画が展示してありました。
それを見ただけで、手塚先生の審美眼といいますか、芸術性、ひいては天才性がよ~く伝わってきました!

そのほか手塚先生の子供の頃の8ミリフィルムや、宝塚の手塚治虫記念館でしか観られない手塚先生の業績を紹介した約26分の貴重な映像も上映されていました。
また、アニメの分野でも、初めての国産テレビアニメ「鉄腕アトム」を作った時のご苦労とか、初の大人向け劇場アニメ「千夜一夜物語」を作った時のエピソードとか、アニメ界にも多大な業績を残された事が紹介されていました。
そこを見終わって、別館に行ったら、ブラック・ジャックと「リボンの騎士」のサファイアが出迎えてくれました。



こちらでは、この秋に公開される映画「ブッダ」や、手塚先生のその他の業績がご紹介されていました。

ほかに来てらした私と同年輩の人から若い人までも熱心にパネルや映像に見入っていて、手塚作品、今なお健在とあらためて知り、それも涙がこぼれるくらい嬉しかったです。


こうして、夢のような時間はあっという間に過ぎ、まだまだいたいのに閉館時間の5時が迫ってきたので、仕方なしに帰る事にしました。(苦笑)

しかし、せっかく鹿児島まで来た事ですし、このまま帰るのももったいないなと思い、観覧車のある鹿児島中央

駅を通ってみる事にしました。

帰る方角でしたし、長島美術館からわりあい近かったんです♪

ところが、何をどう間違えたのか、ただ近くを車で通るだけのつもりが鹿児島中央駅の駐車場に入っちゃったんです!

引き返そうにも、あとから車が来ちゃったので、駐車場に入るしかなかったんです。(苦笑)

仕方ない、ちょっとだけ駅を見てみようかな?

ここも初めてだったんです。(笑)

一階には、大型家電量販店のビックカメラがあり、二階におみやげ屋さんがいくつもありました。
でも、別に何かを買おうと思っていたわけではないので、隣のファミリーマートでコーヒーを買っただけで、早々に引き上げちゃいました。

そのあと、帰る道々、錦江湾から桜島が見えましたが、霞んでいて、よく見えなかったのが残念でした。



そんなこんなで、ちょっとしたアクシデントもありましたが、尊敬する手塚先生の作品展を観られて、至福のひとときを過ごす事が出来ました。


あらためて、手塚治虫先生の偉大さを実感した私でした。




おしまい♪



















平山亨さんを偲んで「ジャイアントロボ」

2013-08-13 19:11:08 | 映画・テレビ


去る7月31日、東映の元テレビプロデューサー平山亨さんが亡くなられました。(享年

84歳)
平山亨さんは、数多くの特撮番組を手がけられ、様々な特撮ヒーローを生み出してこられ

ました。


悪魔くん

河童の三平妖怪大作戦

仮面の忍者 赤影

ジャイアントロボ

キャプテン・ウルトラ

仮面ライダー・シリーズ

スーパー戦隊シリーズ

変身忍者嵐

人造人間キカイダー

ロボット刑事

イナズマン

がんばれロボコン

宇宙鉄人キョーダイン

快傑ズバット

超人バロム・1

コンドールマン


数えあげれば、きりがありません。


仮面ライダーにおいては、主演の藤岡弘さんが、第9話と10話の撮影中に、大怪我をし

て、出演続行が不可能となり、緊急企画会議の場で毎日放送側やスタッフが、本郷猛死亡

案を提出し、その案に一時、傾いたそうです。
しかし、平山亨さんは「子供たちのオールマイティの夢をこわす訳にいかない」と猛反対

し、今も続く仮面ライダー・シリーズの礎を作った人としても有名らしいです。


そこで、今回は平山亨さんを偲び、「ジャイアントロボ」のお話をさせていただきたいと

思います。

その訳は、2年ほど前に、漫画家の横山光輝さんの大ファンというお二人と知り合い、お

近づきのしるしに、「ジャイアントロボ」のお話をさせていただいた事があり、その時、

最終回のジャイアントロボと草間大作少年との別れが、多くの少年少女の涙を誘ったと知

り、いつか観てみたいと思っていたのです。
しかも、プロデューサーの平山亨さんもこの別れの場面で、試写の時に人目をはばからず

、号泣したというエピソードがあるそうなのです。


「仮面ライダー」のエピソードといい、「ジャイアントロボ」といい、平山亨さんのあた

たかい人柄と、誠実さが感じられるようですよね?

ところで、この「ジャイアントロボ」がどんな番組だったのかご存じない方のためにウィ

キペディアを参考に少しあらすじをご紹介しますね。

空飛ぶ円盤に乗って地球に来たギロチン帝王は、秘密結社BF団を結成し、地球征服を開始

した。
巨大ロボット、ジャイアントロボはその尖兵とするために開発された秘密兵器である。
しかし、設計者であるドクトル・ガルチュアはその陰謀を阻止するべく、腕時計型の操縦

システムを偶然、BF団に捕らわれていた草間大作少年に託し、絶命する。
この操縦システムは音声登録・認識式で、初起動の際に声を登録した者の命令にしか従わ

ない仕組みになっていた。
かくて、草間大作少年は地球を守るために、国連秘密警察機構・ユニコーンの隊員U7とな

り、ジャイアントロボとともにBF団と戦うのだ。


これが、簡単なあらすじですが、ロボットと少年の交流というストーリーが、少年だけで

なく、当時の少女達も惹きつけたそうなのです。
今回、私が観ても、やはりその部分が強く胸を打ちました。

この番組は子供向けなので、親しみやすいように小学校高学年の草間大作少年にジャイア

ントロボを動かす設定にしたと思うのですが、大人の私が観ると凛々しくて可愛らしく見

えちゃうんです♪
その汚れのない純水無垢な草間大作少年が巨大ロボット・ジャイアントロボを動かすとこ

ろに神々しさみたいなものまで感じちゃうんです♪



では、この番組の最終回はどうなっているのでしょう?

タイトル、「ギロチン最後の日」

主題歌
作詞伊上勝  作曲山下毅雄


♪ダダダダ ダダダダ

輝く太陽 背にうけて 

鉄の巨人の叫び声

勝利の凱歌だ 正義の旗だ

進め ジャイアントロボ

立て ジャイアントロボ

進め ジャイアントロボ

立て ジャイアントロボ

進め ジャイアントロボ

立て ジャイアントロボ

進め ジャイアントロボ

立て ジャイアントロボ

進め ジャイアントロボ

立て ジャイアントロボ




長い間、ギロチン帝王と戦ってきた草間大作少年とジャイアントロボはついに最後の戦い

の日がやって来た。

大作少年はギロチン帝王の放ったスナイパー・テロリンに銃で狙撃されてしまい、病院に

運ばれる。
しかし、大作少年は防弾チョッキのおかげで命に別状はなかった。
テロリンは今度こそ息の根を止めようと、病室のベッドで寝ている大作少年をサイレンサ

ー銃で撃ち、確かめもせずに死んだものと思い、車で逃走を図る。
だが、これも失敗し、大作少年は生きていて、テロリンの車に潜んでいた。
ところが、ギロチン帝王はすべてお見通しで、テロリン共々大作少年を怪獣ガンモンスに

襲わせるつもりだったのだ。

危うし、大作少年!

もうだめだと思われたその時、大作少年に呼ばれたジャイアントロボが助けに来て、ガン

モンスを一網打尽に叩き伏せる。

しかし、ガンモンスをやられたギロチン帝王はなぜか不敵な笑いを浮かべるのだ。
戦いに勝利した大作少年とジャイアントロボは帰る途中、謎の宇宙船に遭遇する。
と、その時、地上からBF団に銃を乱射される。
BF団のいる場所こそ、彼らのアジトだったのだ。
そこへ二頭の怪獣が現れ、ジャイアントロボは力の限り戦うのだが、更に巨大化したギロ

チン帝王まで現れる。

ところが、大作少年がどんなにジャイアントロボに呼びかけてギロチン帝王と戦うように

命令しても、びくとも動かない。

ギロチン帝王は言う。

今まで、怪獣をジャイアントロボと戦わせていたのは、ジャイアントロボのエネルギーを

使い果たすのが目的だったのだ。
わしの体は原子力エネルギーのかたまりだから、わしが爆発すれば、地球は木っ端微塵に

なってしまうぞ。


ジャイアントロボは動く事が出来ず、もしギロチン帝王を倒しても爆発すれば人類は滅亡

してしまう。

地球はギロチン帝王の支配下になるしかないのか?


その時、ジャイアントロボの目が光った!


ジャイアントロボにはエネルギーがなくなった時のために、あらかじめ補助エネルギーが

搭載されていて再び動き出したのだ。


ギロチン帝王と戦うジャイアントロボ。

しかし、爆発すれば、地球まで木っ端微塵になってしまう。

大作少年は戦うのをやめるようにジャイアントロボに腕時計型の操縦システムに向かって

叫ぶ。

ところが、ジャイアントロボは大作少年の命令に反して、ギロチン帝王を抱えながら、大

空高く飛んで、宇宙を目指すのだ。

それは、まるで、大作少年の愛情がジャイアントロボに意志を芽生えさせ、我が身を犠牲

にして地球を救おうとしているかのようだった・・・

大作少年は叫ぶ。


ロボ、どこに行くんだ!

ロボ、帰って来い!

ロボ、ロボ

ロボのバカ!

何をするんだ?

死ぬぞ!


ロボ、帰って来い!

ロボ・・・

しかし、ロボは大作少年に最後の別れの挨拶をするかのように右手を上げて宇宙を目指し

、そしてギロチン帝王もろとも・・・

大きな閃光が、一瞬、大宇宙に輝き、それがすべてだった・・・


いつしか、大作少年の頬に涙がにじんでいた。


ユニコーンの隊員たちもみな泣いていた。


ジャイアントロボは自らを犠牲にして地球を守ったのだ。


ありがとう、ジャイアントロボ。


君は、真に素晴らしい勇者だった。


大作少年、ユニコーンの隊員、誰ともなくジャイアントロボが散っていった宇宙に向かい

、敬礼をするのだった・・・





平山亨さん、素晴らしい特撮番組を、私達少年少女に、沢山、プレゼントして下さってあ

りがとうございました。

心からご冥福をお祈りいたします。











     

映画「愛の嵐」

2013-08-10 02:45:43 | 映画・テレビ


私は、この映画をかなり若い頃から知っていたのですが、この映画に冠せられた退廃・背徳

・倒錯・官能という不健康的で、ともすれば後ろ指をさされかねない形容詞の数々に恐れを

抱き、これまで観てみようという勇気がなかなか湧きませんでした。
しかし、これらの形容詞には何か惹けられる妖しい響きがある。
それに、この映画の宣伝ポスターにも。

人間はある程度、不健全でなければ生きていけないのではないだろうか?

私がそう思ったのは、数年前、犯罪の起きにくい明るく健全な街づくりを推進して作られた

関東のある学園都市で起きたある事件がきっかけでした。
その街は、碁盤の目状に規則正しく、ゆとりを持って作られ、夜も煌々と明かりがともされ

て、魔がさす余地もないほどだった。
ところが、その街が出来て、一年の間に、自殺する者が何人も続いたというのです。

まるで、清く正しく美しいその街並みに、己の醜さが浮き彫りにされて耐え切れなくなった

とでもいうように。

この映画では、その醜い部分の象徴として、かつてヒトラーが指揮したナチスが使われてい

ます。
ナチスといえば、先日、ある国の大臣がワイマール憲章云々で物議を醸す発言をして、国際

的な問題に発展したばかりですが、その一方でナチスに好意的な人々がいるのも事実です。

私は、ミュージシャンの藤井フミヤさんが、チェッカーズ時代にナチスの帽子やベルトやバ

ックルなど、いろいろなものを収集していると、テレビの歌番組で自慢げに話しているのを

見聞きして驚いた事があります。
彼に言わせると、ナチスのものはアメリカ軍のものよりデザインが優れているらしく、恐怖

感を与えるために、先端が尖って作られたものが多いのだとか。
また、爆弾が落ちる時、笛のような音を出して、恐怖感をあおるように工夫したのも、ナチ

スが考案したのだと、藤井フミヤさんはさも感心したように熱弁を振るっていたのです。

また、「姓名判断」のベストセラーを出版し、参議院議員も務めた野末陳平さんはヒトラー

の大きな写真を部屋に掲げ、毎朝、「ハイル・ヒトラー」と大声で檄を飛ばしていたと、彼

の著書で読んだ事があります。

この二人に共通するのは、ナチスによるユダヤ人の迫害に代表される暴虐非道な行いはまっ

たく意に介していないのではないだろうかという事です。

ナチスには神経を麻痺させ、人間の暗い本性の部分に訴えるものを、たぶんに持っているの

かも知れません。


この映画は、1957年のオーストリアのウィーンが舞台で、ホテルの夜間受付をするマッ

クス(ダーク・ボガード)は、元ナチスの将校という過去を持ち、多くの人命を奪っていま

した。
オーストリアでは、ドイツを上回るナチス党員が存在していたのです。
マックスはそんな暗い過去を隠し、穏やかに暮らそうとしていたのですが、ある日、ルチア

(シャーロット・ランプリング)という、かつて彼が戦争中に連行して弄んだユダヤ人女性

がオーケストラの指揮者を務める夫とともに、彼の働くホテルにやってきて、思わぬ再会を

してしまうのです。

マックスには元ナチス党員時代の仲間がいて、過去をばらされないように、ルチアを殺すべ

きだと説き伏せられようとするのですが、彼はルチアへの愛のために断固として拒否するの

です。

マックスと、ルチアの間には何があったのでしょう?

それは、この映画の宣伝ポスターに如実に表されています。
そして、これこそがこの映画を撮った女流監督リリアーナ・カヴァーニがもっとも訴えたか

った部分なのです。
そう、この映画は女性が作ったのです。


ルチアは乳房をあらわにし、サスペンダーに黒革の長手袋に帽子だけという格好で、物憂げ

な音楽にのせて、並み居る男達を挑発するかのように踊ってみせるのです。

そこに希望は何も感じられない。
ただあるのは、暗く怪しい退廃・背徳・倒錯・官能のみ・・・

戦後、十年以上経ったというのに、再会した二人はあの時の感情が鮮やかによみがえり、愛

の炎が燃えあがるのを抑えきれず、悲劇的な運命を自ら選択するのです。



清く正しく美しいだけでは、人は生きられない・・・


そして、希望のない愛に自らを捧げるのも、女性の本性のひとつなのです・・・