奈々の これが私の生きる道!

映画や読書のお話、日々のあれこれを気ままに綴っています

桜前線

2011-03-29 06:04:31 | Weblog
今年も桜の季節がやって来ました。

昨日は、私の大好きなあの人の住む東京でも咲いたとか。

短い桜の花びらの一生を、フィルムに永遠にとどめるために、桜を追い求めて、あの人は今年もまた宛てのない旅に出かけるのだろうか…














金八先生ファイナル!

2011-03-28 18:07:07 | Weblog
昨日、金八先生の最終回「金八先生ファイナル」が放送されました。

そこで、私の金八先生の思い出を書きたいと思います。

テレビドラマ「金八先生」は、その時々の社会情勢や子ども達の悩みを真摯に描いて、たくさんの感動や生きるヒントを私達に与えてくれました。

非行をはじめとする子供達の性の問題、校内暴力等々…

その数あるお話の中で、私がもっとも感動したのは、「俺達は腐ったミカンじゃねぇ!」の台詞で有名なお話です。

あのお話で、加藤君は大人と対立して、教室に立てこもり、警察に捕まったのですが、中島みゆきさんの曲と、警察に捕まったあと、ゆっくり学校を見回す加藤君の姿は、あまりにも悲しくて、号泣せずにはいられませんでした…。


みんな一人一人個性を持った大切な存在なんですよね。

この「金八先生」で、私はたくさんの事を学びました。


金八先生、32年間、私達を教え導いて下さってありがとうございました。

そして、長い間、ご苦労様でした。












 

プロ野球選手のその後

2011-03-27 09:11:37 | Weblog
先日、プロ野球選手として活躍した人が、プロ野球界を去ったあと、どんな暮らしぶりをしているのかを追ったテレビ番組を観ました。
私は、昔、疑問に思った事があったのです。
プロ野球選手って、選手生命が短い人が多いけど、野球を辞めたら、どうやって生活するのかって。
まず考えられるのは、所属する球団のコーチ等になって、後進の育成をする事。
あるいは、プロ野球解説者か監督になる事がありますよね。
だけど、みんながそうしたお仕事に就ける訳でもなく、まったく違うお仕事に就かれる方もいらっしゃるのですね。
いいえ。むしろ、そうした方が多いくらい。
でも、皆さん、野球への情熱を人一倍持って一軍で活躍してきただけに、野球に関係したお仕事に就きたいと思っているのが、この番組を観て、よく分かりました。

運送屋で働きながら、教員になる勉強をして、将来母校で野球部の監督を目指している人がいました。

昔、ドカベンとあだ名された人も出ていました。
私は、昔、大阪に住んでいた頃、この人に街角でバッタリ出会った事があるんです。
その時、このドカベンさんは自転車に乗ってたのですが、タイヤがぺしゃんこで、今にもパンクしそうだったのを、はっきり覚えています。(笑)
だけど、私はこの人がプロ野球選手を辞めたあとの数奇な人生を知って、びっくりしてしまいました。

その頃から、この人は体格が良かったのですが、今は体重が120キロあって、週に三回は人工透析をしなければならない体になっているとの事。
また、二回離婚を経験して、その後良妻を得て、家族円満に暮らしていたのに、今年2月に自己破産したとか。
この人の人生は健康を害した事で、かなりご苦労があったみたいです。

この番組は、そのほかに何人もの元プロ野球選手のその後の人生を追っていましたが、ある人の人生が一番印象に残りました。

その人は球団から戦力外通告を受けたのを機に、一般の仕事をしていたのですが、野球への情熱は絶ちがたく、マイナー・リーグのコーチの仕事をしないかという打診があったそうです。
ところが、コーチをするには、病気勝ちな妻と離れて単身で野球チームのある土地に行かなければならず、その人は妻を置いてはいけないと断ろうとしていたらしいです。
その話を聞かされた妻は、「私の体は心配しないで。あなたの大好きな野球をやる絶好のチャンスじゃない」と言って、後押ししてくれたそうです。
その言葉に、その人は決心し、コーチとなって、チームの優勝に大きく貢献したのですが、妻の体調はどんどん悪くなり、42歳で帰らぬ人になってしまった。
その人は、妻の死のショックもあり、チームを惨敗に導いてしまい、解雇を命ぜられてしまったそうです。

これから、どうやって生きていくか悩んでいた彼に、農業を一緒にやらないかという人が現れ、農業の経験はまったくなかったけれど、引き受ける事にしたそうです。

亡くなった妻は生前、これは無農薬だからとか、栄養がぎっしり詰まっているとか言って、新鮮な野菜を、その人にたくさん食べさせてくれていた。
野菜を作る事を、亡くなった妻は、きっと喜んでくれるだろう。

その人にとって、野菜を作るのは、いつまでも妻の優しさを忘れないためなんだろうなぁと思ったら、胸が熱くなり、涙がこぼれてしまったのです…















 

マネキンの日!

2011-03-24 16:07:33 | Weblog
今日は、マネキンの日!

以前、テレビ番組「探偵ナイトスクープ」で、マネキンに恋して、教会で結婚式まで挙げた女性がいたけど、幸せになれたのかな?

あの時、お母さん、すごく泣いてたけど、あれは喜びの涙?

それとも????






 

東国原氏都知事選挙に出馬!

2011-03-24 05:21:21 | Weblog
来月、行われる東京都知事選挙に、先日、元宮崎県知事の東国原氏が出馬表明をしました。

この出馬表明を宮崎県民はどう思っているのでしょう?

どう思ってると言っても私たち宮崎県民は、ずっと宮崎県知事をしてほしいと願っていただけに、やっぱりなぁという感じで、がっかりしてます。(笑)


私は東国原さんが、宮崎県知事選挙に出馬する前、お会いして、言葉を交わした事が遠い昔のように思えます…

これからも宮崎県知事として、ずっとテレビで、宮崎のセールスマンとして、宣伝につとめてくれると思っていたのに~!


でも、都知事選なんかに出ちゃって勝ち目あるのかしら?


今まで、出馬するとの明言を避けて、選挙が間近に迫ったこの時期に出馬表明をしたのは明らかに東国原さんの選挙戦術と言っていいかも?

というのは、現石原都知事も、延ばしに延ばすという戦術で、ずっと勝ち続けてきたっていうし。

もし都知事選挙に当選しても、もう私たちの宮崎を宣伝はしてくれないんだろうなぁ…

そんなの当たり前よね?

だけど、なんだって都知事になりたいの?

そう思って、東国原さんのブログを読んでみたの。

日本が元気になるには、首都である東京を活性化させなければならない!


なるほど~


東国原さんは、日本のために立ち上がったという訳ね?


だったら、がっかりなんかしてないで、私も東国原さんを応援する!


東京都の皆さ~ん!


どうか東国原さんをよろしく~♪
















中島みゆき「時代」

2011-03-23 09:31:29 | Weblog
この文章を大震災で被災された方に捧げます。



今は こんなに悲しくて 涙もかれ果てて もう二度と笑顔には戻れそうもないけど…


私の人生は、いつも中島みゆきさんの「時代」とともにあったと言っても過言ではありませんでした。

つらい時や苦しい時、悲しい時に、涙をこらえながら、今まで何度、この歌を口ずさんできた事でしょう。

でも、私が初めて、この歌を知ったのは、そんなにいいお話ではありません。

中学校を卒業して、高校に入り、期待に胸ふくらませていた時、クラスメートの悪ガキが休憩時間によく口ずさんでいて、それで私も覚えてしまったのです。(笑)
その悪ガキは、「時代」のほかに、因幡晃さんの「わかって下さい」もお気に入りみたいで、よく歌っていました。
「わかって下さい」は、あの北朝鮮に拉致されためぐみさんも好きだった歌だそうです。

でも、私はなぜそのクラスメートの男子を悪ガキと呼んでしまうのか今ではすっかり忘れてしまいました。
中学校の頃に悪ガキの男子がやっていた、ブラジャーのホックを制服の上から手際よくはずされた訳でもなく、さりとてスカートをめくられて、お気に入りのいちごのパンティを見られた訳でもないのに?

「時代」の歌詞は、とってもいいです。
だけど、その悪ガキが歌うのが気に入りませんでした。(笑)
でも、もしかしたら根はいいヤツなのかも?
だって、私にエッチなことは全然しませんでしたから。(笑)
当時、私は周囲のエッチな視線に辟易していましたから、エッチな事をまるでしない彼が、もしかしたらよく見えたのかも知れません。(笑)

それから、中島みゆきさんに興味を覚え、大ヒット曲「わかれ唄」を知りました。
でも、この歌は、なんだかすごい歌詞で、正直言って怖かったです。
だって、
道に倒れて、好きな人の名を呼び続けた事はありませんか?
…別れは、いつもついて来る
幸せのあとからついて来る…

という歌詞で、女の執念というか悲し過ぎて、そんなに好きにはなれませんでした。(笑)
だけど、私はなぜか無性に泣きたい女の子だったせいもあり、泣きたくなると、みゆきさんの歌を聴いては、よく涙をこぼしていました。

こんな悲しい歌を作る中島みゆきさんて、どんな人だろう?

そう思っていたら、みゆきさんがパーソナリティをしている、ラジオの深夜番組「オールナイト・ニッポン」を知りました。

あんな素晴らしい歌を歌う人だから、きっと心に響く、しっとりした番組に違いない。

ところが、私の期待とは裏腹の明るいハチャメチャな番組にびっくり!

なんと、みゆきさんはヘロヘロに笑いながら、しゃべっていたのです。
しかも、なんだかエッチな投書がたくさん寄せられていて、みゆきさんは喜んでいるのか嬉しそうにお便りを読んでいました。
中でも、忘れられないのは、放送コードに絶対引っかかるであろう、男性のシンボルを、はっきり「キ〇タマ」と、みゆきさんが口にした事です。

みゆきさん、いくらなんでもサービスし過ぎ。(笑)
聴いているリスナーは得したと言えば、そうかも知れないけど、あとで上から、おとがめとかなかったのでしょうか? (笑)
でも、番組の最後で、リスナーからの投書を読むみゆきさんの声にはいつも泣かされました。

大人になってからも、私は、みゆきさんを聴き続けました。

その頃になると、みゆきさんの歌は、それまでの失恋ソングから、徐々に変わりつつありました。

バブルの頃、私はよく彼氏とカラオケ・スナックに行っていたのですが、そのスナックのママは、みゆきさんの♪スキャンダルなら 男の勲章…という歌が大好きで、自分で歌ったり、男性のお客さんによくリクエストしていたのを覚えています。
でも、私がはっきり変わったなと感じたのは、テレビドラマ「家なき子」の主題歌になった「空と君とのあいだには」です。
それから、みゆきさんは力強い歌を歌うようになり、同じ頃、出した「浅い眠り」も大好きでした。

テレビにも、よく出られるようになりましたね。
女優さんとして、ドラマに出演された事もありましたし、CMでも、よくお見かけする事があります。

NHKの紅白歌合戦にも出場された事がありました。
プロジェクトXに使われた「地上の星」を富山県の黒部ダムで歌われた時は、すごいなぁと思いました。
何がすごいのかと言いますと、その日は大晦日で、黒部峡谷に雪が沢山降り積もり、スタッフ一同震えながら、みゆきさんを映していたそうです。
ところが、みゆきさんは鳥肌一つたてないで、いつもと同じように歌ったらしく、そのプロ根性に一同敬服したというお話です。

今も昔と変わらずに、若々しく、私たちを励ます歌を歌い続けているみゆきさん。


これからも、私は心が折れそうな時、みゆきさんの歌を口ずさみたいと思います。



♪まわる

まわるよ

時代はまわる

喜び悲しみを繰り返し

今日は倒れた恋人達も

めぐりめぐって歩き出そう…


 









 

一卵性双生児

2011-03-22 14:07:32 | Weblog
西暦827年の今日、記録上、初めての三つ子が誕生しました。

私の主人のお父様は一卵性双生児の兄として生まれ、双子の弟とは別々に暮らしていました。

なのに、子供の数や生まれた年が同じなのを始め、二人の人生には様々な相似点があったそうです。

二人は遠くに離れていても、互いに引かれ、何か通じるものがあったみたいです。

それをうかがい知るエピソードに、主人のお父様が亡くなった時、「おれも、もうすぐ死ぬ」と、弟さんは言ったといいます。

果たして、その数ヶ月後、弟さんは、主人のお父様と同じ理由で、同じ年に、あとを追うようにして亡くなりました。




















祈り

2011-03-21 18:32:38 | Weblog
地震で多くの方が尊い命をなくされました。
ご家族でも助かった方と、そうでない方がおられました。

テレビで生き残られたご家族のお話を聞いては胸が痛み、涙がこぼれました。

親を亡くしたお子さんには、どうか泣かないで強く生きてほしいです。

愛するご主人様を亡くされたご婦人には子供達のために、どうか気を確かに持って下さい。

妻や子供を亡くし、なぜ助けられず、自分だけが生き残ったのかと、自分を責める男性には自分を責めないで下さい。
あなたは、あの時点で、やるだけの事はやったのですから。

そして、心ならずも亡くなられた方にはご冥福をお祈りいたします。


どうか、1日でも早く、あなた方に穏やかで、笑顔が自然にこぼれる日が訪れますように…



そんな事を、毎日、思っていたら、息子が赤ちゃんの頃に歌ってあげていた北原白秋作詞の童謡「ゆりかごのうた」が、ふと思い出されてきました。
私は、息子達に、この「ゆりかごのうた」をベビーベッドに取り付けたくるくる回るオルゴールのメロディに合わせて、よく歌って、寝かしつけていたのです。


♪ゆりかごのうたを
カナリヤがうたうよ ねんねこ ねんねこ ねんねこよ

ゆりかごのうたに びわのみがゆれるよ ねんねこ ねんねこ ねんねこよ

ゆりかごのつなを きねずみがゆするよ ねんねこ ねんねこ ねんねこよ

ゆりかごのゆめに きいろいつきがかかるよ ねんねこ ねんねこ ねんねこよ



坊や、どうか泣かないで。
あなたが泣くと、私まで悲しくなる…

だから、聞いて。

あなたの好きな、この「ゆりかごのうた」を。


亡くなられた方も、助かった方も、赤ちゃんの無垢な心にかえり、落ち着いた穏やかな日が1日でも早く訪れますように…
























世界は心と心でつながっている

2011-03-20 13:50:41 | Weblog
私が、それを知ったのは、11日の午後4時頃でした。
職場で休憩していたら、上司が「関東や東北地方で地震が起きたみたいだ。誰か向こうに親戚や知り合いはいないですか?」と話しかけてきたのです。
でも、その時、私はこれほど大きな地震が起きていたとは、まったく想像していませんでした。
ところが、帰りの車で聴いたラジオで、巨大地震に加え、津波も起きたらしく、宮崎県沿岸の市や町にも避難勧告が出され、宮崎北部の道路が通行止めになったと伝えていました。
帰宅すると、テレビで、さらに被害の深刻な状況がわかってきました。

千葉の炎上する石油コンビナートや、八戸市の火災の様子、津波で壊滅的な被害を受けた町。
それにおびただしい数の死者と行方不明者が伝えられたのです。
そのどれもが、今まで経験した事のない規模の惨状で、とても信じたくない出来事でした。

それから、しばらくはなかなか寝つかれない日々が続きました。

不安で、しょうがなく、様々な思いが、次々に私の脳裏に浮かんできたのです。
突然、大地震に襲われ、わずか20分ほどで津波に呑み込まれた町。
多くの人々は逃げる暇さえ与えられませんでした。

また、最愛の人を失い茫然とする人々の姿。
津波から逃れようと、妻や幼いわが子と固く手をつないでいたのに、津波に叩きつけられた途端、離ればなれになってしまったと泣きながら話されたご主人様のお話は、あまりにも可哀想で、思い出しては何度も泣いてしまいました…

しかも、せっかく生き残った人々は、すぐに救出されたり、救援物資が届きませんでした。
救助する側も、助けに行きたくても、道路は崩壊し、電話などの通信機器も不通になり、どこで救援を求めているか分からない。
おまけに、起きてはならない原子力発電所の放射能漏れ事故も起きてしまいました。

この大地震は、幸せや信念が、いかに曖昧で不確かなもののうえに成り立っているのかを考えさせられた出来事だったように、私には思えてなりませんでした。

それらを考えて、私は不安で、夜、眠れなくなってしまったのです。

それが、私が最初のうちに正直に思った事だったのですが、しかし、その思いは日を追うごとに、次第に薄れていきました。
被災された方を何とか助けようと、動き出す人々が大勢現れたからです。
国内はもとより、世界からも助けの手が差しのべられました。

ボランティアに名乗りをあげる人や、義援金や寄付も全国から沢山寄せられました。

私も、少しでも助けになればと、お買い物のたびに、釣り銭を募金箱に入れています。

被災された方には、肉親や財産をなくし、将来に不安を感じている方が少なからずいらっしゃると思います。

だけど、決して諦めたり、自暴自棄にならないでほしいのです。

心が折れそうになったら、全国や世界から善意の手が差しのべられたのを思い出してほしいのです。


決して、目には見えないけど、私たちは心と心で、いつもあなたとつながっているのですから。












卒業式

2011-03-18 17:30:30 | Weblog
昨日は次男の中学校の卒業式でした。


4月になれば、次男は遠くの高校に行き、私たちは離ればなれになってしまいます。(涙)

次男との残り少ない僅かな時間を、共に大切に過ごしたいと思います…