現在、三島由紀夫原作の映画「美しい星」が公開中なので、原作小説を読んでみました。
実はこの作品には、空飛ぶ円盤や宇宙人が登場するらしく、元不思議大好き少女だった私は以前から、ずっと気になっていたのです。
それに、「夜のヒットスタジオ」で長らく司会をつとめた芳村真理さんが、最近、テレビ番組「爆報フライデー」や、NHKのラジオ番組で、三島由紀夫に「浜離宮に空飛ぶ円盤が現れるそうだから、一緒に見に行かないか」と誘われたというエピソードをしゃべっていたからです。
その時、芳村真理さんは本当に空飛ぶ円盤が現れるのか、ちょっと疑心暗鬼だったそうですが、天下の三島由紀夫大先生に誘われたとあっては断る訳にはいかないと、二人して浜離宮に行き、空飛ぶ円盤をずっと待ち続けたそうです。
けれど、なかなか来なくて、
そのうち、三島由紀夫は呪文のようなものを、一心に唱え出した。
だけど、遂に空飛ぶ円盤は二人の前に現れなかったとか。
三島由紀夫は本当に空飛ぶ円盤を信じていたのでしょうか?
聞くところによると、日本空飛ぶ円盤研究会なるものにまで入ってたらしいですが。
とにかく、そういう訳で、空飛ぶ円盤や宇宙人が登場する「美しい星」を読んでみたくなったのです。
それで、読み始めてみたら、日本の自然の美しさと、歴史と伝統の素晴らしさにふれていて、三島由紀夫らしいなと、まず思いました。
大杉家の家族はある時、突然、別々の天体から来た宇宙人だという意識に目覚めるのです。
当主、重一郎は火星人、その妻、伊世子は木星人、長男、一雄は水星人、長女、暁子は金星人。
その理由は、当時、世界中を震撼させたキューバ危機に端を発したアメリカとソ連の核戦争勃発一触即発の緊急事態にありました。
重一郎たちはこの地球の危機を救うために、はるか宇宙から派遣されたのです。
そして、核戦争による人類滅亡を阻止すべく、宇宙友朋会を設立して、講演して廻り、平和の大切さを訴え続けるのです。
一方、長女の暁子のもとに金沢に住む男性から、「自分も金星人だ。」という手紙がきて、共に金沢で空飛ぶ円盤を目撃するのです。
そればかりか、暁子いわく、その男性の子を処女懐胎するのです。
ところで、地球に来た宇宙人は大杉家だけではなかったようで、白鳥座から来たという万年助教授の羽黒、床屋の曽根、S銀行に勤務する栗田ら、三人も宇宙人だったのです。
この三人の目的は地球滅亡にあり、大杉重一郎の活動を苦々しく思っていたのでした。
やがて、三人は飯能市の重一郎の邸宅を訪れ、自らの論理に基づいた人類への見識を滔々と述べて、重一郎を論破しようとするのです。
その結果・・・
以上、簡単に粗筋をご紹介しましたが、初めのうちは、ちょっと退屈になったりもしたのですが、暁子の処女懐胎の意外な事実とか、まったく予想だにしない展開が次々に起きて、読み進むに連れ、ぐんぐん引き込まれていきました。
また、この作品は読む者を退屈させないように、ユーモアにも気を配っていて、三島由紀夫のサービス精神を垣間見る思いでした。
とくに、羽黒、曽根、栗田の三人が、黒木という実力者に誘われて、歌舞伎を見る場面で、『大喜利は三島由紀夫の「鰯売恋曳網」という新作だったが、助教授がこんな小説書きの新作物なんか見るに及ばないという意見を出したので、あとの人たちもこれに従った。』という文章には思わず、くすりとさせられてしまいました。
しかし、そうしたサービス精神にも気を配りつつ、三島由紀夫がもっとも言いたかったことと、この小説の白眉は重一郎と助教授の羽黒との論戦の一騎討ちにあるのは間違いないでしょう。
羽黒はまず、人間の宿命的な病気や欠陥として、事物への関心、人間への関心、神への関心、この三つを挙げています。
このなかで、私が驚き、かつ意外だったのは、神への関心でした。
『神というのはまことに狡猾な発明で、人間の知りえたことの九十パーセントは人間のために残しておき、のこりの十パーセントを神という管理者に委ねて、その外側の膨大な虚無とのつなぎ目を、管理者の手の内でぼかしておいてもらおうという算段から生まれたものだ。』と定義している点です。
三島由紀夫といえば、神様=絶対者は、人間にとって無くてはならない存在だと亡くなる一週間前、古川尚との対談で熱く語っていますが、神様を信仰するうえでのマイナス面も考えていたのですね。
でも、私は『膨大な虚無とのつなぎ目を、管理者の手の内でぼかしておいてもらおう』という文章で、人間が神様を想像した訳が何となく理解出来た気がしてきました。
人間と動物を分けるものは宗教を持っているか否かという言葉がありますが、人間は進化の過程で、理性を手に入れた時から、無目的に生きることに不安を覚え、なぜ生きねばならないのか意味を知りたくなったのではないでしょうか?
しかし、三島由紀夫はただ人間の宿命的な病気や欠陥だけを挙げている訳ではありません。
重一郎の言葉を借りて、人間の五つの美点として、もし人類が滅んだら、墓碑銘にこう記すと書いています。
『地球なる一惑星に住める人間なる一種族ここに眠る。
彼らは嘘をつきっぱなしについた。
彼らは吉凶につけて花を飾った。
彼らはよく小鳥を飼った。
彼らは約束の時間にしばしば遅れた。
そして彼らはよく笑った。
ねがわくはとこしえなる眠りの安らかならんことを』
三島由紀夫がいかに人間を愛していたかが、この五つの美点で分かるようです。
もし、これだけでは何のことか皆目見当もつかないという方はぜひ御一読下さいませ。
最初は空飛ぶ円盤や宇宙人に興味を引かれて読みましたが、ただの荒唐無稽な小説ではなく、純文学と融和させて、人間を宇宙人の視点から見つめ、深い人間愛に貫かれた見事な作品に仕上がっている点は注目に値するのではと思いました。
実はこの作品には、空飛ぶ円盤や宇宙人が登場するらしく、元不思議大好き少女だった私は以前から、ずっと気になっていたのです。
それに、「夜のヒットスタジオ」で長らく司会をつとめた芳村真理さんが、最近、テレビ番組「爆報フライデー」や、NHKのラジオ番組で、三島由紀夫に「浜離宮に空飛ぶ円盤が現れるそうだから、一緒に見に行かないか」と誘われたというエピソードをしゃべっていたからです。
その時、芳村真理さんは本当に空飛ぶ円盤が現れるのか、ちょっと疑心暗鬼だったそうですが、天下の三島由紀夫大先生に誘われたとあっては断る訳にはいかないと、二人して浜離宮に行き、空飛ぶ円盤をずっと待ち続けたそうです。
けれど、なかなか来なくて、
そのうち、三島由紀夫は呪文のようなものを、一心に唱え出した。
だけど、遂に空飛ぶ円盤は二人の前に現れなかったとか。
三島由紀夫は本当に空飛ぶ円盤を信じていたのでしょうか?
聞くところによると、日本空飛ぶ円盤研究会なるものにまで入ってたらしいですが。
とにかく、そういう訳で、空飛ぶ円盤や宇宙人が登場する「美しい星」を読んでみたくなったのです。
それで、読み始めてみたら、日本の自然の美しさと、歴史と伝統の素晴らしさにふれていて、三島由紀夫らしいなと、まず思いました。
大杉家の家族はある時、突然、別々の天体から来た宇宙人だという意識に目覚めるのです。
当主、重一郎は火星人、その妻、伊世子は木星人、長男、一雄は水星人、長女、暁子は金星人。
その理由は、当時、世界中を震撼させたキューバ危機に端を発したアメリカとソ連の核戦争勃発一触即発の緊急事態にありました。
重一郎たちはこの地球の危機を救うために、はるか宇宙から派遣されたのです。
そして、核戦争による人類滅亡を阻止すべく、宇宙友朋会を設立して、講演して廻り、平和の大切さを訴え続けるのです。
一方、長女の暁子のもとに金沢に住む男性から、「自分も金星人だ。」という手紙がきて、共に金沢で空飛ぶ円盤を目撃するのです。
そればかりか、暁子いわく、その男性の子を処女懐胎するのです。
ところで、地球に来た宇宙人は大杉家だけではなかったようで、白鳥座から来たという万年助教授の羽黒、床屋の曽根、S銀行に勤務する栗田ら、三人も宇宙人だったのです。
この三人の目的は地球滅亡にあり、大杉重一郎の活動を苦々しく思っていたのでした。
やがて、三人は飯能市の重一郎の邸宅を訪れ、自らの論理に基づいた人類への見識を滔々と述べて、重一郎を論破しようとするのです。
その結果・・・
以上、簡単に粗筋をご紹介しましたが、初めのうちは、ちょっと退屈になったりもしたのですが、暁子の処女懐胎の意外な事実とか、まったく予想だにしない展開が次々に起きて、読み進むに連れ、ぐんぐん引き込まれていきました。
また、この作品は読む者を退屈させないように、ユーモアにも気を配っていて、三島由紀夫のサービス精神を垣間見る思いでした。
とくに、羽黒、曽根、栗田の三人が、黒木という実力者に誘われて、歌舞伎を見る場面で、『大喜利は三島由紀夫の「鰯売恋曳網」という新作だったが、助教授がこんな小説書きの新作物なんか見るに及ばないという意見を出したので、あとの人たちもこれに従った。』という文章には思わず、くすりとさせられてしまいました。
しかし、そうしたサービス精神にも気を配りつつ、三島由紀夫がもっとも言いたかったことと、この小説の白眉は重一郎と助教授の羽黒との論戦の一騎討ちにあるのは間違いないでしょう。
羽黒はまず、人間の宿命的な病気や欠陥として、事物への関心、人間への関心、神への関心、この三つを挙げています。
このなかで、私が驚き、かつ意外だったのは、神への関心でした。
『神というのはまことに狡猾な発明で、人間の知りえたことの九十パーセントは人間のために残しておき、のこりの十パーセントを神という管理者に委ねて、その外側の膨大な虚無とのつなぎ目を、管理者の手の内でぼかしておいてもらおうという算段から生まれたものだ。』と定義している点です。
三島由紀夫といえば、神様=絶対者は、人間にとって無くてはならない存在だと亡くなる一週間前、古川尚との対談で熱く語っていますが、神様を信仰するうえでのマイナス面も考えていたのですね。
でも、私は『膨大な虚無とのつなぎ目を、管理者の手の内でぼかしておいてもらおう』という文章で、人間が神様を想像した訳が何となく理解出来た気がしてきました。
人間と動物を分けるものは宗教を持っているか否かという言葉がありますが、人間は進化の過程で、理性を手に入れた時から、無目的に生きることに不安を覚え、なぜ生きねばならないのか意味を知りたくなったのではないでしょうか?
しかし、三島由紀夫はただ人間の宿命的な病気や欠陥だけを挙げている訳ではありません。
重一郎の言葉を借りて、人間の五つの美点として、もし人類が滅んだら、墓碑銘にこう記すと書いています。
『地球なる一惑星に住める人間なる一種族ここに眠る。
彼らは嘘をつきっぱなしについた。
彼らは吉凶につけて花を飾った。
彼らはよく小鳥を飼った。
彼らは約束の時間にしばしば遅れた。
そして彼らはよく笑った。
ねがわくはとこしえなる眠りの安らかならんことを』
三島由紀夫がいかに人間を愛していたかが、この五つの美点で分かるようです。
もし、これだけでは何のことか皆目見当もつかないという方はぜひ御一読下さいませ。
最初は空飛ぶ円盤や宇宙人に興味を引かれて読みましたが、ただの荒唐無稽な小説ではなく、純文学と融和させて、人間を宇宙人の視点から見つめ、深い人間愛に貫かれた見事な作品に仕上がっている点は注目に値するのではと思いました。