このところ、暑い日が続いていますが、いかがお過ごしでしょうか?
「雪国」
この小説は、川端康成の作品の中では、「伊豆の踊子」とともに、もっともよく知られています。
そして、川端康成が、この作品で、ノーベル文学賞を取ったのは多くの人の知るところです。
そういう私自身、三回ではありますが、もっとも多く読み返した川端作品でもあります。
この小説の書き出しの文章は日本人なら知らない人は誰一人いないと言ってもいいでしょう。
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。
この一文だけで、汽車が真っ暗なトンネルを抜けて、突然、一面の銀世界が現れた様子が、目に浮かんでくるようです。
ところで、私は「雪国」を、三回、読んだと書きました。
それは、この小説に感動したというより、どうしても解せない部分があって、それを理解するためというのが、主な理由でした。
それは、ひとえに駒子の言動や性格に尽きると言っていいと思います。
芸者の駒子は、都会から来た島村を好きになり、彼の泊まっている宿に足しげく通い、次第に心を許し、打ち解けていくのですが、感情の起伏があまりにも激しい女性として描かれているのです。
私は女性の登場人物にある程度、感情移入して読む癖があって、駒子にもそうしようとしたのですが、私とあまりにもタイプが違いますし、感情の起伏が激し過ぎて、どうしてもついていけず、それが作品そのものの価値まで理解しづらくしていたのです。
でも、最近になって、駒子に感情移入すること自体、間違っていたことに気づいたのです。
そう開き直ったら、少しはこの小説の言わんとしていることが分かったような気がしてきました。
まず、この小説は冒頭の文章にあるように、島村は駒子に一年ぶりに会いに行くのですが、その理由は非日常的な場所や出来事に遭遇したくて、旅に出たのではないかと思います。
だから、川端康成は鳥追祭や、縮れなどの行事や生活文化を丁寧に描写したのではないでしょうか。
つまり、この小説を読むに当たって、一番大切なのは旅情に思いっきりひたることではないでしょうか。
ではなぜ、雪国だったのか?
それは雪の白さと関係あるのではないでしょうか。
雪には色々な見方がありますが、ここでの雪は罪や穢れなど、醜いものを覆い隠すもので、純粋で美しいものの象徴として捉えられているように思うのです。
だとしたら、その雪国にいる人はその雪の美しさに負けないほど、純粋で美しくなければなりませんよね。
それが、駒子その人なのです。
一時間ほどすると、また長い廊下にみだれた足音で、あちこちに突き当たったり倒れたりして来るらしく、「島村さあん、島村さあん。」と、甲高く呼んだ。
「ああ、見えない。島村さあん。」
それはまぎれもなく女の裸の心が自分の男を呼ぶ声であった。
ここの部分を読むと、恥も外聞もなく、心の底から島村を欲している様子が痛々しいほど伝わってくるようです。
そして、駒子の感情の起伏が激しいのは、添い遂げられるはずもない島村に対するやるせない思いからだったのではないでしょうか。
ところで、この小説には駒子とは別に、葉子という美しい女性が出てきます。
駒子には行雄という許嫁があったのですが、病身にあり、その面倒をよく見ているのが、葉子なんです。
この二人はどうした訳かあまり仲がよくありません。
駒子が行雄に冷たいのが、葉子には気に食わないみたいですが、ほかにも理由がありそうです。
川端康成のあとがきによると、駒子は越後湯沢の温泉に実在していた芸者をモデルにしたそうですが、葉子は架空の女性らしいのです。
そこに、私はこの小説の秘密の一端を知る思いがしました。
駒子は確かに純粋で美しいかも知れないけれど、すごいこだわりがあって、しかも何かが欠けている。
そうしたものを、川端康成は、葉子という架空の女性で表現したかったのではないでしょうか?
でも、川端康成は駒子の葉子に対する気持ちをそのままにしておくのを、良しとしなかった。
そこで、映画を観ていた葉子が火事に巻き込まれるという事件を必要としたのかも知れません。
駒子は我が身の危険も顧みず、葉子を必死に助けようとするのですから。
そうして、駒子は生死を分けるほどの大事件をきっかけに、初めて自分に素直になることが出来たのでは。
ところで、私は駒子と葉子の二人の女性で、ちょっと前に読んだ「古都」の千重子と苗子の双子の姉妹を思い出さずにはいられませんでした。
駒子と葉子はあまり仲がよくなかったですが、千重子と苗子はとっても仲がよかったです。
だけど、千重子が苗子と一緒に住もうと言った時、苗子は境遇の違いを理由に、千重子の前を去っていくのです。
「雪国」の駒子と葉子と、「古都」の千重子と苗子は相手に対する気持ちに違いはありますが、決して相容れることの出来ない、はかない宿命のようなものを感じずにはいられないのです。
この小説を読んだ私は二つの映画版も観てみることにしました。
まず、1957年製作の岸恵子主演の「雪国」から。
この映画の豊田四郎監督は文芸ものの名作をいくつも撮っているそうですし、脚本家は後年、日本シナリオ作家協会の理事長を務めた八住利雄氏ですから、並々ならぬ決意で作られたようです。
これを観て、私が最初に驚いたのは島村を演じた池辺良さんでした。
私は島村は、川端康成に似た人を想像していたのですが、池辺良さんの島村は美男子過ぎて、知的なイメージがちょっと感じられませんでした。(苦笑)
対する駒子を演じた岸恵子さんですが、どうしても可愛い子ぶりっ子してるようにしか見えなくて、裸の心で、島村にぶつかっている駒子とは、やはり、ちょっと違うような気がしました。(苦笑)
だけど、岸恵子さんは山口百恵さん主演の映画「古都」では、千重子の養母の役で、女の嫌な面もはっきり演じていましたから、やはり、立派な女優さんだと思います。
葉子は八千草薫さんが演じていらして、この人の演技が一番、原作に合っているように思いました。
美しくて、純粋で、常に真剣に生きているという意味において。
半面、ストーリーはわりと原作に忠実で、雪国の様子もよく描写されていて、とくに言うことはなかったですが、小説で丁寧に書かれたところがあっさり描かれていたので、ナレーションで文章の素晴らしさも取り入れてくれたら、もっと良かったかもと思いました。
もしかしたら、小説とは違う映画の魅力を追求したくて、あえてそうしたのかも知れないのですが。
あと、原作にわりと忠実と思っていたら、火事のあとの続きがあって、ちょっと驚いちゃいました。
唐突に終るという印象を防ぐためだったのでしょうか?
次に観たのが、1965年製作の岩下志麻さん主演の映画版です。
この映画でも、私はまず、島村を演じた木村功さんに注目したのですが、その前の池辺良さんがあまりにも美男子過ぎたので、ニヤニヤして現れた木村功さんには正直、ちょっとがっかりしちゃいました。(苦笑)
でも、木村功さんといえば、
黒澤明監督の「七人の侍」で、魅力ある若武者を演じていますし、亡くなられた時、奥さまが思い出を綴った「功 大好き」が大ベストセラーになりましたので、素敵な人だったのでしょうね。
対する駒子役の岩下志麻さんは匂い立つようなお色気があり、演技も堂々としていて、この頃から大女優の雰囲気を漂わせていたことに驚いてしまいました。
駒子の役も、ぴったりだなと思いました。
葉子の役は加賀まりこさんが演じていらしたのですが、ちょっと私のイメージと違っていたものの真剣に生きている感じはよく出ていたと思いました。
ネットで紹介されていたところによると、川端康成は、シナリオは大事だが原作を追うのではなく自由にやって欲しいと言い、忠実すぎたり、文芸映画ではつまらないというようなことも語っていたそうです。
私は映画の「雪国」を観て、映画の魅力は映像表現に尽きるのかも知れないなと思わされた次第でした。
「雪国」
この小説は、川端康成の作品の中では、「伊豆の踊子」とともに、もっともよく知られています。
そして、川端康成が、この作品で、ノーベル文学賞を取ったのは多くの人の知るところです。
そういう私自身、三回ではありますが、もっとも多く読み返した川端作品でもあります。
この小説の書き出しの文章は日本人なら知らない人は誰一人いないと言ってもいいでしょう。
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。
この一文だけで、汽車が真っ暗なトンネルを抜けて、突然、一面の銀世界が現れた様子が、目に浮かんでくるようです。
ところで、私は「雪国」を、三回、読んだと書きました。
それは、この小説に感動したというより、どうしても解せない部分があって、それを理解するためというのが、主な理由でした。
それは、ひとえに駒子の言動や性格に尽きると言っていいと思います。
芸者の駒子は、都会から来た島村を好きになり、彼の泊まっている宿に足しげく通い、次第に心を許し、打ち解けていくのですが、感情の起伏があまりにも激しい女性として描かれているのです。
私は女性の登場人物にある程度、感情移入して読む癖があって、駒子にもそうしようとしたのですが、私とあまりにもタイプが違いますし、感情の起伏が激し過ぎて、どうしてもついていけず、それが作品そのものの価値まで理解しづらくしていたのです。
でも、最近になって、駒子に感情移入すること自体、間違っていたことに気づいたのです。
そう開き直ったら、少しはこの小説の言わんとしていることが分かったような気がしてきました。
まず、この小説は冒頭の文章にあるように、島村は駒子に一年ぶりに会いに行くのですが、その理由は非日常的な場所や出来事に遭遇したくて、旅に出たのではないかと思います。
だから、川端康成は鳥追祭や、縮れなどの行事や生活文化を丁寧に描写したのではないでしょうか。
つまり、この小説を読むに当たって、一番大切なのは旅情に思いっきりひたることではないでしょうか。
ではなぜ、雪国だったのか?
それは雪の白さと関係あるのではないでしょうか。
雪には色々な見方がありますが、ここでの雪は罪や穢れなど、醜いものを覆い隠すもので、純粋で美しいものの象徴として捉えられているように思うのです。
だとしたら、その雪国にいる人はその雪の美しさに負けないほど、純粋で美しくなければなりませんよね。
それが、駒子その人なのです。
一時間ほどすると、また長い廊下にみだれた足音で、あちこちに突き当たったり倒れたりして来るらしく、「島村さあん、島村さあん。」と、甲高く呼んだ。
「ああ、見えない。島村さあん。」
それはまぎれもなく女の裸の心が自分の男を呼ぶ声であった。
ここの部分を読むと、恥も外聞もなく、心の底から島村を欲している様子が痛々しいほど伝わってくるようです。
そして、駒子の感情の起伏が激しいのは、添い遂げられるはずもない島村に対するやるせない思いからだったのではないでしょうか。
ところで、この小説には駒子とは別に、葉子という美しい女性が出てきます。
駒子には行雄という許嫁があったのですが、病身にあり、その面倒をよく見ているのが、葉子なんです。
この二人はどうした訳かあまり仲がよくありません。
駒子が行雄に冷たいのが、葉子には気に食わないみたいですが、ほかにも理由がありそうです。
川端康成のあとがきによると、駒子は越後湯沢の温泉に実在していた芸者をモデルにしたそうですが、葉子は架空の女性らしいのです。
そこに、私はこの小説の秘密の一端を知る思いがしました。
駒子は確かに純粋で美しいかも知れないけれど、すごいこだわりがあって、しかも何かが欠けている。
そうしたものを、川端康成は、葉子という架空の女性で表現したかったのではないでしょうか?
でも、川端康成は駒子の葉子に対する気持ちをそのままにしておくのを、良しとしなかった。
そこで、映画を観ていた葉子が火事に巻き込まれるという事件を必要としたのかも知れません。
駒子は我が身の危険も顧みず、葉子を必死に助けようとするのですから。
そうして、駒子は生死を分けるほどの大事件をきっかけに、初めて自分に素直になることが出来たのでは。
ところで、私は駒子と葉子の二人の女性で、ちょっと前に読んだ「古都」の千重子と苗子の双子の姉妹を思い出さずにはいられませんでした。
駒子と葉子はあまり仲がよくなかったですが、千重子と苗子はとっても仲がよかったです。
だけど、千重子が苗子と一緒に住もうと言った時、苗子は境遇の違いを理由に、千重子の前を去っていくのです。
「雪国」の駒子と葉子と、「古都」の千重子と苗子は相手に対する気持ちに違いはありますが、決して相容れることの出来ない、はかない宿命のようなものを感じずにはいられないのです。
この小説を読んだ私は二つの映画版も観てみることにしました。
まず、1957年製作の岸恵子主演の「雪国」から。
この映画の豊田四郎監督は文芸ものの名作をいくつも撮っているそうですし、脚本家は後年、日本シナリオ作家協会の理事長を務めた八住利雄氏ですから、並々ならぬ決意で作られたようです。
これを観て、私が最初に驚いたのは島村を演じた池辺良さんでした。
私は島村は、川端康成に似た人を想像していたのですが、池辺良さんの島村は美男子過ぎて、知的なイメージがちょっと感じられませんでした。(苦笑)
対する駒子を演じた岸恵子さんですが、どうしても可愛い子ぶりっ子してるようにしか見えなくて、裸の心で、島村にぶつかっている駒子とは、やはり、ちょっと違うような気がしました。(苦笑)
だけど、岸恵子さんは山口百恵さん主演の映画「古都」では、千重子の養母の役で、女の嫌な面もはっきり演じていましたから、やはり、立派な女優さんだと思います。
葉子は八千草薫さんが演じていらして、この人の演技が一番、原作に合っているように思いました。
美しくて、純粋で、常に真剣に生きているという意味において。
半面、ストーリーはわりと原作に忠実で、雪国の様子もよく描写されていて、とくに言うことはなかったですが、小説で丁寧に書かれたところがあっさり描かれていたので、ナレーションで文章の素晴らしさも取り入れてくれたら、もっと良かったかもと思いました。
もしかしたら、小説とは違う映画の魅力を追求したくて、あえてそうしたのかも知れないのですが。
あと、原作にわりと忠実と思っていたら、火事のあとの続きがあって、ちょっと驚いちゃいました。
唐突に終るという印象を防ぐためだったのでしょうか?
次に観たのが、1965年製作の岩下志麻さん主演の映画版です。
この映画でも、私はまず、島村を演じた木村功さんに注目したのですが、その前の池辺良さんがあまりにも美男子過ぎたので、ニヤニヤして現れた木村功さんには正直、ちょっとがっかりしちゃいました。(苦笑)
でも、木村功さんといえば、
黒澤明監督の「七人の侍」で、魅力ある若武者を演じていますし、亡くなられた時、奥さまが思い出を綴った「功 大好き」が大ベストセラーになりましたので、素敵な人だったのでしょうね。
対する駒子役の岩下志麻さんは匂い立つようなお色気があり、演技も堂々としていて、この頃から大女優の雰囲気を漂わせていたことに驚いてしまいました。
駒子の役も、ぴったりだなと思いました。
葉子の役は加賀まりこさんが演じていらしたのですが、ちょっと私のイメージと違っていたものの真剣に生きている感じはよく出ていたと思いました。
ネットで紹介されていたところによると、川端康成は、シナリオは大事だが原作を追うのではなく自由にやって欲しいと言い、忠実すぎたり、文芸映画ではつまらないというようなことも語っていたそうです。
私は映画の「雪国」を観て、映画の魅力は映像表現に尽きるのかも知れないなと思わされた次第でした。