奈々の これが私の生きる道!

映画や読書のお話、日々のあれこれを気ままに綴っています

映画「あゝ野麦峠」

2016-05-24 20:13:46 | 映画・テレビ
 少し前にお話した映画「制服の処女」は、とある規律の厳しい女学校の女学生マヌエラが

、美しい女教師に恋心を抱き、その切ない胸のうちが描かれていました。
 この映画で、私がもっとも感動したのは、女教師を好きだったのはマヌエラだけでなく、

ほかの多くのクラスメートもその想いは同じだったはずなのに、マヌエラと女教師との関係

が、学校の規律に反するとして、厳しい処罰を受けた時、みながマヌエラに同情し、応援す

るという女性ならではの麗しい友情にありました。

 しかし、この映画に感動しながら、その一方で、彼女たちの幸せは、男性の存在しない女

性だけの世界だったことでないかという思いが強くしたのです。


 その理由は、私が最初に勤めた会社の元上司の言葉を、ふと思い出したからです。
 その元上司は、若い頃、労働運動を潰す仕事を専門にしていたらしく、労働運動の激しい

会社の経営者に頼まれて、様々な職場に入り込んでいたそうです。
 そのなかには、女性の従業員の多い製糸工場や紡績工場も含まれていて、労働運動を潰す

手口を事細かに教えてくれた事があったのです。
 元上司の言う処によると女性の多い職場には、必ず、お姉さんと慕われる年上の女性がい

て、年下の女性の面倒をよく見たり、労働運動も率先して、深く関わる場合が多いそうです


 そこで、女性たちの団結力を崩すため、あの手この手を使って、お姉さんに揺さぶりをか

けるよう仕組むのだとか。
 それで、もっとも効果があるのは、そのお姉さんに男を近づけることだというのです。
 元上司の言うには、俳優と見間違えんばかりの美男子を、お姉さんの働いている部署に送

り込み、その美男子が、お姉さんに気があるふうを装い、恋愛関係になることで、労働運動

から遠ざけ、「お姉さんたら、私たちより男のほうが大切なんだわ。悔しい!」と女性たち

に思わせるものでした。
 
 そうして、その元上司は女性特有の恋愛心理につけ込み、女性たちの結束を乱して、労働

運動を次々と撃破していったそうです。  

 私は、職場が改善されることなく、ばらばらに散っていった女性達が哀れな気がして、ず

っと胸に残っていたのです。

 映画「制服の処女」を観た時、その思い出が蘇り、それと同時に女性が多く働く製糸工場

を舞台にした「あゝ野麦峠」という映画がむしょうに観たくなってしまいました。

 
 「あゝ野麦峠」は公開当時、すごく話題になり、私も気にならないではなかったのですが

、可哀想な女性のお話なのに躊躇して、まだ一度も観てなかったのです。
 この映画は、原作者の山本茂実が、十数年に及び、飛騨や信州の数百人の女工や、工場関

係者らに取材して、事実をもとに書き上げたそうです。

 野麦峠は、岐阜県高山市と長野県松本市にまたがる難所で、明治の初めから大正にかけて

、飛騨の女性(多くは十代の少女)が諏訪地方の岡谷にある製糸工場で働くため、吹雪の中

、命懸けで、この峠を越えなければなりませんでした。

 当時は富国強兵の国策のさなか、生糸は有力な貿易品であったため、製糸工場で働く女性

が多かったそうです。
 そうして、仕事の出来る女工は百円工女と呼ばれ、給金も多く貰えたみたいですが、その

代わり能率の上がらない女工は罰金として、給金を減らされ、実家への仕送りもままならぬ

ほどだったとか。
 この映画の主人公、政井みね(大竹しのぶ)は、働き者で、要領がよく、あっという間に

百円工女になります。
 百円工女は、篠田ゆき(原田美枝子)と二人だけで、ゆきはみねにちょっとしたライバル

意識を持っていました。
 ゆきは貧乏で、幼い頃から、人知れぬ苦労をしていて、そこから逃れたい一心で遮二無二

働いていたのです。
 
 ところが、製糸工場の社長(三国連太郎)に、若旦那と呼ばれる息子、足立春夫(森次晃

嗣)がいて、可愛い女工に、「結婚する」と偽り、次々に体を奪っていたのです。
 春夫は、やがて、ゆきに目をつけ、まんまと騙し、妊娠させてしまいます。
 でも、案の定、結婚する意志はなく、ゆきは製糸工場を辞め、実家に帰って、子供を産も

うと決意します。
 それを知ったみねは、ゆきにお別れの言葉をかけに会いに行くのですが、ゆきは「別の工

場で働き、また百円工女になって、子供をちゃんと育てるんだ」と言って、みねと別れるの

です。
 しかし、あの野麦峠を超える時、体がきつくてたまらなくなり、そのまま流産してしまう

のです。
 女工が妊娠させられるのは、実際によくあったらしく、野麦峠の由来も、この峠に群生す

る熊笹の実を野麦と呼んだことのほかに、この峠で流産することが多かったので、野産み峠

と呼ばれていたのが、野麦峠になったという説もあるそうです。 


 ゆきが去ったあとも、みねは製糸工場で働くのですが、重要な生糸の輸出先のアメリカが

大恐慌になり、それまで以上に過酷な労働を強いられ、ついに病に倒れてしまいます。

 みねが病に倒れたと知った兄(地井武男)は、みねを連れて帰ろうと、背負って、あの野

麦峠を登っていきます。

 しかし、峠を越え、ようやく故郷の飛騨が見えた時、みねは「飛騨が見える。飛騨が見え

る。兄ちゃん、うち帰ってきたんや。うち帰ってきたんやな」と振りしぼるように、かすか

に言ったかと思うと、そのまま意識を失ってしまうのです。

 そして、それがみねの最期でした・・・

 みねが死んだと知らされた女工達は、みな仕事を放り投げて、みねの死を悼むのでした。



 そんな女性たちが哀れで、女性の優しさや、愛情を不当に扱うことなく、素直に受け入れ

られる事を、強く男性に望みたくなる、そんな作品でした。


  
  
     
 


桜もちと私♪

2016-05-22 13:42:42 | Weblog
突然ですが、あなたは桜もちに付いている葉っぱはどうしてますか?

 なぜ、こんな質問をするかと言いますと、私はつい最近まで、桜もちが食べられなかっ

たんです!
 いいえ、以前は何の抵抗もなく食べていたのですが、20年位前にラジオで、タモリさ

んが、「桜もち、どうやって食べる?実はな桜もちにくっついてる葉っぱを丁寧に取って

食べる奴がいるんだよ。俺なんか葉っぱごとむしゃむしゃ食っちゃうけどな」と喋ってい

るのを聞いた途端、すっごいショックを受けて、突然、食べれなくなっちゃったんです。
 それは、私が桜もちに付いてる葉っぱを丁寧に取って食べていたからではなく、今まで

それに気づかなかった自分がとてもお行儀の悪いことをしていたように思え、顔から火が

出るくらい恥ずかしくなってしまったのです。

 柏もちの葉っぱは当たり前のように取って食べてるのに、桜もちの葉っぱは取らなかっ

たなんて、どうして私はそれに気づかなかったんだろ・・・

 わ~ん!私のバカバカバカ!!(涙)

 それ以来、桜もちを見ると、気が重くなり、ため息をついては、その場を逃げるように

していなくなる、そんな人生を送るようになってしまったのです・・・

 ついでに、桜もちばかりか柏もちまで食べれなくなっちゃったのです。(汗)

 あれから幾星霜、月日は流れ、私はもう二度と桜もちも柏もちも口にすることはないだ

ろうと諦めていました。

 ところが!

 私が懇意にしている横山光輝ファンのSさんが、先月の初めに、アイスキャンディのガ

リガリ君に桜もちバージョンが出たと写真付きでブログに紹介されていたのです。
 

その記事に、私は桜もちと絶縁するに至った悲しい思い出を告白し、出来ることならも

う一度食べてみたい。その勇気を、ぜひ、私に下さい。と、Sさんにお願いしてみたので

す。
 すると、心優しいSさんは私の願いにじっと耳を傾け、励まして下さったのです。

 それに勇気を得た私はまずガリガリ君の桜もちバージョンを食べてみることにしました


 すると、意外と美味しかったのです。

 そうだ!桜もちって、こんな味だったんだ!

 自信がついた私は本物の桜もちも食べてみることにしました。

 だけど、これはそう簡単にはいかないかもしれない。

 そこで、誰かと一緒なら、食べれるかも?と思ったのです。

 友達?

 それとも、主人?

 妹だわ!妹がいい!!
 
 私は妹と一緒だと、なんとか食べられそうな気がしてきたのです。

 妹の前だと、しっかりしなくてはという気持ちになるからです。

 そこで、妹の分の桜もちも買い、同じ市内に住む妹を訪ねて、一緒に食べようと考えた

のです。

 ところが、私が桜もちを食べられなくなったイキサツを話したあとで、「それじゃ、一

緒に食べましょう」と言って桜もちを取り出すと「私、さっき食事をしたばかりだから、

あとで食べる。」というではありませんか! 

 「ええっ、一緒に食べようよ。新鮮なうちに」
 と何度言っても、憎らしいことに妹は決して、首を縦に振らないのです。 

 「もう仕方ない。だったら、私、一人で食べるから、お姉ちゃんが食べるとこ、よ~く

見ておくのよ。」と言って、まさに清水の舞台から飛び降りる覚悟で口に運んだのです。
 だけど、悲しいかな、どうしても、口の中に入れられないのです!

 私はそんな自分が悔しくて、涙まで湧いてくる始末。

 そんな私を見て、妹は「がんばれ、がんばれ、お姉ちゃん」と励ましてくれ、私は何と

か20数年ぶりに桜もちを食べることに、見事成功したのです!

 やった!私でもやれば出来るんだわ!!

 
 私は妹と肩を寄せあい、嬉し涙に暮れました・・・


 それからというもの、折にふれては桜もちや、ガリガリ君の桜もちバージョンを食べて

いたのですが、今から10日ほど前、ガリガリ君を食べていたら、棒に「ガリT当たり」

と書いてあり、ガリガリ君Tシャツが当たっちゃったのです!


 これ、もしかしたら、桜もちが食べられるようになったご褒美に神様がプレゼントして

くれたのかも?

 それとも、Sさんの温かい励ましが天に届いて当たったのかしら?

 それはともかく、人生は何がきっかけで方向転換を余儀なくされるか分かりませんし、

また人との交わりの大切さをあらためて考えさせられた出来事でした♪
  



映画「卍」と「制服の処女」

2016-05-19 00:09:05 | 映画・テレビ
 今回は映画版の二つの「卍」のお話をしたいと思います。
 まず、1964年公開の若尾文子さんと岸田今日子さんの作品から。
 
これは、お二人のお色気や妖しい雰囲気が溢れんばかりに出ていて、すっごく驚いちゃ

いました。
 とくに、若尾文子さん。
 私がこの人を初めて知った時、すでにお年を召されてましたので、しっとりと落ち着い

た人だなという印象が強く、お若い頃、こんなお色気ムンムンの演技をされていたのが、

とても意外に感じられてなりませんでした。
 そういえば、相手役の岸田今日子さんにしても、私の子供の頃、テレビアニメの「ムー

ミン」の声をされてましたので、役を色々使い分けられる事に素晴らしい女優さんだった

のだなと、あらためて感服したりもしました。
 そのほか、園子(岸田今日子)の夫を、船越英二さん、光子(若尾文子)の婚約者を川

津祐介さんが演じていて、みな原作の役のイメージにぴったりだと思いました。

 ただ、この映画の難点をあげるとすれば、セリフや場面転換の仕方に工夫をこらし、小

説のストーリーを全部、写しとったのは、原作に忠実で好感が持てましたが、いかんせん

、ダイジェスト版みたく、ストーリー展開が急すぎて、感動に酔いしれる暇がなかったの

が、残念な気がしました。
 ストーリーを全部写しとらなくても、テーマに直結する場面を鋭角に切り取り、じっく

り見せてくれれば、なおよかったのになと惜しまれてなりませんでした。


 そして、1983年公開の樋口可南子さんと高瀬春奈さんのバージョン。
 
 実は、小説を読んだのは、つい最近でしたが、樋口可南子さんと高瀬春奈さんの映画の

方は公開当時、映画館で観ていました。
 しかし、こちらは原作が谷崎潤一郎の「卍」で、登場人物の名前が光子と園子と同じで

はありますが、ストーリーはかなり違ってまして、光子の婚約者、綿貫栄次郎は出てきま

せんし、ラストで死ぬのも光子ではなく園子です。
 
 だけど、原作に忠実な1964年版よりも、私は素直に感動することが出来ました。
 でも、だからと言って、1964年版が劣ってるというのでは、決してありません。
 この作品は谷崎潤一郎が、女性を悪魔的で謎めいた美しい存在と捉えることで、マゾヒ

ストとしての自らの願望を具現化したものだからです。
 しかも、光子を殺すことで、女性はか弱い存在でないといけないと言っているようでも

あります。
 ところが、ノーマルな女性や本物のレズビアンを知っている私にはこの光子がワガママ

で計算高い嫌な女に、どうしても写ってしまうのです。
 まず、最初に真性レズビアンで、園子が真剣に好きだと思わせておいて、その実、婚約

者がいた事です。
 私が懇意にしていたレズビアンの多くは、男性をひどく憎んでいましたから。
 しかも、園子に近づいた理由が、同性に好かれてこそ、女性としての本望だといった虚

栄心を充足させる目的なのが許せない気がしてならないです。
 おまけに、婚約者がいると光子に知られたあと、わざと妊娠を装って、園子を騙そうと

したのも作為が感じられて、嫌な女としか受け取られないです。
 本当に園子が好きなら、そんな演技をしなくても、「隠しておいてごめんなさい。もう

一度、付き合わせて下さい。」と正直に言ったほうが例え怒られたとしても、どれだけい

いか知れません。
 そこへいくと、1983年版の光子は、婚約者はいないし、従って何の作為もなく、園

子との愛欲場面も丁寧に描かれていて、その官能的な部分には私もうっとりしちゃうほど

です。
 とくに、二人きりで海に行き、波に向かって砂を投げながら、二人の愛を誓ったそのあ

とで、二人同時に生理が始まった場面は思わず感動せずにはいられませんでした。(真っ

赤)

 しかも、原作同様、光子は園子の夫とも体の関係になってしまうのですが、この作品で

は夫のほうが率先して、光子に迫った形になっていて、男に無理矢理迫られたら仕方ない

かも?と許せる気がしました。

 そして、原作と1964年版のラストでは、光子の元婚約者綿貫栄次郎の仕業で、新聞

に光子と園子と夫との愛欲の日々が白日の下に晒され、自分たちの人生はこれで終わった

と悲観した光子が、園子とその夫に一緒に死のうと言い出し、園子の夫と光子だけが死ん

で、園子ただ一人が生き残ってしまうのですが、1983年版では園子が自分の夫に心変

わりをした光子に落胆し、園子自身が絶命するところが大きく異なっています。
 しかし、園子の葬儀の最中に、光子と園子の夫がSEXする場面を入れることで、女性の

中に秘められた性の深淵を垣間見させ、原作のマゾヒズムとは、また別の味わいを醸しだ

すのに成功したように思えます。

 まあ、言えば、樋口可南子さんと高瀬春奈さんのバージョンのほうが、よりレズビアン

やノーマルな女性の実態に即していて、女性にはしっくり来るということですね♪


 ところで、レズビアンと来たら、もう一つ、ご紹介させてほしい作品があります。

 それは1936年公開のドイツ映画「制服の処女」です。

 この映画は登場人物がみな女性なら、監督もスタッフもみな女性だけで作られた作品で

、そのストーリーも、女生徒が女教師を好きになるところから、レズビアンを賛美したと

言われている知る人ぞ知る超有名な作品です。
 でも、この作品に描かれていることは女性なら、少女の頃に誰でも一度は経験したに違

いないのです。
 あの「赤毛のアン」のアンの心の友ダイアナしかり、少女は同性を好きになるプロセス

を経て、大人の女性へと成長していくものだからです。
 だから、中学生や高校生の頃、少女はいつも一緒にいる女友達がいて、夢や憧れを綴っ

た交換日記を書いたり、どこに行くのでも手をつなぎたくなったり、或いはこの映画の女

生徒同様、憧れの年上の女性がいるものなのです。

 云うなら、異性を好きになる訓練みたいなもの?

 しかし、それは少女にとって、自らの愛情を育むとても大切な期間であり、また儀式な

のかもしれませんね。   
  

 やはり、女性は、人を愛さずにはいられない生き物なんですね。


   
 
 



 

谷崎潤一郎「卍」私と同性愛

2016-05-13 09:13:19 | 読書
「卍」
 私が、この作品のお話をしたいと思ったのは、先頃、書いた谷崎潤一郎の「春琴抄」が

マゾヒズムを芸術の域に高めたものだと知ったのが始まりでした。
 そのあと、私は前々から気になっていたレズビアンを扱った「卍」を読んでみたくなっ

たのです。
 実をいうと私は、数年前、ネット上で、レズビアンの友達が何人もいた時期があったの

です。
 ことの起こりは、私が清少納言の「源氏物語」のお話をブログに連載していた時で、見

知らぬ女性が、突然、こんなコメントをくれたのです。
 「はじめまして。私は教育に携わる者ですが、「源氏物語」は原文で読んだことがあり

まして、そのほかサイデンステッカーが英訳したものも読んでいます。あなたの友人が読

んだという大和和紀の「あさきゆめみし」(注、源氏物語を漫画化したもの)は、私も読

みましたが、原作を忠実に再現して、素晴らしいと思います。あなたの源氏物語」の記事

も、毎回、興味深く読ませていただいております。」
 
 ええっ!「源氏物語」の原文や、英訳したものまで読んでる!
 かなり、頭いいんじゃない?

 しかも、教育に携わってる?

 もしかしたら、学校の国語の先生かしら?

 私は、自分の「源氏物語論」が、教育関係の仕事をしている人から、お褒めの言葉をい

ただき、天にも昇る思いで、喜んだのでした。
 しかも、彼女の方からお友達になりたいとまで言ってきたのです。
 私は、二つ返事で了承しました。
 ところが、彼女のブログを読んだら、何やら妖しげな事が書いてあり、驚いてしまった

のです。
  彼女は昼間こそ東京都内の教育委員会で真面目に働いているものの、夜ともなれば、

極端に肌を露出した黒ずくめのセクシー衣装を身にまとい、マゾの女性達の上に君臨する

レズビアン専門のSMの女王様だったのです!!

 そんなマンガみたいな話ってある?

 でも、ウソじゃないんです!

 そのブログには、お仕置きの実際が事細かに綴られていて、それを読んだら、なるほど

と思えなくもない事が書いてあり、私もちょっとSMに興味が湧いてきたのです。

 まず、なぜ、レズビアン専門なのかと言いますと、この女王様は元々、男性が好きだっ

たそうですが、付き合っていた男性が3Pが好きで、よく三人でエッチをして、めちゃめ

ちゃにもて遊ばれているうちに、男性に嫌気が差し、女性に関心が移ってしまったとのこ

とでした。
 それでは、お仕置きの実際とはどのようなものなのか?
 女王様によると、マゾの女性はただいじめられたいと思っているわけではなく、そこに

は聡明さから培われた威厳と、愛がなければならないと説いています。
 だから、SMの女王様は尊敬に足る人物でないといけません。
 そして、このお仕置きは、私への愛情だと感じた時、マゾの女性は最高の快感を得られ

るとのこと。
 それで、性的に恥ずかしい事を命令したり、する訳ですが、叩くのを専門用語で、スパ

ンキングというらしく、この女王様の場合、鞭は使わず、手のひらで叩いているそうです


 その訳は、鞭を使うと、跡が残る恐れが大きいからで、手のひらで叩く時も痛みはそれ

ほど感じないようにして、緩急をつけたり、出来るだけ大きな音が出るように叩いている

そうです。 

 マゾの女性は、普段、自我を抑圧して暮らしているらしく、女王様にお仕置きされるこ

とで、張りつめた自我を開放し、精神の安定を図る目的で訪れているので、跡が残ってし

まうと、平穏な日常に戻って行きづらくなってしまうからだとか。
 そして、一番、大事なのはプレイ終盤で、よくお仕置きに耐えられたわねと褒めてあげ

、キスとか、熱い抱擁をする事だそうです。


 つまり、このSMの女王様によると、腰や肩の凝りをマッサージで治すのと同じで、マゾ

気質の女性も時々、お仕置きされることで、精神の安定を図る事が必要らしいです。


 このSMの女王様、教育者だけあって、すごい説得力感じたりしません?

 そうして、SMの女王様と付き合うようになった訳ですが、こんな知的で愛情あふれる

SM観を持っているだけあって彼女を慕うレズビアンでマゾの女性の友達も多く、その繋が

りで、そうした女性達から、友達になりたいという依頼が私にも多数舞い込むようになり

、興味本位から何人も引き受けてしまったのです。
 彼女たちも多くはブログを書いていて、それを読み、考えさせられる事がいろいろあり

ました。
 まず、レズビアンと言いますと、私は先天的なものと思っていたのですが、彼女達の多

くは元々は男性が好きであった。だけど、どんな男性と付き合っても性的に虐待される事

が多く、そうこうするうちに同性が好きになったというケースが殆どだったのです。
 だから、彼女たちはみな一様に男性をひどく憎んでいましたし、それゆえか、文章も女

言葉を多用し、きわめて女性的でありました。

 そんな彼女たちの書くことと言ったら、自分の恥ずかしい写真をブログに載せたり、性

的に辱めを受ける内容が多数を占めていました。
 その中には、文章力のある女性もいて、つい引き込まれそうになったことも、正直あり

ました。
 例えば、ある女性はOLをしていたそうですが、乳首に小さな鈴を糸で結びつけて、デス

クで仕事をする訳です。
 そうすると、ちょっとしたことで、かすかに鈴が鳴ってしまう。
 彼女はそれを誰かに聞かれたらと思っただけで、ドキドキする。

 彼女は初め、こんな他愛のない事を書いていたのですが、やがて、すごい本格的なマゾ

ヒズムの小説を書くようになりました。

 ほかのレズビアンでマゾの女性の多くも、性的な事を書いていましたが、次第に過激さ

がエスカレートして、もう書くことがなくなったのか、半年か一年ほどで、いつの間にか

、雲散霧消してしまいました。
 あのSMの女王様も、お仕置きの実際を書いただけで、あとはたまにメールをやりとりし

たり、ブログにコメントをくれるだけになってしまいました。
 でも、ある決定的な事件で、私はSMの女王様ともついに別れざるを得なくなりました。
 彼女は、教育委員会から、ある高校の教師として、教鞭を執るようになったのですが、

教え子の中にとても可愛い女生徒がいたらしく、「男子生徒なんか知らない。私はあの子

が受験に受かるよう、とことん面倒を見る」と呟いたのに、当時、受験生の息子を抱えた

私はめちゃめちゃ腹が立って怒ってしまったのです。
 
 そうして、SMの女王様とも、レズビアンでマゾの女性達とも縁が切れてしまったのです

が、その時は、ほっと安心したのが、正直な気持ちでした。
 なにしろ、どの女性もエッチなことしか書かないので、次第に気分が悪くなり、ヌード

を毎回、披露していた女性にはそのつど婉曲に「やめなさい」とコメントをするまでにな

っていましたから。
  
 でも、今振り返ると、みんな何かしら傷ついていましたし、真剣に自分の性と向き合う

ことで、一瞬でも、その悩みから開放されたがっていたのかも知れないなとも思います。


 前置きが長くなってしまいましたが、私にそうした体験があったものですから、谷崎潤

一郎の「卍」に何が書いてあるのか興味が湧いてきた訳です。

 これを読んだら、女性は誰でも同性愛者になる素因を秘めているように思えてきました


 この小説、人妻の園子が、独身の光子を好きになるのですが、スタイルが良くて、綺麗

なのがその理由なんです。
 女性は、花や音楽や絵画など、美しいものが大好きです。
 また、赤ちゃんや、小さな子供や、ぬいぐるみを可愛いと思ったりします。
 当然、同性である女性にも関心がない訳ではありません。
 素直に美しいと賞賛するかと思えば、イチャモンつけて嫉妬する場合もあります。
 
 初めは園子の情熱にほだされたように見える光子ですが、やがて、光子の本心が明らか

にされていきます。

 「異性の人に崇拝しられるより同性の人に崇拝しられる時が、自分は一番誇り感じる。

何でや云うたら、男の人が女の姿見て綺麗思うのん当たり前や、女で女を迷わすこと出来

る思うと、自分がそないまで綺麗のんかいなあ云う気ィして、嬉してたまらん」

 女性は自分が美しいと思ったら、虚栄心が湧いてくる生き物です。

 しかも、光子は園子という同性だけが好きな訳ではないのです。
 
 綿貫栄次郎という男とも付き合い、最後には園子の夫孝太郎とも体の関係を持つように

なり、まさにタイトルの「卍」が示す通り、愛憎入り乱れ、ひたすら破滅へと突き進んで

いくのです。

 そして、そうなったら、もう誰も止めることなど出来ないのです・・・


 それは私にも、そしてあなたにも起こり得ることかも知れないのです・・・




 

「魔法使いサリー」よっちゃんと沈丁花

2016-05-02 13:23:08 | 映画・テレビ
 少し前になりますが、ある記事にこんなコメントを頂きました。
 
 「昨日、公園で沈丁花の花が咲いていました。サリーちゃんのよっちゃんが沈丁花の匂い

で亡くなったお母さんを思い出すって話す場面があったのですが覚えていますか?」

 それは、テレビ・アニメの「魔法使いサリー」のエピソードらしかったのですが、残念な

がら私はまったく覚えていませんでした。
 そして、その人は、いつも沈丁花の花を見ると、このシーンを思い出すとのことでした。

 私は、このコメントに、とても嬉しくなりました。
 
 なんて、素敵なコメントでしょう。

 怪獣博士の異名を持つあの人に、こんな素敵な詩心があったとは・・・

 人は見かけによらないって言うけど、こういうことを言うのかしら?

 なんだか、惹かれちゃいそう・・・(真っ赤)


 そういうふうに、しばらくは思っていたのですが、ふとある疑念がわいてきたのです!

 これって、サリーちゃんのエピソードじゃなく、よっちゃんのことですよね?

 あの人、もしかしたら、よっちゃんが好きなんじゃ?
 因みに、これがよっちゃんです。
 

 ふ~ん、そりゃあ、人の好みはいろいろあるから、なかにはサリーちゃんより、よっちゃ

んが好きって人もいるかも?

 だけど、ちょっと待って!

 あの人、私にすごく親切な気がするけど、もしかしたら、私のこと、よっちゃんに似てい

ると思ってるからじゃ?

 私が、よっちゃん?

 それは・・・

 ううん、別に不服がある訳じゃないのよ。

 よっちゃんて、気は優しくて、力持ちで、私も、あんな頼もしいお友だちが欲しいと思う

わ。
 でも、それはあくまでもお友だちに欲しいだけで、私はよっちゃんには全然、似てないと

思うの。

 髪型だって、よっちゃんみたいに結んでないし、どちらかと言えばサリーちゃんか、すみ

れちゃんに似てるような気がするし・・・(汗)

 
 だけど、あの人がよっちゃんのこと、そんなに好きだったら、私の知らない良いところが

、ほかにもあるかも知れない。

 それに、沈丁花のエピソードも気になるし・・・

 そこで、レンタル屋さんでDVDを借りて、確認してみることにしました。

 テレビ・アニメの「魔法使いサリー」のDVDは全部で19枚あり、全109話が収録されて

います。

 ついでに、横山光輝さんの原作本も読んでみました。

 これには、噂でしか知らなかった元のタイトルの「魔法使いサニー」のカラーの扉絵も収

録してあり、ちょっと感激しちゃいました。


 また、その本には横山光輝さんが、「魔法使いサリー」を誕生させた経緯も書いてありま

した。
 それによると、横山光輝さんは、女の子の優しさや、思いやりが魔法で叶えられるように

なればいいなと思っていたそうです。
 それと当時のアニメは男の子のものばかりで、女の子の見るアニメもあっていいじゃない

かと考えて、「魔法使いサリー」を創ったとか。
 だから、「魔法使いサリー」は記念すべき、女の子向けの初めてのアニメだったのです。
 しかし、そうは言えウィキペディアによると、男の子も結構、観ていたらしいです。
 つまり、よっちゃんの沈丁花のエピソードが好きだと教えてくれたあの人も、その中の一

人だったようです。

 それで、「魔法使いサリー」をつぶさに観てみたら、よっちゃんは想像以上に素晴らしい

女の子だということが分かってきました。

 よっちゃんの本名は、花村よし子で、自由が丘小学校の5年生、個人タクシーのドライバ

ーをしているお父さんと、小学校に上がる前のトン吉、チン平、カン太の三つ子の弟がいま

す。
 お母さんは数年前に亡くなっていて、弟の面倒を見たり、家事はよっちゃんが主に一人で

こなしています。
 これだけでも偉いのに、このよっちゃん、5年生なのに、「母の友」という母親向けの雑

誌を購読しているのです。
 その訳をサリーちゃんに聞かれ、「弟たちをどこに出しても恥ずかしくない子に育てるた

め」と答え、さらにこう続けるのです。
 「お母さんがいないからお行儀が悪いなんて言われたら悔しいもん。天国にいるお母ちゃ

んにすまないわ。」

 よっちゃんちの収入源はお父さん一人だけで、生活はかなり苦しいみたいです。
 それでも、よっちゃんはそうした境遇に負けないで、幼いながら、天国のお母さんを想い

、けなげに家庭を守っているのでした。

 そんなよっちゃんにも夢があります。
 その夢を書いた作文がありますので、ご紹介しますね。

 「魔女になりたい」
 これが、私の夢であった。
 欲張りのせいか、なりたいものが沢山あったからだ。
 宇宙飛行士になって、火星に一番乗りするとか、世界的に有名な外科医になって、ダメだ

と言われた手術に成功する。
 みんなからは男の子みたいだと言われても仕方がなく・・・
 けれど、私も女の子、有名なピアニストになったり、バレエのプリマになって世界中を踊

りまわる。超満員のお客様からの嵐のような拍手と歓声。お金持ちの娘になって、贅沢な生

活をしてみたいとも思う。

 ところで、私は毎日、学校が終わると、晩ごはんの支度のことで、頭がいっぱいになる。
 母がいないからだ。
 時には弟たちがお腹をすかせて待っている。ご飯の支度をしながら、いつも母のことを思

い出します。
 私は弟たちを叱ってばかりいますが、母は一度も私たちを叱りませんでした。
 母は私たちが悪いことをした時には、いつも私たちを叱らないで、母自身の子供の時のい

たずらの話をして、自分も両親をよく困らせたものだと苦笑するだけでした。
 私はこんな時の母が一番好きでした。
 母であると同時に、何でも話せる友達であるからです。
 母の子供の頃の話を聞いていると、私たちはもう二度と悪いことをして、この母を困らせ

まいと心に誓うのでした。
 そんな母が死んでからというもの、弟たちの乱暴が激しくなりました。
 母がいなくなった淋しさを、どこにぶつけていいのか分からなくなっているのかも知れま

せん。
 私たちが尊敬し、何でも知っていて、素晴らしい人は母です。
 何でも出来るのがそうなら、母は私たちにとって魔女かも知れません。
 大きくなったら、私もきっと母みたいな人になろうと思います。 

 

 ところが、よっちゃんがこんなに頑張っているのに、弟たちの乱暴は絶えず、とうとう警

察に呼び出されてしまいます。
 そこで、弟たちが乱暴をした子供の親に、「結局、こういう乱暴な子供が生まれるという

ことは親の愛情が足りないからです。親がしっかりしていないから、こういうことになるん

です。愛情の問題なんです。」と言われ、よっちゃんはすっかりしょげてしまうのです。
 そのあとで、よっちゃんはサリーちゃんを連れて、家に帰り、古いアルバムを出して、お

母さんの思い出を語るのです。

 「これが、あたしのお母ちゃんよ。すごく優しいお母ちゃんだったわ。
 沈丁花の花が好きだったわ。
 うちのお母ちゃん、いつも編み物していたのよ。
 学校から帰って、家の前に来ると、ザーザーという音がして、ああ、今日もお母ちゃんが

いるなって安心したんだわ。」


 でも、そこまで喋ったよっちゃんは、お母さんが恋しくてたまらなくなり、「お母ちゃん

、どうして死んじゃったのさ・・・」と、その場に泣き崩れてしまうのです。

 それを見ていたサリーちゃんは、よっちゃんが可哀想でならず、魔法で天国のお母さんに

会わせてあげるのです。  

 よっちゃんも、お母さんもともに泣いて、久しぶりの再会を喜びました・・・


 そうして、大好きだったお母さんに会えたよっちゃんは一晩中、お母さんに甘えるのでし

た・・・

 
 次の朝、よっちゃんは沈丁花の匂いで、目が覚めます。
 居間の机の上に綺麗な沈丁花があり、そこからいい匂いがしていたのです。
 
 やがて、家族みな集まり、「お母ちゃんの匂いがする」と言って、沈丁花の匂いをかいで

、お母さんの思い出にひたるのでした・・・

 
 よっちゃん一家のけなげに生きようとするお話に、私も涙がこぼれるのを抑え切れません

でした・・・

 怪獣博士の異名を持つあの人に、こういう素晴らしいお話に感動する優しい一面があった

なんて・・・本当はすごく素敵な人かも・・・(真っ赤)


 ところが、そう思う間もなく、次の瞬間、画面に大きく映し出されたものを見て、びっく

り仰天してしまいました!


 こ、こ、これは、一体???


 そこには、あの人の大好きな怪獣が映っていたのです!!

 よっちゃんのお母さんは、天国では雲で編み物をしていて、怪獣が大好きな三つ子のため

に、怪獣の雲を編んだのでした。


 もし、よっちゃんのお母さんが怪獣の雲を編んでなかったら、怪獣博士の異名を持つあの

人は、それでも感動したのでしょうか?

 それでも感動したと思いたい私・・・


 怪獣博士、本当は一体、どうなの~~~???



 どうして、こんな終わり方になっちゃう訳?(苦笑)