奈々の これが私の生きる道!

映画や読書のお話、日々のあれこれを気ままに綴っています

「細雪」谷崎潤一郎

2016-03-31 23:05:54 | 読書
この「細雪」は日本の四季折々の風物詩を取り入れた美しい姉妹の物語だと、かなり以前か

ら知っていましたので、いつか読みたいなと思っていました。
 だけど、短編なら、わりあい簡単な気持ちで読む気持ちになるのですが、この小説は長編

の部類に属するので、興味はあるものの、躊躇してなかなか読む気になれなかったのです。
 ところが、谷崎潤一郎没後50年にあたる昨年の暮れ、NHKの「歴史秘話ヒストリア」で、

谷崎潤一郎が「細雪」を書いた動機が紹介されていて、にわかに読む意欲がわいてきたので

す。
 谷崎潤一郎はもともと東京の人だったのですが、大正12年に起きた関東大震災で焼け出

され、関西に移り住む事になったそうです。
 そこで、関西の様々な伝統や文化や人情に魅了され、とりわけ女性の美しさの虜になり、

20年も関西に住み続けたとか。
 
 聲の裏に必ず潤ひがあり、つやががあり、あたたか味がある。
 
 「女」として見る時は大阪の方が色氣があり、魅惑的である。
                  「私の見た大阪人」より

 昭和10年、谷崎は前妻との離婚が成立し、かねてから思いを寄せていた森田松子と結婚

して、兵庫県芦屋市にて、新婚生活をスタートさせます。
 この時、松子の元夫との間に出来た娘と、松子の二人の妹も同居することになり、賑やか

に暮らしていました。
 その頃、谷崎達が楽しみにしていたのはお花見で、毎年、みんなで、京都の平安神宮に花

見に出かけていたそうです。
 松子達姉妹との日常は谷崎が今まで味わったことのない華やかなものでした。
 ところが、昭和16年、太平洋戦争が始まり、次第に食料は配給となり、生活必需品を手

に入れることも難しくなっていきました。
 谷崎は花見など四季折々の行楽を控えざるを得なくなり、かつてのきらびやかな生活が失

われるのに危機感を覚え、小説にして、その記憶をとどめようと「細雪」を書き始めたので

した。


 「細雪」執筆の動機と、谷崎が松子達姉妹と、毎年、京都の平安神宮の花見に出かけるの

を楽しみにしていたのを知った私は、強い衝動を覚え、この長編小説を読む意欲がわいてき

たのです。
 桜は遠い昔、花と言えば、桜を指すほど、いにしえより日本人に愛されてきた花で、万葉

集にも数多く詠まれています。 

 私も、春の訪れとともに咲き、綺麗なまま儚く散る桜が愛しくて、雨はもとより、そよ吹

く風にも、花びらを散らさないでと、この時期祈らずにはいられないほど桜には格別の思い

を抱いています。

 そこで、「細雪」を、当地で桜が咲く三月に読むことに決めたのです。


 そうして読み始めたら、冒頭に「こいさん、頼むわ。」と書いてあったのです。
 こいさんという言葉は、関西を扱ったドラマや歌などで、よく聞きますが、どんな意味が

あるのでしょう?
 
 これは元々、大阪は船場の古い商家の言葉で、娘を愛しいという意味で、「いとちゃん」

と呼び、末の娘を小さくて愛しいことから、「こいさん」と呼ぶことが分かりました。
 私は「こいさん」という言葉に、関西の人の娘を思う温かい親心が感じられて、思わず感

動せずにはいられませんでした。
 この言葉に限らず、「細雪」は関西弁が沢山、書かれています。
 それを読むと、関西弁は全然、気取ったところがなく、親しみがあり、やわらしい感じを

受け、酔ってしまいそうになるほどです。
 
 「いやとは云うてへんけど、・・・ま、昨日来て今日明日のうちに見合いしょうて、そな

い軽々しゅう扱われとうない云うのんが、ほんとうのとこやないやろか。何せはっきり云う

てくれへんさかい分からへんねんけど、もうちょっとその人のこと調べてからでもええやな

いか云うて、何ぼすすめても行こう云うてくれへんねん」

 この一見、饒舌とも言える言い回しに、相手に対する心遣いが感じられて、心が温かくな

るようです。

 この作品は昭和10年頃から、太平洋戦争が始まる昭和16年にかけての物語で、大阪の

名家で、家運が傾きかけた蒔岡家の三女・雪子の縁談と、「こいさん」こと妙子の男性遍歴

が、その二人の妹をあたたかく見守る次女・幸子の心のうちを通して丁寧に綴られています


 驚嘆すべきはエピソードの数々で、あまりにも詳しく、登場人物も活き活きと書かれてい

るため、小説であることを忘れ、実際の出来事を目の当たりにしているような錯覚を覚えて

しまいます。
 神は細部に宿るという言葉は、この作品のためにあるように思われてなりませんでした。


 この小説の中で、とくに私の興味を引いたのは雪子の縁談で、相手の男性もさることなが

ら、お見合いのやり方や駆け引きには考えさせることが多かったです。
 今の結婚は恋愛結婚が主流なので、愛は不可欠な要素ですが、戦前の名家のお見合い結婚

の場合、そうではなく、門地や家柄が最優先されるのが、ちょっと驚きでした。
 その次が収入や財産で、反対に面倒を見なければならない係累がいたり、親兄弟に深刻な

病気を持った者や、不倫の過去がある者は除外の対象になるとか。
 
 非常に現実的ではありますが、昔はお見合い結婚による条件が色々あったから、離婚が、

今より少なかったのかも知れないなと思いました。
 それに、昔の大和なでしこは、おしとやかで、控えめな女性が多く、今と違って異性と接

する機会が少なかったので、お見合い結婚の方が合ってたのかも知れませんね。

 一方、「こいさん」こと妙子の場合は、自由奔放で、積極的な性格に描かれ、雪子とはま

ったく対照的で、女性の中に潜む魔的なものを感じずにはいられませんでした。

 しかし、この小説の中で、もっとも私の胸を打ったのは、結婚を前にした二人の妹、雪子

と妙子の幸せを願う姉の幸子の優しさや思い遣りでした。
  
 そして、この物語は性格のまったく違う三人の姉妹が、互いに心を通わせる場面が、妙な

る調べのようで、深く心に沁み入りました。

  
 細雪、それは手のひらに受けると、すぐにとけてしまう細かな雪をいいます。

 谷崎潤一郎は、姉妹達の美しい思い出を、淡い細雪になぞらえ、永遠に小説の中に封じ込

めておきたかったのかも知れないですね?

 最後に、「細雪」の一節を書いて終わりにします。


 古今集の昔から、何百首何千首となくある桜の花に関する歌、古人の多くが花の開くのを

待ちこがれ、花の散るのを愛惜して、繰り返し繰り返し一つことを詠んでいる数々の歌、少

女の時分にはそれらの歌を、何と云う月並なと思いながら無感動に読み過ごして来た彼女で

あるが、年を取るにつれて、昔の人の花を待ち、花を惜しむ心が、決してただの言葉の上の

「風流がり」ではないことが、わが身に沁みて分かるようになった。そして、毎年春が来る

と、夫や娘や妹たちを誘って京都へ花を見に行くことを、ここ数年来欠かしたことがなかっ

たので、いつからともなくそれが一つの行事のようになっていた。この行事には、貞之助と

悦子とは仕事や学校の方の都合で欠席したことがあるけれども、幸子、雪子、妙子の三姉妹

の顔が揃わなかったことは一度もなく、幸子としては、散る花を惜しむと共に、妹たちの娘

時代を惜しむ心も加わっていたので、来る年毎に、口にこそ出さね、少なくとも雪子と一緒

に花を見るのは、今年が最後ではあるまいかと思い思いした。その心持は雪子も妙子も同様

に感じているらしくて、大方の花に対しては幸子ほどに関心を持たない二人だけれども、い

つも内々この行事を楽しみにし、もう早くから、あのお水取の済む頃から、花の咲くのを待

ち設け、その時に着て行く羽織や帯や長襦袢の末にまで、それとなく心づもりをしている様

子が余所目にも看て取れるのであった。
  
 
 
 
 

「走れメロス」太宰治

2016-03-07 00:37:43 | 読書
 今年の1月、私のブロ友さんが、九州まで来られて、指宿のマラソン大会を見たあと、

福岡の大宰府に立ち寄ってから帰郷された事がありました。
 私は、それが意味ありげで、何か心に引っかかるものがあったのです。
 もしかしたら、私に謎をかけたのかも知れない。
 というのも、その人は軍事研究家でもあるので、暗号みたいな気がだんだんしてきたの

です。
  
 私は戦争はあまり詳しくないですけど、有名な暗号なら少しは知ってるんです。
 
 「ニイタカヤマノボレ」
 
 「トラ・トラ・トラ ワレ、奇襲に成功セリ」
 
 どう?
 私って偉いでしょう♪ 

 え?
 私が言いたいのは、それじゃない!これだ!!ですって???

 「皇国の興廃、この一戦にあり、各員、一層奮励努力せよ!!」


 司令官、了解しました!
 私に、太宰治の「走れメロス」を書けってことですね!!
 

 ていうか、全然、暗号じゃない!(笑)
 

 ところで、実は私にマラソンやってるブロ友さんがいるんです。

 そう、42・195キロ走ってるの!

 それって、とてつもない距離だと思いません?

 私に走れと言われても、絶対、無理ですもん・・・

 それに、その人マラソンやるために、日頃からトレーニングを欠かさないんです。
 それを書いた文章を読むと、ため息が出て、尊敬の二文字しか浮かんでこないの・・・

 怪獣博士や野鳥好きの人もいいけど、それよりマラソンのあの人が・・・(真っ赤)

 だったら、その人の素晴らしいところって、どこにあるのでしょう?

 不屈の精神力

 うんうん♪

 強靭な肉体(真っ赤)

 はっ!
 私ったら、何、想像してるんでしょう・・・
 でも、どんな体してるのか気になります。(苦笑)

 だけど、私がスポーツマンに求めるものは第一に爽やかである点です。

 やっぱり、男性は爽やかでなくっちゃですよね♪

 しかし、あの人、爽やかというより、ちょっと軽い気が???

 いえいえ、文句などあろうはずがありません。
 なんてったって、42・195キロを走破するために、日夜、自分と戦ってる人ですか

ら、軽かろうが重かろうが、どうってことないです!

   
ということで、今回は太宰治の「走れメロス」のお話をする訳ですが、その前に私の知

ってるマラソンに関するお話を、最初に書かせていただきますね。

 まず、子供の頃、私の出身地宮崎に、マラソンで有名な旭化成所属の宗兄弟という双子

のランナーがいました。
 私は、オリンピックでメダルを取るように、テレビで見かけるたびに応援していたもの

でした。
 次に、宮崎で開催される青島太平洋マラソン大会に、村社講平というおじいちゃんがよ

く走っていました。
 この人、どんな人なのか、その頃はよく知らなかったのですが、1936年のベルリン

・オリンピックで、5000メートルと1000メートルを走り、ともに4位入賞を果た

したすごい人だったんです。
 村社講平さんは、ベルリン・オリンピックの記録映画「民族の祭典」にも登場しますし

、手塚治虫先生の「アドルフは告ぐ」にも走ってる姿が描いてあります。

 有名なマラソン選手では、円谷幸吉を挙げたいと思います。
 円谷選手を、最初に知ったのは、有名な遺書でした。
 それは、たぶん、川端康成を読んでいた時、彼が円谷幸吉の遺書を褒め称えていたのが

目に止まったのかも知れません。
 また、三島由紀夫は、「円谷二尉自刃」という文章に、「円谷選手の死のやうな崇高な

死をノイローゼなどという言葉で片付けたり、敗北と規定したりする、生きている人間の

思いあがりの醜さは許しがたい。それは傷つきやすい、雄々しい、美しい自尊心による自

殺であった」と強い調子で円谷幸吉の死を擁護したそうです。

 私のマラソンランナーのブロ友さんは、床屋さんのラジオで円谷幸吉の自殺を知り、す

ごくショックを受けたと教えてくれました。


 そのほかに、私はマラソンが、42・195キロになった理由も知っています。
 1896年に近代オリンピックが始まった時は、40キロ前後と統一されていなかった

そうですが、第4回のロンドン・オリンピックの時、イギリス王妃アレクサンドリアが、

スタート地点は王宮の庭に、ゴール地点は競技場の私のボックス席の前にと注文をつけた

のが発端となったとか。

 なんて、素晴らしいエピソードなんでしょう。 
 
 きっと、アレクサンドリアという王妃、可愛らしい人だったに違いないですね。
 だから、オリンピック委員会も選手も、アレクサンドリア王妃が喜ぶならと、そうした

のだと思います。
 今もその思いを胸に、選手のみなさんは走ってらっしゃるのかもですね♪
  


 ところで、太宰治に話を戻しますと、先日、テレビを観てたら、黒柳徹子さんの番組で

、児童文学者の石井桃子さんによる太宰治の思い出を綴った文章の一部が、阿川佐和子さ

んの朗読で紹介されていました。
 実は私、その文章(太宰さん)が載った本、持ってるんです。
 それによると、石井桃子さんは、戦争中、太宰治と5,6回ほど会った事があるそうで

す。
 石井桃子さんは、かなり前にメロスとセリヌンティウスの逸話をイギリスの本で読んで

、大変感激され、その逸話をもとにした太宰治の「走れメロス」を見つけた時、本当に嬉

しく思い、その時、初めて、太宰治を知ったのだとか。
 それで、私がこの「太宰さん」で、ひときわ注目したのは、太宰治が亡くなった後、井

伏鱒二と交わした会話なんです。
 井伏鱒二と太宰治は師弟関係にあり、井伏鱒二は何くれと太宰治の面倒を見ていたよう

です。
 その井伏鱒二が、石井桃子さんに向かって、「太宰君、あなたがすきでしたね」と言っ

た時、石井桃子さんは「はァ」と笑うような、不キンシンな声をだしてしまった。そして

、びっくりしたまま。と、この文章に書いてあるんです。
 その次に「それを言ってくださればよかったのに。私なら、太宰さん殺しませんよ」と

井伏鱒二に答えたと。

 私は、この部分で、石井桃子さんが、聡明で、自信に満ち、いかに多くの男性にモテた

かが分かる気がします。
 実際、石井桃子さんのお若いころの写真を見ると、すごい美人で、瞳がキラキラ輝いて

いるんです。
 だから、石井桃子さんのためなら、何でもやりましょうという男性が多かったはずなん

です。
 しかも、自分から進んで、さも嬉しそうにやる。
 それがあったから、「私なら、太宰さん殺しませんよ」という言葉が出たのだと、私は

確信するのです♪
 
 それと、「走れメロス」に入る前にもう一つ書かせて下さい。
 私が、以前、三島由紀夫の記事を書いていた時、作家の開高健の三島由紀夫評を記事に

して下さった方がいらしたんです。
 その開高健が、昭和35年6月に、大江健三郎、奥野健男、武田泰淳、中村真一郎、吉

行淳之介ら、当時の文学者や文芸評論家と座談会で、太宰治について語った文章を見つけ

たんです。
 それによると、太宰治が作品を発表した当時の世間の受け止め方が分かって、非常に興

味深かったのです。
 戦争中は、多くの作家が書かなくなったり、情報局から言われて、戦争に迎合するよう

なことを書いていたけれども、太宰治だけは上手く切り抜けて、不自由なく書いていた。
 つまり、戦争中、日本の文学の衰退を太宰治がただ一人で食い止めていた。
 だから、当時の文学青年は太宰治の新刊が出るのを、今か今かと待っていたそうです。
 三島由紀夫は、太宰治を女々しい奴と決めつけ、嫌っていたようですが、なんだか太宰

治を見直したくなっちゃいますよね?

 では、開高健は、太宰治について、どう語っているでしょう?
 「・・・僕も戦争末期頃にたまたま「晩年」が手に入ったんで読んだんですがね。その

とき、ひじょうに鮮明な印象を受けて、なかでも一番、好きだったのは「ロマネスク」と

いう作品だったんです。僕はこれを読んだ時に、実に楽しくてね。よかったなァ、あのと

きは。それで戦後しばらくして、柳田国男さんが「不幸なる芸術」というのを書いて、そ

のなかに、「鳥滸の文学」というのがある。それを読んでみると、要するに日本の説話の

文学系列のなかで今昔物語とか、著聞集とかの一種の笑いの系列の文学があって、戦国の

その日その日、生きるか死ぬかの陰惨な生活の中で、しかも彼らは高級な笑いを笑うこと

を忘れなかった。けれどこの伝統はその後吹っ切れてなくなってしまい、今ではただもう

悲痛や呻吟の文学ばかりが氾濫している。だからもう芸術というものは人に意外の快楽を

与える、笑いを与えるという、そういういう役目だけで芸術が終わってもいいのではない

か、そういう文学があってもいいのではないかと思うが、どうだろうと出しているんです

ね。この論文を読んだ時その場で太宰治のロマネスクを思い出しました。太宰治は落語の

語り口とか、民話の語り口などをきわめて巧妙に駆使してほんとに無償の笑いに成功して

いる。「鳥滸」なんです。これは彼独自の資質でもあり、天才だとも思うんですが、当時

の仲間のみんなが真似するのは笑いの方ではなく悲痛呻吟の作品ばかりでね。(笑い声)

笑いの方を真似するのはむずかしいことなんだけれど・・・」

 これは考えさせられますね。
 太宰治は人生を深刻に考え、悩み抜いた挙句、亡くなったので、笑いの方はとかくおざ

なりにされる傾向があるようですので。


 それでは、いよいよ、私なりの「走れメロス」の感想に入る訳ですが、この作品は中学

校の教科書に載っていて、子供の頃に読んだ記憶があるんです。
 その時は友情の美しさや、人を信じることの大切さなどが、私の胸を打ったのですが、

あらためて読み直して、意外な事実を発見したんです。

 中学校の教科書では、メロスとセリヌンティウスが抱き合い、その美しい友情を見た暴

君ディオニスが心を改め、群衆が、「万歳、王様万歳」と歓声をあげたところで終わって

いたのですが、実はその続きがあることに気づいたんです。

それは・・・

 ひとりの少女が、緋のマントをメロスに捧げた。メロスは、まごついた。佳き友は気を

きかせて教えてやった。
 「メロス、君は、まっぱだかじゃないか。早くそのマントを着るがいい。この可愛い娘

さんは、メロスの裸体を、皆に見られるのが、たまらなく口惜しいのだ。」
 勇者は、ひどく赤面した。
                     (古伝説と、シルレルの詩から。)

 つまり、メロスは最初は衣服を身に着けていたようですが、いつの間にか全裸で走って

いた事になっているんです。
 しかも、それにメロスは気づかなかった。
 そういう事って、実際あるのでしょうか?

 私のブロ友のマラソンランナーも、パンツが脱げたことに気づかないまま走ったことが

あるのでしょうか? 

 まさか、
 「途中で衣服が脱げ、全裸に気づくようなら真剣に走ってない証拠さ。
 俺なんか、ゴールした時は、しょっちゅう全裸さ」
 なんて、返事が返ってきたら、どうしよう・・・(真っ赤)

 
 それはともかく、教科書を作った出版社や編集者は、この部分は中学生には不適切だし

、なくても別に構わないとの配慮から削除したと思うのですが、太宰治がこの部分を書い

たのは、何か特別な理由があるのではと思ったのです。
 
 実は、この部分の意味、子供の頃には分からなかったと思いますが、今の私ならよく分

かる気がします。
 
 この作品は男性が読んでも感動出来ると思うのですが、女性が読むと別の味わいがある

んです。

 言ってみれば、この作品は女性の読者をかなり強く意識して書かれているんです。

 まず、最初に「メロスは激怒した」となっていますよね?
 女性は、怒りっぽい男性とは付き合いたくないものなんです。
 だから、いきなりメロスに嫌な感じを受けるんです。
 そして、次に出てくるのが、「必ず、かの邪智暴虐の・・・」という聞いたこともない

、難しい言葉で、私、最後まで読めるかしら?とクラクラしてきちゃうんです。
 しかも、暴君ディオニスは誰も信じられず、我が子や妹まで殺してるんです。

 それは、まるっきり女性にとって恐怖意外の何ものでもありません。
 
 そんな暴君ディオニスをメロスは許せず、王宮に殴り込みに行くのですが、あえなく捕

まり、懐に忍ばせておいた短剣が見つかって、あわや死刑になりかけるのです。
 でも、もし情けをかけてくれるなら、妹に結婚式を挙げさせてあげたいから、三日間の

猶予が欲しい。その代わり、親友セリヌンティウスが人質になるからと、暴君ディオニス

に頼みこむのです。
 親友セリヌンティウスを本人の了解なしに人質にするのもどうかと思いますが、私は、

それより妹の結婚式という理由が引っかかっちゃうんです。
 もし、メロスがいかにも男らしいという設定なら、やり残した仕事があるので、それを

済ましておきたいからというのなら、なるほどと思うのです。
 でも、妹の結婚式という理由に、女性はちょっと安心するんです。

 メロスって、案外優しいところがあるのねと。

 だけど、それもつかの間、河が大雨で濁流になっていたり、山賊に襲われたり、カラカ

ラのお天気で体力を著しく消耗し走れなくなったり、ハラハラ・ドキドキの連続なんです


 そして、ようやく、セリヌンティウスが死刑になりかける間際に元の王宮に辿り着き、

熱い友情のおかげで、さしもの暴君ディオニスも改心し、ほっと胸をなでおろすのです。
 そこへ、太宰治から、今まで恐い思いをさせたり、ハラハラ・ドキドキさせて、ごめん

ね。はい、これプレゼントと言わんばかりに、メロスが全裸だったという事実を明かされ

るのです。(真っ赤)

 つまり、最後に現れる娘さんとは、女性の読者ってことなんです♪



 こう、読み解くと、いかに太宰治が女性の読者を大切にしていたかが分かりますよね?

(笑)


 あとオマケがあります♪

 この「走れメロス」を、漫画家の横山光輝先生が劇画にしてるんです。


 これって、横山ファンの間では有名なんでしょうか?

 太宰治の作品では、「走れメロス」が、一番、読まれているそうですが。

 え?
 横山光輝の「走れメロス」を知らなくて、横山作品を語るなかれというくらい超有名な

作品なんですか?
  
 それでは、心して読まなくちゃですよね。

 私が気になるのは、もちろん、ラストで、メロスが全裸であるかです。(笑)


 ドキドキしながら、そうっと読み進めてみると、描いてない!


 
 なあんだ、がっかり・・・じゃなくって。(苦笑)
 やっぱり、横山光輝先生は男の中の男ですね!

 友情と和解のお話に、メロスの全裸は必要ありません!

 男の生き方を追求し続けた横山光輝の「走れメロス」もまた素晴らしいと思った次第で

した♪ 



 

映画「キングコング」♪

2016-03-01 20:42:47 | 映画・テレビ

 今年の干支に因んだ記事は、今回が最終回になります。
 そこで、それに相応しいものは何かと考えたら、これしかない!という結論に達しまし

た。
 それは、ジャジャン!映画の「キングコング」です!!
 
キングコングは、巨大なゴリラの怪獣で、知らない人はない超有名な怪獣です。

え?
 「だったら、今年の干支の猿とは関係ないじゃん。」
 と思いました?

 でも、これでいいんです。
 前回、「宇宙猿人ゴリ」を書いた時、良しとしましょうと言って下さった方がいらした

んです。
 だから、きっと、これもいいはずなんです。

 だって、そう言って下さったのは、あの怪獣博士ですから~♪


 じゃあ、はりきって参ります!

 この映画が作られたのは、1933年で、銀幕狭しと大暴れするキングコングに、当時

の人は大変、驚き、空前の大ヒットを記録したそうです。
 
 しかも、この映画は怪獣が大暴れするだけのお子様向けのただの映画と違って、映画史

上に怪獣映画という一つのジャンルを築き上げた記念すべき名作映画なのであります。

 そう、「キングコング」は、怪獣映画の元祖なんです!

 この映画を観たレイ・ハリーハウゼンは、ストップモーションアニメを志し、1953

年に、「原始怪獣現わる」を作り、それが「ゴジラ」誕生の大きなきっかけになったそう

です。
 また、「キングコング」は特撮の神様、円谷英二にも多大な影響を与えたことで知られ

ているとか。
 そして、驚いたことにキングコングは、あのゴジラと戦ったこともあるんです!
 それの何がすごいって、タイトルが、ゴジラより、先になってるんです。 

 「キングコング対ゴジラ」

 
 ゴジラは、キングギドラや、モスラをはじめ、何匹もの怪獣と戦ってますが、ゴジラよ

り先に対戦相手の名前があるのは、「キングコング対ゴジラ」と「モスラ対ゴジラ」の2つだけなんです!!

 それに、この作品は1255万人を動員し、ゴジラ映画史上最高のヒット作となって、東宝がゴジラ映画を作り続ける大きな原動力になったとか。

 キングコング、すごい!!

 おまけに、この映画で、キングコングは日本に上陸し、ある美女を好きになっちゃいま

す。
  
 それが、誰あろう、映画「007は二度死ぬ」で、日本のボンド・ガールとして、勇名

を馳せたあの浜美枝さんではありませんか!

 ジェームズ・ボンドに好かれたばかりか、キングコングにまで!!

 この浜美枝さんの演技がすごいのです。
 元祖「キングコング」の美女フェイ・レイは絶叫で、有名になり、以後、絶叫女優とし

て、数多くの映画で、絶叫しまくったそうですが、浜美枝さんも負けてはいません。
 ていうか、「助けて~」という叫び声を何度も連発してるのですが、とても美女が発し

てるとは思えない凄まじい叫び声なんです。(苦笑)
 でも、それだけに真に迫っていると言えなくもないです♪

 でも、ワタシ的には、「キングコングの逆襲」での某国の女スパイの、男をたぶらかす

悪女っぷりも素敵だなと思います♪ 


 ところで、「キングコング」は、あの「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」で、有名な淀

川長治さんも、ご自身が推薦するクラシック名画ベスト100で、名作映画の一つに挙げ

ておられます。
 淀川長治さんによると、「キングコング」が、日本で封切られた時、キングコングの迫

力ある素晴らしい特撮映像に、実在してるのでは?と、勘違いした人が大勢いたそうなの

です。


 では、「キングコング」のどこが素晴らしいのでしょう?
 
 「それは、キングコングが恐竜と戦ったり、エンパイア・ステート・ビルに登って、飛

行機を叩き落としたり、大暴れするところに決まってるじゃないか!あれこそ、怪獣映画

の醍醐味さ!あの場面、最高♪」という声が聞こえてきそうです。
  
 でも、淀川長治さんは、もっと詳しく、分析されています。
 
 キングコングが、ただ大暴れするだけでは、あれほど多くの人の心を捉えることは出来

なかったに違いない。
 キングコングは、美女を好きになり、優しい気持ちが芽生えてくる。

 戦うだけでは、心は次第にすさんでいくばかり・・・

  誰にとっても、愛は大切なものなの・・・

 キングコングは、その愛を人間の女性に見つけ、安らぎを得ようとする。
 
 だけど、それは許されない愛だった。
 
 そして、エンパイア・ステート・ビルでの場面のあと、悲劇的な運命がキングコングを

待ち受けている。

 微動だにせず、冷たくなった巨大なキングコングに、ある男がそうなった理由を言って

、この映画は幕を閉じるのです。


 「美が野獣を射止めたのだ」

 

 かくして、「キングコング」は不朽の名作になったのです・・・

 
 ところで、キングコングを主役にした映画はほかにもいくつかあって、私はこの記事を

書くにあたり、観られるだけ観ました。


 それも、せっかくですから、ご紹介しますね。

 「コングの逆襲」1933年制作
 これは、「キングコング」の大ヒットを受けて作られた後日談で、キングコングの息子

が主役として登場します。
 「キングコング」の半分の制作費で作られただけあって、あまり見せ場はないですが、

子供のコングが可愛いので、女性向けと言っていいでしょう。


 「キングコング」1976年制作
 この作品の白眉は何と言っても、キングコングに愛される美女をジェシカ・ラングが演

じていることでしょう。 
 この作品が、ジェシカ・ラングのデビュー作になるらしく、のちに「郵便配達は二度ベ

ルを鳴らす」で演じたお色気の萌芽を、これでもか!というほど、セクシー衣装で堪能出

来ちゃいます♪

 
 「クイーンコング」1976年
 なんでも、ジョン・ギラーミン監督の「キングコング」の公開を当て込んで制作された

そうで、特筆すべきは、キングコングをはじめ、登場人物の性別をみな入れ替えてあるこ

とです。
 でも、それ以外は原作にわりと忠実に作られてるのですが、メスのキングコングを見世

物にする際、興行主が、ブラジャーをさせる事に、女性達が猛反発して、大騒ぎになっち

ゃうのです。
 この作品はそうすることで、女性の自由と権利を訴える方向に展開していくのですが、

主人公のオカマと思しき主人公の吹き替えをした広川太一郎さんのセリフがとにかく可笑

しくて、ついつい笑わずにはいられない、とっても素敵な迷作だと思います♪


 「キングコング」2005年

 この作品は、1933年制作の「キングコング」の忠実なリメイク版ですが、実に丁寧

に作られていて、監督の並々ならぬ才能に敬服せずにはいられませんでした。
 監督は、「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズを撮り、数々の賞を受賞し、一流監督

の仲間入りを果たしたピーター・ジャクソンです。
 彼は、1933年の「キングコング」を観て、映画監督を志したらしく、その作品でキ

ングコングに愛された美女役フェイ・レイを、ラストで使うプランがあり、本人の了解も

取ってたそうですが、突然の急死で実現しなかったそうです。 

 まず、この作品、冒頭に登場するキングコングのいる南の島に行こうとする映画監督カ

ール・デナムが可笑しいです。
 原作の監督役は理知的なイメージですが、この作品のジャック・ブラック演じるカール

・デナムは映画を作る情熱が人一倍あるのは分かるものの、でっぷり太ってるうえに、直

情径行で、とても才能があるとは思えないのです。
 つまり、私のタイプでは全然ないって訳。
 だけど、この男がナオミ・ワッツ演じるアン・ダロウ(キングコングに愛される役)や

、映画のスタッフや、キングコングのいる南の島に向かう船の船乗り達、つまり全員の運

命を握ってるんです。
 
 だから、私のタイプではないけど、応援しない訳にはいかないのです。
 なんとか、頑張ってよと。
 ところが、キングコングや恐竜など、映画を撮ることばかりに一心で、一緒に行った人

を、何度も危ない目にあわせちゃうのです。(苦笑)

 でも、何と言っても、この作品で素晴らしいのは、CGを使った演出に尽きるのではない

でしょうか?
 もちろん、キングコングもCGなら、戦う恐竜もみなCGです。
 CGはどうも好きになれないという人、多いと思うのですが、この作品のCGの使い方に

は、度肝を抜いたというか、いいえ、はっきり言って、可笑しくて可笑しくて、ついつい

笑わずにはいられませんでした♪

 大勢で押し寄せる恐竜の下を踏み潰されないで、逃げ惑う人達や、キングコングが戦う

時、アン・ダロウを、何度も右手から左手に、空中高く放り上げて、ヒョイヒョイ移す場

面など、絶対有り得ない演出を、そこまでやる?って思いたくなるほど、ハチャメチャに

CGでやってるのです。
 それを見てると、「どうせ、観客はCGだと分かってるに違いないのだから、それだった

ら、思いっきり遊んじゃおうぜ」と思ってやってるような気がして、CGの使い方が実に秀

逸でした。


 


 以上、私が観たすべての「キングコング」の映画の感想でした。

 3月になって、ようやく今年の干支に因んだ記事を終わらせることが出来ました。
 
 こんなに、沢山、おサルさんのお話をしたので、今年はいい年になるのは間違いなしで

すよね?


 それでは、今年の私の成り行き、どうぞ温かく見守って下さいませ♪