奈々の これが私の生きる道!

映画や読書のお話、日々のあれこれを気ままに綴っています

映画「赤い靴」

2013-10-28 21:57:58 | 映画・テレビ
 

私は、今までこの映画を、何回、観てきたことでしょう?

 この映画を初めて観たのは、名古屋にあった名画座で、私がまだ20代の頃でした。
 
 それ以来、もっとも多く繰り返して観たのが、この「赤い靴」なのです。

 でも、この映画はおよそ楽しいとか、心がなごむとか、観てよかったというような月並みな感想とは、かなり趣が違っています。

 例えれば、身を引き裂かれるほどの苦痛と共に、崇高な理念に胸を打たれるとでも言えばいいのか?


 この映画は女性にとって、愛を尊ぶ生き方とは別の選択肢を教えてくれているように思います。


 芸術


 もしくは、美と言い換えて構わないかも知れません。


 芸術と似たものに娯楽がありますが、芸術とは娯楽を極めたものと言っていいでしょうね。

 ですが、芸術は私達が生きていくのに、どれほど大切なものなのでしょう?


 芸術なんか知らなくても、十分生きていけるように思えますし?

 
 でも、この映画を観たら、いかに芸術が大切で、人生に価値を与えてくれるものであるかを教えてくれます。 
 

 そして、この映画は芸術家の苦悩も教えてくれます。

 
 この映画の監督は、マイケル・パウエルとエメリック・プレスバーガーで、1948年にイギリスで制作され、いまだ史上最高のバレエ映画と謳われているそうです。


とくに、17分間に渡る劇中劇は、この映画最大の白眉で、映画ならではの幻想的なバレエ・シーンに心を奪われずにはいられません。

  また、この映画の登場人物レルモントフは、20世紀初頭にロシアに実際にいた人物をモデルにしていて、ニジンスキーを始め、多くの有名なダンサーを育てたそうです。



 では、簡単にあらすじをご説明いたします。

 

 あるパーティの席上、有名なバレエ団を率いるレルモントフは出資者の伯爵夫人に、姪のダンスを観てほしいと乞われます。
 
 しかし、レルモントフは率直に「苦痛だ」と言って、拒否しようとするのです。


 でも、伯爵夫人は簡単には引き下がりません。

 そこで、レルモントフは、伯爵夫人に、「バレエをどうお考えか?」と尋ねます。


 「そう・・・ある人は動く詩と評しますが」と、やっとの思いで答える伯爵夫人に、「詩か?私には、それ以上だ。宗教です。それに宗教に似つかわしくない。このパーティの雰囲気は」とレルモントフは言い放ち、その場を離れるのです。

 ところが、そのあとで出会ったある美しい魅力的な女性と会話しているうちに、その女性こそ、伯爵夫人の姪ヴィクトリア・ペイジだと知るのです。


 レルモントフは彼女に興味を覚え「なぜ踊る?」と問いかけます。


 それに対し、彼女は「なぜ生きると?」と返します。


 レルモントフが、眉間に少ししわを寄せながら、「それは・・・やむにやまれぬ執着だ」と答えると、彼女はすぐさま「それが私の答えです」と言うのです。


 その機転の効いた答えに感心したレルモントフは、彼女を自分のバレエ団に雇う決心をするのです。



  ねぇ、このセリフのやりとり、すごいでしょう?



  これらのセリフで、二人がいかにバレエに真剣に取り組んでいるかが窺い知れるようですよね?


  ところが、レルモントフは彼のバレエ団のプリマドンナが結婚するという話を聞いた途端、すぐに解雇を決めるのです。


 そして、ヴィクトリア・ペイジに作曲家の彼が出来た時も。


 それは、まるで彼女たちを愛していたのに裏切られたとでもいうように。


 しかし、その理由をレルモントフはこう述べるのです。



 「両立は不可能だ

 不確かな愛に頼る踊り子に大成は望めない」


  
 
 これって、どうなんでしょうか?


 そういえば、今はあまり聞きませんが、昔、芸能やスポーツの分野で活躍していた女性に、恋愛を禁止していたと聞いたことがあります。


 恋愛をすると男性は成長するが、女性はダメになると。


 もしかしたら女性の芸術家が、男性に比べて圧倒的に少ないのは女性特有の優しい愛情が、何らかの形で関係しているのでしょうか?


 

 その答えは、この映画のラストで明らかにされます。



 作曲家のクラスターと恋仲になったのが原因で、レルモントフのバレエ団をやめたヴィクトリア・ペイジは結婚後、バレエから遠ざかっていました。


 一方、レルモントフはヴィクトリア・ペイジにバレエへの復帰を望んでいました。


 そこで、レルモントフは偶然を装い、彼女と会って、自らが率いるバレエ団でもう一度踊るよう説得するのです。


 その熱心な誘いに、彼女はバレエへの夢と情熱を再燃させるのです。


 そして、彼女は自分を大スターにした「赤い靴」の舞台に、再び臨む決心をするのです。


 ところが、舞台当日、それを知った夫のクラスターは自分の作曲したオペラの指揮を振るのを投げ出し、彼女のもとに駆けつけるのです。
 
 そこで、彼女はクラスターと、レルモントフの二人に、バレエを取るか、愛を取るかを迫られ、苦悩の末、思いあまって、走っている電車に身を投げ、死んでしまうのです。



 舞台のベルは鳴り、何も知らぬ観客はヴィクトリア・ペイジの踊りを今か今かと待っています。


 しかし、レルモントフがただ一人舞台に現れ、心痛な面持ちで声を限りに振りしぼり、観客に彼女の死を告げて、「赤い靴」を始めると宣言するのです。


 この場面、レルモントフが、今まで芸術と愛の間で悩み、葛藤しながら生きてきたのが、はっきり分かった瞬間であり、芸術の素晴らしさを渾身の迫力で私達、観客に強く訴えている瞬間でもあります。




 そうして、まるで、ヴィクトリア・ペイジが生きて、そこで踊っているかのように、スポットライトを照らしながら、主役のいないこの「赤い靴」は幕を開けるのです・・・



  
 

 そう、芸術とは、崇高な魂を具現化したものであり、人生に価値を与えてくれるものなのです!
  

 
 
 
  
  





  
    


     




漫画「サイボーグ009その世界」石ノ森章太郎

2013-10-21 14:02:33 | 読書
 

ちょっと前に、石ノ森章太郎先生の最高傑作はテレビ番組の「がんばれ!!ロボコン」だと書いたところ、ある人にケチをつけられてしまいました。

 あれは藤子不二雄先生の「オバケのQ太郎」や「ドラえもん」のパクリで、ちっちゃい子供向けの他愛のない番組で、才能のかけらも何も感じられないと言うのです。

 それどころか、石ノ森章太郎は天才漫画家でも何でもなく、SF小説や映画のアイデアをいくつも盗んでいて、パクリの天才とでも呼ぶのが相応しいと言うのです。

 

 「これは、石ノ森章太郎に詳しい奴なら誰でも知ってる事だぞ。」と。

あの「サイボーグ009」にしたって、大気圏突入して、流れ星になった009を見て、カズちゃんとお姉さんがお願いごとをするところは、ブラッドベリの「刺青の男」の中の「万華鏡」をそのままパクってる。
  
 それに石ノ森章太郎がほかの人のアイデアをパクってたのはアシスタントだった永井豪だって気づいていたはずだ。

 なぜなら、永井豪は「ケッコウ仮面」とかで、有名な漫画のパロディを描いて、原作のイメージをぶち壊し、気に入らないと思ってる人もいるみたいだけど、原作者の了解をちゃんと取って、師匠のパクリよりマシだと思ってたから、あれだけ描けたんだ。

 それとも何か?


 面白ければ、人が苦心して考えたアイデアを、平気で盗んでも構わないと言うのか?

 それで、よく正義が正しく、悪は滅ぼすべきだと言えるな?

 滅ぼすべきは、平気で人のアイデアを盗んだ石ノ森章太郎自身と、それでも面白ければ構わないと思ってるファンだろう?

 違うか?




  ガーン!! 

 



 私は、石ノ森章太郎先生のファンでも何でもないですが、そう言われて、すごくショックを受けてしまいました。

 でも、私は石ノ森章太郎先生の漫画はほとんど読んでないので、なんとも言えないんです。

 しいて言えば、「怪傑ハリマオ」と、子供の頃に「サイボーグ009」の1巻を読んだくらいなんです。


 ここで、私がなぜこれまで石ノ森章太郎先生の漫画を読まなかったのか打ち明けたいと思います。

 これは、横山光輝先生の漫画にも言える事ですが、主人公が敵と戦うシーンがやたら長いのが敬遠してきたのが主な理由なんです。

 おそらく、男子は戦うシーンに血沸き肉踊るものを感じるだろうと思うのですが、女子はほとんど感じないのです。

 それは、少女漫画に戦うシーンが少ないのを見てもお分かりになると思います。


 その点、手塚先生の作品は戦うシーンがあっても、短いですし、ストーリー展開の方を重視してますので飽きずに読み進められちゃうんです。 



 そのほかに、石ノ森作品で気になるところと言えば、女性キャラになぜか感情移入しにくい点です。


 これって、石ノ森ファンの方は意外に思うんじゃありません?


 石ノ森作品の女性は可愛くて、色っぽくて、大好きだという人が多いみたいですので。


 でもですね、女性に言わせれば、女性の気持ちを無視した男性にとって、都合のいい描き方がしてあって、どうかすると女性キャラに女性の感情を逆撫でするような事までさせてるんです。


 例えば、「009ノ1」という「サイボーグ009」の女性版のアダルトな漫画に、ミレーヌ・ホフマンという女性サイボーグ戦士が全裸になりながら、バストガンと呼ばれる乳首からビームや弾丸を発射して敵を倒す場面がいくつも描かれているそうです。


 いくら、強敵と戦うためとは言え、憎むべき大嫌いな相手に自分のヌードを見せるなんて、とても考えられません!
 
 女性を捨てたも同然です!

 女性は大好きな人にしか、ヌードは見せたくないですし、ましてや自分から進んで服や下着を脱いだりしないのです。


 恥ずかしそうに頬を真っ赤にそめながら、もじもじしつつ好きな男性に脱がされる。

 
 それが女性の幸せであり、それこそが麗しい女性だと、この文章を読んでる男性諸氏もお分かりいただけますよね?



  こんな事まで書かせる石ノ森章太郎先生のイジワル!(真っ赤)


 
 ですから、多くの男性が石ノ森章太郎先生の最高傑作は「サイボーグ009」だと思ってるのは、当然、私も知ってますし、そう書けば、男性は納得するかも知れませんが、女性が読むとまったく違ったふうに読めてしまうのです。


 まず、私にはこの漫画は史上最低のかっこ悪いヒーローにしか思えないのです。

 だって、普通の漫画では正義の味方はただ一人で敵を倒すのに、9人もいないと倒せないんですもん。(笑)


 そりゃね、そこがほかの漫画と違って、それぞれのサイボーグ戦士の長所が活かされて個性が楽しめるところだと、男子は口を酸っぱくして言うかも知れません。


 でも、だったら、どうして美男子なのは009こと島村ジョーだけで、あとは美男子にほど遠い容姿のサイボーグ戦士だけなんですか?

 とくに、006なんか、高木ブーさんには悪いですけど、高木ブーさんそっくりで、絶対、003ことフランソワーズ・アルヌールが好きになれないような容姿ですし。


 だから、サイボーグ戦士がこんなに大勢いるのに、フランソワーズ・アルヌールは島村ジョー以外、好きになれない。
 

 これが、少女漫画だったら、絶対、あり得ないです!



 サイボーグ戦士すべてが美男子で、みなで恋の鞘当てを演じ、フランソワーズ・アルヌールを取り合っちゃう。



  001こと赤ちゃんのイワンだって、例外ではありません。
 オムツを替える時、おれはいつも恥ずかしいところをフランソワーズ・アルヌールに見られてるにも拘わらず、嫌な顔ひとつ見せないでやってくれている。

 「おれこそ、フランソワーズ・アルヌールに一番、愛されてるんだ!」(笑)


 そう、島村ジョー以外、不細工な男性ばかりなので、多くの男性に恋される女性の楽しみをフランソワーズ・アルヌールは味わう事が出来ないのです。


 これではフランソワーズ・アルヌールが可哀想でなりません・・・


 石ノ森章太郎先生、どうしてサイボーグ戦士をみな美男子にしてくれなかったの?





 こんな事を書いたら、「あのね、この漫画は恋愛だけをテーマにしてる訳じゃないの。石ノ森章太郎先生はこういうものを描きたかったんだよ。



 天使とは何か?

 悪魔とはなんだろう?

 そして、人類にとっての神とは?


 その正体は?


 また人類とは?


 その生とは?


 死とは?

 精神とは?


 肉体とは?


 愛とは?


 憎しみとは?


 善とはなんだ?


 悪とは?

 
  
 
  この「サイボーグ009その世界」の巻末に、石ノ森章太郎先生はこう書かれています。 
 

  でも、それだったら、島村ジョー一人をヒーローにして、ほかのサイボーグ戦士は書かなくても良かったのではないでしょうか?
  
 やっぱり、9人もいないと勝てないなんて、ヒーローとして情けなさ過ぎます。

 それが、私の疑問だったのですが、最近、横山光輝先生の漫画に、この「サイボーグ009」に対抗して描かれたのではないかと思う作品がある事に気づいたのです。


 そのタイトルは「その名は101」と言います。

    
 この漫画は以前、空飛ぶアカエイさんに教えられて読み、ブログにも書いたのですが、あの大ヒットした「バビル2世」の続編なんです。

 だけど、これには3つのしもべ、ガデム、ロプロス、ポセイドンの力を借りずに、バビル2世こと山野浩一少年がただ一人で、宿敵ヨミと戦うのです。


 この漫画では浩一少年に彼女はいるものの、あっさり殺されてしまい、浩一少年はあまり深く心に傷を持つでもなく、すぐに立ち直っちゃうのです。


 ねぇ、タイトルからして「サイボーグ009」を意識してるように思えるでしょう?

 たぶん、一人でも10人並みの活躍をするという意味で、「新・バビル2世」にしないで、「サイボーグ009」に引っかけて「その名は101」にしたのに間違いないです。
  それに、女性にうつつを抜かす島村ジョーと違って、浩一少年は彼女が殺されたのに、すぐに立ち直り、それ以降彼女は作らないではありませんか。


 つまり、「サイボーグ009」の逆ばかりを描いているんです。



 この漫画は残念ながらヒットせずに終わっちゃいましたけど、横山光輝先生はこれまでも大ヒットしている作品に違う面から戦いを挑んで、漫画を描いてたような気がしてきたのです。

 あの「鉄人28号」も、同じ「少年」という漫画雑誌に連載されていた「鉄腕アトム」に、リモコンを操縦する人次第で、善にも悪にもなるという別の視点からロボット漫画を描いて、手塚治虫先生に果敢に挑戦されたのでは?
  
 そして、「鉄人28号」は見事に「鉄腕アトム」を凌ぐほどの人気を得た。

 そう、あの「マーズ」も、手塚先生の「W3(ワンダー・スリー)」に挑んで描かれたんだと思います。 


  そして、「少年」が廃刊になったあとは、漫画週刊誌「少年チャンピオン」で、ともにしのぎを削り、手塚先生は横山光輝先生を最大のライバルと位置づけ、一目置いておられたのでは?


 私には、そう思われてならないですし、実際、横山光輝先生を高く評価した文章まで書かれてるのです。


  

 いつの間にか、石ノ森章太郎先生の「サイボーグ009」から、手塚治虫先生と、横山光輝先生の文章になってしまって、石ノ森章太郎先生のファンの方、ごめんなさい!



  石ノ森章太郎先生のお話は、またあらためて書くつもりですので、それまで楽しみにしていて下さいね。

 

   









   

映画「キッド」チャップリン

2013-10-20 07:32:36 | 映画・テレビ
 

この映画ほど、チャップリンの作品で、涙を誘うものはないでしょう。
  
 それに大きく貢献したのは、ジャッキー・クーガンという当時、わずか4歳の可愛い男

の子で、私も何度、ハンカチを握りしめて泣いたか知れません。

 とくに、チャップリンが実の親でないとわかり、ジャッキーが民生委員に車で連れ去ら

れそうになって泣き叫ぶ場面は、とても可哀想で床が水浸しになるほど涙がこぼれて仕方

ありませんでした。

 あら?ちょっとオーバーだったかしら?


 この映画はチャップリン自身、幼いころに肉親と離ればなれにされた思い出がモチーフ

になっているそうで、それだからこそ真に迫って、心に響くのかも知れません。

 それに、チャップリンはこの映画の製作開始直前に生まれたばかりの子供を亡くし、そ

れも親密な愛情表現につながったのではないかと指摘されているそうです。


 ところで、この映画にはチャップリンの人生に深く関わった女性が二人、登場します。


 一人はエドナ・パーヴィアンスで、彼女はチャップリンのサイレント映画で、およそ3

0本共演し、二人とも結婚する気でいたらしいです。 

 でも、なぜか結婚までは至りませんでした。


 その理由を、映画評論家の淀川長治さんは、エドナはあまりにも美しく可憐で清純過ぎ

て、そうした彼女の美徳を、チャップリンは汚す気持ちになれなかったのではないかと書

いていらっしゃいました。
 
 そう言われれば、思い当たる節があります。
 この映画でエドナは未婚の母で、ジャッキーを置き去りにするのですが、オペラ歌手と

して成功後、慈善活動をする心優しい女性の役柄を与えられているんです。 


 だから、チャップリンはどちらかと言うと、わがままで、茶目っ気のある女性に惹かれ

る傾向があったとか。

 例えば、チャップリンが眠りこけて、夢を見る場面があるのですが、その中に衣装の裾

をあげて、肌を見せ、チャップリンを誘惑する天使が登場します。

 その女優はリタ・グレイという12歳の少女だったのですが、のちに「黄金狂時代」の

ヒロインにするつもりだったのに、妊娠させてしまい、結婚するハメになったのです。


 つまり、この映画にはチャップリンの両極端の女性に対する見方や愛情が現れていて、

そういう意味で、とても興味深いのではと思います。 


  
 チャップリンのジャッキーに託した幼いころの辛い思い出と、二人の女性への愛情。



  それらが、笑いのうちに涙を誘い、いつしか深い感動を呼ぶのではないでしょうか?
 

 




 人の心を動かすのに愛情より尊いものはありませんから。



 ね?
 あなたもそう思うでしょう?
  









        
   

漫画「W3(ワンダー・スリー)」手塚治虫

2013-10-16 19:21:45 | 読書
 

少し前に、お話させていただいた横山光輝さんの「マーズ」を読んだ際、地球の運命を

爆弾で、宇宙人が決断するという内容に、手塚治虫先生の「ワンダー・スリー」に設定が

似ているなと思っていました。
 ここで、横山光輝さんと、ファンの名誉のために言っておきますが、キャラクターも、

ストーリーも、手塚先生の作品とはまったくかぶってないです。
 ただ、一定期間、地球を調査して、是なら、そのままにしておく。
 しかし、非の判定が出たら、爆弾で地球を滅ぼすというのが似ているだけなんです。

 この「ワンダー・スリー」は、不安な気持ちで読み進めた「マーズ」と違って、子

供の頃に読んで、すごく面白かった思い出があるのです。

 「ワンダー・スリー」の場合は、地球を調査する宇宙人は3人で、地球人にそれと見破

られないように、それぞれ兎、馬、鴨に変身して、主人公の星真一少年とともに行動しま

す。

 でも、私が好きになったのは真一君ではなく、お兄さんの光一さんでした。

 光一さんは、表向きは売れない漫画家なのですが、本当の姿は秘密諜報機関フェニック

スのメンバーF7号で、映画の007並みの活躍を見せるのです。

 光一さんは、かっこいいだけでなく、弟思いのとっても優しい面もあるんですよ♪

 親孝行しろとか、学校にはちゃんと行けとか、親身になって、弟の面倒を見るんです。


 しかも、自分の命を投げ出してまで、3カ国の科学者が作った地球征服のためのガイコ

ツ衛星を破壊すべく戦うんです。

 だけど、登場場面がもっとも多いのは動物に変身した3人の宇宙人で、彼らのハチャメ

チャ振りが面白くて、どんどん読み進めていけます。


 ところで、この本の解説で、タレントの石井竜也さんは、宇宙人が変身したのが、地球

人にもっともなじみのある犬や猫より、なぜ兎や馬や鴨だったのか疑問だったと書かれて

いますが、もしかしたら手塚先生がグリム童話のブレーメンの音楽隊が好きで、漫画的だ

と思っての事だったのかも知れませんね。
 私は観てないのですが、手塚先生の作ったアニメに「ブレーメン4」というのもあるみ

たいですし。

 ほかに、私が気になったキャラクターは光一さんと行動をともにするエリゼというフェ

ニックスの一員の女性で、宇宙人が変身した鴨を、光一さんが鴨鍋にすると美味しいのに

なと言ったのに、ミルクや食料を与えたり、「私達のマスコットにして飼ってやらない?

」と言うなど、美しくて、とても優しくて、私もこんな女性になりたいなと思うほどでし

た。


 あと、手塚作品によく登場する名脇役が何人も出ています。


 悪役として名高いスカンク草井。


 同じく悪役のアセチレン・ランプ。


 それに、手塚先生の親友、馬場のぼるさんによく似た馬場先生。


 丸首ブーンという、リノ・バンチュラがモデルのキャラクターも出ています。

 
 そして、なぜかヒョウタンツギまで♪


 これらの登場人物で、笑いあり涙あり、ハラハラドキドキしながら、童心に帰って、最

後の最後まで楽しむ事が出来ました♪


 
 ところで、私が読んだのは一般によく知られている少年サンデーに連載された「ワンダ

ー・スリー」だったのですが、この漫画には実は少年マガジン版が存在しているのです!

 それは6回連載されたあと、突然、中止され、少年サンデーで新たに始まったのだとか



  俗に「ワンダー・スリー事件」と言うそうです。


 それについてはウィキペディアに詳述されてますので、詳しく知りたい方はそちらをぜ

ひお読み下さいませ♪


 この少年マガジン版は1997年に講談社から320円で発売されていまして、私も持

っています。

 さて、どちらが面白いのでしょう?


 私は買ったまま、ずっと読んでなくて、今回、初めて読んでみました。

 
 まず、気づいたのはキャラクターはほとんど少年サンデー版と一緒ですが、星真一君が

容姿も性格もまったく違っているのです!

 
 はっきり言って、こちらの方が私の好みです♪


 でも、ストーリーの進め方や迫力は少年サンデー版の方が圧倒的にいいかも。



  

 そういう訳で、両方の「ワンダー・スリー」を読み比べたのですが、手塚先生にとって

、 この作品は手塚先生らしいストーリー漫画の最後を飾るヒット作で、とても重要な意

味を持つそうです。

この漫画が発表されたのは、1965年で、手塚先生の漫画はこれ以後、劇画を意識し

た暗い色調を帯びた作品が多くを占め、それと同時にだんだん人気が凋落して、「手塚漫

画はもう時代遅れだ。」と言われるようになり、過去の人になりつつあったそうです。



 そう、あの名作「ブラック・ジャック」が世に出るまで。




 それを知った私は子供の頃も、そして大人になった現在も十分に楽しませてくれたこの

「ワンダー・スリー」が、今まで以上に愛しくてならなくなりました・・・ 



















     

映画「ある日どこかで」

2013-10-13 23:03:35 | 映画・テレビ
 

あら?

 何か届いたような??


 もしかして、交感しちゃった???


 ついに、この時が来たんだわ!





 実を言うと、私はこの映画は最近まで、まったく知りませんでした。


 でも、ある人の紹介で観て、なんて幻想的で美しくてロマンチックなストーリーなんだ

ろうと思いました。


 しかし、それと同時に映画評論家の感想が、映画の評価をねじ曲げて、不当に扱われる

事の恐ろしさもまざまざと知らされた気がしました。


 この映画は1980年にアメリカで作られたのですが、初めての試写会はカナダで行わ

れ、大成功だったと言います。
続く、2日後のアメリカでも同じ結果でした。

 映画を作った関係者は大ヒットとはいかないまでも、ある程度のヒットは予感していた

そうです。

 ところが、これを観た映画評論家が、陳腐なメロドラマだと散々な評価をしたのです。
 
 
 また、新聞にはこう書かれたとか。

 
 この作品は恋愛映画をダメにした。

 主演したクリストファー・リーブにしても、大根役者もいいところだ。



 たぶん、多くの人が読む新聞にそう書かれたのが災いしたのでしょう。


 この映画は興業的に観客を呼び込めず、大失敗し、関係者はみなすべては終わったと諦

めていたそうです。


 しかし、ロサンゼルスでケーブルテレビをしているJ・ハーヴィーが、自分の局で2週

間放送したところ、沢山のファンレターが届けられた。



 こうして、この映画はようやく日の目を見て、次第にファン層を広げ、今でも熱烈なファ

ンが多いのだとか。



 この映画のどこが評価を二分したのでしょう?


 一体、この映画には何が描かれているのでしょう?


 

 主人公のリチャード・コリアーは新進気鋭の脚本家だった。

 彼は、処女作上演後のパーティで、一人の上品な老婦人に懐中時計を手渡され、「帰っ

てきてね」と謎の言葉をかけられる。
 
 それから8年後、彼はグランドホテルの一室で、若くて美しい女性の写真を目にする。

 その女性は昔、そのホテルの劇場で公演した女優で、名をエリーズ・マッケナと言い、

写真は1912年のものだと知る。

 写真のエリーズは、彼に何かを訴えているかのように、瞳や唇に笑みをたたえている。

 
 なぜ、これほどまでに魅惑され、胸がときめくのか?


 リチャードはどうしても彼女に会いたくなる。


 そこで、考えたのは時間を飛び越えて会いに行くという方法だった。

 彼は、カセットテープに吹き込んだ自分の声をもとに、今は1912年だと暗示をかけ

ようとする。

 しかし、容易に信じる事が出来ない。


 それでも諦めずに何度も何度も挑戦する。


 いつしか、彼は疲れて果てて、眠ってしまう。


 ふと、気がつくと、時間はそれほど経っていないはずなのに、さっきまでの夕日が、眩

いばかりの朝日に変わっていた。

 窓の外には馬車をひく馬の蹄の音がした。


 彼の思いは通じ、見事、1912年にタイムスリップしたのだ。


 そして、念願のエリーズに会う事が出来た。


 初めて会ったエリーズはリチャードに、「あなたなの?そうね?」と、まるで彼が来る

のを、あらかじめ知っていたかのような言葉を口にする。

 その言葉に一瞬、驚くリチャードだが、帽子をとり、軽く会釈する。


 しかし、そこにエリーズのマネージャーのロビンソンが現れ、二人を遠ざけようとする




 実はロビンソンはエリーズのマネージャーでありながら、彼女を愛していたのだ。



 リチャードは、エリーズに何度も接近しようとするのだが、ことごとくロビンソンに邪

魔されてしまう。



 でも、リチャードの一途な愛がエリーズを動かし、彼女も次第に惹かれてしまうのだ。


 ある舞台で、エリーズはセリフにない言葉を口にする。




 「言葉は胸にあふれる


 でも、口をついて出るのは ただひと言


 愛しているわ」
   


 
 その舞台が終わったあと、エリーズは写真を撮ろうとするのだが、カメラマンはなかな

かOKを出さない。


 その時、ふいにリチャードが現れ、エリーズは思わず嬉しそうに微笑み、カメラマンは

「最高だ!」と叫んで、シャッターを切る




 ああ、それはまさしくリチャードがタイムスリップする前、初めて見たエリーズの写真

だったのです・・・



 そうして、結ばれた二人だったのだが、運命は皮肉にもリチャードを現在に呼び戻し、

もう二度と会えないと、彼は失意に深く傷ついた。


 
 ところが、思いもよらぬ出来事が、二人を待っていたのだ。


   
 

   

 この映画の素晴らしさは、確かに誰にでも理解できるものではないでしょう。


 とくに、愛の尊さを信じず、愛情のすべてを傾けて、人を愛した事のない者には。




 そういう意味で、この映画はあなたの愛が試される作品と言って間違いないと思います。




 
言葉は胸にあふれる



  でも、口をついて出るのは、ただひと言・・・ 







    

漫画「不倫学入門」石ノ森章太郎

2013-10-09 20:01:24 | 読書
 

少し前になりますが、私が思う石ノ森章太郎さんの最高傑作は、テレビ番組の「がんば

れ!!ロボコン」だとお話させていただきました。
 しかし、納得出来ない方がいらっしゃるかも知れませんので、その訳を、もう少しお話

したいと思います。

 まず、どうして、あの有名な「サイボーグ009」とか「仮面ライダー」ではないのか



 その主な理由は、それらの作品は男の子向けに作られたもので、圧倒的に男の子のファ

ンが多く、女の子は少数しか支持していない点にあります。

 私が思う最高傑作は、まず女性の私がその素晴らしさを理解出来るものでなければなり

ませんので。(笑)


 その点、「がんばれ!!ロボコン」は男の子にも女の子にも支持され、高い視聴率を誇

り、2年半も放送されていました。

 しかも、この番組を制作した東映は、それまでアクションは良いが、コメディは出来な

いと言われていたのが、本作をもってコメディでも一流と言われるようになったらしいで

す。

 でも、最高傑作と言われるからには多くの人に愛されることも大切ですが、その道の通

と言いますか、その道を極めた人にも理解出来る必要があると思うのです。
 
 「がんばれ!!ロボコン」には、こんなエピソードがあるそうです。

 原作者の石ノ森章太郎さんと、脚本家の上原正三さんが、せっかく意欲的に作ったロボ

コンでしたが、番組開始直後は評判があまり芳しくなく、ポピー社製の超合金ロボットを

、「どうせ、作っても売れないだろう」と作らなかったと言います。
 ところが、次第に視聴率がうなぎのぼりに上昇し、子供たちから、「なぜ、ロボコンの

超合金ロボットはないの?」という問い合わせが殺到し、いざ作ってみたら、41億円を

売り上げ、1975年度のポピー社のキャラクターでナンバーワンとなり、玩具業界のト

ップに立つ礎を築いたそうです。

 つまり、ロボコンの素晴らしさを理解したのは汚れを知らない純粋無垢な子供達だけで

、童心を失い世間の垢にまみれた汚い大人達にはまるで理解出来なかったという事です♪


 だから、「がんばれ!!ロボコン」は心の綺麗さを計る物差しのような作品で、これを

作った石ノ森章太郎さんは当然、童心を持ち続けた純粋無垢な素晴らしい人だったと言え

るのではないでしょうか?


 以上が、「がんばれ!!ロボコン」を、私が最高傑作に推す理由なのですが、石ノ森章

太郎さんの漫画は「サイボーグ009」を1巻だけと、「怪傑ハリマオ」くらいしか読ん

でませんので、やはり漫画も読むべきではないかという気持ちになっちゃったのです。


 そこで、古本屋さんに行って、どんな漫画があるのか見てみました。

 読んだ事はなくても、タイトルだけ知ってるのは、いくつかあります。

 「幻魔大戦」

 「怪人同盟」

 「佐武と市捕物控」

 「リューの道」

 「人造人間キカイダー」

 「変身忍者嵐」

 「おかしなおかしなあの子」


 「番長惑星」

 「仮面ライダー」


 タイトルを見ただけでも童心に返ったようで、思わずニコニコしちゃいました。(笑)



 さあ、どれにしよう?



 すると、そのなかにとても気になるタイトルを見つけたのです。



  「不倫学入門」




  え!不倫!?


  そう、それは紛れもなく、石ノ森章太郎さんの漫画だったのです。



  もしかして、石ノ森章太郎さんて、不倫をした事あるの?


  気になって、中身をパラパラめくって確かめようにも、ビニールで包んであって読め

ないようにしてあるのです。

 なんだか、すごく怪しい?


 ほかの漫画はビニールで包んでないのに、その「不倫学入門」だけビニールで簡単に読

めないようにしてあるんです。


 きっと、石ノ森章太郎さんの不倫の体験談が載ってるんだわ。


 それにしても、奥様と息子さんがいて、読まれるかも知れないとわかってて、よくこん

な漫画を描いたものね。

 
  私が、もし石ノ森章太郎さんの奥さんだったら、絶対、許さない!


 即刻、離婚して、多額の慰謝料を請求しちゃいます!!



 でも、本当に石ノ森章太郎さんの不倫の体験談が描いてあるのかしら?



 まあ、気にならない事もないけど、どうでもいいかな?


 私、べつに石ノ森章太郎さんのファンではないし、今、二人の息子さんは真面目に生き

てるようだし。


 そう思い、「不倫学入門」を本棚にそっと戻し、べつの漫画に手を伸ばそうとしたんで

す。


 ところが、その時、ネットで知り合ったある男性から遠回しに不倫の申し出をされてる

事を、ふと思い出しちゃったのです。


 
 そう、私の体を抱きたいと言ってる男性がいるんです! 
  
 


 ネットのうえだけとは言え、彼とは長い付き合いになります。


 その間、彼はよく耐え忍んでくれたと思います。

 
 私も、リアルでいろんな人とお付き合いしましたが、私に何もしなかった人は誰一人い

ませんでしたから。

 たいていの人は数回会ったら、私に体を求めてきました。


 私も求めに応じる事が愛だと信じて、すべてを捧げてきた過去があったのです。(真っ

赤)


  しかし、それは私がまだ独身で、その男性たちを愛していたからなのです。


 今、私には愛する主人と二人の息子がいます。

  


 私が、その男性の要求に応じ、体を重ねる事は主人と二人の息子を裏切ることにならな

いでしょうか?


 それに、もしバレたら、絶対、ただではすまないと思います。


 ものすごい修羅場と離婚が待っているのは間違いないです。

 事実、私の周りにそんな女性がいるのです。


 「不倫をするようなお前に子供の面倒は見てほしくない!

 子供は俺が見るからに、とっとと出て行け!!」

 ある女性は、夫にこう言われ、離婚させられ、無理やり子供とも離ればなれにさせられ

てしまいました。 
 
 
 もし、私がそんな目にあったら、とても生きていけないだろうな・・・



  だけど、映画「マディソン郡の橋」で、ロバート・キンケイドと、4日間の不倫をし

た人妻のフランチェスカは、思うような人生を歩めなかった自分にとって、不倫した事が

、長い間、心の支えになっていたと告白していました。


 考えようによっては不倫してもいいのでしょうか?


 ネットで知り合った男性は、私を抱きに遠くからやって来ると言います。


 私はどうしたらいいのでしょう?


 うう、難しすぎてわからない・・・

 
 そうだ!もしかしたら、石ノ森章太郎さんの「不倫学入門」に、その答えが書いてある

かも?



 そう思った私は、一旦本棚に返したその本をもう一度取り出し、思い切ってレジに差し

出したのです。


 若い男性店員のいぶかしそうに私を見る視線を避けるように、伏し目がちに、頬を真っ

赤にそめて・・・(苦笑)
 

 ああ、私ったら、本を買うだけなのに、どうして罪悪感を持たなければいけないの?


  石ノ森章太郎さんのバカ!


 「禁じられた愛の告白」とか、「仮面の告白」とか、後ろ指さされにくいタイトルにど

うしてしてくれなかったの?


 あ、「仮面の告白」だと、三島由紀夫にあったような?


 そうして、本を買った私は逃げるように、その古本屋を立ち去り、家に帰ったあと、主

人が寝静まるのを、今や遅しと待ってから読み耽ったのです。
 
 背徳の後ろめたさにドキドキしながら。(苦笑)



 この本には10の不倫のパターンが載っています。 


 まず、オフィスでの不倫。


 海外赴任から帰国したやり手の上司と、いつも残業で遅くまで仕事していたOLが、労を

ねぎらう振りして、食事に誘われ、気があるような事を言われて、ホテルで一つになった



 
 う~ん、なるほど~


 これは、やり手の上司が、石ノ森章太郎さんで、OLはきっとアシスタントの女性を置き

換えて描いてるんだわ。


 だって、漫画家で、アシスタントの女性の体を抱いたって人、いるんです。


 あのギャグ漫画家の赤塚不二夫さんも、「博多っ子純情」の長谷川法世さんも、アシス

タントの女性の体を奪ったって言いますもん。

 でも、お二人とも、そのあと、ちゃんとご結婚されたそうですが。


 石ノ森章太郎さんも、アシスタントの女性と???


 
 どうなんでしょうか?


 その次に、私が気になったエピソードは、息子さんを教える学校の先生に手を付けたお

父さんのお話です。

 可哀想に、教育一筋に生きてきた世間知らずで純情な先生はエッチの虜になり、やがて

遊ばれた事に気づき、復讐に燃えるのです。
 

 これも、石ノ森章太郎さんの体験談?


 う~ん、我が子の先生の体を弄ぶとは、なんて悪いお父さんなんでしょう・・・




 「潤滑油編」には、不倫を肯定するように描いてあります。


 その女性は結婚はしているものの、セックスレスが長く続いていて、不倫する事で女性

としての喜びを感じている。


 セックスレスの夫婦は危険という訳ね。




  でも、だからと言って、不倫していいはずないじゃない?



  「不倫学入門」を読み終わった私は、こんな感想を持ちました。


 不倫は成り行き次第で、誰でもしちゃう可能性があるみたい。

  
 でも、そこにあるのは背徳の喜びと、刺激を得たいという男性のエゴイズムが多くを占

め、女性の愛情をないがしろにするケースがほとんど。



 ようするに、不倫は心の結びつきを軽視し、体を奪うのが目的みたいです。



 映画「マディソン郡の橋」のロバート・キンケイドは女性の扱いがすごく上手だったけ

ど、現実にはなかなかいないタイプの男性のよう・・・



 そういえば、私と不倫したいと言ってる男性には、彼を深く愛してる奥様がいて、私の

ほかにも彼女がいるみたいで、私をどれだけ思ってるかわかりゃしない・・・



 でも、この先、もしかしたら私が一番、好きだと思うかも知れないし? 



 そうよ、私だって、全然、捨てたものじゃないわよね?(笑)



 とりあえず、その男性と今すぐエッチをするつもりはさらさらないですけど、今後の出

方次第では???




  
  ネットがもたらした現代の擬似恋愛



  せっかくなので、私もこの恋愛ごっこを適当に楽しみ、自分を磨く糧にしたいと思い

ます♪






 それでは、おしま~い♪








     

映画「秋日和」小津安二郎

2013-10-02 05:40:20 | 映画・テレビ



今年の夏は今までにないほど暑かったですね。

 四国では日本最高気温を更新した日もあったほどでした。

 ですけど、あんなに暑かった夏の喧騒はあっという間に過ぎて、日一日と秋が深まってきました。
 柿や栗の実は熟し、田んぼの稲穂は黄色く色づき、コスモスはそよ風に揺れて、そこかしこに秋の風情を感じるようになりました。

 そこで、かねてより観たいと思っていた小津安二郎監督の「秋日和」を観てみる事にしました。

 この映画は、三人の中年男性が、最近、亡くなったばかりの親友の三輪の忘れ形見のアヤ子に縁談を持ちかけ、ついでに原節子さん演じる母親も再婚させようとする騒動をあたたかく、かつユーモラスに描いています。

ところで、私がまず最初に気になったのは、冒頭の東京タワーの場面なんです。

 当然、東京タワーが舞台か、重要な鍵を握ってるのだろうなと思うではありませんか。

 ところが、最初に出てきただけで、あとはまったく東京タワーに関係なくストーリーが進んでいくんです。
 この映画が作られたのは1960年で、東京タワーが出来て、まだ2年しか経っていないのですが、それにしても不思議だと、あなたも思わないですか?

 それはともかく、今の時代からこの映画を観ると、正直、時代遅れの感が否めないでもないです。

 というのも、亡くなった父親の親友三人が、頼みもしないのに、アヤ子の縁談を勝手に進めちゃうんですもの。

 余計なお世話というか、お節介焼きにどうしても思えちゃうのです。


 どうして、本人の自由にさせてあげないのでしょう?
 

 そう思った私はふと1964年に開催された東京オリンピックの女子バレーボールで、東洋の魔女と恐れられ、金メダルを取った選手と、彼女たちを育てた大松博文監督とのエピソードが脳裏をよぎったのです。 
 当初、東洋の魔女は1962年の世界選手権を最後に引退する予定だったのです。
 理由は、彼女たちが結婚適齢期を迎えていたからですが、1964年の東京オリンピックから、バレーボールが正式種目になり、国民の東洋の魔女への熱い期待が集まったそうなのです。
 
 しかし、それでもなお大松監督は女性の幸せである結婚を妨げてはならないという思いから、東京オリンピックへの参加を固辞していたのだそうです。

 でも、そんな大松監督の心を動かしたのは、オリンピックで優勝したいというほかならぬ東洋の魔女達の熱い思いだったというのです。

 そうして、見事、金メダルを取ったのですが、そのあと大松監督は選手達のお見合いに奔走し、キャプテン以下、皆、良縁に恵まれたと、テレビで観た記憶があったのです。
 

 当時の女性にとって、結婚はとても大切な事だったのだなと、このエピソードで、私は思わされたのです。
  


 その次に、私が気になったのは、原節子さんで、それまで小津監督作品で娘役を演じていたのが、この映画で初めて母親の役を演じているのです。

 なんでかな?と思って調べたら、この時、原節子さんは40歳を迎えてらしたのです。

 どんな思いで、小津監督は原節子さんに母親の役をさせて、原さんは演じてらしたのでしょう?

 ですが、どんなに歳を重ねられても、原節子さんは美しいです。

 時折り、少女のような笑顔をのぞかせたりもするのですが、そこはかとなく凛として、気品と知性が感じられて、とても好ましく見えます。


 

 でも、私が一番、気になるのは、やはり東京タワーなんです。 

 最初に出てきただけで、あとはまったく関係なくストーリーが進んでいるのですから。 
 おそらく、小津監督は東京タワーで、古い時代が過ぎ、新しい時代が到来した事を、自分も重々承知してるのだと言いたかったのではないでしょうか?
  
 今、小津安二郎と言ったら、黒澤明、溝口健二と並んで、世界的に認められた映画監督で知らない人はいないですが、お亡くなりになってから暫く忘れられてた時期があり、生前も作風にたいして賛否両論だったと聞いた覚えがあるのです。
 
 小津作品は、古い日本の慣習に捕らわれた家庭のささやかな出来事を描いてばかりで、洋画に見られるようなダイナミックで、スピード感があって、あっと驚くようなラストも何もない。

 戦争も終わって、外国の新しい文化が次々に入り、時代はどんどん進んでいるのに、ちまちました旧態依然の映画ばかり撮っているという輩が大勢いたと言います。
 
ちなみに、この映画には当時、日本で流行っていたロカビリーやエルビス・プレスリーがセリフに出てきます。
 あの寅さんシリーズの山田洋次監督でさえ、若い頃は小津作品の良さがわからなかったそうです。

 私も、女性の幸せは結婚だけとは限らないのに、この映画も古くなったなという思いが頭をかすめながら観ていたのですが、そんな私をおもんばかるようにユーモアを交えて、ストーリーが進んでいきますので、どんどん映画の中に没入していきました。

 アヤ子は、佐分利信さん演じる父親の元親友、間宮の会社の部下の後藤(佐田啓二)を紹介され、次第に好意を持つのですが、結婚まではなかなか踏み出せないのです。


 理由は、自分が嫁いだあとの母親の事が心配だからです。


 そこで、三人の元親友達は、母親も再婚したら、アヤ子も嫌とは言わないだろうと、そのうちの一人と結びつけようとするのですが、まだ母親に結婚の意志もないのに、間宮に母親があたかも結婚するかのように言われたアヤ子は猛反発するのです。

 お母さんたら、まだお父さんが亡くなって、日も浅いというのに、もう好きな人が出来て、再婚したいと思ってる。


 お母さんて、不潔よ!


 アヤ子は親友で会社の同僚の佐々木百合子(岡田茉莉子)にも打ち明けるのですが、かえって、わからず屋の赤ん坊呼ばわりされて、口も聞かない仲になるのです。

 しかし、旅行先の宿で、結婚の意志などないと母親に告げられて、さらに幸せになってほしいと言われ、アヤ子は初めて結婚の意志が生じるのです。


 結婚式の当日、花嫁衣裳を着て、そっと佇んでいるアヤ子の姿に、私は思わず涙があふれて、とまりませんでした・・・


  アヤ子に、女性に生まれてきた喜びを、そこに見つけた思いでした・・・


 時代は否応なく進んで、戦後復興の象徴と言わんばかりに、東京タワーが建ち、古い日本の慣習や美徳までもが忘れ去られようとしている。

 
 しかし、この花嫁衣裳を着た綺麗なアヤ子の姿に、あなたは何も思わないか?
  

 日本人に生まれてきて、つくづく良かったと思うだろう?


 アヤ子は、豊穣な収穫を迎えた秋のように、機が熟し、今ようやく幸せを掴んだのだよ。   



  この映画を見終わった私は、小津監督がそう優しく語りかけているように思えてなりませんでした。