奈々の これが私の生きる道!

映画や読書のお話、日々のあれこれを気ままに綴っています

小説「午後の曳航」三島由紀夫

2015-09-23 18:34:51 | 読書
 今回は三島由紀夫に異を唱えた作家さんのお話をする予定でしたが、その作家さんが絶賛

していた三島由紀夫の小説「午後の曳航」を、先に読んでみたくなっちゃいました。

 ワタクシ、三島由紀夫の作品を早く読みたくて、どうしようもなくウズウズしちゃってる

んです。(苦笑)
 
 この小説は、発表当初から、国内外で高い評価を受けていたらしいです。
 それで、期待に胸ふくらませ読み進めたのですが、母と息子の妖しい雰囲気に、

耳たぶまで真っ赤になるほど、だんだん恥ずかしくなってしまいました・・・

 文章はたしかに素晴らしいけど、この手法はまさにあれじゃ?

 その時、私の脳裏によみがえったものがありました。
 私は、この小説を映画化したものを、十代の頃にテレビで観たことがあったのです。
 それは、ある映画番組の特集で、ほかには「課外授業」「青い体験」「フレンズ」などと

いった映画と一緒に放送されていました。
 
 以前は、映画に詳しい人が私のブログを読んでましたけど、今は誰もいませんので、映画

のタイトルだけ並べても、どんな内容なのか知ってる人はいないでしょう?

 ああ、よかったわ♪

  

 はっ!!

 なんて、喜んでる場合じゃないっていうの!

 ちゃんと書かなきゃ、お話進められないじゃないの!!(苦笑)

 

 この小説の舞台は、横浜中区山手町で、13歳の少年、黒田登は33歳の母親と二人で暮

らしていました。 そんなある日、登は自分の部屋のタンスの引き出しの奥に小さな穴を見

つけます。
 その穴の向こうには母の部屋があり、その穴に気づいてから、登は母の部屋を覗くように

なります。
 そうして、目にしたものは母の裸の熟れた肉体と、男に抱かれる姿だったのです。

 ね?
 まるで、官能小説みたいでしょう?
 この場面を読みながら、私はもし、うちの息子に、私のあられもない姿を覗き見られてた

ら、どうしようと思って、耳たぶまで真っ赤になるほど、恥ずかしくなっちゃったんです。

 第三者に見られるだけでも恥ずかしいのに、息子に見られちゃったら、母親の威厳も何も

ありゃしない・・・

 おそらく、もう何も息子に言えなくなっちゃうに違いない・・・
 

 だけど、この小説この先、一体どうなっちゃうんでしょう?

 まさか親子の一線を踏み越え、息子と出来ちゃったりして?

 もしそんなことが書いてあったら、どうしよう?(真っ赤)   

 
 だけど、考えても分からないから、読み進めてみることにしました。(笑)

 すると、母親房子の恋の相手の男性塚崎竜二が、重要な存在だと分かってきたのです。

そして、語彙が豊富で、流麗な文章に、日本語の美しさに驚くとともに、三島由紀夫の美学

というか、人生を見つめる目の鋭さ、確かさ、底知れなさに、言葉をなくし、いつしか陶然

とせずにはいられませんでした。

 「午後の曳航」より。

 塚崎はゆっくりとシャツの釦を外し、それから無雑作に着ているものを脱ぎ捨てた。
 塚崎は母と同い年ぐらいだったろうが、陸の男よりもずっと若々しい堅固な躰、海の鋳型

から造られたような躰を持っていた。ひろい肩は寺院の屋根のように怒り、夥しい毛に包ま

れた胸はくっきりと迫り出し、いたるところにサイザル・ロープの固い撚りのような筋肉の

縄目があらわれて、彼はいつでもするりと脱ぐことのできる肉の鎧を身に着けているように

見えた。そして登はおどろきを以って眺めた、彼の腹の深い毛をつんざいて誇らしげに聳え

立つつややかな仏塔を。
 仄かな光りを横からうけた彼の厚い胸板は、繊細な影を散らす胸毛の息づきをはっきりと

見せ、危険な目のかがやきは、たえまなく母の脱衣に向けられていた。背後の月の反映は、

彼の怒った肩に、一筋の金いろの稜線を与え、彼の太い頸筋の動脈は、金いろにふくらんで

いた。それは本当の肉の黄金、月の光りと汗の光りとが作った黄金だ。
 母の脱衣は手間取った。わざと手間取らせていたのかもしれない。
 突然、あけひろげた窓いっぱいに、幅広の汽笛がひびいてきて、薄暗い部屋に満ちた。大

きな、野放図もない、暗い、押しつけがましい悲哀でいっぱいの、よるべのない、鯨の背の

ように真黒で滑らかな、海の潮の情念のあらゆるもの、百千の航海の記憶、歓喜と屈辱のす

べてを満載した、あの海そのものの叫び声がひびいてきた。遠い沖や、大洋の只中から、こ

の小さな部屋の暗い花蜜への憧れを運んでくる、夜のかがやしさと狂気でいっぱいな、あの

汽笛が侵入して来たのである。
 二等航海士は、きっと肩をめぐらして、海のほうへ目を向けた。・・・・・

 このとき登は、生まれてから心に畳んでいたものが、完全に展開され、名残なく成就され

た、奇跡の瞬間に立ち会っているような気がした。   


  
 だんだん、興味が湧いてきたでしょう♪
 

 それでは、あらすじも書いておきますね。 
  雑誌「国文学」56年7月号より。
  
 黒田登は、五年前に未亡人になった三十三歳の母房子と、横浜山手に暮らしている。十三

歳の登は、自分が天才であること、世界はいくつかの単純な記号と決定で出来ていることを

確信している中学生であり、首領を中心とする不良少年団の一員である。ある夏、登は、房

子と港の貨物船を見物するが、そのとき知った二等航海士塚崎と房子との情事をのぞき見、

その(宇宙的連関)(のっぴきならない存在の環)に恍惚となる。そして、塚崎を英雄視す

ることになる。しかし、その冬、南米航路から帰った塚崎と房子との結婚宣言を聞いて、登

の心は冷えた。その夜、登は再び房子と塚崎の情事をのぞき見る。そして、それが発覚した

とき、塚崎のとった父親の役割に満足しきっている態度に、登は嘔吐を催す。その塚崎の罪

科を首領に報告すると、十三歳の首領は、塚崎を英雄にするためにと、処刑を宣告する。結

婚式の日取りが決まった日、港の見える丘で、塚崎に対する死刑が執行された。


   
 (死刑が執行された。)という文字に、ドキッとしちゃいますが、私は美しく生きること

の意味とか、誇りを持って、強く生きる事の大切さを、鋭い刃物で突きつけられて教えられ

た気がして、身が引き締まる思いがしました。


 では、三島由紀夫はどういった思いで、この作品を書いたのでしょう?


 三島由紀夫自身は「父親というテーマ、つまり男性的権威の一番支配的なものであり、い

つも息子から攻撃をうけ、滅びてゆくものを描こうとした」と書いているそうですが、それ

をより明瞭に書いた文章がありますので、あわせて紹介しますね。 

 洋泉社のムック本「死ぬまでに読んでおきたい国民的作家10人の名作100選」より。
 
 この物語の一方の主人公である竜二は外国航路の船乗り、当時の呼び方で言えば「マドロ

ス」である。海外が今よりも遥かに遠い存在だったこの当時、彼らは半ば異世界の住人であ

り、石原裕次郎や赤木圭一郎といった日活映画のスターも繰り返しマドロスを演じた。まさ

に子どもたちの憧れの的だったのである。
 しかし、竜二はその英雄物語の世界から抜け出て、日常世界に埋没しようとする。彼を義

父として迎える立場にある中学生の登は、そんな竜二に対し強い幻滅を覚える。
 それは世にあふれる男たちへの三島自身の思いだったろう。時はまさに高度成長期、サラ

リーマンが爆発的に増加し、マイホーム主義という言葉の登場とともに「男」のあり方は大

きく変容しつつあった。父親が子どもに大人の理想像を示せなくなる時代の中で、三島は自

らも平凡な男になっていくのを恐れた。
 そんな不安と迷い、そして若き日への追憶が、この「午後の曳航」には赤裸々に描かれて

いる。
 

 三島由紀夫が理想を強く持ち、自分自身にとても厳しい人だったのがうかがわれるようで

すよね。


 私は、ますます三島由紀夫の作品を読みたくなってきました。

 では、こんな三島由紀夫に、あの有名な作家は何を感じたのでしょう?


 次回はそれを探りたいと思います。



  

村松剛「三島由紀夫の世界」

2015-09-14 23:16:45 | 読書
先日、三島由紀夫の短編を読んでいたのですが、どう解釈していいか迷ってしまいまし

た。
 そこで、ほかの人の感想を知りたくて、ネットで調べたのですけど、やっぱり迷った人

が多かったんです。
 それでも、なかには詳しく書いている人もいたのですが、私にはその説がどうもしっく

り来なかったんです。
 その時、私の頭にふと浮かんだのは、ある三島由紀夫ファンの男性が、「三島由紀夫は

小説よりも、エッセイの方が取っつきやすい」と言っていた言葉でした。
 そういえば、「英霊の聲」を読んだ時、二・二六事件や三島由紀夫の天皇観を知らなけ

れば、この作品の真意は伝わりにくいだろうなと思ったことがあったんです。
 三島由紀夫の小説を読むには、彼の思想信条や人間性や、作風などを知っておいた方が

いいように思われてきました。
 そうして、三島由紀夫について語った最適な書はないものかと探していたら、村松剛著

の「三島由紀夫の世界」という文庫本を見つけたのです。
 村松剛氏は、文芸評論家で、筑波大学や立教大学など、各大学で教授を歴任した三島由

紀夫の長年の友人で、著書も沢山、紹介してあるので、この本に白羽の矢を立てる事に決

めたのでした。

 なにより、この文庫本の背表紙に書いてある文章が私の心を捉えたのです。

 「破れた初恋が、その生涯に落とした長い影。「假面」の創造と「他者」への転生の足

跡。そして、死を賭してまで世に訴えたかったこと・・・。生前の深い交友を絶妙の通奏

低音としつつ、創作や評論、ノート、書簡等、あたう限り三島由紀夫自身の言葉にもとづ

き、類なき文学者の全体像を浮かびあがらせる。スキャンダラスな曲解、伝説の数々を払

拭し、「三島論」の期を画した決定版評伝。 
 
 
 スキャンダラスな曲解とは、有り体に言って、三島由紀夫の同性愛疑惑のことです。 
 なんでも、三島由紀夫が、自衛隊の市ヶ谷駐屯地で割腹自決した時、介錯した森田必勝

も後を追ったので、同性愛心中ではなかったかと噂が立ち、週刊誌が、解剖で、同性愛の

痕跡がなかったか警察に問い合わせた事があったらしいです。
 (その問い合わせに、警察の責任者は一切、見当たらなかったと言明したそうです。)

 実は、私はつい最近まで、その疑惑があるとは知りませんでした。
 私が子供の頃は三島由紀夫が世間を騒がせて、割腹自決して、まだ間がなかったせいか

、国語の教科書に彼の作品は載っていませんでしたし、ましてや授業で習った事さえあり

ませんでした。
 ただ高校生になってから、国語の先生が、「三島由紀夫が割腹自決した時、介錯した森

田必勝は、なかなか首を落とせず、何度も斬りつけたので、三島はかなり苦しんで死んだ

はずだ」と教えて下さった事があり、そんな常軌を逸した血なまぐさい事件を起こした人

の作品は読みたくないと思い、三島由紀夫は極力避けていたのです。

 ところが、数年前、私がブログを書くようになってから、なぜか三島由紀夫ファンの男

性が、複数、私の前に現れ、三島由紀夫の魅力をそれぞれ教えてくれた事があったのです


 三島由紀夫ファンの彼らはみな男らしくて、包容力があり、優しさにあふれていました



 彼らに影響を与えた三島由紀夫とはどんな人物で、どうような作品を書いていたのでし

ょう?  

 それから三島由紀夫に興味を持つようになり、調べていくうちに、同性愛疑惑があるの

を知ってしまったのです。
 私が、ブログに三島由紀夫について書くようになってから、美輪明宏さんと三島は肉体

関係があったのではとコメントした人もあって、だんだん私も気になってきざるを得なく

なってしまいました。
 
 では、なぜ三島由紀夫に同性愛の疑惑がかけられるようになったのでしょう?

 ひとつは「假面の告白」や「禁色」といった作品で、あたかも自分自身の同性愛を告白

したように書いたり、同性愛に精通しているような事を書いているからだそうです。
 おまけに、プライベートでも同性愛者と仲良くなったり、ゲイ・バーに好んで出没した

事も、三島由紀夫は同性愛だという憶測を呼ぶ一因になったようです。

 しかし、村松剛氏は、それでも三島由紀夫は同性愛者ではなかったと言い切っています



 長年の友人が、そう言うのなら、その可能性は大きいですよね?
 友人だったら、それに気付かないはずはないですから。

 それに、以前、ご紹介させていただいた「平凡パンチの三島由紀夫」の著者、椎根 和

さんも、三島由紀夫と剣道の練習のあと、何度も一緒にお風呂に入ったりしたが、三島由

紀夫に触られたり、変な目つきで見つめられたりするなど同性愛の素振りはまったくなか

ったと書いていましたし、楯の会の元会員にインタビューした保阪正康著の「三島由紀夫

と楯の会事件」を読んでも、元会員の言葉に同性愛の雰囲気はまったく感じられなかった

のです。

 この本で、三島由紀夫は同性愛者ではなかったという事を、多くの人に納得してもらう

ために、村松剛氏は、三島の著書で、数多くの例を参考に挙げています。
 三島由紀夫が同性愛者であるのとないのとでは、作品を理解するのに大きな隔たりが生

じてきます。
 だからこそ、村松剛氏は、三島由紀夫の同性愛疑惑を明らかにしたかったのかも知れま

せん。
 まず、三島由紀夫には二人の重要な女性の存在があり、そこに疑惑の根源を見出す事が

できるそうです。
 一人は、妹の美津子さんで、彼女は敗戦後の10月に腸チフスで亡くなったそうです。
 美津子さんは死の数時間前、まったく意識のない状態のなかで、「お兄ちゃま、どうも

ありがとう」といい、看病にあたっていた三島はその言葉に号泣したといいます。
 もう一人は、K子嬢という女性で、結婚の一歩手前まで来ていながら、三島の逡巡から

、ほかの男性のもとに去られ、妹の美津子さんの死と同時期に二人の女性を失った三島は

その時の心情を、何度となく作品に投影しているのだとか。
 村松剛氏が例にあげた作品で、私がもっとも驚いたのは「サーカス」で、この作品の執

筆中、三島は、まだK子嬢と恋愛の絶頂期にありながら、登場人物の恋人同士を死に追い

やっているのです。
 そのあらすじは 
「サーカス」の主人公は曲馬団で綱渡りをしている少年と少女で、二人は愛し合っていま

す。
 曲馬団の団長は、少女が綱から飛び降り、それを受け止めそこなった少年と二人して死

ぬのを夢見ていました。
 ある日、少年の乗った馬が暴れ、少年は脛骨を折ってしまいます。
 そうして、横たわった少年の胸に緋色の百合の紋章が輝くのです。
 綱を渡りきり、足場から少年の痛々しい姿を見下ろした少女は、銀の靴の片足を暗いど

よめいている空間に差し出します。

 何も知らない群衆の頭上に、一つの大きな花束が落ちてきます。

 団長は手下が「王子」の靴の裏にあらかじめ油を塗り、馬に興奮剤を注射しておいた「

手柄」への報酬として、「支えきれないほどの金貨」を彼の掌に落としてやるのでした。


     
 はたして、これが恋愛の絶頂期にある男性の書くお話なのか?

 なぜ、愛する女性を守り、これから強く生きていこうとするお話を書かないのでしょう

か?

 その時、私はふと三島由紀夫の作風が、唯美主義とか、芸術至上主義と呼ばれる訳が、

初めて、分かったような気がしたのです。  
  人生をどう生きるべきかではなく、三島由紀夫の場合、芸術のための芸術を追求する

作風だったという事を。

 彼は自分の美の世界を守るために、「世界にあってこよなくたをやかなもののために、

」他者を殺しつづける。自分が夢見る美が永遠であるためには、現実という名の外界の方

にほろびてもらわなければならない。外界の方がもし永遠なら、芸術とは一片の造花にす

ぎなくなる。また地上の美女たちは、ほろびることによってこそむしろ永遠化される。
 ただ花が久遠に花であるための、彼は殺人者になったのだった。
「中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記」より。
 
 しかし、これを書いたあと、三島由紀夫はK子嬢との間に破局が訪れ、三島は自分を裏

切った者に対する復讐の物語を書くようになるのです。
 「盗賊」は恋人を裏切った女性が、一人生き延び、若かった頃の美しさや純粋さを失う

物語だとか・・・

 当時の心境を、後に三島は「終末感からの出発昭和二十年の自画像」で、こう明かして

いるそうです。
 戦争中交際していた一女性と、許婚の間柄になるべきところを、私の逡巡から、彼女は

間もなく他家の嫁になった。
 妹の死と、この女性の結婚と、二つの事件が、私の以後の文学的情熱を推進する力にな

ったように思われる。種々の事情からして、私はわたしの人生に見切りをつけた。その後

の数年の、私の生活の荒涼たる空白感は、今思い出しても、ゾッとせずにはいられない。

年齢的に最も溌溂としているはずの、昭和二十一年から二・三年の間というもの、私は最

も死の近くにいた。
 また四年後の「假面の告白」に付すつもりで書いた「作者の言葉」では、「この作品を

書く前に私が送っていた生活は(死骸の生活だった)と記しているそうです。
 
 そんな苦悶に満ちた生活と決別をしたのが、「假面の告白」で、この作品の主人公は、

自分とはまったく異質の世界に属する人間に憧れを抱き続ける人物として描かれ、それが

過去の三島の作品にはない特色で、三島はそれまでの作品では作者の美学に染め上げられ

ることなしには、作中への参入を許さなかったそうです。
 初版「假面の告白」の月報で、三島は自ら「この本は私が今までそこに住んでいた死の

領域に残す遺書だ。この本を書くことは私にとって裏返しの自殺だ。飛び込み自殺を映画

に撮ってフィルムを逆にまわすと、猛烈な速度で谷底から崖の上へ自殺者が飛び上がって

生き返る。この本を書くことによって私が試みたのは、そういう回復術である。」と書き

、村松剛氏はこの文章にこう付け加えています。
 「假面の告白」を単純な「告白」と受け取り、三島と作中の「私」とを同一視する人々

が今も昔も少なくない。ただの性倒錯者の手記として読んだのでは、「裏返しの自殺」や

「私という存在の明らかな死」などという三島の説明は何を意味するかわからないことに

なる。
 三島にとって「假面の告白」は、新しい文学人生への再出発の書だった。「假面の告白

」の「私」と三島当人とを混同することは、彼のこの時代までの作品にろくに目を通して

いない事実を自認しているにひとしい。

 三島由紀夫の一連の同性愛を扱った作品や、行動にはそういう意味が込められているら

しいです。 
 

 あと気になったのは、三島由紀夫の政治的立場です。
 三島由紀夫は民主主義を親の敵みたいな書き方をよくしていますが、実は議会制民主主

義の支持者だと、「反革命宣言」の中で、明瞭に書いているそうです。
 三島由紀夫は議会制民主主義の効率の悪さを認識しながらも、言論の自由を守るには、

これが最適だと力説しているとか。
 天皇親政という戦前右翼的な考えも、峻拒していたそう。
 天皇は祭祀王として日本の文化の中心に位置しつづけてきたのであって、時の政体に密

着すればその超政治的な立場は損なわてしまう。大正14年の治安維持法の失敗は、三島

によれば天皇中心の国体と資本主義体制とを同一視してしまったことにある。
 
 もう一つは、三島由紀夫が市ヶ谷駐屯地で訴えた憲法九条の改正についてであります。

 三島由紀夫は1970年に割腹自決を遂げていますが、その年、楯の会の会員向けの文

章「問題提起」に、「たとい憲法九条を改正して、安保条約を双務条約に書き換えても、

それで日本が独立国としての体面を回復したことにはならぬ。」と書き、村松剛氏はこれ

を受けて、こう記しています。
 自由の養護は大切だが、真にナショナルなものはそのような政治体制の次元を超えたと

ころにあり、ナショナルな価値観と結びつかない自由のために人間が自己の生命を犠牲に

供し得るとは、三島は信じていなかった。死を賭しても守るのに値し、かつ守らねばなら

ないのは「歴史・伝統・文化の時間的連続性に準拠し、国民の永い生活経験と文化経験の

集積の上に成立する」国体にほかならない。
「国体は日本民族日本文化のアイデンティティを意味し、政権交代に左右されない恒久性

をその本質とする。」
 三島が切望したのは、日本の根の恢復(アンラシーヌマン)だった。
 真の変革とは、純粋な日本の魂の蘇生を叫びつづけることをおいてはほかにないと、昭

和45年に1月に発表された「変革の思想」になかで彼は宣言する。
 「その結果が死であっても構わぬ。(中略)うまずたゆまず、魂の叫びをあげ、それを

現象への融解から救い上げ、精神の最終証明として後世に残すことだ。」
 生命を賭して「精神の最終証明」をのこす機会を、三島は求めていたのである。


 それが、あの自衛隊の市ヶ谷駐屯地での決起の呼びかけと、割腹自決につながる訳なん

ですね。

 こうした三島由紀夫論をもとに、彼の作品にふれようと思うのですが、三島由紀夫に異

を唱えた有名な作家も実は気になっているのです。

 それは、別の三島由紀夫ファンの男性に教えられました。

 次回、三島由紀夫の記事を書く時はそのお話をしたいと思います。