今回は三島由紀夫に異を唱えた作家さんのお話をする予定でしたが、その作家さんが絶賛
していた三島由紀夫の小説「午後の曳航」を、先に読んでみたくなっちゃいました。
ワタクシ、三島由紀夫の作品を早く読みたくて、どうしようもなくウズウズしちゃってる
んです。(苦笑)
この小説は、発表当初から、国内外で高い評価を受けていたらしいです。
それで、期待に胸ふくらませ読み進めたのですが、母と息子の妖しい雰囲気に、
耳たぶまで真っ赤になるほど、だんだん恥ずかしくなってしまいました・・・
文章はたしかに素晴らしいけど、この手法はまさにあれじゃ?
その時、私の脳裏によみがえったものがありました。
私は、この小説を映画化したものを、十代の頃にテレビで観たことがあったのです。
それは、ある映画番組の特集で、ほかには「課外授業」「青い体験」「フレンズ」などと
いった映画と一緒に放送されていました。
以前は、映画に詳しい人が私のブログを読んでましたけど、今は誰もいませんので、映画
のタイトルだけ並べても、どんな内容なのか知ってる人はいないでしょう?
ああ、よかったわ♪
はっ!!
なんて、喜んでる場合じゃないっていうの!
ちゃんと書かなきゃ、お話進められないじゃないの!!(苦笑)
この小説の舞台は、横浜中区山手町で、13歳の少年、黒田登は33歳の母親と二人で暮
らしていました。 そんなある日、登は自分の部屋のタンスの引き出しの奥に小さな穴を見
つけます。
その穴の向こうには母の部屋があり、その穴に気づいてから、登は母の部屋を覗くように
なります。
そうして、目にしたものは母の裸の熟れた肉体と、男に抱かれる姿だったのです。
ね?
まるで、官能小説みたいでしょう?
この場面を読みながら、私はもし、うちの息子に、私のあられもない姿を覗き見られてた
ら、どうしようと思って、耳たぶまで真っ赤になるほど、恥ずかしくなっちゃったんです。
第三者に見られるだけでも恥ずかしいのに、息子に見られちゃったら、母親の威厳も何も
ありゃしない・・・
おそらく、もう何も息子に言えなくなっちゃうに違いない・・・
だけど、この小説この先、一体どうなっちゃうんでしょう?
まさか親子の一線を踏み越え、息子と出来ちゃったりして?
もしそんなことが書いてあったら、どうしよう?(真っ赤)
だけど、考えても分からないから、読み進めてみることにしました。(笑)
すると、母親房子の恋の相手の男性塚崎竜二が、重要な存在だと分かってきたのです。
そして、語彙が豊富で、流麗な文章に、日本語の美しさに驚くとともに、三島由紀夫の美学
というか、人生を見つめる目の鋭さ、確かさ、底知れなさに、言葉をなくし、いつしか陶然
とせずにはいられませんでした。
「午後の曳航」より。
塚崎はゆっくりとシャツの釦を外し、それから無雑作に着ているものを脱ぎ捨てた。
塚崎は母と同い年ぐらいだったろうが、陸の男よりもずっと若々しい堅固な躰、海の鋳型
から造られたような躰を持っていた。ひろい肩は寺院の屋根のように怒り、夥しい毛に包ま
れた胸はくっきりと迫り出し、いたるところにサイザル・ロープの固い撚りのような筋肉の
縄目があらわれて、彼はいつでもするりと脱ぐことのできる肉の鎧を身に着けているように
見えた。そして登はおどろきを以って眺めた、彼の腹の深い毛をつんざいて誇らしげに聳え
立つつややかな仏塔を。
仄かな光りを横からうけた彼の厚い胸板は、繊細な影を散らす胸毛の息づきをはっきりと
見せ、危険な目のかがやきは、たえまなく母の脱衣に向けられていた。背後の月の反映は、
彼の怒った肩に、一筋の金いろの稜線を与え、彼の太い頸筋の動脈は、金いろにふくらんで
いた。それは本当の肉の黄金、月の光りと汗の光りとが作った黄金だ。
母の脱衣は手間取った。わざと手間取らせていたのかもしれない。
突然、あけひろげた窓いっぱいに、幅広の汽笛がひびいてきて、薄暗い部屋に満ちた。大
きな、野放図もない、暗い、押しつけがましい悲哀でいっぱいの、よるべのない、鯨の背の
ように真黒で滑らかな、海の潮の情念のあらゆるもの、百千の航海の記憶、歓喜と屈辱のす
べてを満載した、あの海そのものの叫び声がひびいてきた。遠い沖や、大洋の只中から、こ
の小さな部屋の暗い花蜜への憧れを運んでくる、夜のかがやしさと狂気でいっぱいな、あの
汽笛が侵入して来たのである。
二等航海士は、きっと肩をめぐらして、海のほうへ目を向けた。・・・・・
このとき登は、生まれてから心に畳んでいたものが、完全に展開され、名残なく成就され
た、奇跡の瞬間に立ち会っているような気がした。
だんだん、興味が湧いてきたでしょう♪
それでは、あらすじも書いておきますね。
雑誌「国文学」56年7月号より。
黒田登は、五年前に未亡人になった三十三歳の母房子と、横浜山手に暮らしている。十三
歳の登は、自分が天才であること、世界はいくつかの単純な記号と決定で出来ていることを
確信している中学生であり、首領を中心とする不良少年団の一員である。ある夏、登は、房
子と港の貨物船を見物するが、そのとき知った二等航海士塚崎と房子との情事をのぞき見、
その(宇宙的連関)(のっぴきならない存在の環)に恍惚となる。そして、塚崎を英雄視す
ることになる。しかし、その冬、南米航路から帰った塚崎と房子との結婚宣言を聞いて、登
の心は冷えた。その夜、登は再び房子と塚崎の情事をのぞき見る。そして、それが発覚した
とき、塚崎のとった父親の役割に満足しきっている態度に、登は嘔吐を催す。その塚崎の罪
科を首領に報告すると、十三歳の首領は、塚崎を英雄にするためにと、処刑を宣告する。結
婚式の日取りが決まった日、港の見える丘で、塚崎に対する死刑が執行された。
(死刑が執行された。)という文字に、ドキッとしちゃいますが、私は美しく生きること
の意味とか、誇りを持って、強く生きる事の大切さを、鋭い刃物で突きつけられて教えられ
た気がして、身が引き締まる思いがしました。
では、三島由紀夫はどういった思いで、この作品を書いたのでしょう?
三島由紀夫自身は「父親というテーマ、つまり男性的権威の一番支配的なものであり、い
つも息子から攻撃をうけ、滅びてゆくものを描こうとした」と書いているそうですが、それ
をより明瞭に書いた文章がありますので、あわせて紹介しますね。
洋泉社のムック本「死ぬまでに読んでおきたい国民的作家10人の名作100選」より。
この物語の一方の主人公である竜二は外国航路の船乗り、当時の呼び方で言えば「マドロ
ス」である。海外が今よりも遥かに遠い存在だったこの当時、彼らは半ば異世界の住人であ
り、石原裕次郎や赤木圭一郎といった日活映画のスターも繰り返しマドロスを演じた。まさ
に子どもたちの憧れの的だったのである。
しかし、竜二はその英雄物語の世界から抜け出て、日常世界に埋没しようとする。彼を義
父として迎える立場にある中学生の登は、そんな竜二に対し強い幻滅を覚える。
それは世にあふれる男たちへの三島自身の思いだったろう。時はまさに高度成長期、サラ
リーマンが爆発的に増加し、マイホーム主義という言葉の登場とともに「男」のあり方は大
きく変容しつつあった。父親が子どもに大人の理想像を示せなくなる時代の中で、三島は自
らも平凡な男になっていくのを恐れた。
そんな不安と迷い、そして若き日への追憶が、この「午後の曳航」には赤裸々に描かれて
いる。
三島由紀夫が理想を強く持ち、自分自身にとても厳しい人だったのがうかがわれるようで
すよね。
私は、ますます三島由紀夫の作品を読みたくなってきました。
では、こんな三島由紀夫に、あの有名な作家は何を感じたのでしょう?
次回はそれを探りたいと思います。
していた三島由紀夫の小説「午後の曳航」を、先に読んでみたくなっちゃいました。
ワタクシ、三島由紀夫の作品を早く読みたくて、どうしようもなくウズウズしちゃってる
んです。(苦笑)
この小説は、発表当初から、国内外で高い評価を受けていたらしいです。
それで、期待に胸ふくらませ読み進めたのですが、母と息子の妖しい雰囲気に、
耳たぶまで真っ赤になるほど、だんだん恥ずかしくなってしまいました・・・
文章はたしかに素晴らしいけど、この手法はまさにあれじゃ?
その時、私の脳裏によみがえったものがありました。
私は、この小説を映画化したものを、十代の頃にテレビで観たことがあったのです。
それは、ある映画番組の特集で、ほかには「課外授業」「青い体験」「フレンズ」などと
いった映画と一緒に放送されていました。
以前は、映画に詳しい人が私のブログを読んでましたけど、今は誰もいませんので、映画
のタイトルだけ並べても、どんな内容なのか知ってる人はいないでしょう?
ああ、よかったわ♪
はっ!!
なんて、喜んでる場合じゃないっていうの!
ちゃんと書かなきゃ、お話進められないじゃないの!!(苦笑)
この小説の舞台は、横浜中区山手町で、13歳の少年、黒田登は33歳の母親と二人で暮
らしていました。 そんなある日、登は自分の部屋のタンスの引き出しの奥に小さな穴を見
つけます。
その穴の向こうには母の部屋があり、その穴に気づいてから、登は母の部屋を覗くように
なります。
そうして、目にしたものは母の裸の熟れた肉体と、男に抱かれる姿だったのです。
ね?
まるで、官能小説みたいでしょう?
この場面を読みながら、私はもし、うちの息子に、私のあられもない姿を覗き見られてた
ら、どうしようと思って、耳たぶまで真っ赤になるほど、恥ずかしくなっちゃったんです。
第三者に見られるだけでも恥ずかしいのに、息子に見られちゃったら、母親の威厳も何も
ありゃしない・・・
おそらく、もう何も息子に言えなくなっちゃうに違いない・・・
だけど、この小説この先、一体どうなっちゃうんでしょう?
まさか親子の一線を踏み越え、息子と出来ちゃったりして?
もしそんなことが書いてあったら、どうしよう?(真っ赤)
だけど、考えても分からないから、読み進めてみることにしました。(笑)
すると、母親房子の恋の相手の男性塚崎竜二が、重要な存在だと分かってきたのです。
そして、語彙が豊富で、流麗な文章に、日本語の美しさに驚くとともに、三島由紀夫の美学
というか、人生を見つめる目の鋭さ、確かさ、底知れなさに、言葉をなくし、いつしか陶然
とせずにはいられませんでした。
「午後の曳航」より。
塚崎はゆっくりとシャツの釦を外し、それから無雑作に着ているものを脱ぎ捨てた。
塚崎は母と同い年ぐらいだったろうが、陸の男よりもずっと若々しい堅固な躰、海の鋳型
から造られたような躰を持っていた。ひろい肩は寺院の屋根のように怒り、夥しい毛に包ま
れた胸はくっきりと迫り出し、いたるところにサイザル・ロープの固い撚りのような筋肉の
縄目があらわれて、彼はいつでもするりと脱ぐことのできる肉の鎧を身に着けているように
見えた。そして登はおどろきを以って眺めた、彼の腹の深い毛をつんざいて誇らしげに聳え
立つつややかな仏塔を。
仄かな光りを横からうけた彼の厚い胸板は、繊細な影を散らす胸毛の息づきをはっきりと
見せ、危険な目のかがやきは、たえまなく母の脱衣に向けられていた。背後の月の反映は、
彼の怒った肩に、一筋の金いろの稜線を与え、彼の太い頸筋の動脈は、金いろにふくらんで
いた。それは本当の肉の黄金、月の光りと汗の光りとが作った黄金だ。
母の脱衣は手間取った。わざと手間取らせていたのかもしれない。
突然、あけひろげた窓いっぱいに、幅広の汽笛がひびいてきて、薄暗い部屋に満ちた。大
きな、野放図もない、暗い、押しつけがましい悲哀でいっぱいの、よるべのない、鯨の背の
ように真黒で滑らかな、海の潮の情念のあらゆるもの、百千の航海の記憶、歓喜と屈辱のす
べてを満載した、あの海そのものの叫び声がひびいてきた。遠い沖や、大洋の只中から、こ
の小さな部屋の暗い花蜜への憧れを運んでくる、夜のかがやしさと狂気でいっぱいな、あの
汽笛が侵入して来たのである。
二等航海士は、きっと肩をめぐらして、海のほうへ目を向けた。・・・・・
このとき登は、生まれてから心に畳んでいたものが、完全に展開され、名残なく成就され
た、奇跡の瞬間に立ち会っているような気がした。
だんだん、興味が湧いてきたでしょう♪
それでは、あらすじも書いておきますね。
雑誌「国文学」56年7月号より。
黒田登は、五年前に未亡人になった三十三歳の母房子と、横浜山手に暮らしている。十三
歳の登は、自分が天才であること、世界はいくつかの単純な記号と決定で出来ていることを
確信している中学生であり、首領を中心とする不良少年団の一員である。ある夏、登は、房
子と港の貨物船を見物するが、そのとき知った二等航海士塚崎と房子との情事をのぞき見、
その(宇宙的連関)(のっぴきならない存在の環)に恍惚となる。そして、塚崎を英雄視す
ることになる。しかし、その冬、南米航路から帰った塚崎と房子との結婚宣言を聞いて、登
の心は冷えた。その夜、登は再び房子と塚崎の情事をのぞき見る。そして、それが発覚した
とき、塚崎のとった父親の役割に満足しきっている態度に、登は嘔吐を催す。その塚崎の罪
科を首領に報告すると、十三歳の首領は、塚崎を英雄にするためにと、処刑を宣告する。結
婚式の日取りが決まった日、港の見える丘で、塚崎に対する死刑が執行された。
(死刑が執行された。)という文字に、ドキッとしちゃいますが、私は美しく生きること
の意味とか、誇りを持って、強く生きる事の大切さを、鋭い刃物で突きつけられて教えられ
た気がして、身が引き締まる思いがしました。
では、三島由紀夫はどういった思いで、この作品を書いたのでしょう?
三島由紀夫自身は「父親というテーマ、つまり男性的権威の一番支配的なものであり、い
つも息子から攻撃をうけ、滅びてゆくものを描こうとした」と書いているそうですが、それ
をより明瞭に書いた文章がありますので、あわせて紹介しますね。
洋泉社のムック本「死ぬまでに読んでおきたい国民的作家10人の名作100選」より。
この物語の一方の主人公である竜二は外国航路の船乗り、当時の呼び方で言えば「マドロ
ス」である。海外が今よりも遥かに遠い存在だったこの当時、彼らは半ば異世界の住人であ
り、石原裕次郎や赤木圭一郎といった日活映画のスターも繰り返しマドロスを演じた。まさ
に子どもたちの憧れの的だったのである。
しかし、竜二はその英雄物語の世界から抜け出て、日常世界に埋没しようとする。彼を義
父として迎える立場にある中学生の登は、そんな竜二に対し強い幻滅を覚える。
それは世にあふれる男たちへの三島自身の思いだったろう。時はまさに高度成長期、サラ
リーマンが爆発的に増加し、マイホーム主義という言葉の登場とともに「男」のあり方は大
きく変容しつつあった。父親が子どもに大人の理想像を示せなくなる時代の中で、三島は自
らも平凡な男になっていくのを恐れた。
そんな不安と迷い、そして若き日への追憶が、この「午後の曳航」には赤裸々に描かれて
いる。
三島由紀夫が理想を強く持ち、自分自身にとても厳しい人だったのがうかがわれるようで
すよね。
私は、ますます三島由紀夫の作品を読みたくなってきました。
では、こんな三島由紀夫に、あの有名な作家は何を感じたのでしょう?
次回はそれを探りたいと思います。